無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
2002年09月18日(水) |
復讐するは誰にある?/映画『恐怖のワニ人間』/『Q.E.D. 証明終了』13巻(加藤元浩) |
日朝国交交渉の続報しきり。 けれど、驚くほどに意外な展開、というものがない。みんな予想された反応、言質を繰り返すばかりで面白味に欠けるな。 北朝鮮は公式に拉致を認めていながら、やっぱり本国のテレビ放送では「日本謝罪、経済援助、国交正常」とか「拉致」の「ら」の字も報道してないし。言い換えれば、文書に残してない言質は後からいくらでも翻せることを既に北朝鮮は表明しているのだな。 まあ、ホントに翻しちゃうと、それこそ袋叩きにあうことは解ってるから、これはやはり北朝鮮の国内事情を鑑みての措置、ということなのだろうね。第二次大戦直後の日本じゃあるまいし、「昨日までの主体思想教育は全部間違いでした、すみません」と自国民に向かって節操なく変節できるものでもなかろうよ。賛同はしないが。 しかし、言い換えれば対外的に非を認めたってことは、それまで「北朝鮮は拉致などしていない」と主張して来た人たちを北朝鮮は見捨てた、ということでもある。哀れなのはその「見捨てられた人たち」のコメントである。 社民党の土井たか子、これまで思いっきり北朝鮮寄りの発言をして来たものだから、ほとんど支離滅裂、これまで散々批判して来た小泉首相の訪朝の成果を褒め称え、「今でも拉致はなかったと思う」とか言ってやがる。つまり「行方不明者は自発的に北朝鮮に行った」と言いたいわけね。どう思いますか。 朝鮮総連も声をなくしている。そりゃもう、北朝鮮の工作員が日本に潜入してたんなら、この人達が関わってないわきゃないんで、完全に本国から見捨てられたってことだからねえ。在日は在日で勝手に生きろってこと突きつけられたんだから、そりゃ、呆然ともなろうよ。のんきに「朝鮮学校の子供たちのチマ・チョゴリが狙われないか心配だ」とか言ってるが、タネを撒いたのはあなたがただよ。 福岡の朝鮮人学校は臨時休校した。多分、他の地域でも何らかの対策を取っているのではないか、けれど、これは一日ひっそり暮らしたからどうなるというものでもない。子供たちに罪はない、というのはリクツである。口実を与えられた感情ほど怖いものはない。いくら子供たちを守ろうとしても、「迫害は正当」と感じる人たちの耳にリクツは届かないのだ。被害者は必ず出る。それもこれから長きに渡って。
差別や迫害について、何度となく私が繰り返して言っていることは、「差別をなくそう」というキレイゴトを主張するだけでは実効力はない、ということである。特に、家族を殺されたものの身になれば、復讐の念が芽生えることを簡単に否定できるものでもない。できないから、北朝鮮だって韓国だって中国だって、いつまでも50年以上前の戦争の恨みゴトを口にするのだ。 憎しみにとらわれた人間に、「説得」が通じるものかどうか。被害者意識にとらわれた加害者に言葉が通じるものかどうか。彼らに、「いくら北朝鮮の行為が憎いからって、彼らを憎めばそれが差別になるのですよ」と言ったところで通じはしない。「被害者である」ということはそれだけ「免罪符」を与えられているのだ。 結論として、迫害から身を守るためには二つの方法しかない。 逃げるか戦うか。 もちろん、戦うと言っても武力によるものであっては事態は泥沼化するだけである。相手を説得できなければ、自分たちに賛同してくれる「味方」を増やし、言論の壁で守ることである。 朝鮮人学校が行うべきことは、怯えて身を潜めることではなく、石を投げられることを覚悟で、「自分たちがこの日本にいる意味はなにか」を地域に語りかける努力なのではないか。それをせずして「守られる」こともありえない。そこに座していれば誰かが助けてくれるだろう、というこ態度は、戦後の日本が加害責任を明確にしないまま、なかなか国際社会に受け容れられなかった過去とダブってくると思うのだけれど、どうだろうか。 冗談じゃなくて、「在日は挑戦に返れ」とか理不尽なこと言ってる連中は、「識者」の中にもいるんだからね。渡部昇一とか。真剣に身を守る手段、考えていかないとよ。
仕事帰り、給料日前で金はないのだが、しげの「寿司!」の一言で「すし大臣」へ。 「オレ、今、五千円しかないんだけど」 「だったらたくさん食べんどきゃいいやん」 「そりゃそうだ」 と言っても、腹は減っているのでそうもいかない。できるだけ安そうなネタ、納豆マヨネーズだのイカオクラだの押し寿司だの、110円の皿ばかり選んで食べる。合いカモロースもウナギも意外と安くて200円。しげは卵サラダ巻があれば満足なので、あまりたくさん食べない。二人で結局、3300円ほど。「すし大臣」で食べた中で一番安かったのではないか。何しろ今回、ウニもイクラもトロも食ってない。いや、食わなきゃならんというものでもないが。
マンガ、加藤元浩『Q.E.D. 証明終了』13巻(講談社/KCGM・410円)。 MITを15歳で卒業した天才少年、燈馬想の推理を描く第13弾。 いや、隔月連載で、13巻、よく続いてると思うよ。ミステリとしてのレベルは『コナン』なんかより遥かに高いんだけれど、それだけにかえって客にはマニアしかついてないんじゃないかと心配してたし。ここまで続いてるんなら、一般のお客さんもちゃんといて買ってくれてるってことだろうし、ミステリブームは本物なのだろあなあ。 見返しの作者の加藤さんのコメントにあるけれど、この作品には原作者は全くいないそうである。時折外した話はあっても、ブレーンが誰もいなくてこれだけハイレベルな作品を提供できるということは素晴らしい。 第1話「災厄の男」は一種のコン・ゲームもの。ビル・ゲイツをあからさまにモデルにしたアランソフト社社長、アラン・ブレードが燈馬をヘッドハンティングするために来日する。アメリカに来る意志のない燈馬をムリヤリ引っ張って行くために、アランは罠を仕掛ける。孤立した豪華客船の中に飾られたレンブラントの絵を盗み出せるかどうか。 あれ? これって怪盗もの? と思わせといて、……なオチにもってくところが上手い。難を言えば、アラン、そんなにバカで社長としてやってけるのかって疑問はあるけど、まあ、本物も……らしいから、これでもいいのかも(^o^)。 第2話「クラインの塔」は推理に矛盾はないが、やや単純で、ちょっとした推理クイズって印象の作品。まあ、しょっちゅう傑作は描けないだろうから、たまにそういうのがあっても仕方がないか。塔の中での消失トリック……と言ってもたいしたトリックじゃない。どちらかと言えば、この解りきった答えになぜ気がついたか、という「証明」の部分に救いがあるような作品である。
WOWOW『恐怖のワニ人間(THE ALLIGATOR PEOPLE)』(1959米)。 これもスチールでしか見たことないアチラのトホホSFとして有名なのだけれど、やっぱりキテるよなあ、あのデザイン。 筋はまあ、実験に失敗してワニ人間(ロン・チャニーJr.!)になった男の悲劇、というありきたりなものだけれど、一応、役者は一生懸命がんばって演技してはいるのよ。でも、やっぱり小道具がもうどうにもしようがない(^_^;)。 だってよう、あからさまにハクセイやロボットな動かないワニ見て(一部本物も使用)、ヒロインキャーキャー叫んでるんだから、観客はもうどうしたらいいのゆら(^_^;)。こんなん作っててアチラは日本のゴジラを笑ってたのかなあ。頼むから「うおーっ」て吼えるなワニ(何しろ変身前のただの生ワニまで鳴くのだ、この映画は)。 あの有名なワニ頭男、実はラストシーンにしか登場しないのな。それまでは単に顔の皮膚がワニ皮ってだけだったのが、それを元に戻そうとして手術してた真っ最中に既知外に乱入されて、完全に頭部がワニになってしまうという(^_^;)。なるか。西岡俊哉の『新・世界の怪獣』に出て来た「アプタ人」はこれからイメージを取ったのかな。 哀れ、自分が完全にワニ人間になったと知った男は、底無し沼に身を投げて死ぬ。登場シーン、五分もないぞ。タイトルに偽りありじゃないのか。でも監督もあんなワニ頭、長いこと画面に出しときたくなかったのかも。 こんなん、昔の人は本気で怖がったんだろうかねえ。
2001年09月18日(火) 声だけ美少女/『スタジアム 虹の事件簿』(青井夏海)ほか 2000年09月18日(月) ゴキブリと音痴娘と構造記憶と/『僕らは虚空に夜を視る』(上遠野浩平)ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|