無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月22日(火) 愛の賛歌(^o^)/『金色のガッシュ』7巻(雷句誠)/『焼きたて!! ジャぱん』4巻(橋口たかし)/『眠狂四郎』5巻(柳川喜弘)

 21日の日記の続き。『華麗なるロック・ホーム』映像化の歴史。

 恐らく、『バンバイヤ』以降、ロックの映像出演はしばらく途絶える。『アラバスター』、『ダスト8』、『火の鳥・未来編』、『ブルンガ一世』、『インセクター』といったロック出演作が全くと言っていいほど、映像化されなかったせいだが(暗い作品ばかりだしね)、『ジェッターマルス』や『ふしぎなメルモ』あたりにチョイ役出演してはいないだろうか。さすがにそこまでビデオを揃えていないので確認ができない。

 ロックが思わぬ姿で復活するのは、あの悪名高き24時間テレビのおかげである(^o^)。
 ここいらで私の記憶もなんとかハッキリしてくるのだが、24時間テレビ第2作『海底超特急マリンエクスプレス』(1979)でのロックが、映像における初主演作であろう。
 相変わらずただの二枚目で、ピンチになったら情けなく嘆いたりして、ロックらしさはあまりないのだが、ムー大陸の女王であるサファイヤと恋をするのは『リボンの騎士』の再現でファンには嬉しいシチュエーションであった。「放映当日まで手塚治虫が絵コンテを切っていた」というマコトシヤカな風説でも有名な作品である(^o^)。ロックの声は武岡淳一。

 映画の初出演作は『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980)。
 主役のゴドーから恋人を奪い、火の鳥を捕らえて永遠の生命を得ようとする悪辣な科学者を演じて、これこそロック、という感じの名演なのだが、残念なことに名前はロックであっても、髪型が変えられてあの巻き毛が消えてしまった。ザンギリ頭のロックってロックじゃねーよ(`‐´≠)凸。
 サングラスを掛けてるところにかろうじてロックの名残りがある。声は池田秀一。個人的には一番ロックらしさを表現していたと思う。ベストワンに推すなら、映画の出来は置いといて(^o^)、この池田版ロックが一番だと思う。
 ちょうど池田さんも声優として引っ張りだこになって、ノリにノッてた頃である。

 同年、やはり24時間テレビの『フゥムーン』(名作『来るべき世界』のアニメ化なのになあ……)に出演。ちょっと細面にデザインされていて、キャラクター的にもたいして個性を発揮しないロックだったが、声が『2772』でゴドーを演じた塩沢兼人だったので、手塚さんに気に入られて起用されたのかも。

 更に同年、無謀にも『Dr.スランプ アラレちゃん』の裏番組にぶつけて半年で惨敗したカラー版『鉄腕アトム』に出演。
 第10話『白い惑星号』、これは未見なのだが、原作通りならロックがやはり星野光一役で出演しているはずである。もっともキャラデザイン変えられてる可能性は大だけれども。演じているのは『マリンエクスプレス』と同じく武岡淳一。私の調べた限りでは唯一ロックを二度演じている声優さんである。ヒゲオヤジの富田耕生(あるいは熊倉一雄)ほどのフィックスはロックの場合はないのだな。
 第27話の『ブラック・ジャックの大作戦』は原作にないオリジナルエピソードで、タイムパトロールでアトムやブラックジャックを連れて時間犯罪者を捕まえる役だったような(細かいところは忘れた)。サファイアとの三度目の共演だけれど、つまんなかったという印象しか残ってない。演じたのは水島裕で、えらく声が上ずってた記憶がある。
 ほかにもこのリメイク版ではチョイ役出演してる回があるらしい。

 オリジナルビデオアニメ、『ブラック・ジャック』第3話『サンメリーダのふくろう』(1996)にレスリー役で出演。
 巻き髪でかろうじてこれはロックだ、とわかるが、何しろキャラクターデザインが杉野昭夫である。『エースをねらえ!』風のロックって、まあお耽美がお好きな方ならともかく、古いファンにはちと気持ちが悪い。いや、確かにロックには耽美的要素もあるんだけど、あくまで大正・昭和初期の浪漫画の流れにあるんで、鋭角的な線は違うのだ。それはブラック・ジャックのキャラについても言えるんだけどさ。
 しかも声が古谷徹って、違うでしょ、熱血は(-_-;)。シャアとアムロの二人が揃ってロックを演じてるってのは面白いけどね。……あ、マ・クベもか。

 映画としてはイマイチだったけれど、原作にいないのに大抜擢されたのが2001年の『メトロポリス』。
 養父レッド公を敬愛するあまり、ティマ(原作のミッチィ)を破壊することに執念を燃やすなるほどロックに演じさせるにはピッタリのキャラではある。
 キャラデザインの名倉靖博の線は、50年代の手塚治虫の懐かしい線を再現していて好きなのだが、それは同時に『バンパイヤ』以降のロックの狂気も削ぎ取ってしまうことになっていた。ミッチィは原作では男性女性のどちらにも変身できる両性具有のロボットなのだが、アニメのティマは女性形のみでの登場である。ミッチィが持っていた狂気のうち、男性の部分をロックが代わりに演じている、というのが脚本の大友克洋のアイデアであろうから、それはなかなかの着想なのだが、やはり男でも女でもない苦しみを持ってこそのミッチィなので、原作ファンとしてこの改変は素直に喜べるものではない。痛し痒しである。
 少なくとも、ここでのロックはサングラスをかけさせるべきではなかった、と思う。こういう狂気は眼で表現させなきゃならんのだ。演出があの『幻魔大戦』の(^o^)りんたろうだからしょうがないんだけどさ。
 声は岡田浩暉だが、池田秀一によく似ていて、最初聞いたときてっきり池田さんだと思いこんでしまった。声だけならこれもなかなかいい線行ってるんじゃないかな。

 さて、あと最新作として、宇多田なんたらがピノコを演じたどうしょうもないネット配信版『ブラック・ジャック』(2001)にロックが出演しているそうだが、これは未見(どうしょうもないというのはウワサね)。多分、一生見る機会はないような。
 データによれば『第9話 刻印』に間久部緑郎として出演。でも声優の神奈延年という人は知らんなあ。だからどんな声かも想像がつかん。

 抜けは多々あると思うが、ともかくロックの映像化の軌跡をたどってみた。手塚ファンの楽しみの一助となれば幸いである。

 マンガ本編に全く触れないのもなんなので、収録作品のメダマをご紹介。
 やはり手塚作品には必ずある単行本未収録オリジナルバージョンが数編入っているのがうれしいところ。
 サボテン君、というキャラクターはその名通りの作品でデビューし、手塚作品にあっては概ね正義感溢れる少年を好演しているのだが(『ブラック・ジャック』第一話『医者はどこだ!』では、無実の罪に陥れられた主人公を弁護する少年役)、その第一話ではなんとロックがサボテン君を演じているのである。現行の単行本では改稿されて我々のよく知るサボテン君に描き変えられているが、いったいどうしてこのような変更が行われたものか。米沢氏は「ロックではカッコよすぎたのかもしれない」と類推されているが、理由は手塚治虫のみぞ知る、である。
 そして、『ロック冒険記』幻の雑誌版最終回、ロックが死なないバージョン。読んでみるとページ数に合わせたせいだろう、地球の危機がいきなり回避されてしまうご都合主義な結末だが、手塚さんの「とりあえずキャラを死なせりゃ感動的に終わる」という安易な結末のつけ方にはいささか食傷気味なので(『メトロポリス』のミッチィの死などは必然性はあるけれども、『地底国の住人』の耳男などは死なせる意味が全くない)、こちらのほうが新鮮味を感じちゃうね。
 しかし初期のロックは実に女性的なラインを持った美少年なのだよなあ。ちょっと「男装の麗人」的なムードすら漂っている。あの独特な髪の巻き毛は、もともとは少女雑誌の表紙に描かれていた中原惇一や蕗谷紅児のイラストの延長線上にあったのだということが、ロックのアップなどを見るとはっきりわかるのだ。やっぱヅカファンなんだね、手塚さんは(^o^)。
 こういう宝塚趣味は『バンパイヤ』以降はすっかりナリを潜めてしまうのだが、たまにヒョイと意外なところで顔を出してくる。『原人イシの物語』で、死に行くイシの手を握って泣くロックの横顔などは、少女以外の何者でもない。ロックというキャラクターは、やはりただの二枚目にも悪役にも閉じ込められない、幅と深さを持っているのである。

 河出文庫の手塚治虫漫画劇場は、このあとアセチレン・ランプ編を配本するそうだが、できればそれも売れて、ハム・エッグ編、スカンク草井編、レッド公編、丸首ブーン編、金三角編とか出してくれたら嬉しい……って、私、ホントに悪役が好きだなあ。 



 推理作家・時代小説家の笹沢左保が21日、肝細胞がんのため死去。享年71歳。 骨太な作風で知られる氏であるが、そのペンネームは妻の佐保子さんから取られている。そういう繊細で抒情的な面もあったのだ。
 今でこそミステリ界の多作家、と言えば赤川次郎にトドメをさすが、それ以前は笹沢左保か梶山季之、というのが相場であった。生涯の著作が377冊だそうだが、ちょうど三百冊の出版記念が赤川次郎のデビュー時に重なっている。
 「三百冊もよく書けるな」と赤川氏は慨嘆したそうだが、まさか自分が笹沢氏を超えるスピードでその記録を凌駕するとは、当時は思ってもみなかったろう。
 さすがの笹沢氏も、それ以降は著作のペースが落ちたが、それでも77冊を数えたのである。やはり並の筆力ではない。
 高校から大学にかけての一時期、本邦のミステリ作家の作品は一通り読んでやろうと思いたって、笹沢左保も『招かれざる客』ほか何作かを読んでみたのだが、見事なくらいに記憶に残っていない(-_-;)。
 多分、「本格ミステリとは言えんな」という感想を持ったせいだろう。当時の私はミステリに関してかなり偏狭だったのである。今読み返せばまた別の感想もあるだろう。
 赤川氏もそうだが、多作家というのはともすればその評価を低く見積もられる傾向がある。確かに内○○夫とか西○○○郎とか山○○紗とか、何十冊読んでも秀作にぶち当たらないどころか、日本語も使えねえのかこいつらは、ってな感じの憤懣やる方ない思いを味わわせてくれる作家も腐るほどいる。しかし、世の中の愛飲家だって、いつもいつも吟醸酒ばかり飲んでるわけじゃない、とりあえずビールで晩酌できりゃいい、とノタマわれる朋輩も多かろう。鮎川哲也や土屋隆夫クラスの作品ばかりでは、息も詰まるというものである。リズムに乗るように読み流す笹沢氏のような作家を評価してこそ、ミステリの裾野も広がるというものだろう……とかなんとか考えてたら同じようなことを唐沢俊一さんが裏モノ日記に書いてたなあ。これだから日記は遅れちゃうと書きにくい(^_^;)。
 笹沢作品は、小説よりもやはり『木枯し紋次郎』のほうが私の好みに合ったが、中村敦夫主演のドラマのほうがやはり印象が強く、「笹沢左保」を意識したのは実は大林宣彦監督のデビュー作の『HOUSE』出演だったりする。ワンシーンだけの出演だったが、ダンディな立ち姿は結構画面で映えていた。


 いつものことだが、しげの機嫌が悪い。
 毎日、車で迎えに来てくれるのはありがたいのだが、必ずたいしたことでもないことで難癖をつけてくるのだ。
 要するにまたも「オレのことキライやろ」と絡んできたのである。別に何も言ってないのにである(「何も言わない」から勝手にそう思いこむのだろうが、私はただ単に疲れているだけである)。そんな愚痴を口にしたら、私が怒ると分ってるのになぜか何度も聞く。だもんで「しつこい!」と私が怒鳴ることになるのである。
 しげの肩を持つ人は、「女って、自分が愛されてるとわかってても確かめたくなるものですよ」と言うが、それは「わかっていない」から聞いてるのである。「わかろうともしない」とも言う。以心伝心とまでは言わないが、自分で「夫婦は一心同体」とか主張すならこちらが喋ってなくてもそのときの気持ちくらい、ちったあ想像しろと言いたい。「黙ってる=嫌ってる」なんて小学生の発想じゃないんだからなあ。
 「あのさ、国に文化の違いがあるようにさ、個人にもそれぞれ文化の違いがあるんだよ。それを受け入れなきゃ会話はできないの」
 「何がどう違うと?」
 「例えばオレがオマエに最大級の愛の賛辞を贈るとしよう」
 「……うん(〃∇〃) 」
 「そのときオレはこう言う。『何も言わんでもオレの気持ちはわかろうもん』」
 「何それ(`Δ´)。全然愛のコトバじゃないやん!」
 「と、オマエがそう思ってるだけな。じゃあ聞くけど、オマエがオレにめいっぱい愛のコトバを囁くとしたら何て言う?」
 「……上目遣いで睨んで、『嫌いじゃないよ』って言う」
 「それを求愛のコトバと受け取るやつは多分この世にゃいないと思うぞ。だから結局、コトバなんてのは相手には伝わらないんだから、『これがこの人の愛のコトバなんだ』って受け入れるしかないんだよ」
 「……なんか騙されてる気がする〜」
 「騙してねーよ。じゃあ、オレが『オマエの好きなもん奢るぞ』って言ったら、それは信じるか?」
 「うん!」
 「……やっぱり自分の都合でコトバを勝手に解釈してるだけじゃん」
 で、「すし大臣」でたらふく寿司を奢らされるハメになったのだった。
 愛より食い気じゃんかよ、結局。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』7巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 ガッシュたちと出会って戦い、それでも倒されずに生き残っていく魔物たちが少しずつ増えてきているが、必ずしも「強い」魔物ばかりが再登場するとは限らないところがこのマンガの面白いところだろう。
 今巻もまた、「生き残った」魔物として、テントウムシみたいなロップスが登場。魔界の本の主であるアポロは、財閥の御曹司で、ただ自由な旅を楽しみたいだけで、戦いを好まない。その点では清麿やガッシュとも共通しているのだが、「戦い自体を終わらせたい」清麿たちとはやはり根本的に生き方が違う。結局彼らは戦うことになり、それ自体は痛み分けに終わる。
 「魔界の王を決める争い」とヒトコトで言っちゃうといかにも陳腐な設定のように聞こえるのだが、その戦うキャラクターたちの中に、こういう物語の構造そのものを俯瞰する人物を配置することは、うまく行けば作品世界を大きく広げることに繋がってくる。ジャンプマンガだとこれに失敗すること多いんだよね。『封神演義』じゃ申公豹がそうなるべきだったのに、扱いがどんどん軽くなって物語に飲みこまれて、ザコキャラに落ちぶれてっちゃった。
 アポロとロップルがキャラとしてちゃんと転がっていくかどうかは未知数なのだけれど、サンデーの新人さん、最近うまく育ってないみたいだから、雷句さんにはちょっと頑張ってほしいとこなんである。
 ……でも、ウマゴンやキャンチョメ(全く、どこから考えつくんだってネーミングだよな)が勝ち残って魔界の王になっちゃったら、魔界はいったいどうなるんだと心配になるな(^o^)。「メルメルメ〜」しか言えないぞ、ウマゴン。


 マンガ、橋口たかし『焼きたて!! ジャぱん』4巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 巻頭に特別読切『松代DX(デラックス)』と超特盛オマケ『炊きたて!! ゴはん』付き。普通、番外編とかは巻末に付けるもんじゃないかって思ったら、これ、巻末をカラーページにするための措置なんであった。
 でもホントに緑色の「ミドリガメパン」なんて誰が食べたがるってんだ。緑色ってあまり食欲をそそる色じゃないと思うが(野菜が美味しくないのはそのせいもあるかも)。
 パン造りマンガとしてマジメに評価するのはもう無理なんじゃないかって域に入ってきてるけど、あれだねえ、やっぱりマンガで料理物扱うときのノウハウを、『ミスター味っ子』が作ってしまった(アニメ版のほうが特に)ってのは功罪相半ばするところがあるんじゃないかなあ。
 橋口さんの画力は相当なものだけれど、にもかかわらず、焼きそばパンもお好み焼きサンドも、全然食欲をそそらない。その制作過程を細かくリアルに見せることが、かえって食欲を削ぐ結果になっているのだ。これが『美味しんぼ』だと画力がないせいで(^o^)、できあがったものがうまく見えるんだけどね。
 言っちゃなんだが、前作の『ウィンドミル』にしろ、橋口さんは自分の画力に合ったストーリーを作れてないように思うなあ。こういう料理ガチンコ勝負みたいなマンガじゃ繊細な表情なんて描く必要ないからねえ。まだラブコメのほうが絵に合ってるように思うけれど、無難なマンガ描くよりは素っ頓狂なマンガ描いて勝負した方がいいと考えたのかもね。
 でも、一応は料理マンガなんだから、読者が自分で「作りたくなる」ものを描いてほしいよ。マンガにはもともとそれだけの表現力があるんである。私ゃ未だに自分の作るカレーのベースは『包丁人味平』の味平カレーなんだから。


 マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘画『眠狂四郎』5巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。
 一気につまんなくなった、というよりどうしょうもないバカマンガになっちゃったんですけど、どうしたんですかあ?(^_^;)
 いや、風魔と戦うあたりまではまだいいんだけどね、戸田隼人との戦いなんて、最後はただのドツキ合いだぞ。でもってあの眠狂四郎がねえ、「愛する者、守るべき者のために……闘うっ!!」て言うんだよ。……それ、誰よ(-_-;)。
 柳川さん、原作ちゃんと読んでるのかねえ? これが「眠狂四郎」じゃなくて、たとえば全く原作のない「起笑一郎」とか「食泣次郎」とかなら私も別に文句もないんだけどさ、眠狂四郎って言えば「無明の剣士」であり「ニヒリスト」の代表だよ? 腐っても「愛」なんて幻想は信じないし、「剣」を捨ててのタイマンなんて絶対にしないって。ヤンキーじゃねえんだからさあ。
 なんだかシバレンを本宮ひろしで和えてみましたって印象だけど、それじゃ『真田十勇士』じゃん(^_^;)。別に原作を高尚だというつもりはないけどさ、エンタテインメントにはエンタテインメントとしての「格」がやっぱりあるんだよ。それをまたなんでこんなに意識の「低い」ところにまで持ってきたもんなんだか。
 最初のころはそれほどひどくはなかったし、若い人に読んでもらうにはある程度現代的なアレンジは必要だろうとは思ってたけど、原作の根幹にある「思潮」まで変えちゃ話にならんよ。これじゃ柴田錬三郎を借りてくる意味がないじゃん。柳川さん、自分で何を描いてるか認識してないんじゃないかね。
 原作知らない人にはこれでも面白いんだろうが、その読者が万が一、原作にも興味を持って読んでみたりして、「マンガと違うじゃん」とか文句言い出したら腹立つよな。勝手に設定変えてるのはマンガの方だって。
 焚書せよとまでは言わないけど(おいおい)、少なくとも「柴田錬三郎原作」ってのは看板に偽りアリだからね。

2001年10月22日(月) 野だいこ敬語/『源氏物語』第壱巻「桐壷」(江川達也)ほか
2000年10月22日(日) 時代劇なのにカップルが多いとは珍しい/映画『五条霊戦記』ほか


2002年10月21日(月) 今から2ヶ月後のプレゼントで悩んでいる男の愚痴/『華麗なるロック・ホーム』(手塚治虫)ほか

 入籍してから丸十年を経過しているが、式を挙げたのは五年経ってから。
 てなワケで今日が結婚「式」記念日である。
 ところがしげのやつ、この手の記念日ってのをすぐ忘れるのだな。イベント好きのクセに数字には極端に弱いので、「1021」なんて数字はいい語路合わせも思いつかなくて覚えられないようなのである。ちなみに「入籍」記念日は12月31日で大晦日なのだが、これもしげはすぐに忘れる。なぜだ(まあアホだからなんだけどな)。
 でも金欠病が続いているので、記念日のプレゼントは用意してない。と言うか、何を贈ったらいいか、もうネタギレである。指輪も贈った(縁日で売ってた、やっすいやつだけど)、ネックレスも贈った(観光地で買ったダッサイやつだけど)、ブレスレットも贈った(磁気だか妖気だかが出てる妖しいやつだけど)、香水も口紅もバッグも水着も贈った(たいてい1回で捨てられてるけど)、これ以上、何を贈ったらいいと言うのだ。図書券や現金は「そんなんプレゼントじゃない!」と怒るし。
 「お前の好みのものかどうか分らんからヘタなもん買えん」と文句を言うと、「プレゼントなんか用意してないフリして、『ほら』ってくれたものがステキなものだったりするのがいいとよ!」なんてほざきやがる。わしゃ、エスパーとちゃうわ。
 だいたい私の方から一方的にプレゼント贈るばかりで、しげからは気が向いたときにたまにしかプレゼントなんかくれないのだ。ブルジョアから搾取されるならばまだ納得がいかないこともないが、プロレタリアートがプロレタリアートから搾取するなよ。なんだかムチャクチャ理不尽なものを感じるのだが、世間の夫婦はやっぱり夫が一方的に妻にプレゼントしているものなのだろうか。……でも、親父がお袋にプレゼントしてるとこってあまり見たことないなあ。お袋はしょっちゅう、親父に何やかやと買ってたものだったけど。 

 
 それでもなにかイベントらしきことはせねばなるまいと、「さかい」で肉を食う。そう言えばしばらく焼肉を食っていなかった。
 しげにはとりあえず赤味の肉をあてがっておけばいいのだが、私はそれだけだと物足りないし、第一、三人前の盛り皿を頼んでおいても、しげがその大半を食い尽くすのである(-_-;)。私は私で何か頼んでおかないと腹が減って仕方がない。なんだかよく分らないが新メニューで壷に入ってるホルモンがあったので、それを頼む。甘タレが染みこませてあるということであるが、ホルモンにタレが染みこむものであるのか。まあ、腸だからどこかに穴は開いてるんだろうけれど。味は普通のホルモンと比べて美味いんだかどうだか、まあ、不味いとは言わないけれど、気分の問題という気もする。
 私がホルモンに執着してしまうクセというのは、これもやっぱり子供のころの刷り込みで、親が焼肉と言えばホルモン、というように小学生の私に食わせまくったのである。ホルモン注射とかなんとかとのイメージの混同があったのだろうが、「栄養がある」「からだにいい」と思い込んでいたのだろう。実際はただの腸なんだがなあ。しかし、この手の勘違いは世間一般でも同様だったらしく、昔は焼肉屋の前には堂々と「ホルモン焼き」と看板が立てられていることが多かった。っつーか、ホルモン焼き専門の店まであったくらいである(今はその店は焼鳥屋になってるが)。
 しげ、肉を10枚ほど食べ残して「もう食べきらん。少食になった」とぼやく。言って置くが、「三人前」の皿の、残り10枚である。私はせいぜい5、6キレしか赤味の肉は食っていない。少なめに見積もっても、しげは20枚以上肉を食い、、ご飯も2杯オカワリしているのである。「これで少食になった」と言ってるのだから(一応それは事実だ。昔は肉を10枚も残すことはなかった)、以前がどれほどのものだったかは察していただきたい。健啖家、なんて表現が生易しく聞こえるくらいなんスから、ホント。


 しげ、腹も下ってきたらしく、「早く帰ろうよう」と泣きだす。
 けれど無情に「いや、本が買いたいから」と突き放し、、ムリヤリ積文館に寄らせる。散々肉食っといて、腹が痛くなったなんて、自業自得というものだ。ちょっとくらいガマンせえ、と、しげを駐車場に待たせておいて、本を物色。
 ついでに隣のセガワールドを覗いてみたら、UFOキャッチャーでちょうどいい位置に『ヒカルの碁』の卓上時計が四種類出ていたので、全てゲット。
 喜んで駐車場で待ってたしげのところに持って行ったら、「なんでゲーセン寄っとんの!?」と立腹。
 「いや、たいして時間かかってないよ」
 「かかっとうよ! 行くときは『10分くらいね』とか言っといて、もう30分も経っとうやん!」
 「そんなに経ってないよ。せいぜい20分くらいやろ」
 「そうやってすぐサバ読む! どっちにしろ10分は過ぎとうやん!」
 「……おまえ、心狭いよ。もう少し広くならん?」
 「なるわけないやん。あんたの妻よ?」
 ……どういう理屈だ。じゃあ、私の友人、知人は全員心が狭いんか。どっちかというと心が広い人間ばかりで助けられてばかりなんだが。人間としての器の小ささという点では、私の知る限り、しげと親父が両巨頭だぞ。
 この日記で私は散々愚痴だの悪態だの吐いてはいるが、これは殆ど親父やしげの真似なのである。だって、私ってば日頃はおとなしくって気が弱くって、とても○○○○とか○○○とか○○○○なんてコトバ、口にもできないんですもの(^^)。
 ……っつーことは私、やっぱり身内に関しては不幸なのかも(・・;)。


 エロの冒険者さんのホームページ(未だに『素敵なあなた』というタイトルは馴染めない。ウチのバナー、未だに『元祖エロ倶楽部』のままだし)で、ネタになっていた、ぴんでんさんヤンキー化計画、これにしげが至極ノっている。
 っつーか、先に掲示板の方を見て、ぴんでんさんが本当にヤンキーになったと思いこんだらしい。
 んなバカな(^_^;)。
 以下は車の中での私としげのいつもの会話。
 「てっきり、車もヤン車になったと思ってた」
 「なるかよ。オタクのヤン車ってどんなんだ」
 「だから車体にピーブロ作品とか描いてるんだよ」
 「じゃあ、バックにはスペクトルマンで、サイドはライオン丸か。でもってフロントはザボーガーか。そんな車をぴんでんさんが……したら面白いな」
 「やろ!?」
 「でもそんなアホな車にするやつこの世にいるわけ……」
 ちょうどそのときである。
 しげの車の前に急にグイっと割りこんできた軽自動車。なんだコイツと、思ったが、腹立ちよりもなによりも我々二人の眼はそのバックに思わず吸い寄せられていた。
 ……そこには「ロンドンブーツ」の二人がどでかくペイント(70%美化+ウンコ座り)されていたのである。
 一瞬、我々は呆けた。ちょうど信号ですぐに停車したので事故にはいたらなかつたが。ようやく口を開いたのは私の方である。
 「……これもヤン車?」
 「……じゃない?」
 「あの、つまりヤンキーの人たちにとって、ロンブーってカッコイイ存在な分け?」
 「……じゃない?」
 「どこが?」
 「知らんよ!」
 お笑いでもイロモノでつまんないしキャラが立ってないという私の認識はやっぱりヤンキーとは一線を画すもののようである。ということは、ぴんでんさんがヤンキーになるためには、まず「ロンブー」を許容しなけりゃならないということなんだろうか。いや、ヤンキーの基準が奈辺にあるか分らないが、許容しなければならないハードルはまだまだかなりある気がする。果たしてオタクとヤンキーの両立は可能なのか。
 そう言うと、しげがまたとんでもないことを口にした。
 「……大丈夫。こないだもっとスゴイヤン車、見たから」
 「……なんだよそれ。やっぱりペイント?」
 「うん、バックが『ガンダム』」
 ……い、痛いなあ。オタクでヤンキー。水と油に見えながら、実は共通する何かがあるのか。彼らは若さゆえの過ちを認めたくないのか。
 「でもさ、もっと凄かったのは横んとこ」
 「そこにもなんか描いてあったの?」
 「うん、何だと思う?」
 「『ビバリーヒルズ高校白書』」。
 ……言っとくが、コレ、全然ツクリじゃないからね。世界はまだまだ神秘に満ちて入るのであったた、たたた。


 しげが仕事に行ってる間に漫然とテレビを見ていると、拉致被害者の方々が故郷に帰ったとのニュース。
 もう殆ど興味をなくしてたので、たいして耳にも入ってなかったのだが、あるヒトコトを聞いた途端、思わず椅子からコケ落ちそうになった。
 曽我ひとみさんが故郷である新潟県真野町に帰ってきたとき、出迎えた小学生くらいの子供たちが、「ひとみちゃ〜ん!」と声をかけたのである。
 先日、しげが「5人の人たちのうち、誰がアイドルになるかなあ?」と脳天気なことを言ってたとき、良くも悪くも卑近な日常感覚でしか物事を捉えることができない日本人の性状からすれば、そういうこともあろうかと予測はしてたが、それがもうここまで象徴的に現れようとは……(^_^;)。
 多分、この「ちゃん」づけに対して違和感を覚える日本人は少数派であろう。私はもちろん違和感を覚えるものであるが、別にイイおトシの女性を「『ちゃん』付けするな」などと言いたいわけではない。あの町ではまさしく曽我さんは拉致された19歳のころのまま、24年という時間は動くことなく、「ひとみちゃんはどうしているかねえ」と、家々で会話されてきたのだ。
 だから、曽我さんが帰ってきたとき、ごく自然に子供たちは「ひとみちゃん」と彼女を呼んだ。それは確かに自然な感情の流れではあった。
 だがそれが、彼女のこの24年の人生の否定であることもまた事実である。以前も書いたことだが、拉致被害者たちが被害者のままであの国で生きてこれたはずはないからだ。彼女たちはもう人生の半分以上を北朝鮮人として生きてきたのである。
 彼女たちの抱えている問題はただ故郷に帰ってきたから、で終わるものではない。北朝鮮に残された家族をどうするか、という難問が控えている。なのにあの「ちゃん」はそれらの問題を全て無視している。そしてあの子たちのこの「暴言」を町のオトナたちが誰一人たしなめず、また報道も何の違和感も持たずに放送したのだ。それがいったい何を意味しているか。
 ……なんかこれ以上は書きたくないなあ。
 いや、今後、拉致事件の報道が流されるたびに同じこと考えちゃうんだろうなあ、とわかっちゃったんで、気が重くなってるんだけどもね、つまり、もうこの国は国全体が集団ヒステリーに陥っちゃってるってことなんであるよ。
 ヒステリーは必ずしも感情の爆発という形でのみ現れるものではない。その感情の爆発を内包したまま、一触即発の状態で推移している場合もある。少なくとも、テレビを初め、マスメディアの中では、「被害者5人、北朝鮮に送り返してもいいんじゃない?」という意見は全く語られなくなっているではないか。仮に語ればその人に対してどんな攻撃が来ることになるか。「お前は北朝鮮の味方をする気か!」というのが代表的な罵倒であろう(2ちゃんねるあたりではそういう話も出てるんじゃないかと思うけど、怖いから覗いてない)。けどそれって、「日本は大戦中、朝鮮に対していいこともした」という発言に対して北朝鮮・韓国が激怒するのと同じ感情の流れの果てにあるコトバなんだけれどもね。
 北朝鮮は絶対の悪であり、民主主義を標榜する日本は絶対の正義である。そういう図式を無意識にみんなが受け容れてしまってる状態を冷静ではない、と判断することのどこがおかしいだろう? 私は別に北朝鮮の肩を持つ気はないが、日本政府が「拉致被害者の家族」を気遣ってはいても、「拉致被害者」本人たちのことを気遣ってはいない、ということは紛れもない事実であって、それを指摘をしているだけのことである。
 また単純なやつは、北朝鮮人として育ってきたアチラの家族も日本で引き取ればいい、と簡単に考えてるんだろうなあ。例えばアナタがいきなり「実はオマエは北朝鮮人なんだよ」と言われたとして、見たこともない、政治体制も環境も違う故郷に帰りたいと思うものかどうか。そのあたりの報道が全くなされていない現状は「言論統制」がされてると判断するのが妥当ではないかと思うがどうか。
 ……こんな小さな日記のみのサイトだけど、私のこの意見にもクレームつけてくるバカっているかなあ。もしいれば、逆にこの国がホントに病気に犯されてるってことの証明になっちゃうんだけれども。
 

 記念日の食事は焼肉食ったからもうよかろう、と思っていたが、仕事から帰ってきたしげが、なぜかつまんなそうである。
 「あーあ。今日が終わる」
 「今日は終わるよ。それがどうした」
 「記念日終わるやん」
 「……焼き肉食ったろ」
 「ケーキ食べとらんやん!」
 式にはケーキ。いかにも精神年齢低そうな刷り込みだけれど、しげの精神年齢は実際に低いのでこれは当然の発想ではある。けれど、以前、ホール1個をペロリと食べていたしげもさすがにここまでオトナになるとショートケーキを2、3個食うのが限界である。
 「……じゃあ、ロイヤルホストに行くか?」
 昨日の今日でまたロイホかよ、とは思ったが、ファミレスでもそれなりにディナー風味が味わえる点では重宝している。どうせ食うのは肉料理だが。
 土産にショートケーキを二個ずつ買って帰る。種類はケーキに詳しくないので、とりあえず知ってる名前のものを注文する。シュークリームとモンブランである。片方はケーキじゃないな(^_^;) 
 2ヶ月後には今度は入籍記念日が来る。そのときまでに私は何かしげが満足するイベントを考えつけるのだろうか。


 マンガ、手塚治虫『華麗なるロック・ホーム』(河出文庫・819円)。
 米沢義博編による、ロック・ホームの作品集セレクト。ヒゲオヤジに続いての第2弾だが、こういう編集の仕方の作品がこれまでなかったというのが不思議だ。水木しげるには『ねずみ男の冒険』があったのに。
 手塚治虫が取ったキャラクターシステムをファンなら知らぬものはなかろうが、いったん主役を張った二枚目キャラがまた別の作品でも主役を務める例は案外少ない。アトムだって百鬼丸だってブラックジャックだって、他作品に出演するときはあくまでゲストキャラである。ゲスト以上の役割を振られたのはケン一とこのロック・ホーム(間久部緑郎)くらいではないだろうか。
 米沢氏が解説でロックの変容ぶりを詳述してくれているが、初期作品ではお定まりの正義の探偵少年で、たいした個性もなかったのである。『バンパイヤ』で悪の魅力を発現して初めて女性ファンがついたというのはもう有名。
 収録作品について詳述してったらキリがないので、今回はロックの魅力を別の角度から、つまり、マンガではなく、映像化されたロックの軌跡からちょっと探ってみよう。手持ちのビデオテープで確認できる範囲なんで、随分抜けがあるとは思うが。

 初めて映像化されたロックは何かと言うと、実写版『鉄腕アトム』(1959)の第1部『ZZZ団の巻』に登場するリヨン大統領の息子、ロベール役、と言いたいところなのだが、コレがちょっとマズイのである。
 というのも、映像化にあたって、これが息子から娘に変更されているからだ。なんとロックの初映像化は女役だった! ……いや、『バンパイヤ』で女に変装したこともあるロックだからおかしかないんだけどね。「ミシェール」(字幕にはそう表記されてるが、本編では「アルベール・ミッシェル」と呼ばれている。リヨン大統領もなぜかアルベール・リヨン博士に変更)という名のその少女を演じているのは、字幕によればサディア・アルテンバイ。
 GOOGLE検索かけても全くヒットしないから、プロフィールが分らないんだが、同話に出演していて『スーパージャイアンツ』シリーズにも出演していたジャック・アルテンバイ氏の娘さんではないだろうか。いや、これがちょっと鼻は大きいけれどなかなかの美少女なんだよね。「天国のママ、パパを守ってくださいね」と祈るあたり、正統派「可憐な」美少女、と言った雰囲気でヨイのですよ(* ̄∇ ̄*) 。もちろん声は吹替えだろうが、口パクが合ってるから、一応、日本語は喋れるようだ。
 ついでだけれど、『アトム』のアニメ化は1963年1月1日が初めて、と思われているが、この実写版のオープニングで実は『アトム誕生』がアニメ化されてるのである。

 実写ではなく、アニメの初出演はモノクロ版の『鉄腕アトム』(1963〜1967)の第16話『白い惑星号』の星野光一役ということになりそうだ。
 声優は『ウルトラQ』第一話『ゴメスを倒せ』の次郎少年の声や、『少年忍者風のフジ丸』のフジ丸、『サザエさん』の三平(初代)を演じた小宮山清。テロップは失われていて、耳で確かめたから本当は断定はできないのだが、特徴のある声だからまず間違いはなかろう。けれど、アニメ用にキャラデザインに若干変更が施されているので(髪のカールがやや直線的)、これをロック初出演作と言っていいものかどうか、ちょっと異論はあるところだろう。ほかにもこのテレビアニメ版は原作が短いためにいろいろな改変がしてある。原作にはないライバルに佐々木小次郎を起用したり、悪役にロンメルやアセチレン・ランプを配してドラマに厚みを持たしてある。
 同様に、第30話『ZZZ総統』でのロベールもキャラデザインが全く変えられていて、『罪と罰』のラスコルニコフみたいなキャラになっている。声優は『エースをねらえ!』愛川マキや『忍者ハットリくん』ケン一の菅谷政子(これも耳での確認)。もしかしたら『アトム』の全話を見るとどこかにロックが出て来ているかもしれないが、さすがに全話を見返す時間と気力はない(^_^;)。誰か熱心なファン、調べなさい。

 ハッキリとロック初出演作と言えるのは『リボンの騎士』(1967〜1968)のフランツ・チャーミング王子(声・喜多道枝)だろう。ジュラルミンだのナイロンだの、『リボンの騎士』のキャラクターには鉱物や加工品の名前が付けられてたのに、サファイヤの相手たるフランツが普通の名前だったのはちょっと不思議に思っていた。ホントは好きなくせによくサファイヤと口ゲンカしていたのは、高橋留美子の『らんま1/2』の乱馬とあかねにまでしっかり受け継がれている黄金パターン。でも、やはり初期のロックは映像化作品でも正統派二枚目であって、ちょっと物足りない。

 さて、他の役でなくまさに極め付けロックとして登場したのが実写とアニメの合成作品、水谷豊主演作としても有名な『バンバイヤ』(1968)。ロックを演じたのは佐藤博(後半は梶健司)という俳優さんだが、どうも私には記憶が薄い。戸浦六宏の熱海教授の印象のほうが強かったせいかも。「佐藤博」で検索しても同名異人が多すぎてプロフィールが解らない。大島渚の『日本春歌考』に出演していた佐藤博と同一人物なのだろうか。
 佐藤さんはエンディングの「ロックのバラード」も歌ってたそうだが、さて、どんな歌だったか。毎回楽しみに見てたのにこんなに記憶というものは消えるものなのか。ファミリー劇場あたりで再放送してくれんかなあ。

 枚数オーバーしたので続きは明日の日記にて。

2001年10月21日(日) もう6年/『背後霊24時!』3巻(がぁさん)ほか
2000年10月21日(土) 仔牛のテールは美味かった。♪ドナドナ/『火星人刑事』4巻(安永航一郎)


2002年10月20日(日) クレーマー・クレーマー(^_^;)/『COMAGOMA コマゴマ』3巻(森下裕美)/『フルーツバスケット』10巻(高屋奈月)ほか

 朝方、久しぶりに『ハリケンジャー』やら『龍騎』やらを見る。
 間が開いているので、もう筋がどうなってるんだか付いていけん。やっぱりホームページとか見て、ストーリーを追ってかなきゃならんかなあ。
 『どれみ』はあいこちゃんの離婚してる両親の話。あいこちゃんのために復縁しようかどうしようか、と悩むのだが、お母さんのほうが、お爺ちゃんの介護をしなきゃならないから、と二の足を踏む。嫌いあって別れた二人ではないのだ。
 子供向けアニメでこれだけハードな設定が描かれることは珍しいのだが、実際、この問題に関しては全く魔法が意味を持たない。結局あいこちゃんが耐え忍ぶことで決着(?)するのだが、そこんとこがどうにも後味が悪くて仕方がなくってね。お父さんがまたすげえ短気で、すぐお母さんを怒鳴ろうとしてあいこちゃんにたしなめられてるのよ。オトナが子供に心労かけてどうするんだろね。
 見ながらつくづく「死に損ないのジジイなんか病院にたたっこんどいて、家族で暮らせや」てなこと考えちゃうんだけどさ、そんな考え方は不謹慎だ、なんて怒るやつも多いんだろうな。
 でも生活上、現実にそうしてる家族もいるんだしねえ。自分たちだけが不幸、みたいなツクリ方、どうにも偽善的で気に入らないのよ。
 『題名のない音楽会』、ゲストは葉加瀬太郎さん。今度この人、福岡に来るんだよなあ。しかもベスト電器に。あそこの特設ステージって、ムチャクチャ小さいんだけど。コンサート会場、取れなかったのか? でも時間があえば見に行きたいなあ。


 昼飯はロイヤルホスト。
 割引券が送られて来てたのだが、〆切が今月中だったので、慌てて使う。
 そのとき、支払いを金券で払おうとしたのだけれど、「割引券と金券の両方は使えません」と断られる。
 まあ、そういう反応をするだろうとは思ってたが、私が金券を持っていたのには事情があったので、素直には引き下がらない。
 「これ、前に来たときにカードのポイントが溜まってたんで、引いてもらうはずだったんですよ。けれど、レジの人が新人で、引きそこなっちゃったんですよ。そのお詫びに貰ったものなんで、だから、ちゃんとこれで引いてください」
 お店の人、「誰ですか、それ?」と言いかけて口をつぐんだ。そんなこと聞いたって意味ないし、こっちが本気で怒ってるってことに気付いたらしい。金券を受け付けてくれた。
 ああ、またしげの嫌いな「クレーマー」しちゃったよ。世の中にちゃんと仕事してくれる人が多けりゃそんなことせずにすむのに。……自分がクレーム付けられることを考えてないやつはすぐこんなこと言うのだな(^_^;)。


 マンガ、森下裕美『COMAGOMA コマゴマ』3巻(集英社/ヤングジャンプコミックス・840円)。
 キャラクターたちのフルネームがようやく判明。サカタは「坂田新一」でゆうまは「麻原ゆうま」、まおちゃんは「天地まお」。「まお」って仇名だと思ってたんだが、本名だったのか。ワザと女の子名前つけたのかなあ。
 しげから「佐藤先生、アシベたちの先生だったんだね」と聞かれたが、何のことかわからなかった。
 「なんのこと?」と聞き返すと、「『ここだけのふたり』に出てたじゃん!」と言う。
 ……全く記憶にない。年々記憶力の減退は感じてきてはいるが、自分の好きなマンガの内容まで忘れるようになっちゃったんだなあ。若年性のアルツハイマーもあるそうだけれど、アタマの老化を防ぐ手段ってないのかなあ。
 内容は相変わらず、そこそこ面白いんだけれど、『アシベ』の頃に比べて、毒が随分薄まっちゃゃってるような気がする。昔だったらジイちゃんみたいなワガママなキャラは、罪の報いで(^o^)何度となく血塗れになってて当然な気がするんだけれど。
 ワイド四コマになって、なんだかマンガの量が半分になったような損したような気分も覚えているし、もしかしたら森下さん、ホントにネタに詰まってるのかもしれない。今後の活躍を望む。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』7巻(講談社/KCM・440円)。
 えーっと、もしかしたら今回のトリック、江戸川乱歩の『月と手袋』のパクリかな? まあ、まだ解決編は収録されてないので、詳しいことはまだ書かないでおこう。私の予想が外れていることを祈る。
 しかし世間のミステリファンはいい加減でこういう低レベルなミステリマンガに対して怒らないものなのかなあ。“最先端の整形技術で変装する”「冥王星」なんて存在出しちゃ、まずミステリとしての基盤自体、ぶっ壊してるでないの。ルパンだって、「全くの別人」に変装することはあっても、実在する他人に成りすますことはしてないんだがね。どんなに整形技術が進んだって他人にゃなれないってことぐらい、小学生でもわかるぞ。「冥王星」ってネーミングもモロに栗本薫の「天狼星」のモジリだしなあ。この節操のなさはいったいなんなんだ。
 あと、随分と絵がうまくはなってきたんだけど、未だに遠近法を殆ど使わない画面構成はいい加減で何とかしよう。正面顔のアップばかり並べてちゃ、単調過ぎて読んでて退屈だぞ。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』10巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 ああ、ようやく透の心の闇が描かれ始めたねえ。
 天然ボケの少女、という設定は少女マンガにはありがちな設定なんだけど、これってもともと少女からある一定の性的な要素を排除する効果もある。そりゃ、1巻や2巻のころに由希が透を押し倒したりしたら、なんて人非人だ、ってことになっちゃうからねえ。マドンナは周囲の人間を「癒し」はしても、「性的対象」とは見られないようになってるんだね。そんな気持ちをマドンナに対して抱くことは汚らわしい、「冒涜」だ、ということになるから。
 けど、ドジッ子だって生身の人間。体型的にもツルンペタンの幼児的に描かれている透だけれど、決してありきたりな少女マンガのキャラクターとして描かれてはいない。どこかに「生身」を感じさせる部分があったけれども、それがここに来てじわじわと描かれるようになってきた。
 燈路(「ひろ」と読むのだ。ああ、ややこしい)に、なぜ母親のことばかり話して、父親のことを語らないのか? と詰問された途端、透は一瞬、心を閉ざす。誰にも触れられたくない過去はあるというが、さて、透にとって父親はどういう存在だったのか? なんとなく少女マンガにあるまじき設定がありそうで興味津々。
 何がどう面白くなって来たかと言うと、透の「弱点」がハッキリ現れてきたことによって、これまで由希たち十二支の一族の呪いが透の「癒し」によって解かれる日が来るかも、という予想が崩れ始めたからである。多分、読者の誰もが、慊人に縛られ、自らの運命に立ち向かえずにいた由希たち十二支の一族を、透の存在が解放し、救ってくれると信じていたはずだ。けれど、どうもそう簡単にはいかないらしい。慊人は早晩、透の過去を知り、その「弱点」を責めることになるだろう。何らかの「致命傷」を透に与える可能性も高い。
 透が壊れたとき、由希たちは透を救えることができるのか。今はまだ、透にすがることしかできない由希たちに。
 今巻のラストのひとコマ、透の前で涙を落とす由希を見ていると、「何も見えてないヤツはみっともないな」とつくづく思う。「オマエがすがっている相手は、オマエのかあちゃんじゃないんだぞ」と言ってやりたくなる。何より、少女の心の闇に気付かず、一方的に甘えているだけの由希の心が本当の意味で「愛」と呼べるものかどうか。
 少女マンガの大半は恋愛は描いても性は微妙に避けて通ってるんだけれど、ここまで問題を煮つめて来たら、もうただの天然ボケで問題をかわしてはいけないだろう。少年は少女に自らの苦しみを訴えた。しかし、心に闇を持つ少女に、少年の全てを受け入れることが可能だろうか。
 透には一点の曇りもないと信じていたら、由希はかえって足元を掬われることにならないか。なんだかどんどんドロドロしてきそうだけれど、実はそこをうまくまとめられればおもしろい物語になっていけそうなんだけどね。

2001年10月20日(土) 泣くなしげっちゅ/『眠狂四郎』1巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)ほか
2000年10月20日(金) カシューナッツと水木の世界とパーティと/『大熱血』(島本和彦)ほか


2002年10月19日(土) 多分今日は死にかけていた/映画『千年女優』/『ロード・トゥ・パーディション』

 昨日の日記で書き忘れてたことから。
 しげから鴉丸嬢の原稿〆切が今月末であることを聞く。本気でエロマンガ作家を目指している鴉丸嬢ではあるのだが、その奔放な発言とは裏腹に、根は純情なお嬢さんなのである(最近の女の子はみんなそれなりに経験値積んでるんで、本気でエロなやつかどうか判別しにくくなってるのだ)。
 正直な話、ドロドロな人間関係には抵抗力がなさそうなので、あまりソチラの世界には行かないほういいような気もしているのだが、本人はもうこれが貧乏脱出大作戦、とばかりに頑張ってるので、一概に「やめとけば?」とも言いがたい。
 しげの話だと、なんか話造りに煮詰まってて、私に相談したがってたそうだ。
 「出来上がったやつの感想聞きたいっての? でも描き直すヒマはないでしょ」
 「だから、次の作品の意見を聞きたいってことじゃないの? 話造りには自信がないみたいだから」
 話造りに自身のないやつがマンガ家目指すのか、とも思ったが、実際に原作ねーと描けないマンガ家もいるしな。いや、そんなマンガ家になることを目指されてもなあ。
 けれど、鴉丸嬢も私の性格については先刻ご承知のはずである。私に相談されても、まず辛辣なことしか言わんだろうということはわかってて、それでも聞きたいんだろうか。だったらマジで見込みあると思うけど(マンガ家として立って行けてる人の大半は理不尽な悪評にも負けてはいない)、どんなもんなんだか。なんだかんだ言っといて、原稿を見せに来ないに5千点。


 今日は映画に行く約束の日。見たい映画が2本あるので、さてどうしたものかと考えたが結局今日のうちにハシゴすることにする。連休なんだから、1本は明日に回しゃいいじゃん、というご意見はあろうが、連休のうち一日は休んでおかないと、カラダが持たないトシになってるのである。
 いつものごとく、朝寝しているしげを叩き起こして、まずはキャナルシティに向かう。映画の時間を見たら10時からということだったので、時間を気にするしげに気を遣って、9時過ぎには家を出たのだったが。
 しばらく運転していて、しげ、急に「しまったあああ!」と叫ぶ。いつもながら、甲高いしげの声は心臓に悪い。
 「どうしたんだよ、いったい」
 「財布忘れた!」
 「ウチにか? 取りに帰ればいいじゃん」
 「違う、職場!」
 「……なら、職場に取りに行けばいいじゃんか」
 「まだ、店、開いてない。今行って、カネが無くなったりしてたら一発で犯人だと思われるからイヤだ」
 なんだか杞憂じゃないかとは思うが、李下に冠を正さずの例えもある。ましてやしげは李下で冠を正しながら踊ったりジャンプしたり果物食ったような臭い屁をこいたりするような行為に及ぶことはしばしばなので、用心するアタマが働いてるときには働かせておいたほうがいい。
 しかし問題が一つあった。私にもカネがないのだ。
 仕方なく財布は帰り道に取りに行くことにして、とりあえずしげにはカネを銀行から卸してもらうことにする。今日はしげの奢りの約束だったので、私はナケナシの食費を出さずにすんだのであった。

 キャナルに着いてみると、映画は10時40分から。どうやら時間を見間違えてたらしい。
 「だったら10時に店に行けたのに」
 と、またしげの機嫌が悪くなる。銀行の手数料を取られたのがそんなにも惜しいらしい。相変わらずケチ臭いやつである。
 時間が余ったのでウェンディーズで朝食。ここのハンバーガーはほかの店に比べて二割はチーズ増ししてると思うが、これも、もしかしたら肉の味を誤魔化すためだろうか。

 
 映画『千年女優』。
 『パーフェクト・ブルー』に続く、原案・脚本・監督・キャラクターデザインの今敏と、脚本、村井さだゆきコンビ第2弾である。
 前作がサイコホラーとしてなかなかの出来だったので、今回も相当の期待をして見に行った。
 で、見た結果はどうかということなんだが、「惜しいなあ」というヒトコトに尽きる。『パーフェクトブルー』も余り予算がなくてスタッフは苦労したらしいが、本作も制作のスケジュールやらなにやら、おそらく相当キツキツの中で作ったんだろうな、というのが察せられる出来なのである。作画のいいところとよくないところにムラがあるのだ(殺陣のシーンなんかは恐らく『少女革命ウテナ』の作画監督を務めた本田雄の担当だろう、迫力ある出来だったのだが、日常風景になると表情が止まることが多い)。

 映像制作会社「VISUAL STUDIO LOTUS」の社長、立花源也(飯塚昭三)は、かつて一世を風靡したものの、30年前、忽然と銀幕から姿を消した大女優、 藤原千代子(荘司美代子)のドキュメンタリーを作るために、人里離れた彼女の山荘を訪ねる。
 しかし立花にはその目的のほかに、もう一つ、彼女にあるものを手渡す約束をしていた。それは古びた小さな鍵。かつてなくしたその鍵を手にしながら、千代子は過ぎ去りし日々の思い出を語り出す。

 『千年女優』の「映画」としての面白さは、この映画の「語り口」にある。
 立花とカメラマンの二人は、何の違和感もなく千代子の語るかつての人生と映画の中に入りこみ、ときにはいくつかの役を演じつつ、虚実皮膜の境を流浪する。ここで物理的な整合性を考えてしまったら、この映画を楽しむことは不可能だろう。これはあくまで「千代子の語る過去」であって、現実の過去ではないのだ。トシを取った千代子には、既に現実と虚構の区別も曖昧になっていただろうし、そう考えれば時代的な矛盾も特に気にならない。
 彼女の語る人生が、そして映画こそが彼女にとっての真実であり、藤原千代子を女神と崇め奉る立花は、ウソと知りつつ彼女の妄想に付き合っているのである。もしも私が、20年前にこの映画を見ていたら、その斬新な演出に感嘆し、絶賛の声を挙げることも吝かではなかったろう。

 けどなー、もう押井守を見ちゃったあとだしな〜(^_^;)。「どこからどこまでが現実か虚構か」とか、「これは現実ではなくて誰かの虚構の中かも」ってのは、まあ押井さんが嚆矢ってわけでもないけれど腐るほどあの人がやってきてるしなー。で、この映画、結局は千代子の妄想の中だけでのお話、ということが早々にわかっちゃった時点で、ドラマとしての求心力は、どんどん減殺されて行っちゃってるのだ。ドラマを後半まで引っ張っていく「謎」がないと、映画を見てても観客は「オレって、今、何を見せられてるの?」って気分になっちゃうんだよ。ここが押井守と今敏との才能の差なのかな。いや、「惜しい」なあと言ったのは実はシャレだったんだけど、実際、村井さだゆきと今敏、押井守の影響をヘタなとこだけ受け過ぎなんだよねえ。

 千代子がただひたすら、かつて出会った「鍵の君」を追いかけて映画に出演し続けてきた、それを描く構成自体を否定するつもりはない。しかし、見ていて何が辛かったかって、『うる星2』のあたるのセリフじゃないが、「自分の夢に勝手にオレを巻き込むなあ!」なんである。ともかく狂言回しのつもりかなんだか知らないが、立花の扱い方が徹底的に悪い。立花はいったいなんのために彼女の妄想に割り込んで行ったんだ? 千代子に対するただの賛美者、追従者なら宗教の信者と変わらんじゃないか。そんなキャラを妄想の中に登場させたって、ドラマが平版になるばかりだ。
 映画女優に恋をして、映画の中に入りこむ、というのなら、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』くらいに徹底してくれないとつまんない。所詮、立花は千代子の妄想に付き合ってるだけの傍観者に過ぎないから、物語に何か影響を与える訳でもなんでもない。それじゃ物語は予定調和のままで進むだけだ。壊れ行く千代子の妄想を食いとめるなり反逆するなりしてこそドラマになるのに、「千代子さ〜ん」と泣かせるばかりか。脚本家、もちっと映画を見たらどうだ。

 語られる映画、実際に昔の日本映画をモデルにしてはいるのだけれど、これももうちょっと凝ってほしかった。ただずらずら並べるだけじゃなくて、時代の雰囲気を出してくれないとねえ。これも予算の関係でしかたないんだろうけれど、かつての日本映画の名作、ということになれば全部モノクロ画像にするくらいのことしてくれなきゃねえ。
 ついでだから、劇中劇、として描かれた藤原千代子主演映画の元ネタについてちょっと考察してみよう。
 『傷痍の勇士』や『君を慕いて』、すれ違いのドラマで停車場のシーンとなれば、こりゃもう『愛染かつら』である。だったらこのシーンでは絶対、テーマソング作って流さなきゃなあ。凝り方が足りないのはこんなとこなんである。満州へ渡る、というあたりは、『支那の夜』のイメージも混じってる感じだが、どちらかというと岡田嘉子の逃避行事件の影響があるように思える。つまり、「この映画はアレが元ネタ」と限定できるものばかりでなく、いくつかのイメージを合成してニセの映画を作ってるんである。
 『めぐり逢い』は「千代子巻き」の映像でもう『君の名は』だとわかる。
 『島原純情』は『祇園の姉妹(きょうだい)』、『雪の絶唱』は一連の新撰組映画(『月形半平太』も混じる)、『怪傑黒天狗』はもう『怪傑黒頭巾』と『鞍馬天狗』の合体、『千代子の忍法七変化』は一連の美空ひばりシリーズ、『学舎の春』は『二十四の瞳』や『青い山脈』の合体、『東京のマドンナ』はちょっと特定ができないが、高峰秀子がバスガイドをやってた映画があった気がする。『化石の家』は小林正樹の『化石』、『女の庭』は小津安次郎の一連の映画、印象としてはヒロインが結婚を迫られるから『晩春』がベースになってる感じか。『真夏の水平線』は多分『太陽の季節』や『狂った果実』といった太陽族映画(海辺のシーンしかないから限定できん)。『トラック大将』は説明いらないよな(^o^)。
 でもって、これはやりすぎだなあ、と思ったのが、『ギガラ』。いや、『ゴジラ』なんだけど、藤原千代子、芹沢博士の役演じてやんの(^_^;)。ヒロインじゃないのか。松竹映画系、日活映画系の作品が多い中で東宝が1本混じってくるとこにも違和感があるねえ。もっともそんなの感じるのって、40代より上の人間だけだと思うが。
 『紅の華』、女武者モノってなんかあったかなあ、と思ったんだが、なんとなく『クレヨンしんちゃん・雲黒斎の野望』や『戦国大合戦』にイメージが被っちゃうんだよなあ。まあ、戦いの中で誰かが犠牲になるってシチュエーション、あまりに多過ぎてこれは特定できない。
 『あやかしの城』は一番テーマに関わってくる話。と言っても、糸車を回す老婆が出てくれば、これはもう黒澤明の『蜘蛛巣城』である。となれば、老婆の正体も初手から見当がつく。案の定、『プリズナーNO.6』でした(^_^;)。全体、脚本が客へのブラフのかけかたがヘタなんだよなー。もっとも、殿に死なれた姫が城から助け出される、というエピソードは『秀頼と千姫』のもの。
 で、最後の出演作、『遊星Z』は、『アルマゲドン』……じゃなくて『妖星ゴラス』ね(^o^)。これが引退映画ってのが、脚本家にセンスなさ過ぎ。伝説の大女優どころか、節操のないヒロインって感じしかしないぞ。っつーか、40過ぎて特撮映画のヒロインやったりしないし、やらせねえって。……とかなんとか言ってるけど、原節子が『日本誕生』なんてのに出たって実例があるからなあ(-_-;)。一概に否定もできん。
 それにしても特撮が以上に凝ってるが、大正12(1923)年生まれのヒロインが、40代で引退したってことは、まさしく『ゴラス』のころじゃん。あんな精密なメカ特撮、作れてねえぞ。この辺の考証もいい加減なんである。やっぱり詰めが甘いなあ。

 一番ガックリきたのは、ラストの千代子のセリフ。「だって、私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」。
 いや、だから、これが全部千代子の妄想だって気付いた時点で、そんなこと説明されなくたってわかってんだって。「こいつ恋に恋してるだけだよなあ」と思いながらガマンして見てたのに、そんな解りきった陳腐なセリフで映画をシメられるのかよ。脚本家、そんなふうに説明しないと客は理解出来ないだろうとか考えてるのか? ちょっと客を舐めてないか。
 福岡での公開は1ヶ月遅れ、東京じゃ早々に打ち切りにあったっていう話だけど、この程度の出来だとしかたがないかもなあ。 

 しげに感想を聞いてみると、「面白いのかもしれないけれど、好きじゃない」とか。うーむ、やっぱり気に入らなかったか。これはアタリだと思ってたんだがなあ。つまんないとまでは言わないが、やっぱり「もっと面白く出来るのになあ」という思いがしてならない。特に声優はもっとうまい人使おうよ。飯塚昭三さん、好きな人だけど抑えた演技の出来る人じゃないんだから。
 しげは『ブルー』を見ていないし(怖いのはアニメでもダメなのである)、事前情報も全くなかったので、ムリヤリ連れて来たようなもの。それで金まで出させてるんだから私もヒドイやつである。


 口直しに、と、キャナルからトリアス久山に移動して『ロード・トゥ・パーディション』を見る。
 しげが一席2500円もする「プレミアスクリーン」というところで見たがったのである。食事用のテープルが横についてて、ゆったり見れる、という話だったけど、そう広いというほどでもなく、しかも隣席の人と共用。あまり意味ねえなあ。しかも、持ちこんだ食いもの、フライドチキンにタコヤキだし(^_^;)。
 ウワサのTHX、初体験だけれど、そんなにスゴイのかどうかよくわからなかった。銃の音にはちょっとビックリしたけど。

 事前情報としては、サム・メンデス監督が『キネマ旬報』のインタビューで、「『子連れ狼』をを元にしてマース」とか言ってたのを聞いて、トム・ハンクスが拝一刀かぁ? とか首を傾げてたんだけど、いや、見てみて驚いたねえ。ホントにストーリーもキャラクターもそのまんまだ。どのくらい似てるかっていうと、『ロミオとジュリエット』と『ウエストサイド物語』程度には似ている。いや、盗作ギリギリってとこだね。
 アチラにマックス・アラン・コリンズ原作のグラフィック・ノベルがあるそうだけれど、まず間違いなくその人、『こ連れ狼』読んでるね。……そう言えば、原題の“ROAD TO PERDITION”、直訳すると「地獄への道」だ。……「冥府魔道」じゃん(^_^;)。これで『子連れ狼』と何の関係もありませんとは通らんだろう。小池一雄、原作権料請求してもいいんじゃないか。
 ちなみに若山富三郎主演の『子連れ狼』映画版シリーズは、“Lone Wolf and Cub”“Sword of Vengeance”などのタイトルで海外でも公開されている。

 イリノイ州ロックアイランドの町で、12歳の少年、マイケル・サリヴァン・ジュニア(タイラー・ホークリン)は優しい両親、やんちゃな弟と平和に暮らしていた。しかし、ある夜、父マイケル(トム・ハンクス)が銃を持っていることを知り、父の仕事に疑念を抱く。
 実は父マイクはギャングのボス、ジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)の子飼いの手下だった。ルーニーの息子、コナー(ダニエル・クレイグ)は殺人を犯すのをマイケルに見られたため、彼も含めてサリヴァン一家を皆殺しにしようとする。
 妻と次男がコナーに殺され、マイク親子は復讐を誓う。ルーニーは息子をシカゴにかくまい、マイクにこの土地を離れるよう勧告するが、既にシカゴのボスが差し向けていた殺し屋、マグワイア(ジュード・ロウ)が、親子に暗殺の手を差し伸べていた……。
 柳生烈堂(十兵衛の弟だ)が実在人物だったように、ジョン・ルーニーも実在のギャング。虚実ない交ぜのドラマに仕立ててるあたりもそっくりなんだけれど、最後の最後、『子連れ狼』では柳生烈堂を倒したのは……だったんだけれど、そこはちょっと変えてあった。まあ、エセヒューマニズムの国、アメリカならではの結末ではある。けれどそうしなきゃならないということもわかるし、特にラストのマイケル・ジュニアのセリフは、『子連れ狼』の大五郎にも言わせたいようないいセリフだった(もちょっとオトナにならないとムリだけど)ので許す。
 まあ、トム・ハンクスがギャングに見えるかどうか心配してたけどそう悪くはなかったし(こないだの『インソムニア』でアル・パチーノが警官に見えなかったのとは好対照)、ジュード・ロウのイカレた暗殺者ぶりはなかなかのものだったので、充分満足。『子連れ狼』ファンには必見でしょう(^o^)。


 帰宅途中の車の中で、しげが突然とんでもないことを言い出す。
 「眠い。マジで眠い」
 「……いきなりなんだよ、そんなに寝てないのか?」
 「今朝まで仕事だったし昨日の昼も寝てないし」
 「寝とけよ!」
 「寝つけなかったんだもん。……このままだと運転しながら寝ちゃうから、なんか喋りかけて」
 「なにかって……いきなり言われても、話すネタないよ!」
 「……一緒に死ぬ?」
 「あ、そう言えば、今度なんの映画に行こっか、『リング』はまず怖くても見に行くやろ、『ピーターパン2』はお前興味なかったんだよなあ、てっきり『フック』も見に行ったし、見たがると思ってたんだけどなあ、今度のはちょうど『1』と『フック』の間の物語ってことになるのかな、ウェンディの娘が主人公なんだろ? 確か『フック』はウェンディの孫かひ孫が主人公だったからなあ、でも、ピーターパンがオトナになったらロビン・ウィリアムスってのはなんだかウソだよなあ、『マイノリティリポート』はどうする? 原作読んだからもういい? 『恋に唄えば』は絶対はずせないしなあ、ああいうバカ映画でミュージカルでってのは押さえとかないとなあ。けど、最近、竹中直人映画に出過ぎだよなあ、実際は演技に幅のない人なんだからイロモノで使い過ぎると飽きられちゃいそうなんだけどなあ、あ、『TRICK』はオレ、行くよ、お前が行かなくてもね、『ケイゾク』のスタッフで作ってるんだけど、相変わらずバカだよー、アレ。まあ、渡部篤郎は出ないけど、毎回、宗教の教祖のインチキ暴くんだよ、巨根の阿倍寛と貧乳の仲間由紀恵のコンビがね、で今回の教祖役って野際陽子なんだよ、似合ってるよなあ、教祖役が……って寝るなあ!」
 ……マジで時々車線を越えそうでした。生きて帰れたのは奇跡です。『地獄への道』見てきたあとに地獄へホントにイッちゃったらシャレにならんがな。それとも我々二人だと『地獄珍道中』か?
 しげも帰ってすぐ寝たけど、私も倒れて寝ました。とりあえず『ガンダムSEED』と『キングゲイナー』は録画仕掛けたけど、いつ見返せるかわかりません……(-_-;)

2001年10月19日(金) 逆探知されました(^_^;)。/『コータローまかりとおる!L』1巻(蛭田達也)ほか
2000年10月19日(木) 異端審問と放火魔タマキと消えたメールと


2002年10月18日(金) 今日はノロケじゃないと思う/『プリンセスチュチュ』10AKT.「シンデレラ」/DVD『鬼畜』ほか

 今日も仕事が6時過ぎまでかかっちゃったので、しげ、頗る機嫌が悪い。
 「仕事の前にメシ食って風呂入る時間がないやん」と言うのだが、そこまで余裕がないわけではない。9時出勤で、早めに出かけるとしても、3時間はあるのだ。ものごとを針小棒大に解釈して被害妄想に自ら陥るのはしげの悪い癖だが、いい加減にしてもらえないものか。一日会う時間がないと文句垂れまくってるからこちらもムリしつつ早めに帰れるようにしてるのである。
 そう言うと「じゃあ、無理してるから感謝しろって言うの?」なんて陰険なことを言う。
 このアマ、なにナマイキなこと言い腐っとんじゃ、のぼせあがるのも大概にせえよ、キサマ何様のつもりか、それじゃあ感謝してもらおうじゃないか、オレの目の前で「私が悪うございました、許してくださいごめんなさい」と手をついて土下座しやがれ、三べん回ってニャアと言え、おまえみたいなドグサレた人格の○○○○の○○○○の○○○○○○につきあってるだけでもありがたいと思えや、この唐変木のコンコンチキが、と心の中だけで嘯く(心だけかい)。
 実際には給料日前でカネがないのでしげにマクドナルドでベーコンレタスバーガーを奢ってもらったのである。悪口など言えるはずがない(^_^;)。


 金曜日は『プリンセスチュチュ』の日。なんだかもう一週間の楽しみが『チュチュ』に集約されてるような(^_^;)。今日のお話は何かなあ? お話の好きな子、寄っといでえ〜(三谷昇の声で読むこと)。というわけで、いよいよクライマックス近しの第10話「シンデレラ」。
 13話で終了か? と思われていたのだが、めでたく延長が決まったようである。次はやっぱりというか、「卵の章」に続いて「雛の章」だ。しげは「その次は『成鳥の章』?」とか言ってたが、主人公があひるなんだからその先は当然『白鳥の章』になるんじゃないのかね。
 けれど、あまり喜んでばかりもいられない。延長決定がギリギリになると、たいてい作画レベルが落ちてしまうのが常だからである。しかも、14話からは『動画大陸』というアニメ特番の中の一本として放映されるようになり、しかもこれまで30分1本の番組だったのが、15分2本に変更されるのだとか(「金曜20時45分ごろ」放送の「ごろ」ってなんなんだよ)。
 ……なんとなく『秘密戦隊ゴレンジャー』が『ゴレンジャーごっこ』に変わっちゃうような悪い予感がするのは私だけでしょうか(^_^;)。スタッフやらキャストやらが変わっちゃわないかと心配だなあ。特に三谷昇さんのスケジュール、確保できるのかどうか。

 それはさておき、『卵の章』も、今回を含めて残すところあと4話。
 いよいよ隠された謎が明かされていく。と言うことで、今日は「みゅうと」がなぜ「みゅうと」になったかが判明。うわー、こいつほんとにおとぎ話の「王子様」だったんだなあ。っつーか、語源が「ミュートス」から来てるんだから「神様」なんだね。年も取らないってことだから、まさにこの世界は「おとぎ話の落穂拾い」なわけだ。
 河合隼雄が『昔話の深層』でメルヘン・ファンタジーの心理分析を行って以来、シロウトもこぞっておとぎ話の底に流れる深層心理についてマコトシヤカに語るようになっちゃったけど(『ホントは怖いなんとか童話』の類の本はたいていはこの本の稚拙なパクリだ)、実のところ精神分析なんて学派の数だけ説があると言っていい。まあ我々は常に「物語」を求めているものであるから、その物語に「根拠」を示してくれるものがあればつい飛び付いちゃうのだけれど、さて、意外と我々が子供の頃抱いていた疑問にキチンと答えてくれたものは少ない。
 つまりは「物語の主人公はあのあとどうなったか」である。おとぎ話は近代小説のように心理を描写することに主眼を置いていないし、とりあえずの結末をつけたものが多いから、納得しがたい結末を迎えるものも多い。ペロー童話では『赤頭巾』の狼は、赤頭巾を食って、それでおしまいである。グリム童話でその結末が改変され、狼が猟師に退治されることになるのも、「これで終わっていいのか」という疑問に答えたためであろう。もちろんペローが昔話を再録した頃には、この物語は「危険なところへ行ってはいけません」と少女をたしなめるために語ればよかったのだから、赤頭巾が食われておしまい、でもよかったのである。
 『プリンセスチュチュ』はもちろん『みにくいあひるの子』をモチーフにしている。しかし、みにくいあひるの子は白鳥になれて幸せだったのか。というより、あひるは白鳥に比べてみにくいのか。昔はともかく、今の子供たちは、当然そういう疑問を持つだろう。となれば、あの物語は決して「めでたしめでたし」ではないし、「新たな」結末を求めるのである。
 とは言え、その「お話の続き」を求めてるの、ドロッセルマイヤーだからなあ(^o^)。おとぎ話ごたまぜのこの物語で、さて、どんな結末が描かれていくことになるのか、相当ヘンテコなものになりそうで、それを期待して見てるんだけれども。
 で、猫先生は山羊先生から逃げることが出来たんだろうか(^o^)。


 こないだ見た田中登監督版の『鬼畜』が物足りなかったので、改めてDVDで野村芳太郎版『鬼畜』を見返してみる。
 やっぱりと言うか、レべルが違うねえ。冒頭から流れる音楽も故・芥川也寸志入魂の一曲だものなあ(よく『砂の器』を挙げる人がいるが、あれは芥川さんは「音楽監督」をしてるだけであってテーマソングを作曲してはいない)。
 テレビドラマ版の方の失敗は、子捨ての主導権を父親の方に持たせちゃったことの方にあるんだなあ、と気がついた。やっぱり妻の岩下志麻に責められ詫びて子を捨てる緒形拳の情けなさがいいのだ。
 『大和物語』に、姨捨山伝説を扱ったもので、古典には珍しく、貧困からではなく、妻の姑への憎しみから夫が育ての親を捨てさせられる話がある。この妻というのがとことん性悪で、あることないこと夫に吹きこんで、元は優しかった夫を変心させてしまうのである。妻が夫を手玉に取るルーツ、こんな昔からある(^_^;)。夫は月を見て、母親を山に捨ててきたことを悔やむのだが、この『鬼畜』で緒形拳が、「東京タワー」を見てそこに娘を捨ててきたことを思い出すシーンに似てないか。もしかしたら『大和物語』を参考にしてる面があるのかもな。
 そして、今回見返して気が付いたのだが、岩下志麻を憎んで睨む子供の眼つきと、同じく妻に責められて恨みがましく睨み返す緒形拳の眼つきと、この二つの表情が、構図も間も全くそっくりに撮られている。つまり、再三繰り返される岩下志麻の「あんたの子だって? 似てないよ」というセリフを、演出が否定しているのである。まさしくこの物語が「実の子殺し」であることを強調しているシーンであった。いや、凄い。
 ネットを散策してみたら、やっぱりこの物語の結末を「子供は自分が殺されかけたのに、親を庇った」と見ているアタマの悪い客が多いことを知って唖然とした。ちゃんと子供、笑いかけてきた緒形拳に対して「父ちゃんなんかじゃない」と拒絶して言ってるのになあ。「なんか」というのは親を庇うときに使う言葉じゃないじゃん。あれはもう、子供にしてみれば親を親として認めることすらできない感情の高ぶりの表れなんであって、庇うとか庇わないとか、そういうレベルの話ではないのだ。だから緒形拳も「許してくれ」と泣きながら子にすがることになるのだよ。日本語理解できないのか?
 こんなアホな読み方されちゃうと、脚本の井出雅人も草葉の陰で泣いてんじゃないかと思うが、案外、著名人でもアホな読みしてる人多いんだよなあ。橋本治を私は随分買ってたんだけども、この程度の読みもできずに「子殺しの親を庇う映画を作るとはどういうことか」なんてトンチンカンな文句をつけてたんで、すっかり興醒めしたことがあった。あの〜、もしこの映画が「親と子の絆を謳った」映画だったら、タイトルに『鬼畜』ってつけてるのなぜ? 橋本さん、古典やりすぎて現代語忘れたの?
 なんだかなあ、松竹映画=人情映画って思いこみの図式ができあがっちゃってるせいなのかなあ。『寅さん』だって、「決して家庭には受け入れられない」はみだし者の物語なんだけど、みんなアレを「人情映画」だと思ってるしねえ。映画には「愛」と「人情」しかないのか。
 もう「人情」で映画を見る先入観ができてる客には、基本的な日本語理解能力もなくなってるのだ。手塚治虫や宮崎駿の映画を「実際に見たにもかかわらず」、「ヒューマニズムの映画だ」なんて言ってる連中が多いのにも呆れるが、要するにみんな映画を「観」てなんていないってことなんだよなあ。……何しに映画館に行ってるんだよ。暇つぶしか? いや、別に映画に「教養」を求めろって言ってんじゃないよ、そんなレベルの話じゃない。「勝手な思い込みでモノ言ってんじゃなくて、人の話聞けよ」ってことなんだよ。
 映画の魅力を人に伝えることも一筋縄で行くことじゃないが、要するに相手に「聞く態度」があれば多少の言葉の齟齬はなんとかなるものなんである。それができないのはやっぱり言葉を受ける側の能力の低下に原因の多くはあるんで、少しはその事実を自覚してほしいもんだ。
 なんかさあ、最近身の回りでもその手のトラブルが多すぎてねえ、やんなっちゃってるんだよ(-_-;)。


 『刑事コロンボ』のファンサイトを探していて、『安葉巻の煙』というサイトを見付ける。タイトルは團伊玖磨のエッセイ(『パイプのけむり』)のモジリかもしれないが、管理人の方、あまり意識せずに付けたのかも。
 これがまた、微に入り細に入り、以前に出版されていた海外の研究本『刑事コロンボの秘密』よりもデータ的には充実している。ブロードウェイまでピーター・フォーク主演の舞台を見に行ったりしてるくらいだから、相当のマニアだ。こんな人もいるのだから、やっぱり「ネットは広大」だね(^^)。
 で、各エピソードについて、そのウラ話なんかを見てたんだが、名作『別れのワイン』について、以下の記述が。

 「原題は英語の慣用句 any port in a storm をもじっている。この句の意味は『嵐の中の港』(嵐になったらどんな港でも救いになる)で、辞書では『窮余の策』『せめてもの頼り』と訳されている。コロンボは事件解決に年代物のポルトワインを使う。このポルト(old port)こそ、コロンボが犯人を追いつめるための『窮余の策』なのだ。

 うひゃあ、あのタイトル、そんなシャレになってたのか。全っ然気付かないで、昔の日記に「原題は芸のないタイトル」とか書いてた気がするぞ。ニュアンスとしては「溺れるものはワインをも掴む」って感じか。こういうシャレを日本語に移し変えることはまず不可能だから、『別れのワイン』というタイトルはやはり秀逸だと思うが、英語タイトルもさすがは『コロンボ』、なかなかに凝っていたのである。
 念のためと思って辞書引いてみたら、「PORT」のところに慣用句としてしっかり太字で載ってやがった。高校生レベルで知ってて当然の慣用句なわけだな。くそ、私の英語力が高校生以下だってことがバレちまったではないか。
 あっ、もしかしてこの日記読んでる読者、みんなこのことに気づいてて黙ってたんじゃないか。「ふふふ。こいつこんな簡単な英語も知らないんでやんの」とか言ってバカにしてたんじゃないのか。そうだろ、そうなんだな。
 くくくくくそう、どうせオレなんて無知だよ馬鹿だよマヌケだよ、社会の底辺に這いつくばって生きてるゴクツブシだよ、英語ができんとがなんで悪いとや、地球の人口の何割が英語圏の人間だと思ってやがんだ、英語ができなきゃ人間じゃないってか、人数だけなら中国人のほうが圧倒的に多いじゃないか、そそそそのうち日本人が世界を征服して博多が世界首都になったら世界共通語を全て博多弁にしてやるんだからな、あいさつは「なんばしょっとや」だ、「プリーズ」は「よござっしょうか」だ、ブッシュもプーチンも金正日もみんなそろって「ふてえがってえ!」って叫ぶんだぞ、今から練習しとけよ、三年後にはそうなってんだからな、見てろ見ていろ、ホントにそうなるんだからなあ! ……はあはあ。

2001年10月18日(木) 風邪、続く。気の利いたタイトルなんて思い浮かばねーや/『トライガン・マキシマム』6巻(内藤泰弘)ほか
2000年10月18日(水) オニギリとわらび座とフリカケと/『彼氏彼女の事情』10巻(津田雅美)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)