2007年01月26日(金)  ひと月遅れのクリスマスプレゼント

中学一年の夏休み、母に連れられた初めての海外旅行先は東西統一などまだ考えられなかった頃の東ドイツ。エルベ河を下る船の上で知り合った同い年の少女アンネットと住所を交換し、文通が始まった。切手も便箋も書かれている学校生活も、わたしが見知っているものとは違った。教科書にもほとんど載っていない国のことを手紙のたびに少しずつ知っていく興奮に夢中になった。外国の友達が一人いるだけで、目は自然と世界に向かって開かれる。アンネットのおかげで、わたしは櫃異様なものとして語学に親しむことができたし、日本とは違う生活や文化や人々をもっと知りたいという好奇心をかき立てられた。

「ペンフレンドは和製英語で、正しくは『ペンパル』です」と英語の時間に教わったが、ペンフレンドという言葉は今も生きている(死語ではない)のだろうか。地球の裏側へだって送信ボタンを押せばあっという間にメッセージを送れる時代になってしまたけれど、そんな便利さを知らない時代を知っていることを幸せに思う。いつ届くかわからないエアメールを心待ちにし、ポストにそれを見つけた瞬間「あった!」と小躍りし、ドキドキしながら封を開ける。あのときめきは、わたしの少女時代から青春時代のごちそうだった。

毎年12月の初めにドイツから届くプレゼントの小包で、クリスマスの季節が近づいてくるのを知る。だけど、去年は恒例の小包が来ないうちにクリスマスを過ぎ、年を越してしまった。毎年大いに遅刻するわたしからのプレゼントは年明けにドイツに到着したらしく、「ダンケ・シェーン」連発の礼状が届いたのだが、そこには「わたしからのプレゼントも届いた?」と綴られている。どうやらアンネットは例年通りプレゼントを発送していて、とっくにマサコに届いているはずなのに、礼を言って来ないのでおかしいぞと思っている様子。途中で荷物が迷子になったのだろうか、と心配になっていたら、今日到着。どこで寄り道していたんだろう。正月気分が抜けたと思ったらクリスマスが来たようで、これはこれでうれしい。包み紙をひとつずつ解き、プレゼントと対面。チョコレートやキャンドルにまじってベビー服がいろいろ。明るいピンクとイエローの色使いが楽しい。

出会った中学生の頃、互いが親になる頃までやりとりが続くなんて想像していなかったけれど、数えてみたら25回目のクリスマス、もう四半世紀が過ぎていたのだ。文通10周年のときにアンネットへの手紙という形で書いた作文が「夢の旅」を募集するコンクールで入賞した。その中でわたしはアンネットと互いの国を行き来する形で再会する夢を綴った。その後、わたしはドイツのアンネットを二度訪ねたけれど、アンネットはまだ日本に来たことがないので、夢は片道だけ実現したことになる。いつか日本への旅行を贈らなきゃ、とクリスマスプレゼントが届くたびに夢のもう片方を思い出す。

>>>いまいまさこカフェ言葉集 「再会旅行」

2006年01月26日(木)  李秀賢君を偲ぶ会と映画『あなたを忘れない』
2002年01月26日(土)  オヨヨ城


2007年01月25日(木)  ラジオドラマを作りましょう

自分のサイト(いまいまさこカフェ)を持っていて便利だなあと思うのは、わたしのことを見つけてもらいやすいこと。何年も連絡の取れなかった同級生、名刺交換したきりの映画関係者、パーティで盛り上がったきりの人などが名前で検索して探し出してくれる。会ったことない人のアンテナに引っかかって声をかけてもらうこともある。

昨年末、静岡の上村さんという方からメールをもらった。一時期わたしと同じ広告会社で働いていたことがあるが、面識はないという。会社にいたのもわたしが脚本家デビューする前だけど、宣伝会議賞という広告コピーの賞を取ったことを覚えていて、その後『ブレーン・ストーミング・ティーン』も読んでいる。さらに、今の会社でラジオ局に交通事故撲滅の標語を提案しようと思ってネット検索をしたら、はるか昔、学生時代のわたしが書いて入賞した標語(交通事故多発のため涙が不足しております。涙の節約にご協力してください)を見つけた。そういうわけで、今回ラジオ局にミニ枠ドラマを売り込もうと思い立ったときに「そういえば」と再度思い出し、連絡をくれたという次第だった。こういう「縁がありますねえ」という出会いは、いい形で作品につながる予感を秘めている。直接話したほうがいいですから東京へ行きますよと言ってくれ、今日会うことになった。

昨日はプロフィールをまとめたり、これまで手がけたラジオドラマをダビングしたり。こういうことやるのもひさぶりだなあと新鮮な気持ちになりながら、ちゃんと録音できているか確認しつつ、何年も前に書いた作品を聴く。じっと耳を傾けなくては取り残されてしまうラジオの時間は濃密で深く、ひとつひとつの言葉の浸透度が高い。ラジオに耳を澄ますことは心を澄ますことだと思う。脚本家デビューのきっかけになった『雪だるまの詩』を書いたのは98年だったっけ。主人公は三十才手前の若い夫婦で、夫は医療ミスによる後遺症で記憶の蓄積ができない。生まれた子どもの顔も覚えられないわけだから、夫は子どもを持つことを恐れる。この作品を書いたとき、わたしは結婚もしていなかったのだけど、夫もいて、子どもまでいる今あらためて聴くと、気丈に夫を支える妻の痛みがひりひりと伝わって、放送当時よりも涙を誘われた。「最初に書くものが、いちばん訴えたいもの」と言われたりするが、「生きるとは、出会った人の中に思い出を残すこと」というメッセージは、今もわたしが強く感じていることだ。

「昨日聴き返して、ラジオ書きたい気分が高まっているんですよ」「じゃあぜひやりましょう」と上村さんとの顔合わせは、アイデア出しに発展し、早速企画書をまとめて提案しましょうとなる。ラジオはNHKしかやったことがないけれど、民放の場合はスポンサーを探さなくてはならない。先は長いけれど、最初の一歩はいい感じ。こんな風に真っ白な状態で企画について好き勝手に言っているときは、いちばん気楽で楽しい。打ち合わせ場所は丸の内丸善のビルOAZO1階のタント・マリー。カマンベールチーズケーキ人気の火付け役になった店らしい。「フルムタンベール」というブルーチーズのチーズケーキを初めて食べたのだけど、これまた前途を祝福するような絶品だった。

2004年01月25日(日)  サンタさん17年ぶりの入浴
2002年01月25日(金)  絨毯に宿る伝統


2007年01月24日(水)  マタニティオレンジ64 離乳食教室

税金の元を取るチャンスとばかり、区の広報で見つけた離乳食教室に申し込んで参加した。昨年8月に生まれた赤ちゃん8人とそのママがテーブルを囲み、栄養士さんの説明を聞きながら、用意された離乳食を試食。妊娠中に受けたマタニティクッキング教室は調理実習形式だったが、今回は赤ちゃんを抱いているので、受身の形。まずは、野菜をコトコト煮たスープを試食(試飲?)。調味料を一切使わない、やさしいうまみだけが舌に広がる。いろんな種類の野菜を使うほど、味に奥行きが出ます、と栄養士さん。昆布だしや鰹だしの味も同様に素材で勝負。甘みと辛味は生きるのに必要な味なので放っておいても覚えてくれるが、苦味や酸味といった複雑な味は教えてあげる必要があるらしい。最初にあまり甘すぎるものや辛すぎるものを与えると、刺激のないものをおいしいと思えなくなり、味覚が鈍感になってしまう恐れがあるという。人生の楽しみの半分は食事にある、というぐらい食べることが好きなわたしは、微妙で繊細な味の違いのわかる子に育てたいと思っている。

続いて、おかゆを試食。米粒は各自スプーンですりつぶす。離乳食初期のゴックン期はヨーグルト状と言われるぐらいドロドロにしたほうがいいとのこと。粒が大きいものを平気で食べても、丸飲みしているだけの場合がある。飲み込ませるのではなく、食べさせることが大切。スプーンを上あごに押し付けるのではなく、下唇の上にのせて、赤ちゃんが舌を動かすのを待ちましょう、と栄養士さん。

野菜スープを取った野菜をすりつぶして、野菜のマッシュを作る。代表格はポテトだけど、今日はかぼちゃのマッシュ作り。一人ひとかけら配られたかぼちゃをスプーンでつぶす。固いようなら野菜スープでのばしてもいい。離乳食を始めてひと月ぐらいしたら、タンパク質を足していく。豆腐や白身魚がよく使われるが、きな粉でもいいんですよとアドバイス。かぼちゃにきな粉をかけたら、あらこおばしくて食欲がそそられる。すりごまをかけてもおいしいかもと思ったが、ごまは油分が多いので、離乳食初期はひかえましょうとのこと。

合間に裏技やアドバイスが紹介される。始めるときの時間帯は朝が良い(日中のほうが消化がいいし、アレルギーなど何かあったときに医者に診せやすい)。メニューは毎日変える必要はなく、同じものを何日か続けて良い。ドロドロのものから粒々のものに上げるタイミングの目安は、赤ちゃんが舌を前後ではなく左右に動かせるようになること。りんご果汁はすりおろしたのを茶漉しで漉して2〜3倍に薄める。おかゆは炊飯器におかゆ用の小さな耐熱容器を入れて(米に対して水7〜8倍)大人用のごはんと一緒に炊く。キャベツなどの葉っぱはスープから取り出してくるくる巻いてスティック状に凍らせ、おろし金で下ろすと細かくしやすい。片栗粉やコーンスターチでとろみをつけると入りやすい。味噌は底に沈むので、味噌汁のうわずみは早い段階からあげられる、などなど。赤ちゃんたちもあまりぐずらず、神妙に聞いていた。

最後に、離乳食と一緒に作って手間を省ける大人用メニューということで、キャベツとワカメとプチトマトの胡麻和えとポテトサラダを試食。どちらも野菜スープで使う野菜を活用。授乳中はいいおっぱいを出そうとして母親も食事に気を遣うので、断乳・卒乳した途端体調を悪くする人が多い、という話は興味深い。

「離乳食は5か月頃から」というのが一般的なようだけど、わたしが出産した助産院では「なるべく遅らせて。少なくとも6か月以降」という方針。赤ちゃんの胃腸は未発達だからというのがその理由。離乳食は一度始めたらずっと続けなくちゃいけないし、わたしもできることなら引き伸ばしたい。だけど、遅らせすぎると好き嫌いする子になるという話も聞くし、大人が食べるのを見て欲しがったら始めようと思う。今のところ、たまは何となく欲しそうではあるけれど、まだおっぱいがあれば幸せという感じ。

2004年01月24日(土)  映画『LAST SAMURAI』
2002年01月24日(木)  主婦モード


2007年01月23日(火)  マタニティオレンジ63 晴れた日の小石川界隈散歩

天気が悪いと出不精になり、天気がいいと家の日当たりがいいのをこれ幸いと絨毯のひだまりで一日過ごす。外出する理由がないとついつい引きこもってしまい、二日三日家から一歩も出ないこともある。一才を過ぎて歩きだすようになると散歩をせがむようになるらしいが、五か月のたまは家でゴロゴロしていてもごきげんだ。でも、心地よい刺激は与えてあげたほうがいいんだろうなあと思う。外に出れば風に当たり、野良猫に出くわし、道行く人に声をかけられ、ベビーカーやだっこの赤ちゃんとすれ違う。歩いているだけでも、赤ちゃんにはちょっとした冒険気分を味わえる。

今日は目覚めたときから気持ちいい日射し。こりゃお散歩日和だわとご近所のキョウコちゃんと1才5か月のまゆたんをお誘いし、ベビーカーでお出かけする。せっかくだから小石川植物園に行こうか、と歩きながら話はまとまり、だったらついでにタンタローバでお昼はどう、賛成、となる。植物園へはベビーカーを押しながら歩いて三十分ほど、そこからさらに十分ほど歩いた播磨坂という雰囲気のある坂の上にわたしたちのお気に入りのトラットリアがある。

植物園は趣味の写真撮影にいそしむ中高年の方々やベビーカーを押したママやバアバがちらほら。桜の時期には混みあうが、今は花が咲いていない季節なので、わたしたちが目指した日本庭園の辺りは貸しきり状態になっていた。自分の足で歩くのが楽しくてしょうがないまゆたんは、ベビーカーから下ろしてと訴え、降りるとずんずんと小高い丘を登っていく。カモが泳ぐ池の上をサギ(?)やスズメ(?)が飛び交い、木立ではカラスと猫がのどかに遊んでいる。実に平和。入場料は330円だけど、年間パスポートってないのかな、と言うと、三万円で永久会員になれるらしいよ、とキョウコちゃん。元取るのは難しいかなあ、もっと近所だったらいいよねえ、などとわたしたちの会話ものんびり。(後で調べてみると、「小石川植物園後援会」なるものがあり、その終身会費が3万円らしい。会員になると無料で入園できるということだろうか)

まわりに誰もいないので、ベンチで授乳。人目をはばかる必要がないときも、授乳ケープはあったかいので便利。まゆたんは遊び疲れて、たまはおなかが膨れて、二人の姫たちはすやすや眠ってしまう。母たちがゆっくり食事できるようにという粋なはからい、ありがたく頂戴する。一時過ぎのタンタローバはランチタイムの混雑が一段落し、ベビーカーのスペースを空けてもらえる。味のレベルはかなり高いのだけれど子連れには敷居の低い、ありがたいお店。

出産前に行ったきりだったけれど、ひさしぶりに食べてみて、あらためてその実力に感服。前菜、パスタ、メインを豪快に盛ったひと皿にデザートとコーヒーがついて1500円。メインはあじさい鳥のソテー。パスタは渡り蟹とタコのトマトソース。どっしりしたソーセージ、カプレーぜ、オムレツ、生ハム、魚介のマリネなどなど、あれもこれも欲張りたいわたしを黙らせる品数。火の通し具合といい味付けといい、ひとつひとつが絶妙に仕上げられ、ガツンとおいしいイタリアン。とくに最近は、置くとぐずるたまを脇に抱きかかえながら食事することが多く、ゆっくり味わって食事するひまがなかったので、この時間は貴重だわあとキョウコちゃんとしみじみ感激する。「食事って、舌での滞在時間が大事なんだよね」とキョウコちゃん。舌をするっと通り抜けて胃に流し込むだけでは、味わったことにはならない。滞在時間が短いと何も残らないのは旅行と同じ。

タンタローバから播磨坂を少し下ったところには、マリアージュというパティスリーがある。ここはケーキの見映えも味もパッケージもセンスがよくて、近所にあったら自宅用におつかい用にと毎日でも買いに行きたいお店。お茶請けのシュークリームと明日のパンを買う。

帰り道は大回りして、白山に昨年オープンしたイタリアンのVolo Cosiを見て行く。うまい、すばらしい、最高、とあちこちから絶賛の声を聞き、とても気になるお店。予約を取りにくい店になっているという。ここは子連れは難しいかなあ。住宅街に注ぐ日射しは三時を過ぎてもあたたかく、ベビーカーのほどよい揺れも手伝って、たまは眠り続け、帰宅してからもすやすや。泣き鬼のいぬ間にティータイム。マリアージュのシュークリームはしばらく余韻に浸ってしまうほどおいしかった。

2006年01月23日(月)  いまいまさこカフェブログOPEN
2005年01月23日(日)  中国禅密気功の師曰く
2004年01月23日(金)  今日はシナリオの日
2002年01月23日(水)  ラッキーピエロ


2007年01月22日(月)  「気持ちはわかる」間違い集

娘のたまは今日で5か月。ダンナが「そろそろ流動食だねえ」と言い出した。確かに似ているが、離乳食だよ。流動食はまだ始めたくない。でも、気持ちはわかる。彼の頭の中で何かが起きているのか、先日は「コーヒー豆のミケランジェロ」と言っていた。キリマンジャロとミケランジェロ。後半4文字が酷似しているし、これも気持ちはわかる。

「最近ニフティに入った」と言う友人。なんでわざわざプロバイダー名を告げるのかなと思ったら、ミクシィだった。わたしも「すだれをひょいと上げて、居酒屋に入ったら……」。よく考えたら、すだれじゃなくて暖簾だ。気持ちはわかる間違いというのはそこらじゅうにあふれているけど、「ほんとはこう言いたいんだよね」と察して、みんなやさしく流しあっている。

ご近所仲間のT氏が上野広小路にあるABABのエレベーターで仕入れた面白い画像を送ってくれた。「ABABは従業員に優しいお店です」のコメントつき。T氏は一人しか乗っていないエレベーターの中で爆笑したが、わたしも画像を見た瞬間大笑い。これも気持ちはわかるけど、誰も突っ込まないのだろうか。プレートを作った人、受け取った人、取り付けた人、毎日乗り降りしている人、皆がやさしく流している結果、このプレートが生き残っているのだとしたら、すごい。

VOW本(『宝島』の名物投稿コーナーの内容をまとめた『VOW王国 ニッポンの誤植』など)を愛読するわたしは、ここまで堂々とやってくれると「あっぱれ!」とうれしくなってしまうのだが、ダンナは「どうして放置してるんだろうね」と首を傾げる。わたしの日記に誤植を見つけては「物書きとしての品位を疑う」と厳しく指摘する人なので、間違いを見ると正したくなるのだろう。ちなみにわたしは「ABAB」を「エービーエービー」と読んで、「アブアブだよ」と速攻で訂正された(「流動食」のくせに!)。そういえば、昔日記で紹介した「ローマの一番よい三流のホテル」は、その突っ込みどころ満載な日本語訳ゆえに興味をそそられたのだが、当のHOTEL TURNER ROMEとしてはお茶目路線を狙っていたわけではないらしく、愛すべき日本語サイトは現在閉鎖されてしまっている。

気持ちはわかる間違い、わたしは大好きなので、過去の日記にもたびたび登場。
2004年10月06日(水)  ローマの一番よい三流のホテル
2004年07月18日(日)  ニヤリヒヤリ本『ニッポンの誤植』
2004年5月26日(水) ニヤニヤ本『言いまつがい』
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会

2006年01月22日(日)  センター入試・英語に挑戦
2005年01月22日(土)  変わらない毎日。変わらない大統領。
2002年01月22日(火)  夢


2007年01月21日(日)  マタニティオレンジ62 母の誕生日を祝う娘

夕方、携帯電話のメモリーに入っていない番号から電話があり、「今日、母の誕生日なんです。突然ですが、サプライズゲストで来ていただけますか」と相手は切り出した。そういう企みは大歓迎。「予定変更。でかけるよー」とダンナに声をかけ、娘のたまをだっこし、指定されたお店に一家ではせ参じた。わたしたちが姿を見せると、誕生日の本人は目をぱちくり。サプライズは無事成功。生後1か月に会ったきりのたまの登場にも大喜びしてもらえた。自分たち自身がプレゼントになれて、わたしたちも感激。

子どもの誕生日を祝うのもすてきだけれど、子どもに祝ってもらえるのもすてきだ。今までは、こういう場面に立ち会うと、「わたしは母にこんなことしなかったなあ」と反省したり、「うちの母もそろそろ誕生日だなあ」と思い出したり、「娘」の立場から母を見ていたのだが、娘を産んだ今は「母」の立場から娘を見てしまう。かいがいしくゲストに食事を取り分ける娘さんの気配りや愛らしい立ち居振る舞いはお母さん譲りで、この光景が母親にとっては何よりのプレゼントなのでは、と勝手に友人の胸中を想像して、こちらの胸が熱くなる。お祝いにかけつけたつもりが、こちらが幸せをいただいてしまった。

娘のたまには祝福されることの多い人生を送ってほしいと願うけれど、それ以上に、祝福したい人や出来事に恵まれた人生をと願う。そして、今日の娘さんのように、人を喜ばせることを自分の喜びにできる人に育って欲しい。こんな風に娘の成長を願うとき、それは母であるわたし自身がそうありたい人間像でもあると気づく。人の子を鑑にし、わが子の行く末に思いを馳せながら、自分の生き方を見つめ直す機会をもらっている。

2006年01月21日(土)  ご近所仲間新年会
2005年01月21日(金)  1人1ピッチャー!? 体育会飲み会
2002年01月21日(月)  祭り


2007年01月20日(土)  マタニティオレンジ61 たま5/12才

8月22日生まれの娘のたまの5/12才誕生日を2日早くお祝いする。今回はマンスリーゲストを招くのではなく、こちらがゲストとなってダンナの実家へ。その前に御徒町へ買い物に出る用があったので、付近のケーキ屋さんを調べると、松坂屋にアンテノールが入っていることがわかった。何度か行った神戸のお店が大好きだったので、懐かしくなり、ここで5/12才バースデーケーキを買うことに。小ぶりのちょうどいいサイズの苺のロールケーキがあった。口当たりは軽いけれど、大人四人がたっぷり楽しめるボリュームで1050円。

ケーキを前に写真撮影のとき、たまがケーキに手を伸ばし、「2007.1.22 たま5/12才」のプレートを弾き飛ばした。最近はだいぶ手が自由に動かせるようになってきたのだが、上下よりは左右(卓球のサーブのように)方向が動かしやすいようで、テーブルの上の手に届くものをなぎ倒す。お椀のへりをつかんでガガガッと滑らせたりするので目が離せない。おすわりはまだだけど、手を添えれば、ぐらぐらながらも座っていられる。視点が上がるのが楽しい様子。寝返りは今にもしそう、と思ってからだいぶ経つ。最近は体重が増えて体が重くなったせいか、前よりも寝返りの気配が減った。ハイハイもまだだけど、両腕で踏ん張って上半身を支える耐久時間は五分ほどに延び、伏臥上体反らし状態で世界を眺めるのも気に入っているよう。他にこの一か月の変化といえば、大きな声を出すようになったこと。「キャ〜〜〜〜」という楽しそうな悲鳴を発し、その自分の声に興奮して、どんどん声が大きくなる。これも成長の証なのだろうか。ご近所さんに怪まれなければいいが。

月誕生日を迎えるたびに、大人の一か月に比べて、赤ちゃんの一か月は何と変化と起伏に富んでいるのだろうと思う。毎日更新される成長ぶりを記録しておきたくて、インフォシークのフォトアルバムに「ほぼデイリーたま」と称して写真とコメントをのっけて親しい人たちに公開していた。それが見られなくなっていると友人から連絡があり、なんとそのサービスが終了していたことを知って愕然。楽天フォトへ移行できたらしいのだが、移行期間は1月15日に終了していた。300枚余りの写真に一枚一枚コメントをつけていたから、1枚30文字としても約1万字の記録が失われたことになる。復元することは到底無理で、叫び出したいほどショック。データは消えても思い出は消えるわけじゃない、記録より記憶、書き記したことで記憶が深く刻まれたかもしれない……などといろんな言葉で自分を慰めているところ。この日記だっていつ突然どうなるかわからないので、保険をかけて早速ダウンロード。

2002年01月20日(日)  浮き沈み


2007年01月19日(金)  夕刊フジ「ギョーカイ有名高校人脈」

「君の名前が夕刊フジに出てるらしい」とダンナから電話。最近は作品の動きがないし、取材もされてないし、記事になるような覚えはない。「手に入る?」と言うと、コピーを持ち帰ってきた。「ああ青春……ギョーカイ有名高校人脈」という欄の「大阪編15」で母校の大阪府立三国丘高校が紹介されていて、その中にわたしが登場しているのだった。「日本サッカー協会キャプテン 川渕三郎」「実力派映画監督 阪本順治」「『面接の達人』などの作家 中谷彰宏」、日本人初の宇宙船外活動を行った土井隆雄、日本テレビの藤井恒久アナ、森富美アナなどにまじって、「『子ぎつねヘレン』などの脚本家、今井雅子は高校時代は米国留学し、広告美術と演劇を学んだ」と紹介されている。「なんで君が入っているか謎だけど、なかなか華やかな顔ぶれだねえ」と感心するダンナ。華やかさでは、元々女子校だったお隣の府立泉陽高校は、与謝野晶子と橋田壽賀子と沢口靖子を輩出している。

話を元に戻して、なぜわたしが入っているのか。わたしの百倍ほどの仕事をされている大先輩の脚本家で翻訳家の堺三保(さかいみつやす)さんや、『廃用身』『破裂』『無痛』などの医療もの作品で注目を集める医師で作家の日坂部羊(くさかべよう)さんが入っていないところを見ると、情報ソースはフリー百科事典のwikipediaかもしれない。正月に帰省したときに「三国丘高校のページの主な卒業生の中に雅子が入っているぞ」と父が喜んで教えてくれた。そこには「今井雅子(映画脚本家・代表作『子ぎつねヘレン』) 」と紹介されている。名前だけなら「誰?」となるところだが、『子ぎつねヘレン』が有名なので、ネームバリューがあると判断されたのだろう。

この記事に限らず、『子ぎつねヘレン』や『天使の卵』といった大きな作品に関わる機会を得て以来、わたしに興味を持ってくださる方がひと桁ぐらい増えた。「『子ぎつねヘレン』の」がつくと、人に会うにも企画を通すにも話が早くなり、仕事がしやすくなった。それはとてもありがたいことだけれど、作品の大きさを自分の大きさと勘違いしないように気をつけなくてはと思う。ヘレンやてんたまの神通力も時間とともに薄まる。幸運の神様や世間がこちらを向いてくれているうちに、次の枕詞となる作品を生み出さなくては。

2006年01月19日(木)  ミヒャエル・ゾーヴァ(Michael Sowa)の世界


2007年01月18日(木)  マタニティオレンジ60 赤ちゃん探偵ドラマ

マタニティビクス仲間からベビービクス仲間になったトモミさんから「『赤ちゃんは見た』っていうサスペンスドラマはどう?」と提案。娘のミューちゃんを抱っこしたままハッと振り返らせる遊びをやっていて、「『家政婦は見た』みたい」と思いついたのだと言う。ドラマで放映されている探偵の最年少はコナン君だろうか。幼稚園児のおしゃまな女の子が事件を解決する推理小説を高校時代に読んだが、あれは映像になったのだろうか。本の題も忘れてしまった。

お題を投げられると、わたしの空想にスイッチが入り、一人ブレストモードになる。ベビービクス教室からの帰り道、ふむふむと考え始めた。この子だったら、どういう風に事件を解決するだろう、と娘のたまを探偵役に想定し、「あて書き」してみる。赤ちゃんは嗅覚が発達しているから、警察犬のような活躍ができないか。大人は気づかない微妙なにおいの変化に気づき、犯人特定に結びつけるというわけだ。視点の低さも使える。大人なら見落とすところに、犯人は手がかりを残していたりする。大人の指が入らない隙間に小さな滑り込ませ、動かぬ証拠を手に入れるのはどうだろう。犯人を油断させられるのも武器。犯行現場を目撃しても、赤ちゃんなら見逃してもらえる……。「探偵」という目で娘を見たことはなかったから新鮮だ。

赤ちゃん一人では行動できないから、助手のワトソン君ならぬママが捜査に同行する。昔あったアメリカ映画『ベイビートーク』のようにアフレコで赤ちゃんにベラベラしゃべらせるより、諵語や片言をママが翻訳するのがいいかもしれない。ベビーサインも取り入れてみよう。声を立てられない潜伏捜査の現場では手話代わりになる。

赤ちゃん探偵、略して赤タン。ベビー探偵、略してべビタンでもいいのだが、これ、いけるかもしれない。でも、どうして誰も作ってないのだろうと考えて、はたと気づいた。たとえ1クール(3か月)の連ドラだとしても、撮影中に赤ちゃんはどんどん成長してしまう。『子ぎつねヘレン』の撮影では時期をずらして生まれた3組の子ぎつねがヘレンを演じ、「ずっと子ぎつね」状態を保ったが、赤ちゃん探偵では顔が変わってしまう。動物の撮影と同じで「ごきげん待ち」時間も取られるし、大急ぎで撮るのは難しそうだ。単発のドラマなら成立するけれど、高視聴率をマークしてもシリーズ化はできない。赤ちゃん探偵の月齢に応じた推理力を発揮させるのは、それはそれで画期的だけれど。

そもそも赤ちゃんが推理するという性格上、強盗や殺人といった血なまぐさい事件は扱い辛く、コソ泥や迷子といった緊張感に欠ける題材に偏ってしまうから(番組としても地味になるけれど、そこは赤ちゃんの愛嬌でカバー)、二時間サスペンスはきつそう。探偵の体と事件のサイズに合わせて、いっそミニ番組枠でもいいのかもしれない。それぐらいなら赤ちゃんの集中力もネタも持ちそうだ。
プロデューサーの皆様、いかがでしょう。

2006年01月18日(水)  『子ぎつねヘレン』公開まであと60日
2002年01月18日(金)  ショーシャンクの空に


2007年01月17日(水)  夢のお告げ!? 小さな鳥の物語

 間もなく生後5か月になる娘のたまは、よく眠るようになったとはいえ、夜が明ける前には必ず目を覚ます。授乳をすると、すぐまた眠りに落ちてくれるけれど、そこからは眠りが浅くて、次は2時間ほどしか持たない。だから明け方のわたしは夢うつつの状態でいることが多く、そういうときの頭の中は、ぬか床をかき混ぜるようにゆっくりと攪拌されるのか、底のほうに沈んでいた記憶が不意に掘り起こされたりする。
「鳥の話、書いたことがあったな」と今朝思い出した。
 ある企業のPRビデオの企画で書いたストーリー。一言ではくくれない多様な情報サービスを提供するその企業の「見えない価値」を「見えるカタチ」にするために、みんなの幸せを思って知恵を絞るけなげでちっぽけな鳥というキャラクターを考えた。個々のサービスを紹介しながらブランドイメージを築いていきましょうという提案だったが、コンペ(競合)で敗れてしまった。なかなか愛らしい鳥のキャラクターも開発したのだが、それも日の目を見なくて残念。
 コピーライター時代から書き散らしているので、こんな風に埋もれてしまったストーリーはたくさんある。ありすぎて、わたしの記憶の中でさえ埋もれてしまっているほど。でも、どうして鳥の話を思い出したのだろう。何かの啓示か予兆だったりするのだろうか。鳥を飼いなさいとか、赤い羽根の募金をしなさいとか。あるいは、この鳥のように体は小さくても大きな志を持ちなさいという夢のお告げなのか。それとも単純に、こないだ鳥鍋をして、鳥、鳥とはしゃいだことが潜在意識をつついたのかもしれない。
 こんな話だった。
(企画書用に書いた形なので、具体的なサービスを想起させる内容を盛り込んであり、実際は企業の名前やスローガンも入っている)

小さな鳥の物語

 あるところに、小さな鳥がおりました。鳥はもっと立派になりたくて、知恵のある長老鳥に相談しました。
「人々を豊かに、幸せにしなさい。その幸せなキモチがあなたを大きくしてくれるでしょう」と長老鳥は言いました。
 でも、どうやって? 
 鳥はちっぽけで、力もありません。お金も持っていません。
「空を自由に飛べる翼があるではないか。それに、もうひとつ、心の中にも翼がある」
 長老は力強く言いました。翼をはためかせ、想像力をはたらかせなさい、と。どんなちっぽけな鳥でも、夢見る力は無限大です。
 さっそく、鳥は考えました。
 どんなとき、人々は豊かな、幸せな気持ちになるのだろう。
 探し物が見つかったとき。欲しかった物が手に入ったとき。あきらめていたことが実現したとき。困っていた問題が解決したとき。もちろん、自分のしたことを誰かが喜んでくれたとき。
 鳥は翼をはためかせ、自分が役に立てそうな人を探しに行くことにしました。

 コウノトリに魅せられた会社員がいました。コウノトリの住む町に移り住む夢がありましたが、毎日の忙しさで夢を忘れかけていました。
 別な場所では、結婚を間近に控えた恋人が喧嘩していました。二人は遠く離れて住んでいて、すれ違いばかり。果たして無事結婚できるのでしょうか。
 ベビーベッドに赤ちゃんを寝かしつけているお母さんは、ため息をついています。ついこの間まで大きな会社で働いていた自分が懐かしいようです。
 この人たちを豊かに、幸せにするにはどうすればいいのでしょう。
 鳥は仲間の鳥たちに相談しました。みんなの想像力が集まると、面白い思いつきが次々と飛び出しました。
 鳥はその思いつきを自分の羽に託して、空に放ちました。羽を風に乗せるとき、小さな声で何やら唱えました。自分に素直に、思いのままに、飛んでいけますようにというおまじないの言葉です。鳥たちには当たり前のことですが、人間は大人になるにつれこの気持ちを忘れてしまうようです。

 おや、誰かが羽を手に取りました。
 コウノトリに魅せられた会社員です。羽を手にした瞬間、けわしかった表情がやさしくなりました。忙しくて考えるゆとりのなかったコウノトリの里のことを思い出したようです。
 うつむきがちだった会社員が空を見上げると、次から次へと羽が落ちてくるのが見えました。ひとつ手に取るたびに、会社員は何かに気づき、ひらめき、希望や勇気が湧いてきました。
 足取りの軽くなった会社員は、自分の欲しい羽をどんどん手に取り、集めていきました。すると、どうでしょう。背中に翼が生えてきました。自分の思いのままに進む力を手に入れたのです。
 翼をはためかせ、会社員はコウノトリの里まで飛んでいきました。

 遠く離れた恋人同士は、喧嘩の電話を切った後、それぞれの住む町の空を見上げ、ひらひらと舞い降りてくる羽に目を留めました。
 羽を手にした二人は、どちらからともなく仲直りの電話をしました。結婚式の計画が再開したようです。電話をしながら、二人はひとつ、またひとつ、羽を集めていきます。話が弾んで、とても楽しそうです。
 若い二人には、自分たちの家で将来レストランを開きたい、という夢がありました。でも、広い土地を買うゆとりはありません。
 そのとき、落ちてきた羽を手に取った二人の頭の中に、緑に囲まれた一軒家が思い浮かびました。
 都会の真ん中じゃなくて、電車に何時間か揺られた先なら、大きなレストランも夢ではない、と二人は気づいたのです。空気と水のきれいな場所なら、自家製のおいしい野菜を看板料理にできるかもしれません。
 微笑む二人の背中に、天使のような翼が生えてきました。距離を乗り越えて夢をかなえる力を二人は味方にしたようです。

 ベビーベッドのそばでため息をついていたお母さんは、窓から部屋に舞い込んだ羽を手に取りました。外の世界へと誘いかける手紙のようでした。子どもが生まれるまでは大きな会社で朝から晩まで働き通しでしたが、赤ちゃんがくれたこの時間を使って、何かしてみよう、という気持ちが湧いてきました。
 ずっと前から興味のあったファッションの勉強をしてみたい。そう思ったとき、別な羽が風に運ばれてきました。羽を手に取ると、ひとまわり若い学生たちと並んで授業を受けている自分の姿が目に浮かびました。安心して赤ちゃんを預けられるところも、子育てをするお母さんたちが意見を交わせる場所も、ちゃんとありますよと羽は教えてくれました。
 なんだ、その気になればいろんなことができるんだ、とお母さんはうれしくなりました。一日中家に閉じ込められていると思っていたけれど、自分で自分の翼を押し込めていたようです。大きく深呼吸すると、ぐーんと翼が伸びました。

 空高くからこの様子を見ていた鳥は、たいへん喜びました。自分の思いを託した羽が、誰かをちょっぴり豊かにしたのです。会うことはなくても、どこかの誰かの幸せな生活と関わっている、そう思うと、ほこらしい気持ちでいっぱいになるのでした。
 おや、ひとまわり、体が大きくなったようです。 

2003年01月17日(金)  Lunettes du juraの眼鏡
2002年01月17日(木)  HAPPY

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