2007年03月26日(月)  マタニティオレンジ100 1%のブルー

書きたいことが尽きないものだと我ながら感心してしまうけれど、マタニティオレンジの記念すべき100回目は、タイトルに反してマタニティブルーのことを書こうと思う。「本当に楽しいことばかりなんですか?」と何人かに質問をもらった。実際、本当に楽しんでいるけれど、妊娠してからずっと笑っていたわけではない。妊娠・出産・育児をしなければ味わわずに済んだ怒りや悔しさや悲しさはある。妊娠を知ってから400日余りの間に4日ぐらいは落ち込んでいた。99%はユカイだったけど1%はフカイだったというわけで、100話目にブルーの話。

はじめての出産だったけれど、マタニティビクスと助産院という心強い味方を得て、不安は最小限に抑えられた。けれど、妊娠中の二度の出血にはドッキリ、ヒヤリ。出血といっても点のような小さなものだったけれど、妊娠がわかって間もなくの一度目は血相を変えて近所のレディースクリニックに駆け込んだ。ちゃんと心音は聞こえているし、大丈夫でしょう、と言われてようやく動悸が静まったけれど、自分の狼狽ぶりを見て、もうおなかの命と一体感ができているんだなあと実感した出来事だった。二度目は妊娠後期で、前夜に長い打ち合わせをしたことが原因だと思われた。5時間も座りっぱなしでは、子宮だってエコノミークラス症候群になりかねない。このときは助産院に電話すると、「一日様子を見てから来たら?」と助産師さん。落ち着いた口調から「それほど心配しなくていいよ」のニュアンスを聞き取って安心したが、このときは「ここまで大きくなって、もしものことがあったら……」と焦った。二度とも出血はすぐにおさまったし、わたしのように問題ないケースが大半らしいが、中には危険な場合もあるという。いずれにせよ、二度の出血は、おなかの中からのSOSだったのだろう。一度目は、「おなかはまだ目立ってないけど、ここにいるんだから、いたわってね」というサイン。二度目は「仕事より大事なものが、ここにいるよ」というサイン。そう受け止めて、生活や仕事のペースを見直したことが、結果的には「出血しても問題なし」になったのではないかと思う。

泣いたことは二度あった。一度目は、妊娠6か月のゴールデンウィーク。大阪から遊びに来たダンナ弟一家とともにダンナの実家で食事をしたとき、「もうお子さんの名前は考えているんですか」とダンナ弟妻のノリちゃんに聞かれた。「うん」とわたしは元気よく答え、「男だったら優人(まさと)、女だったら舞子(まいこ)」と続けた。すると、「あらあら、楽しみがなくなっちゃったわね」とダンナ母。しまった、と思ったけれど、遅かった。その帰り道、「考えているかどうかだけ答えればよかったのに、なんで名前までばらすんだよ」とダンナになじられた。その言い方がきつくて、歩きながら、わたしはボロボロ泣いた。「ケチつけないでよ。人が機嫌よく妊娠してるのに」と言いながら泣いた。泣くほどのことじゃないと思いながらも、泣いてしまうと気分がすっきりと軽くなった。涙にはデトックス効果があるというのは本当だ。泣かせるつもりはなかったダンナはオロオロして、気の毒だった。「もういいよ。ケチついた名前は使わない。優人も舞子も使わない」と言うわたしを、「名前にケチつけたわけじゃないよ」とダンナはなだめた。この事件のせいじゃないけど、結局、違う名前になった。

二度目に泣いたのは、出産後。助産院から退院して自宅に戻った日だった。8月21日の夕方に破水して、あたふたと飛び出したきり。一週間も家を空けたのは『子ぎつねヘレン』のロケ以来。ひさしぶりのわが家でのんびりしたい、というのが本音だったけれど、命名式というものを急遽うちでやることになっていた。大阪から泊まりで手伝いに来ていたわたしの母に加えてダンナの両親と妹がやってきて、ダンナ母が用意した赤飯やサラダをテーブルに並べていった。汁物だけはうちで作ることになったのだが、ダンナ母は「あなたは寝てなさい」と言ったかと思うと、「どこに何があるか、さっぱりわかんない」と言い出す。いつも以上にはりきっていて、いつも以上にはっきりものを言うのが、産後で体も頭もぼーっとしているわたしには重かった。明らかにやり方の違う二人の母が台所に並んで、ぎくしゃくと息の合わない共同作業で汁物をこしらえる光景も、見ていていたたまれなかった。なんで、こんなことになってるんだろう。なんで、自分の家なのに落ち着かないんだろう……そんなことを考えていると、だらしなく膨らんだ子宮に悪いガスが溜まっていくみたいだった。

それでも食事は和やかに進み、ダンナ妹が達筆で色紙にしたためた名前は拍手で迎えられ、いい時間だった。さっきイライラしちゃったのは、疲れていたせいだったんだなと思った。いったん静まった感情の波が再び荒れたのは、トイレに入って、窓辺に並べたインク瓶のアイビーがそっくり消えていることに気づいたとき。母を問い詰めると、「枯れてたから捨てた」と言う。一週間の間にインク瓶の水は干上がり、アイビーの根は乾いてしまったようだ。それなら仕方ない。けれど、母が捨てたものは他にもあった。花瓶カバーに使っていたアメリカ土産の花柄の紙袋が、ビニール袋に突っ込まれているのを見つけて、「なんてことするん!」とわたしは噛み付いた。「埃まみれでボロボロやん」と母は言ったけれど、わたしには大切な小物だった。そのビニール袋には、他にも一見ガラクタだけれどわたしには意味のあるものが一緒くたにされていた。「勝手なことせんといて!」怒りが爆発した。

だが、実際には、母は捨てたのではなく、どけておいたのだった。ダンナ両親の目につかぬように。娘の暮らす部屋が少しでも見映えが善くなるようにと、早めに着いたダンナ妹とともに精一杯のことをしてくれたのだ。「あのままを見せるわけにはいかへんやろ」。ダンナ両親とダンナ妹が帰った後で、母はため息をつきながらそのことを話した。ごめんね、と謝るべきなのだろう。ありがとう、と感謝するべきなのだろう。でも、「余計なこと、せんといてくれたらよかったのに!」と憎まれ口しか出てこない。頭に血がのぼって、あっちこっちへ飛び出した感情のこんがらがってしまった。トイレにこもって、わあわあ泣いた。本当はこんな言い争いなんかしたくなかった。子どもを産んで、一週間足らずの育児で、母親の幸せと大変さを知った。自分やダンナもこんな風に生まれて育ってきたんだなと思い、自分の母親にもダンナの母親にも今まで以上に感謝と尊敬の気持ちを抱いた。なのに、なんで、二人の母に苛立ち、娘のためにやってくれたことに文句を言ってしまうのだろう。無性に悲しくて、やりきれなかった。泣きじゃくるわたしの声はドアの外にも聞こえていたはずだけど、母は何も言わなかった。ダンナはわたしの頭をぽんぽんとたたいて、「みんながんばってるよね」とだけ言った。わたしだけの肩を持つのではなく、みんなを持ち上げる。とんちんかんな慰め方だ、とそのときは物足りなく感じたけれど、みんな良かれと思ってやっているのにうまくいかない、なんでだろね、というもどかしさをわかって分かち合ってくれていたのだと思う。

ひとしきり泣いて、またもやすっきりして、あっと気がついた。8月22日の出産当日を出産0日目とカウントするから、今日は出産5日目。産後の憂鬱を表すマタニティブルーは5日目でピークを迎えるという。いつもだったら口ごたえひとつで済むようなことに目くじらを立て、泣き喚いてしまった原因は、これだったのかもしれない。精神的にいちばん不安定なタイミングに、神経をすり減らす出来事が重なってしまったのだ。思えば、高校を出て以来、母を離れた年月が母と暮らした年月を上回ってしまっていた。そんな母娘がいきなり息ぴったりで一緒に暮らせるはけがない。母が大阪へ戻るまでの一週間をかけて、母が手を差し伸べたいこととわたしが頼みたいことの折り合いがようやくついた。

娘を授かって良かったなと思うのは、母の気持ちに少し近づけたことだ。母は娘が何才になっても大人になっても母になっても、娘を必死で守り支えようとする。突っぱねられても、感謝の代わりに文句を言われても、どこまでも母であろうとする。そういうせつない生き物なのだということを知れたことはよかった。母との関係で泣くことはもうないのではと思うけれど、娘との関係で泣かされることはあるだろう。そのときもっと母の気持ちに近づけると思う。

2006年03月26日(日)  ヘレンウォッチャー【都電荒川線編】
2005年03月26日(土)  映画『いぬのえいが』→舞台『お父さんの恋』
2003年03月26日(水)  中国千二百公里的旅 移動編
2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)


2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル

3日遅れで、8月22日生まれの娘のたまの7か月を祝う。6か月からの一か月は、いったん横ばいになったかに見えた成長曲線が、再び上向いたように感じられるほど、「いつの間に、こんなことが!」の発見に満ちていた。おすわりが決まり、だっこされてのタッチも安定するようになると、自由になった両手がいたずらへ向かう。コンセント、コートのフードの紐、カーテン、お風呂の水栓……ぶら下がっているものは何でも引っ張る。ときどき力の掛け方と方向がうまく合うと水栓は抜けるけれど、どうすればそうなるかはまだ学習できていない。器に盛ったいちごの山に手を突っ込んでいたのが、その中から一粒をつまみ上げようとするようになった(まだうまくはつかめない。UFOキャッチャーのようなもどかしさがある)。

ズリバイで興味の対象へ突進し、手当たり次第つかんでは口に入れる。倒れると危ないので横向きに置いた全身鏡に映った自分も舐める(ナルシスト?)。ベビーラックの車輪を手で回したり、椅子に掛けたジャケットの袖を引っ張ったり、上体をそらせて両手でキャッチしたドアを押したり引いたり。好奇心いっぱいの目をキョロキョロさせて、床上20センチの世界で次々と遊びを見つける。鏡なんか舐めて不衛生ではないか、ドアの角で顔を傷つけないか、と気を揉みながらも、変な味や痛みを覚えることも必要かもしれないと思って見守っている。たま語は「ごえごえ」「んげー」を経て、最近はバとパを連発する。「バアバアバア」「パアパアパア」。ばあばと言ったわ、パパと呼んでるぞ、とダンナ母とダンナは喜んでいるが、わたしとじいじは面白くない。

12分の7才誕生会のマンスリーゲストは、「ハウス」と愛称で呼んでいた京都国際学生の家ゆかりの友人たち。日本人と留学生が暮らすこの寮は、わたしが大学一年生のときに下宿していた家のすぐ近くにあり、ちょくちょく遊びに行っていた。そのおかげで、日本の大学に通いながら留学生活のような刺激を味わえた。ダンスパーティでノリノリになって踊るわたしに、当時流行っていたMCハマーにちなんで「Missハマー」とあだ名をつけたのは、ブラジルからの留学生のリカルド。彼はブラジルの名士の御曹司らしく、「ブラジルのボクの部屋は、ハウスより大きい。ボクのハウスの部屋は、犬小屋のサイズ」と言っていた。シンガポールとマレーシアを旅行したときは、里帰り中の寮生の実家に泊めてもらった。大阪でインド人一家を隣人に育ち、高校時代にアメリカ留学をしたわたしは、ハウスに出会って、It's a small worldという思いをますます強くした。ここの住人であったダンナとは、ハウスのパーティで知り合ったので、ハウス関係者は夫婦共通の友人ということになる。


誕生日ケーキを用意してくれたテスン君は、ハウスに住んでいたチョン・テファさんの弟さん。奇しくも今日がご自身の誕生日だということで、自分用のメッセージプレートまで用意していた。手焼きクッキーのメッセージプレートにもセンスが光るケーキは、創作菓房アランチャのもの。一月にわが家に集まったときに持ってきてくれたケーキとマシュマロの完成度にも驚いたけれど、今回のホールケーキもキャラメルとナッツの香ばしさがアクセントになっていて、舌が恍惚となるおいしさだった。

食事をしながら思い出したのだけど、ハウスのイベントに、寮生たちが自国の料理を作ってふるまいあうコモンミールというものがあった。宗教上の理由で牛がダメ豚がダメという人たちも一緒においしさを分かち合う。その味の向こうにある国に思いを馳せる。食事は人と人の距離も近づけるけれど、国と国の距離を近づけると思った。ハウスのような面白い場所に出会えるかどうかはわからないけれど、たま(今回のメッセージプレートで明らかになったけれど、本名は珠江という)にもいろんな国の人と食事や会話を楽しめる機会を持って欲しい。そして、スパイスが混じりあって料理の味に深みをもたらすように、肌の色や言葉や国籍の違う人との交流が人生をより味わい深くしてれることを知って欲しいと願う。

2006年03月25日(土)  丸善おはなし会→就職課取材→シナリオ講座修了式
2005年03月25日(金)  傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』
2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?


2007年03月24日(土)  マタニティオレンジ98 たまごグッズコレクション

男か女か産んでみてのお楽しみにしていたから、たまごにちなんで「たま」と呼んでいたのが、産んだときにはすっかり「たまちゃん」が定着。用意していた名前を変更して、たまで始まる名前をつけることになった。だから、たまの名前の由来は、たまご。ご近所仲間のT氏とM嬢が「たまちゃんプリン」とたまご型のカップに入ったプリンを持って来てくれたときに、わたしがハートグッズを集めるように、たまはたまごグッズを集めたら楽しいなと思ったのだが、たまご製品は世の中にあふれていても、たまごグッズとなると、なかなかない。そう思っていたら、思わぬところで、たまごグッズの金脈を掘り当てた。先日『はらぺこあむし』のエリック・カールのフェアではじめて足を踏み入れた教文館のショップの一角にイースターコーナーがあり、色も形もかわいらしいたまごグッズが顔を揃えていた。そうか、イースターがあったか、毎年この季節がめぐってきたら、たまごグッズコレクションをふやしていけばいいのか、とうれしくなる。イースターは三月下旬と思い込んでいたが、毎年時期が変わるらしく、今年は4月8日とのこと。

買い求めたのは、イースターエッグ(3つで189円!)、イースターエッグ柄の紙ナプキン、たまご型の木製パズル2種類。パズルはワークスみぎわという通所授産施設の木工品。ホームページによると、この施設では「知的障害を持つ人たちが、木工品の製作や紙すきの作業を通じて自分の隠れた能力を見つけ、働くよろこび、社会に役立つよろこびを学び、自立するための力をたくわえようと努力を続けて」いるという。手作りのあたたみとセンスの良さが感じられ、とても気に入った。今は何でも口に入れてしまうから危険だけれど、このパズルで遊べる日が楽しみ。

2006年9月10日 マタニティオレンジ5 卵から産まれた名前

2002年03月24日(日)  不動産やさんとご近所めぐり


2007年03月23日(金)  マタニティオレンジ97 板橋ツアー

ご近所仲間で1才7か月のマユタンのママのK子ちゃんから「天気がいいから公園に行かない?」のお誘い。車を出してもらい、板橋にある城北中央公園へ。わが家には車がないので、車で遠出をするのは新鮮。タクシーとバスにはよく乗るけれど、人の家の車には乗り慣れないたまは、遠足気分でごきげん。

公園には売店があり、坦坦麺、カレー、五目おにぎりなど、なかなか多彩なメニュー。わたしはチヂミとアメリカンドッグ、K子ちゃんは焼きそばとおにぎりを注文。大きな木の下にあるテーブルで食べていたら、いきなり、ビチャッと落ちてきたのは、鳥の糞。見上げると、頭上の枝にはハトが三羽。ハトのおトイレの真下で食事を広げていたわけで、あわてて原っぱへ移動。あちこちでレジャーシートを広げた親子連れがピクニックを楽しんでいる。花が咲いているわけでもなく、ただ広い芝生があるだけなのだけど、とてものどかで平和で気持ちのいいところ。

周囲を取り囲んだ土のジョギングコースでは子どもたちがキックボードや三輪車を走らせるのにまじって、シャドーボクシングしながら走るおじさんや散歩する老夫婦がいる。よちよち歩きの子どもたちの姿も目立つ。足の裏痛くないのかなと心配になるけど、裸足でうれしそうに歩いている男の子や、お兄ちゃんを追いかける女の子。最近は走り方も板についてきたマユタンもパタパタと駆けている。みんな、自分の好きな場所へ自分で進めることが楽しくて仕方ない様子。それにしても、子どもはよく転ぶ。足元が覚束ない上に頭が重いせいなのか、見ているこちらはハラハラするけれど、子どもたちは、泣く子も泣かない子も、ちゃんと立ち上がってまた歩き出す。その光景を見ているだけで、じいんとなる。たまの半年後や一年後にも思いを馳せてしまう。肝心のたまは、春の陽射しがあまりに気持ちいいのか、公園にいる間ずっとベビーカーで眠っていた。

板橋はK子ちゃんが生まれ育った地元。K子ちゃんいわく「価格破壊の町」らしく、「赤ちゃん用の靴下が一足20円」で叩き売られていたりすると言う。「たまちゃんが保育園でいるものあったら、買って行けば?」と言われ、「のとや」という激安衣料店へ。食事用エプロンが198円。安居。100円のよだれかけに手が伸びたら、犬用だった。のとやの数軒先の中華屋の店先では蒸したての豚まんや中華惣菜が並んでいる。豚まんはひとつ85円、惣菜盛り合わせは400円。

帰り道にメゾンモンマルトルというパティスリーに立ち寄る。ケーキ、パン、チョコレート、焼き菓子……目移りしそうなお菓子たちの誘惑合戦。自宅用のクッキーを数種類と、午後のお茶用のシュークリームを買い求める。「激安店だけじゃなくて、オシャレなお店だってあるのよ」とK子ちゃん。車だと30分ぐらいの距離なのだけど、なかなか行く機会がなかった板橋。地元っ子のK子ちゃんの案内で、ちょっとした小旅行気分を楽しめた。

2006年03月23日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編2】
2005年03月23日(水)  高校生がつくるフリーペーパーanmitsu
2004年03月23日(火)  ENBUゼミ短編映画『オセロ』
2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』


2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転

先週、世間を騒がせた胴体着陸。うちのたまの得意芸でもある。おなかを床につけ、両手を床と平行に広げて、飛行機ぶ〜ん。これをやっているときは、実に得意げな顔をしている。ところが厄介なのは、この飛行機、翼が前輪にもなり、突如駆動を始める。おなかは床につけたまま、足の押し出しと腕の引き上げを組み合わせて、じりじり、ずるずると、全身を引きずる。いわゆる「ズリバイ」。よほどの重労働と見えて、一回ずりっと移動しては休憩し、くたばっているのだが、獲物を見つけると、すごい勢いで瞬間移動する。とかげみたいだ。好きなものほど、遠くにあっても執念深く追いかける。一回ズリバイして手に届かなければ諦めることを「1ズリバイ」と単位づけるなら、ビニールが2ズリバイ、本・新聞が3ズリバイ、いちばん好きな携帯電話は4ズリバイといった具合。先日、異様な関心を見せたヴィックスヴェポラップのチューブも携帯に並ぶ。5ズリバイ以上すると、わが家では壁にぶち当たる。

おなかを中心にした回転技も加え、360度どこへでも自在に移動するので、目が離せない。ベッドの真ん中でおすわりして機嫌よく遊んでいたので安心していたら、突然、不穏な気配がして、見ると、いつの間にかハイハイでベッドの端まで進んだたまが、勢い余って次に伸ばした手が空を切り、40センチ下の床へ頭から転落する瞬間だった。あっと思って駆けつけたわたしの目の前で、たまは頭が床を打つより先に両手をついた。それでも手では支えきれずにおでこが床にめりこみ、反動でベッドから離れた足が、ベッドの正面に立つわたしのほうに倒れてきた。わずか半秒ほどの出来事だったと思うけれど、緊急事態には脳はめいっぱい仕事をして、ストロボ写真状態になる。器械体操部出身のわたしのDNAのなせるわざか、0歳児にしてハンドスプリング(前方回転)が決まった、などと感心する余裕はなく、倒立の格好になったたまを夢中でキャッチし、抱き上げた。咄嗟に両手が出たからよかったものの、首で体重を受け止めていたらと思うと、ぞっとする。生後7か月の記念日に悪夢を刻むところだった。

朝起きたら子どもがベッドから落ちてて慌てて医者へ行ったという先輩ママいわく、「赤ちゃんは、落ちても身を守れるようにできている」そうで、ベッドから落ちたという話はよくあるけれど、落ちて大事に至った話はあまりないのだという。それでも本当に焦った。赤ちゃんの動きはボンバル機以上に予測不可能と肝に銘じて、目を配らなくては。

2002年03月22日(金)  遺志


2007年03月21日(水)  MCR LABO #2「無情」@下北沢駅前劇場

2月に観た第一弾がとても面白かったMCR LABOの第二弾「無情」を観る。鑑賞の友は前回と同じくわたしのシナリオご意見番のアサミちゃん。観終わった後で、「いやあ、進化してたねえ」と二人でしみじみ。第一弾は帰り道に「面白かったね〜」を壊れたレコードのように繰り返したけれど、数日経つと、面白かった印象だけが残って内容はあまり思い出せなくなった。でも、今回は、たぶん一週間経っても余韻が消えないだろう。

前回は男性ばかりだったのに対し、今回は女性が登場し、しかも主人公だったことで、より感情移入しやすくなったせいもあると思う。「体が足先から麻痺していく難病に冒された妻と見守る夫の物語」をA面とすると、B面では「一人暮らしの盲目の女性の部屋に出入りする人々の物語」が展開され、交互にABABとミルフィーユされていくうちに、まったく別の物語の顔をしていたAとBが溶け合い、最後にはひとつになる。A面の妻は麻痺が進んでやがて会話もできなくなるが思考は停止しない。B面の女性の元には善人の顔をして彼女を利用しようと近づいてくる人が後を絶たない。どちらの主人公を取り巻く人々の行動にも、人間のいやな部分をにじませつつ、「自分にもそういうところはあるよな」と思わせるリアリティがある。悪人キャラは憎みきれない存在に描かれているし、思い詰めた設定でありながら随所に笑いがちりばめられている。その匙加減の絶妙さに感心。軽い調子の中に込められた本音がグサッと突き刺さる。作・演出のドリルさん、台詞も間の取り方も本当にうまい。5月の第3弾「審判」、7月の第4弾「愛情」も今から楽しみ。

MCR LABO #1「無情」
作・演出:ドリル
プロデューサー:赤沼かがみ
「青春の切り落とし」

「お前を10分で落とす方法」

「彼女は機械になりたい」

「絶望列車希望号」

「俺は機械になれない」
×
櫻井智也(MCR)
黒岩三佳(あひるなんちゃら)
前田剛(BQMAP)
諌山幸治
ますもとたくや
(スペクタクルガーデン)
異儀田夏葉
住田圭子
石沢美和(SQUASH)
上田楓子(MCR)
福井喜朗(MCR)
渡辺裕樹(MCR)
小野紀亮(MCR)
伊達香苗(MCR)

2007年2月12日 MCR LABO #1「運命」@shinjukumura LIVE

2005年03月21日(月)  弘前劇場+ROGO『FRAGMENT F.+2』
2004年03月21日(日)  アドフェスト4日目
2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画


2007年03月20日(火)  マタニティオレンジ95 満を持して『はらぺこあおむし』

『はらぺこあおむし』の絵本はぜひ買いたいと思っていた。世界的ベストセラーになっている絵本だが、わたし自身は読んだ記憶はない。けれど、子育てをしている友人の家に行くと、必ずといっていいほど、インパクトのあるあおむしの表紙の絵本があり、「子どもが大好き」「わたしも気に入っている」と皆がほめちぎるのだった。今日、東銀座で打ち合わせして、九州から出張で上京している友人ごんた君と歌舞伎座の裏にあるカフェでお茶をして、そのまま日比谷まで歩いていたら、あおむしのポスターがわたしを呼んでいた。見上げると、そこは教文館のビルで、ちょうど作者のエリック・カールのフェアをやっているのだった(4月8日まで)。

6階でリトグラフ展『どうぶつのおやこ』を見た後、9階の『エリック・カールの世界』へ。数々の仕掛け絵本の展示、独特の色づかいが生まれる工程の紹介、記念撮影コーナーなど、入場無料ながら充実した内容。各国語に翻訳された『はらぺこあおむし』の表紙がずらりと並んだのを見て、英語題は『The Very Hungry Caterpillar』だと知る。これを『とてもおなかをすかせたいもむし』と訳していたら、日本での人気は半減していたかもしれない。

世界中で愛されている絵本『はらぺこあおむし』の誕生に、映画『子ぎつねヘレン』の原作『子ぎつねヘレンふのこしたもの』を出版している偕成社が関わっていたと知る。面白い仕掛けゆえに形にするのに難航していた60年代後半、印刷製本技術を開発してくれる先を見つけたのが、当時社長だった今村廣氏とのこと。それゆえエリック・カール氏も日本に愛着を感じ、たびたび来日されているという。

『はらぺこあおむし』以外の作品も、とにかく楽しい。色も言葉もはずんでいる。作者自ら面白がって作っているのが伝わってくる。「私の絵本は私の中の子供に向けたことばなのです」という言葉に納得。伸びやかな作風の背景には、子ども時代に絵を褒めてくれた恩師の存在があるという。褒められるのがうれしくて夢中で描いているうち大人になったような人なのだろうか。作品にはまた作者の子どもたちへのあたたかなまなざしがあふれている。家庭という守られた場から学校という社会へ踏み出す子どもたちの不安に思いをはせ、「私は私の本をこの深い淵にかける橋にしたい」とも語っている。作者の年表を見ると、52年にレオ・レオーニの紹介でニューヨークタイムズのグラフィックデザイナーになった後、広告会社のアートディレクターを経て独立したという。『スイミー』の作者(教科書ではレオレオニとなっていた記憶がある)との接点も知れて、なんだかうれしい。

物販コーナーには、迷うほどいろんな形の『はらぺこあおむし』が勢ぞろい。自分で色を塗って完成させる塗り絵版、英語の勉強にもなる二か国語版、葉書の半分ぐらいのミニ版があるかと思えば、紙芝居のような大型本も。小型ながら厚手のボール紙製でめくりやすそうなボードブックを購入することに。あおむしが曜日ごとに食べる量をふやしていく仕掛け部分も、この厚さなら、何度めくっても持ちこたえられそう。早速、生後210日目の娘のたまに読み聞かせてみた。内容はまだわからないだろうけれど、色がにぎやかなので、じっとページに見入っていた。

2004年03月20日(土)  アドフェスト3日目
2002年03月20日(水)  はなおとめの会


2007年03月19日(月)  大木達哉さんを励ます会

映画『天使の卵』をプロデュースした大木達哉さんが電通キャスティングを退職。次なるステップへの門出を祝福、激励しようと「励ます会」が開かれた。発起人の顔ぶれも会場のセルリアンタワーも気後れするぐらい豪華で、単身乗り込んだわたしは、一体どこに身を置きましょう、と小さな体をさらに縮こませるばかり。でも、『天使の卵』でご一緒した懐かしい人たちも見えていて、挨拶することができた。

乾杯の発声は三浦友和さん。21才で出演したグリコのプリッツのCMの担当者が、当時電通のクリエイティブにいた大木さん。プリッツのCMの上がりを見て、映画『伊豆の踊り子』のオファーが来て、百恵さんと出会ったのだから、大木さんとの初仕事がキューピッドとも言える。「今でもお菓子はグリコ、スーツは青山」ユーモラスな語り口があたたかな笑いを誘う。義理堅い三浦さん、大木さんとの縁も大切にされてきたよう。『天使の卵』には歩太の母の恋人役で出演されている。「励ます会っていうからどれだけしおれているかと思ったら……」と大木さんの元気をたたえ、前途を力強く祝して、いい乾杯だった。

大木さんは一見こわそうなのだけれど、実はとてもやさしい人で、そのギャップのせいなのか、ことのほかやさしい人という印象が強く残る。「やさしい」を「思いやりのある」「気配りのある」と言い換えたほうがいいかもしれない。とても忙しい人のはずだが、自分にできることを惜しまない。謙虚で一途で一生懸命で、いつの間にか、この人に「お願いしますよ」と言われたら断れなくなっている。普通は仕事で何度も顔を合わせていると、だんだん本音を出し合うようになってイヤな部分も見えてしまうものだけど、第一印象からどんどん印象がよくなる人も珍しい。そんな愛すべき大木さんを盛り立てる人たちの熱気に、わたしも励まされた。

2004年03月19日(金)  アドフェスト2日目
2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画


2007年03月18日(日)  DVD6作品目の『天使の卵』

自分の関わった作品がスクリーンで上映されたり、テレビで放送されたりするのはとてもうれしい。それがDVDになって手元に届くのもとてもうれしい。どちらがうれしいか甲乙つけがたいけれど、DVDはてのひらに乗るところがいい。軽さに拍子抜けするぐらいの体重をてのひらに受け止めながら、懐かしさといとおしさがこみあげてくる。手塩にかけて育てたわが子が長旅を終え、自分のところに帰ってきてくれた、そんな感じ。ひとまわり大きく成長、ではなく、ずいぶん小さく変身しているのであるが。

3月28日発売の『天使の卵』のDVDが今日届く。はじめて作品がDVDになった『パコダテ人』から数えて5本目の映画、ドラマ『快感職人』を加えると6作品目のDVD。いくつ作品を重ねても、DVDになった作品に再会し、手に取る瞬間はとてもドキドキする。初恋が続いているような、この気持ちを持ち続けていたいと思う。

届いたDVDを自宅で再生するときも、ひさしぶりに同級生に再会したときのような懐かしさと照れくささがある。『天使の卵』はおなかが大きいときに試写を観たのが最後なので、出産を経た今、前とはどう受け止め方が変化しているのか興味深い。初回凄惨限定のコレクターズ・エディションには通常版の本編DISCに加えて、特典映像DISCと封入特典がついてくる。DVD特典は、わたしにとってもオマケ。今回もはじめて目にする内容が多いので、これからじっくり楽しむつもり。

『天使の卵』コレクターズ・エディション 2枚組
(本編DISC114分+特典DISC64分】)

特典映像
●タマゴノアトサキ<メイキング>53分
 市原隼人、小西真奈美、沢尻エリカ、村山由佳、冨樫森監督インタビュー ほか
●イベント映像集<村山由佳 冨樫森監督>7分
 完成報告記者会見、プレミア試写会、初日舞台挨拶
●特報・予告編・テレビスポット
封入特典
●特製ブックレット"歩太のスケッチブック"32P
 市原隼人、小西真奈美、沢尻エリカ、村山由佳 サイン入りコメントつき
 劇中使用のデッサン、フォトで構成したビジュアル・ブックレット
●オリジナルポストカード3枚組

2006年03月18日(土)  ヘレンウオッチャー【公開初日編】
2005年03月18日(金)  あなたのペンが「愛・地球博」にそびえます。
2004年03月18日(木)  アドフェスト1日目
2002年03月18日(月)  『風の絨毯』高山ロケ3日目 高山観光


2007年03月17日(土)  『散歩の達人』大塚 駒込 巣鴨

めったに雑誌を買わないわたしがときどき買って愛蔵版にしているのが、『散歩の達人』。よく行く町が特集されている号を読むと、「知っている店や場所が紹介されているうれしさ」と「おなじみの町の穴場を知る驚き」を味わえて、二倍楽しめる。ひさしぶりに近所の本屋に行くと、散歩コースの大塚・駒込・巣鴨が取り上げられた2007年1月号を発見。発売から2か月経っても、地元なので平積みになっている。

紹介されているお店にはすぐさま行きたくなってしまうが、今は「子連れで行けるかどうか」が大きなポイント。大塚にある「ダッチオーブン&アウトドアクッキング ガウチョ(GAUCHO)」というお店は、アウトドアと名乗るからには大らかに受け入れてくれるのではなかろうか、と勝手に期待する。写真を見る限り、店内も広々した感じ。お店のサイトを見たところ、スイーツも自慢とあり、ますますそそられる。で、スイーツの説明を読むと、「ハーブ料理研究家 松永梨杏(rina)」さんの手作り、とある。どこかで聞いた名前だと思ったら、映画『ジェニファ 涙石の恋』にヘアメイクで参加されていた人。ヘアメイクと料理の両方できて、作品によってメイクを担当したり消えものを担当したりしているという多才な方。直接面識はないのだけど、mixiでつながってメッセージ交換をしている。

そんな偶然もうれしくて、今日はダンナとベビーカーにのっけた娘のたまとともにガウチョへ。ボリューム満点の豪快なアウトドア料理とは違い、ランチはこじんまりしたサイズ。でも、ベビーカーのまま店に入れて(床は土を敷いてある)、こあがりに子どもを転がしておけたので、ゆっくり食事できたのが何より。お楽しみの梨杏さんのデザートは、フルーツケーキとストロベリーのスコーンを注文。ほっとするようなやさしい味で、お店の雰囲気にぴったり。こちらももう少しボリュームがあるとうれしかった。物足りなく感じるのは、おいしくてペロッと平らげてしまった証拠。今度はメニュー豊富な夜に行ってみたい。

大塚から歩いて帰る途中に通りがかる「パティスリー228」が「プリンがおいしい」と紹介されていたので、買って帰り、ご近所仲間のKさん宅さんに寄って一緒に食べる。「散歩の達人で紹介されてた」と話すと、「うちもその号買ったよ」とK夫妻。

今日は大塚界隈を散歩したけれど、わたしがよく行くのは「おばあちゃんの原宿」巣鴨。地蔵通り商店街には健康スポットや健康グッズに店がやたらと多く、店先にババシャツがはためき、歌声喫茶から懐メロが聞こえる。ポップや看板の文字の級数も心なしか大きい気がするが、巣鴨特集号の「商店街ぶらぶら節」と銘打った商店街探索のページには「商品をわかりやすくするためか、説明過剰気味なポップや看板が楽しい」というくだりがある。それで思い出したが、地蔵通り商店街の突き当たり、都電の踏切を渡った少し先に、とても気になる看板がある。すべて手書きのその看板でいちばん大きく書かれているのは「足っぽ」の三文字。足つぼではなく、足っぽ。けれど、「足にできた突起物」などと意地悪な解釈をする人はおらず、常識的な想像力で補って「足つぼ」と正しく理解されている様子で、一向に訂正される気配はない。さらに、「足っぽ」の上には、「WHO推奨」と堂々とうたっている。World Health Organizationともあろうものが巣鴨の怪しげな店を推奨するわけがあろうか。はたまた別物のWHOか(Warm Heel Onlyとか?)。まさか本家WHOの白書にASHIPPOが登場していたりして……。そんな想像をかきたててくれる。

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