無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年11月05日(土) オタク用語の基礎知識2006/『唐沢なをきの幻獣事典』(唐沢なをき)

 昨晩、うっかり風呂場でウツラウツラ、浴槽のヘリに寄りかかって、右手を下にして眠ってしまった。そのまま数時間、空が白んでくるころになって目が覚めたのだが、風邪こそ引かなかったものの、手が痺れて、肩のやや下あたりから指先まで、感覚がなくなっていた。
 父もこんな感じだったのかなあと不謹慎なことを暢気に考えていたのだが、今日がたまたま休日だったからいいようなものの、平日だったら仕事にならないところだったのである。
 風呂場で眠るのだけは冗談ではなくヤバイことになりかねないので、最近は気をつけていたのだけれども、ちょっと油断した。おかげでパソコンを打つ指も感覚がなくて、スピードが上がらない。


 『ウルトラマンマックス』第19話「扉より来たる者」(空間移動宇宙人ターラ星人/戦神ギルファス登場)。
 考古学者のオザキ博士役で森次晃嗣さんがゲスト出演。
 ってことでかつてのモロボシ・ダンに敬意を表して、よくある「解説役」だけの キャラクターには留まらず、かなり重要な役どころを与えられている。メガネを取り出してウルトラ・アイのようにかけてみせる、なんてのはちょっとしたご愛嬌だが(森次さんのアドリブだそうな)、瞬間記憶能力を駆使して異次元の扉を開くパズルを完成させたり、トミオカ長官役の黒部進さんと旧交を温めるシーンがあったりと、往年のファンを喜ばせてくれるシークエンスがあちこちに盛り込まれているのだ。
 しかし、いくつかのシーンはそれがドラマの内容と直接の関わりがないために、若いファンが見ると「このシーンにはどういう意味があるの?」と首を捻ってしまうことにもなりかねないわけで、どうせなら扉の向こうにまでオザキ博士も同行して(自分の発掘調査に関することなのだから、そうしてもおかしくはない)、敵を倒すきっかけをDASHやマックスに与える、という展開にしてもよかったと思う。
 どうも未だに「三池崇史ショック」の影響で、ついキビシメに番組を見てしまうが、そこそこの出来をキープしてはいるんだよね。熱くなりすぎないように気をつけよう(笑)。


 さて、今年も「現代用語の基礎知識2006」(自由国民社)が発刊されたが、昨年の新語として、「はてなダイアリーキーワード」から選んだ105語が掲載されているということである。

>「ツンデレ」「萌え属性」といったオタク用語や、「テラワロス」など2ちゃんねる用語、「ささやき戦術」など耳慣れないものまで、選ばれた言葉は多彩だ。

 ということであるが、掲載されているオタク用語、私は殆ど使っていないのである。もう私は「萌え」って使う人間とは人種が違うというか、そっちがオタクなら私はオタクじゃないし、私がオタクならあっちはオタクと認めないと、二者の間にはマリアナ海溝より深い溝があると思ってるから。
 別に、ジャーゴンそのものがいけないというつもりはないのである。昔からオタクは仲間意識を高めるためっつーか、平たく言えば「気取ってたい」ためにこの手の言葉をやたら開発してきている。それが逆に「オタク」と揶揄される原因の一つにもなってしまったわけだが。
 こういう「新語」は自然発生的に生まれるのが常であるが、昨今のオタク業界での新語発生率はいささか尋常ではない。ちょっと引っかかりがあれば喜び勇んでジャーゴンを作り出そうとするような、意図的なところが見受けられるのである。まあ、あれだよ、『仮面ライダー響鬼』のシナリオライターが代わった途端に、過去の作品群と照らし合わせて、「こいつならラストをこんなふうにメチャクチャにするだろう」と「最終回予想」をしちゃうような鬱陶しさと言うかね。譬えが分かりにくいか。
 ジャーゴンを次々と作り出すことを仲間意識を深めるためと言えば聞こえはいいが、意図的に作られたそれはむしろ「その言葉を使えない人間を村八分にする」意図のほうが強い。要するに隠語であり、符牒であり、排他主義である。だから、世間一般にその言葉が浸透していくと、「その言葉の使い方は違う!」などと息巻くことになるのである。「萌え」とかもう一般語になったと言っていいくらいだから、その概念はもうかなり曖昧になっているのである。せいぜい「オタク的な好きになり方」としか説明のしようがないが、じゃあその「オタク的」というのがどういうものかと問われれば、明確に説明できる人間はいないだろう。
 「ツンデレ」ってのもこないだ初めて聞いたような気がするが、もう一般化していて、入ったばかりのミクシィの下村嬢の紹介文に、「萌えキャラ」とか「姉・ツンデレ属性あり」とか書いてあったのには大笑いした。いや、笑っちゃ悪いかもしれないが、少なくとも私は、そういう「萌え」とか「姉」とか「妹」とか「ツンデレ」とかは、あくまでアニメキャラ、特撮キャラなど、二次元ないしはフィクションの世界に限定されるもので、ナマミの人間に適用される言葉だとはついぞ思ってもみなかったのである。
 つまりそれだけ、言葉の囲い込むカテゴリーが広がっているのだ。それが「一般化して行く」ことの特徴でもある。となると私にとっての「萌えキャラ」はしげということになるのだろうか(笑)。しかし、二次元キャラと同一視される生身の人間は、どんな気持ちになるんだろう。あまりいい気持ちはしないのではないかと思うが、そういう感覚も若いオタクたちの間ではもしかしたら薄らいでしまっているのかもしれない。
 まだ私が何を言いたいのかピンと来ない人もいるかも知れないが、こういうジャーゴンの多出は、「オヤジ化」の第一歩でもあるということである。宴席で、つまんない駄洒落を飛ばして、場は白けてるのにその空気に気づきもしないで、それを受け入れることを強要する傲慢さ、「俺の勺が飲めないのか?」と酒臭い息を吹きかける下品さと共通の感覚が、だんだんと若いオタクをも席巻しつつあるのだ。
 以前はオタクはサベツされてたから(笑)、一般人の前でそんなジャーゴンを口にすることもなかったのだが、最近は堂々としていて恥を知らない。別に知らなくったってかまわないのだが、『電車男』ブームと言い、自分たちがいかにも社会に認知されたかのように錯覚して、押し付けがましい態度を取るのはどうしたものかと思うのである。
 『フラワー・オブ・ライフ』2巻(byよしながふみ)に曰く、「なんでもあなたたちの言葉で説明しないでちょうだい!」(笑)
 あなたは「もう私のことを愛してないの?」と言われる代わりに「私にはもう『萌え』を感じないの?」と言われたいかね。言われたいならもうあなたは重症だ。


 「今日は一日、家におってよ」としげ。
 「何で?」と私。
 「言うとったやん! ガス工事の人が来るって!」
 「ああ、そうやったっけ。で、いつ来るん?」
 「午前中やろうけど」
 まあ、確かに午前は午前だったが、12時ギリギリ、こちらが待ちくたびれて、昼寝をしていた最中に、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴った。
 マンションの改装に伴って、ガスの工事とか玄関のペンキ塗りとか、給湯器の付け替えとかやらなきゃならないので、都合のいい日を教えてください、ということだったのだが、面倒くさいので今日一日で全部やっちゃってください、と頼んでいたのである。でもこういうときの工事の人というのは、こないだベランダから声をかけてきたこともそうだったが、無礼な人が多い。
 「ガスの工事をするんで、いったんブレーカーを落としてもらえませんか」
 「部屋を全部ですか? それはちょっと困るんですけど」
 「じゃあ、ガスのところだけでいいです」
 「ガスのところってどこでしょう?」
 「知りませんよ。台所か玄関か、そのへんじゃじゃないんですか」
 確かにここは私の家ではあるが、電気の配線がどこにどう繋がってるかなんてことまでは知らないのである。だいたい工事の人は同じ間取りの他の部屋だって回っているのだから、どのブレーカーを落とせばいいのかくらい、知っているはずだ。どうしていきなりそんな横柄な口を利かれなきゃならないのか、理解に苦しむ。
 そうして一息ついたなあと思ったら、また「ピンポーン」。
 今度は、ドアのペンキ塗りの人が、「ドアを外しまーす。開けっ放しになりますがすみませーん」。謝ってくれるのはいいのだが、わざわざインターホンで知らせなくても、玄関は目と鼻の先で、声をかけるだけですむのである。何か、最初に声をかけるときは、必ずインターホン越しで話しをしなければならないというマニュアルでもあるのだろうか。ペンキを塗った後も、やっぱりインターホンで「乾くまで、風邪を通すんでまだ開けときまーす」 と説明してくれたぞ。それともこれはこの人のクセか。
 あれやこれやで、一通り工事が終わったのが夕方ちょっと前。最後は給湯器のリモコンを新しいのに設置してもらったのだが、これが今までは75度まで熱くすることができたのに、新しいのは50度までしか上がらない仕組みになっている。何か熱くしすぎるといけないことになったのかどうか知らないが、何となく損したような気分にさせられたことである。


 入ったばかりで、まだ全然勝手の分からない「ミクシィ」であるが、とりあえず自己紹介くらいは充実させようと、プロフィールの欄に好きな映画、好きなマンガなどをアップすることにする。こちらの『無責任賛歌』や、はてな日記の方にもプロフィールは付けているので、差別化を図るために、思い切ってそれぞれベスト100を選んでみることにする。
 ところがこれが、書いても書いても終わらない。ベスト100なんて思い出せるのかと思っていたのだが、ふと気がついたら150を軽く突破していて、まだまだ思いつく映画やマンガは目白押しなのである。これじゃあさすがに書きすぎだ、と思って、今度は絞る作業に取り掛かったのだが、こ血らの方が全然辛い作業だった。
 まず洋画であるが、もう誰でもが知っているような名作、アカデミー賞を取っているような映画はわざわざ「私の」自己紹介で書くこともなかろうと、『風と共に去りぬ』とか『アマデウス』とか『普通の人々』とかは真っ先に外した。
 特撮の古典をズラズラト並べるのも偏りがあるように思ったので、『キング・コング』だけを残して『ロスト・ワールド』やら『原子怪獣現る』やらも外した。A級B級を問わず、入れたかったSFも多いのだが、これもキリがないし、SFファンなら「見ていて当然」のものばかりが並んでしまい、これも個性的なものにはならないのである。だから『禁断の惑星』も『ミクロの決死圏』も『決死圏SOS宇宙船』も『未来惑星ザルドス』も『猿の惑星』も『ウエストワールド』も全部外しているのである。でも、『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』シリーズや『マトリックス』シリーズなどは最初から眼中にない(笑)。でもベスト108まで選んで『惑星ソラリス』を入れ忘れていることに気がついたのは痛恨だった。そのうちどれかと差し替えるかもしれない。
 コメディでは、『がんばれ!ベアーズ』や『フロント・ページ』、『おかしな二人』、『グレートレース』など、ジャック・レモンとウォルター・マッソーに偏り過ぎるのはどうかと、これも外した。『フォレスト・ガンプ 一期一会』は随分迷って外したのだが、この映画で私が好きなのが主役のトム・ハンクスではなくて、脇役のゲイリー・シニーズだからである。
 こんなことを語っていたらキリがない。邦画もいくらでも出そうな勢いであったが、これも20作ほど削った。日本映画は特にシリーズものが多いので、選ぶのは結局その中のどれかになるのである。マンガはどうにも削れずに118くらいまで広げた。
 で、更にミステリー、SF小説、純文学、アニメーションなどでもベスト100を選ぼうかと考えたのだが、肝心の紹介欄が三つしかなくて、これ以上は受け付けられないのであった。つか、それだけ書いたら、もう疲れた。
 ミクシィに入ってない人は、私のこのプロフィールも見られないわけだが、掲示板に「招待状送るよ」と書いといたのに、まる一日経っても劇団員の誰からも「招待状ちょうだい」という連絡がなかった。「別に興味ない。見なくていいもん」ということなのだろう。多分そういうヤツラなんじゃないかなと思ってはいたのだが、やっぱりそうだったか、くそう。
 どうしてお誘い告知までしたかと言うと、「お友だち同志のコミュニティ」ということだから、お友だちが退会してマイミクシィの相手がいなくなっちゃったら、自分も即、退会しなければならなくなるわけだね。極端な話、下村嬢が私を誘った直後に「私はもう辞めますから」と言って退会しちゃったら、私は入会した途端に辞めなければいけなくなるわけである(笑)。
 せっかく入ったんだから、少しは長く続けていたいと思うのである。身内はもうアテになんないから、身内以外の人(でも全く未知の人は不可)、ご興味があればよろしく(笑)。


 マンガ、西義之『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』3巻(集英社)。
 今巻の新キャラは、カリスマ魔具師の黒鳥理緒(リオ)姉さまと、弟子の我孫子優(ビコ)。名前はあびる優っぽいけど、本当にそこから取ったのかも知れない。まだ3巻なのに女の子キャラの増員ということは、一応ヒロインの菜々の人気がイマイチ、ということなのかな。巨乳以外にあまり特徴がないし、「魔監獄編」では出番も少なくなってるし。
 その「魔監獄編」になると、せっかくの「魔法律」という設定があまり生かされなくなっていて、単純な魔物退治ものになっているのは残念なのだが、ジャンプマンガはどうしても単純明快な方向に進んで行かざるを得ないのかね。『行列の出来る法律相談所』みたいに、裁判官や執行人の間で「魔法律解釈」の差が生まれて激論する、みたいな展開になるんじゃないかと一巻のころは思っていたんだけれど。子供にはそういうのが難しいと判断されたのか、単に作者が奇を衒って「魔法律」と言葉にしてみただけで、結局は魔物退治のアイテムとしか「魔法律」を設定してはいなかったのか。どっちにしろ、もう少し「深み」のある作品にしてもらいたいものである。ムヒョのキャラクター自体は結構お気に入りなもんでね。


 マンガ、鹿島潤原作・石黒正数作画『アガペ』3巻(メディアファクトリー)。
 なぜヒロインのはるかが「神の愛」を持つに至ったかの過去がチラッと紹介されるのだが、どうしても浦沢直樹の『MONSTER』か、田島昭宇の『多重人格探偵サイコ』を見ているような既視感に襲われてしまうのである。どこぞの施設の生き残りだの、過去のトラウマがどうだの、そろそろ別の手を考えられないものかねえ。ヒロインの親友が殺されちゃうのも、『ハレンチ学園』や『キューティーハニー』以来の定番だ。「果たして人間に『博愛』などという行為が可能なのか」ということを真剣に表現しようってんなら、あまり出来合いの展開に流されるようなストーリーは使わないで、もっと苦吟すべきだと思うんだけどねえ。


 マンガ、唐沢なをき『唐沢なをきの幻獣事典』(講談社)。
 タイトルはホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』に拠っているが、今回、マンガで紹介されている幻獣たちは、雪男(イェティ)、ネッシー、ツチノコ、モケーレ・ムベンベ、オゴポゴ、チュパカブラ、野人(イエレン)、ジャージーデビル、モノ・グランデ、オリバーくん、河童、ヨーウイ、チャンプ、カエル男、モラーグ、スカイフィッシュ、チペクウエ、ヒバゴン、ヤギ男、モスマンと言ったUMA(未確認動物)である(オリバーくんはちょっと違うが)。これらの動物は、存在が確認されてないだけであって、厳密な意味での幻獣ではない。幻獣とはあくまで完全に架空の、ユニコーンとかア・バオア・クーとかオドラデクとか八俣大蛇と言った想像上のケモノたちのことである。
 まあ、語呂がいいんでタイトルにしただけで、知っててわざとやってるんだろうから、そのヘンの細かいところは気にしない気にしない。オビでちゃんと「UMAが来た!」と補足説明してくれてるから。
 毎回、UMA研究者の天野磁石先生(なぜか最終話では「山本磁石」先生になっているが、気にしない気にしない)とその助手さちこちゃんが、世界のUMAを探索し、格闘勝負を挑むという(笑)、唐沢ギャグ炸裂のシリーズである。表紙でこそマジメにUMAたちの想像画をリアルに描いているが、本編に登場する実際のUMAたちは、愛くるしかったり不細工だったりするが、たいてい人語を喋り理解し、顔も普通の人間(ただしオタク臭い)で、磁石先生にバックドロップをかけられたりすると、かわいそうに思えるくらいなのである。
 こういうギャグマンガを解説しようったって、解説のしようがないのだが、毎回のオープニングで、さちこちゃんの「〜な時代に迷信なんてナンセンスだわ」と口にする「〜」の部分が毎回変わって、しかもどんどん科学的事項から離れて無意味になっていくルーティーンギャグが秀逸。例を挙げれば、「伊良部がタイガースに入団しようかという時代に」「タトゥーの東京ドーム公演がガラガラになる時代に」「いかりや長介の追悼番組が高視聴率を取る時代に」「読売新聞のコボちゃんが毎日カラーで印刷される時代に」「ドラえもんの声優が全員変わる時代に」などだ。いたなあ、タトゥー。今もいるけど。
 案内人が毎回同じ顔なのは押井守の『とどのつまり…』でもやってたギャグだなあ……と思っていたら、オチがアレだったので、その「ひっくり返し」方にも大笑い。ともかく、一ページに詰め込んでるギャグの数が半端じゃなくてしかもそれがヒットしまくりなので、とても全部は紹介しきれないのである。
 一番、ツボにハマったギャグは、「マジ岡弘、(ちょん)」。いやもう、この『水スペ』のパロディ、番組のファンの方はぜひとも現物に当たってニヤニヤしてください。
 唐沢さんもマンガ家生活21周年(くらい)になるそうだが、別にペーソスや風刺に流れたわけでもないのに、一番「消えたマンガ家」になりやすいと言われるナンセンス、スラップスティックなギャグ力が衰えていないのは、稀有と言えよう。こう言っちゃ何だが、これまで長期連載もなければ大人気を博したわけでもなく、アニメ化ドラマ化とも縁がなく、目立たず、コツコツ、細々とマンガを描き続けて来ていることが、息切れしないでいられる秘訣なのかもしれない。
 同時発売の『電脳炎』6集ももちろん購入したが、今月は更に『さちことねこさま』3巻、『漫画家超残酷物語』も発売予定である。『がんばれみどりちゃん』も出たばかりだし、もしかしてついに唐沢なをきの時代が来るのだろうか!?
 いや、来たら来たで息切れしちゃうんだろうから、やっぱり今までどおり、小さなことからコツコツと(笑)。

2004年11月05日(金) 灯台下暗しと大正デモクラシーって似てるね(c.きたろう)/『キム・ポッシブル:タイムトラベル』
2002年11月05日(火) バラエティに芸はない/『ガンダムエーススペシャル』/『カラダで感じる源氏物語』(大塚ひかり)
2001年11月05日(月) 行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか


2005年11月04日(金) ミクシィ・デビュー!/映画『ブラザーズ・グリム』

 WOWOWで深夜0時ちょうどから新番組アニメ『かりん』第1話「あふれちゃって 恥ずかしい」。
 何かもう、サブタイトルが既にアレだけれども、Hアニメではナイ。「あふれる」のは「増血鬼」であるかりんの血液が、鼻血ブーするからであって、別の液ではないの。って、見ようによってはHアニメか(笑)。
 J.C.STAFF制作だから、作画も演出もそんなに悪い出来ではないのだけれど、アニメ化に際して原作から一歩も踏み出てはいないなあという恨みはある。かりんがいくら顔を赤らめても、原作の「斜線」が醸し出す淫靡な雰囲気にはかなわない……ってやっぱりこれってHアニメなのか?(笑)
 これは多分NGだろうなあと思っていた、興奮するとかりんの瞳がお○こマークになってしまうというのはやっぱり普通の瞳に変更(考えてみれば原作は凄いマンガだ)。鼻血ブーは一応、赤い色のままだったけれども(アニメによっては残酷だということで色を灰色などに変えられてしまうのである)、吹き出したら「紅い花」になってしまったのは、思わず「つげ義春かい!」と突っ込んでしまった。眠れや。
 声優さんは総じてアニメアニメし過ぎているようで、かえって今ひとつ乗れないのだけれども、これは上手い声優自体が払底しているから、致し方がないところだろう。とりあえず次回以降も見続けて見る予定。


 昨晩、下村嬢からメールがあった。
 今度うちに遊びに来ると言ってたので、その話かと思ったら、「ミクシィに入りませんか?」というお誘いであった。
 ミクシィのことを知らない人ももう少なかろうが、会員制の秘密SMクラブである。うそ。でもちょっとだけ合ってる面もあるかも知れない(笑)。だいたい、「会員制」ってものくらい胡散臭いものはない。
 トップページには、

> mixi(ミクシィ)は、これまでの友人関係を更に素敵なものへと導き、新しい交流も生み出す日本初のコミュニティエンターテイメント・ソーシャルネットワーキングサイトです。

 とあるが、この「ソーシャルネットワーキングサイト(SNS)」というのを「はてな」検索すると、

> 「人同士のつながり」を電子化するサービス。自己情報のコントロールや出会い系といった目的を掲げ、各社がサービスを始めている。暗に「つながりをもちたくない人を排除する」という意図も持つ(「orkut八分」参照)。

 とあって、やっぱり胡散臭い(笑)。普通に個々人でホームページを開設したり、一般にサイトを公開してコメント付け放題にしていたら、どれだけ「荒らし」が来るか分からないから、こういうコミュニティが増えていくのも自明の現象ではあるが、では会員制にしたからと言って、安心できるとは限らないのである。
 以前、誘われて入ったことのあるネットサークルでは、主宰者の方がちょっと心を病まれた方だったので個々の発言についていちいち難癖を付けられることも多く、そんなに迷惑だと仰るのなら身を引きましょうと退会したのであるが、そのあと、私がそのサークルのURLを2ちゃんねるに貼ったという根も葉もないウワサを流されたのである。私のこの日記のアドレスも当然のごとく一緒に貼られて、いかにも首謀者であるような書き方すらされてしまったが、私は自分が犯人ではないことを知っている。誰がそんな真似をしたかと言えば、私のホームページのURLを閲覧可能だったのは、そのサークルの誰かしかいないので、その主宰者さんを「裏切った」のは、そのサークルに参加していていかにも仲間でござい、という顔をしていた誰かであることは間違いないのである。
 そのサークルの人たちの何人かとは面識もあったし、実際に私という人間を見てもらっていれば、そういうヒレツなマネは大っ嫌いだということは理解してもらえるんじゃないかと思っていたのだが、結局はそれは私の認識が甘かったのであった。
 人は人の心など見通せることなどできはしないし、ウソをつくことも何の罪悪感もなく、平気でする。一つ一つの証言をつき合わせて行くうちに、誰がどんなウソをついたのかは見えてきたのだが、そのころにはもう、そのサークルにはすっかり興味がなくなってしまっていた。それからしばらくして、2ちゃんねるで叩かれまくったそのサークルは、閉鎖に追い込まれてしまうことになる。
 主宰者の方は可愛そうではあったが、信頼していた仲間の中に実はヒレツな裏切り者がいるとは最後まで気付かず、私や他の何人かの無関係な人たちを疑っていられたことは、知らぬが仏でかえって幸せだったのかもしれない。「会員制」のサークルやコミュニティというものは、何か一度トラブルが起きれば、閉鎖された関係であるがゆえに、逆にお互いの疑心暗鬼を起こして身を滅ぼしたりすることもあるのである。

 しばらく覗きに行ってなかったのだが、友人の話によると、作家の山本弘さんのホームページ「SF秘密基地」の、掲示板が閉鎖されてしまっていると聞いて、覗いてみたらその通りであった。トップページには「家庭の事情により」となっているが、友人の話によれば「『仮面ライダー響鬼』の『30話問題』(苦笑)で、荒らしがあったのが原因らしいよ」ということである。本当かどうかは分からないが、もう山本さんのところの掲示板が、荒らしの標的にされまくっていたのは事実である(常連さんがまた全く学習能力のない馬鹿揃いで、荒らしを無視できずに何度も応対して傷を広げていた)。
 山本さんの批判サイトも覗いてみたら、山本さんがミクシィで発言していた『仮面ライダー響鬼』に関するコメントがアップされていた。ミクシィとて万全ではない、という何よりの証明である。

 で、誘われて入るかどうか、三秒ほど迷ったが、この際、また「別テイスト」の日記を書いたりするのもいいかな、と思って招待状を受けることにした。率直に言って、「本職を明かして日記を書く」ことをやってみようと思ったのだ。
 今しがた、「ミクシィも万全ではない」と言っときながら、何でまた参加するのか、ということであるが、もともとこの「無責任賛歌」だって、別に職業や本名を是が非でも隠したいと思って始めたわけではないのである。人が、社会の中で生きる以上は、それぞれに「立場」というものがあるから、何かモノを言おうと思えば、どうしたってその「立場」はしがらみとなって自己を規制する。それを軽減してできるだけ自由になろうと思えば、ある程度の「匿名性」は必要になってくる。
 日記を続けるにはどうしてもその匿名性に依拠するしかないなと思ったのだが、と同時に問題が生じてきたのは、そうやって好き勝手にモノを書いていると、私のことを見知っている人がこの日記を読むと、この日記に書いていることの方が私の「ホンネ」であって、日常、私が口にしたり書いたりしていることは、「タテマエ」であるかのように錯覚されてしまうことだ。
 私の「立場」から自由になれば、こういうことも言える、という趣旨なので、別に私は自分の立場を放棄したいわけではない。そこを勘違いされると困るから、私は職場の人間にはこのホームページは教えてはいないのだが、どこから伝わったか、たまに職場の人間でこの日記に辿りつくやつがいる。すると「こんなことを書きおってケシクリカラン」と文句を付けてきたりするのである。名前も職場も明かしちゃいないのに、何を難癖を付けてくるのか、と言いたいのはこちらの方なのだが、馬鹿といくらやりあったところで仕方がないので、これまでにも日記を削除したと見せかけて、アドレスの変更を何度か行っているのである。
 この日記は、今も書いた通り、私の「ホンネ」ではない。「私」という一つのキャラクターを通して考えたことをレポートとして書き連ねていく「思考実験」のようなものである。全くの他人なら、そこのところをどう考えていただいてもかまわないのだが、知り合いが勘違いして私の文章に憤慨し、文句を言って来ても、実物の私にはどうしようもないのである(だから『無責任賛歌』なんだってば)。
 ミクシィには確かにセキュリティに不安はある。しかし、どんなに堅牢なシステムにだって穴はあるのだ。最終的には、その人が2ちゃんねる等に晒しあげられるかどうかは、ネット上でたまたま関わった人が執念深い性格であるとか、羊の皮をかぶった狼であったとか、不運だとしか言えないような偶然に左右されるものである。出会った人が相手を思いやる気持ちに長けているかどうか、それを無条件で信頼する以外にない。
 多分、ミクシィには、先述したヒレツな人たちもまた参加しているだろうから、どこかで接触する危険性もなくはないのだが、あれから時間も経っていることだし、こっちがあえて関わるようなそぶりを見せさえしなければ、日記に「突撃」されたりすることもなかろうと思う。要するにどうして私がそのサークルの人たちに恨まれたかと言うと、私の自由なモノイイが気に入らない、という非常に低劣な理由だったりするのだ。自分の不自由さは自分の責任だろうに、他人の自由さに嫉妬するというのは、いささか情けないのだが、人間なんてたいていそんなものである。

 ミクシィに入れば、これで私の日記は全部で三つになる。こんなに増やすつもりはなかったのだが、これもまた人の縁(えにし)というものであろう。「無責任」は、これまでと同じく、時事ネタから見た映画、読んだ本、中身を問わず気になったことを随時好き勝手に書いていく。
 「はてな」は、加入するきっかけになったイッセー尾形さんのワークショップでご一緒した仲間の方が、なぜか日記をプライベートモードにされてしまったので(嫌われるような書き込みをした覚えはないのだが)、何だか軒に上がったら梯子を外されてしまったような気分ではあるのだが、一応、しげが一番気に入っているようだし、「無責任」と違って「世の中を優しく見よう」という視点で書いているので(笑)、書くのに苦労はない。これも続けられる限り続けようと思っている。
 「ミクシィ」は、先述した通り、本職を明かして、その立場から見た出来事について書いていく予定だが、だからと言って、職場の名前や、仕事上でプライバシーを侵害するような内容を書き連ねていくつもりはない。こういう会員制のネットワークに入った途端に陰口を叩きたがる人もいると思われるが、職場への意見や批判なら、私は職場で堂々とやっているのである(まあ、言葉は柔らかめにしてますが)。「無責任」では遠回しでしか書けなかった、仕事上の「面白い話」がいろいろ紹介できればいいかと思う。

 この日記をご覧になっている常連さんの中で、自分もミクシィに興味がある、参加してみたい、私の日記を読んでみたい(笑)と仰る方もいらっしゃると思います。
 ご希望であれば、招待状をお送りいたしますが、基本的に私と面識があるか、何度かメールや掲示板等でやりとりをしたことがある方に限らせていただきます。ただ「ROMだけしてます」、という方は申し訳ありませんが、参加をご遠慮ください。一応、「友人を紹介するシステム」というルールは守らないとな、と思いますので。
 でも、そんなこと言いながら私が入っても友達が誰もできなかったりして、すぐに退会させられたりする可能性もなくはないのだがな(笑)。


 伯父の受勲についてだが、職場で、昨日のある新聞を見てみると、なんと伯父の写真がデカデカと載っていて驚いた。記事も三段組くらいで、伯父の経歴、受勲までの経過、談話など、かなり詳しく掲載されている。
 勲章ったって、四千人以上が貰えるのだから、めでたくはあるけれどもそれほど大騒ぎするほどのことでもなかろうとタカを括っていたのである。こんなに大々的に取り上げられるなんて、伯父はこの新聞社と何かコネでもあったんかいなと思って首を傾げていたのだが、次の瞬間、ああ、と気がついた。
 つまり、他の受勲者たちはみんな喜んで東京の受勲式に出かけていっているので、地元福岡に残っていたのは、勲章をいったんは辞退した伯父くらいしかいなかったのである。記事には「特にこの方に注目したい」みたいなおべんちゃらが書かれていたのだが、実態はそうに違いない。こういうのも「怪我の功名」と言っていいものかどうか。
 伯父はもともと優しげな顔立ちをしているのだが、写真に写っている伯父は、苦虫を潰したような、実につまらなそうな表情をしている。受勲を喜んでいる様子が少しもない。もちろん、全く喜んでいないからなのだが、これはカメラマンも困ってしまったのではなかろうか。
 帰宅したら父から今度の法事について電話があったので、「写真見たよ」と話をしたのだが、肝心の勲章が映っていなかったのはどうしてか聞いてみると、「まだ送られてきていない」ということだそうだ。これで「宮内庁まで取りにこい」とか言われた日には、また伯父は辞退するんじゃないかと思うが、連絡一つないとは、こういう仰々しいことであっても、お役所仕事はお役所仕事であることだ。


 夜、ダイヤモンドシティ福岡ルクルまで、映画『ブラザーズ・グリム』を見に行く。
 普通、「グリム兄弟」と言えば「グリム・ブラザーズ」と並べるのが普通だろうが、これをあえて逆にしているのがミソ。「チーム・アメリカ」と同じノリなわけだ。
 「グリム兄弟は実はゴースト・バスターズだった」、というテリー・ギリアム監督の発想が既にマトモではない。本来なら、ドイツを舞台にした物語で登場人物が英語を喋っているというアメリカ中心主義的な映画には反発しか覚えないのだが(ちょうど『SAYURI』の予告編が流れていたが、これがやっぱりすごくデタラメっぽいのである)、今回はデタラメファンタジーが目的だから、フランス訛りの英語だってドイツ訛りの英語だって全然問題なし。
 そもそもモンティ・パイソン・チームは、テレビシリーズでもフランス人に扮してその言葉をバカにするスケッチをたくさん作っていたし、エリック・アイドル主演の『ナンズ・オン・ザ・ラン』では、どう見てもイギリス人なアイドルが、自分がインド人だと思い込んでいたというムリヤリギャグだってやっていた。だから、どう見てもアメリカ人なマット・デイモンがドイツ人でも構わないし、弟を「ジェイク!」と呼んでも、「そうかあ、『ヤーコブ・グリム』は英語だと『ジェイク・グリム』になるのかあ」と感心すらしてしまうのである(ヴィルヘルム・グリムは当然、ウィル・グリムね)。

 ドイツ各地の民話を収集する傍ら、各地で跳梁跋扈する魔物、妖怪、化け物を退治して歩く、賞金稼ぎのグリム兄弟(マット・デイモン&ヒース・レジャー)。ところが魔物たちは予め兄弟が仕込んでおいた人形や仲間で、全ては金儲けのためのペテンだったのだ。村人たちには感謝され、女にはモテまくり、すっかり有頂天の兄弟だったが、彼らには子供のころに詐欺に合って、愛しい病身の妹を薬が買えずになくしてしまったという悲しい過去があった。
 しかし彼らのイカサマもついに将軍ドゥラトンブ(ジョナサン・プライス)にバレ、拷問好きの部下・カヴァルディ(ピーター・ストーメア)に逮捕されてしまう。兄弟は、命を救う代わりに、マルバデンの村で起きている少女連続失踪事件の解明を命じられる。てっきり自分たちと同じく、イカサマ野郎の仕業だろうとタカを括っていた兄弟だったが、村の猟師の娘、アンジェリカ(レナ・ヘディ)に案内されて森へと足を踏み入れた兄弟は、歩く大木や狼に襲われる。そこは、鏡の女王(モニカ・ベルッチ)が支配する、本物の魔の森だったのだ……!

 グリム童話のキャラクターたち、赤ずきんやヘンゼルとグレーテルが登場して魔物に襲われたり、カエルの王様にウィル・グリムがキスしたり、悪趣味な描写はあちこちにあるのだが、総じて見るとストーリーはそれほど捻りのない、ごく普通の「妖怪退治もの」であって、テリー・ギリアムにしては独が少ないなあ、これじゃティム・バートン並みだなあという印象である。
 もっとも、そう感じるのはこちらがモンティ・パイソン以来、ギリアム作品を殆ど見続けて来ているからで、今回初めてギリアム作品に出会った若い観客は、グロな描写と能天気なギャグとのギャップに呆気に取られてしまうかもしれない。ギリアム監督、来日記者会見では赤ずきんに扮した上戸彩に盛んにモーションをかけていたらしく、まあその無邪気っぷりは昔といささかも変わっていないのである。今回は題材がグリムなだけに、セオリーをあまり外すことができなかったものか。続編を暗示するラストもあくまで「定番」としての終わり方であって、必ずしも本当に続編を作るつもりはないように思う。
 キャラクターも、主役の二人が無個性なのが頂けない。マット・デイモンは、当初、折れた付け鼻をする予定だったそうだが、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが、「客は俳優の顔を見に来るのだ」と反対して止めさせたそうだ。ギリアムはそれでヘソを曲げたと言われる。『ゴジラ』の田中友幸も、沢口靖子について似たようなことを言って、『ゴジラ(1984)』や『ゴジラvsビオランテ』をあんなテイタラクにしてくれていたが、洋の東西を問わず、映画を勘違いしたプロデューサーはいくらでもいるものである。
 主役が冴えない分、脇のキャラクターがかなり頑張ってくれてはいる。妖怪退治ものと来れば、「ねずみ男」キャラがどこかにいなければ収まらないものだが、今回その大任を担うのはカヴァルディ役のピーター・ストーメア。いささかはしゃぎすぎではあるが、いいところでグリム兄弟の足を引っ張ってくれるのである。
 画面作りも、「ギリアムにしては」平凡で、せいぜい鏡の女王の塔を俯瞰して森を捉えたカットや、「罅割れた鏡」に映りこむ女王の眼の演出などに往年の才気を感じる程度である。と言っても、ギリアム監督作品がこれで終わりなるわけもない。次回作はギリアム風『オズの魔法使』か『不思議の国のアリス』と言われるミッチ・カリン原作の『Tideland』。今回の『ブラザーズ・グリム』はこれの露払いだったのかな。

2004年11月04日(木) だから日記書く時間なんてないんだってば。
2002年11月04日(月) 勲章って文学賞じゃないでしょ?/舞台『父歸る』(見てないけど)/『鉄人』1・2巻(矢作俊彦・落合尚之)
2001年11月04日(日) デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか
2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……


2005年11月03日(木) この程度のことならまだ自由にモノが言えるとは思うが/映画『タッチ』

 どうすっ転んでも、女性天皇は決定的だろうなと思ってたところに、とんだ横槍。
 しかもそれがよりにもよって皇族の中からの発言だから、これはちょっと厄介な事態になってしまう可能性も孕んでいる。
 「ヒゲの殿下」こと、三笠宮寛仁さまが、自分が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報にエッセイを寄せて、文中で「プライヴェート」と断った上で、「女性天皇」について疑問を表明したというのだが、その内容の紹介がね、ネットじゃね、かなり「省略」して紹介されているのだわ。ちなみに、読売新聞のネット配信記事はこうなっている。

> 寛仁さまはまず、「万世一系、一二五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と強調。〈1〉皇籍離脱した元皇族の皇統復帰〈2〉女性皇族(内親王)に元皇族(男系)から養子を取れるようにし、その方に皇位継承権を与える〈3〉廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀(さいし)を元皇族に継承してもらい、宮家を再興する――などの方法を挙げられている。

 問題点を列挙すれば、まず、「神話の時代の初代・神武天皇から」と、「神話」という明らかに考古学的には信憑性に乏しい伝承を根拠としていることだね。「紀元は2600年」どころか、大和朝廷の成立はせいぜい4世紀ころまでしか遡れない、というのが定説だから、「厳然たる事実」でもなんでもない。
 皇族の一人としては神話だろうが伝説だろうが、それを根拠としなきゃならんというリクツは分かるんだが、「神話」が根拠になるなら、そもそも皇統の始まりは天照大神(アマテラスオオミカミ)にまで遡れるんだよね。国譲りを受けた瓊々杵尊(ニニギノミコト)は天照大神の「天孫」ってことになってんだから。天皇家、もともと女系じゃないの(もっとも、天照大神は男だという説を唱える人もあるが)。それにもしも邪馬台国が大和朝廷の前身だとしたら、この国は女王卑弥呼および壱与によって治められていたわけだ。まさしく日本は「事実」として「女系国家」だったってことになるんだよね。
 もう一つ、三笠宮様の根拠をどのネット配信でも三つまでしか紹介してないけど、実は四つ目があって、これが「『側室』を娶る」となってんだよね。うわあ、「皇太子に女を世話しろ」って主張する皇族。こんな意見は確かに「プライベート」だけに留めてもらいたいものだけれど、これがさあ、三笠宮様の更に次の発言、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」と合わせて考えると、まるで自分が「天皇陛下や皇太子殿下の代わりに本心を代弁している」と主張しているように聞こえちゃうんだよね。つまり、「皇太子様が、雅子様以外に妃を欲しがってる」ってね。
 本当にそうか? あの、雅子様のためについ宮内庁批判とも取れる発言をしてしまった皇太子様が、他に側室がほしいと思っていると? 断言するが、そんなことは絶対に「ありえねー」ことだろう。
 もしもこの件について三笠宮様に「皇太子様自身が側室をほしがっているのか?」と問い質してみれば、「そんなことは言っていない」と否定するかもしれない。しかし否定をするのなら、最初からこんな馬鹿げたことを口にすべきではないのだ。皇太子様が別に側室のことなど考えていないのなら、これは三笠宮様のとんだ勇み足、いや、雅子様のご心中などを察するなら、人格を疑われても仕方のない発言である。
 これはもう、三笠宮様が勝手に妄想したことを垂れ流しただけだと考えざるをえない。一般には市販されない小雑誌に寄稿したものとは言え、こうして内容が出回ってしまうことは三笠宮様にだって予測がついたはずだ。ご自身、政治的発言ができないと分かってるんだったら、それこそ「沈黙」を守るくらいの自制心が、この方にはなかったのだろうか。なかったと判断するしかない。
 仮に、万が一、億が一、皇太子様が「側室」を欲しがっていたとしても、皇太子様が沈黙を守っているのに、それを勝手に代弁できる立場の者なんて、この世のどこにも存在しない。たとえそれが皇族であってもだ。

 天皇家に対して好意的な感情を抱いている国民が多いのは、その発言一つを取ってみても、自由が制限、あるいは剥奪された状態であるにもかかわらず、「象徴」としての立場を弁えて、礼節を守り続けていらっしゃる真摯さ、敬謙さによるものであろう。本心がどうかは分からないが、「皇室アルバム」で紹介される天皇家の皆様の一挙一動は、全て、日本人にとっての「理想の家族」のイメージとして機能しているのである。仮にあれが「虚構」であったとしても、その「虚構」を信じていたい国民はもう、大多数いるのである。
 うちの母親も生前、「天皇ご一家を批判する人もいるけど、殺伐とした世の中を見てると、ああいう人たちがいてくれてよかったって思えるんよ」と言っていた。三笠宮様は、「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、二六六五年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄発展するでしょう」と書かれているが、今まさにその天皇家の存続を危機に陥れようとしているのが自分の発言だということに、三笠宮様は気付かれていない。
 三笠宮様の不穏当な発言はこれが初めてではない。だいたい、三笠宮様は皇族ではいらっしゃるけれども、「ヒゲの殿下」と揶揄されてる通り、いささか自由奔放にモノを言い過ぎる傾向がある。いやしくも皇族としての立場を自覚しているのなら、散々その「失言」を咎められてきた過去を思い返してみて、もうちょっと気をつけてもらいたいものなんだけどねえ、全然、懲りてないんだろうねえ(若い人は知らないだろうが、昔、「皇族があのように髭を生やすのはいかがなものか」と批判を受けたのだけれど、無視して生やし続けているということがあったのである。別に生やしたっていいと思うけど、「伝統」に基づくのならば、天皇、皇太子よりも偉そうに見える髭を生やすのは確かに「いかがなものか」ってことになるわな)。正直、女性天皇が容認されて、この方の皇位継承権がずっと後ろに回ってくれることを希望しないではいられない。
 それにしても、どのニュースも、三笠宮様の発言を“意図的に”改変し、情報操作してることについてどう思っているのかね。でも「これはヤバい」と判断して、削除したという事実自体が、「男系天皇」に固執しなければならない根拠の薄さを露呈しているとも言えるのである。世論も、「三笠宮様の人となりをご存知の人が多ければ」今回の発言は自然とスルーされちゃうでしょう。


 政治的なことは書くまい書くまいとしながら、つい書きたくなってしまう出来事がちょこちょこと出始めている。政治も確かに絡んでいるけれど、天皇家の問題とかは、日本文化をどう考えるかって問題と密接に絡んでるから、やっぱりいろいろと考えちゃうのだね。
 靖国神社の問題もまたまた喧しくなってきたけれども、中国の唐家璇(セン)国務委員が、小泉首相の靖国参拝について、またまた抗議を示したとのニュース。「中曽根内閣当時の後藤田正晴官房長官が、アジアの感情を配慮し、首相、官房長官、外相は参拝しないことを約束した」という、つい数年前までは口にしたこともなかった「紳士協定」を主張したって言うんだけれども、中国の欺瞞はかなり日本人の間に浸透して来ているので、「ああ、また中国が嘘八百を」と冷静に状況を判断できるようになっている人も増えていると思うのである。これも、小泉首相が曲がりなりにも「靖国参拝」を続けている結果だ。
 政策に問題はあっても、小泉首相が「政治家」だなあと思うのは、まさしくこの参拝を継続することで、「靖国問題を風化させない」現象を作り出していることだ。中曽根首相の時のようにいったん中止してしまえば、それはたとえ中国の内政干渉を腹立たしく思っている国民の間であっても、いつの間にか忘れられてしまうだろう。
 小泉首相が参拝を続ける限り、中国は、韓国は、小泉首相を批判し、反日デモが起こり、日の丸や首相の肖像を焼き払ったり、日本料理屋が暴動で打ち壊されたりするのである。中国のバカっぷり、野蛮人ぶりが全世界に晒され続けるのだ。そして、いくら日本人の首相が参拝を続けようが、日本が全く右傾化することなく戦争を起こさず、世界平和に貢献することを続けて行けば、国内外の世論の趨勢が「どちらに傾くか」は自明のことだろう。中国だって、こんなことで日本に対して何らかの制裁措置とかができるはずもなく、せいぜい抗議を繰り返すか、会談を延期する程度のことしかできないのである。そこまで確実に読んでるよな、小泉首相は。でも、この程度の政治的手腕はちょっとでもアタマの働く人間ならできることで、即ちこれまでの首相がどれだけ無能であったかってことの逆証明になっちゃうんだけれども。


 朝から天神東宝で映画のハシゴ。
 一本目は『ステルス』で、実は大して興味はなかったのだけれども、職場の同僚から招待券をもらったので見に来たのである。
 ストーリーは、最新鋭の人工知能を乗っけたステルス機が暴走したけど、主人公の説得で何とか事態は収めました、けれどステルス開発を指示した上司はトラブルが露見するのを恐れて、主人公もろともステルスを……ってな話。三行で内容を要約できちゃったよ(笑)。
 SFとしてはあまりにも定番過ぎて、つまんないとまでは言わないまでも新味がない。この手のパターンのSFは、藤子・F・不二雄がもっと完成した形でマンガにしてるしなあ。今、どうして、こういう映画が作られなきゃならないのか、その意味が分からない。多分製作者は何も考えちゃいないのだろうが。ヒロインのねーちゃんはきれいだ。

 二本目は最終日に駆け込んだあだち充原作の『タッチ』。
 私はこの作品は柏葉英二郎あってこそ価値があると信じているので、彼のいない『タッチ』なんて、『タッチ』とは思えない。だから逆に、そういう思い入れは捨てて、普通の青春ドラマとして見てみると、そんなに悪い出来ではないな、とフツーに鑑賞することができはする。その点で一般的な評価も二分されるのではないかと思う。
 今更『タッチ』の筋を説明する必要もなかろうが、双子の兄弟が一人の女を取り合うが、弟が交通事故死したおかげで、残された兄が弟の亡霊に悩み苦しみ、けれど愛された女も兄を救うすべを知らずに悩み苦しむというドロドロの愛憎劇である。「違うぞ」と言いたいファンもいるだろうが、『タッチ』は本質的にそういう話だ。
 脚本と演出は、原作のそういう「濃い」部分を見事に見逃して、物語をきれいにきれいにまとめていく。だから、決勝戦のマウンドに立つ達也に、和也がダブって見えるシーンも、原作では和也に呪縛されるシーンとして描かれるのに(その呪縛から達也が解き放たれるために柏葉英二郎の存在が必要不可欠なのだ)、映画では達也に和也が力を貸したような、全く逆の解釈がなされている。物語を尺に収めなければならないための措置だとは言え、これはもう『タッチ』ではない。
 原作ファンとしては、こんなものは到底認められるものではないのだが、犬童一心監督のこれまでのフィルモグラフィーを見ていけば、まあきれいなお話がお好きなようだから、上っ面だけの擬似恋愛ドラマにしかならないことは充分予測ができたのである。だから上っ面だけの恋愛に憧れちゃうような若い女の子とかにはちょうどいいんじゃないかと思っていたら、映画館で隣に座っていた女の子がやっぱりグスグス泣いているのであった。ちなみにしげは「退屈」の一言。しげもスレた女になりやがったなあ。って、昔からだけど。
 役者に目を移せば、双子の俳優二人の演技はどうでもいいとして(笑)、問題は長澤まさみである。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』や『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』に小美人の片割れとして出演しているから、それと認識してもいいはずなのに、『世界の中心で、愛をさけぶ』まで私は全く注目できていなかった。アイドルを見抜く目が衰えたか(笑)と思ったが、未だにこの子が売れてしまったのは何かの間違いではないかという気がして仕方がないのである。庶民的で可愛い子だとは思うが、正直、イメージは地味で化粧っ気もなく、華のある役者だとは言いがたい。けれど、コギャル(もう死語か?)的なアイドルが増えている中ではこの清純さが反作用的に輝いて見えているのではないか。
 ヒロインがヒロインとして輝くのは、観客が「惚れる」瞬間を作り出せるかどうか、そこに掛かっているのだが、そのためにはヒロインをある程度突き放して、少し「遠い存在」として描かなければならない。アイドルには憧れるための「適度な距離」というものがあり、あまり近すぎても困るのである。その点で行けば、長澤まさみのアップはこの映画の中ではいささか多すぎる。カメラが長澤まさみに惚れすぎているのである。これでは逆に観客は彼女に乗り切れない。
 今、ナマの南ちゃんを演じられるのは彼女くらいしかいないのかもしれないとは思う。新体操やってくれないのは痛恨の極みだが(創作ダンス踊るくらいで誤魔化してんじゃないよ)、小林信彦が「デビュー当時の香川京子に雰囲気が似ている」と評したのも分からないではない。けれども、長澤まさみは今が旬かな、言い換えれば、後は下り坂になっちまうんじゃないかと思ってしまうのは、もう『ロボコン』『セカチュー』それに『タッチ』と来れば、清純な役(というよりはクセのないヒロイン役)以外はやらせようがなくなっているからだ。同じような役柄ばかり演じていれば、早晩、「飽きられる」のは必然である。いずれ「大人の役者」になるための転機が来るとは思うが、これまでもアイドルが本格的な役者を目指した時に、極端な汚れ役を演じて脱皮に失敗、という例はそれこそ枚挙に暇がないのである。
 東宝シンデレラで今もちゃんと生き残ってるのは、沢口靖子くらいしかいない。彼女だって、一時期は「危なかった」。小高恵美は今どこに行ってるのか。コスモスの二人は細々ではあるがまだ頑張ってはいるらしい。長澤まさみも十年後には「細々」となっちまう危険はあるんだけど、ちゃんと育てる気が東宝にはあるのかねえ。


 帰宅した途端、いきなり父から電話がかかってくる。また食事の誘いじゃないだろうなと思ったが、そうではなかった。
 先日、伯父が保護司として勤続30年になろうという功績が認められて、勲章をもらう話が出ていたのに、辞退したと日記に書いたのだが、どうやら辞退は認めてもらえなかったらしい。新聞に、伯父の受勲の記事が載っているというのである。
 「結局、貰ったとね」
 「それがおいちゃんも貰ったこと知らんでからくさ、テレビは来るわ、新聞は取材に来るわで、それで初めて知って、びっくりしたげな」
 「なんて勲章?」
 「よう覚えとらん。おいちゃんもよう知らんとやないかいな」
 「ホント、欲が無かね。受勲式には行っとらんっちゃろ? 勲章は送ってきたとね」
 「そやろね。で、お祝いばすることになったけん、お前も少し包まんや」
 否やもないので、承諾して電話を切ったが、「勲章を辞退した人」の話はよく聞くけれども、「勲章を辞退したのに、知らないうちに勝手に押し付けられた人」の話は初めてである。思い出したが、亡くなった祖父もまた、本人が全く知らないうちに、福岡市の準文化功労者かなんだったかに選ばれていたのだった。勲章とか肩書きが勝手に向こうからやってきてるってのも、考えてみたらものすごい話である。世の中には欲深で、名誉とか肩書きに執着する人だっていっぱいいるっていうのにねえ。
 どこの誰が受勲者を選定しているのか知らないけれども、地元でうちの一家のことを陰ながら見てくれてる人たちがいるってことなのかもしれない。となると私もあまり悪いことはできないのである。いや、してないしてない(笑)。


 WOWOWで舞台中継『世界の中心で、愛をさけぶ』に『電車男』。感想は書いてたら長くなりそうなので省略。
 読んだ本の感想とかも書きたいんだけど、ともかく量が多くておっつかないのである。

2004年11月03日(水) 女になって出直せよ/『DEATH NOTE(デスノート)』4巻
2002年11月03日(日) 妻にはナイショ(^_^;)/映画『OUT』/『プリティフェイス』1巻(叶恭弘)ほか
2001年11月03日(土) 10000HIT!o(^▽^)o /映画『エボリューション』/『電脳なをさん4』(唐沢なをき)ほか
2000年11月03日(金) 文化の日スペシャル/映画『マン・オン・ザ・ムーン』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)