浅間日記

2008年05月26日(月) 赤い大地を守れるか

アフリカ開発会議(TICAD)が本日より横浜市で開催される。
アフリカ諸国との関係強化をねらいとして、成長の加速、貧困層の撲滅、平和の定着、地球温暖化対策、の四項目について話し合われる。



アフリカの資源は、鵜の目鷹の目で見られている。
米国はアフリカ軍を創設し、テロとの戦いを建前に基地を創設したくて仕方ない。
もちろんテロとの戦いではなく資源が目当てであることは明白である。
中国は国内で消費する石油の30%をアフリカから輸入している。
日本もこのレースに遅れをとらないように必死で関係強化を図ろう、というわけである。



持続可能な開発、という言葉はどこ吹く風という勢いで、
赤い大陸に資本の波が押し寄せようとしている。

そして、資源の切り売りをして国が本当に発展するわけは無いと、
アフリカの未来を担う優秀な人々はわかっている。
また一方で、そうは思わない人もいる。
そうしていらぬ紛争の種となる。



開発行為がローカルにもたらす功罪は、古今東西まるで同じだ。
長野県の山村でも、ガーナや南アフリカでも。

このさきアフリカ各国は、よほどの正気を保っていなければ、
気付いた時にはすべて失っているかもしれない。

そうならないための一つの方法として、
開発規制や環境対策に関する法整備を急ぐなどしたらどうかと、他所事ながら思う。

外から変な加重がかかった時は、適切な方法でバランスをとることが大事だ。

2007年05月26日(土) 
2006年05月26日(金) 文を盗む
2005年05月26日(木) 修繕日
2004年05月26日(水) 学校の話



2008年05月21日(水) 春ゼミと白昼夢

春ゼミの鳴く声が、林の中から聞こえてくる。
ふいに深い山の中へ分け入りたい気持ちが込み上げる。

谷間の沢も、尾根筋を抜ける風も林の木陰も、
手を伸ばせば届きそうな場所に確かにあるのだが、今は遠い。



最近は専ら、24時間、文字通りの哺乳類として生きている。

赤ん坊は突然、ニカーと笑う。かにわらい、という。
これは単なる顔面の筋肉が反射する現象であって、
別に母親への愛想で笑っている訳ではないそうである。

そうはいっても、そうは思えないのが人情であるし、
筋肉の反射にしておくにはもったいない、表情ある笑みである。



春ゼミが鳴り響く昼下がり、ひんやりした家の中で、
赤ん坊のかにわらいを凝視する。

この人はどこか別の場所で、人の子の親として生きていて、
自分の腕に抱いた赤ん坊の寝顔をみて微笑んでいるんじゃないだろうか。
その微笑が今ここにあるのではないか。
そんな白昼夢にかられる。

ということは、私もどこか別の場所で赤ん坊として生きていて、
母親に抱かれながら謎の笑みを浮かべているのかもしれない。

2007年05月21日(月) 賞与
2005年05月21日(土) 
2004年05月21日(金) 抽選12万名様に裁判体験 その2



2008年05月18日(日) 現代非国民−消費せぬ者は国民にあらず−

福田首相、先日首相官邸で開かれた消費者行政推進会議で、各省庁にまたがる消費者行政部門を一元化した「消費者庁」を来年度、創設すると正式に表明した、というニュース。

一つの省庁を新設するというのは、大きな政策なのである。
そして、この「消費者庁新設」は、
概ね世論に賛同されているように思われる。消費者団体からの要請もある。



でも私は、なんだか腑に落ちない。
行政組織が、すべての国民に向けてではなく、
消費者という選択された存在に対して設立されることが腑に落ちないのである。

日本国民だけを対象にするとは限らない。
否、日本国民を対象にするとは限らない。



私達が為政者へ声高に主張しなければいけない権利や尊厳というものは、
消費活動なんかと関係なく存在する。

そういうものをガタガタに壊した政権が、「金を使い経済に貢献する者には−その範囲で−権利を保障しましょう」といっている。

新たに省庁をつくる前に、不祥事の続く厚生労働省を何とかする方が先ではないか、と思うのである。



そしてもう一つ。こんな省庁ができることで、
自分では何ひとつ生み出すこともなく、ただ消費の徒と成り下がり、
大人も子どもも口をそろえて「金を出しているのだから当然だろう」というような鼻息の荒い文化が
今後いっそう日本に浸透していきそうなことも、私は嫌なのだ。

2005年05月18日(水) 高度な理知の手
2004年05月18日(火) 資質かシステムか



2008年05月15日(木) 鳴りわたる、1つ目の鐘

子どもが誕生し、10日近くになった。

寝顔を見つめながら深夜にひとり、
自分は縁あってこの子の親にさせてもらったのだ、という思いを強くする。
そうした不思議な確信があることの、何と嬉しいことか。


この子のための一つ目の鐘は、鳴り響いた。
ピアフが歌うように力強く、美しく。

この子が次に二つ目の鐘を鳴らすであろうそのときまで、
私はしっかりと育てていこうと思うのであった。
力強く、美しく。

2007年05月15日(火) 道徳ソングか情景か
2006年05月15日(月) マクマーフィの最期
2005年05月15日(日) 


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