2004年10月14日(木) |
スピーカーズコーナーで話したことのある人 |
何もせずに過ごしているようで、結構雑事を処理していて多忙。
車で移動中、国会中継を聞く。 日本のイラク支援継続について、郵政民営化について、等々。
なんだか筋書きのできている、三文プロレスみたいだなと思う。野次も含めて。 質問する議員も、話し方に抑揚なんかつけないでくれ、と思う。
確かに国会はわが国の立法機関として権限を有し、 議会制民主主義を象徴する神聖なる議場なのだろう。
しかし国民は馬鹿ではない。というよりも、利口になってきている。 ショー化された討論の舞台を見抜く目や、議論の質を見極める力がついている。
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ネットの普及によって、情報の質と量と速さが飛躍的に向上した。 人々にとって情報は瞬間的に処理し、判断するものとなってきている。
だから、まるで相撲のように開会したり閉会したりする国会での議論は、既に情報鮮度が落ちていると感じる場合がある。 そんなこと、我々は既に議論しつくしたぞ、という場合が。
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さらにネットという世界で、誰でも簡単に情報発信できるようになった結果、 −異論に対する誹謗中傷という、ネットコミュニケーション成熟過程の問題があるにせよ− 自分の考えを持ち、能力のある人は理論的にそれを組み立てることができ、 そのような情報を見聞することでまた自分の考えが成熟する、という現象がおきている。
要するに、ハイドパークのスピーカーズコーナーが、世界中に存在していると言うわけだ。
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国民は利口になってきている。賢くなっているかどうかは別だが。 だから国会は、一つ一つの議題についてきりりとした議論で結論を導いてゆかないと、 この国の権限の在り処と議論の在り処に乖離が生じてきて、 少しずつその権威が失墜してくるのではないかと思う。
あの、だらだらとテーマを変えて話し続け、だらだらと回答するやりとりも今風ではなく、何とかならないかと思うのである。
いっそ、国会はウエブ上の掲示板か何かでやってはどうかという気すらする。
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