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何気なく図書館で手にした一冊。
表紙で損をしているような、中学生くらいが対象ならちょうど
良いような、ちょっと途惑う。でも、「遠野」という言葉が気
になったので、目次を開いてみると、
1 神隠し
2 マヨイガ
3 異人殺し
4 ダンノハナ(処刑場)
5 ワンダーランド
まさにそこには、『遠野物語』(著:柳田国男)の世界があり
、少し前にはまってしまった『百鬼夜行抄』(著:今市子)と
もつながるものがある物語のようであった。
物語は岩手県の山間部の中学校に、『風の又三郎』よろしく、 転校生がやってくることからはじまる。ちょっとしたモチーフ として『どんぐりと山猫』とか、『注文の多い料理店』とか、 宮沢賢治ワールドも混ざり合った『遠野ワンダーランド』が展 開する。
転校生は天笠四郎。不思議な力を持っている。彼がやって来て 以来、甦る『遠野』の伝説の数々。不思議な出来事、不気味な 出来事はすべて、外からやってきた「異人」四郎がもたらした 災厄と見なされ、村人たちは四郎を排除しようとする。何かが 人と違うというだけで、油断無く警戒し、何かあれば容赦なく 打ち据えようとする大人たちに対して、子どもたちは徐々に四 郎と打ち解け、大人たちから四郎を守ろうと結束していく。
所々に『遠野物語』や宮沢賢治の童話が引用されていて、どち らも好きな私は最後まで一気に面白く読んだ。特に「マヨイガ 」は『百鬼夜行抄』で震え上がり、再度『遠野物語』に収めら れている2編の物語を読み返したばかりだったので、個人的に は印象が強い。(物語としての「マヨイガ」というよりは、す でに「マヨイガ」そのものに絡め取られているからだと思うが 。)
全体的には、『遠野物語』の世界がうまく絡み合って、ファン タジーとしての非日常を楽しむことができたのだけれど、やは り、終盤、所々に現れるマンガチックな非日常は受け入れがた かった。そこが多少残念ではあるけれど。それでも、勝手にザ シキワラシ繋がりで繋げてしまうと、『くらのかみ』(著:小 野不由美)より、ずっと良かった。子どももどきどきしながら 楽しめるし、大人にとっても(一部のキャラクターを除けば) 十分面白かった。(再装丁したら、ミステリランドの仲間に入 れそうなんだけど…)
ただ、これは転校生天笠四郎(中学生)を主人公とした「転校 生伝説」というシリーズの第三弾。だから、マンガチックな描 写やキャラクターも登場するのだろう。四郎は壇ノ浦から小樽 、そして今回、岩手の小さな村にやってきた。もっと「遠野」 の不思議に浸りたいと思うのだけれど、やはり又三郎のように 彼もあっという間に去っていく。四郎に関しては、遠野ファン タジー以外の謎もいろいろあって気にはなる。シリーズを全部 読めば、四郎に関して某かのことが分かるかもしれないし、謎 は謎のままかもしれない。
天笠四郎
天草四郎
この類似もかなり気になるが、私が引き寄せられたのは、結局
は「転校生伝説」を背負う四郎ではなく、舞台としての遠野そ
のものであった。四郎についてはこのまま何だかよく分からな
いままだろう。短時間で読み終えた割には、満足感が大きくて
、ラッキーだった。(シィアル)
※しかし、周りに勧めたくても、品切れ(絶版?)なのが残念 。でもネットの某A書店では中古書として1円からのお値段。
『遠野ワンダーランド ― 転校生伝説』(文 庫書き下ろし)著:宗田 理 / 角川文庫1996
2004年06月29日(火) 『遠い朝の本たち』
2001年06月29日(金) 『永遠の仔』
しばらく手に入らなかったアンデルセンの絵本『白鳥』が、 今年になって増刷されました。
扉の裏には、アンデルセンの母国語でのタイトルが。 『DE VILDE SVANER』、日本では『野の白鳥』が一般的です。 かつては絵本や子ども向け全集で『はくちょうのおうじ』という タイトルが主流だったように思います。私が一番好きだったお話です。
マーシャ・ブラウンの描く墨のようなモノトーンと、 部分に効かせた珊瑚色の繊細な絵に、昨年、原書を見て以来、 ずっと惹かれていました。 彼女がこの絵本を描いたのは、1963年のことです。
表紙の白鳥が、洋書と邦訳では左右逆になっているので、 以前コールデコットの受賞作を展示するお手伝いをしたとき、 両方を並べて置いたのを思い出します。 これは開く方向が逆だからそうしたのでしょうが、こういう大胆な構図 でなければ、すんなりとはいかない変更ともいえます。 どちらにしても、気品のある白鳥です。なんといっても、王子の化身で すから。
この絵本では、とりわけ、継母に嫌われて城を出て、森に入ったエリザ の様子が、細やかに描写されています。 なんとなく、このお話は海を渡る白鳥たちの命がけの冒険も印象深く、 海のイメージが強かったのですが、マーシャ・ブラウンの絵本によって、 森の神秘も物語の重要なテーマとして深く染み入りました。
マーシャ・ブラウンといえば、古典的名作『三びきのやぎのがらがらど ん』が有名だけれど、『白鳥』のように細密な絵もすばらしくて、ロマ ンティックな「変身譚」と「自己犠牲」、そして神への「信仰」がない まぜになった美しさが、モノトーンの画面からにじむように輝いていま す。
※マーシャ・ブラウンは1962年に『Once a Mouse』でコールデコット賞 を受賞。
(マーズ)
『白鳥』(絵本)著:アンデルセン / 絵:マーシャ・ブラウン / 訳:松岡享子 / 福音館1967
2004年06月28日(月) 『野の白鳥』
2002年06月28日(金) 『DIVE!!』
2001年06月28日(木) ☆大江健三郎体験。
私自身の中高時代には、クラスとか学年、学校という大きな単位で、濃密な時間を過ごした記憶はない。確かに体育祭とか文化祭、修学旅行とそれぞれに思い出に残るイベントはあるけれど、それに向き合う生徒たちはいつでも細分化されていて、自分たちを結びつけていたはずの大きな絆には気付くことができなかった気がする。確かに私自身の生き方も影響しているが、学校の体制としても、そういう一体感や連帯感を目的とはしていなかったのだろう。
北高鍛錬歩行祭
甲田貴子、遊佐美和子、西脇融、戸田忍。
彼らにとっては高校最後のイベント。
ただひたすらに、80キロの道を歩き続ける。
炎天下を焼かれながら、あるいは海に沈む夕日に魅入られながら、夜になればマグライトの明かりは蛍のように連綿と続き、やがて朝靄の中をただただ学校を目指して駆けていく。長い道のりではあっても、その距離に実感のない最初の頃は非日常の楽しさに浮き立つけれど、徐々につもり続ける疲労が完走すべき80キロを終わりのないもののように感じさせる。心身ともに疲労の極致で彼らは、惰性で他愛のない言葉を交わしながらやがて、それぞれの「想い」の核心へと近づいていく。
ページをめくりつつ、一緒に80キロを歩んでいると、いつの間にか彼らの人生よりも自分自身の人生を振り返っている。人生を歩き続ける苦痛を知らなかった子供の頃とか、かすかに生きることの疲れが積もりはじめた中高の頃とか。疲れの極致で言葉を失い、沈黙を、孤独を求めたり、共に歩き続ける友を求めたり。励ましたり。不本意にも重荷になってしまったり。そういう80キロを私は歩き続けて、今、一日は暮れかかり、日暮れの心もとなさとともに、沈んでいく夕日に、あらたな美しさを見いだし、心を休めているような気がする。前半よりも確実に、過酷であろう人生の後半戦に向けて。
高校生の彼らには、いろんな思いがあり、このイベントに、この高校最後のイベントに大切な事を賭けている。ずっとそれぞれの思いが80キロの道のり、連綿と続き、途切れ、交錯し、やがては再会の時に向けて、離れていくのだ。
「しまった!」これは、戸田忍の言葉。
彼は夜が与えてくれた濃密で親密な空間の中、親友西脇融に説教を始めようとする。その中の言葉。
「しまった!」という思いは、二重に私の心の叫びと重なっていく。
彼の「しまった!」という思い自体は、読書体験へと続く。
それは、子供の頃に親戚から薦められていた「ナルニア国物語」を、最近になって読み終えた時の言葉だった。
「そう。『しまった、タイミングを外した』だよ。何でこの本をもっと昔、小学校の時に読んでおかなかったんだろうって、ものすごく後悔した。せめて中学生でもいい。十代の入口で読んでおくべきだった。そうすればきっと、この本は絶対に大事な本になって、今の自分を作るための何かに成ってたはずだった。そう考えたら悔しくてたまらなくなった。…以下略(p143)」
これは私に限らず、多くの大人たちの実感だろう。それぞれの年代に、読んでおくべき本があり、私はよくその遅すぎた出会いにため息をつく。しかし、タイミングがずれたとはいえ、「書物の海」の中からその本に出会えた偶然には感謝している。そういう「しまった!」への深い共感。
そして、もう一つは、うっかりと通り過ぎてしまった大切な時代への「しまった!」という思い。
みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。(p22)
高校生活後一年を残して、アメリカに帰ってしまった甲田貴子と遊佐美和子の親友の言葉。何度か、二人の中で繰り返される言葉。
そういう特別なものが希薄だったことへの「しまった!」が、ほんの少し。もっと大切にしておきたかったし、そのことにあの頃、気付いておきたかった。それがあるとなしとでは、人間が違っていたかもしれない。とはいっても、私たちの学校はそういう「特別」な何かを生徒に望んでいなかったのも事実だけど。細分化された欠片の中に私たちの「特別」は濃縮されているのだろう。(そう思いませんか?Mよ。)だから、なるべくして、今の自分があるのだろう。
人生の80キロに辿り着く前に、この本に出会い、一瞬、私は立ち止まった。だから、この本との出会いとしては、タイミングは外していない。それは確信できている。(シィアル)
『夜のピクニック』 著者:恩田陸 / 出版社:新潮社2004
2003年06月20日(金) 「ファンタジーを読む」
2002年06月20日(木) 『マレー鉄道の謎』
2001年06月20日(水) 『クマのプーさんティータイムブック』
映画は未見。本の方には解説も何も付いていなかったが、どうやら映画の原作ではなく、ノベライズ版のようである。
国連通訳(インタープリター)のシルヴィアが偶然耳にしてしまった大統領暗殺計画。ターゲットはアフリカのマトボ共和国の独裁者ズワーニ大統領。国連を舞台にした大胆な暗殺計画の真偽を疑いながらも、シルヴィアの護衛とテロ阻止のために捜査を開始するシークレットサービスのトビン。暗殺計画は本当なのか?シルヴィアの過去には何が?シルヴィアの失われた過去と、愛するものを失ったトビンの喪失感が重なり合うことはあるのか?
ノベライズ版のようなので、するすると読み進んでいく。するすると読み進んでいくが、背景が背景なので、いろいろと現実の社会に思いは広がっていく。
小説の中のマトボの「民族対立」「民族浄化」の構図はルワンダのツチ族とフツ族の抗争を彷彿とさせるし、つい最近の新聞紙上でもアフリカのどこかで2万人規模で子供の誘拐が現存し、非情な少年兵に仕立てられ、抗争の最前線に送られているという。逃げ出しても再び誘拐された少年、逃げようとした仲間を殺さざるを得なかった少年、たとえ保護されても手足を失い深い傷を負った子供たち。なによりも、身体は救出されたとはいえ、子供たちは癒えることのない深い深い闇のような心の傷に苦しんでいるという。
軽く読み進み、スリルを楽しむことはできるのだが、どうしても「そこ」には現実の世界があり、現実の国連の限界があり、一番の弱者である子供たちの犠牲が今も続いている。そんなことを思いながら読むと、エンターティメントとしてのスリラーの限界があり、もっと、シビアな社会派スリラー、政治サスペンスのような重厚な読み応えを求めてしまう。
そうすれば今度は、フィクションではなく、ノンフィクションとしての、ルポルタージュを私は求めるのだろう。求めれば求めるほどに、テーマは重くなり、解決策の見えない現実が立ちはだかり、そこには決して幸せな結末はないのだろうけど。
『ザ・インタープリター』に戻ると、秘密を抱えたまま国連通訳になったシルヴィアの言葉に「言葉の力を信じたから通訳になった」という一節がある。国連の場でできる限り、言葉の誤解を排し、平和的な問題の解決の一助となりたいというシルヴィアの信念。
私も言葉の力を信じたい。
いつか人々の心を大きく揺るがすような、強い力を持った言葉の持ち主が現れることを。震えがくるような強い意志を持ったパワーのある言葉が世の中を変えていく日を。(※例えばキング牧師の言葉。最近キング牧師の演説を収録したCDを聞いた同僚はその言葉の力に圧倒されたと言った。今度そのCDを貸して貰うことになっている。)
『ザ・インタープリター』はフィクションで、ライトに読み進められるエンターティメントなサスペンスだけれど、立ち止まって大事なことを考えることができた。少しだけだけど。国連というものについても、教科書や新聞・ニュースより、直感的に理解できたような気もする。
気分転換に読み流すにもお薦め。
国際政治に興味を持つ、最初の一歩としても意外といける本でした。
え?
トビンとシルヴィアの「過去に傷を持つ同士の大人の恋模様(あらすじより)」?いろいろ考えるのに忙しくて、ロマンスの行方どころではありませんでした…(シィアル)
『ザ・インタープリター 』 著者:デイヴィッド・ジェイコブズ / 訳者:富永和子 / 出版社:徳間文庫2005
2003年06月13日(金) 「泣かないで、くまくん」
2001年06月13日(水) 『六番目の小夜子』 (2)
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管理者:お天気猫や
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