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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年05月31日(金) --

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『風と共に去りぬ』(その1)

☆2002年の戦争。

五月はずっと、長編歴史大河ロマン『風と共に去りぬ』 (文庫で五巻)を読み続けていた。 この年になるまで読んだことがなく、去年、家族の本を 処分するときに見つけて、取り除けておいたのだ。 洪水で浸かってしまった本のなかから、 泥水の染みは残ったがなんとか読めるものを残した。 そして残りは古書店、最後の五巻目は一般書店で求めた。 なぜこんないきさつを書くかというと、 黄ばんで角が取れ、染みだらけになった文庫本を読みながら、 きれいな本を読む以上に感慨があったからである。

同時に、そんなわけで、文庫には少なくても3回、 カヴァーの更新があったと知る。 映画のイラスト、映画からの写真、そして新しいイラスト。

あまりにも有名なこの物語の主たる舞台は、南北戦争当時の 米国南部、ジョージア州アトランタの街と、 その近郊にある、あの名高い「タラ」の地である。 私は何となくタラだけが舞台のように思い込んでいたが、 実際には、タラは精神的拠りどころであり、 スカーレット・オハラの実家の大農園(プランテーション)も ときには舞台となるのだが、ほとんどはアトランタが舞台であった。

アトランタはスカーレットと同じ歳に産声を上げたのだという。 鉄道によって拓かれた新興の活力ある都会がくぐり抜けた 怒涛と狂乱の戦争と復活。 一時は廃墟と化したアトランタの、いまの姿を見たいと思った。

日本人の私たちにとっても、すでに第一次大戦すら遠い。 1861年から始まったアメリカの南北戦争は、一般の日本人にとって、 この作品でしか知りえない戦争でもあるし、この作品と映画によって、 忘れられることのない戦争でもあるといえる。

無頼漢のレット・バトラーは、ひとつの文明が滅びるときには、 文明が隆盛するときと同じく、金儲けができるのだと説くが、 これは今現在の日本にも当て嵌められるのではないだろうか。

綿花の栽培によって膨大な富を得ていた南部の上流社会。 奴隷の労働に支えられ、そこには白人の間にも、 欧州の貴族社会にも似た階級制度があらわれ、 スカーレットはまさにその青春を、バブルの時代に過ごす。 そこから先の彼女の人生は、苦難と欺瞞の連続となるのだが、 ひとたび戦争が起こり、南部同盟の旗色が悪くなると、 経済封鎖が威力を発揮し、あれほど豊かだった南部各地で 生活物資は欠乏し、仕事などなく、 男達は貴賎を問わず戦場に取られ、北軍の略奪行為が横行し、 これまでの社会を支えてきたすべての価値観やモラルが ひっくり返ってしまう。

やがて表の戦争が南部の降伏によって終結を告げても、 荒廃した南部の復興・再建は、果てしない泥沼のなかに 遅々として進まなかった。払った犠牲はあまりにも大きかったのだ。 勝った北軍は南部を強力に支配し、抑圧された側の強烈な憎悪から クー・クラックス・クランなどのテロリスト集団が生まれる。 むしろ、再建の時代こそが、裏側で進んだ果てしなき戦争であったのだ。 なるほど、アトランタは不死鳥のように蘇ったが、 南部の人々は、大切な魂の一部を葬った。 だれひとり、その影にさらされずに済んだ者はいない。 紙くずになった南部の金と、堕ちた人間たちの間で 育ってゆく次の世代の子どもたちに、何が残るだろう。

読むにつれ、そうした社会の状況が、奇妙なほど 今の日本の置かれた状況に通じているように感じられ、 嘆息することが多かった。 南部にとっても北部にとっても、独立戦争はすでに遠く、 長く続いた平和と繁栄と浪費の果て、 あたたかい湯に浸りきっていた人々を待っていたものは、 すべてを捕らえる死の戦争の鉤爪だった。

表向きにはどうあれ、日本が今、戦時中にも似た非常事態で あることを否定できる人は少ないだろう。 たとえ、 経済の右肩上がりの発展を望まない人々であっても、 精神的なゆとりの生まれたことを喜ぶ人々にとっても、 未来の安定と平和を信じる楽観主義者でも、 何がしかの蓄えのもとに、人生で本当にやりたかったことを 選んだ人々にとってすら。 ましてや、これまでの価値観がなだれ崩れ、 明日の命運を予測すらできないほとんどの人々にとっては、 この戦争を生き抜くこと、 そして始まったのかもしれない再建の時代の苦難を、 耐えてゆくことは一層むずかしい。

いまだからこそ、思い出すべき時代を知った。 (マーズ)


『風と共に去りぬ』(1-5) 著者:マーガレット・ミッチェル / 訳:大久保康雄・竹内道之助 / 出版社:新潮文庫

2001年05月31日(木) 『はてしない物語』

お天気猫や

-- 2002年05月28日(火) --

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『怪談レストラン』

☆こわいこわいオモシロイ!

1996年から刊行されている、小中学生向け創作怪談のシリーズ。 責任編集は、「松谷みよ子」さん。 と聞くと(お話も一部書かれている)、怪談とはいえ、 安心して読めそうな感じになる。

20冊も出ていて、書店で並ぶと壮観。 よくもこれだけ、とため息が出る。 全部読んでみたいけど、 やはり私としては、 『化け猫レストラン』とか 『魔女のレストラン』、 あるいは 『鏡のうらがわレストラン』などに惹かれる。

レストランということで、 目次はメニュー風になっている。 「学校の怪談」で聞いたような話や、古今東西の昔話やらの要素が 入り混じった、イラスト付きの短編が並ぶ。

思わず、なつかしいなぁと思う。 というのも、小学校のころ、図書館にあった怖い話を、 何度も借りたからだ。 図書館には、いわゆる児童文学の名作が少なくて、 昔話や怖い話のシリーズは、たくさんあった。 子どもにとって、そういう話は、たまらなく興味の対象だった。 今でもこわいくらいなのは、 峠を降りたところで猿の妖怪が、手押しの糸車を じーんじーんと回している場面。 ぶるぶる震えたような絵がまた、怖かったこと。

幼いころ、死を思ったときの、気の遠くなるような恐怖。 身体がしびれるような、あの感覚。

友人たちと共有した、「猿の手」の、帰ってくる死者。

『赤毛のアン』のアン・シャーリーも、「お化けの森」という 自分の想像から生まれた恐怖にはまり、 そこに赤ん坊の幽霊を見て苦闘した。

そういう永遠の「怖いけどやめられない」にテーマを絞った シリーズが、『怪談レストラン』なのだった。 シリーズの案内役、ネットリした目の黒服は、 最も売れているらしい『闇のレストラン』に 登場するキャラクターだそうだ。

怖い思いは、子どもにとって、体験して乗り越えるべき 人生の最初の訓練なのかもしれない。 (マーズ)

『怪談レストラン』
http://www.doshinsha.co.jp/longsaler/restaurant/restaurant_1b.html


『怪談レストラン』 怪談レストラン編集委員会・責任編集:松谷みよ子 / 絵・たかいよしかず・かとうくみこ/ 出版社:童心社(並製本/上製本あり)

2001年05月28日(月) 『りかさん』

お天気猫や

-- 2002年05月27日(月) --

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☆『銀花』のオーロラのオーラ。

2002年夏号の『銀花』がとどいた。 今年はちょっとぜいたくをして、年間(といっても季刊4回)購読を しているので、書店で立ち読みする間もあらばこそ、 家にとどくうれしさ。

今号の編集あとがき(編編草)に、 「世の中でいちばん無駄だけれどいちばん役に立つような 雑誌を作りたい」 かつての編集長がそう願ったと記されている。

銀花の、まさに銀のごときクオリティーは 万人向けではないかもしれないが、 銀花がもしも世に存在しなかったら、確実に なにかが失われていただろうと思わされる。

日本の文化、人間の文化を深くみつめ、 美しい日本のことばと写真、煎じ詰めた哲学的レイアウトで 惜しみなくさらけだしてくれる雑誌。

そして何よりも、銀花は「手」の雑誌。 工芸は手の仕事で、手は頭脳の一部で、 ひとが手にこめた魂は、創られた物に宿る。 書かれた作品でさえ、手で記され、あるいは打たれたもの。 だから、作家が書いた直筆のエッセイも載る。

いつも想うことがある。 ぬくもりというもの、無機的な物質とはちがってみえる 不思議な輝き、叙情、シンパシィ、けだかさ、ものの哀れ。 そのようなものを本質として私たちに 感じさせるのは、自然のなかにはなくて、 人間が手でつくったものだけにあるのではないのか、と。

世界には生命が満ちていて、 私たちも生命の渦の中にいるけれど。 樹も草も花も雲も魚も、たとえどれほど愛らしい仔猫であっても、 創造主から生れてきた者はすべて、何かを宿した物体であて、 宿ったものが去ると、輝きは失われてゆく。

けれど、ひとが手でつくったもの、魂を込めてあらわしたものは、 その形が完全に崩れ去るときまで、 極北のオーロラにも似たオーラを発し続けるのだと。 それは、この世界で、人間である私たちにしか感じられない メッセージなのだと。

銀花は、またそういうオーラがこれ以上ないほどに よりそって詰まった宇宙である。 (マーズ)


『季刊 銀花』 出版社:文化出版局

お天気猫や

-- 2002年05月24日(金) --

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『家なき娘』

☆ハッピーエンドは最高のカタルシス。

『ペリーヌ物語』の大ファンであったにもかかわらず、 『家なき娘』がその原作であったことを知ったのは、 最近のことでした。 『ペリーヌ物語』のVIDEOも全巻持っているのに、 原作を読んだことがないなんて…と、 慌てて、本を注文しました。

現在、『家なき娘』は、 岩波文庫版と偕成社文庫版の2種類があります。 “もう、大人なんだから、岩波文庫本よね。” と、岩波版(訳:津田穣)を買ったのでしたが、 我慢のない私には、とうてい最後まで 読み通すことはできませんでした。 1941年の版のままなのでしょう。 旧仮名遣い・旧字体の嵐で、 物語を楽しむどころではありません。 (これはこれで、味わい深いとも言えるのですが。)

結局、再度、偕成社文庫版を購入しました。 偕成社「文庫」といっても、 文庫本よりは二回りくらい大きめの判です。 子ども向けの本で読みにくいのではと、 心配していたのですが、 挿絵(H・ラノス)も重厚で時代の雰囲気が出ていて、 物語自体も、十分に読み応えがあり、 最初から、こっちにしておけば良かったと思いました。

原作を大人になって読み返してみて、 若干の細部の違いがあるとはいえ、 『ペリーヌ物語』がいかに原作に忠実であったかが よくわかりました。 (ペリーヌの相棒、犬のバロンはアニメのオリジナル。)

インドからフランスへ向かう途中で、 父を亡くし、さらに過酷さを増した旅で 母までを失ってしまう、少女ペリーヌ。 たったひとりで亡き父の故郷へ向い、 けなげに頑張り、生き抜いていく。 唯一の肉親である祖父は、 ペリーヌをあたたかく、迎え入れてくれるのだろうか?

19世紀末、まさに産業革命のさなかに書かれたこの本には、 当時の社会情勢そのままに劣悪な工場労働の一端が描かれ、 また、他方では空想社会主義的な描写もあり、 「時代」が垣間見えるのも、興味深いところです。 (解説でも触れられていますが。) 子ども時代に慣れ親しんだ物語を 大人になって再読することは、 今まで気がつかなかった、 新しい何かを得る、発見するチャンスでもあるのですね。

その他に、『家なき娘』からは、今まで気付かなかった、 いくつかの人生訓を得ることもできました。

・急がず、慎重に、むりをせず、危険をおかさずに行動する賢ささえもっていれば、どんな希望でももてる。

・自分に必要なものを自分でつくりだすことができるのは、なににもまさる才能だ。他人に必要なものをつくりだすことができる才能は、これにまさる。

特に最初の人生訓には、大人ながら、自分の常日頃の行動を振り返り、 全然なってないと、猛烈な反省を促されました(笑)

「艱難辛苦汝を玉にす」 まさに、この家なき娘ペリーヌのためにあるようなことば。 クラシックで、理想主義的な部分も見受けられますが、 少女が数々の困難に見舞われながらも、 決してくじけず、最後には幸福を掴むという、 ハッピーエンドの王道を行くこの物語には、 何にも代え難い、大きなカタルシスがあります。 (シィアル)

追記; 『家なき娘』について、『ペリーヌ物語』やら何やらを調べていて、1939年に作られた日本映画『家なき娘』(監督:伊奈精一 / 脚本:如月敏 )を見つけた。原作は、エクトル・マロウ『家なき児』となっているので、マロの代表作『家なき子』の方が原作なのだろうか。

しかし配役を見ていると、マリ子(美鳩まり)、マリ子の祖父・間宮製紙工場主間宮重蔵(大井正夫)、その甥平川圭一(植村謙二郎)、マリ子の母・田鶴子(高津慶子)、マリ子の父・重吉 (三井章正)、重吉の乳母・お米(浦辺粂子)、職工長( 大内弘)、支配人(鳥橋一平)、角兵衛獅子の親方(生方壮児)ということなので、なんだか、やはり、「家なき娘」のようでもある。

これも、新たな発見の一つに数えてもいいだろうか?
→興味のある方は下記のサイトへ。
http://www.jmdb.ne.jp/1939/bo001530.htm


『家なき娘(上・下)』 著者:エクトール・マロ / 訳:二宮フサ / 出版社:偕成社

2001年05月24日(木) 『自分「プレゼン」術』

お天気猫や

-- 2002年05月23日(木) --

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☆いまもって、夢の本屋さん。

私やシィアルやナルシアがそろって高校生のころ、 この地方都市に、ずいぶんとこだわった書店ができた。 新しくできた話題のファッションビルのB1に、 街の老舗書店が出した新ショップ。 いまもって、当地にはあれを超える個性的な店が出ていないと思う。

40坪やそこらはあったと思う。 外国の図書館めいたつくりで、棚の配置は四方の壁と 四角い島のような中央部、高低差のある床。 古っぽいフローリングの床、天井まで作りつけた本棚。 レールの梯子を移動させて、上のほうの本を探した。

SFやファンタジーや、児童文学の豊富さ。 セレクトショップではないけれど、こだわりはあったと思う。 なにより、本に囲まれた地下の空間独特のムードが 私たちを呼び寄せる力を発していた。 奥のほうに当時のカフェバーのようなものもあったのだけど、 利用したことがなかったのは残念。

学生だった私が、そこでそんなにたくさんの本を 買ったというわけではない。立ち読みのほうが多かった。 買うとしても、安い文庫がせいぜい。 オリジナルのマークが入ったクラフト紙のブックカバーは、 大切にとっておいた。

その本屋さんは、数年で閉店した。 やはり、経営としては成り立たなかったのだろう。 何せ、当時はネットだってないわけだし。 ファッションビルそのものの命運も廃れ、いまでは往時の おもかげはない。

あの本屋さんは、時代に対して早すぎたのか、 いずれにしても地方都市での存続は困難だったのか。 その答えはわからない。

その後、書店のあとにはラーメン店が入り、 そこにも私たちは通ったものだった。 そこに夢の本屋さんがあったことを確認するかのように。

本好きにとって、どこかで夢見る理想の書店。 自分に店を任されるなら、こんな書店をつくってみたい。 そういう想像をはばたかせるとき、 必ず一度はさまよってゆくのが、あの地下の ブックショップと、そこにあった独特の匂いなのである。

経営としては失敗だったかもしれない。 けれども、私をはじめ、街の人のなかに遺産を遺したことは、大成功。 あの時代、あの店を創り出してくれた「誰かのパワー」に、 遅ればせながら、感謝をささげたい。 (マーズ)

お天気猫や

-- 2002年05月22日(水) --

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『いつもキッチンからいいにおい』

料理には、やっぱり哲学が要ると思う。 なんなのだ、と問われても、 未熟な私にはこたえられない。 だから、川津さんの料理本を師と仰いでいる。 誰にでもできるはずの、簡単家庭料理。

川津さんは、『オレンジページ』の料理部門のチーフだった人。 フリーになってからは料理編集の世界でヒットを飛ばしたのち、 みずから料理人として腕に磨きをかけるべく、 休職し、フランス料理の学校へ一年通ったという。 だからこそ、いまの川津さんの視点は、 プロでもあり、アマでもあるという複雑さが感じられて 素敵なのだと思う。 そしていまでも、読者の視点を考えている人だ。

レシピのあいまにパシッと書かれた川津さんの文章。 他の本にも共通していることだけれど、 料理をすることへの思いが塩のように効き、 未熟だけど料理をしたい人へのアドバイスが、ダシのようにしみ込む。 パシッと言ってくれるけど、決して高いところからではなくて。 培ってきた主婦の技量を振りかざすのでもなくて。 ものごとをきちんと教わるときの、あの感じに似ている。

たまねぎを炒めるとき、ぱぱっと塩をふると良いとか、 簡略だけどばっちりおいしいダシの取り方とか、 アジアやイタリアの調味料への好奇心、 便利で美しいおすすめ調理器具の話とか。

川津さんのレシピ本を使うようになって、変わったこと。 そう、確かに変わったと思う。 自分のめざす料理の姿が見えてきた、というと めったに料理らしいことをしないのに何を大げさな、 と我ながら思うけれど、 日々の必要がないからこそ、何か目的がないと、 いっこうに上達するはずもない。

いまの私のつくるべき料理は、あまり時間やお金をかけずに、 そのかわり失敗しないよう手順をきっちり守って、 素材の味を引き出し、おいしいなぁ、またつくろうと 思える料理を増やすこと。 一作一作、成功させてゆくことが、自信になるように、 気合を入れて料理するようになった。

この本に載っているレシピのひとつ、 「フルーツのマチェドニア」を作ったとき、うっかり、 ラップをしないで半日おく、というのを読み違え、 ラップをして半日おいてしまった。 おかげで辛口の白ワインが濃厚に効いて、ずいぶん酔っ払った。

そのとき私は、川津さんのレシピを4つも一度に作ろうと していたのだった(笑) (マーズ)


『いつもキッチンからいいにおい』 著者:川津幸子 / 出版社:オレンジページ

2001年05月22日(火) ☆ヤン・ファーブル

お天気猫や

-- 2002年05月21日(火) --

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『わたしのワンピース』

☆ページをめくるよろこび。

この絵本は第1刷の発行は1969年です。 (※何と2001年には第117刷!) だから、多くの方が、かつて、 この絵本とお友達だったかもしれません。

本屋さんの絵本コーナーに、 子どもたちが自由に手にできるよう、 低い棚にディスプレイされていました。 黄緑の縁取りの小さな絵本。 表紙の真ん中に、ミシンをかけているウサギの絵。 いつ頃からか、若葉の色が大好きになって、 洋服も少しずつ、若葉色のものが増えてきました。 新緑の季節、絵本のすっきりとした 黄緑に引き寄せられました。

手にとってページをめくります。

お空から降ってきた白い布を手に入れた ウサギがワンピースを縫います。 シンプルな真っ白いワンピースは、 ページを繰るたびに、 とりどりの自然の喜びに彩られ、 お花のワンピースになったり、 お星様のワンピースになったり、 時に、雨の水玉模様を映したりして、 無邪気な喜びを与えてくれます。

最近、本を買いすぎるので、 その日は、2000円ぐらいと、上限を決めていましたが、 すでに私の手には、4冊の文庫本がありました。 本屋で買おうかどうしようかと、 迷うことは余りないのですが、 その日は上限を決めていたのだから、 どうしようかと、ちょっと考えました。 シンプルなこの絵本は、 ぱらぱらとめくったらすぐに終わりです。 白いワンピースが、 ページごとに風景を映して変化していくだけで。 お話だけでなく、絵柄もすごくシンプルで、 色も単純です。

でも、でも、どうしても、 私を惹きつける何かがあります。 すごくシンプルだけど、 シンプルで単純な線や色に、ほっとするのです。 12色の色鉛筆やクレヨンで、 お絵かきをしたり、ぬり絵をしたり。 そんなことを思い出して、 あたたかな気持になります。 結局、2冊の文庫本を棚に戻しました。 絵本は今、パソコンの側で サラ・ムーンの写真集と並んでいます。

以前、ここで紹介した『クレメンタインの冬じたく』には たくさんの洋服の中から、 着せ替え人形に着替えを選ぶように、 自分の好きな服を選ぶ楽しさがありました。 この「わたしのワンピース」には、 白いワンピースがページごとに、 どんどん変化していくのを見る楽しさが。 どちらも、ぬくもりのある絵で、 子供たちだけでなく、大人の心もなごみます。

絵本には、美しさを愛でる本もあれば、 この本のように、ぬくもりを感じる本、 読む人、描いた人の「体温」が大切な本もあります。 (シィアル)


『わたしのワンピース』 えとぶん:にしまきかやこ / 出版社:こぐま社

2001年05月21日(月) ☆本を売る その(2)

お天気猫や

-- 2002年05月20日(月) --

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『異国の花守』

☆年を経る美しさ。

人も、家も、木々も、 年を経たからこそ、内側からにじみ出る 静かできっぱりとした美しさがある。

それはただ、長く年を重ねただけではなく、 長年、丹精されてきたからこそだろう。 しかし、当たり前のように長い時、 そこにあり続けるから、 失ってしまうまで、その大切さ、 かけがえのなさに、 気付くことができなかったりもする。

私にとっては、 たとえばそれは、祖母と過ごした時間であり、 祖母のそれこそ丹精して育てた庭であった。 そのかけがえのなさは子どもなりに 分かっていたつもりだが、 祖母を亡くしてから、積み重ねていく日々の中で ますます、喪失感は募っていく。

失ったものをしみじみと懐かしみ、 失った宝物を心から愛でる気持が、 波津彬子さんの漫画『異国の花守』を 読んでいて湧き上がってきた。 同じような思いを感じたのが、 『西の国の魔女が死んだ』(梨木香歩・新潮文庫) を読んだ時だった。

どうやら、そもそも、 祖母と孫(この本では大伯母と遠縁の娘)が お互いに生き方や在り方に対する思いを ひとつにしていく物語には弱いようである。

椿の精霊が宿る家で椿の花守だという大伯母と 一緒に暮らすことになった雛子。 椿の木が引き合わせた英国人の青年アレックス。 花は咲き、花は散っていく。 時は静かに流れ続け、 椿の精霊が雛子に、伝えようとしていることは・・・。

波津彬子さんの、昔ながらの日本の美への 深い愛情を感じる。 本来、季節の変化は美しく、 瞬間瞬間の、折々の美しさがあるのに、 今は、一年を通じて、コントロールされ、 季節のうつろいも平板である。 『異国の花守』を読みながら、 もっと、もっとちゃんと目を見開き、 耳を澄まして、きちんと季節を感じたいと思った。

ついでながら。 浪漫(ロマンス)愛好家としても、二重丸である。 (シィアル)


『異国の花守』 著者:波津彬子 / 出版社:小学館文庫

お天気猫や

-- 2002年05月17日(金) --

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『ザ・ギバー』から『約束された場所で』へ(さまよう連載その2)

☆自由とか、幸福とか、どういうことなのだろう。

『ザ・ギバー』は、徹底的に管理された理想郷である。 その与えられた「幸福」を疑うことがなければ、 「真実」を求めようとしなければ、 多くの人々にとっては、理想のコミュニティである。

『ザ・ギバー』と『約束された場所で』を続けて読んだのは、 全くの偶然だった。 読書感想文コンクールの高校の部の課題図書 ともなった児童文学「ザ・ギバー」と、 地下鉄サリン事件の被害者及び遺族の証言を集めた 『アンダーグラウンド』(著:村上春樹)に 続いて執筆されたノンフィクション、 『約束された場所で』には、そもそも関連はない。 しかし、続けざまに読んだこともあって、 そこに描かれている物語や、インタビューから、 「理想」とか「幸福」、「自由」あるいは、 「支配」という共通のキーワードが見えてくるような気がする。

『約束された場所で』は、雑誌には 「ポスト・アンダーグランウンド」というタイトルで 連載されていたそうである。 村上春樹氏によると『約束された場所で』という本のタイトルは アメリカの詩人マーク・ストランドの詩に感じるところが あった所以だそうだ。 ここで、私の思いがさまよっているのは、 「自由」とか「幸福」というのは、 いったい、どういうものなのか。 いったい、それはどこにあるのか。 そういう漠とした思いなので、 1997年3月の地下鉄サリン事件やオウム真理教団そのものについては ここでは触れない。 (『アンダーグラウンド』『約束された場所で』の両方を読んだことで、 さまざまな思いが湧き上がるが、それはまたいつか別の視点で 書き留めることができたらと思っている。)

『アンダーグラウンド』は、 地下鉄サリン事件の被害者及び遺族の証言を集めたものであった。 それに対して、『約束された場所で』は、 オウム真理教の信者(元信者)へのインタビューがメインとなっている。

唐突に話は飛ぶが、 結局、彼らは、オウム真理教に何を求めていたのだろうか? 『約束された場所で』を読みつつ、しみじみ考える。 そこは、「理想」のコミュニティだったのだろうか? 何かを求めて、そこに行ったはずだ。 あるいは、ここ、現世に失望して。 同じ思想・信仰・信条で結びついているコミュニティは ある者にとっては、素晴らしい環境であり、 生きていくことがとても楽な場であったようだ。 そういう理想郷を求めていたのに、 ある者にとっては、ここもまた一般社会の縮図で、 学歴や美醜のものいう社会であり、 理想の世界ではなかったようだ。

同じ教義のもと、精神的にかなり均質な狭いコミュニティにおいても 「理想」や「幸福」の捉え方は大きく違う。 (実際は、同じ教団内でも、割り当てられた仕事や場所、 能力、美貌によって、待遇や生活に大きな違いがあったようだが。)

精神的に、均質かつ等質であるということは、 自由なのか、ファッショなのか。 ますます、理想の社会、とか、 万人の幸福というのはわからない。

結局は、 スターガールも含め異質な者が混ざり合い、 理想を求める綱引きが常に行われている社会、 それが、フツーの社会で、 そういうフツーから、 いつか理想的なものが生まれる可能性があるのだろう。

けれど、それは、誰にとっての理想なのだろう?

さらに話は飛んで、 学生の頃聴いた、井上陽水のライブ放送で 彼は、優しさっていうのは、難しいと語った。 暴力はいけいないことだけど、 痛いことが好きな人には、それは優しさになるよねって。 おなじみの飄々とした口調で。

人によって、理想やら幸福やら世界観やらが違うから、 時に、理想主義者というのは恐ろしい。 話は大風呂敷になっていくけど、 結局のところ、 「自分」というのは当然ながら、 為政者や管理者の側ではないのだから、 管理やら秩序やらの心配をする必要はないのだ。 だから、心おきなく、 スターガールになればいいのだけれど、 ここに、今度は「リースマン」が立ちはだかる。 (シィアル)

さらに思いはとりとめもなく漂流して、 最後はアメリカの社会学者D・リースマンの『孤独な群衆』へ

※この思いはどこにたどり着くこともなく、もやもやと漂いながら、今はすでに、2005年5月。アメリカの社会学者のDavid Riesman(デービッド・リースマン)は、2002年の5月10日に死去。リースマン死去の報に触れ、いろいろなことを考えた頃であった。 05.05.14. / シィアル


『約束された場所で―underground 2』 著者:村上 春樹 / 出版社:文春文庫

2001年05月17日(木) 『やさしいカリグラフィー』

お天気猫や

-- 2002年05月16日(木) --

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『スター☆ガール』から『ザ・ギバー』へ(さまよう連載その1)

☆自由であることについて、あちらこちらへとさまよう思い。

『スター☆ガール』を読み終わったのはずっと前のことで、 読み終わってからもずっと、ひっかかり続けたことがあった。 理由はよくわかっている。 スターガール・キャラウェィの生き方を、 大人として、あるいは、さまざまな分別を求められる社会人の視点で 見つめてしまったからだ。

スターガール・キャラウェィは、何者にもしばられない少女で マイカ・エリア・ハイスクールの1年生。 彼女は自分の生き方、自由であることに忠実で、 付和雷同的な行動はとらない。 ウクレレをランチルームでかき鳴らし歌い、 誰かの誕生日には、その生徒のためにバースディソングを歌う。

スターガールは、その自由で開放的であるがゆえ、 最初は誰の眼にも奇妙に映り、誤解を受け、 なかなか受け入れられないのだが、 やがては、人々はスターガールの不思議な魅力に惹きつけられていく。 しかし、スターガールの精神の自由さ、 心の美しさというのは、 生徒たちの想像を遙かに超える。 たとえば、 チアリーダーになったスターガールは、 自分のチームだけでなく相手のチームまで、 心から応援し、その得点を喜ぶのだ。 生徒たちは、 スターガールを理解できなくなっていき、 心は離れ、反感が募り続ける。 そして、 スターガールへのシャニング(shunning)=無視が、始まり…。

スターガール個人をとらえると、 その生き方には惹かれるし、 自分の理解を超える存在を許容することができず、 自由な個性や精神性無視をして、 人間性を踏みにじる「社会」については、 言いたいことは山のようにある。 あるけれど、社会の中では、 自分の意志に反して、集団に埋没せねばならないことも やはり、山のようにある。 自分のやりたいように、できない、 つまらないと思っても、従わないといけないルールが山とある。 そんな中、自分の信念を貫ける人、 自由であり続けられる人、 そういう少数の人は、とてもまぶしい。 まぶしいが、少数なら許容できても、 誰もが自由であることを優先させようとすれば、 そこには混乱やとまどいが生まれることもあろう。 個性や自由を尊重し、 みんながみんな、スターガールになってしまうと、 とんでもないことになってしまうではないか。 スターガールのような生き方は理想的ではあるが、 そこに住むみんながスターガールであるからといって、 理想的な社会になるいうわけでもないだろう。

そんな風なことをつらつらと考えていたとき、 『ザ・ギバー』を開いた。

少年ジョーナスの暮らすコミュニティにはなにひとつ混乱はなく、 常に整然とした秩序のもとにある。 そこは、それぞれが互いに人間として尊重し合っている、 まさに、理想の社会=ユートピアとして描かれている。 家族、クラスメイト、コミュニティに住む人々は 互いを思いやり、相手を傷つけることを避けている。 口を滑らして相手を非難するようなこともなく、 万が一にも相手の心を傷つけるような可能性のある言動をすれば すぐさまに、謝り、相手もすぐにその謝罪を受け入れるのだ。
「謝罪します」
「謝罪を受け入れます」
という風に。
抑制されている。 成熟した社会というのだろうか。 人々は静かに穏やかにコミュニティに暮らしている。 街であろうが、人の心であろうが、 醜いものはどこにも見あたらない。 善意に満ちあふれた社会。 いや、もしコミュニティの方針に従わない者があれば 「リリース」されるのだから、問題が存在するはずがない。 さらには、人の感情や記憶まで、パーフェクトに管理されている。 やがて、社会全体の記憶を受け継ぐことになったジョーナスは、 社会から個々人の感情にいたるまで、 あらゆることが管理される以前の社会を知ることになる。 今まで覆い隠されてきた、 真の世界を知ってしまったジョーナスは…?

スターガール・キャラウエイのような 強烈な個性の人間はどこにもいない。 混乱とは全く無縁で、みんなが平穏で静かに暮らしている。 とまどいも、ねたみもない、 怒りもなければ、悲しみもない 塵一つ落ちていない美しい社会。 まさに、スターガールとは、対局の生き方を求められるのだ。 いや、誰も、スターガールのような生き方を求めようとしない。 そもそも、そういう生き方を知らないのだ。

社会全体の幸せと、個人の幸せ。 どちらが優先されるのか。 どちらが勝るというものでもなく、 互いに補完し合うものであるし、 要はバランスの問題で、 いずれにせよ「過ぎたるは及ばざるがごとし」 ということだろうか。 考えてもどうなるものでもない、 ある意味では哲学的、ある面では政治的なことに 思いを巡らしていた。

頭の中で、あれこれと考えを弄ぶだけなら、 「要はバランスの問題」なんだと、 こういう、個人的結論でいいのだけれど。 しかし、それも「約束された場所で」を読み終えると、 また、大きく、考えが揺さぶられ、 さらに深く考え込んでしまった。(シィアル)

(その2)『「ザ・ギバー』から「約束された場所で」へ に続く。


『スター☆ガール』 著者:ジェリー・スピネッリ / 訳:千葉茂樹 / 出版社:理論社

『ザ・ギバー 記憶を伝える者』 著者:ロイス・ローリー / 訳:掛川恭子 / 出版社:講談社

2001年05月16日(水) SARAH MOON

お天気猫や

-- 2002年05月15日(水) --

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『ゴースト・パラダイス』

墓地の死者たちと、街の少年たちがくりひろげる、 ハロウィーンの夜の大逆転。 そんな触れ込みと、テリー・プラチェットの名前に 惹かれて古書を取り寄せた。 プラチェットは英国ではベストセラー作家の常連だという。 以前、ファンタジーのアンロジーに入っていた短編で ディスクワールドの番外編「海は小魚でいっぱい」を読んだが、 (2002年03月16日の書評参照) たぐいまれなユーモア作家の作品を、 もっと読んでみたいなと思っていた矢先で、 幸運な出会いと思う。

主人公の少年ジョニーは、死者の一人、オルダーマンに よれば、『見まいとする努力を怠っている』おかげで、 死者が見えるようになった。遊び仲間の少年たちには 彼ら街の共同墓地にたむろする死者たちの姿はまったく 見えないのだが、ともかくジョニーには見えるし、 クセのある死者たちも、そのことを知っている。 いまだに生きていたときの個性に彩られた彼らは、 ジョニーによって、ラジオを知り、テレビジョンを知る。

永劫に平和だったはずの墓地が業者に売り飛ばされ、 檻のような集合住宅が建てられるという計画に、 やがてはジョニーだけでなく、生きている街の人たち 全体の、見えざる意思が異を唱え始める。 実際に死者とつながっているのはジョニーひとりなのにも かかわらず、つながりは連鎖してゆくのだ。 そしてハロウィーンの夜、革命が起こる。

ユーモアのスパイスをまぶして、からっと揚がったポテトフライを 実際に食べてみると、そこには染み出してくる料理人の 手の味わい、ポテト畑の滋養の深みを感じ、 しばし魂は「あちらの世界」をさまよう。

本書は、第一次大戦で犠牲となった、 トミー(トマス)・アトキンズに捧げられている。 …すべての英国兵士を指す愛称でありながら、 どこかに実在したはずのトミー・アトキンズへの共感を込めて。 (マーズ)


『ゴースト・パラダイス』 著者:テリー・プラチェット / 訳:鴻巣友季子 / 出版社:講談社文庫(入手困難)

お天気猫や

-- 2002年05月14日(火) --

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『風街物語 -完全版-』

魔法使いルッフィアモンテが創った「風街」を舞台に、 ありとあらゆる不思議を浮かび上がらせる短編集。

ファンタジーや精神世界の翻訳も数多く手がける 著者による、まさに集大成の趣。 夢の殻、火星の旅人、恐竜の大腿骨、仮面屋、 そんなキーワードにいささか感電する方には 願ってもない美酒となるだろう。 足穂、澁澤、ブラッドベリ、たむらしげる、と言い換えても 大きな誤解はないはずである。 (「完全版」とは、雑誌に発表後、加筆訂正して 単行本として編みなおしたことによる。)

風街は、過去の方角に在る。

街を吹く強い強い風は、 いかにも乾ききったた風である。 文体にもそれが感じられ、読むごとに 軽い眩暈をおぼえつつ眠りを誘う妖しさは、 すでにこの魔法の風に私が 取り込まれつつあるからなのだろうか。

幻想譚の語り部は、マーチ博士。 この街に寄宿しながら、 ときに翻弄され、ときに完全な美に酔い、 街の住人たちのひとりに溶け込んでゆく。 アルコールに溶ける、植物の精の効果にも似て、 また少し、風街は奥行きを増すのだ。

著者はあとがきで、恋愛の要素が少ないのを 残念がっているが、私には、まさに多すぎず少なすぎず、 上澄みが流れたあとあとまで残るようなエッセンスで あったと思われる。 (マーズ)


『風街物語-完全版-』 著者:井辻朱美 / 出版社:アトリエOCTA

2001年05月14日(月) 『おいしい時間のつくりかた』

お天気猫や

-- 2002年05月13日(月) --

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『ニューヨークの恋人』

☆映画『ニューヨークの恋人』のノベライズ版

タイムスリップ・ロマンスというのを、 ひとつのジャンルにあげてもいいのではと、思っています。 今までにも、いくつか紹介してきたけれど、 映画『ニューヨークの恋人』も、そのジャンルの一つです。

ロマンティック・コメディの女王、メグ・ライアンの最新作。 19世紀から、NYのキャリア・ウーマン、ケイトの元に タイムスリップしてくる、白馬に乗った王子は、 本当に白馬にも乗っていただろうイギリスから、 NYへ花嫁探しに来ていた“公爵”。 仕事に生きてきたケイトと、 やがては、自分の時代へと帰らねばならないレオポルド公爵の 時を超える二人の恋はどうなるの?

恋愛映画のノベライズなので、 今まで読んできた数々のタイムスリップ・ロマンスのような お互いの微妙な心の綾や、 ふたりが永久に寄り添うまでの艱難辛苦は描かれていないけれど、 ライトに楽しむことのできる一冊。

小説とは違い、行間から湧き出てくるものはないとはいえ、 今のニューヨークと19世紀のニューヨークや、 時代錯誤ではあるけれど、ハンサムで優しい公爵、 そして時を越えた恋愛にときめきとまどうキュートなケイトを 映像で見られるのは、かなり嬉しい。 特に、カラーページで見るレオポルド公爵が ケイト以上に、キュート。 まさに、ベストショットの数々。 レオポルド公爵役のヒュー・ジャックマンは、 映画「Xメン」のウルヴァリン役のヒト。 あのウルヴァリンが優雅な紳士、レオポルド? 最初は違和感が強かったものの、 たった数ページのカラー写真で、簡単に懐柔され、 動く公爵を見に行くのがすごく楽しみになっています。

想像力は、映画を越えるけれど、 実際にその世界を眼にすることができるというのは 映画の何よりの喜び。 早く映画を見たいと、とても待ち遠しいです。

□他のタイムスリップ・ロマンス --------------------------------------

『時のかなたの恋人』(恋愛小説) 著者:ジュード・デヴロー/出版社:新潮文庫

『夢のなかの騎士』(ロマンティック・サスペンス) 著者:リンダ・ハワード/出版社:二見文庫

『ライトニング』(サスペンス) 著者:ディーン・クーンツ/出版社:文春文庫

『ザ・マミー』(ホラー) 著者:アン・ライス/出版社:徳間文庫

『二千年めのプロポーズ』(ハーレクイン) 著者:ダーリーン・スカレーラ/出版社:ハーレクイン

(シィアル)


□ノベライズ版
『ニューヨークの恋人』
脚本:ジェームズ・マンゴールド、スティーブン・ロジャース/ 編訳:池谷律代/出版社:竹書房文庫

□映画
『ニューヨークの恋人』(2002年初夏公開予定)
原題:KATE&LEOPOLD 監督・脚本:ジェームズ・マンゴールド 出演:メグ・ライアン/ヒュー・ジャックマン

お天気猫や

-- 2002年05月10日(金) --

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☆リンダ・ハワード・リーディング(その4)

--リンダは嘘をつかない。--

リンダ・ハワードのめざす世界とは、 何がしかの色だけに染まった一辺倒のものではなく、 同じように強烈な色彩を複数抱えた世界なのだろう。

それは、家系にアメリカインディアンの血を受けた ことと関係づけられるのかもしれない。 くわしい事情は知らないのだが、 そういわれれば、彼女独特の強いオーラと、 普通の作家が試みない、異なる要素の本格的なミックスに、 なっとくがいったりもするのだった。

白でも黒でもない、もちろん灰色でもない、 白と黒が同時に存在する世界。

やるときは徹底的にやる世界。

それが主人公たちの仕事であっても、逃亡であっても、 病気であっても、恋であっても。

だから、リンダの本を何冊か読んでゆくうちに、 私たちは、だんだんと、 彼女のリーダーシップを信じ、 同時に、ポジティブになってゆくことができる。

その2で書いたことにも関係するが、 ACは特徴的に白と黒をはっきり分けたがるという。 いわゆる、オール・オア・ナッシングの 生き方になってしまうのだ。

インディアンと白人の両方の遺伝的せめぎあいと、 文化的豊かさ、ともに受け継いだ誇りが、 おそらくはリンダのなかで燃えつづけているのだろう。

リンダは、私たちに、あきらめるなという。 「欲しいものは、全部取れ! 自分に嘘はつくな」と。

(マーズ)

※リンダ・ウィークに励ましのお便りなど、ありがとうございました。 いずれ折りをみて、第二弾の特集ウィークも実現するかと思います。

2001年05月10日(木) 『ものがたりの余白─エンデが最後に話したこと─』

お天気猫や

-- 2002年05月09日(木) --

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☆リンダ・ハワード・リーディング(その3)

--自分の人生や運命と闘うヒロイン--

リンダ・ハワードの一番の魅力は何だろうか。 語り部リンダのストーリーの巧みさ? 安心して読めるハッピーエンディング? はらはらどきどき、でも勧善懲悪な展開? 濃厚かつ執拗なラブシーン(笑)?

まだまだいろいろあげることはできるけれど、 自分の仕事を持ち、 自分の人生に正面から向き合い、 自分の足でしっかりと立っている、立とうとしている、 ヒロインの心(しん)の強さにあるのではないかと思っている。

最近、リンダの本は「癒し」だとしみじみ感じる。 単なるシンデレラ・ストーリー、 おばあさんの魔法で幸せをつかむ、 受け身のヒロインではなく、 リンダのヒロインたちは、自らの力で幸せを手にしていく。 そこに、精神的な「同志」としての安堵感を覚えるからだ。

確か、『危険な駆け引き』(シルエット・ラブストリーム刊)のヒロインが、 「敵から逃げている途中でヒーローの忠告を聞かず、 足手まといになるような小説の中のばかな女とは違う。」 というようなことを言う、痛快なシーンがあった。 リンダの作品には、 ステレオタイプの可愛いだけの愚かな女は登場しないから、 本を読みながら、顔をしかめたり、いらいらさせられることはない。

リンダのヒロインは聡明で、精神的にタフだ。 さまざまな苦労の中でも、何とか折り合いをつけ、 自分の力で乗り越えようとしている。 女であることに、決して甘えていない、人間としての強さがある。 別段、「頑張れ!」と女性に対する声高なエールが送られているわけではないが、 本を開く度に、何だか温かく頼もしい作者のメッセージを感じる。

感じるけれど、でも、 それでも、やはり。 頑張れないとき、辛いときはある。 誰かに頼りたい、心細さ。 「自立する女性」という言葉が雑誌の表紙で華々しく踊る昨今、 闘う女性だって、ときには、誰かに守られたい。

その辺の微妙な綾が、これがまた、リンダの魅力。 ただ、ヒーローに守られるだけのお姫様でなく、 ただただ、ヒーロー顔負けの強いスーパー・ウーマンでなく、 ときに強く、ときにか弱い、けれどとことん心の強いヒロインたち。

そのヒロインを守り、ともに闘う男たちももちろん、 ただ者ではない。体も心も、とことん大きい。 現実離れした設定であっても、読む者に共感をもたらす理由は、 男女ともに、人間として、きちんと描かれているからだろう。 濃厚かつ執拗なラブシーンがあろうとなかろうと、 リンダの描く世界は男女がちゃんと互いに相手をみつめ、 理解し合おうと向かい合っている。

そこが「癒し」のポイントでもあるのだと思う。

仕事に疲れきった後、 リンダの本を読み始める。 屈することなく闘うヒロインが、 大きなヒーローの腕の中で、しばし、翼を休めるとき、 ほっとあたたかな気持ちに満たされ、つかの間疲れを忘れるのだ。 (シィアル)

お天気猫や

-- 2002年05月08日(水) --

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☆リンダ・ハワード・リーディング(その2)

---読むだけで癒される女もいる!---

読者にとって、リンダ・ハワードは癒し系ロマンス小説と 位置付けられている。 それは、どんな女性読者たちにとって、なのだろうか?

読み始める前には、世間一般のミステリファン、 あるいはハーレクインファンなのだろうぐらいに思っていた。

しかし、五冊読んで、そこにもっと深い理由が見えてきた。 『二度殺せるなら』(加藤洋子訳/二見書房) 『黄昏に生れたから』(加藤洋子訳/ヴィレッジブックス) 『心閉ざされて』(林啓恵訳/二見書房) これら三冊のヒロインは、明らかなACだったのだ。 AC(アダルト・チャイルド/アダルト・チルドレン)、 つまり、アルコール依存の親、その他の機能不全家庭で育てられ、 不健全な生き方のルールを身に付けた成人。 無自覚なまま家庭を持つと、無意識のうちに親と同じ問題を起こす。 ACは何らかの気付きやカウンセリングなどによる以外改善されず、 その回復も長期間にわたるとされる。

『二度殺せるなら』のヒロイン、カレンは、 ベトナム帰還兵の父親に捨てられ、母を親代わりに支えた。

『黄昏に生れたから』のスウィーニーは、 ネグレクトする母に育てられ、性的ハラスメントも受けた。 死者が見えるという特殊能力とともに、夢遊病も発病。

『心閉ざされて』のロアンナは、両親を事故で亡くし、 7歳で生きる居場所を失い、思春期に拒食症をわずらった。 罪悪感にさいなまれ、彼女もまた夢遊病の持病がある。

世間では、彼女たちのように、無自覚のACが ハッピーエンドを迎えることは夢である。 人間関係につまずき、体調の不安におびやかされ、 自分に価値を見出せない。 しかも、無意識のうちに、自分のパターンに符号する ACのパートナーを選んでしまうといわれている。 人口の何割がACなのかは誰にもわからない。 自覚もせず、カウンセリングにも行かなければわかりようがない。 極端な例でないかぎり、自覚しないまま一生を終える人も多い。 とはいえ、世の中に完璧な家庭などなく、誰しも親に 大なり小なり不満をもちながら育っている。 そう考えれば、ACの要素は、実は誰の心のなかにも 潜んでいる不安ではないだろうか。

クイーン・リンダが妖精の杖を振るうのは、そこなのだ。 ヒロインたちの苦悩を、じゅうぶんに読者にわからせた後、 彼女たちを回復へ向けさせる「まともな」大人の男性を 登場させるのである。

そして、ヒロインたちは劇的に変化する。 たとえばスウィーニーは、生れて初めて、 「生きなければ」太字で思うのだ。

ゆがめられた子ども時代を自覚し、自分のものと呼べる人生、 誰もが与えられている権利を取り戻し、 ほんとうの大人に成長しなおすヒロインたち。 そのきっかけが、愛し、愛される男性である。

自覚しているACにはダイレクトに伝わり、 自分でACだと知らないACでも、 普通の大人といわれる人々であっても、 やはり、このメッセージはとどく。

リンダ自身が、相当に、ACについて勉強していると思うし、 さまざまなパターンのACをヒロインの個性に投げかけることで、 どんな女性のうえにも、幸せになる権利は平等にあるのだと 力強く教えてくれているのだ。

だから私は楽しみにしている。 次はどんなヒロインが登場し、そして癒されるのだろうと。 (マーズ)

2001年05月08日(火) 『十二国記』

お天気猫や

-- 2002年05月07日(火) --

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☆リンダ・ハワード・リーディング(その1)

---本気のストーリーを打ちまくる女王!---

シィアルからすすめられ、たてつづけに五冊読んだので、 この勢いで、リンダ・ハワード・ウィークを始めることにした。 なお、現段階で読んだのは、順に、

『二度殺せるなら』(加藤洋子訳/二見書房) ※ニューオーリンズが舞台。殺人事件を追う刑事と被害者の娘。

『青い瞳の狼』(〃) ※続編ではないが、前作からスピン・オフしたスパイアクション。

『黄昏に生れたから』(加藤洋子訳/ヴィレッジブックス) ※ニューヨークが舞台。画家で千里眼のヒロインと実業家の恋に殺人が絡む。

『心閉ざされて』(林啓恵訳/二見書房) ※アラバマを舞台に繰り広げられる南部の名家の大河ロマン。

『夢のなかの騎士』(〃) ※タイムスリップで出会うスコットランドの勇者と女性考古学者が悪の組織と対決。

リンダ・ハワードは初めてではあるが、ハーレクインの恋愛パターンは 教養として(?)どこかの回路に入っているし、 ミステリやらサスペンスやらは、なんだかんだとけっこう読んでいる。 (余談だが、私のミステリ系書評がここに少ないのは、ネットで 書き始める前に読んだものが多いから。 また余談だが、かの中山星香氏も、何年かに一度、男女の恋愛イメージを 強化するためにハーレクインに浸かるのだと述べられていた。妖精国の主役 二人も、そんなこんなで恋愛しているのだと思うと嬉しい)

だから、その二つが渾然一体となったロマンス系ミステリの女王たる、 アメリカはアラバマ州在住のリンダ・ハワードには なじみやすい土台が、私のなかにできていたともいえる。 ハーレクイン作家から出発したキャリアを持つリンダ。 恋愛パターンにおいても、独自の境地を開拓している。 上記のようなバラエティに富んだストーリーを背景まで丁寧に書いた上で、 綿密な恋愛心理と執拗で濃厚なラブシーンが絡むわけで、 この人は本当に徹底していると思う。 もし、ラブシーンが今の半分以下でも、じゅうぶん面白いのに。 カバーの裏にポートレートが載っているが、 なかなか、女王の風格である。意思の強さが伝わってくる顔だ。

男性がこれらを読むとどう感じるのかわからないが、 アメリカ女性の圧倒的な支持を得ているという。 女性にとっては、癒し系ロマンス小説といわれるだけあって、 ツボをおさえたポジティブなストーリーに 共感が強いのではないだろうか。 主人公のほとんどが30代で、男性のリーダーシップの強さには 一貫したポリシーを感じる。 つまり、男は女を守るべきである、という掟だ。
(なぜ癒し系か、くわしくは その2へつづく

これまで読んだなかで好みの主人公は、「青い瞳の狼」の CIA工作員、ジョン・マディーナ。スパイものもかなり 読み漁った私が面白いと思ったのは、世界を股にかけたスパイアクションには ハードなラブシーンもけっこう出てくるが、本当の恋愛を伴うものは 少ないからかもしれない。007が火遊びの典型であるように。

読みながら俳優の顔をイメージしたのは、「二度殺せるなら」の 主人公、マーク・チャスティン刑事。 ボールドウィン兄弟の長男、アレック・ボールドウィンである。 (キム・ベイシンガーの元夫。「ノッティングヒルの恋人」では ジュリア・ロバーツに振られる恋人役)

そして、書きたくなかったのだが、あえて書く。 「夢のなかの騎士」のメチャクチャ強いテンプル騎士団の騎士、 黒髪のブラック・ナイルは、頭ではちがうとわかっているのに、 どうしても浮かんでしまうのが、「スコーピオン・キング」のあの方、 WWFのトップレスラー、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソン。 テンプル騎士団とWWFは同じく世界最強の団員つながりかも?(爆) (マーズ)

2001年05月07日(月) 『知の編集術』

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管理者:お天気猫や
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