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一時期、都市伝説に凝ったことがある。 そういうのがブームだったこともあるし、 私自身も「口裂け女」の洗礼を受けたことがあるからだ。 あの頃の空気は、ざわざわとしていて、 ざらついている。濁音の印象。
JRの駅の通勤ラッシュ。 人が次々と、駅から押し出されていく。 夥しい、人の列。 私も、その中の一人なのだが、 こうやって思い起こす時は、鳥の眼のように、 高みから、ちっぽけな人間を見下ろしている。 当時の鼻持ちならない高校生の傲った目線であり、 つまりは、それが、当時の私の悲しみだ。 日常というのは、ちっぽけなもので、 私も、その中の一粒にすぎない。 駅からそれぞれの目的地に急ぐ、 人々の顔が、判然としない。 その他大勢の人生なのだ。 そして、その一部。 そんな中、いつもと違う、一日があった。 それは一週間だったかもしれないし、 一ヶ月だったのかもしれない。 夏の頃か。 まことしやかに、「口裂け女」の話がささやかれる。
○月×日、駅前に口裂け女がいたとか。
昨日、友達の友達の○○ちゃんが追いかけられたとか。
○月△日くらいに、どこそこに現れるらしいとか。
こんな時に、女子校に通っている友達は情報通だった。 女子校ではもっとかしましく、噂が炸裂していたのかもしれない。 あるいは、彼女自身が、「オリジナル」の噂の源だったのか。 そして、もちろん、自分の学校の友達にその話をするのだ。 コピーはコピーを生み、 それぞれのフィルターを通り抜けた話は、 新たな「オリジナル」となる。
「口裂け女」の噂話は、それは噂ではなく、 確かに、リアリティのある、 まさにその瞬間が、現実であった。 ぬるい日常に、突然投げ込まれた非日常。 話が荒唐無稽であればあるほど、 非・日常度は高まり、 それによって、生き生きと、 つまらなかったはずの日常が息吹を取り戻していく。 もしこれが、(妥当なたとえ話が思いつかないが) シュガーコーティングされた神隠しの話なら、 ささいな悲しみに満ちた、このつまらない日常から、 さらっていって欲しいと、 当時の少女は願ったかもしれない。 連れ去られた向こうに何があるか分からない。 何があるか分からないから、夢想するのだ。 今と違う人生を。 あれが、思春期というものだったのだ。 もし、連れ去られたとしても、 もし、違う世界へと紛れ込んだとしても、 そこに住み着けば、それは日常となり、 だんだんと、ぬるく、停滞していくことを今は知っている。 そんな風に、年を重ねていったのに、 あの頃の悲しみがまだ、胸の奥に残っている。
『球形の季節』を読んでいて、 日常からTakeOffしたいと願った、悲しみを思った。 そう望む者もいれば、それを望まない者もいる。 ファンタジーの衣を取り除くと、 そういう思いの話なのだろうと、とりあえず、独り言ちた。(シィアル)
『球形の季節』 著者:恩田陸 / 出版社:新潮文庫
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管理者:お天気猫や
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