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ヘンリー少年は両親を亡くして、ケチケチでガリガリの アガサおばさんと暮らしている。 おばさんは下宿屋をしていて、だれも笑ったのを見たことがない。 それに、『暮らしている』といったって、身内としてというよりは ただで置いてもらっている下宿人程度のつきあいだ。
地下室よりも、狭くていいから屋根裏に住みたいな。 ヘンリー少年の願いは、なかなかかなえられない。 そんなある日、屋根裏の下宿人が、アガサおばさんとケンカして 飛び出してしまい、代わりに、不思議な男の人、エンジェルさんが やってくる。 屋根裏の住人となったハービー・エンジェルさんは、下宿の 朝食を食べないというので、おばさんのお気に入りになる。 はじめは電気やさんだと思われていた。 回路の話なんかするものだから。 金髪で笑顔がすばらしいこの人は、台所をクンクン嗅いで、 ここには『つながり』がたくさんある、と喜ぶ。 どうやら『エネルギー畑』の研究をしてるらしい。 皆、細かいことはさっぱりわからないながらも、エンジェルさんの 影響で、陽気になり、芸術的にすらなってゆく。
そして、エンジェルさんとヘンリー少年は、だんだん歩を詰め、 同志のような関係になり、この家に『つながり』を 思い出させようとするのだった。
私たちは、人間として、ひとりだけで生きていられないことは 頭ではわかっている。 でも、ちゃんと受け入れようとしているかというと、 ドアを閉めている時間が、なんて多いのだろう。
エンジェルさんは、 私たちひとりひとりが、「香り」でもある、という。 あるひとはリンゴの花、あるひとはジャスミン。 ここちよい香りは、誰かをなぐさめ、癒してくれるはず。 エンジェルさんにも香りがあるんだろうか。 それは、菜の花のはちみつ?などと想像してみる。
エンジェルさんの来る前と後とでは、 庭のタチアオイたちも、様子が変わってゆく。 ちょうど今ごろ、あちこちの庭先や畑のわきで 空にむかってのびていくタチアオイを見ると、 そこに住む人たちの『つながり』を想わされる。 エンジェルさんの香りは、タチアオイだったのかもしれない。 (マーズ)
『屋根裏部屋のエンジェルさん』 著者:ダイアナ・ヘンドリー / 絵:杉田比呂美 / 訳:こだまともこ / 出版社:徳間書店
今の時期の園芸雑誌コーナーは薔薇でいっぱい! ああ、いつかはこんなバラの咲き乱れる庭を作りたいものよと、 長々と立ち読みしてしまいます。 さて近年のイングリッシュ・ガーデンのブームのおかげで、 こうして美しいカラーグラビア写真でベストシーズンの名園を 居ながらにして鑑賞できるようになりました。 子供の頃にはよくわからなかった、児童文学などの舞台になる「庭」が 実際にはどんな姿をしていたのか、目で見て判るのも嬉しいです。
「イギリス 花の庭」は、可憐な花がのびのびと咲き乱れる 英国の「田舎屋風庭園(コテイジ・ガーデン)」の名園の数々と、 庭作りに情熱を傾け続ける様々な事情の園芸家達との 交流の数々がまとめられています。 とはいっても、表面的な旅行記ではありません。 なんといっても日本のハーブ研究のパイオニア・広田せい子さんの、 20年の間の「勉強」の成果。
素晴らしい庭を作るための一番の勉強は、素晴らしい庭を実際に できるだけたくさん訪れる事です。 雑誌の庭園のカラー写真をただ眺めているだけでは飲み込めなかった 庭園の構造や名称、果ては歴史的エピソードまでこの薄い文庫で 改めて盛り沢山に学ぶ事ができますし、 庭園の維持のための苦心と楽しさも実感できます。 ひととおりの知識を仕入れておけば、訪問先や庭園巡りでの 庭の見方も深まってその感動は何倍にもなる事でしょう。
ああけれど、庭はやはりその中に身を置いて、 光の中にうつろうその色、影、風にそよぐ音、香りを 全身全霊をもって感じてこそ価値がある。 いつか最上の「庭」を訪れる日を夢見つつ。(ナルシア)
『イギリス 花の庭』 著者:広田せい子 / 出版社:講談社文庫
2002年05月28日(火) 『怪談レストラン』
2001年05月28日(月) 『りかさん』
韓国の詩人、アン・ドヒョンが、 故郷の川に帰る鮭の命を通じて、生きる意味を問う。
1961年生まれ、1981年にデビューした安度呟は、 1996年、詩と詩学社の「若い詩人賞」を受賞。 学生時代から詩作を続けているという。 じつは、男性なのか女性なのかわからずにいた。 作品を読んでいるときは、女性だろうか、と思ったり、 やはり男性かなあ、と思ったり。 本人のサイトで写真を見てやっと男性と確認した。
前半は北太平洋から南下する鮭の群れが、 後半は朝鮮半島を流れる川へ入り、上流をめざす。 その群れのなかの銀色の雄鮭、カムルが主人公。 カムルは、子どもを産むためだけでない人生の意味を 探し求める鮭だった。それは選択できる目標だと信じていたし、 自分にしかできない何かを、神様は与えてくれているのだと。 瞳に深いものをたたえた雌の鮭、エインと出会っても、なお。
カムルの思いにおかまいなく、 時間はどんどん、ひとつの方向へと群れをせきたてる。 どの鮭もみんな、生きる目標は何か、ということを疑わない。 パートナーを見つけて、子孫を残すこと。 私たちは、それが鮭の群れであるならば、当然のことと思う。 疑いすら抱かない。
もし、このメッセージを20代で受け取っていたら、 今とはちがった違和感を抱いたかもしれない。 たしかに、今はちがう。 それは結局、この歳にならないと、身にしみては わかりえなかったことかもしれない。 作者の年齢を思うと、カムルだった若い日の姿が浮かぶ。
扉に書かれた言葉をそのまま引用しよう。 何よりも、読者とこの本を結ぶメッセージとなるだろうから。
それでもまだ愛が── 古ぼけた外套(コート)のようによれよれになり もう捨ててしまわなくては でも捨てられない もう一度だけ、手にしたい… そんな希望がこの世界にはあふれている だから生きてゆくのだと 信じるあなたにこれを捧げる (引用/アン・ドヒョン)
草緑江(チョロッカン)、カムルたちの故郷の川が 実在であろうと象徴であろうと、その流れは すべての生命のみなもとへ、私たちの想いを運ぶ。 (マーズ)
『幸せのねむる川』 著者:アン・ドヒョン / 訳:藤田優里子 / 出版社:青春出版社
英米で広く人気を得ている古典作家や詩人を、 30人、特製のウィットソースで料理したガイド本。
本の裏表紙には、こんなお茶目な宣伝文。
「いまさら勉強する時間もないあなたが 知ったかぶりをしたいなら、この本がお役に立ちます」(/引用)
チョーサーやシェイクスピアから始まって、 桂冠詩人の面々、女流作家たち、アメリカの父ヘミングウェイ。 コナン・ドイルやスティーヴンスン、ウェルズといった 冒険・ミステリの元祖たちも登場する。 トールキンも『選ばれて』いるので、ファンタジーファンも納得。
30人の駈け足人生と作品紹介を読んだところですべてを 記憶にとどめることもできないが、 しかし、なにかは残る。 そのなにかは、読み手によってちがうのだろうが、 ここに登場する誰にも、共通する力がある。 どんな生まれ育ちであろうと、裕福であろうと、 貧しくあろうと(たいていは貧しいが)。
それは、書くことへの意志。 男も女も、何をしながらでも書くことをやめない。 というか、体験したことは端から作品となる。 作家の目で観察され表現される生活そのものが、 広い狭いに関わりなく、場合によっては、読む価値のある名作となる。 誰も、自分とまったく関係のない世界を描いたりは していないのだ。一見荒唐無稽に見えたとしても。 そもそも恋愛感情を描くこと自体、理解しない人には 荒唐無稽なことだろうし。
あくまで勘だが、著者のジョイスに対する特別の思い入れが 感じられる文章もある。
「今日、死後五十年以上たってみると、この頑固で、近眼で、 チビのアイルランド人が、世界で最も偉大な作家の一人と 認められている」(/引用)
それにしても、こうして、30人の作家たちの人生を飛ばし見てしまうと、 つくづくと思う。なんと、因果な職業よ。 名声を得よう、作品を世に知らしめようなどと願わずに、 普通でありたいと願うことこそ、ある意味では、自己充足への 一歩なのかもしれない。 (マーズ)
『とびきりお茶目な英文学入門』 著者:テランス・ディックス / 絵:レイ・ジェリフ / 訳:尾崎寔 / 出版社:ちくま文庫
15歳のジェームズの毎日は、一流選手をめざして、 飛び込み競技の練習に明け暮れている。 現在の目標は、前逆宙返り二回半。 ロンドンのコーチにも、天性の才能を認められている (と思う瞬間がある)。 なにより、父さんも母さんも、ジェームズの将来を楽しみに、 トレーニングを応援してくれている。
でも、ジェームズは、この家族が本当の両親でない ことを知っている。それは秘密ではなかったから。 ただ、自分を産んだ母親のことは、誰も知らなかった。 赤ん坊のジェームズは、捨てられたのだったから。 ジェームズがもっている母とのつながりは、 手のひらにすっぽりおさまる、アンモナイトの化石。
やがて、ある事件をきっかけに、ジェームズは 自分の故郷と母親探しの旅に出る。 ほとんど、家出に近い形で。 中盤以降は、山々に囲まれたイギリスの田舎に舞台を移し、 ジェームズの彷徨い、格闘する姿を描く。
ストーリーは、自分探しをするジェームズを軸に、 産みの母の、当時の独白がはさみこまれて進む。 なぜ、彼女が生まれたばかりの息子を捨てることになったのか、 私たちは、ジェームズより先に知っているのだ。 だから、やがてジェームズもそこへと導かれてゆくことを願うのだが、 たったひとりの胸にしまっておくべきことがらもあるし、 伝えきれない思いもある。
人が動き出し、あがこうとするとき、 当事者以外の誰かがあらわれて、助けになる。 邪魔する者もいるけれど、 ちょうど高い板から飛び込みをするときのように、 あれこれと失敗を恐れないことが肝心なのだろう。 そんなアクションを起こすのに遅すぎることは ないかもしれないが、ぴったりの時期というのもまた、 あると思う。
蛇の石と呼ばれるアンモナイトの化石は、 はかりしれない太古からの時間とともに、 そばにいた人たちの伝えきれない感情の揺れを、 渦になった蛇のように、その内部に秘めているのだろうか。 (マーズ)
バーリー・ドハティ公式サイト→http://www.berliedoherty.com/
『アンモナイトの谷』 著者:バーリー・ドハティ / 訳:中川千尋 / 出版社:新潮社
2002年05月22日(水) 『いつもキッチンからいいにおい』
2001年05月22日(火) ☆ヤン・ファーブル
ストックホルムの、ある一家の物語。 とうさん、かあさん、小学生のラッセの三人家族は、 ある決定的な日を境に、別れ別れに暮らすことになる。 大人たちの話し合いによって 「かあさん」の新しい家族に引き取られたラッセは、 新しい父親で歯医者のトシュテンセン、 義理の姉のロロとともに暮らしながら、 「新しいラッセ」になってゆくのだが…
「シロクマみたいなとうさん」とラッセは、 言葉のいらない仲良しだった。 なにがあっても、とうさんはラッセのとうさん。 エルビスが好きで、40年型シトロエンに乗っているとうさん。 「とうさんの子ども」としてのラッセは、落ちこぼれで 外見もいっこう、冴えなかったけれど。
新しい環境に浸かって、だんだん優等生への階段をのぼっていく ラッセは、ある重大な決意をする。
ウルフ・スタルクの描く父と息子の糸は、 母親の糸のように万能のヘソの緒ではなくて、 不器用なやさしい天然繊維で縒られている。
ストックホルムに行ったこともないのに、 この雰囲気、何かを思い起こさせる。 と思っていたら、そうだ、ルーマ・ゴッデンの 『ハロウィーンの魔法』の空気だった。 あちらはスコットランドの村のみそっかす少女が主人公で、 こちらはスウェーデンの街の落ちこぼれ少年。 同じイラストレーターというのも、縁がありそうだ。
ドラマ化されているというから、いつか 見る機会があるとうれしい。 どんなとうさんなのか、ね。 (マーズ)
『シロクマたちのダンス』 著者:ウルフ・スタルク / 絵:堀川理万子 / 訳:菱木晃子 / 出版社:偕成社
シルエット・ラブストリームのシリーズ。 なので、前半はけっこうハイテンションで飛ばしている。 中盤からはロマンスムードが一転し、犯罪に巻き込まれた女性の 陥った苦境が、刻々と展開される。
ロサンゼルスの某企業が舞台。 社内でも人気者のOL、テッサが、内部調査に潜入してきた ブレットと恋愛関係になったとたん、 横領容疑で告発されてしまう。 しかも、最も信頼されるべき相手、ブレット本人に 利用されていたという現実とともに。
ヒロインがいきなり愛する相手に裏切られてしまう。 リンダらしくないといえばないけれど、 巧妙に仕組まれた証拠を突きつけられたブレットの任務と 性格を考えれば無理からぬこと。
ブレットも興味深い半生を送っているが、 今回のヒロイン、テッサこと、テレサ・コンウェイは なかなかに複雑なキャラクターの持ち主である。
誘惑と無垢が、無理なく同居した 南部アラバマ育ちの美女。 おっとりしているように見えるが、 段取りがよく、決してあわてない。 外見からは想像できない彼女の過去は、平坦な道ではなかった。 だから容易に人を信用することはない。 それなのに。
ということは、確かに人生、起こりうる。 (マーズ)
『裏切りの刃』 著者:リンダ・ハワード / 訳:仁嶋いずる / 出版社:ハーレクイン
福武書店から出ているゴッデンの『四つの人形のお話』、 その第4巻。前に紹介した『元気なポケット人形』も このシリーズでは『ポケットのジェーン』として収録されている。
主人公の人形はわたあめちゃん。 原題の『Candy Floss』は、イギリス英語で綿飴のこと。
わたあめちゃんは、ジャックという青年の屋台に住んでいる。 屋台は、ロンドン各地のお祭りに出る移動遊園地を回っている。 「ココナッツあて」という名前のお店。 普通のココナッツあてとは、ちょっとちがう。 そこでは犬のココ、木馬のナッツ、そしてわたあめちゃんが 幸運のチャームとして、生きる場所を与えられているお店なのだ。
お話の前半は、ジャックと仲間達の暮らしぶりを細やかに描いている。 小さなせとものの人形とはいえ、わたあめちゃんは、 やさしいジャックのおかげで、面白いものを見たり、 ちょっとしたごちそうをもらったり、きれいな服を着せて もらったりと、何不自由なく過ごしていた。
わたあめちゃんやココ、ナッツたちのおかげでジャックの お店は繁盛し、ジャックのおかげで、わたあめちゃんたちも 居場所を得て暮らしていく、そんな環ができあがっている。 ある意味では何かが足りない環ではあるけれど、 少なくても、今のジャックにとって、この暮らしは ベストな選択なのだろう。
そして後半は、わがままなお金持ちの一人娘、 クレメンティナの登場によって、わたあめちゃんの幸福が一転。 クレメンティナもまた、わたあめちゃんと出会うことで 変化があらわれる。
一方的に世話されると、人間はどうしても わがままになってしまう。 手も足も出ないからだろうか。 子どもに限ったことではないのかもしれない。 誰かの心配をしたり、思うようにならない相手の気持ちを おしはかったりするうちに、 だんだん、クレモンティナのように、聞こえてくるのかもしれない。 自分がどうしたいかではなく、どうすべきか、 どうすれば人を幸せな気持ちにできるのかが。
「でも、そのうちきっと、きこえるわ」 わたあめちゃんはおもいました。 (/本文より)
(マーズ)
『ゆうえんちのわたあめちゃん』 著者:ルーマー・ゴッデン/ 本文挿絵:プルーデンス・ソワード / 表紙:ひらいたかこ / 訳:久慈美貴 / 出版社:福武書店(絶版)
2002年05月14日(火) 『風街物語 -完全版-』
2001年05月14日(月) 『おいしい時間のつくりかた』
5月下旬に、一冊の本が出る。 新刊でも、はっきり日が決まらないのが普通らしいが、 私も、発売を待っているひとりである。
「ほっこり曜日」というタイトルからは、 行きつけのこぢんまりとした温泉場みたいな、 あったかい湯気を感じる。 現役コピーライターの著者が初めて送り出す、 日々の珠玉エッセイ集。
以前ネットで週刊コラムを書かれていたころ、 ジョークも多くて笑いを誘う文章の底を確かに流れている力に、 「うまいなぁ」とつくづく思っていた。
身近な話題から時事問題まで盛りだくさんだったが、 私が一番好きだったのは、散歩の話とか、 昼寝の効用といった、「ほっこり」する話題。 おじいさんの思い出にも、ほっこりさせていただいた。
つちかってきた経験と精神の風土を、これもさりげなく ほんの一行、本格ダシのように仕込ませていたり、 いつのまにかマフラーのように肩を包んでくれる励ましに、 琴線がふるえた『大人』は多かったと思う。 波に乗るよりも、いやおうなく波のなかに渦巻かれている 人たちの声なき声への想いも、そこには流れていたから。
→出版情報はこちら(近刊案内)
(マーズ)
『こころ晴れ晴れ ほっこり曜日』 著者:松島エリ / 出版社:清流出版
人形の生涯は、ときに人間よりも長い。
『人形の家』でおもちゃ哲学を築いたゴッデンの、 一途で純粋な願いそのものを結晶にしたような短編。
主人公は、普通の人形のように、ドールハウスでぬくぬくと 着飾って暮らすのではなく、 ポケットのなかで暮らす『ポケット人形』になることを 決めた『子鬼の』ジェイン。
といっても、子鬼というのは人間の話の聞き違いから 思い込んだ名前。 実際のジェインは、きらきら光る茶色の目をした小さな人形。 しかし、男の子顔負けの冒険が大好きなジェインには ぴったりの名前である。
買われたジェインは世代を継いで子どもたちの持ちものとなる。 なのに、ジェインの望んでいる暮らしは、外に出て 誰かのポケットで暮らし、冒険することだから、満足することはない。 だから、ジェインは子どもたちに訴え続ける。 いつか、ジェインの願いを聞き分けてくれる子が あらわれることを信じて。
人形たちはもちろん話すことはできません。 できるのは、ただねがうことだけです。 ある人たちだけがそのねがいをかんじとるのです。 (/本文より)
ジェインはそんな子と出会えるだろうか? もちろん、出会えるのだ。 ジェインを必要としていた子が、ジェインとともに 成長すべき勇気の種をもって、あらわれる。 ジェインの冒険の始まりである。 (マーズ)
『元気なポケット人形』 著者:ルーマー・ゴッデン/ 絵:アドリエンヌ・アダムス / 訳:猪熊葉子 / 出版社:岩波書店(絶版)
『まちから まちへ ふえがいく あとから ぴょんぴょん ねずみたち』 (/本文より)
詩人の村野四郎と、画家鈴木義治のコンビで、かの物語を 上演すると、どうなるか。 1979年に出たこの絵本はとっくに絶版になったらしく、 版元の岩崎書店のサイトで検索しても、 何の手がかりも残されていない。 また残念なことである。
とても大切に思っている絵本なだけに。
鈴木義治でなければ描けない独特のヨーロッパと、 詩人ロバート・ブラウニングの長篇児童詩の世界が 村野四郎の弾力ある訳によって、立ち上がる。
鈴木義治は、ネズミを描くのが上手い。 そしてもちろん、 笛吹き、パイド・パイパーを描くのも。 蒼い顔、黄色と赤のだんだらマントをひきずった 背の高い魔人は、 だまされた仕返しに、子どもたちを笛で誘う。 コッペルベルクの山深く分け入って、 ひとり残らず、不思議な穴に消えてゆく。
でも、ああ、ひとりだけ、残った子がいた。 足の悪い男の子。 昔から、ハーメルンの笛吹きの絵本を読むたび、 この子の気持ちを思ってため息をついたものだ。 助かった親は安堵したろうけれど、 もう、この男の子には友だちもいないし、 親だって、この町には住めなくなるだろう。 足が悪かったばかりに、皆と一緒に行けなかった、と 泣いた男の子は、それからどうなったのだろう? その子の一生は、この事件の影にかくれてしまったのでは ないだろうか?
ただ、その子がいなければ、笛吹きの誘った きれいな場所がどんなだったのか、街の大人には誰も わからずじまいだったのだけれど。 (マーズ)
『ハーメルンのふえふき男』 著者:ロバート・ブラウニング / 絵:鈴木義治 / 訳:村野四郎 / 出版社:岩崎書店(絶版)
2002年05月09日(木) ☆リンダ・ハワード・リーディング(その3)
英国ナンセンス界の名手が贈る、20の玉手箱。
たいてい、小さな女の子や男の子が主人公になっているのは、 作者がこれらの短いお話を、子どもたちにせがまれて 即興でつくりあげたからだという。
そういえば、子どもたちは、なんて好きなのだろう。 変身してしまったり、お化けに食べられたり、 怖いものに追いかけられたりするのが。
あるものは昔話のようだったり、 ファンタジーのようだったり、 児童文学のようだったり。 どんな問題がおきようとも、ひらりと身をかわせる 変幻自在のストーリー。
表題作の「クモの宮殿」のように、 オチはあるのだけれど、誰もおどろかず、『それがどうしたの?』 と終わってしまうナンセンスもある。
ことば遊びのナンセンスは基本中の基本。 「くじらで暮らして」では、ホエールのお腹に住む暮らしと、 ウェールズでの暮らしが、 みごとに引っかけられている。
アリスのように、あらゆるものが、大きくなったり小さくなったり というのも、この世界ではあたりまえ。 良い子が必ず幸せになるとも限らない。 そもそも、これらのナンセンスに近づくと、 幸せとか不幸せとか、線引きが不要になってくる。
これらの物語は、めくばせして、子どもならざる身の 私たち大人にも、教えてくれる。 私たちの目の前につぎつぎと湧き起こる諸々の 問題は、変化へのきっかけにすぎないのだと。
そして私たちのなかの子どもは、問いかける。 「ねえねえ、それから?それからどうなったの」 (マーズ)
『クモの宮殿』 著者:リチャード・ヒューズ / 訳:八木田宜子・鈴木昌子 / 出版社:ハヤカワ文庫FT(入手は古書店で)
2002年05月08日(水) ☆リンダ・ハワード・リーディング(その2)
2001年05月08日(火) 『十二国記』
細かくて、でもどこか大胆で、体温を感じる絵がいとおしい、 バートンの大型絵本。 こまごまと描かれた世界は、大人をも魅了する。 『ちいさいおうち』や『ちいさいケーブルカーのメーベル』 でもおなじみのあのタッチで、地球の誕生から現在、 つまり、今年の5月6日の明け方までを描くと、どうなるのだろうか!? (って、今日のことじゃない!と、数日前からこの絵本を今日の本に しようと狙っていた。偶然といえばできすぎでは?) ああ、でもやっぱり、あのタッチで、すべてが 語られ、観客は、魅せられてゆくのだ。
幼い頃バレエと絵が同じほど大好きだったという バートンらしく、『地球上にせいめいがうまれたときから いままでのおはなし』(この本の副題)は、 見開きの片側が、劇場の舞台上演を模して展開されている。 とおいとおい過去から、順を追って、この瞬間まで。
何度聞いても順を忘れてしまうけれど、 カンブリアやら三畳紀やらデボン紀やら、ジュラ紀やら。 やがて恐竜があらわれて消え、 人間の影が舞台にちらほら見え始めて。
ただ地球史であるだけではない。 最後の一幕八場は、作者の住むアメリカの田舎の歴史や生活を ていねいに描く。そうしてだんだん時間のスピードが ゆっくりになっていって…とうとう、時間はふんわりと 停止するかのように、たゆたいながら語りかける。 ほかでもない、あなたに。
子ども時代の私の世界には、バートンの絵本はなかった。 ずっと大人になってから知ったこの世界を、 子どもの私ならどう感じるのだろう、と想像する。 いろいろなことを学校で学ぶ以前に、この絵本に出会っていたら。 かつて、ぼんやりとなりたいと思っていたにすぎない 考古学者への道を、まっしぐらに進んだかもしれない、と。 (マーズ)
『せいめいのれきし』 著者・絵:バージニア・リー・バートン / 訳:石井桃子 / 出版社:岩波書店
アルドは、だれにもいえない秘密。 うさぎの姿をしたアルド、背丈はわたしとおなじくらい。 たぶん、年もおなじくらい。 わたしだけに見える、マフラーをした灰色うさぎ。 ことばがなくても、わかりあえる。 そんなアルドがいるから、ひとりでもやっていける。
アルドがそばにいてくれることは、 わたしが特別、運がいいってこと。 にんげんのともだちなんかいなくても いつもひとりでいても、だいじょうぶ。
10年くらい前、この絵本をみたときは、 雲におおわれた陰鬱な空を想わされて、苦手に感じた。 特に、わたしとアルドが一緒に遊んでいる場面が 苦しくて。
うさぎのアルドは、絵本作家として知られる武井武雄の、 子ども時代のともだち「ミト」によく似ている。 ミトはうさぎではないけれど、アルドだってほんとうは うさぎじゃないのだから。
今、この絵本を見ているわたしは、かつてのわたしよりも 時間に対して寛大になったかのようだ。 アルドといっしょになんとか自分らしさを保っている「わたし」、 どこにでもいる平凡なひとりの少女の未来に、 以前には感じなかった明るさを想えるようになった。
みんながみんな、見えないアルドのはなしを聞いて 笑うとはかぎらないから。 (マーズ)
『アルド・わたしだけのひみつのともだち』 著者:ジョン・バーニンガム / 訳:谷川俊太郎 / 出版社:ほるぷ出版
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管理者:お天気猫や
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