HOME*お天気猫や > 夢の図書館本館 > 夢の図書館新館

夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年06月28日(金) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『DIVE!!』

☆醍醐味は、つまづいた、その後の飛躍。

高飛び込みというのは、非常に優雅で、 非常に勇敢なスポーツだと、思った。 優雅さと勇敢さ。 静と動。 相反するものが拮抗している。 だから、見ている方も、緊張に固唾を呑む。 身近なスポーツではないけれど、 ずいぶん前のオリンピックで、高飛び込みの試合を見て以来、 いつでもヴィジュアルは鮮明で、心をうたれた。 とても美しく、繊細なスポーツだ。

世にはいろんなスポ根小説、青春小説があるけれど、 『DIVE!!』は、メジャーな野球でもなく、 サッカーでもなく、バスケでもなく、 マイナーな高飛び込みを続ける少年たちを描いている。 けれど、スポーツのジャンルは違えど、 『バッテリー』の中学生 原田巧(あさのあつこ作)もそうだし、 この『DIVE!!』の中学生 坂井知季もそう。 いろいろな壁にぶつかりながら成長していく。 つまづいた、その後の飛躍。 成長し続ける、柔らかな少年たちの魅力が、 びしばしと、伝わってくる。 中学生が主人公とはいえ、泣いたり、怒ったり、落ち込んだり、 もがきながらも、一歩一歩前進していく。 少年たちの成長の物語には、カタルシスがある。

『DIVE!!』の主人公・坂井知季も、 高飛び込みを続けていく中で、得られる物だけではなく、 失う物、あきらめなければならない物が たくさんあることを知る。 けれど、自分が選ばなかった物の大切さを知ることで、 今度は、その代わりに自分が目指そうとしている物の 重さ、かけがえのなさも知るようになる。 それが、知季の「世界」への挑戦の始まりであった…

これは、少年たちだけの専売特許かと、 頭をめぐらせてみると、主人公が少女なら、 たとえば、バレエ。 バレエも、れっきとしたスポ根である。 大好きなルーマ・ゴッデンの『バレエダンサー』や 『トゥシューズ』だってそうだ。 バレエには、バレエの世界の優雅さがあるけれど、 大きな骨子は、才能が有ろうが無かろうが、 結局は、血のにじむような努力を積み重ねながら、 バレリーナとしてだけでなく、 人間としても成長していく物語だ。

厳しい練習やさまざまな迷い・苦しみ。 いろんな障害。それを必死に越えていこうとするひたむきな姿。 それこそがスポーツ根性物の王道。

日頃スポーツと無縁の私も、 このひとときは、 汗と埃にまみれた気分になって(笑)、 時には涙もこぼしながら、 何かをうち破り、越えていこうとする少年たちと 心を一つにしている。(シィアル)


『DIVE!!(1)前宙返り3回半抱え型』 著者:森 絵都 / 出版社:講談社
※『DIVE!!(2)スワンダイブ』『DIVE!!(3)SSスペシャル’99』とさらに少年たちの挑戦は続く。

2001年06月28日(木) ☆大江健三郎体験。

お天気猫や

-- 2002年06月26日(水) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『イギリスとアイルランドの昔話』

☆ちいちゃい、ちいちゃいの魔法。

いやはや、なにごとかと思いました。

シィアルが電話口で延々と読んでくれた、 「ちいちゃい、ちいちゃい」というイギリスの昔話。 ちいちゃい、ちいちゃいおばあさんが主人公のお話。 なんでもかんでもちいちゃい、ちいちゃいと付けて語る、 読むというより聞くおもしろさ。 だからこそ、彼女は声に出して語らずにいられなかったのでしょう。 さいごにはちょっとこわい。 声音によっては、かなりぞぞっとするかも。 オチがなんともいえないので、ぜひ実際に 読むなり聞かせてもらうなりしてほしいお話です。 なぜ?おばあさん、なぜ、なぜそうなっていくの?と 正体をいぶかってしまいつつも、先が知りたい。

ちいちゃい、ちいちゃいおばあさんは はてしのないその小ささで、私たちの好奇心を くいっとひっつかむのです。

これは、昔話の古典として知られるジェイコブズらによるお話集から 挿絵も一緒にセレクトされた短編のひとつで、 巻頭にのっているお話なのだそうです。 呪文のように「ちいちゃい、ちいちゃい」をくりかえすので、 聞いていると、だんだんアタマがゆらいできます。 ちいちゃい子たちが聞いて口まねをするのにもぴったりな お話だと思います。じっさい、お話会では人気なのだとか。

この本に収録されている他のお話は、 日本でも有名な『ジャックと豆の木』や『三びきの子ぶた』など。 そして15巻の豪華化粧セットの内容は、『くまのパディントン』、 『魔女の宅配便』『大きな森の小さな家』などなど、 まさに福音館書店の50年が詰まっています。 こういう全集が読めるのは、堂々と、日本の豊かさのひとつと 言ってよいことなのでしょう。 (マーズ)


『イギリスとアイルランドの昔話』 編集:石井 桃子 / 絵:J・D・バトン / 出版社:福音館文庫

2001年06月26日(火) ☆ネットの中身になる。

お天気猫や

-- 2002年06月25日(火) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『鏡の中は日曜日』

有栖川作品が正々堂々ルールに則り 安心してトリックに取り組める正当派ミステリならば、 地面に引いてあるラインの中だけが 本当に試合の場所なのかどうかという点から 疑ってかからねばならないのが殊能作品。 何が起きても怒らないコンディションの時でないと 読めないと用心していたもんだから 四作めは半年も積みっぱなしで。

帯には「名探偵、最後の事件」 本を開ける前からキています。 さて、覚悟してかかるか。 驚愕の展開にも慌てず騒がず黙々と仕掛けを探します。 我ながら捻くれた読み方だなあ。 でも、作者はこういう読者を対象に書いているに違いありません。 だって、今回は「本格ミステリ」の型への 挑戦のようなスタイルなんです。

ミステリの紹介の場合、困るのは どこからネタばれになるのかと言う点で。 こうしましょう、前作『黒い仏』を読んで面くらい、 今回読むべきか読まざるべきかずっと悩んでいる 本格ミステリファンの方は以下を御参考に、 そのうち読む予定の方はなるべく読後にお読み下さい。

今回おなじみ名探偵の石動さんが調査を依頼されるのは 14年前、高名なる名探偵が解決した奇妙な館の殺人事件。 ペダンティックな過去の名探偵の華麗なる名推理を覆すために 現在の探偵はヒートアイランドと化した都会を 汗だくで駆け回って証言を集める。 そして。 歪んだ館、豪奢な調度、膨大な書物、アカデミックな会話、 狷介な主人、毒のある客人、死んだ幼子、若者の恋、 エキセントリックな名探偵、その助手にして推理作家。 ──かつて存在した物語の全ては「現実」に破壊されてゆく。

長年問われた「本格ミステリ」の「名探偵」の存在意義、 80年代台頭した「新本格ミステリ」へ向けられた誹謗の数々、 多くの推理作家が自虐的に繰り返して来た自問自答が 目に見える姿を形成したような事件です。 でも新本格ファンの皆さん、怒らないで最後まで読んで。 デヴュー作『ハサミ男』を読んだ時から思うのですが、 殊能さんの作品って歪んだ事象を取り扱っていても 御本人の見解はちょっと感心するくらい公正で健全です。 だからこの人はきっと。 いや、でも、この予測が外れたら悲しいな、 そんな事はない。私の推理だとたぶん、 殊能さんは名探偵の事を心から。

‥‥結構ゆらぎましたね。 それで結局どうなったかって? 読むべきか読まざるべきか悩んでいた 「新本格」ファン、「名探偵」ファン、更にマニアの皆さん! 心配はいりません、今回は読後感がとても爽やか。 あれ?もしかしてこの作品‥‥ 新本格生誕20周年のお祝いだったりして?(ナルシア)


『鏡の中は日曜日』 著者:殊能将之 / 出版社:講談社ノベルス

2001年06月25日(月) 『親子ネズミの冒険』

お天気猫や

-- 2002年06月24日(月) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『映画は予告篇が面白い』

☆映画が好きな人にオススメ。

最近、映画に行くことが多くなりました。 「忙しい。忙しい。」と毎日がどたばた過ぎていきますが、 忙しくて疲れているときこそ、オンとオフのスイッチの切り替え、 ちょうどいい気分転換になります。

映画館での楽しみは、もちろん、大きな画面と音響を堪能すること。 あるいは、周りの人の反応をこっそり伺うこと(笑)。 それ以外には、本編を見に行ってるのだけど、 「予告編」を見ることも、映画館に行く楽しみの一つ。 そのときに見た予告編に釣られて、 また映画館に足を運ぶこともよくあります。

しかし! 時には、予告編はあんなに面白かったのに どうして、本編がこんなに面白くないのか。 あるいは。 予告編では、確かに、ロマンチックな恋愛ものだったはずなのに、 実際に見てみると、ロマンスも吹っ飛ぶコミカルなホラーだった! (↑ 実話。『ハムナプトラ』) こんな風に、いざ映画館に足を運んでみると、 予告編の印象と全然違う映画もあります。 この本では、その辺のからくりも、ちゃんと教えてくれます。

偶然でしたが、 以前にテレビで、『ノッティングヒルの恋人』の 予告編制作の裏話を紹介していたのを見たことがあります。 コメディ路線で紹介されているアメリカ版の予告編と ロマンチックなラブストーリーとして紹介されている日本編の 両方が流れて、同じ映画でも、予告編の切り口で全然別物になる。 コンセプトやターゲットによって、 予告編は、戦術的に作られるのだと初めて知って驚きました。

映画の予告編は映画に人を呼び込むための「宣伝」であり、 さらには、本編とは別物の、独立した「作品」である。 その「宣伝」であり「作品」である、 予告編制作にまつわるさまざまなエピソードや予告編制作の過程、 私たちの知らなかった予告編制作の裏側、 予告編制作にかかわる職業が紹介されています。

以前に戸田奈津子さんの『字幕の中に人生』を 読んだときもそうでしたが、 映画に関わる人たちのふだん聞くことのできない生の声は、 映画好きにとってはとても興味深く、 「もっと。もっと。」とせわしくページをめくっているうちに あっという間に読み終わってしまいます。

読み終わって、映画に関わっている著者や周囲の人の 映画への愛情はもちろん、 自分の職業への「誇り」がひしひしと伝わってきて、 こちらもポジティブな気持ちになりました。

※『フラッシュダンス』『トップガン』『ゴースト ニューヨークの幻』  『ボディガード』『ノッティングヒルの恋人』などの予告編を制作。
 『KT』と『ニューヨークの恋人』が紙上予告編として、  紹介されています。

『ニューヨークの恋人』(ノベライズ版)
楽しみにしている割には、まだ見に行ってないのですが、 この映画の紙上予告には、感激しました。 (肖像権の関係で、イラストだったのが少し残念でしたが。)


『「映画は予告篇が面白い』 著者:池ノ辺直子 / 出版社:光文社新書

お天気猫や

-- 2002年06月21日(金) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『魔女と暮らせば』

姉のグウェンドリンと、弟のキャット。 二人は、両親を亡くし、大魔法使いクレストマンシーの お城に、引き取られる。 姉のほうは魔女の素質があり、弟は気弱で普通の少年。

原題はCharmed Life、初めて読むダイアナ・ウィン・ジョーンズ だけれど、このセンスにまず、うれしくなる。 『魔女と暮らせば』という邦題もすてきだし。

そして個人的な親近感を感じたのは、 キャットという少年を主人公にしていたこと。 はずかしながら数年前、ゲームから創作した小説で、 キャットという子を登場させたのだけど、どうも、 「キャット」という名前の子には共通した性格が あるみたいで不思議だ。

彼らのいる世界は、この世界と似ているけれど ちょっとばかり、どこかがちがっている。 魔法が使えて、管理されているという意味では ずいぶんなちがいかもしれないけれど。

クレストマンシーという称号の大魔法使いを頂点に、 魔女や魔術師、呪術師などが相応の働きをする世界。 キャットとグウェンドリンを待っていた、 あるいは待ちかまえていた運命とは? 謎の大魔法使いクレストマンシーの素顔は?

このシリーズが、ハリー・ポッターの「系列」として 紹介されるのは無理のないことだとも思う。 本家や末裔などというより、むしろそう呼びたい。 (「系列」という微妙な言葉の意味は、お話のなかで じゅうぶんに説明されている)

この作品はクレストマンシーのシリーズで唯一 ガーディアン賞を受賞しているが、 その理由もうなずける気がした。 魔法世界という形を借りながら、 家族のなかの人間関係、ときにトラウマを抱えながら 強く生きていくための一歩を、描いているからである。 (マーズ)


『魔女と暮らせば』 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ / 訳:田中薫子 / 絵:佐竹美保 / 出版社:徳間書店

2001年06月21日(木) 『あかりのレシピ』

お天気猫や

-- 2002年06月20日(木) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『マレー鉄道の謎』

雨降りの日には旅に出よう。 ちょっと格好良い名探偵と性格の良い助手と一緒に 優雅なアジアン・リゾートで密室の謎解きなんて最高ですね。 コケ脅しのない清潔な文体は、お茶のお伴にもぴったりです。

予告されながらなかなか出なかった『マレー鉄道の謎』、 ファンにはお馴染み『火村&有栖』シリーズ久々の長編です。 他の『国名シリーズ』や『絶叫城殺人事件』のような 一発芸炸裂の短編集も大好きですが、 最近のミステリはなんとかして読者をひっかけようとするあまり 反則技連発でおちおち謎も解いていられない、 そんな中で安心して真っ向から本格の謎ときに取り組めるのは 今や有栖川作品の長編ぐらいしかないでしょう。 ‥‥一度短編に反則があったからな。←まだ恨んでる

我らが助教授が真相を掴んだらしいあたりで本を伏せ、 (いわゆる「読者への挑戦」が入りそうなあたり) 動機と犯人は考えなくても察しはつくけど、 他の用事をしながらトリックをつらつらと考えます。 お茶碗を洗いながら一人天井に向かってつぶやく。 きっと、これだ。 ふふん、悪いなアリス。わかっちゃったもんね。 再び本を開いて続きを読み、クライマックスに突入。 やったあ火村、やっぱりそうでしょ。私も同じ考えだったんです! 考えて分るという事はそれほどすごいトリックじゃないじゃない、 と言われるでしょうが、ちゃんと考えれば分るようにきっちりと 手掛かりを配置しておくというミステリはいまや希少なのです。 この快感を味わうために私は小学生のころから ミステリを離れられないのでありました。 ついでに言うなら小学校で有栖川先生と同じ本を読んで ミステリにはまっちゃったのが自慢だったりして。

でも有栖川ファンの、特に多くの女性のおめあては 過去の影を背負った臨床犯罪学者火村と 心なごます人柄の推理作家アリスの友情漫才(笑)。 謎ときが面倒な人は二人にくっついて会話を追うだけでも充分楽しい。 殺人の話で心和むというのも何ですが、 なんというかアリス、君はいいひとだなあ。
(ナルシア)


『マレー鉄道の謎』 著者:有栖川有栖 / 出版社:講談社ノベルス

2001年06月20日(水) 『クマのプーさんティータイムブック』

お天気猫や

-- 2002年06月19日(水) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『横森式シンプル・シック』

☆部屋は人生の縮図。分かってはいる…。

最近の私にとって、「シンプルライフ」とは、 憧れというよりはすでに、「強迫観念」の域に達している。 雑貨系ごちゃごちゃ生活を強く愛する私でも、 自分の部屋の混雑ぶりを見ると、 「これが、私の人生…」と、ちょっと途方に暮れそうになる。

他の人の場合はどうかは知らないけれど、 確かに、生き方の大部分が部屋のあり方に現れているような気がする。 「人生の縮図」大げさかもしれない。 大げさかもしれないが、やはり、私の部屋を見ていると、 当然のように、自分の生き方も浮かび上がってくる。

ここまで分かっているのに、何ともならないのはなぜか。 この問題のメンタルな面にヒントをくれる本が、 『捨てる!技術』 物を捨てると言うことにつきまとう、ネガティブな気持ち、 罪悪感を払拭するための啓蒙の書だと思う。

※『「捨てる!」技術』  著者:辰巳渚 / 出版社:宝島社新書
 続編は『「暮らす!」技術』

で、気持ちの面をクリアしても、 次に、「現実」に捨てるという、大問題がある。 実際問題として、今日、捨てるということは、とても難しい。 細かな分別。すでに、分別の段階で、 どこに分類していいのか分からないあれこれ。 素材がミックスされた物ともなると、どうしていいかわからない。 調べてみると、ごみとして引き取ってもらえないあれこれもある。 ごみはただではない。 捨てるということだけでも痛みを伴うのに、 物によっては、経済的な痛みまでついてくる。 じゃあ、いつ、どこへ頼めばいいのか。 一体、いつ、どうやって捨てればいいのか。 それなら、飾っていた方がましかも。 開かずの引き出しのまま、放置しておく方が、部屋はすっきりしているかも。 頭で分かっていても、「現実」には、どうしようもなくなってしまう。

もともと、シンプルライフを送っている人、 整理上手な人からのアドバイスというのは、 すでに、混沌と言っていいほど、物を持っている身には、 何だか机上の空論、砂上の楼閣、という感じ。(え、ちょっと違う?)

で、『横森式シンプル・シック』の第一章には、 著者の横森さんが引っ越しのために物をいかに処分したかという、 実体験がつづられているから、現実的で、かなり興味深く、読んだ。 捨てるという大仕事。捨てるという重労働。 ある意味、「引っ越し」による整理は簡単かもしれない。 引っ越し先のキャパシティには限りもあるし、 物の選別にも飽きて、面倒になれば、えいやっと、 以外とあっさり捨てられそうだし。 場合によっては、必殺技の、実家に置いていく。 これができるから、自分は身軽に新たなシンプルライフに 飛び立てるだろう。 けれど、いま住んでいる空間の中で、 物を捨て、シンプルに生きるとなると、 なかなか大変だ。 ある意味、人生をやり直すに等しい決意がいる。 そう、今日までの「人生の澱」をすべて吐き出そうという ことなのだから、そう簡単にはいかない。 簡単ではないが、とりあえず、 『横森式シンプル・シック』の第1章には、 「現実」に物を捨てるということのヒントがあったと思う。

第二章以降は、横森さんのライフスタイル、暮らしや物への価値観が、 おしゃれな写真とともに紹介されている。 この辺は、シンプルライフの紹介というよりは、 雑誌のこじゃれた雑貨特集のノリなので、 そういうのが好きな人には楽しいだろう。

シンプルライフへの関門は、 メンタルな面と、実際にどうやって捨てるのかというきわめて現実的な 二つの問題をいかにクリアしていくか。 より実際的な問題として、いつ、どこへ、どうやって捨てるのかという、 決して、啓蒙の本や、HowTo本では解決できない、 非常に個人的かつ、地域的な問題へと収斂されていくのである。 私にとって、結局、シンプルライフ、 そのための物を捨てるという問題は、 住んでいる地域の行政と、経済力の問題といえる。

さて、とりあえず、燃えないごみのさらなる分別方法と、 収集日を調べることにしよう。

※ 追記;
ところで、捨てることの大変さを骨身に染みて知ってしまった私は、 あまり物を買わなくなった。物を買うのが好きだったけれど、 最近は、物を買うことにさほどのカタルシスはない。 それはもちろん、精神的にも、現実的にも、捨てるのが難しいからだ。 とにかく、一度、この状態をリセットすることができれば、 これから先は大丈夫だと思うけれど。 …でも、本を買うことだけは、やめられません。 (シィアル)


『横森式シンプル・シック』 著者:横森理香 / 出版社:文芸春秋

※ 目次;
第一章 今いるムサ苦しい場所をなんとか居心地よく 生活改善計画実践編 / 第二章 好きな場所で、好きなものだけに囲まれて暮らす 生活お洒落計画実践編 / 第三章 隅々まで妥協しないのが、満足のいく人生を築くコツ ライフスタイル編 / 第四章 何を食べ、どう生きるか? シンプルライフチャレンジ編

2001年06月19日(火) 『ウィッチ・ベイビ』

お天気猫や

-- 2002年06月18日(火) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

☆『忘れたハンドバッグ』/ Aardman collection

--すぐれて素晴らしい映像は、言葉を越える。--

何だか、すごく当たり前で、 陳腐とも思えることを書いてしまったけれど、 アードマン・アニメーションの『忘れたハンドバッグ』への とても正直な感想です。

アードマン・アニメーション。 ニック・パーク監督の『ウォレス&グルミット』シリーズで 知られるクレイアニメクリエイト集団アードマン・アニメーションズの 傑作短編集の中の一本です。

私の持っているのは、字幕版のVHSで、
収録作品は、
1.チビのレックス〜恐竜はなぜ絶滅したか
2.快適な生活
3.愛してる……愛してない! ?
4.コマーシャル・シリーズ(1)
5.アダム
6.どっちが豚! ?
7.コマーシャル・シリーズ(2)
8.忘れたハンドバッグ
9.チビのレックス〜夢
の9本ですが、DVDの方には、『アイデントの正体』『ネクスト』 も 収録されているようです。

この『忘れたハンドバッグ』は、小さな姪っ子たちのお気に入り。 中でも5歳の姪っ子は、これが大好きで、 うちに遊びに来るたびに、 「あのこわーいビデオ見せて!」と、何度もせがみます。

実際、怖いストーリー(笑)で、 ダンテ(!)洗濯機のローンを払い忘れたおばさんが、 知らずに契約していた悪魔に支払いのカタとして、 「魂」を持って行かれてしまう。 悪魔と一緒に地獄に堕ちていく途中、 おばさんは、ふいに「ハンドバッグ」を忘れたことに気づき、 あわてて地獄から戻ってくるが…という話。

怖いはずのお話なんだけど、 原色でからっと描かれていて(しかもすごくアート)、 クレイのお人形たちも、とてもコミカルで、 姪っ子も「こわい!」「こわい!」と連発しながらも、 字幕のセリフは読めないのに、 何がおかしいのか、大笑いしていいます。 随所に遊び心があふれているから(だって、「ダンテ洗濯機!」)、 ついつい鼻先でふっと脱力系の笑いが漏れてしまいます。
私も、これは大好きで(もしかしたら「ウォレス&グルミット」以上?)、 何度見ても飽きることがありません。 ティム・バートンやヘンリー・セリックの名を 引き合いに出している方もいますが、 私は地獄に堕ちていくシーンのアニメーションを見るたびに、 ヒッチコックの「めまい」を思い出しています。 なんだかすごく、ヒッチテイストだなぁと。

でも、そんないろいろなお遊びに気づかなくても、 子供は子供で、映像のまま、このビデオのおもしろさを満喫しているのです。
ほんとに分かっているのかなあと、 ところどころで、
「おばさんはどうしたの?」とか、「どうなったの?」と聞いてみると、
「お金払えなくて、悪魔に連れて行かれたの。」
「ハンドバッグを取りに、地獄から戻ってきたの。」
と、ちゃんとわかっている。
しかも、笑っている場面を見てみると、 きちんとブラックなユーモアも理解しているようなのです。 最初に、簡単に二言三言説明したことを覚えているのもあるだろうけど、 とても正しく物語を理解しているので、ついつい驚いてしまいます。 さらに、字幕を読むだけで、とくに英語のセリフに耳を傾けない私と違って、 所々に聞こえる知っている言葉に素早く反応し、 骸骨になって戻ってきたおばさんは、私にとっては、やはり、 「骸骨になって戻ってきたおばさん」(笑)に過ぎないのだけど、 耳で聞いている姪っ子は、たちまち「ゾンビ」というセリフを拾い上げて、 「ゾンビ」「ゾンビ」と喜んでいます。
はしゃぐ姪っ子の言葉を聞きながら、 「ああ!おばさんって、ゾンビだったんだ」と、 遅まきながら、再発見したりしています。 (字幕では、ゾンビという言葉は出てなかったと思う。)

短いシンプルなストーリーだから、 5つの子供でも飽きることなく、何度も楽しめるのだろうけど、 こういう小さな子を惹きつけてやまないところに、 クオリティの高さをしみじみ感じるのです。 映像そのもの力で、子供を惹きつけ、 遊び心と、質の高い丹念な技が、 じっくりと見てしまった大人を虜にしてしまう。

姪っ子たちは、これを見た後、流れで『ウォレス&グルミット』も 見るのですが、これも字幕版を見ます。 もちろん、言葉を理解して笑っているわけではないのですが、 なぜだか、吹き替え版を見せたときよりも、 笑いののりがいいのです。 やはり、日本語には置き換えることのできない、セリフのテンポや 雰囲気をプリミティブな姪っ子たちは、本能的にかぎつけるのかもしれません。

そんな彼女たちを見ながら、 しみじみと、言葉を越えるアードマン・アニメーションの 素晴らしさに感心するのです。(シィアル)


Aardman collection(発売・販売元: アミューズピクチャーズ)  ・『忘れたハンドバッグ / Not without My Handbag』(監督:ボリス・コスメル) ※ビデオの方は、手に入りにくいかもしれません。

2001年06月18日(月) 『ウィーツィ・バット』

お天気猫や

-- 2002年06月17日(月) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『アブダラと空飛ぶ絨毯』

☆『アラビアン・ナイト』と『ミッケ!』が合体!

『アブダラと空飛ぶ絨毯』は、いろんな楽しみが ぎゅぎゅっと詰まっている。 あるいは、まるでするめいかのように、 噛めば噛むほどに、後からじわっとうまみが増してくる。 とにかく、楽しさ満載のファンタジーである。

『アブダラと空飛ぶ絨毯』は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの 『魔法使いハウルと火の悪魔』の続編である。 唐突に、2冊目の方から紹介しているが、 もちろん、『魔法使いハウルと火の悪魔』から読んでいただきたい。 ジブリで映画化が決定している『魔法使いハウルと火の悪魔』も 面白かったけれど、アラビアン・ナイトなどの、 エキゾチックなファンタジーが好きな私にとっては、 こちらの方がより面白かった。

※『魔法使いハウルと火の悪魔−空中の城(1)』
第一弾の物語の舞台は、魔法が存在するインガリー国。
魔女の呪いで90才の老婆に変えられてしまった少女ソフィが 呪いを解くまでのアドベンチャー・ファンタジー。
[ 映画の方は、2003年陽春公開予定
 企画:宮崎 駿 / 監督:細田 守 ]

さて、どのくらい面白かったかと言えば、 ハヤカワFTの「妖霊ハーリド」(絶版)と、 大好きな『ミッケ!』シリーズとを合体させたくらい 非凡な面白さであった。

1891年に書かれた『妖霊ハーリド』も アラビアン・ナイトのバリエーションの一つ。 少々クラシックであるが、濃密な空気が味わい深い。

※『妖霊ハーリド』著者:F・マリオン・クロフォード / 訳:船木裕 / 出版社:ハヤカワ文庫FT
天界から追放され、人として生きることになった 妖霊ハーリド。魂のない人間として地上に堕ちた ハーリドが、再び永遠の魂を得るためにはジフラー姫の 愛を獲得しなければならないのだが…。

『アブダラと空飛ぶ絨毯』も、空飛ぶ絨毯をはじめ、 願い事を叶えてくれる瓶に封じられたジン(魔神、妖霊)が 登場し、若き絨毯商人アブダラが、ジンにさらわれた 美しい姫君「夜咲花」を救い出すために、困難な運命と闘う。 これにソフィーやハウルがどう絡んでくるのか、 そこが、私の大好きな絵本『「ミッケ!』のような楽しさ。

『ミッケ!』は、きれいな写真の中にさまざまな小物が 隠されていて、じっと目を凝らして「宝物」探しをする絵本。 この場合は、物語の中に、前作でおなじみの面々や いくつかの謎がうまく隠されている。 まさに、『ミッケ!』である。 探して見つける楽しさまであって、サービス精神満載。

※『ミッケ!』シリーズについては、
 → 2002年02月12日(火)  ☆街のワンダーランドにて。

ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーは、 いつもひねりが利いていて、当たり前な展開はしない。 けれど、すべてにきちんとけりがついて、 こちらの期待を裏切らないから、 いつでもすかっとした読後感が楽しめる。

 

もちろん。 この本だって。 意外性と予定調和の絶妙なハッピー・エンドが 待っています。(シィアル)


『アブダラと空飛ぶ絨毯−空中の城(2)』 著者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ / 訳:西村醇子 / 出版社:徳間書店

お天気猫や

-- 2002年06月12日(水) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『幽霊宿の主人-冥境青譚抄-』

☆花と幽霊の誘いは断れない。

前から機会があれば書きたかったのだけど、 いわゆる少女漫画には、伝統的なオチとして、 彼あるいは彼女は実は幽霊だったのです、 というのがある。 そしてまた、文学から受け継いだ 櫻の樹の下には─の幻想も。

人ではないもの、生きていないものの姿が見える秋月青之介。 彼のゆくさきに現れる、花と幽霊の物語。

おなじく幽霊譚を集めた『燕雀庵夜咄』を先に 読んだのだが、物語的なつながりはないものの、 ときを経た二作品を読み比べることになった。 昭和の作品も含めて初期のものを集めた『燕雀庵夜咄』には、 花のエッセンスが香っており、『幽霊宿の主人』には、 花に人の情が移ったとでもいうのだろうか。 読んでいて、約束でもあるかのごとく、山場のたびに ほろりとさせられ続けた。 それは、人の抱える想いや、そこにつながって切れることのない 森羅万象、そして最後に還ってゆく、人として生きる想いへの愛惜を、 きちんと描ききってくれたからではないだろうか。

なんとなく、あれは幽霊だったのです、ではなく。 幽霊にだって、幸せになる権利はあるのだと。

波津彬子は日本の古きよき世界を舞台にした短編を 得意とする作家で、長い作品も、連載というよりは連作である。 (といって外国物もレトロで好きなのだが) そして波津彬子の描く話は、名の通り、華があって、いさぎよい。 月刊誌を読んでいた頃はよく見ていたのに、 しばらく後を追っていなかったあいだに、 こんな風に自分の世界を創り込んでいたのは、 やはり、いさぎよく、強いことだと思う。

金沢の人だというのも、うなずける。

長年描いていると、どこかで、意に添わぬ世界に 片足を踏み込まされたり、そのまま戻って来れなかったり ということだってある。 しかし、描きたい世界を信じて、作家本人も周りも その熱意を後押しすれば、他の誰にも描けない世界を 残すことができるのだ。 波津彬子がそうであるように。

これは蛇足。 猫の姿にだけは登場人物たちの持つような きらびやかさも繊細さもなくしてあって、面白かった。 (マーズ)


『幽霊宿の主人-冥境青譚抄-』『燕雀庵夜咄』 著者:波津彬子 / 出版社:白泉社文庫

2001年06月12日(火) 『ネバーランド』

お天気猫や

-- 2002年06月11日(火) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『雑貨探しの旅ノート』

☆やっぱり雑貨生活。

流行ものには弱いので、シンプルライフには、 強く心惹かれるものがあります。 日頃の仕事や私生活のごちゃごちゃ具合が、 さらに、シンプルライフへの憧れに拍車をかけるのでしょうか。

いわゆるシンプルライフと、 「私」の雑貨生活とは、ちょっと相容れないものがあります。 「私」の雑貨生活は、あってもなくてもいいようなどうでもいい物、 どうでもいいんだけど、あると何だかうれしい。 普段は忘れているんだけれど、ふいに思い出し、急に愛おしくなる。 そういうものが、宝探しのように、部屋中のあらゆる場所に、 潜み、埋もれている。 巷の「捨てる技術」や「整理術」の達人がうちにやって来れば、 きっと、そのほとんどが容赦なく、捨て去られるでしょうが…。

けれど、ごちゃごちゃしているように見えて、 雑貨系には、雑貨系のシンプルライフがあるのです。 そのシンプルの意味するところ、「簡素」というよりは、 ごてごてしていない「自然」なもの。 ナチュラルライフという方がいいかも。 雑貨が雑然と並んでいるように見えて、 それは、必然的な並びで、 不要なものが山のようにあるように見えて、 選びに選んだ物の集合体なのです。 ちょっとした遊び心、 あるいは、むしろ、他人にはわからない自分だけがわかる それぞれの美点。 いろいろな、思いが込められているのが「雑貨」なのです。

そういう雑貨は、探さなくても向こうからやって来ます。 待ち合わせまでの一瞬の隙間の時間。 何気なく目にした、ウインドウ。 旅はもちろん。 旅先の小さなお店。海外旅行先のスーパー。 何となく出会ってしまう、雑貨の数々。 それが、さまざまな思いや思い出の数々なのです。

フクイ*ユキさんの『雑貨探しの旅ノート』を開くと、 うん。うん。と頷きながら、 そうだよねえ。と、ついつい相づちを打ってしまいます。 フクイさんは、雑貨屋さんのオーナーでもあり、 手書きの文字とイラストから、 「雑貨」の楽しさが伝わってきます。 フランスやイギリスでの雑貨の出会い。 フクイさんの大好きな物が満載で、 雑貨との出会いを求めて、旅に出たくなります。 (シィアル)


『雑貨探しの旅ノート』 著者:フクイユキ / 出版社:KKベストセラーズ

2001年06月11日(月) 『球形の季節』

お天気猫や

-- 2002年06月10日(月) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『まぼろしの小さい犬』

☆犬を飼いたかったロンドンボーイ。

ロンドンに暮らす少年ベンは、5人兄弟のまんなかに生まれ、 上の2人にも下の2人にも属せない距離を感じていた。 5人も兄弟がいて、やさしい母親ときちんと働く父親が いたとしても、それでもベンにとって、足りないものが あったのだ。

ベンは何よりも強く願っていた。 『犬が欲しい。自分の犬が』 そして、期待を裏切られ、自分の世界に閉じこもってゆく。 『僕が欲しいのは犬だけなのに、それすらもいけないの?』 そこにあらわれたのは、幻の小さな犬。 だれにも、どんなに身近にいる人にも理解されない ベンの苦しみとともに歩く犬。 だれも悪い人なんかいないと、ベンにもわかっているけれど、 犬への思いがベンから離れることはない。

この珠玉の物語は、 時を超える子どもたちを描いたピアスの代表作 『トムは真夜中の庭で』のようなファンタジーではない。 どこにも作り事めいたものを感じさせないリアリズムに徹しながら、 ベン少年を『生き残らせる』ために、筆を尽くす。

すぐれた児童文学のなかには、ACからの回復を促すものがある。 それらは、幼少時の体験や記憶を言葉の力で呼び起こし、 そのときと同じ気持ちを追体験させる。 気づきと癒しが、いつのまにか読むものの胸深くへ、 入ってきている。

子どもにとって、愛情を受けるということは、 受けすぎて余ることなどないのだと思う。 どれだけ注いでも、杯はいっぱいにならないし、 まして子どもが扉を閉ざしてしまえば、 その子の内部の庭は、外からの栄養をもらえない。

ACは動物を非常にかわいがるといわれる。 人間との付き合いが下手なだけ、与えただけのものを 裏切らずに返してくれる動物によりどころを求める。 「わかってくれる」と思うのだ。

ベンの場合は、犬だった。 わがままだとわかっていても、あきらめることが できない欲求を持ちつづけるベン。 子どもは、なぜそんなにその欲求にこだわるのか、 理由など考えない。考えればわかるのかもしれないが、 それを知ることも恐いことのように思える。

私もそうだったのだ。 10代の一時期、何よりも強く願った時期があった。 『犬が欲しい。自分の犬が』 その時期に体験した思いの記憶がよみがえり、 古い感情と涙の再来に溺れる。 (マーズ)


『まぼろしの小さい犬』 著者:フィリパ・ピアス / 訳:猪熊葉子 / 出版社:岩波書店

お天気猫や

-- 2002年06月04日(火) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『風と共に去りぬ』(その2)

☆女たちのいる場所。

スカーレットは、三人の男性と結婚し、それぞれの 結婚で、一人ずつ子どもを産む。 初めての出産は十代。当時としては普通のことだった。

最初の夫二人は死んでしまうので、連れ子の面倒は 三番目の夫が引き受けることになるのだが、 この三番目の夫だけは、出産に対するもってまわった 言い回しを使わず、穢れ扱いをしなかった。 「身体の不調」などと言わず、「妊娠」という言葉を堂々と口にした。 子育てにも積極的だった。 強気なスカーレットですら常識の影に隠したがったことを思うと、 彼はきわめて現代的なモラルを持った人物といえる。

だが、世間はそうではなかった。 スカーレットが旧い時代のアトランタの夫人連に距離を置かれたのは、 もちろんそのためだけではないが、 妊娠後の彼女の行動が、アトランタの女性たちの眉をひそめさせた のは、枠からはみ出る同属への嫌悪と嫉妬からだった。 普通なら人目をはばかり、ひっそりと家に篭るはずの 妊婦となったスカーレットが、一時は供も連れずに馬車を乗り回し、 しかも女だてらに戦争成金となって製材所を経営しているというのは、 まったくもって、現代の女性社長顔負けである。

ミッチェルは身内に郷土史の熱心な研究家がいたこと、 自身がアトランタ育ちであったこともあり、 史実にもとづいたリアルな歴史描写を書き込んでいる。 と同時に、南北戦争当時の上流女性たちの、 いわゆる淑女と呼ばれる人々の間で用いられた 儀礼や常識・非常識といったことがらを、 まるでその社会に生き、その社会にとらわれた女性が 描いたかのように活写しているのだ。

ある立場の人がかくなる行動を取った場合、 それは暗に、特別な意味をともなって地域社会に受け取られるとか、 レディというカテゴリーに入るのは厳密にどのような 女性であるのかとか、他家を訪問する際のマナー、 家と家の格式の差、求婚や葬儀のしきたりとか。

これらは、歴史の綿密な描写とともに、彼女の取材力の賜物であり、 決して彼女がその当時の社会に生きていたから、という 単純な理由ではないことを、今にして知った。 彼女が生まれた当時、戦争を体験した人々は、 すでに祖父母の世代となっていたのだ。 もっとも、祖父母の世代だからこそ、孫娘に昔語りを 繰り返すことを誇りにしたのかもしれないが。

何にでも関連を探してしまうのは私の癖である。 たとえば、 『風と共に去りぬ』のアメリカ、ウーマンリブのアメリカ。 対照的でありながら、旧い一面があったから、もう一面が生まれる。 旧南部の生み出した最後の女性の象徴として描かれるレディ・メラニーと、 奔放で身勝手に見えながら、現実を見すえ、 何者にも屈しない新しい女性として描かれる スカーレット・オハラのように。 (マーズ)


『風と共に去りぬ』(1-5) 著者:マーガレット・ミッチェル / 訳:大久保康雄・竹内道之助 / 出版社:新潮文庫

2001年06月04日(月) 『人魚とビスケット』

お天気猫や

-- 2002年06月02日(日) --

TOP:夢の図書館新館全ての本

『一八八八 切り裂きジャック』

よってらっしゃい見てらっしゃい。 時は1888年、所はロンドン、 かの混沌と絢爛のヴィクトリア時代、 英国社会を恐怖と狂熱の一大劇場へと変え果てた その名も高き切り裂きジャックの登場だよう。

案内役はスコットランド・ヤード視察中の 日本の美貌の貴公子、社交的な光るの君こと鷹原惟光。 語り役はロンドン病院研修医、 西洋文化の厚みに心惑う内向的な柏木薫。 二人が踏み入る世界はイースト・エンドの最下層の貧民窟から 次期国王となる皇太子のパーティまで、 舞台を彩る役者はそれこそ多士済々。

後の新進作家、幼いヴァージニア・ウルフ、 堅実で親切な微生物学者、北里柴三郎、 闊達でさばけた皇太子エドワード、 醜怪な姿と繊細で従順な魂のエレファント・マン、 名外科医師会のホープ、トリーヴス医師、 売り出し中の小癪な文士バーナード・ショー、 零落れた天国の画家シメオン・ソロモン、 降霊術のカリスマ、マダム・ブラヴァッキー、 フィレンツェの麗しき解剖鑞人形。 切り裂きジャック通にはお馴染みの被害者の皆さんに 「ジャック」と結び付けられた人々も総出演。 実在の人物を絡み合わせて奇想天外な仮想世界を生み出す、 山田風太郎氏の開化物英国版といった手法。

あんまり盛り沢山だし留学生達にも時間はないしで それぞれのモチーフを掘り下げる暇がなくて印象は浅いけれど、 なんといってもお代が文庫で1000円ポッキリ、 一日ゆっくり遊べる世紀末博覧会だよう!

それにしても、明治の留学生としては最高の環境ながら 勉強にも仕事にも身を入れずにひたすら読書に耽溺する柏木君。 「本ばっかり読んでいないで勉強しなさいっ!」という うちの母上の怒りの声が耳に蘇ってはらはらします‥‥。 (ナルシア)


『一八八八 切り裂きジャック』 著者:服部まゆみ / 出版社:角川文庫

>> 前の本蔵書一覧 (TOP Page)次の本 <<


ご感想をどうぞ。



Myエンピツ追加

管理者:お天気猫や
お天気猫や
夢図書[ブックトーク] メルマガ[Tea Rose Cafe] 季節[ハロウィーン] [クリスマス]

Copyright (C) otenkinekoya 1998-2006 All rights reserved.