ミャンマーの軍事政権が、僧侶や市民による反政府デモを武力で制圧したというここのところの騒ぎについて、ラジオで現地特派員が電話でレポート。
お湯を沸かしたり葱を刻んだり、炊き上がった飯を混ぜたり、 朝のあわただしい中で片手間に聴いたから所々あやふやであるが、 こんなふうに言っていた。
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反政府デモが始まった当初、市民の中で高まった何かが変わるという期待は、 武力制圧によって尊敬する高僧達が目の前で次々と暴行を受け拘束されるに連れて、次第に絶望に変わり、 今や人々は、未来に対する一切の希望を失っているように見える、 もちろんデモを継続しようという意思はまったくみられない、 ということである。
そして記者は、経済制裁はもう何年も継続しており、新たに加えたとしても効果はあまり期待できないが、 日本としてこのような軍事政権を認めないという姿勢を見せることは重要だと、レポートを結んだ。
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人の身にあることは、やがて我が身にある。 私には、ミャンマーの出来事が少しも対岸の火事とは思えない。 日本だって、危ないところだった。
安倍政権下では戦争ができる国への骨格が着々と築かれ、国中に閉塞感が漂い、 直近の選挙があるまで、人々は-私は-未来に対する希望をもてないでいた。 何とかこの国で子どもを育てないですむ方法はないかと真剣に考えた。
だから思う。
今かろうじて健全性をとりもどそうとしている−おかしな法律は残ったが−日本から、彼の国の人々へ向かって、 「今のあなたの国はおかしいと思うが、いずれ必ず変わる。どうぞ明日に希望を捨てないで」と伝えられたらと、心からそう思う。
そしてそのことは、彼の国のためだけではない。 「選挙の結果を無視して軍事政権が存続するのはルール違反」 「市民に対して武力を用いる軍事政権は大間違い」と日本国政府がアピールすることは、 日本国自身が、未だ身の内に残る自らの危うさを律するためにも、意義のあることだと思う。
2006年10月03日(火) ヒマラヤ満足 2005年10月03日(月) 炎 2004年10月03日(日) ナガランド州を探せ
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