無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年11月05日(月) 行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか

オタアミ当日まであと19日! 19日しかないのだ!

 気がつかないうちに北九州博博覧祭が昨日で閉幕。
 いっぺんくらい覗きに行こうか、としげと話をしていたのだが、「パビリオンを見たい」私と「露店でメシ食いたい」しげとでは目的がまるで違うので一緒に行く意味がないのである。
 行ったついでによしひとさんや塩浦さんにも会えるかもよ、とか話してたんだが、やはり「見たいもの」が本当にそこにないと、近年とみに重くなった我々夫婦の腰はなかなか上がることがないのだ。
 先々月「山口きらら博」に行ったのも、偶然しげの誕生日に「オタきら」があったからで、そういうことでもない限り、そうそうこういうイベントに大枚はたいて出かけるようなことはしなくなっている。
 別にトシをとってエネルギーがなくなったってことじゃないぞ(ちょっとはそれもあるけど)。出かける余裕(主におゼゼの面で)があれば、本の一冊を買うか、映画の一本を見に行くか、そっち方面にエネルギーを費やしたほうがずっと満足感が高いことはわかりきってるからなのだよ(←トミノ喋り)。

 結局我々は行かずじまいだったわけだが、あれだけ200万人達成が危ぶまれていた北博、夜間割引などの効果があったか、閉幕寸前にやっとこすっとこ210万人の入場者数目標を達成できたそうである。それだけを聞くと、いかにもめでたいような感じだが、割引での達成なら、収入は予定より大分目減りしてるんではなかろうか。これをもって成功と言うのはちょっとムリがあるように思う。

 ともかく、何のための博覧祭か、誰に向かってメッセージが投げかけられているのか、皆目分らない、徹頭徹尾上滑りの企画だったように思う。多分、企画者の間ではこんな会話が交わされていたことであろう。
 「今度、ウチの会社でもパピリオン出すって」
 「出すって、何出せばええんね」
 「さあ? テーマは『響きあう 人・まち・技術』ち言いよう」
 「ようわからんやん。とりあえずウチの会社が『地球に優しい』とこ見せればええんやろ?」
 「あ、紙のリサイクルの流れとか、模型で見せたらええやん!」
 「で、再生紙で作ったお土産売れば……」
 「再生紙ノートとか」
 「再生紙ダンボール箱とか」
 「再生紙牛乳パックとか」
 「再生紙ティッシュペーパーとか」
 「再生紙トイレットペーパーとか」
 「再生紙バッグとか」
 「再生紙ハンバーガーとか」
 「再生紙Tシャツとか」
 「再生紙パソコンとか」
 「再生紙呪いのわら人形とか」
 「再生紙となりの女子大生のお姉さんとか」
 実際に見に行ってないので、本当にどんなもの売ってたかは知らないのだが、何かヘンなものはありませんでしたか? よしひとさん。
 結局「金を落としてほしい」「北九州でだって博覧祭は開ける」、それだけでぶち上げたようなシロモノだったことは行かなくてもハッキリしていた。性格がネジくれている私などは、そのパビリオンのヘタレ具合を見に行くだけでも楽しいのだが、しげはそういうのを見ていると、本気でハラを立ててしまうのである。
 やはりしげの方がおカネにはがめついのだなあ。だったらたまに衝動的にムチャ高い買い物するのはやめようね。

 で、昨日は東京国際映画祭も閉幕。コンペ部門のグランプリは『スローガン』だそうな。『羊のうた』は見事に落っこっちゃったみたいだが、ううむ、加藤夏季の神通力(んなもんあったんかい)、審査委員長のノーマン・ジュイソンには通じなかったか。まあ、男臭い映画ばっかり撮ってた人だからしゃあないと言えばしゃあないかなあ。
 そんな中、石ノ森章太郎原作の『化粧師 KEWAUSHI』が最優秀脚本賞を受賞している。あまり期待してなかったんだけど、意外な拾いものになってるのかも知れない。福岡まで果たして流れてくるかどうか。


 今日も残業。しかも7時過ぎまで。
 「5時には終わるよ」としげを待たしてたのだが、まさか2時間も待たせることになるとは私も思ってもみなかった。
 怒って先に帰っちゃうかなと思ってたのだが、今日は終日雨で、私をほったらかしてはおれなかったらしい。
 一応優しくしてくれてはいるようだが、頼んでおいた洗濯はきれいさっぱり忘れているのだ。本当に、いっぺんにいくつものことはできないやつなのだなあ。

 晩飯はウチの近所のマクドナルドで、グラタンバーガーのスーパーバリューセット、しげのオゴリ。おカネが入るのにもうちょっと日にちがかかるので、ここしばらくはしげにたかるしかない。だいたい私としげの立場はそのときサイフに入ってる金額の多寡で決まるので、今日明日なんかは私はしげに頭が上がらない。
 店内に置いてあった『SPA!』の10月10日号を斜め読み。
 鴻上尚史さんの連載『ドンキホーテのピアス』は、『ファントム・ペイン』関連のことについて。
 鴻上さんは十年の封印も「劇団の力を信じて」のことだと言う。ああ、こういう物言いが、鴻上さんの「青春野郎」なところなんだよなあ、とは思う。
 もちろん劇団の可能性を私だって否定したいとは思わないが、「劇団内での体験したくもない人間関係のドロドロも覚悟すべきだ」という言い方は、二重の意味で傲慢だ。
 一つは、これが若い、これから劇団を作ろうって人に向けて語られてること。あのね、これからそういう苦労をしそうな役者さんたちに対してはね、「何も忠告なんかしないで黙って苦労をさせること」が一番の親切なの。言わずもがなのことを口にしてるってことは、自分が苦労したことをひけらかしてることにしかなってないんだよねえ。
 もう一つは、そんな人間関係のドロドロなんて、別に劇団だけに限った現象なんかじゃないってこと。あたかもそういう苦労が演劇だけの苦労のように言い放つってのは、ただの特権意識だ。
 つまり、鴻上さんは本当に演劇のことだけをひたすら考えてきて、本当に真面目に考えてきて、自分たちが面白いものだけを作ろうとしてきて、で、結局、自分たちだけが面白がってるものしか造れなくなっちゃってることに気付いていないのだ。
 ああ、これじゃ役者たちの「声」が客席まで届かないのは当たり前だなあ、となんか淋しくなってしまった。なんだかんだ言いながら、鴻上さん、演劇界の最前線にいることは間違いないのに、それがこのテイタラク? 封印にどれだけの意味があるのかなあ。

 関係ありませんが、チキンナゲットのソース、私はマスタード派、しげはバーベキューソース派です。昔は私もバーベキューソースの方が好きでしたが、あの甘ったるさが気に入らなくなってマスタードに変えてしまいました。
 バーベキューソースで食べるやつなんて、お子サマだと思うんですが、いかがでしょう。


 ここ数日、日記の更新が滞っているのだが、なぜかアクセスしてくる人は少しずつ増えてきている。たいていはgooやGoogleからなのだが、今日、妙なところからアクセスされていたので、ちょっと吃驚した。
 名前はあえて明かさないが、某巨大掲示板からのアクセスである(バレバレやな)。
 この日記、私が読んだ本、見た映画などについて、ホントに遠慮ナシに好き勝手な事を書いているのだが、そのうちの某映画についてケチョンケチョンに(と言うほどでもないが)貶した文章に、いつのまにかリンクを張られていたのだ。
 他にもその映画に関する記事などにリンクは張ってあるのだが、その中で批判的なことを書いてるっつーか、揶揄しているのは私一人である。
 そう言えば以前、この日記にその映画のタイトルで検索かけてた人がいたが、さてはその人のしわざか。どこの誰かは知らないけれど。
 もちろん私に許可を得たりとか言うことは全くなく(仮に、貼ってもいいですか、と聞かれてたとしても、多分断らなかったと思うけど)、全くの無断リンクだが、いったい読んだ人はどんな感想を持ったのかなあ。そういう人にこそ、ウチの掲示板を利用してほしいものなんだけれど。


 残業ですっかり疲れていたのだろう、最初、しげがパソコンを使い終わったらコンビニにでも行く予定だったのに、横になったらそのまま泥のように眠ってしまった。
 遠くでしげの「出かけんとお?」というコトバが聞こえたような気がするが、夢かも知れない。


 マンガ、手塚治虫『陽だまりの樹』1〜7巻(小学館)。
 昔、雑誌連載で読んではいたが、飛び飛びだったので、まとめて読む。
 やはり手塚さんがうまいなあ、と思うのは、おそらく架空の人物である主役の伊部谷万次郎、それと手塚さんの三代前の先祖、手塚良仙とが、全く違和感なく絡み合ってることだ。
 ウソはホントに、ホントはウソに近づけることで虚実皮膜の境地は生まれる。晩年の手塚さん、そんなハイレベルにまで辿りついていたんだろうか。
 前、読んだときも気になってたんだが、徳川家定とハリスの会見時、家定がいきなり横を向き、床を踏み鳴らすと言う奇矯な行動を取るのだが、それを「黒子」への合図、と書いたのは手塚さんの推理だろうか、それとも文献に証拠が残っていたのだろうか。

2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか



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