2008年06月02日(月)  マタニティオレンジ296  「ママ いっぽん!」「もっかい もーむー」 

打ち合わせが長引いたので、ダンナの実家に預けている娘のたまをダンナが迎えに行ってくれた。「パパ!」と抱きついて甘えるたまにデレデレしつつ、「ママがいるときは、ママいっぽんのくせに」とダンナが言うと、すかさず「ママ いっぽん!」とすばらしい発音でリピート。その話を家に帰ったダンナがわたしに報告しているそばで、たまは「ママ いっぽん!」を連発。いつの間にか、人差し指を立てる「いっぽん」の仕草も加わったが、「パパ いっぽん!」「じいじ いっぽん!」「ばあば いっぽん!」と応用を効かせはじめた。「一本」の意味がわからず使っているところが子どもだなあ。

外国語を覚えるときにも勘違いはつきものだけど、たまが日本語を覚えていく過程にも思い違い、思い込みが現れるようになった。絵本を読んであげると、「もっかい もーむー」(もう一回読む)と言って、同じ本を何度も読んでほしがるのだけど、だっこをしても、おんぶをしても、すべり台であそんでも、「もっかい もーむー」。どうやら、たま語では「もむ」は「読む」にとどまらず、「do」を意味するらしい。自分が家に帰ったときに「かえいー」(お帰り)と言うのも微笑ましい。

子守話21 ぞうのせんたくやさん

ぞうがせんたくやさんをはじめました。
ながいはなに せんたくものをたくさん まきつけて
かわまではこんでくると
せんたくものをはなでつまんで
かわのみずで ざぶざぶ ざぶざぶ
がんこなよごれは みずにたたきつけて ばんばん ばんばん
よごれがおちたら ぶんぶんふって みずをきり
おひさまと かぜが よくあたる たかい きのうえに ひっかけて
せんたくものが よくかわいたら はなをじょうずにつかって おりたたみ
アイロンがわりに あしをどんとふみつけて しわをのばせば できあがり。
おおきなあしあとがついている シャツをみかけたら
それは ぞうのせんたくやさんが あらったしるし。

2007年06月02日(土)  『ベンディングマシンレッド』発進
2002年06月02日(日)  お宅訪問
2000年06月02日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月02日(土)  4年2組日記 バレーボール


2008年06月01日(日)  出張いまいまさこカフェ8杯目『企画という恋が終わるとき』

池袋シネマ振興会のフリーペーパーbukuに連載しているエッセイ『出張いまいまさこカフェ』の原稿を書く。6月下旬発行予定の次号で8杯目。3か月に一度の刊行だから、連載開始から24か月、2年になる。

8杯目のタイトルは『企画という恋が終わるとき』。恋愛のゴールが結婚だとしたら、企画のゴールは撮影、公開(放映)。テレビの場合、脚本家のところに話が来る頃には放映日やキャストなどが固まっている場合が多いので企画が流れることは少ないけれど、ホンづくりから出発する映画の場合は、もろもろの理由でゴールまでたどり着けないことが多い。わが本棚に並んだ脚本を眺めていると、熱い恋に落ちながら泣く泣く終止符を打った企画がコレクションのごとく居並び、よくこれだけボツになったものだ、と呆然としてしまう。過ぎ去った恋への懐古も込めて原稿を書いた。

ただならぬ失恋の数を見ても、企画という恋に関しては、わたしは恋多き女。「恋をして恋を得るのは一番目にすばらしいこと、恋をして恋を失うのは二番目にすばらしいこと」なんて格言があるけれど、恋をしたからには実らせたいもの。過ぎ去った恋も、いつか焼け木杭に火がついたりしないだろうか、と思ってしまう。

2007年06月01日(金)  「いしぶみ」という恋文
2005年06月01日(水)  映画『子ぎつねヘレン』撮影中
2004年06月01日(火)  歌人デビュー本『短歌があるじゃないか。』
2002年06月01日(土)  フリマ
2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2008年05月31日(土)  全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』

「ゆずり葉」という言葉をひさしぶりに聞いた。河井酔茗という人の書いた『ゆずり葉』という詩があり、そこに登場する言葉として記憶していたので、小学校の国語か道徳の時間に習って以来かもしれない。

まさにその詩をモチーフにし、『ゆずり葉』をタイトルにした映画が生まれようとしている。全日本ろうあ連盟が創立60周年を記念してつくる映画で、今夜、その「成功させる会」に参加してきた。

会場は、文京区シビックセンター最上階にあるスカイホール。会がはじまる少し前に足を踏み入れると、集まった百名を超えると思われる参加者たちが手話でおしゃべりに花を咲かせている。その、にぎやかなこと。大きな身振りと生き生きした表情から、会話の内容が楽しげであったり懐かしげであったりすることがうかがえる。

ああ、この言葉がわかったら、と思った。

今から遡ること四半世紀、中学校の必修クラブで手話を習い(松久先生というたしか理科の先生が教えてくれた)、アメリカの高校に留学したときには市民講座でAmerican Sign Languageを教わったわたしにとって、手話は言語のひとつであり、文化の一部だという認識がある。

なかなか再び手話を学ぶ機会がなかったのだけど、今夜は浴びるように生きた手話に触れられるチャンス。耳から入る情報と目から入る情報を同時に味わい、データベースに保存していった。

刀で斬りつける仕草は「斬新」、旗を振る仕草は「応援」。首を軽くつまむような「幸せ」、こめかみに人差し指を当てる「思う」、両手で時計の文字盤と針を表現する「とき」などは、記憶の底に残っている。

体で覚えた知識は記憶に定着しやすいというけれど、四半世紀のブランクを経ても五十音とアルファベットは指が勝手に動いた。

手のひらを自分のほうに向け、体の前で両手を揺らすように上下させる動きが、「映画」。これもたしか「テレビ」として習った覚えがある。テレビは小さめ、映画は大きめに手を動かすのだとか。「映画」の動きに「書く」仕草を続けると、「映画脚本」となる。

アメリカ留学時代、生徒数千人を超えるマンモス校には数十人の聾者が学んでいて、他の生徒と同じ教室で手話通訳とともに授業を受けていた。彼らが集う部屋にはタイプライターで打ったものが電送されるというメールの先駆けのような機械があった。

それが1987年のこと。

「君の唇は読みにくい」と笑いながら、わたしの拙い英語に誰よりも辛抱強くつきあってくれたのは、彼らだった。

日本に帰ってからは聾者と知り合う機会すらなく、昨年保育園の役員会で一緒になった山岸さん(パン好きで、パン教室を開くほどの腕前)が、最初の友人となった。山岸さんの幼なじみの早瀬久美さんの夫の憲太郎さんが脚本・監督を務める映画ということで、今夜の会に声をかけてもらったのだった。



ともに聾者の早瀬久美さん、憲太郎さん夫妻には、人を引きつける圧倒的な魅力があり、きびきびした手話とよく動く表情にもそれは現れている。夫婦そろってこんなにも目が輝いているカップルは、結婚式以外ではなかなか見かけない。映画という夢があるからなのか、ありあまる好奇心と行動力ゆえに映画に首を突っ込んだのか。

久美さんは聴覚障害者初の薬剤師免許取得第一号となった人だという。会の司会進行も務めていたが、彼女の手話は力強くて表現力豊かで、このバイタリティで道を切り拓いてきたんだなあと想像した。動くだけで元気と勇気の粉をふりまくような早瀬夫妻。この人たちに会えば、どんな映画を見せてくれるのか、無関心ではいられなくなる。

初監督作品で、脚本を書くのも初めてという憲太郎さんは、連盟の理事の友人である漫画家の山本おさむさんに師事を仰ぎ、脚本を練ったという。プロット段階から関わったという山本さんの「脚本づくりは宝さがしのようなもの」という言葉に共感。プロットにある宝物を見つけては肉付けする作業を繰り返し、準備稿が仕上がった。

これからオーディションを経て、今秋撮影、来年6月から全国四百か所を目標に上映をしていく予定だという。ロケ地は古い町並みが残っている本郷、谷中、根津、千駄木エリアとのことで、わたしの散歩圏。ろうあ連盟がはじめてつくる映画が地元で撮影されることにも縁を感じる。聾者親子のかけあいでロケ地を案内するビデオも楽しかった。

全日本ろうあ連盟が映画をつくる意義についても語られた。活字ではなく幅広い人たちが共有できる映像で、聾者の想いを形にし、届けたい。折しも連盟は60周年。人間で言えば還暦を迎え、映画という赤ちゃんに連盟の想いを託すことになった。

連盟理事長で製作委員会委員長でもある安藤豊喜さんは、連盟が歩んできた60年を「聾者が置かれていた谷間から引き上げるたたかい」だったと語った。今日では考えられない苦労や屈辱を跳ね返しながら、ひとつひとつの権利や約束を勝ち取ってきたのだろう。その運動の歩みそのものが、ゆずり葉になっている。

より生きやすい社会を子らにゆずり渡すことを願い、懸命に生きた親たち、そして、そのまた親たち。そんな『ゆずり葉』の生き様が映画に描かれることを期待し、一人でも多くの人に届く作品になればと思う。

ロケ地にもなる文京区の成澤区長(「文京区長」の手話が受けた)をはじめ、出席者のスピーチはそれぞれ味があり、映画についている応援団のたのもしさが伝わってきた。もちろん、想いはあっても「資金」がなくては映画の完成は難しくなる。けれど、一人一人の想いが合わさり、うねりとなったとき、映画づくりに必要なもの(お金はもちろん物や人も)を吸い寄せる力が生まれることも事実。

今夜の会には、すでに熱い波が立ちはじめていた。その滴を持ち帰り、冷めないうちに日記に記したつもりだが、読んだ方に熱が伝わり、映画『ゆずり葉』を応援する波がひろがることを願っている。


2005年05月31日(火)  G-up presents vol.3『Deep Forest』
2002年05月31日(金)  ワールドカップ
2001年05月31日(木)  2001年5月のおきらくレシピ
1979年05月31日(木)  4年2組日記 先生ずるい


2008年05月30日(金)  相続税も所得税もかからない財産

茨木のり子さんの詩集『寸志』を読み、またまた言葉の力に圧倒された。「思うに 言葉の保管所は お互いがお互いに他人のこころのなか」(『花ゲリラ』)などとふんわりやさしい言葉遣いなのに胸にずしずしと響いてくる質量と存在感がある。茨木さんが大学で化学を専攻されていたことは、以前読んだ詩集に記されていたプロフィールで知った。「元素どもの化けるさまには なぜかしらけっぱなし (中略) 言偏に寺のほうへと さまよい出て (中略) 言葉の化けるさま三十年」(『言葉の化学』)とあるが、この人の詩は、言葉が化学変化を起こす面白さをしみじみと味わわせてくれる。

「どこかで 赤ん坊が発声練習をしている」ではじまる表題作の『寸志』は、子育て中の娘が言葉を獲得するさまに興味津々の今のわたしには、とくに響いた。「相続税も払わずに ごくずんべらと我がものにした」「わたしの語彙がいま何千語なのか 何万語なのか計算できないほどなのに どこからも所得税はかかってこない」母国語というものに「しみじみ御礼を言いたいが なすすべもなく せめて手づくりのお歳暮でも贈るつもりで 年に何回かは 詩らしきものを書かなくちゃ」とある。ちょうどこの一週間は間もなく2歳になる娘の語録や、娘に子守唄代わりに聞かせている物語をまとめたりしていて、自分の母国語の面白さと豊かさをあらためて感じていたところ。つきあえばつきあうほど味わい深く、飽きることのない日本語という宝物を自由に使えるありがたさ。この特権を大いに楽しみ、喜び、宝の持ちぐされにしないことが、何よりの御礼になるだろう。「私の祖国と呼べるものは日本語」という詩人石垣りんさんの名言も引用されていて、その感覚にも共鳴する。

母国語の相続、獲得には相続税も所得税もかからないけれど、わたしの場合、その言葉を元手に所得を得ているわけで、寸志を贈るつもりがお返しのほうが大きくなっている状態。そこから所得税を支払っているし、将来著作権を家族に譲る折には相続税も発生することになろうから、その税金がまわりまわって母国語への恩返しに役立つことがあれば帳尻が合う。

2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり
2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2008年05月29日(木)  マタニティオレンジ295 「うちの子、ここがかわいい」保護者会

保育園にてクラス別保護者会。先生方と父兄が交流と情報交換を図るもので、13時半からという早めの時間にほぼ全員が出席。会社勤めの人たちは、早退したり休んだりして駆けつけているわけで、大変だ。わたしが会社勤めを続けたまま子どもを育てているとしたら、保護者会のために休むのは難しい気がする。

0歳児クラスからの持ち上がり組と今年からクラスに加わった人たちがいるので、自己紹介を兼ねて「うちの子、ここがかわいい」自慢をする。「おばけが出るよ」とママにおどかされたのを真似して、ママを驚かせ、「こわいよ〜」と泣き真似をしたママの名演技にだまされて「だいじょうぶ。おばけいっちゃったよ」と慰める男の子。同じ1歳児クラスでもそんなに話せるのか、とびっくり。お姉ちゃんとママが喧嘩していると仲裁に入る男の子。おもちゃをひとつひとつつぶさに点検してから遊ぶ慎重派学者肌の男の子。内弁慶で家ではお山の大将なのに外では引っ込み思案で人ごみをみるだけで泣き出してしまう男の子。お笑い番組の芸を片っ端から真似する女の子。まだ2歳前後でも一人一人個性の差がくっきり出ているのが面白い。

わたしは、「かわいいかわいいと持ち上げすぎたせいで調子に乗り、かわいいという言葉を聞くと自分のことだと自惚れる」という話をしたが、これだと「うちの子、ここがかわいい」ではなく、「うちの子、自分がかわいと思い込んでいる」話で、趣旨とずれているではないか。他に「突っ込みを期待する受け狙い性格」の例として、「ボールをシャツの中に入れて『おっぱい』とおどける」話、世話焼きエピソードとして昨夜の夕食の話を披露した。ウィンナーを食べているときに、おいしいねと声をかけたら、口の中から取り出したウィンナーをわたしの口に放り込み、「おいしい」のベビーサインでわたしのほっぺたをペタペタ。ミンチ状態のウィンナーを噛みしめ、ビンタ(力加減を知らないので軽く叩けない)を浴びながら、おいしさを独り占めするんじゃなくて分かち合いたい、そんな気持ちが芽生えたんだなあと愛おしくなった。

「このクラスの子たちがとってもかわいいのは、かわいいかわいいと思われているからなんですね」と保育士さんたち。たしかに、同じクラスの子どもたちを見ていると、愛されているんだなあと思う。「みなさんがわが子自慢をしたので、私は園自慢をします」と四月に着任した新園長先生。「ひとつ、子どもたちがかわいい。ふたつ、お父さんお母さんがすばらしい。みっつ、職員がやさしい」とほめて一同を照れさせた。自分が関わる相手を愛しく思える、そんな人たちが集まって、園のいい雰囲気を作っている。

フリートークでは、「家事と仕事の育児、どうやりくりしてる?」で盛り上がる。「洗濯物は畳まない」「でも、山を掘るのは大変」という話になり、わたしは最近実践している「ざっくり分類して箱に放り込む」術を紹介。大量にあるのに、なかなか目指すものが見つからずに手を焼いていた子ども服を「シャツ」「ズボン」「つなぎ」の3箱に分けただけで、探す手間がずいぶん省けるようになった。

今夜の子守話は、娘から毎夜リクエストされる「わぁに」の話。昨日の話にもわにが登場したけれど、わにが主役の話は『わにのばす』以来。「わぁに ぞぞ」(わにとぞうの話)も催促されているので、たまの好きな動物1、2位がダブル主役の話も考えなくては。20話とまとまった数になったので、昨日のたま語銀行に続き、いまいまさこカフェ内に子守話ページを開くことにする。
子守話20 わにのだんす

おどることがだいすきなわにが
みちばたで だんすをはじめました。
あしをどんどん しっぽをばんばん
じめんをちからづよく うちならしたり
しっぽを みぎへひだりへ ぶんぶんふりまわしたり。

  わにのだんすは どんどんだんす
  わにのだんすは ばんばんだんす
  わにのだんすは ぶんぶんだんす

なかまのわにたちが あつまってきて いいぞいいぞとはやしたて
おどっているわににむかって きらきらひかる おかねをなげました。
そのおかねで だんすわには きらきらひかる せびろをかいました。

せびろをきたわには おおきなまちにでて
ばすていのまえで だんすをはじめました。

  わにのだんすは きらきらだんす
  わにのだんすは くらくらだんす
  わにのだんすは ぐらぐらだんす

ばすをまっていた わにたちは よろこんで
せびろのぽけっとに おかねをたくさんほうりこみました。
そのおかねで だんすわには おおきなぼうしをかいました。

おおきなぼうしをかぶり せびろをきたわには
ばすにのって でんしゃのえきへいき だんすをはじめました。

  わにのだんすは いきいきだんす
  わにのだんすは うきうきだんす
  わにのだんすは どきどきだんす

いろんなまちからあつまってきたわにたちが はくしゅかっさい。
おおきなぼうしは あっというまに おかねでいっぱいになりました。
そのおかねで だんすわには でんしゃにのって しゅうてんまでいきました。

しゅうてんで でんしゃをおりたのは だんすわにだけでした。
そこには わにのこどもたちだけがくらすむらがありました。
みんなだんすがだいすきで だんすわにをとりかこんでおどりだしました。

  わにのだんすは ぐるぐるだんす
  わにのだんすは ずるずるだんす
  わにのだんすは ぶるぶるだんす

こどもわには おかねをもっていなかったので
だんすわには しゅうてんのえきから でんしゃにのらずにかえりました。

  わにのだんすは またまただんす
  わにのだんすは まだまだだんす
  わにのだんすは だだだだだんす

あんまりたのしかったので おどりながらかえっていくと
だんすわにの おおきなぼうしと せびろのぽけっとは
いつのまにか おかねで ずっしりおもくなりました。

そのおかねで だんすわには ぴあのをかって
わにのこどもたちのむらにおくりました。
またいっしょにおどりましょうと てがみをけんばんのうえにのせておきました。

2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ
2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2008年05月28日(水)  マタニティオレンジ294 たま語銀行オープン

昨日は打ち合わせがあり、ダンナの実家に預けていた娘のたまを迎えに行くのが9時頃になった。そのせいか、夜中に起きだし、「バーニー み!」とビデオを観たいとせがんだり、「の!」と絵本『わたしの』を読めとせがんだり、「じじ かく」とペンを握りしめたり、元気スイッチが入ってしまった。わたしがトイレに行くとついてきて、トイレットペーパーを引っ張ったり、水を何度も流したり、花瓶をひっくり返したり。わが家のトイレには、たまの大好きな花とハートとにぎやかな色があふれ、押せば応じてくれるウォッシュレットのボタンまであり、たまにとってはワンダーランド。

壁に貼ってある自分の写真を見るのも好きで、写真と自分をかわるがわる指差しては「ここ」(わたしの写真ね!)と主張するのだが、昨夜は「あま」と言った。「タッチ」も「ママ」も言えるのに、いつまで経っても「たま」と言わないのが不思議だったのだけど、はじめて自分の名前の発音を試みた。ずいぶん言葉の再現能力が発達してきたようで、「パパこわいって逃げたらパパ悲しむから、パパ好きって言おうね」と教えたら、だっこの仕草とともに「パパ きー」。ひと晩で二つも新しい言葉が口から出て来た。

新しく言葉を獲得するとき、ためこんだ言葉が突然堰を切ってあふれだす瞬間がある。わたしがアメリカ留学したとき、一か月後ぐらいにそれが訪れた。端から埋まっていったパズルが、空白が少なくなるにつれて加速度的につながるようなことが、頭の中の言語回路にも起こるのだろうか。今のたまも、そんな時期を迎えているように思う。わたしにとって、言葉は、この世で最も興味があるもの。とれたての娘語録を書き留めておかない手はない。これから一気にふえると思われるたま語を、それを初めて口にした状況も含めて記録することにし、いまいまさこカフェ内にたま語銀行を開設。利息が利息を呼んで言葉貯蓄がふえていくさまを観察したい。

もうひとつ、まとめようとしているのが、今日で19話目になる「子守話」。もっと未完成なものや中途半端なものを含めると倍ほどの話が生まれているけれど、ようやく20話に手が届くところまで来た。19話目は、おつきさまに手が届く話。たまは「おつきさま」は言えないけれど、『はらぺこあおむし』の絵本を見て、「おつきさまどこ?」と聞くと指差す。文京区から贈られた『おつきさまこんばんは』も大好き。大人から見ると絵が暗い気がするのだけど、何度でも読んでとせがむ。

子守話19 おつきさま つかまえた

つきあかりのしたに あつまった どうぶつたちが
よぞらをみあげて いいました
もっと おつきさまのちかくに いきたいね
そしたら おつきさまを つかまえられるかな

でも おつきさまは はるかとおい そらのうえ
ぞうがはなをのばしても まだまだとおい
ぞうのはなのうえに きりんがのって くびをのばしても まだまだとおい
きりんのあたまのうえに わにがさかだちしても まだまだとおい
わにのしっぽのうえに さるがのって てをのばしても まだまだとおい
さるのてのうえに うさぎがのって みみをのばしても まだまだとおい
うさぎのみみのうえに ねずみがのって てをのばしても まだとどかない

さーかすみたいに そらへそらへのびた どうぶつたち
よかぜにゆれて ゆらりゆらり やじろべえ
いちばんうえの ねずみが はるかかなたの じめんをゆびさした
あっ あんなところにおつきさま
いけのなかに まんまるきれいなおつきさま
ねずみにうさぎがひっぱられて うさぎにさるがひっぱられて
さるにわにがひっぱられて わににきりんがひっぱられて
きりんにぞうがひっぱられて
いちれつにつながった どうぶつたち ざぶんと いけにとびこんだ

ほら こんなにちかくに おつきさま
ぞうときりんとわにとさるとうさぎとねずみは
ぐるりとわになって てをつないで おつきさまをつかまえた

2007年05月28日(月)  高田さんからの招待状
2005年05月28日(土)  このごろの通販ショッピング
2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式
1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2008年05月27日(火)  マタニティオレンジ293 聴診器ごっことマススクリーニング

保育園に娘のたまを迎えにいくと、シャツをパッとまくり、現れた白いおなかをしきりと指差して「ここよ、ここよ」と訴える。「おもちゃの聴診器を当てて、もしもししたんですよ」と保育士さん。お医者さんではもしもし(=診察)をいやがるくせに、遊びだとうれしいらしい。

わが家に聴診器の代わりになるものはなかったかと見回し、吸盤のついたひよこの歯ブラシホルダーが目に留まる。耳に当てることはできないけれど、おなかにペタッと吸いつく感触は近い。早速、たまのおなかに当ててみると、あたしがママを診るのよ、とヒヨコ吸盤聴診器を奪い、わたしのシャツをめくって診察。認め印にみたいにポンポンとせわしなく押すので「もっとゆっくり診てくださーい」とお願いすると、じっくりと押し当て、神妙な顔つきに。今度はお医者さん交代とばかりに自分のシャツをまくって診察をせがむ。そのラリーが延々と続き、よく飽きないものだと感心した。

4月は二度も発熱に見舞われたたまは、5月は一日も休まず保育園へ行っていて、小児科にはひと月以上行ってない。聴診器を当てるのが遊びだけで済んでいることのありがたさを思う。平和と同じく健康も、それが続くと、「ある」子とに対して鈍感になってしまうけれど、平和も健康も、たくさんの人に支えられ、偶然や幸運に助けられて実現する「ありがたい」ものなのだ。

ちょうど先日、大学時代の友人の妹まーちゃんから「大阪府で新生児のマススクリーニングが有料になるかもしれない」という話を聞いた。マススクリーニングとは先天性代謝異常等の検査のことらしく、早期に異常を発見し、対処を急ぐことで重症化を防ぐ効果があるのだという。初めて聞く言葉だと思ったのだけど、生まれて数日後に足の裏から採血するという検査方法を聞いて、ああ、あれがそうだったかと思い出した。結果が異常なしだったこともあって、記憶にひっかかってなかったのだ。

けれど、検査で異常が見つかっていたら、その検査は忘れられないものになっていたわけで、まーちゃんの友人のお子さんが、そのケースなのだった。今でも治療は続いているけれど、早期発見ができたおかげで、体への負担は最小限に食い止められたという。このマススクリーニングは今のところ四十七都道府県で無料で実施されているのだが、大阪府の「事業廃止案」が通れば、全国で唯一「任意の有償検査」となってしまうことも初めて知った。同じことを新聞記事で目にしても通り過ぎていたかもしれないけれど、友だちの友だちの話となると他人事ではなくなる。

健康で何の異常もなくても、小さくて弱い赤ちゃんを育てるのは気苦労がつきまとう。便秘で泣き止まないだけで休日外来に駆け込んだ身としては、そのときに覚えた不安や焦りを数十倍に膨らませて、まーちゃんのお友だちママの闘いとがんばりを想像してみる。だけど、先天性異常を携えて生まれたことは不運であっても、早めに見つけられたのは幸運だった。それを得られたのは、検査が無料だったことが大きい。「お金がかかりますが、どうしますか」と聞かれたら、気づく機会を逃す人が出てくるだろう。だから、まーちゃんのお友だちは自らの体験をふまえて「有料にしないで」と切実な声を上げている。御堂筋パレードのイルミネーションもいいけれど、ちいさな命を輝かせることのほうが大切だ。

2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』
2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに


2008年05月26日(月)  いい広告を作るには、いいオンナになれ。

季節外れの大掃除で家の中がずいぶん片付き、洪水の濁流が退いた後に点々と遺された漂流物のごとく、あらアナタこんなところにいましたか、と思わぬものが顔を出す。その多くは紙。部屋のあちこちで何かの下敷きになっていたA4用紙の束は、昔書いたプロットだったり、売り込むタイミングを逸した『パコダテ人』の小説晩だったり、チェーンメールで届いた「いい話」のプリントアウトだったり、『ウンザリガニ』という脱力系アニメの企画を書くための大量のザリガニ資料だったり。

その中に「OJTレポート 第1回 5年4月〜7月」の表紙がついたものを発見。5年とは、わたしが広告会社マッキャンエリクソン博報堂(入社した翌年ぐらいに「博報堂」が取れた)平成5年、1993年のこと。ちょうど広告業界での実体験を膨らませた小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』(2004年春に刊行)のケータイ配信が決まり(ケータイ読書館にて。6月25日より)、ひさしぶりに読み返して「4年前とってもひと昔だなあ」としみじみしていたのだけど、それよりさらに遡ること11年。本人が記入する自己評価とトレーナーである上司のコメントがびっしりと書き込まれたレポートを読んで、15年前、社会に出たばかりの自分はこんな風に仕事に向き合っていたのか、上司からこんな風に見られていたのか、と懐かしくなったりこそばゆくなったりした。

当時から社内でエース級の活躍をしていた上司のコメントはさすがに味があって、読ませる。たとえば、「習得(勉強)してもらいたい知識、読んでおくべき、本、資料、その理由など」という項目。

広告とは、広告主の一方的なメッセージである、ということを前提に、よりわかりやすく、より魅力的な、サービス精神あふれる広告づくりを目指すこと。そのためには、常に自分を冷静に見つめるもう一人の自分が必要であるし、かたよった(もしくは、せまい)価値観にとらわれない、いい意味でのニュートラルさを身につけなければいけない。
では何をすればそうなるのか、というものでもないと思うが、一言でいえば、魅力的ないい女になること、である。結局、人と人とのコミュニケーションが、私達の仕事のベースだから、人に好きになってもらうにはどうしたらよいか、これから考えておくといいと思う。こびを売ってもだめだし、ウソもだめ、人並の倫理観は必要、さらに自分らしい個性もアピールしたい。
いろいろ大変だけど、むずかしく考えることもないので、とりあえず、自分が好きなこと、やりたいことを徹底的に、とことんやってみる。←(あきるまで)単に仕事のために、本を読んだり映画をみたりしなくてもよい。そういうのは、あまりよくない。
で、あとは本人しだい。それと仕事を好きになることです。

これだけぐいぐい読ませるチャーミングな文章を手書きで一気に書ける昔の上司をあらためて尊敬してしまう。一方、駆け出しコピーライターのわたしのコメントは肩に力が入っていて、質問項目並みに固くて面白みに欠ける。

●担当した仕事について本人の感想、達成度など
広告というものをよくわからないままに仕事に手をつけてしまい、ひとつ終わるたびに「広告とは」を知っていく状況。ただし、こちらは修業の身でもプロとしての扱いを受けるべく、きちんとした仕事をこなしていかなくてはならない。楽しみながらもしっかり責任持ってやらなくては、いい仕事はできないと思っている。

● 全般的な本人の感想(うれしかったこと、悲しかったこと、困ったことなど)
広告とかコピーとか漠然としかわかってないゆえにひとりよがりなアイデアを量勝負で出してしまうのは困ったものだが、これに質が伴えば私も“うれしいことのひきもきらない人”になるはずだ。しばしば使い方のあやしい日本語もたたき直さねば…。

といった具合。それに対して上司は、「仕事をこなすごとに、くやしがったり、反省したり、感心したり、よろこんだり、いろいろ感じているが、それを自分のこやしにしている、次の仕事に生かしているのはいい。コピーにいいものを持っているので、それをチョイスし、なぜいいか理解できる力を早くつけること」「パワーのある広告づくりをするためには、地味なつみかさねが必要。今の努力が必ず何年後に生きてくる。正しいプロ意識を養ってほしい」などと記している。「広告」を「脚本」に置き換えても通用するアドバイスばかり。「いい脚本を書くためには、魅力的な人間になってください」なんてシナリオ講座などでえらそうに言っているけれど、それは15年前の上司の言葉の受け売りだったのだ。

この上司からは「お前のコピーは核心を突くにはほど遠い。大気圏の外をさまよっている」とダメ出しを食らい続け、自分の能力を過大評価していたわたしはあり余る若さをぶつけて全力で反発し、「今井の相手をしていると、疲れるよ」とぼやかせていた。「最初はガッツが空まわりしていたが、だんだんギアがかみ合ってきたようで、これからが楽しみです」という所属長のクリエイティブディレクターのコメントもあり、「今井にあるのは独創性と協調性ではなく、独走性と強調性」と言われた新人時代の暴走ぶりがうかがえる。

でも、苦笑しつつも面白がってわたしを引き受けてくれる上司に恵まれたおかげで、わたしは同じ会社に12年もいられた。あんまり楽しくて居心地が良くて、脚本の仕事が忙しくなってからも、辞めますとなかなか言い出せなかった。『』に、わたしは「宝物は自分の中にある。それを宝の山にするのも、宝の持ちぐされにするのも自分次第」というメッセージを込めた。わたしがいた会社は、今井雅子という石ころを磨くのに最高の場所だった。そこで出会った人たちや出来事、あの12年間はまるごとわたしの宝物。いいオンナになれたかどうか自信はないけれど、キラキラするものをたくさんもらった。

2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会
2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり


2008年05月25日(日)  カレーパーティ当日

朝から怒号を飛ばし合いながら大掃除の仕上げ。空かずの間にしている二部屋のうち一部屋を空けようと急遽決めたことから大騒ぎとなった。トイレを掃除し、窓を拭き、掃除機をかけ、昨日買った花を鉢植えに移したり花瓶に生けたり。三時間以上働き続けて、なんとか掃除は間に合ったけれど、トイレットペーパーを客人仕様のオレンジに替えるのを忘れた。玄関に「CURRY」の張り紙を出したり、メニューボードを作ったりという構想はあったけれど時間がなかった。加えて、カレーの味見はこれからだし、お米も洗ったばかりという状態で、出せるものが何もない。新婚のK嬢が持ってきてくれた手料理三品(ローストビーフ、トマトの黒酢漬け、千切りじゃがいものサラダ)に助けられる。

さて、本日の主役、『きりん屋』カレー。味見をして、塩と砂糖で調整する。甘みが味の決め手になる、ときりん屋さんよりアドバイス。そういえば、はちみつのほか、チョコレートやキャラメルを隠し味に入れる人もいる。砂糖を足したものの先日食べて感激した本場きりん屋のテイクアウトカレーとは非なる味。同じスパイスを使ってレシピ通りに作っても味が再現できるわけではない。でも、これはこれでありかな、というレベル。お手本のきりん屋カレーを知らない客人たちは喜んで食べてくださる。これまたきりん屋さんのアドバイスで、りんごのスライスとバターとともに炊いたアップルライスもよく合う。いちばん人気は基本のじゃがいもカレー。これにカリフラワーのサブジ、なすとひき肉のカレー、南インド風カレーが続いたが、カレー以上に人気を集めたのが、キウイのチャツネ。これはわたしの手作りではなく、きりん屋さんにレシピを聞いたところ「説明が難しいので」と厚意で作って送ってくださったもの。お店のメニューにもないもので、「珍しい」「初めて」と大好評。このチャツネと一緒に食すると、わたしのカレーもぐぐっと本場に味になった。タンドリーチキンは思いのほかおいしくできた。スパイシーだけど辛すぎず、絶妙な味。ヨーグルトを多めにし、はちみつを入れて正解。

先日『ダバ インディア』で発見した「ワインとカレーが合う」を今日もあらためて実感。乾杯のシャンパン、CTTIER BRUTにはじまり、フランス土産という白のMercurey(名前もどことなくcurryに似てる)、スパイスに合うワインをと選んでくださった赤のTE TERA、ココファームの赤のOAK BARREL。どれもカレーとおいしさを引き立て合って、気持ちよくボトルが空いていった。ダンナの仕事関係の客人なので、わたしとは普段接点がない人たちなのだけど、皆さんお話上手で、知らない人の話題でも聞いていて楽しく、噂の主の顔やその場の情景が目に浮かぶよう。

5時間近く食べ続けたけれど、デザートは別腹。皆さんに持ってきていただいた千疋屋のプリン、ババロア、マンゴープリンと、フランス土産のマカロン(全12種類。きれい!)と、谷中のかりんとう、どれもおいしくいただく。

いつもは昼寝をするのにお客さんが来て興奮していた娘のたまは、お茶の時間になって電池が切れたようにコテンと眠りに落ちた。最初は緊張気味だったのが、慣れてくると調子が出て、「ゾウさんやって」「コッコさんやって」などのリクエストに応えたり、「一人で子ども椅子に上る」芸で拍手喝采を浴びたり。いちばん受けたのは、「ラジャー」のポーズ。NHKの朝ドラ『瞳』で子どもたちがやっているのを見て「ジャジャ」と一発で真似するようになった。手のひらがひっくり返って盆踊りのようになっているのもご愛嬌。子どもの存在というのもパーティのいいスパイスになる。

家路についた客人たちからお礼メールが続々と届くなか、後片付け。去年は毎月誕生会と称して家でパーティをやっていたけれど、一歳を過ぎてからは人を呼ぶ機会がめっきり減ってしまった。やっぱり家飲みは良い、帰らなくていいし、と傍らで寝息を立てる娘を見ながら思った。何より家が片付くのが良い。

2007年05月25日(金)  車椅子専用クッションのすわり心地
2005年05月25日(水)  オペラに恋して〜愛ラブ3テノール
2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼
2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか


2008年05月24日(土)  カレーパーティ前日

明日わが家にやってくる客人には、カレーをふるまうことになっている。その前に掃除をはじめ、やることが山積み。普段からある程度整っていれば慌てずに済むのだけど、手抜きのツケは恐ろしい。ただでさえ時間がないのだけど、子どもがいると作業効率が半減するので、子守どうする?も課題となる。

で、朝食を終えてから、やったこと。
●ダンナに娘のたまを皮膚科(汗疹)に連れて行ってもらう。
○その間に仕事を一件。原稿を打ってメールで送る。
●皮膚科から直行してダンナに娘を実家に預けてきてもらう。ついでに、実家近くの格安八百屋で野菜を買い、家にははかりがないので実家でタマネギと茄子の重さを計り、砂糖とワインもいただいてきて、お昼も食べてきてもらう。
○その間に洗濯を干し、真っ黒になった窓の桟を拭き、昨日の残り物をかきこむ。
●娘を実家に残して帰って来たダンナにすぐさま電球を買いに行かせる。仕事場兼ダイニングの天井灯がディスコ状態になって久しい。
○その間に冷蔵庫のスペースを確保すべく、冷たい化石となったあれこれを捨てる。
●電球を換えるダンナに下から指示と野次を飛ばし、喧嘩しかける。
○買い物に出かけ、花と野菜を買う。園芸屋は3000円以上買うと配送してくれるというので、200円の鉢植えに観葉植物を組み合わせて3050円分購入。
スーパーには2軒ともバターがなく、「次回入荷は未定」の札を前に主婦たちがため息をついていたが、コンビニにはたくさんあった。
家に帰ると花が先着。紅茶とバームクーヘンでひと息つく。
●ダンナに肉屋で肉を、ついでにショップ99で牛乳と水を買ってきてもらう。
その間にシンクを空けるべく、たまった洗い物をやっつける。
●ダンナに娘を迎えに実家に行きがてら夕飯を食べてきてもらう。
○ その間にカレーを仕込む。

今日やるべきことのメインである「カレーを仕込む」に着手できたのは、6時過ぎ。麻布十番にあるテイクアウト専門店『きりん屋』のスパイスで作るカレーに初挑戦。店頭または通販で購入可能の本格スパイス各種は150円〜450円と良心的なお値段。
手はじめに、じゃがいもとグリーンピースの「基本のカレー」。ヤングコーンも足してみた。
次に「タンドリーチキン」の鶏に下味をつける。レシピには「30分から一時間」とあったけれど、ひと晩漬け込み、お客さんが到着するのに合わせて焼き上げることに。ヨーグルトを多めにし、はちみつも加える。
お次は「南インドカレー」。いんげん、ズッキーニ、玉ねぎ、人参、トマトと具沢山。ヨーグルトも入る。
続いて「カリフラワーのサブジ」。汁のないカレーみたいな感じ。グリーンピースの代わりにオクラとじゃがいも少々。
なべが全部埋まってしまう前にパスタをゆでて晩ごはん。
最後に「なすとひき肉のカレー」を作る。水は加えず、「サラダ油100g」とレシピにある。少しおさえて70gほどで作ってみた。

きりん屋のスパイスに添えられたレシピは、これで本当にいいの、と心配になるぐらいシンプル。基本のじゃがいもカレーの「ひたひたの水」って適当でいいのだろうか。「弱火で1〜2分煮る」とあるけど、それではじゃがいもはやわらかなくならない。他のレシピと見比べてみようと思い、家にある『俺カレー』(東京カリー番長監修)を開いて、驚いた。きりん屋が1ページを割いて紹介されているではないか。きりん屋さんとは最近ちょっとしたご縁があって、お近づきの印にスパイスをどっさり分けていただいたのが、明日のカレーパーティの発端。『俺カレー』本はといえば、東京カリー番長のメンバーである水野仁輔さんの夫人、深雪ちゃんが広告会社時代の後輩で、「今井さん、カレー好きだったら、どうぞ」と進呈してくれたもの。カレーアンテナを張っていると、カレーがカレーを呼ぶ。しかし、もうひとつ、思わぬ発見。ひと晩置いたほうがおいしいと思って今夜中に仕込んだのだけど、きりん屋さんは本の中で「できてすぐ食べるのが美味しい」と語っていた。

一通りカレーができたところで、ダンナが娘を連れて帰宅。カップの茶渋を取るために漂白剤を分けてもらおうとしたけれど、実家にはなかった。そのかわり「あれは取らないと客に失礼だ」とダンナ父がぽつりと言ったとか。お義父さんにはきれいなカップでお茶出してたつもりなんだけど、見られてたか。茶渋もまた手抜きのツケ。飲んですぐに洗えばつかないのに、ほったらかしにしておくから汚れる。

ダンナとたまが遊んでいる間に、洗い物。「たま何歳って明日聞かれたら一歳って答えるんだよ。指立ててね」などと来客向けのネタを仕込んでいる。「ハッサイ」「カンサイ」などとボケるたま、笑いを取りに行く気まんまん!? 「ママ何歳? グサイ」と余計なことを教えるダンナ。朝から働き詰めで、二時間も台所に立ち続けて、足がむくんで靴下が食い込んでいるときに愚妻呼ばわりとは! グサグサ。

2007年05月24日(木)  マタニティオレンジ123 モンスター親とアリガター親
2002年05月24日(金)  清川虹子さん
1979年05月24日(木)  4年2組日記 しゅうじで「ビル」

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