2009年12月13日(日)  新幹線は仕事がはかどる書斎

約一か月ぶりに大阪出張。移動時間にじっくり本や資料を読めて、それがまたはかどったりする。ほどよい揺れがリズムになっているのかも。携帯電話からtwitterを書き込んだりして、あっという間に2時間半。

新大阪からはタクシーで打ち合わせ先へ。運転手さんはサービス精神旺盛で、これまでに乗せた有名人の自慢話をしたり「この辺で御堂筋のイルミネーションやるんですわ」などと案内してくれたり。今井雅子のことも宣伝してもらおう、と「クリスマスの贈りもの」の小冊子を手渡す。

大阪出張のいいところは、仕事のついでに実家に帰れること。母はなかなか鋭い意見を言ってくれるので(「それつまらんわ」「こうしたらええんちゃう?」と反射神経で言ってくることが、的確)、打ち合わせの内容を話して反応を聞いていると、いい具合に頭が整理される。

今日のtwitter

@sacaban作協忘年会でご一緒しました。一方的に存じ上げていましたが、お名前とお顔が一致。渋いお声が印象に残りました。二日酔いならぬ三日酔いですか。わたしたちは酔い醒ましに珈琲一杯のつもりが、気づいたら4時間。脚本家は話し相手に飢えていることを実感。

一か月ぶりの出張。新幹線で移動中。今日の駅弁は「味噌カツ・ひつまぶし風弁当」。「風」というのが味噌だ。

2006年12月13日(水)  マタニティオレンジ42 ベビーヨガ10回目
2004年12月13日(月)  待ち合わせできない女
2003年12月13日(土)  加藤大治郎ジャズライブwith魔女田さん


2009年12月12日(土)  養老乃瀧中野坂上店のインド人店長人情カレー

アメリカから一時帰国している大学時代からの友人Cさんを囲んで、共通の友人たちと中野で飲む。一次会は、店の前で活穴子がうにょうにょのたうっていた居酒屋「えんや」。銀杏やら刺身やら日本らしい肴もりだくさんでCさん大満足。

飲み直しに、Cさんが行きつけだった中野坂上のスペイン料理屋へ。しかし、あいにく満席。さあどうしようとなる。すぐそばにある養老乃瀧は一同の選択肢からは外れていたのだけれど、Cさんが迷いのない足取りで入っていき、一同「養老乃瀧でいいの?」のハテナを抱えつつ従うことに。

そして、Cさんについていかなければ体験できなかったカルチャーショックを受けることに。

流暢な日本語で出迎えてくれた店長のトニーさんはインド人(養老乃瀧なのに!)。「子どもがいるんですけど、いいですか」「いいよいいよ」。インド人はどこのお店でも子どもに対してとても寛容。テラス席(養老乃瀧なのに!)がいいと娘のたまが主張し、「こどものいすがいいよう」とねだると、カウンター席の高めの椅子を持ってきてくれるトニー店長。

寒くなったので店内へ移りたいと申し出ると、奥の座敷に案内され、7人で貸し切りに。「トニーさん、カレーとかあるの?」とCさんが何気なく聞くと、「ありますよ」とトニー店長の目がキラリ。運ばれてきたインドカレーは本格派(養老乃瀧なのに!)。「けど、ナンがいまいちやねえ」とCさんが言うと、トニー店長、待ってましたとばかりに「そうなんですよ! それが悔しくて……だから、来年になったら窯を入れてもらうんです」。もちろん養老乃瀧で全国初。窯があれば本場のナンを食べてもらえる。チーズ入りもお手のもの……と熱く語るトニーさんを「店長」と呼ぶ店員さんはネパール人。土日に働いてくれる日本人が少ないので、今夜も一人を除いて全員外国人だという。

わたしは子どもの頃にインド人一家が2年ほど隣に住んでいて、幼なじみがインド人だったし、他にもインドになじみのあるメンバーが多かったので、トニーさんは親しみを覚え、時間を見つけてはわたしたちのテーブルにやってきた。「皆さんに初めて話します」とお父様を亡くしたときの話をして涙ぐみ、わたしたちももらい泣き。故郷を遠く離れ、思うところはいろいろあるのだろう。それでも日本で地に足つけてやりたいのは、インド料理やではなく、あくまで居酒屋。「インドには居酒屋がないんです」と言われ、驚く。世界中のおいしいものを国境なく食べられるごちゃまぜの居酒屋、それがトニーさんのめざすところらしい。

ネパール人の女の子に、食後にチャイを頼むと、「今日はできません」と言われたが。お会計のときにトニーさんにその話をしたら、「わたしに言ってくれれば作りました!」と悔しがっていた。チャイも飲める養老乃瀧中野坂上店、窯が入った頃にまた訪ねたい。

物怖じせず、わが道を突き進むCさんを「破壊者」と愛を込めて呼ぶ学生時代の仲間がいるが、今夜も「養老乃瀧はただの居酒屋」という先入観を見事に砕いてくれた。

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@sakaisampo店長のトニーさんに頼めばチャイも出してもらえるそう。トニーさんが自らの生い立ちと居酒屋にかける熱い思いを語りだし、養老乃瀧で本格カレー食べながらインド人の人情話に泣かされる不思議な体験をしました。

養老乃瀧中野坂上店になぜか本格カレー。店長のトニーさんはニューデリー出身。レトルトのナンに納得いかず、来年早々釜を入れるそう。もちろん養老乃瀧全国初。

11月30日(月)の日記〈朝ドラ「つばさ」スピンオフ本読み〉を書きました。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091130

@sakaisampo 作協のパーティに同行したら、わたしより先輩のほうが知り合いが多かったりして。外国人に逆に日本案内されるような事態に?

@sakaisampo 推理作家協会系のパーティってすごく興味あります。ミステリー大好きなので。作家さんは顔出ししている人が多いですが、素顔を拝めるチャンスですね。脚本家は名前だけ流通することが多いので、昨夜は「え!あれ書いている人がこんな顔!」という驚きがあって面白かったです。

@mikamax トーキョーギョーカイ系忘年会@某クラブという華やかな言葉がSATCぽいですね〜。中田ヒデ氏が通天閣のビリケンさんみたいになでられるの図を想像しました。

@sakaisampo シナリオ作家協会は映画系、脚本家連名はテレビ系という傾向がある気がしますが、どうなんでしょう。ひさしぶりの忘年会でしたが、日本映画の黄金期をつくったそうそうたる顔ぶれが集まり、壮観でした。脚本家の知り合いもちょっとふえましたよ。

2007年12月12日(水)  万葉LOVERSのつどい
2006年12月12日(火)  あっぱれ、『築城せよ。』!
2002年12月12日(木)  ヰタ・マキ公演『戦場がメリークリスマス』


2009年12月11日(金)  9時間しゃべり倒し!シナリオ作家協会忘年会

シナリオ作家協会の忘年会に4年ぶり3回目の参加。出産と子育てで遠ざかっていたこともあるが、一緒に行かない?と誘ってくれる脚本家仲間がいないという現実も。参加しても、知り合いがほとんどいなくて、居場所に困ったりするので、今年は、同伴者を募ることに。万葉ラブストーリー募集の受賞者で関東在住の女子4人に声をかけると、行く行くと全員参加表明で、同窓会を兼ねて会場に集まった。

第一回募集と第二回募集の受賞者が二人ずつ。授賞式ぶりに会う人が二人。審査員と受賞者という関係だけど、年も割と近く、脚本家仲間という感じ。近況報告をしつつ、「こんなひどい話があったんですー」やら「こんなときはどうしたらいいんですか?」やら話は尽きない。歩けば脚本家に当たるという脚本家人口密度の高さで、そこかしこに名だたる先生方が……。

松本楼のカレーとローストビーフをがっつり楽しんだ一次会では、『子ぎつねヘレン』『天使の卵』でわたしが脚本家として一本立ちするきっかけを作ってくれた松竹の榎望さんや「二人あわせて3メートル」と親しくしてくれている映画評論家の小張アキ子さんを四人に紹介できた。毎日映画コンクールでご一緒した映画評論家の北川れい子さんにも再会。声をかけると覚えていてくれ、『ぼくとママの黄色い自転車』を観た感想もうかがえた。

初めて当たったビンゴの景品はNHKのどーも君。「つばさ」に明け暮れた今年を象徴するようなプレゼント。

「青年部」と称する二次会に、中年(仮)の域に差しかかりつつも参加させてもらうと、わたしより年配の先輩方も多く、安心。脚本家の知り合いをたくさん作るぞ、と意気込んだものの、同伴女子と盛り上がり、交流がおろそかに。でも、おひらきになったあとで何人かが話しかけてくれ、共通の知り合いがいる人や「つばさ」を観てくれていた人と出会えた。『誰も守ってくれない』や『ローレライ』の鈴木智さん、ドラマいっぱい観ました!(最近では「喰いタン」)の伴一彦さんも気さくでお話ししやすい方だった。

作l協の若手会員同士の交流を図るために発足した「自称青年部」には、気軽に集っておしゃべりしましょうということで「サロン雀の巣」という名前がつけられた。命名者は白鳥あかねさん。「白鳥が雀と名づけた!」と盛り上がる。

3次会には流れず、同伴女子4人とお茶して帰ることに。メニューには「コーヒー」しかなかったのに、ダメ元で聞いてみるとカプチーノを出してくれ、トレイではそっけなく並んでいたケーキは皿に盛ると気合の入った飾りつけ。店に入ったときは11時過ぎで、終電までの一杯のつもりだったのが、異様に盛り上がり、気がつくと3時! その間、常に誰かが熱く語り、まわりが激しくうなずいていた。

6時から延々9時間しゃべりっぱなしのロングラン忘年会。会話に飢えている脚本家はわたしだけじゃなかったんだなとしみじみ思った一夜。

今日のtwitter

今宵はシナリオ作家協会の忘年会。参加は4年ぶり。脚本家の知り合いが少ないので、こういう機会に。

【たま語】一昨日のこと。指をタオルになすりつけ、「チガ」。「血?」と聞くと、「ちがう、チガ」。「血が出てる」から「血=チガ」と覚えたらしい。「チガは でてる」という珍表現も。 http://www.geocities.jp/imaicafe/words/tamago.html

11月29日(日)の日記〈twitteと斎藤緑雨とアフォリズム〉を書きました。12日遅れまで来た! http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091129 

11月28日(土) の日記〈「チャイルドオアシスライブ」と「はだしになって」〉を書きました。やっと13日遅れ。夜の忘年会までにあと何日書けるか? http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091128

11月27日(金)の日記〈「つばさ」スピンオフ脚本&「小ぎつねヘレン」じゃ大違い〉を書きました。間違えて26日の日記を上書き!「戻る」を繰り返し無事救済。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091127

11月26日(木)の日記〈「たまちゃん」は英語で「いしっころ」〉を書きました。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091126

古新聞となったここ一か月の新聞を整理中。読まないと捨てられない性格。使えそうな記事は切り抜くものの整理が追いつかず。アメリカの整理術の本いわく「一週間以内に作らないレシピは捨てよ」。わが家には出番待ちの10年選手がゴロゴロ。

2008年12月11日(木)  しゃべり足りない!シナリオ作家協会忘年会
2004年12月11日(土)  『猫又祭』に初参加
2002年12月11日(水)  Make a Wish
2001年12月11日(火)  『ハッシュ!』 1本の傘 2本のスポイト


2009年12月10日(木)  健康の証明→母なる証明

少し前に原因不明の胸の痛みを覚え、申し込んだ人間ドックの検査当日。フリーランスは体が資本なのに、会社員みたいに定期健診がないから、体からのSOSがないと油断してほったらかしにしてしまう。

ひととおり検査を終えるまでに何人ものお医者さんや看護師さんに関わる。この人は実にいい声だと感心したり、この人たちは何を考えながら検査に立ち会っているのだろうと想像したり。胃カメラでマイクを手に指示を飛ばす人は、百戦錬磨の名調子。病院はあまり好きではないけれど、たまに来て眺めるのは面白い。

問診の際に胸の痛みの話をしたが、今日の検査では目立って悪いところは見つからず、おおむねきわめて良好と言われる。どこか悪いと告げられてると原因がわかってほっとする面もあるけれど、どこも悪くないのであれば、それはおおいに喜ぶべき。

時間が空いたので、「本年度ナンバー1」の呼び声が高い韓国映画『母なる証明』をシネスイッチ銀座で観る。韓国映画の力強さはどこから来るのか。どっしり構えた作り手の姿勢なのか、すさまじい集中力で役を生きる役者の力なのか。これが映画なんだなあと圧倒される。

今日のtwitter

宅間孝行さんのTV LIFE連載コラム「焼酎、ボトルでありますか。あ、芋で。」。発売中の26号に「つばさ」スピンオフの話が出ている模様。15日発売の年末年始号にもご注目。

【たま語】何週間か前、こんなのがあった。 わたし「人に何かもらったら、なんて言うの?」 たま「また ちょうだいな」 ちゃんと「ありがとう」を言える子になっておくれ〜。 http://www.geocities.jp/imaicafe/words/tamago.html

朝ドラ「つばさ」スピンオフ「好きと言えなくて」(脚本・今井雅子) ★青春編 12/19(土)3:00/22(火)2:25/27(日)14:15 ★中年編(仮)12/19(土)3:10/23(水)2:40/28(月)13:45 総集編は12/29(火)30(水)8:15より。

はじめて娘に『子ぎつねヘレン』を見せる。動物の出て来る場面にピンポイントに反応。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000FTWUX6/imaimasakocaf-22/

まわりで絶賛の声が相次ぐ韓国映画『母なる証明』を銀座シネスイッチにて。ずしんと来る映画らしい映画。ロビーに飾ってある青柳省吾さんの「えいがにがお切り絵」展が思いがけない収穫で見入ってしまう。トイレの狭さも衝撃的。膝からドアまでの距離は史上最短。その話題で皆さん盛り上がっていた。

「拍車がかかる」の拍車とは、車の一種だと思い込んでいたら、騎手の靴についた金具のようなもの(写真で見ると歯の矯正の針金みたい)だと「JRAで来年から拍車禁止」の新聞記事で知る。馬の腹を蹴って勢いづかせるものだが(これって常識?)、動物愛護の観点から世界的に規制の動きとか。

人間ドックのため6時半に起き、長い一日だった。バリウムの飲みっぷりを「すばらしい。何も言うことはありません」とマイクでほめてくれた検査医(というのかな)さん、わたしが筋肉注射を拒んで胃が動いてしまったことを「いい写真が撮れませんでした」と悔しがる。妙にドラマチックな人だった。

11月25日(水)の日記〈結婚記念日に『沈まぬ太陽』〉を書きました。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091125

「つばさ」スピンオフはただ今編集中。一回目の放送が12/19(土)3:00/3:10 (15 時ではなく早朝!)なので、大急ぎ。 http://www.nhk.or.jp/drama-blog/910/

2006年12月10日(日)  マタニティオレンジ41 お食い初め
2005年12月10日(土)  5年物のモエのマグナム
2004年12月10日(金)  エコアス馬路村の間伐材商品【monacca】
2002年12月10日(火)  美人計画


2009年12月09日(水)  よっぱらったの映画『マイマイ新子』とマルイ散歩

昨日のネグレクト(わたしはそのつもりはなかったけれど、たまにとっては……)の反省をふまえ、保育園登園自粛2日目は、パソコンを封印。普段は「ママはおうちでパソコンするのがお仕事。たまちゃんは保育園で遊ぶのがお仕事」と言い聞かせているのだけど、今日は、たまと一日遊ぶことを仕事にする。

家にいるとついパソコンを開いてしまうので、外に出ることに。パソコンを封印する前に映画チェック。高樹のぶ子さんの原作『マイマイ新子』を読んでいた映画『マイマイ新子と千年の魔法』はどうだろうと予告を見せると、ワンエピソードをたっぷり披露する見応えのある長尺。主人公の小学生・新子が転校してきたクラスメートの持ってきた舶来のウィスキーボンボンで酔っぱらうシーンで、たまは「よっぱらったの えいが みるぅ」と乗り気になった。

劇場の新宿ピカデリーに着いたのがぎりぎりで、上映が始まったところで席に着く。中高年の女性で9割方埋まっていた。絵がきれいで、なめらかで、すーっと物語に引き込まれる。たまはわたしの膝の上で目を見開いて、見入っていたが、よっぱらったの場面を見届けると、ほっとしたようにすとんと眠りに落ちた。

原作を読んだのは、わたしの子ども時代のあだ名が「マイマイ」だったという親近感からだったが、わたしの場合は名前の「イマイマサコ」が由来で、物語の主人公のほうは、マイマイはあだ名ではなく彼女の特長的なつむじのこと。何かをひらめいたり一生懸命考えたりするときにアンテナのようにつむじのところの前髪がピンと立つ。(後になって、たまは自分の前髪を持ち上げて「マイマイ」と言っていた)

原作を読んだときはそんなことはなかったのに、映画を観ていると、主人公の新子と都会からの転校生がわたしと幼なじみのヨシカの関係に重なって、自分たちの小学生の頃を見ているような気持ちになった。活発で正義感の強い新子はヨシカそのもの。大人になってからの同窓会で「ヨシカちゃんとマイマイは太陽と月みたいやった」と言われたけれど、わたしはヨシカの眩しさと明るさに引っ張ってもらっていた。でも、映画では新子はスポーツよりもお話を想像することが得意(モデルが作者の高樹さんの子ども時代なので納得)で、そんなところはわたしに似ている。

ヨシカとわたしは、自分たちのきょうだいや近所の子たちも巻き込んで、とにかくよく遊んだ。わが家が隣に越してきて、喧嘩を売られた出会いに始まり、両家を隔てるブロック塀越しの睨み合いと喧嘩の日々を経て、やがてブロック塀は鬼ごっこの舞台となり、ヨシカとわたしは口笛で互いを呼び合う仲になり、小学校に上がると一緒に登校し、中学校になってもそれは続き、別々の高校に進み、わが家が引っ越し、わたしが大阪を離れ、関西を離れ、少しずつ会う機会が減っていった。

そして、ヨシカはドイツへ飛び、そこから四年前に天国へ飛んだ。

2004年06月20日(日) 日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと

その事実はいまだにわたしの中では消化できずにいて、日本にいないことは確かだけど、あの元気がありあまってた子がお墓でおとなしくしているとは思えず、留学先のドイツにまだいるような気もする。

だから、ヨシカがいなくなったことに対して、いまだに涙を流せないでいるのだが、マイマイ新子のラストを見ながらじんわりとあふれた涙を押し出したものは、もう会えないヨシカと、彼女と過ごした日々へのどうしようもない懐かしさだった。

大人から見ればちっぽけな世界で、自分と、自分の大事なもののために精一杯生きていたあの頃が無性に恋しく思える、いとおしい映画。原作とは違った味わいがあり、スクリーンで観られて良かった。

地下のMUJI CAFEでお昼を食べ、マルイで海外へ贈るクリスマスプレゼントを探す。雑貨屋で見つけた『わたしのおかいもの』という大型しかけ絵本に親子で一目惚れ。デパートが一冊の絵本になっていて、各フロアで買い物を楽しめる。

屋上の英国式庭園は、秋で葉っぱが茶色くなり、ちょっと色あせた印象だったけれど、貸し切りでゆっくりできた。二人寝そべっても余裕のあるベッドみたいに大きな籐椅子が回転することを発見。たまがうれしがって、ぐるぐる押し続けた。

自宅のある駅まで来て、ベーグル屋でお茶。「今日はよく遊んだね」と声をかけると、「え? いつ?」ととぼけた返事。姫、これでも満足なさらぬか!

2008年12月09日(火)  クリスマスみいつけた
2006年12月09日(土)  『現代映画聖書』と『麗しの銀幕スタア』
2002年12月09日(月)  ドカ雪


2009年12月08日(火)  「たまちゃん ほいくえん いきたかったよぉ(涙)」

保育園でインフルエンザにかかった子がちらほら出て来たので、なるべく登園を自粛してくださいと言われる。打ち合わせのない日は自宅のキッチンで原稿を書いているので、家で見れないことはない。そういうわけで今日は自宅保育。「ママはお仕事があるから、たまちゃん一人で遊べる?」と聴くと、「うん。たまちゃん あそんで ママ まってる」と物わかりのいい返事。ところが「ママ まだあ?」にはじまり、「ママ おしごと おしまい」の催促。近視鏡と疲れ目防止と眼筋トレーニングを兼ねてピンホール眼鏡をかけて作業しているのも気に入らず、「ママ こわいから やめてよ」。

よーし、ちょっとだけね、と絵本を一冊読んでまたパソコンに戻る。まとまった時間を取れないと考えもまとまらない。エンジンをあたためたと思ったら冷まされる連続でスピードに乗れない。

仕事にならないので、mixiでソーシャルライブラリーというアプリを始めて、今井雅子(いまいまさこ)関連の作品を本棚に並べたりする。そんなことをする暇があったら、子どもの相手をすべし、とパソコンの電源を落とした。

今日片付けるはずだった仕事を大幅に削り、たっぷり遊んだつもりではあった。しかし、それはわたしの一方的な評価だったことがわかる。帰ってきたパパが「たま、良かったねえ。ママと一日一緒にいられて」と声をかけた途端、みるみる目に涙が盛り上がり、あふれ出した。「たまちゃん ほいくえん いきたかったよぉ」。そして、しゃくりあげながら担任の先生の名前を呼んだ。

そっか、足りなかったか。保育園では、先生たちはとことん相手をしてくれるもんね。生返事なんかしないもんね。一緒にいるのに遊んでくれないママは、つまんないね。

「愛情の反対語は無関心」という言葉を思い出す。明日は一日、一緒に遊ぶことを仕事にしよう。

2008年12月08日(月)  手抜き母の子守話
2006年12月08日(金)  マタニティオレンジ40 東大へ行く
2004年12月08日(水)  『frame』 by Takeshi Sasaki


2009年12月07日(月)  脚本家気質<コピーライター気質?

保育園でインフルエンザが流行りだした様子。休園にはせず登園自粛を呼びかけるよう。今日は打ち合わせがあり、預けるしかない。ついに来たか、でも、意外と踏ん張ったという感も。うがい手洗いの敢行でかなり感染をおさえられている気がする。心がけはウイルスに勝つ!

駅に向かって歩いていたら、「ハッピーにつつまれよう」とコカコーラの看板。おや、ふむ、と立ち止まる。Coke=シュワシュワの泡というイメージがあるので、「つつまれよう」という言葉が引っかかる。「ハッピーがはじける」で「は」で韻を踏んだほうが気分ではないのか。でも、クリスマスのあったかさを出すために、あえて冷たいイメージのCokeにぬくもりワードを持って来たのかもしれない。だったら、「ハッピーにつつまれろ」のほうがCokeらしい躍動感があるのでは。いやいや命令形では落ち着かないか……。

などと一人で推敲して、コピーライター時代の癖が抜けてないな、と苦笑いした。

世に出ているコピーを見て「わたしだったら」とつい推敲してしまう職業病。思えば、コピーライターは12年3か月やり、途中から二足の草鞋を履き始めて今は一本立ちした脚本のほうは今年夏にやっとデビュー10周年。書き始めたのはその少し前としても、まだコピーライター歴のほうが長いのだった。

2007年12月07日(金)  ドーナツ化現象
2006年12月07日(木)  マタニティオレンジ39 税金の元を取る
2005年12月07日(水)  『陽気なギャングが地球を回す』試写
2004年12月07日(火)  俳優座劇場『十二人の怒れる男たち』
2003年12月07日(日)  どうにも止まらぬ『剣客商売』


2009年12月06日(日)  鎌倉2万歩食べ歩き

昨日わたしが川越へ行っている間、娘のたまはダンナと鎌倉の友人セピー君の家へ。わたしは朝から合流、東京駅で江の電フリー切符(往復乗車券+江の電乗り降り自由で2千円足らず)を買っておくべし、と聞いていたのに買いそびれたので鎌倉駅で江の電乗り降り自由の「のりおりくん」を購入。

お昼をどこで食べようか、と鎌倉駅付近を散策。いつ来ても気になるカフェや雑貨屋ががそこかしこに。センスのいい人が集まって、いい風景をつくっている町。路地を入ったところのしらすたこ焼きをソースではなく醤油で。予想以上にうまし。

数十メートル歩くと、軒先で詰めたて焼きたてのソーセージを売っている。列に並び、プレーンとバジルを一本ずつ。写真撮る間もなく、胃に納める。

そこから目と鼻の先のimbissドイツ風スナックスタンドでセピー君が生ハムサンドを買い求めたところ、肉食系女子のたまが雌ライオンのごとく完食。ひと口食べさせてもらったこのハムのレベルも相当なもの。

結局、買い食いでおなかいっぱいになったので、店には入らず散歩を続け、建長寺という大きなお寺へ。近くを歩いている五十代ぐらいの男性が映画『2012』について熱っぽく語っていた。圧倒的なスケールの寺と世紀末の話題が調和する。

そばではりついていると、たま語の新作が続々。玉砂利で遊んで、「やきそばつくってるの」。黄色い実がなっている木を指差し、「これは みかんじゃないよ。みかんは オレンジだよ」と言い、「これは ももだよ」と言ってから、最後に「ママだよ」。

急な階段を何百段も上り、富士山がのぞめるというてっぺんへ。雲に隠れて拝めなかったけれど、なんとなく、目を凝らしていると、富士山が浮かび上がってくるような気も。

よく歩いたので、行きの道で気になっていた欧林洞というケーキ屋さんの喫茶室へ。お店の雰囲気や店員さんのたたずまいに、洋菓子ウエストの喫茶室に通じる清楚さと気品。空気まで味わいのあるお店。焼き菓子の盛り合わせとフレーバーティーをいただく。

お手洗いも品があって、居心地が良い。お行儀の悪いたまは便座シートをエプロンに……。こういう使い方もあったか!?

帰りは前々から気になっていたKIBIYAベーカリーで明日のパンを。小さな小さなお店に宝もののようなパンがちょこちょこ。こういうお店、大好き。「のりおりくん」提示で一割引に。

長谷寺のライトアップは今日が最終日で長蛇の列。諦めて手前のオルゴール博物館(という名のオルゴール専門店)へ。たまはいろんな曲を試し聴きして大喜び。ポニョのテーマを聞かせると、「はぶらしのうた!」。保育園では替え歌で歯磨き指導をしている。

夕飯は、せぴー君の家で作ることに。昨日のお肉の残りのガーリックライスと、地元の天日干ししらすをたっぷり使ったオムレツと、ゆずを搾ったさっぱりサラダ。

万歩計は2万4千歩。よく歩いて、よく食べて、鎌倉の休日はいつも一日で数日分の満足感。

2007年12月06日(木)  似顔絵を描く
2006年12月06日(水)  マタニティオレンジ38 悪いおっぱい
2005年12月06日(火)  戸田恵子さんの『歌わせたい男たち』
2003年12月06日(土)  万歩計日和


2009年12月05日(土)  朝ドラ「つばさ」スピンオフ川越ロケとファン・オフ会

今週から川越でロケが行われている「つばさ」スピンオフ「好きと言えなくて」(作・今井雅子)。ロケ最終日、「中年編(仮)」の撮影現場にお邪魔する。

蓮馨寺(れんけいじ)の団子屋と聴いて行ってみれば、そこは、「つばさ」に脚本協力として参加することが決まり、初めて川越を訪ねた(>>>2008年09月23日(火) さつまいもの町、川越。)とき、最初に立ち寄った場所。ここのお団子を2才になったばかりの娘のたまが夢中で食べたのが懐かしい。

縁のある場所がロケ地だったとわかり、うれしくなる。

わたしが着くのと同じ頃に雨が降り出し、雨女の疑いをかけられる。「つばさ」本編のロケにお邪魔する機会はなかったけれど、そのおかげか、おそろしく天気に恵まれたらしい。

雨は降っても屋内の撮影だったので、セーフ。つばさチームには強運の持ち主がいるのかも。

「ミドルシューット」の看板やセンジュくんなどおなじみのグッズがあちこちに。本編ファンには懐かしくうれしい。後ろ姿はロナウ二郎役の脇知弘さん。10円玉を飛ばしての熱演。さて、誰にかけているでしょう。

撮影の合間に、今回のマドンナ・詩織役の中島ひろ子さんと話が弾む。プロフィールを見ると誕生日が一日違いだったので、その話をする。年も近いし、今度は飲みましょうと意気投合。

撮影現場の脚本家は、立ち話ぐらいしかやることがなくて、手持ち無沙汰。カメラの邪魔にならないように、ライトの前にうっかり立って影を作らないように、挙動不審になる。

足の下から寒さがのぼって冷えがきつかったけれど、立ち会えてよかった。

場所を移して、公式ファン・オフ会が開かれる鏡山酒造跡地へ。控え室で音楽の住友紀人さんに『沈まぬ太陽』の感想を伝えることができた。

オフ会のサプライズは、住友さんたちによる「つばさ」スペシャルライブ。ROLLYのギターと住友さんのサックスのセッションもあり、会場は大興奮。後方席から見ていると、わくわくした背中が手拍子で揺れていた。「つばさ」のサントラを聴いていると、好きな曲だらけで、住友さんの音楽ってすごいなとつくづく思ってしまうのだけど、それをナマで聴けて、つばさを愛する皆さんと分かち合えて、夢を見てるみたいだった。戸田山さんが来れたら脚本家冥利に尽きたと思う。

後藤高久チーフプロデューサーが絶妙なMCで仕切ったトークは大いに沸き、シャイな西谷真一チーフディレクターも口数少なめながらお茶目な存在感を発揮。質疑応答では質問が引きもきらず、かなり鋭い指摘も相次いで、オフ会に応募する方々は見方も深いと感心。

お気に入りシーンの紹介あり、蔵出し映像の披露あり、最後は総立ちで「あなたが好き」の大合唱。ROLLYさんが高らかに「これが我々の紅白歌合戦だっ!」。

ROLLYさんのtsubasaモデル(tsubasaと刻まれている)ギターを撮りそびれて残念。

6時前に始まり、終わると9時。さらに「つばさ」展が再開された昭和館に流れた参加者が西谷Dを取り囲み、質問攻め。写真で見ると責め立てられているように見えるけれど、皆さん、「つばさ」への愛をぶつけ、西谷Dの想いを聞き出すの図。男性が圧倒的多数。


「つばさ」最終回の日に訪ねたときよりも展示物がふえていたので、じっくり眺める。こちらはセンジュくん。先ほど撮影で使われてきたものが出張から帰還したのか。


今井雅子が文を書いた絵本「まじょのなみだ」の展示も。出版しないんですかとよく聞かれるけど、わたしも欲しい。DVD BOXの第2弾では特典映像でつばさ(多部未華子)が読み聞かせしている。これがまた良いので、ぜひDVDを。

つばさと翔太のおそろいサッカーストラップの実物も初めて見る。思ったより大きい。

わたしも何人かの方に声をかけていただく。脚本協力の名前に目を留めていてくださった方が意外と多い。小ネタを見逃さない皆さんはクレジットもしっかり見ているのだろう。
遅めの夕食は、鉄板鍋。たしか川越でのファンミーティングで宅間さんが「川越で食べたおいしいもの」として紹介していて、おいしそう、と思っていた。焼き肉のたれのようなスープで肉と野菜をしゃぶしゃぶして食べる。実は大阪発祥らしい。

朝ドラ「つばさ」スピンオフ「好きと言えなくて」(作・今井雅子)

★青春編 12/19(土)3:00/22(火)2:25/27(日)14:15
★中年編(仮)12/19(土)3:10/23(水)2:40/28(月)13:45

本編終了後も精力的に更新を重ねるつばさ公式サイトでも19日夜頃より無料配信(12/30まで)。

感想はぜひつばさファン掲示板へ。

12/29(火)30(水)AM8:15-9:44の総集編もお楽しみに

2008年12月05日(金)  2008年の仕事を振り返ると
2006年12月05日(火)  石井兄弟社の忘年会


2009年12月04日(金)  「鉄」の皆さんとお座敷列車忘年会(鉄道用語修正版)

ご近所仲間で鉄道ファンのT氏に誘われ、人生初のお座敷列車を体験。JR千葉が去年この時期限定で走らせた「お座敷東金(とうがね)号」で、車内忘年会の需要を当て込んだもののよう。

両国駅の普段は使われない3番ホームから発車。通勤客が乗り降りする2番ホームから見下ろす形になり、「おい、あれは何だ?」と少なからぬ注目と動揺を集めていた。

3番ホームへ向かう通路には赤絨毯と、家庭サイズのごじんまりしたクリスマスツリーが。


ホームには屋台が並び、おでん、焼き鳥、お弁当、飲み物を販売。声を張り上げる売り子さんたちはJR千葉の人たちだろうか。

12/18 日記を読んだT氏より専門家コメント到着。以下3つのテーブルにて紹介。

両国駅でおでん等を販売していたのは、JR東日本系の弁当・車販・構内営業会社NRE(日本レストランエンタプライズ)の社員さん達です。販売員の女性はたぶん車販嬢だと思います。男性販売員達は法被は羽織るわ、髷のおもちゃカツラをかぶっているわで面白かったですね。

少年のように目を輝かせたいい大人たちが続々とホームに現れる。こちらは「鉄」の方々だろうか。とくにディープそうな雰囲気をかもした方々がわたしの座席指定特急券が示す座席のある車両に消えて行く。

「とくにディープそうな雰囲気をかもした方々」が手にしていたのは、「特急券」ではなくて「グリーン券」です。「お座敷東金号」は快速列車なので、特急ではなく、普通列車扱いです。全席グリーン指定席なので、正式な名称で言うところの「普通列車用グリーン券」が必要なのです。普通列車用グリーン券には自由席と指定席の二種類があり、値段も異なるので、「指定席グリーン券」が通称として使われています。

T氏の鉄道仲間の人たちで一車両ほぼ貸し切りとのこと。ほぼ、というのは、四席だけ別グループということだったが、その一角に乗り込んできたのは男性一名だった。キャンセルがあったのか、男性が一人で四席をおさえていたのか。


SL只見号でT氏より紹介され(>>>2004年10月23日(土)  SLに乗ったり地震に遭ったり)、昨夏「串駒」の利き酒会でもご一緒した(>>>2009年07月07日(火)  彦星は一年ぶりの会津の酒!「第5回 天明・七夕の宴」)「呑み鐵」さんが、贔屓の会津の酒を持ち込んでいた。取り寄せではなく、買い付けに行かれたとのこと。もちろん鉄道で。呑み鐵さんのデータによると、

■泉川 純米吟醸 ふな口本生 21BY 廣木酒造(福島県会津坂下町)使用米 五百万石
■飛露喜 特別純米 生詰 20BY 廣木酒造(福島県会津坂下町)使用米 五百万石・華吹雪
■出羽桜(出羽燦々誕生記念) 純米吟醸 本生 出羽桜酒造(山形県天童市)使用米 出羽燦々

スペックに詳しいのが「鉄」に見られる傾向だが、日本酒を語るときにもそれが現れる。このお酒がどれも素晴らしく(とくに「泉川」!!)、列車の揺れともあいまって(走り出す前に飲み始めていたけれど)、極上の酔い心地を体験することになった。

その酔いが吹っ飛ぶほど、自己紹介の濃いこと、濃いこと。一行は、T氏が声をかけたメンバー、呑み鐵さんが声をかけたメンバー、今日初対面の鉄道ライターのSさんが声をかけたメンバーと大きく3つに分かれ、順に「鉄」分が濃くなっていくのが自己紹介が進むにつれて如実にわかる。

各地の廃線を訪ね歩く廃線鉄、中国大陸の鉄道に魅せられた中国鉄、呑み鐵さんは音鉄でもあり、撮り鉄の方は新聞社のカメラマンであるが鉄道を撮るのが本業のような口ぶりでミャンマーまで撮りに行ったりしている。さらに、鉄道写真だけで生計を立てている希有な鉄道カメラマン(T氏より贈呈された本の写真を撮られていた)や鉄道雑誌の編集者も。

この後、夜行で能登へ向かうという方は、福島から見参。一日何時間乗っても飽きないのだろうか。呑み鐵さんも同行し、翌日横浜に戻るのは保存会のSLを磨くためという。

呑み鐡さん達が向かったのは能登半島ではないです。彼らは金沢行きの「急行能登」に乗るのが目的でした。この「能登」、まだ正式発表はJRからなされておりませんが、来春3月での列車廃止がほぼ決定しております。ちょうどお座敷東金号乗車の日に一部報道されたばかりでした。彼らは来春廃止を知らずに乗る計画を立てておられましたが、たまたま報道がされた直後に乗車することとなったのです。正式発表が出るとお名残り乗車のお客さんが多数押し掛けることになり、廃止の日まで「賑やかな」状態になるのだと思います。

JRの社内啓蒙誌にエッセイ連載を始めたわたしは「自称書き鉄です」と名乗ってみたが、皆さんの鉄分の濃さに当てられ、クラクラ。鉄の世界はかくも深し。

T氏の「時刻表検定一級」などはミーハー鉄のわたしからすると鉄道への造詣の深さの表れに見えるが、鉄仲間たちは「ええっ、そんなの取ってるの?」と笑い、T氏も「すみません」と頭をかくのだった。検定するまでもなし、というレベルなのか。

濃厚な鉄集団の中でも異彩を放っていたのは、アメリカから来たジョンおじさん。「I'm confused . I bought a ticket to Narita」と成田空港まで行くつもりが連れて来られてまいったよ、のような口ぶりであったが、ジャパンレイルパス(海外からの旅行者専用の格安乗り放題パス。一同、「欲しい!」)で日本の鉄道を味わい尽くしている筋金入りの鉄。アメリカではトランスポーテーション(交通学?)を教えているという。バナナラベルのコレクターでもあり、アリシャンバナナのラベルを求めて埼玉県の川口まで行ってきたとか。ラベルを剥がした大量のバナナを差し入れしてくれた。その昔バナナ工場に勤めていたのがラベル収集のきっかけで「世界に2万5千種あるうち1万5千種は集めた」と言う。

「串駒」で何度か一緒に飲んだT氏の大学時代の友人で折り紙研究会出身のT2君はキャラ的には相当濃い人ではあるのだけど、鉄分含有量がかなり少ないため、今日は異彩度がかすみがち。折り紙の象を残し、埼玉に帰るため途中駅で下車した。

「ここどこ?」「名前からして成田の東?」という「成東」駅で下ろされ、普通列車で引き返す。「片道じゃなくて往復お座敷列車にすればいいのに。屋形船みたいに」「でも、座りっぱなしだと泥酔者続出じゃない?」。たしかに夜風がいい酔い覚ましに。お座敷ではないけれど、車内は貸し切り状態で、2次会会場に。以前T氏の紹介で会った女の子がタイから一時帰国中の小学校時代の幼なじみと参加していて、その二人と話が弾んだ。ほかにも、再会あり興味深い出会いありで話は尽きず、両国駅に着いてから5時間ほどしゃべり続けたことに。

お座敷列車忘年会。毎年恒例にしたいほど、楽しかった。

2006年12月04日(月)  マタニティオレンジ37 LEGOと想像力 
2004年12月04日(土)  『父と暮せば』@岩波ホール
2002年12月04日(水)  カブレラ

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