無責任賛歌
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2001年11月04日(日) |
デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか |
オタアミ当日まであと20日! 20日しかないのだ!
せっかくの休みなので、午前0時から、眠らずにそのままCSチャンネルNECOで押井守特集、『紅い眼鏡』と『TALKING HEAD』を見る。 もちろんどちらも初見ではないが(劇場で見たかったが、どちらも福岡には来なかった。当時は押井守も超マイナーである)、ビデオ、LDになった途端、繰り返し見て、すっかり押井守フリーク度を一気に跳ね上げさせてしまった快作である。 いやあ、『紅い眼鏡』では、千葉繁さんの熱演はもちろんのこと、玄田哲章さんの意味なしダンス、チャイナドレスも艶やかな鷲尾真知子さん、猫印が似合う田中秀幸さん、リアルな立ち食いのプロぶりを魅せてくれる天本英世さん、なんと言っても、世界映画史上に残ると私が断言して憚らない兵藤まこの妖精もかくやの超絶的な美しさ。こんなにオタク心をくすぐってくれる映画も滅多にない。日本映画ベストテンを選べと言われたら、やっぱり私ゃ『紅い眼鏡』を入れちゃうなあ。 今、見返して気がついたこと、これ、映画のワク組というか、「状況」だけで成立させてる映画なんだね。何しろ、百々目紅一がこの街に「帰ってくる」という「状況」はあるのだけれど、「なぜ帰ってきたのか」は一度も語られない。主人公の「行動原理」が描かれない映画なんてフツー、ありえんわ(^_^;)。もちろんそれは押井守の確信犯的演出なのだろうけど。 押井守を語るのに、「繰り返される時間」とか「夢」とか「今いる現実の不確実性」とかいろんなキーワードがあるのだけれど、これ、実はモチーフ(素材)ではあるけれど、テーマ(主題)ではないのだよ。「愛」だの「正義」だの「平和」だの、テーマがなきゃ映画は作れない、あるいは作っちゃならないなんて考えてる連中は、映画をテーマに従属させてるだけだ。 映画は映画そのもので成立する。それを示してくれるから押井守は面白いのだ。
あ、ちなみに「TALKING HEAD」ってのは、映画の登場人物が観客に語りかけてくるかのように見せるために真正面から顔だけを撮るショットのことです。だからこの映画のラストも「TALKING HEAD」。『アヴァロン』もそうでしたね。 NECOの押井特集、このあともまだ『宇宙貨物船レムナント6』と続くが、これは厳密には押井作品じゃない。監督は万田邦敏という人、押井さんは「総合監修」という肩書きだけれど、実際には殆ど名前を貸しただけらしい(「レムナント」って命名は押井さんだそうだけれど。「面影」とか「名残」って意味だけど、押井さんは「残りもの」とか「端切れ」ってニュアンスで付けたようだ)。それなら『ケルベロス』を放送した方がよかったろうに。押井さん自身、この映画については「日本人が本格SFやるのはムリだ」と言いきっちゃってるんだよねえ。
夜が明けても朝っぱらから住んでるマンションの会合。議題は築10年を迎えるマンションの大規模改修工事の件。 しげと結婚してすぐに新築のこのマンションに入居したので、結婚10周年ってことにもなるんだなあ。しげは「あんたと知り合って、もうすぐ人生の半分以上になるよ」なんて言われると、自分もえらく年取ったような気分になるが、実際この10年で白髪は増えるわ、髪自体が薄くなるわ、肌の張りはすっかりなくなるわ、だいたい日々の生活で無理が利かなくなるわで、中年化どころか老人化はしっかり進んでいるのである。 人間って生き物なのだなあ、ということを自分の体で実感する毎日、そのうち目もつぶれ身動きが取れなくなるのもそう遠い将来ではない。それまでできるだけ読みたい本を読み、見たい映画を見てたいものだ。 って、実際そうしてるけど。
で、そういう生活を志してる身に、マンションの会合なんて時間の浪費に過ぎんのだが、改修工事の話なら顔を出しとかないわけにはいかないなあ、とマジメに出てみたのだが、出席者は50世帯くらいあるうちのわずか10世帯程度。 しかも、「なんでこんなに出席が悪いんだ」と延々一時間も怒鳴り続けるオッサンが一人いてうるさいのなんの。 実際、この十年、この人は同じことばかり言ってて、逆にそのせいで人が集まらなくなってんだけど、その自覚がないんだよねえ。そのくせ「こんなに人がいないんじゃ、協力はできん」とか抜かしてやがる。自分にもとからやる気がないくせに人のせいにしてんだもんなあ。
ああ、こんな下らん会合のせいで、日曜の朝のアニメ、全部見逃した。もう二度と出んぞ、くそ(いや、出ないわけにはいかないのだが)。 疲れきって部屋に戻った途端、睡魔に襲われて寝る。 しげはとうの昔に練習に行ったらしくて部屋には不在。しげはこのマンションの会合に絶対出ようとしないが、私だって出たくて出てるわけじゃないのに、イヤなことは全部を私に押しつけてるんだものなあ。少しは私の苦労も肩代わりしてほしいものだ。
昨日WOWOWで放送してたのを録画してたディズニーアニメ『ターザン』を見る。 どんなに酷いアニメかと思ったら、それ以下だった(^_^;)。 ……なんだあのターザンのキャラデザインは。『グレイストーク』のクリストファー・ランベールのまんまじゃないか。これは盗作にはならないのか。で、ターザンと言えばあの雄たけびの「ア〜アアアア〜、アアアア〜」だけど、これはジョニー・ワイズミューラーのころのものをそのまま使用。……版権はちゃんと取ってんだろうな。ディズニーアニメは数々あれど、ここまでバチモン臭いやつはさすがに初めてじゃないか。 更に文句をつければ、映画の背景に白人至上主義があることはミエミエである。 騙されちゃいけないのは、アメリカ人たちがこういう密林ものを映像化するときにジャングルを蹂躙する悪役の白人を配置するのは、自分たちの差別意識を糊塗するための姑息な手段に過ぎないってことだ。 「オウ、ワルイノハ、ジャングルミダスハクジンノホウデース、ジャングルノケダモノタチ、ジユウニサセナケレバイケマセーン」 てめーらに言われなくたって、もとからジャングルは自由なんだよ。だいたいそのジャングルの獣たちを擬人化して白人の演技つけさせてるのはなぜなんだ。ケモノたちも白人並に知性があるから殺しちゃいけないとでも言いたいのか? で、ターザンの方には逆に四つんばいさせたりして、ゴリラ的演技をさせてやんの。……骨格が違うから、そんな動きはできませんって。 「ワタシタチニンゲンモー、ケダモノタチノォ、ナカマニィ、ナレマース」ってことかよ。この、「未開のものに阿って摺り寄る」態度のイヤラシさはどうだろうね。 要するに白人の方がえらいと内心思ってて、他の民族や動物たちを「低いもの」と見なしてるから、そういう腐れた演出をつけちゃうのだ。昔のジョニー・ワイズミューラーの時代だってそこまで酷い演出はしてないぞ。 ……いやもう、ゴリラたちが人間っぽいしぐさするたびデザインがリアルなだけに気持ち悪くて。 子供向けアニメが動物を擬人化するときは、そのデザイン自体をカリカチュアするのが普通だ。ミッキー・マウスはそうしてるのに、なぜ『ターザン』ではそれをしないのか。ディズニースタッフ、頭の中がウニになってんじゃないのか。 ……ま、原作のバローズのファンや、昔の映画のファンは見ないほうがいいよな。 基本的にアニメが何かわかってないスタッフが作るとディズニーアニメが出来あがるのだ。っつーか、ディズニーがアニメで出来のいいの作ったことなんて殆どないけど。 ウォルト・ディズニーは今年生誕100年だそうだが、私ゃ坂妻生誕100年の方がよっぽど意義があると思うぞ、いや、マジで。
夕方、しげが穂稀嬢を連れて帰ってくる。 気がついたら穂稀嬢、延々とエロばなしを3時間(^_^;)。いやもう、とても内容はここには書けないっス。早いとこ独立してパソコン買ってネットやれよう。上を下へのくんずほぐれつの文章、ネットに流したら、ヘンなファンがつくこと受けあいだぞ(^^)。 でも、穂稀嬢の彼氏はと言えば、穂稀嬢にもっと清純でいてほしいそうである。けれど、それはちょっと無理な相談だと思うのだが。いや別に穂稀嬢が汚れてるって言いたいわけじゃないけど(^_^;)。
アニメ『サイボーグ009』第4話「死闘の果てに」。 原作ファンには先刻ご承知の0010の設定だが、先週の予告編でもちゃんと隠してくれていた。こういう細かい配慮も、今回のアニメ化が決定番と言いたくなる根拠の一つ。 001が睡眠中、009が負傷中という中で、残りの00ナンバーサイボーグたちが一致協力して0010に立ち向かい、あわやというところまで追いつめる描写は、原作にないオリジナルだが、これがもう盛りあがること盛りあがること。 樹木の間を縫うように移動することで、0010の加速装置の効果を減殺し、空中に飛び出したところをすかさず攻撃、海に叩き落して電撃をも使えなくする。ああ、なんてチエのあるシナリオ! シナリオにはやはり知性が必要なのだ! そしてそこでついに0010の秘密が明かされ、それからは原作通りの展開になるのだが、このつなぎが実にスムーズで違和感がない。 ちゃんと原作の名セリフも使ってくれてるんだから、ねえ、おいちゃん!(だれや) 原作の換骨奪胎の見本のような展開は、もう生きてこのアニメが見られてよかったと言いたくなるほどに感激的でありました。
で、今回判明した原作にはない超オドロキの新設定。 009を看病する003が告白する。 001から004までの四人は、プロトタイプで、大戦直後に改造が行われ、そのときから彼らの時間が止められてしまったのだとか。 003が淋しく微笑んで呟く。 「……こんなおばあちゃんでがっかりした?」 009はただ黙っていただけだった。 しかし、それではいけない! 誰かが003に返事をしてあげねば! そうだ、私が代わりに答えよう! 「そんなことはないよ003、君はきれいだ! 美しい! 星よりも月よりも太陽よりも輝いているよ! 本当に眩しいくらいさ!」 何を言ってるんだ私は! ……ああ、旧知のキャラだというのにこうも簡単に転ぶことになろうたあ思わなかったぜ(^_^;)。 マジメなことを言えば、これで004のベルリンの壁のエピソードが描けるようになったってことだよな。……でも003の兄ちゃんのジャンはどうなるんだろ? 爺さんで登場させるのか? 008あたりは傭兵経験があるような設定に変えられるのかなあ。
穂稀嬢をしげの車で送って志免まで。 穂稀嬢のナビが、裏道細道を選ぶ初心者泣かせのもので、しげはしょっちゅう「くわーっ!」とか「なんだとーっ!」とか叫びながら運転している。 「あ、その道、行って下さい」 「……暗いやん」 「信号のある道、嫌いなんですよ」 「……信号のある道、選んでくれえええ!」 私もそう切に願いたい(ーー;)。 初心者ができるだけ安全運転を心がけるのは当たり前の話だが、乗ってる人間は案外乗り心地が静かなものだから、つい「運転がうまい」と錯覚してしまうのである。穂稀嬢、「彼の車に乗ってるより断然いいですよ」と言うが、しげは慣れてないからおとなしいだけなんだってば。今まで事故が起きてないのは僥倖だって面もあることを、しげの同乗者になるなら知っておいてほしいのである。 でも穂稀嬢の彼氏、そんなに運転が荒いのだろうか。なんでもサイドブレーキに助手席の穂稀嬢の手を乗せさせて、その手ごとブレーキを握って運転してるそうだけど。……危ないことなの? それって。
穂稀嬢を送り届けたあと、帰り道で「ほんだらけ」という古本屋による。 サトウハチローの『トコちゃんモコちゃん』が100円だったので思わず狂喜。でもサイフを持ってこなかったので、しげに買ってもらう。 駐車場から車を出すときに、しげ、電柱に車のケツをぶつける。幸い事故と言うほどのものではなくて、電柱にも車体にも全く傷がついていなかったが、しげはしょっちゅう後方確認を忘れているので、そのうちどこかでカマを掘られることになりそうな気がする。 あと、夜はちゃんとライトをつけようね。
先日に引き続き、晩飯は「スタミナ太郎」。 けれど前の轍を踏まぬよう、焼き肉は控えめにして、おかずを何種類も取り揃える。しかし、出物が多くて、生活費が苦しいときに限ってこうゼイタクをしたくなる心理って、一体何なんだろねえ。
マンガ、八神健『ななか6/17』4巻(秋田書店・410円)。 いや、いきなリ婦人警官の看護婦の、コスプレものに路線変更されても(^_^;)。 一応、その辺の話は場つなぎのエピソードで、後半が本編、という感じだが、そろそろななかの記憶が戻るかも、というネタで引っ張るのも辛くなってきた感じ。で、ついに雨宮さんの告白、という展開になってきたんだと思うが、マンガのセオリーから言えば、雨宮さんの恋が報われるはずはないのである。 でも、この話ほどアンハッピーエンドが似合わない話もない。もともとななかが6歳児の心に戻ってしまったのは、「人生やりなおし」のチャンスだったはずだからだ。稔二くんは、ななかだけでなく、雨宮さんも幸せにしなければならない。そうでなければこのマンガは終われない。何となく作者がそこまで考えずに話作ってないかなあと心配になるんだけど。
2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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