2006年11月29日(水) |
a place of happiness,innocence or beauty |
大好きだったナツツバキの高垣がある辻も、 ねむの木の通りも、立派な屋敷の百日紅も、冬の眠りに入ろうとしている。
この辺りの人は、周りを山に囲まれていても、 庭先の小さなスペースや辻々の隙間をおざなりにしない。
コブシや木蓮やウメは、一刻も早く春の慰めを得るために欠かせないものだし、 ツツジやハナミズキは、隣近所と花の自慢話をするのに手を抜けない。
クヌギやケヤキは夏の昼下がり暑さをしのぐ場所として大切に維持したいし、 吹き降ろす北風から家を守るために槙の垣根はおろそかにできない。
そして何よりも庭は、人間がその地で年を重ねて生きていくことを、静かに見守ってくれる。 庭木を愛情込めて手入れしたり落ち葉の掃除をする中で、 日々の緊張感から、落ち着きをとりもどすことができる。
田舎街の潤いと安定は、庭先で支えられている。
ささやかな、だが気持ちと願いのこもった庭がなかったら、 たとえ近くに日本の屋根とよばれる山があったとしても、 この街は恐ろしいほど生命力に欠けた、味気のない場所になってしまうだろう。 このことは、実際に画像でシミュレーションすればすぐわかる。
そして、庭先の細やかな変化のあるしつらえは、公共事業では絶対に実現できないのだ。
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gardenの語源は、gan+eden、 つまり、楽園を守るという意味なんだそうである。
2005年11月29日(火) 一流ピカピカ
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