無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年09月20日(月) 爆睡の一日/『名探偵コナン特別編』22巻

 朝方、枕元で何やら喋り声が聞こえてくるので、顔を起こしてみると、しげとカトウ君が何だかアツク語っている。時計を見ると9時である。
 どうやら一晩中、一睡もせずに芝居のこととかゲームのこととか恋愛のこととか(^o^)、語り合っていたらしいのだが、今日は練習の日だろうに、ちゃんと寝とけよって。
 夕べ寝たのが3時か4時くらいだったので、私ももうひといきくらいは眠っていたかったのだが、今度はしげたちが今から仮眠するというので、起きてなきゃならない。2時間経ったら、もうしげたちは出かけなきゃならないのである。
 朝飯は昨日の鍋の残りにご飯をぶちこんで雑炊。しげにはそばを作ってやる。そのあと私は風呂に入ったが、そこでウトウトして落ちた。ハッと目覚めて居間を覗いてみると時計は12時を回っていて、二人の姿はとうにない。なんだ、別にムリに起こさなくてもちゃんと目が覚めて出て行ったんだ、と思うと気が抜けてまた眠くなる。そのまま横になったら、夕べの眠りはかなり浅かったのだろう、ぐっすり眠りこんで夜まで起きず。
 練習には途中から参加の予定だったが、どうやら呼び出しの電話にも全く気がつかなかったらしい。完全に熟睡していた。何だか随分練習に参加しそびれているが、来週はなんとか体調を整えて参加するつもりなんで、ご勘弁。


 テレビで『名探偵コナン1時間スペシャルデジタルリマスター版 呪いの仮面は冷たく笑う』を見る。2000年に放送されたものの再放送だけれど、これがアニメでの初の長編オリジナルだとか。それで“左右対称の”「館」もので「密室殺人」というのは、なんだかかかなり「新本格」を意識してる感じ。謎の双子の雰囲気など、設定そのものは好みなんだけれども、青山さんの絵柄だとどう頑張っても怪奇なムードは出ない。殺伐とした作品が多いわりに、『コナン』が世間的に俗悪アニメ扱いされずにすんでいるのは、この絵柄にみんな騙されてんだよな。

 読んだマンガ、青山剛昌原作・山岸栄一『名探偵コナン特別編』22巻。
 小学生向けの特別編のはずなんだけれども、こちらの方も内容がだんだん殺伐としてきているような。殺害方法に陰湿なものがかなり多いんだよねえ。サンデー連載版と違って、ページ数も限られていて人間心理の掘り下げまではムリだから、どうしても「推理クイズ」の域を出ない。それでいて扱う事件は残酷なのが増えてるからどうにも中途半端な印象が強くなってきた。でもまだまだコドモに人気はあるんだろうなあ。どこに惹かれてる?


 先日亡くなった小田部通麿氏を偲んで、『仮面の忍者赤影/卍党編』を1話から見返す。第3部以降は、登場忍者が増えて怪獣(赤影の場合は「怪忍獣」と呼ぶ)も多数登場するようになるので、一部の準レギュラー俳優を除けば敵の忍者の出番が少なくなってしまい、一人一人の忍法もさほど目立たない、ありふれたものになってしまうが、この第2部卍党編は違う。魚麟流伯の溶解液や、白臘鬼の伸縮自在の身体、黒道士のパラソル飛行など、ビジュアル的にもかなり奇天烈なモノが多く、横山光輝の原作を逸脱して、さらに元ネタである山田風太郎の世界に肉薄しているのである。
 小田部さんが演じていた不知火典馬もその名のごとく火炎攻撃を仕掛けるのだが、これはからだ中に油を仕込んでいるので、その油が切れると火炎攻撃ができなくなる、という弱点があった。一番ハデな忍法使うわりに、一番リアルな設定だったのだ。原作にも不知火典馬は登場しているが(ただし「不知火典膳」という名前)、外見は全く違っていて、普通の忍者の格好である。それに引き換え、テレビの卍党うつぼ忍群、みんな赤だの青だの緑だの、全身カラフルなのだが、こんな忍者、目立って仕方がないよなあ(^o^)。
 Google検索をかけて小田部さんを偲ぶ記事がないか探してみたが、新聞の追悼記事ばかりが上位に来ていて、日記などで追悼しているような様子がほとんどない。小田部さんを知らないオタクのほうが多いのか、ネットはまだまだ狭い世界なのか、どっちにしろ寂しい話である。


 永井豪原作・那須博之監督の実写版『デビルマン』に、ドイツ、イギリス、スペイン、オランダ、ロシア、ノルウェーなどの北欧、韓国、香港、などなど、約40か国から海外配給のオファーが殺到しているとか。
 東映作品としては『バトル・ロワイアル2』の上映30か国を越えて、最終的な海外セールスは50か国に達する新記録を打ち立てそうだということである。
 予告編を見る限りではCG映像の非リアル感は如何ともしがたく、なんかこれ、最近のCG映画に比べても技術がかえって後退してないか、という雰囲気なのだけれども、みんなプロモーションビデオを見た上で買い付けようとしてるんかね? 海外人ももう、一連のCG作品の「非リアルな動き」などは商売上のネックにはならないと判断しているのかなあ? まあ、『シュレック』や『モンスターズ・インク』程度で満足できるんなら、それもそうなんだろうけれど。単に「オファーしてるだけ」で、現物見たあとで「やっぱ、買うのやめます」にならなきゃいいけどね。“公開直前、試写会後”にこういうニュースが流されたってとこから考えても、これ、映画の評判が悪かったための切羽詰った宣伝政策じゃないかって気もするな。でも「海外のオファー」が云々って、そんなに宣伝効果あるかな? 『キューティーハニー』の「世界配給」ってのも全く効果なかったけどね(アレはホントに海外で公開されるんだろうか)。
 現物はまだ見てないけど、あの長大なスケールの映画を2時間程度の映画に収めようというのだから、まずどこかにムリが生じるのは仕方がないと思うのである。製作費10億円というのも、規模を考えれば安すぎる。だからそこには多分なにか“日本映画らしい”「知恵と勇気」(^o^)のアイデアが盛りこまれてないとウソなわけで、さて、そこが評価の分かれ目になるんじゃないかと思う。
 いや、ともかくも見に行きますよ。今年はともかくマンガ・アニメの実写化はとことん見に行く覚悟だから。

2003年09月20日(土) 優柔な憂愁/『よみきりもの』5巻(竹本泉)
2002年09月20日(金) ついに発売! アレとアレ(^o^)/映画『インソムニア』ほか
2001年09月20日(木) ま、映画さえ見られりゃいいんだけどね/『夜刀の神つかい』4巻(奥瀬サキ・志水アキ)
2000年09月20日(水) 頭痛と頭痛と頭痛と……/ムック『山下清のすべて』


2004年09月19日(日) 大掃除大パーティ/『かりん』2・3巻

 早朝3時、仕事から帰ってきたしげ、舞台中継『ミッドサマー・キャロル』を見たいというので、録画したDVDをかける。けど、今日はよしひと嬢のお宅に焼香に行く予定であるし、そのあと何やらパーティもするとか言ってるのに、寝る時間が全くなくなってしまうが大丈夫なのだろうか。
 私の方は早々に落ちて、9時過ぎまで眠る。その間にしげは出かけて行ったようだった。……部屋の片付け全然済んでないんだけど、どうするつもりなんだよ。


 昨日は雨時々曇りで、玄武亀代と竜宮亀太郎に日向ぼっこをさせてあげられなかったので、今日はベランダに出してやる。
 食欲旺盛な玄武に食餌を取られて、竜宮の方が食が細くなってしまっていたので、一時期、二人を別居させていたのだが、それまで与えていたレプトミン(ビタミン・ミネラルフーズ)をガマルス(ヨコエビ)に変えたら、竜宮も一所懸命食べるようになった。大きさはやっぱり玄武の方がひと回り以上もデカいのだが、竜宮がイジメられている様子はないようである。
 その間に風呂場で水槽を洗う。浄水ポンプのおかげで水自体は澄んでいるように見えるが、洗うとやはりかなりカメ臭い。週一のこの水槽洗いが習慣になっているが、二人がもっとデカくなって水槽も大きいのに買い替えないといけなくなったら、この作業、かなりひと苦労になりそうである。


 休日のうちに未見のDVDを片付けようと、映画『切腹』を見る。
 映画自体は随分前に見ているのだが、これはずっとDVD化を待っていた一本だった。なんとなれば個人的にちょっと思い出があるのである。
 生前の母はこの『切腹』について、「見てられないくらい残酷!」と、まるで怪談話をするかのように身振り手ぶりを交えて、聞かせてくれたものだった。それはもちろん、石浜朗が竹光で自分の腹をかっさばくシーンの再現なのであるが、普段は豪胆で肝っ玉かあさんな母が「竹光だから腹を刺しても切れなくて、もう何度も何度も突き刺してね。背筋がぞっとして『早く映画が終われ!』って思っとったよ」なんて眉を顰めて言うものだから、それはいったいどれほどオソロシイ映画なのかと、小学生の私は見てもいないうちからそのグロテスクな描写を想像して怖れおののいていたのだ。けれどあまりに「残酷さ」ばかりを強調するものだから、詰まるところ映画として面白かったのかどうか、母の話だけではよくわからなかった。
 実際にこの映画を見ることができたのは20代に入ってからだった。監督が小林正樹だから、映画の底流にはどうしたって社会主義思想、反権力と言ったものが流れているのだが、殺陣を初めとした描写そのものに迫力があるので、そのあたりのイデオロギーがさほど鼻につかない。例の竹光での切腹シーンであるが、今の目で見るとそんなに「残酷」という印象はしない。けれどそれは私の方が数多の残酷描写に慣れきっているためであって、40年前にはこれは充分、目を背けたくなるほどの悲惨なシーンとして大多数の観客には受け止められていたのだろう。母の受けた衝撃も、やはり初見のインパクトの強さゆえだと思われる。
 シャワー中の惨殺シーンで観客に失神者も出たというヒッチコックの『サイコ』の公開が1960年、時代劇にそのリアル描写でショックを与えた黒澤明の『用心棒』が1961年、そして血飛沫の決闘を描いた続編『椿三十郎』が1962年。そしてこれまた大ブームを起こしたヤコペッティの『世界残酷物語』が同じ1962年。『切腹』の公開も1962年だから、まさしくこの映画は「残酷描写ブーム」の流れの上にある。けれど、もともとリアル志向の強かった小林監督にとってはこのブームは渡りに船だったのではないか。東映時代劇がただ残酷であればいいと、不必要なまでのグロ描写を持ちこんで失敗作を量産していたのに対し、『切腹』の残酷描写は物語が求めた必然である。そういう流れを意識せずに見ることのできる現代の方が、この映画を真に評価するのには適しているのではなかろうか。
 1962年公開ということは、母は私の妊娠中にこの映画を見に行っていたことになる。……なんかすげえ胎教に悪いことしてないか? 当時、「胎教」なんて知識はあまり普及してなかったから仕方がないけれども。もっとも胎児の私には武満徹の音楽だけしか聞こえちゃいなかっただろう。……いや、武満さんの音楽だけで充分、赤ちゃんにはよくないかもなあ。もしかしてこの映画のせいで私は……。いやいやいや。


 昼から映画を見に行こうかと思っていたのだが、とっちらかったままの部屋を放置しておくわけにもいかず、しげが出かけている間に少しでも片付けておこうとまずは山積みのDVDから手を付ける。しげも全く部屋の片付けをほったらかしていたわけではなくて、私にせっつかれて床面積だけは空けていたので、本棚の隙間を見つけながらとりあえずDVDをぶちこんでいく。けどもうスペース自体か殆どないので、本当は読まなくなった本などダンボールに入れて押し入れにでも突っ込むしかないのだが、そこまでの時間的余裕はない。なんとかDVDだけ片付けた時点で、しげたちが北九州から帰ってくる。
 本日のお客さんは鴉丸嬢、其ノ他君、カトウ君、圭To嬢(通称ヒゲちゃん)、細川嬢(通称ボインちゃん)。部屋の中に入るなり、鴉丸嬢が「部屋が一つつぶれてる〜!」と泣き笑い。しげが適当に積んだ山積みの本が背丈を越えるほどになっていて、部屋の入口が埋まって中には入れなくなっているのである。隙間をうまく使うことができないというか、大きさも合わせずにただ本を積み重ねているだけなので、バランスは頗る悪く、これもいつ雪崩れを起こすか分からない。こちらはとても手をつけられないので、掃除の対象は主に台所、寝室、居間になる。
 居間は特にパーティ会場を作らなきゃならないので、ゴミを拾い集め、掃除機をかけて特に念入りに。総出で季節外れの大掃除であるが、もうゴミが出ること出ること。バケツリレーのようにゴミを外に出して捨てて行くが、ゴミ出し日は本当は明日である。……まあ、1日くらい早いのはいいか。紙ゴミばかりで生ゴミ類は殆どないし。
 寝室の本はほとんどしげが持ちこんだもので、枕元に重ねた本が雪崩れを起こしていたのを私が分類して積み重ねていたのを、鴉丸嬢がやっぱりバケツリレーの要領でヒゲちゃんボインちゃんの二人に手渡していったん居間に出して、それからスペースを作り、もう一度崩れないように積み戻して行くという作業。
 ときどき鴉丸嬢の悲鳴と笑いが聞こえてくるが、どうやらダニに噛まれているらしい。しげは掃除機をかけることを全然しないまま万年床なので、そりゃダニくらいわいているだろう。つか、しげだって寝てるときダニに噛まれてるはずなんだが、鈍獣だから気が付いていないのだろう。
 「掃除機の替えのフィルターはどこっ!?」
 「えーと、どこだっけ?」
 「そこの引き出しの中でしょっ!?  こないだ片付けに来た時、私が片付けたんだからっ!」
 「すごーい、オレよりウチの中のことよく知ってるー」
 「そんなこと言われても、ぜんっぜん嬉しくないっ!」
 鴉丸嬢としげの会話を端で見ていると、まるでボケとツッコミの漫才コンビである。この雰囲気のままに今回の芝居の台本を書いたのだが、自然体の二人のほうがはるかに面白い。いや、鴉丸嬢にとってみれば「なんで自分たちで家の中のことくらいできないのだ」ということになるのだが。いやね、私は今、鴉丸嬢が感じているのと同じ疲労感を結構当初から数年、散々味わって、もう疲れてしまったのですよ。
 台所担当は主にカトウ君、其ノ他君だが、カトウ君は今日の待ち合わせに寝坊して遅れたとかで、一番大変な場所を割り当てられている。ゴミ溜めと化している流しを片付けながら、「虫が涌いてないだけマシですよ」と言っていたが、もちろん虫は涌いていたのをさすがにこれは、と私が掃除しておいたのだ。もちろんしげには何度も「片付けとけ」と言っといたのだが、いつも通り無視されてしまっていた。
 結局掃除に3時間ほどかかってしまったが、終わったあと、みんなの手は真っ黒に汚れていた。日頃の掃除がちゃんとされてれば、こんなことはないんだけどねえ。

 食材を買ってきて、いよいよ鍋パーティ。名目は9月生まれが多いので、合同誕生会である。具は鶏肉、豆腐、春菊、白菜、人参、えのきだけ、なめたけ、とオーソドックスだが、なぜか豚しゃぶまで用意されているのは、しげの好みだろう。鶏と豚、普通は一緒にしないけど、「味がかち合って相殺される」というのは『美味しんぼ』がこじつけた俗説で、美味いもんは美味い。
 ご飯は手巻き寿司をめいめい勝手に。刺身に卵焼き、キュウリにシーチキンサラダをご飯と一緒に巻いて食べるのだが、ここでもしげ、口に頬張りきれないほどの具を海苔の上に乗せて、食いきれずに天を仰ぎながら無理やり手で押し込んでいる。おかげでしげの手や顔は海苔の粉だらけだ。全く幼稚園児と一緒に食事してるような気分になる。
 食材は相当量があったと思うが、ほとんどみんなで平らげる。其ノ他君が一括して食材を買ってきたのだが、費用を聞いてみると驚くほど安い。居酒屋とかに行くよりも、こういうホームパーティーの方が食えるものは食えるし、いいかもしれない。もっともウチでパーティやると、食事よりも掃除の方がメインになるので、落ちつかなくてよくない。今度こういう催しをやるなら、誰かもっと広い部屋持ってる人のうちでやろうよ。

 しげがヒゲちゃんボインちゃんを車で送っている間、カトウ君、其ノ他君とDVDなどを見る。其ノ他君は仕事疲れもあって早々に寝てしまったが、カトウ君には『サムライチャンプルー』や『DAICON版帰ってきたウルトラマン』『八岐之大蛇の逆襲』などを見せる。うちに遊びに来る人はちょっとでもオタク臭が漂ってると、こういうものを見せられてしまうので覚悟が要るのである。『八岐之大蛇』はつまんないので飛ばし見だけど。
 カトウ君、書架のDVD群を見ながら、「ここは『夢の島』ですねえ」と言い間違える。それ、「ゴミの山」って意味だって。
 しげと鴉丸嬢が帰宅してきてからは、今度は『幻想水滸伝』ほかのゲーム話。こちらの話題にはあまり付いてけないので、私は傍観。みんなで『ダンスダンスレボリューション』を始めたので、私は一足先に寝た。……みんな体力有り余ってるわ(-_-;)。

 読んだマンガ、影崎由那『かりん』2、3巻。これも大掃除の最中に山の中から発掘。こんなふうに買ったはいいけど読み忘れてる本がまだ山とあるのである。
 吸血鬼とか増血鬼とか(^o^)、普通、主人公の正体が人間にバレてからの展開はつまんなくなりやすいけど、これは「なぜ、かりんだけが増血するのか」というもう一つ奥の謎を取っといてるので、まだまだ先が読めない。実は私は、高一の子持ちにはトテモ見えない(セーラー服のコスプレに違和感がないというのはなあ)文緒母さんの行く末の方が気になってるのだが。

2003年09月19日(金) 回想の妻/『にっちもさっちも 人生は五十一から』(小林信彦)
2002年09月19日(木) 騒ぎどころが違うぜ/『仮面ライダー龍騎 13RYDERS』/映画『恐怖の火星探検』/『ロケットマン』3巻(加藤元浩)
2001年09月19日(水) ヤンキーたちの好きな戦争/『日露戦争物語』1巻(江川達也)/『探偵学園Q』1巻(さとうふみや)
2000年09月19日(火) 塩浦さん、今度はご夫妻で遊びに来てね


2004年09月18日(土) アナリストたちの誤算/『毎日かあさん カニ母編』

 昨日の日記が字数オーバーしてしまったので、書けなかったこと。
 しげの通院がそろそろ一年になるというので、病院の先生が「一度ご主人にも来てもらえませんか」と仰ったとか。家事がまともにできない、物忘れがひどい、罪悪感がない、すぐヒステリーを起こす、そのあたりの状況がどれだけ変わったか、話を聞こうというのだろう。私の感触としては、最初の三つはたいして変化がないが、ヒステリーだけはあまり起こさなくなってきたように思うのである。これはやはりクスリの効果なのだろう。今後も通院して治療を続けるかどうか、という相談もあろうとは思うが、10年かかって殆ど進歩のなかったしげが少しは落ち付くようにはなったのだから、効果は微々たるものでも、やはり今後もお願いしたいところである。
 それよりも私の方が「だいぶ神経やられてますね。入院治療が必要です」とか言われなきゃいいが(^_^;)。


 しげは今晩が仕事、明日はパーティだというので、クスリを飲んで爆睡している。部屋の片付けもまだ残っているというのに気楽なことで、少し広くなった居間で、仰向けになってバンザイ、足はガニマタという実にみっともない格好でイビキをかいている。
 見てるとなんだかむかっ腹が立ってきたので、携帯カメラで写真を撮ってやった。あとでしげに見せて笑ってやろうと思ったのだが、夕方になって起きてきたしげ、写真を見てひとこと。
 「こんなのに惚れるアンタっておかしいよ」
 なんか、肉を切らせて骨を断たれたような。


 WOWOWで舞台『ミッドサマー・キャロル ガマ王子対ザリガニ魔人』の中継。
 7月にPARCO劇場で録画したものだが、やはり舞台を映像で見るのはかなり魅力が減殺されてしまうことを痛感。役者の対話を切り返しで見せるだけでもカメラが自由に動けるわけでもないからかなり違和感が生まれているし、芝居の流れを無視した編集もあちこちに見受けられた。これで初めて後藤ひろひとの作品を見たという人には、「ホンモノの舞台はこんなもんじゃない」と言っておきたいところである。
 役者さんたちの演技も、私が見た千秋楽の時の方がはるかに上達していた。福岡での客の笑いなどの反応がよかったこともあるのだろうが、例えば伊藤英明が「安達祐実……ジョディ・フォスター、ドリュー・バリモア!」と叫んで泣くシーンなど、放送版よりも千秋楽の方が客の反応を見つつ、かなり間がよくなっていた。長谷川京子も放送版ではただ「突っ立ってる」だけの演技がまま見受けられ、なんだかハラハラしてしまったのだが、それが千秋楽では立っているだけに見えても相手の役者とちゃんと対峙するようになるまで上達していたのだから、大したものなのである。記録に残すんなら福岡版流せ、と言いたくなるくらい「差」があったのだ(伊藤さんが1ヶ所だけ吹いてたけど、放送版でも木場さんが1ヶ所トチってたからトントンだろう)。
 芝居のチケットは確かに高い。けれどやっぱり舞台はナマで見ないとその真価はわからないのである。

 読んだマンガ、西原理恵子『毎日かあさん カニ母編』。
 オビの「家庭円満マンガを描いていたら、連載中に離婚してしまいました(笑)」という作者談が全てを物語っているな。家庭や子どものことをネタにしてマンガを描く作家さんは多いけれど、子供が長じてそれを見るとたいてい、「なんでこんな恥ずかしいことまで描くんだよ」と怒ってグレたりする。でも西原さんとこの子どもは相当なこと描かれちゃいるけどあんまり怒んないんじゃないかなあ。こんなにいい母さん、ちょっといないから。
 こしのりょう『Ns‘あおい』1巻。
 こうしょっちゅう入退院を繰り返していると、医者ものマンガに惹かれてつい買ってしまうのだが、正直、これはいい! というものは少ない。リアルっぽく見せかけて結局お涙頂戴で締める『ブラック・ジャックによろしく』とか読んでて腹立ってくるし。このマンガも構図やら展開やら『よろしく』の影響をモロに受けてるんだけど、まだ嫌悪感が少ないのは主人公がナースだからかな。

 おかずが尽きているので、朝食はそば、昼と夜はスパゲティに、それぞれネギだの千切りキャベツを混ぜるだけで肉ナシ。
 しげが「給料入ったら親子丼ね?」と言うが、こないだまでは給料入ったら「肉肉肉」とうるさかったのだが、親子丼なら安上がりで重宝する。しげが二食分食ったって、300円くらいしかかからないもんな。


 映画『ホーム・アローン』シリーズに主演した元名子役のマコーレー・カルキンが、17日に、規制薬物とマリフアナ所持の疑いでアメリカ・オクラホマ州の警察に逮捕。
 莫大な出演料を巡っての両親の確執、離婚とか、本人の17歳での結婚、破局とか、まあ、これまで散々アメリカの子役が辿ってきたスキャンダルの歴史を、見事になぞってきたカルキン君だったけれども、その期待に答えるようにクスリに手を出しちゃいました。あとは服役後の自伝執筆と来るかな。
 それこそ散々言われ尽くしている「子役の大成は難しい」だけれども、本当は全然難しくないのである。大成する前に引退すりゃいいんだから。5歳やそこらで「将来は役者になりたい」という大志を抱く子どもというのもそう多くはなかろうから、子どもが映画に出演するというのにはやはり何らかの形で親が関与しているわけで、単に子供時代の思い出として学芸界のお遊戯感覚で演技をさせたいのか、それとも本気で演技者の道を歩ませたいのか、そこで子役の運命ははっきり分かれてしまうと言える。なんかカルキン君の場合は前者で出発してヘタに大金が親のフトコロに入っちゃったんで、トチ狂っちゃったって感じがしてならないね。
 子どもが主人公の映画がヒットすれば、雑誌の見出しにすぐ「天才子役」の文字が踊るけれども、本当に子供の頃から内面の表現としての演技力を評価できるような子役なんてのはそんなにいるもんじゃない。たとえ子どもであっても、「どう、ボクってお芝居うまいでしょ?」って感じの「鼻につく」演技をする子は、かわいらしさで一時的な人気は得るものの、じきに化けの皮が剥げる。カルキン君に関しては、やはり子役時代のイライジャ・“フロド・バギンス”・ウッドと共演した『危険な遊び』でかなり“臭く”なっていたので、ちょっと心配してはいたのだが、案の定じきに失速した。現代版「魔少年」という役どころで、親としては『ホーム・アローン』のイメージを払拭しようとあえてスキャンダラスな役に挑ませたのだろうが、当時は「あんなヒドイ役をやらせるなんて!」という批判の声の方が強かった。イライジャ・ウッドとの明暗の差は明らかで、親が欲をかいて失敗したというお定まりのパターンである。
 『E.T.』のヘンリー・トーマスもスキャンダルこそないものの、役柄に恵まれず(『サイコ4』ではなんと若き日のノーマン・ベイツ!……だもんねえ)、地味な脇役になっていった。『シックス・センス』のハーレイ・ジョエル・オスメントが、『A.I.』の興行的失敗にも関わらず“まだ”失速していないのは、イメージを裏切るような役を演じていないからだろう。『ウォルター少年と、夏の休日』以降の活躍も期待されるところで、子役の生き残りにいかに役の性質が深く関与しているかが分かる。『ダウンタウン物語』『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターや、『アダムス・ファミリー』のクリスティーナ・リッチとかは、もともとヨゴレ役が多かったからもう何を演じても平気、という感じで見事に生き残っている。女の子の場合はかなり真剣な演技を要求される例が多いので、生き残りやすいという面はあるのだろう。なんせあのドリュー・バリモアですら復活できたのだ。ダヴェイ・チェイスもダコタ・ファニングも、多分大丈夫だ。
 カルキン君の場合、『ホーム・アローン』というその後の“期待される”役柄のイメージを強く持ち過ぎてしまったのが敗因だったのだなあと思う。もう24歳だが、今の写真を見てもただのとっぽい兄ちゃんにしか見えず、今後浮上することはかなり難しかろう。もうムリに役者するんじゃなくて、転職した方がまだ傷は少なくてすむよ、きっと。なんせオトナになって人殺しまでしちゃった子役だっているものなあ。


 ここんとこあちこちで話題になっている野村総合研究所(NRI)の「国内のマニア消費者(オタク)主要4分野(アニメ・アイドル・コミック・ゲーム)の市場規模は約2600億円」報告。
 オタクが分散化の一途を辿っているのに、それをいっしょくたにして大市場のごとく語るのはどうかという気もするのだが、この数字の大きさに惑わされてか、どうも「バブル」のときと同じように有頂天になっちゃってるギョーカイの方もいらっしゃるようで、なんかあまり騙されない方がいいんじゃないですか、と他人事ながらお節介なヒトコトも言いたくなるのである。
 先日、森永卓郎氏はこの「2600億円」という数字に疑義を申し立てて、『夕刊フジ』の「森永卓郎サラリーマン塾」で、「1,メディアの融合化」「2,消費者と供給者の融合化」「3,新品と中古の融合化」の3点を挙げ、「オタク市場は現時点ですでに数兆円の規模に達しているだろう」と結論付けていた。
 その分析自体にそう間違いはないと思うけれども、だからと言ってオタク産業の全てが成功するわけではないのは、先日のトワーニの解散も象徴していることである。映画、アニメ、コミック、フィギュア、トレーディングカードなどなど、それこそメディアミックスを駆使しまくった映画『キューティーハニー』が見事にコケたのは、まさに「笛吹けど踊らず」だったのではないか。だいたい『ハニー』は、昔ながらのオタクの間では『CASSHERN』よりは“少なくとも”評価が高かったのに、ヒットはしなかったのである。『ハニー』は『フラッシュ』で少女マンガになったことでも判るように、本来の読者である男の子だけでなく「女の子にも」受けたマンガではあったが、だからと言って女の子がファンになるメインストリームの作品ではない。『ハニー』の公開中、ちょくちょく映画館に足を運んではいたが、ともかく女の子が入る様子がなかった。
 先日も日記に書いたが、男女間、世代間のオタク同士の断層はかなり深くなっていて、我々の世代のオタクにターゲットを絞ったところで「売れない」という法則がもうできあがりつつあるのだろう。

 msnの「インテリジェンスの業界レポート」では、
 「『otaku』はいまや、『shogun』『karate』『sushi』と並んで世界に通用する日本語だ。かつては『暗い』と同じ意味で、否定的に使われたが、そのイメージも変わってきた。また、オタクは重要な存在として注目されるようになっている」
 「知財立国を目指す日本にとって、まさにオタクは“国の宝”ということになるかもしれない」
 と、なんだか手放しの誉めようである。でも、この手のプロパガンダはこれまでにもしょっちゅう語られてきていて、その最たるものは岡田斗司夫さんの「オタクエリート論」であるのだが、それを真に受けてイタイ目に合ってきたオタクも決して少なくはないのである。
 実際に周囲を見回してみて、オタクに対する世間の反応をよく見てみればよろしい。本当に「イメージ」は好転しているのであろうか。少なくとも私が知っている男性のオタクは若いヤツから中年に至るまで何10人何100人といるが(一応、顔だけは広いのである)、明るくて女性にもモテる、なんてやつは殆どいない。もっとも、女性が好きになるタイプの男性は殆ど一点集中なので、オタクであるなしに関わらずモテないヤツはとことんモテないのであるが。
 しかし、興味のない相手にまで押し付けがましくオタクな話を熱心にするキモオタ男が男性女性を問わず嫌われているのは厳然とした事実である。

 この二つのレポートにケツラクしているのはそもそも「オタクとは何か」という捉え方がおおざっぱな点だ。
 「オタク=特定の趣味分野に時間や所得をかける人たち」と簡単に言うが、その「特定の」ってのが現実には、分野どころかかなり狭く限定された作品やキャラクターレベルにまで絞られている場合も多い。必ずしも作品同士のファンの相互乗り入れが行われているとは言えない状況もあるってことを、キチンと把握してはいない。
 例えばテニプリファンの腐女子が、テニプリ以外のアニメ作品のグッズ収集などにどれだけ金をかけるというのか。そんなことをすれば、仲間うちからヘタをしたら「浮気したな!」と捉えられ、阻害されかねない。なんつーか、キャラクターの誰が受けで誰が責めかとか、その解釈の違いだけで反目しあう世界だからねえ(-_-;)。
 ファンは一つの作品に飽きるまではあまりヨソの作品にまで真剣に興味を移したりはしないものである。「いいえ、私は複数の作品が好きですよ」と仰る方も、好きな作品は『SEED』と『ハガレン』と『最遊記』とか、やっぱり明らかに「そっち」方面に偏っているので、間違ってもこういう方は『クレヨンしんちゃん』や『あたしんち』のDVDを買ったりはしない。描いてる同人マンガもみんな似たり寄ったりで、誰かしんちゃんとカザマくんのボーイズラブくらい描いてみたらどうだ、と言いたくなる(「もうある」というウワサは聞いたことはあるが「主流」じゃないよな)。
 「アニメなら片っ端から見る」なんて昔ながらのファンなんてのは殆ど絶滅しているのだ。興味関心が分散化しているだけではなく、マンガアニメ全般に時間やお金をかける余裕がないのも大きな原因の一つなので、だから「オタク受けを狙おう」と思って、「狙いどころを絞り損なう」と、砂漠に水を注ぐがごとく「誰も買い手がいない」という悲惨な結末を迎えることになる。
 40代を過ぎた古株のオタクはいかにもインテリ然とした態度で宮崎駿作品を「あれはオタク心をそそられる作品ではない」とこき下ろす。しかし、毎日毎日『となりのトトロ』を繰り返し見て、部屋中をジブリグッズで埋め尽くすような子供をオタクでないとどうして言えようか(ここでは作品に対する分析批評ができるかどうかという質的な意味での「オタク」を述べているのではないので誤解なきよう)。当然、宮崎作品の収益は、全国津々浦々にまで拡散した「老若男女のオタクたち」によって支えられている。単純に「特定の趣味分野に時間や所得をかける」という特徴を挙げるのなら、既に日本人の殆どは「オタク化」しているのであり、そりゃ何10兆円だろうが市場が存在しているのは当たり前で、そんな分析には何の意味もないのだ。2600億とか数兆とか、こんなとんでもない数字は、それこそ200円のガチャポンを買い集めるガキンチョまで含めた数字だということを考慮に入れないといけない。
 だからオタクをあくまで「市場」として考えるのならば、作品の訴求力がどの世代、どの階層、男女のいずれに偏るものなのか、2600億とかそんなユメみたいな数字に惑わされずに分析し、どの程度の資本投資が可能なのか冷静に判断することが必要なのである。それしなきゃ、みんなトワーニの二の舞だ。
 ……まあ、だからこの手のニュースを見て、「オタクにも日の光が当たってきたんだ!」とか、「ボクももしかしてモテルようになるかも!」とか期待しているそこのキモオタのキミ、それはキミのことではないから勘違いするとかえって傷ついちゃうよ(^o^)。

2003年09月18日(木) めんどくさいのは私も好かんけど/『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』(大塚英志)
2002年09月18日(水) 復讐するは誰にある?/映画『恐怖のワニ人間』/『Q.E.D. 証明終了』13巻(加藤元浩)
2001年09月18日(火) 声だけ美少女/『スタジアム 虹の事件簿』(青井夏海)ほか
2000年09月18日(月) ゴキブリと音痴娘と構造記憶と/『僕らは虚空に夜を視る』(上遠野浩平)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)