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昭和61年に、このアンソロジーが出ているから、 すでにそれからでも15年以上たっていることに 気づきました。 いわんや、連載当時は遠くなりました。
ラップランドから父の故郷の日本へ、 婚約者(と思い込んだ少年)、林太郎をたずねて はるばるやってきた17歳の少女、「いちご」。 こぼれそうな大きな瞳に、ふわふわの髪。 ただただピュアで、一生けんめい。
けれども、林太郎には幼なじみの全子がいて。 それでも、母を亡くした生田家で、 家族として同居することになったいちごが 繰りひろげる、ハプニングだらけの毎日。 だんだんいちごに傾いてゆく気持ち。
あー、ともかく、ページをめくるごとに 「大島弓子だ!」とつぶやきそうになります。 『綿の国星』の頃からのファンタジックな絵柄も好きだけど、 この瞳、このセリフ、今読むと気恥ずかしさも あるにはちがいないけれど、それでもやっぱり大島弓子。
完成度ということを言えば、もっと詰めることは できるでしょう。 でも、私にとって、作品の良し悪しは、作者にしかわからない 微妙な細部ではなくて、やはり、全体の熱とトーンです。 技術や完成度にこだわることも大事だけれど、 そこに必要以上とらわれると、 どうしても感動が薄れるように思えます。 最後まで熱をもってメッセージが伝わっていくことが、 作品の寿命を決めるのではないでしょうか。
そういう意味でも、『いちご物語』に生きている、 少年少女たちの、つみたてのいちごのようなフレッシュさは 「ここにしかないもの」を持っています。
ところで、主人公の林太郎は大島さんにとって 思い入れの強いキャラクターのようです。 でも私は、今も昔も、林太郎のお兄さんの森太郎や 当時の少女漫画の定番、デヴィッド・ボウイがモデルの 日向温が気になっているように、バイプレーヤーも楽しみのひとつ。 巻末のマンガエッセイには、連載当時の 裏話や結末の予定を変更したことなども描いてあって、 なるほどぉと思ったり。
この選集10巻以降に描かれた名作も数多く、 何度も作家としての曲がり角を抜けた大島さん。 そろそろ転換期を迎えて戻ってくるような予感がしています。 (マーズ)
『いちご物語』(大島弓子選集第5巻) 著者:大島弓子 / 出版社:朝日ソノラマ
『のっぽのサラ』シリーズの第2作。 メイン州の緑したたる海辺の町から、 大草原のまんなかで暮らす農夫の妻になるために、 のっぽであまり器量のよくない、けれどやさしいサラは ひとりでやってきました。 たった、ひとりで。
原題は『Skylark』、ヒバリ。 サラのことをたとえたタイトルです。 空で高らかに歌うヒバリが地面に降りるのは、 巣をつくるため。 そのサラの決意が試される、第2作です。
姉のアンナと幼い弟のケイレブ、パパとサラの4人家族。 サラがパパと結婚することになったのは、 パパがお嫁さん募集の広告を出したから。 アメリカでは、離れた場所にいても そうした広告を見て、手紙や写真を交わして、 それで夫婦になるということが、けっこうあったんですね。 (今もパートナー募集の個人広告って多いようだし) うまくいった結婚も、いかなかった結婚も あったのでしょうけど。 なんだか、そんなあっけないほど簡単な結婚を、 主人公たちは選ぶのです。 サラは、パパの手紙を読んで、 気持ちを決めたのだそうです。
この新しい家族をおそうのは、干ばつの苦しみ。 来る日も来る日も、雨を待ち望む日々。 もしも、ずうっと雨が降らなくて、井戸が枯れてしまったら 家族は、サラの新しい家庭は、どうなってしまうのでしょう?
作者のマクラクランは、追い詰められた農場の現実と 家族の状態を刻々と描きながら、 パートナーを信じ、思いやることで絆を深める 愛の姿を、淡々とやさしく描いてゆきます。
以前私が見たアメリカのTV映画「潮風のサラ」は、 このシリーズが原作だったのだと、読んでわかりました。 あの、グレン・クローズとルトガー・ハウアーが ホームドラマの夫婦という、不思議なキャストにも 納得がいったりして。 (マーズ)
『草原のサラ』 著者:パトリシア・マクラクラン / 訳:こだまともこ / 絵:中村悦子 / 出版社:徳間書店
1998年、28年ぶりに復刻された短編集。
収録作品は、
「鈴の話」
「午後一時五分」
「水密桃」
「やわらかい手」
「黒い門」
図書館で手にとり、初めて読んだ花岡大学。 名前だけは聞いたことがあったが、予備知識も ほとんどなかったのだった。 明治の末、吉野の寺に生まれ、 西本願寺派に籍を置き、 長い作家人生を通じ、幾多の作品を送り出した。
この一冊で、 児童文学と文学の境界をかるがると超え、 仏典童話や世界の物語、偉人の伝記などまで 多彩な作品を遺した作家の全貌が私に見えるはずもない。 ただ、部分は全体を含んでいるという持論にしたがえば、 『やわらかい手』は作家の魂の影濃い作品集だろう。
装丁のイラストと内容のギャップは意図的なものだろうか。 最初は違和感を感じたが、読み終えると、 子どもの世界をとりまき、自由を奪い、 成長させ、変容させてゆく「環境」という暴力を淡々と描きながら、 最後には潔い清涼感すら遺してゆく 筆の力と、不思議に折り合っているとも思えた。
短編のタイトルから予想した内容と、 作品の世界が、これほどまったく違っていることもあるのだ。 (巻末に司馬遼太郎氏が書いているが、花岡大学の 外見的印象と作品には大きなギャップがあったそうだ。 タイトルと内容のギャップにもどこか通じるものがあるのでは) 深く読めばシンボリックで、 仏教の香りすら読み取れるタイトルである。 報われない死や感情のゆきちがいから生まれる悲劇、 弱い者いじめ、戦争の犠牲、親子の情など、 普遍的なテーマの持つ同時代性にもおどろかされる。
表題作の「やわらかい手」とは、 いったい誰の、どんな手だったのか。 少年のなかに極限のやり切れなさとともに残る、 やわらかく白い手の記憶。 それはおそらく、多くの読者にとっても、 まったくの他人事だとは思えない状況にちがいない。 「こんな時代」は、いつだって、どこにだってある。
与えられた一方的な視点を植え付けられ、 強い流れに飲み込まれて我を見失いそうなとき、 花岡大学の作品は、ジャーナリスティックですらある。
無常感のなかで明るく生命はかがやき、 歴史は世の終わるまで繰り返し、 人はただ日々の暮らしのなかに悟りを重ね、 内なる闇と向き合わねばならない。 (マーズ)
『やわらかい手』(復刻版) 著者:花岡大学 / 出版社:求龍堂
小さな小さな海沿いの田舎町を訪れた 我らが路上観察学会、お馴染み 赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊・林丈二各氏が 町民と一緒に古い町並みを回って 路上観察の技を披露していったのが すべてのはじまりでした。
小さな町の皆さんはたまげました。 いつも見慣れている古ぼけた町のボロボロが、 路上観察という不思議なメガネを通して見ると 片っ端から世にも珍しく、 また笑える宝物に変わっていったのです。
赤岡町という小さな町は、実は 陰惨なタッチの江戸時代の歌舞伎絵を道端に並べる 「絵金祭り」という独特の祭を催す事で 一部美術好きやホラーファンに名を知られている 独特の文化を残している町でありました。
さて、もともとこの時の観察報告は 町民向けの冊子にして地域限定で配られたようです。 しかしこの度、町のみんなが寄り合い所のように使って来た 古い木造のお風呂屋さん(空家)が売りに出される事となり、 なんとか買い取って今まで同様町に残したい!という事で 町つくりメンバーによって出されたのがこの本。
で、帯には「この本売れたら風呂屋が残る!」。 よっしわかった、私も路上観察ファンのはしくれ。 その本買おうじゃないか! 残るといいね、町のお風呂屋さん。(ナルシア)
『犬も歩けば赤岡町』 編集:高知県・赤岡町まちのホメ残し隊 / 出版社:風土社
タイムトラベルができる場所を選べるなら、 どうしたって英国である、という人は たくさんいるはず。
『グリーン・ノウ』(1954に第一話出版)も 『トムは真夜中の庭で』も、 『ナルニア』(1950)も異世界への旅という意味では同じで、 英国の児童文学の伝統となっているのが、 田舎の古い館で子どもたちが経験する時間旅行。 1939年にロンドンで出版されたこの本は、 そういう物語のほとんど最初といっていいのでは。 (『アリス』を除いて、という意味でだが)
夏休みにダービーシャー(英国のまんなかあたりにある)の サッカーズ農場に滞在する少女ペネロピーが、 16世紀のサッカーズ荘園へと、時間を旅する物語。
そこには、あの悲劇の女王、メアリー・スチュワートが 囚われており、彼女を救うことに情熱を傾ける アンソニー・バビントンという若い領主がおり、 そして彼らバビントンの一族の住む 平和に満ちた「緑の谷」、もうひとつの、 時代を超えたサッカーズ館が在るのだった。
いったい時間とはどんなものなのか? 過去と現在と未来は、いつでもそこに存在しているのだろうか? ペネロピーは薄いヴェールで分け隔てられた二つの世界を 往き来しながら、考え続ける。
バビントンがやがてメアリーの救出に失敗して その後処刑されてしまうことは、歴史の事実として 物語のはじめに教えられる。 私たちにはあまりなじみがない人物だが、 実在の彼は、エリザベス女王の暗殺を企てたとして やはり処刑されたのだという。
時を超える旅を少女時代に経験したペネロピーの、 おそらくは何十年か後の回想によって語られる物語は その時代に生まれた英国人らしい抑制のもとに、 観察力に裏打ちされた感性が五感を刺激する。
食べるもの、地に育つもの、美しく、思いを伝える、 人がつくった大事なものたち。 かつての時代にあって、いまは失われてしまった香気。 いまもまだ、その場所の土から生まれたような人が 命をつないで暮らしている農場。
面白いのは、現在の(1900年代前半の)サッカーズ農場を取り仕切る 「おばさん」と、かつての栄華の時代、サッカーズの荘園の高貴な人々を 裏で支えた「おばさん」が見間違えるほどよく似ていて、 どちらの時代でもペネロピーは彼女たちの一族として認定され、 随所で絆が強調されていること。 そうでなければ、時間旅行も許されないのだろう。
著者のアトリーが大人になるまでを過ごしたという ダービーシャーの典型的な農場の様子。 私たちは時々、運命の先を急ぎたくてうずうずしてしまうけれど、 農場の暮らしの細部まで、人間が充実して暮らす様子は どういうふうなのか、平和の大切さや自然への礼拝の心、 そうしたすべてを読む人に知ってもらったうえでの、 歴史的な大事件、胸おどるドラマなのである。
ハーブの好きな人、食べることが好きな人、眠ることが好きな人、 クリスマスの好きな人、手仕事の好きな人、 英国と歴史に興味がある人(すべて猫や的かも)、 いつでも時間旅行に出かけていってほしい。 (マーズ)
『時の旅人』 著者:アリソン・アトリー / 訳:松野正子 / 出版社:岩波少年文庫
初めて読んだ本のことをおぼえているだろうか? 子どもの頃、大人になりかけた頃、大人になったなぁと 思った頃、そのときどきに、どんな本を読んできただろう。
児童文学と総称して呼ばれるジャンルに 年齢を超えて親しんでいる人々ならば、 ここに収められた57冊、くしくも『赤毛のアン』で終わっている これら名作中の名作たちを、何冊か読んでいるはず。 全部を読み尽くしたという人はよほどの幸運な読書環境に あったか、専門家なわけなので、もちろん私もまだ1/3しか 読んでいない。 まだまだ世界は広いのだ。
去年から児童文学のちゃんとしたガイドが欲しかったが、 実物を読んでみないと買えなかったので、 先日、大きい書店で見つけて買うことができた。
どうしてこのガイドを選んだか。 『ゲド』も『ナルニア』も『アン』も入っている。 『台所のマリアさま』も。 そして。 こういうガイドは子どものためのものではなく、 児童文学好きの大人を対象にしているから、 単にあらすじを書いたり(そして時には破ってはいけない謎の答えを リークしてしまったり)、作家の紹介や受賞歴だけを連ねるのでは つまらない。
その本がいかに特別な本か、その本がなかったら、 たとえ大人になってしまってからでも、 人生がどうなってしまうのか、そこらへんの事情を 短くも決定的にまとめてくれていること、 それがガイドのポイントである。 子どもの頃出会えなかったからこそ、 「ほんとうは読みたかった本」なのだ。 (マーズ)
『ほんとうはこんな本が読みたかった!』(児童文学の現在・セレクト57) 監修:神宮輝夫 / 著者:上原里佳・横田順子・鈴木宏枝・神戸万知 / 出版社:原書房
このごろ、気を入れて部屋をチェックしている。 というより、暮らし方といったほうがいいのか。 津田さんのこの本は、友人宅でひょいと 借りてきたものだが、やはり読み始めると止まらない。
表紙のキャッチに A SONG OF LIVING とあるように、そんな風に暮らしていけたら、と思う。
津田さんの文章を読んでいると、 ときどき、胸の底から泡が湧き立ってきて、 あたたかい同意のひびきとともに消えてゆく。
ただただ西欧に追いつくお洒落さとは別の、 日々の出会いのフィルターにかかった素敵なものたちが 自分らしいかどうかを見きわめて、そばに置いて 長く愛用するのだという心がまえ。 自分らしいシンプルなスタイルができあがれば、 それこそ最高の贅沢。
どのページをひらいても素敵なことに出会えるけれど、 特に「光を考えるときに」の章は繊細さと郷愁を呼び起こされた。 明かり。 蛍光灯全盛の時代がいつか完全に終わったときに、 日本人が潜在的な記憶のなかに持ち続けているはずの やわらかく境目のない灯りが ごく自然に、スタイリッシュなインテリアとして 戻ってきているだろうか。
ああ、この部屋にはもうこれ以上の電源は取れない。 もともとコンセントが2ヵ所しかなく、PCとプリンタ各2台と 暖房器具やAVなどの電化製品のタコ足にすべて取られている。 おかげで、デスクの手元の明かりまで手が回らない。 夜は蛍光灯が私の影を落とすので、PCの発光で何とか 手元を照らす始末である。手で何かを大量に書く ということはほとんどないから二の次になっている。 デスク用の照明が欲しいと、 ずっとずっと思っているのだが。 これも、なんとか知恵を絞ってみよう。
ともかく、今住んでいる、そして当分住むであろうこの部屋で
どこまで居心地よく暮らせるか、ポイントはそこである。
与えられたこの人生で、何をどこまでできるかにまで
拡大されるその原点は、やはり部屋(巣)なのだと思う。
(マーズ)
『気持ちよく暮らす100の方法』 著者:津田晴美 / 出版社:大和書房
「グズ」と「クズ」は似ている、という 『気づき』(笑)のその後。 いまのところ、グズを卒業するべく、 少しずつではあるが、行動を起こしているつもりだ。
さて、この本によれば、 グズにはもうひとつ、 重大な判別ポイントがあったのである。
それは、「ものを捨てられない」こと。 往々にして部屋のなかやオフィスは紙の山と化し、 いつか使うかもしれない品物であふれている。 まさにわたしの状況である。 自分ではけっこう処分しながら増やしているつもりなのに、 全体の量はやはり減るどころか増えている。 それらすべての「思い出の品」を見て、 心底なごめて、癒されるのなら何の問題もない。 見るたびにストレスを感じながら、 どうすることもできずに、さらにためこんでいく。 それがグズ体質を助長してゆくのである。
「モノを捨てても世界は終わらないことを自覚する」。 (本文より)
わたしたちの罪悪感が心配しているのはまさにそれである。 こんなことをしたら人でなしなのでは。 これをくれた人に悪いのでは。 ゴミを増やして地球を汚すだけでは。 そんな良心の声に耳を貸さない、捨てるのが得意な友人に 思い切って助けを求める。 リタのおすすめだが、効果がありそうだ。
大切な思い出の品と「がらくた」の違いを見極め、 最初から嫌いだった似合わない服や、何年も着ていない服、 捨てたらうらまれそうなぬいぐるみや人形やら、 持っていたいのにもかかわらず二度と読み返すはずのない 本やらを、捨ててゆくしか道はない。 もちろん、誰かにもらってもらえるならそれもいい。 でもたいていの「がらくた」は、わたしの他には 誰もほしがらないようなものなのだ。
思い立ったが吉日で、押入れの整理をした。 ほぼ一年ぶりである。 ものの一時間で、がらくたの山が3つできた。 そのなかでも、自分以外には無価値なものとはいえ、 やはりこれは取っておこうと残したものは。 小学校のころ学校の図書館で作っていた読書カードと 独特のエンボス柄でそれ以外に嗅いだことのない香りのする 小さい折り紙の束。 図書館のカードには、ひどくつたない字で書かれた わたしの人格形成の一部がつづられているし、 もう黄ばみかけている折り紙は、 おそらく今手放したらもう二度と、その存在や それに触れていた頃の感覚を思い出すことすら不可能だと 自覚しているから。
今思案しているのは、ネットで最新の情報が、 図書館でそこそこ古い情報も手に入るようになった今、 こつこつ集めていた仕事用の資料の一分野を、 そっくり処分してしまうべきかどうか、という なげかわしい問題である。 (マーズ)
『いまやろうと思ってたのに…』 著者:リタ・エメット / 訳:中井京子 / 出版社:光文社
2001年01月22日(月) 『ザ・マミー』(上・下)その2
さて、本をどこで買いましょうか?
本屋さんの店頭に平積みにされた本や、 企画ごとに展示された本、 表紙を見た途端、インスピレーションを感じる本。 大きな書店で、実際に本を目の前にして、 棚の間を行ったり来たりしながら、 瞬く間に時間が過ぎていく。 本を読むことと同じように、 本を探す時間は楽しい時間です。
でも、現実には忙しくて、 本屋でゆっくり過ごす時間がなかったり、 私好みの本屋さんが近くになかったり、 本屋さんそのものに寄る時間がとれない。
だから、結局は、 WEB上の書店・古書店のお世話になりっぱなしです。 本の雰囲気に直接触れることができないので、 滅多に、自分にとっての新しいジャンルを 開拓することができませんが。 まあ、それがネットで本を買うことの最大の難点ですね。
[ 今まで利用したことのあるサイトについて ]
■ 国内書店
・紀伊國屋書店インターネット仮想書店BookWeb
一回の注文で送料380円。複数冊注文した時は、
揃ったものから順次発送してくれます。
最近は、洋雑誌や、洋書の古本の取り扱いもあり、
特に洋雑誌を注文できるのが嬉しいです。
また、本について調べる時にもよく利用します。
・amazon.co.jp
現在、送料無料が魅力的。
洋書やインポートCDも手軽に注文ができるので、
とても重宝しています。
・インターネット書店ジェイブック
送料320円 (1配送あたり)
購入代金によって、ポイントが付き、割引を受けられます。
中古ビデオの取り扱いがあり、長年探していたビデオを見つけたので
利用しました。
夜遅くは、サイトが重いのか開きにくかったり、
検索に時間がかかりすぎたりで、
一度しか利用したことがありません。
■ 海外書店
・amazon.co.uk
ここにしかない本を気長に忍耐強く待てる時のみ利用をおすすめします。
本より送料が高くなり、一ヶ月単位で本の到着を待つことになりますが。
海の向こうからですので、商品が着かないこともあるかもしれません。
実際、本が届かず、待ちわびた末、
メールで連絡をすると、迅速に対応し、再発送してくれました。
(でも、海の向こうから来るので、到着には時間がかかりましたが。)
■ 古書店
・日本最大古書 検索サーチエンジン スーパー源氏
加盟している古書店全体の在庫から探せます。
・EasySeek
参加している個人・古書店の登録リストから検索します。
☆どちらのサイトで買うかは好みでしょうが、この両方を探せば、 だいたいの探し物は見つかります。
■ オークション
・Yahooのオークションを利用しています。
☆古書店とオークションサイト、これだけ探せば、かなりの確率で見つかります。すぐになくても待っていれば、きっと見つけることができます。
ひととおり、ネット上で本を買いました。
数を重ねてくると、いろんな経験をし、
考えることも多々あります。
私的な経験ですが、まとめておけば誰かの役に立つ
情報としての価値がそれなりにあるのではないかと
思ったりしています。
(シィアル)
オークションについての話が、 ずいぶん長くなってしまいました。
ある本を「相場」より高値で落札してしまった時、 どうしても気になることがありました。 どうしても納得が行かず、理解ができなかったので、 ネット上で、オークションでのトラブルの事例まで調べてみました。 私自身の体験がそのトラブルに当たるのかどうかは、 自分でもはっきりはわかりません。 あくまでもグレイゾーンなのですが、 私の探しているトラブルが見つかりました。
変だと思ったのは、 600円〜800円くらいが相場の本を、 1000円を超えても、なお激しく競り合った「相手の人」が その後、複数出品されていた、どの本にも入札しなかった事でした。 あんなに相場を超えて入札してまでも、手に入れたかった本なら、 どうして、他の「同じ本」に入札してないのだろう? どうして、その後も落札していないのだろう? そういう思いでした。 あの時、オークション終了時間を相前後して、 同じ本が複数冊、出品されていたからです。 どうしてこんなにすっぱりと、その本を買うのを諦めたのだろうと、 すごく、不思議でした。 だから、しばらく、それらの本を誰が落札するのか観察してみました。 (執念深いといえば、執念深いのですが、 どうしても、「なぜ?」という疑問が消えません。 知りたいとなると、とことん調べて、 自分の納得のいく「答え」が欲しかったのです。) 私がモニタしていた間には、 「相手の人」が、その本を買った様子はありませんでした。
後で、いろいろと調べて知ったことですが、 オークションサイトには、「さくら」がいたり、 自作自演の「釣り上げ」という行為があるそうなのです。 一人で複数のIDを取って、自分で価格を釣り上げることも可能だし、 仲間うちで「さくら」をつくることも可能です。 あるいは、出品者とは無関係に、面白がって、 落札価格を「釣り上げ」ていく悪質な行為もあるそうです。 (時には、「釣り上げ」加減を間違えて、 自分で落札してしまうこともあるそうですが。)
本当のことは分かりません。 事実を確かめることもできません。 でも、私としては、この腑に落ちない経験は、 結果的には、「釣り上げ」といわれることに 近い行為のような気がしてなりません。
ただ、オークションにはいろいろと注意点があることが このことでよく分かりました。 今までトラブルを知らなかったというだけで、 ネット上で調べてみると、 すぐに典型的なトラブル例がありました。 今のところ、落札後のトラブルはありませんが、 気をつけるべきこと、「こわい」ことはいっぱいあります。
たとえば。 気をつけてみると、 オークションの評価で「非常に悪い」という評価を つけられている人も時々います。 (そういう時は、やはり、 たいがいお互いに「非常に悪い」と評価しあっていますが。) そのトラブルの典型は、大きく2つあります。
○取引がルーズ
典型中の典型。一番多いのではないでしょうか。
・メールの連絡や返事が遅い(あるいは、連絡や返事がない)。
・振り込みが遅い(あるいは、振り込みがない)。
・発送が遅い(あるいは、発送されない)。
○メールの書き方や内容が失礼・無礼
お互いにメールを交わせば交わすほど、売り言葉に買い言葉で、
溝が深まり、取引が悪化することも多いようです。
○商品の状態が良くない。
これも主観的なことなので難しいようです。
メールでの、泥仕合にもつながる主な要因の一つでもあります。
最後になりましたが、自衛の方法について。 オークションで自衛する方法はあるのでしょうか?
まずは、基本姿勢、心構えからいえば、 とりあえずは、物事を過信しないこと。 トラブルはいつでも起こりうるのです。 ネット上の取引では、つねに危機感が必要です。 あとは、嫌なことがあったり失敗してもあっさり割り切れること。
そして、オークション中は、 何よりも「冷静」であること。 決して、あせらない、あわてない、熱くならない。 基本的だけれど、一番大切なことです。
さらには、あとで後悔をしないように、 自分の上限を決め、できれば商品の相場を知っておくこと。 その上で、決断は瞬時にきっぱり、お金を惜しまないこと。
オークション後は、お互いに顔が見えないからこそ、 メールは丁寧に、言葉を惜しまず。 最後の最後、メールのやりとりで、 トラブルを招いてはどうしようもないです。
お互いの名前、住所を明かし、 先払いとなると、いろいろ不安ですが、 もう、ここから先は、相手を信用するしかありません。 できるだけ、プライベートな情報管理に気をつけ、 万が一、商品が送られてこないなどトラブルがあっても 感情的になってはいけません。 私個人としては、万が一、最悪のことが起きて、 泣き寝入りすることになっても、 あきらめきれる金額内と決めています。 (もちろん、法的な対抗手段もあるようですが。) 繰り返しになりますが、最悪のことが起きた時、 あきらめきれる範囲でしかオークションは利用しません。
私は、今のところオークションを便利に利用していますが、 それでも、あまり深入りしてはいけないと、自戒しています。
(シィアル)最後のオマケ編に続く。
オークションに参加したことのある方なら、 もしかしたら一度は同じような経験をしたことが あるかもしれません。あるいは、いつかは、 同じ体験に出くわすかもしれません。 今思えば、 オークションに参加する上での、 当然の心構えなのでしょうが、 勢いだけで踏み込んだ、オークションサイト。 失敗するまでは、何が「こわい」のか、 全然、気が付きませんでした。
さて。何がこわいかというと、 何よりこわいのは「熱くなること」(笑) 冷静さを失うことが、 オークションでは一番こわいこと、危険なことです。 少なくとも、冷静さを失ってしまうと、 損をすることだけは、確かです。
私がオークションサイトを利用しているのは、 どこにも見つからなかった「本」を探すためです。 ものが「本」という小さなものなので、 どちらかというと、リスクはそれほどは大きくないでしょう。 オークション中に、 どんなにヒートアップしてしまっても、 まあ、金額はしれています。
とはいっても、今現在、手に入れるチャンスを待っている本は、 人気があるのか、「投機的(!)」な価値があるのか、 すぐに落札価格が5000円を超えてしまいます。 最初から最低落札価格を1万円以上に設定して オークションに出品している方もいます。 だから、はじめは500円くらいでスタートした本も、 「相場」が5000円以上だと知っている人が多いのか、 あっという間に、3000円、4000円と、 手の届かないところまで競り上がっていきます。 古本屋さんでは見かけないペーパーバックですが、 このオークションサイトには、週に1冊くらいの割で 結構、頻繁に出品されています。 供給が多いのに、すぐに落札価格が高騰してしまうので、 なかなか手に入れることができません。 人気のある本で、さらに(というか、だからというか) 相場がかなり高値なので、「投機的(大げさですが)」に 買おうとしている人の動きが一段落するまで、 手に入れることはできないだろうと、今は、あきらめています。 おまけに、実際、いくら出しても絶対に読みたいという、 熱烈にHeavyなファンもついているようですし。 とにかく、この手の本で、ついつい熱くなってしまうと、 「たかだか」古本一冊に、どれほどつぎ込むことになるか。 私にとっては、とても「こわい」本です。 今は、じっと、沈静化するのを待っています。
つまり、オークションに参加するには、 「冷静」であることが大切です。 それから、できるだけ「相場」を知っていることも 必要だと思います。 どうしても読みたい本であっても、 必要以上に高値で買うことはないのですから。
そして、私の失敗はというと、 その両方がなかったことに尽きます。 600円くらいで落札できそうな本が、 オークション終了まであと少しという時に、 他に入札者があらわれ、たった5分程度の間に、 倍以上に競り上がっていきました。 当時その本は複数オークションに出品されていて、 どれもが600円前後の価格で、 複数の落札希望者も、それぞれ「棲み分け」ていて、 ずっと無風状態でした。 確実に落札できると思っていたので、 ものすごくあわてました。 とにかく時間がないので、考える余裕もなく、 どんどんと競り合いました。 やっと、競り勝ってオークションが終わった時には、 もともとの倍以上の落札価格になっていました。 だんだん落ち着いてくるにつれて、 しまったという思いが強くなってきたのは当然でしょう。 なぜなら、その本は複数出品されているので、 この後のオークションを待てば、 600円前後で落札することができたのです。 実際、そうでした。 ちょっと気になることがあったので、 しばらく、同じ本の落札状況を観察したのですが、 だいたい600円〜800円前後での落札でした。 あのとき、冷静に引くことができたら、 わざわざ相場より高く買うこともなかったのにと、 初めて後悔しました。
本ぐらいの事だから、少々熱くなって、 高めに買ってしまったとしても、 この程度ですむのですが。 もっと、大きいもの、金額の張るものだと、 性格的に(焦っていながらも、競り合っている時の高揚感を思うと) オークションは「危険」だなあと、しみじみと反省したのです。
でも本当に、オークションは「こわいかも…」と、 そう思ったのは、どうしても気になることが あったからなのです。(シィアル)
本当に「こわい」ことへ、あと一回続く。
2001年01月17日(水) 『決断するイギリス─ニューリーダーの誕生─』
副題は、『かならず直る--そのグズな習慣』"グズにつける特効薬" おもわず衝動買いした私は、 ときどきタイプの「グズ」なのである。 決して、自分でも思うけれど、常にグズグズしている わけではない。 客観的に見て、確定申告を出すのは前日に近いし 仕事の締め切りは当日の朝までかかるけれど、 雑用は割にぱぱっと片付けるほうだし、 トータルの処理スピードは全人類中の中くらいかな、 と思っていた。
が。
年明け早々、ついに、嫌気のさす客からの仕事を提出日に出せなかった。 しょうがないので半分ずつにしてもらい、数日後に残りを出した。 しかも、内容は満足のゆくものではない。 当然ダメ出しが続く。 たださえ地盤の脆い自信の山がさらに崩れる。 結果として、その仕事に見合わないほどの 時間と労力を搾り出し、自由な時間が減ることになる。
ぶらっと入った書店で、表紙のブタネコとタイトルを見た瞬間、 そういう泥沼化した事態から私を救ってくれるに ちがいない!という予感がした。
著者も、かつてグズで身を滅ぼしかけたが、 今は悪しき習慣を克服し、グズから人生を取り戻すための コンサルタントをしているのだそうだ。 つまり、グズというのは習慣にすぎない。 グズは直るのだ。 彼女は明快にそう言い切っている。
わかりやすく共感のもてる語り口で、 グズのデメリットとアンチグズ(グズと闘い、克服すること)の メリットを次々に展開し、グズを卒業したいと思った人が、 よりどころにできる「簡単な」ノウハウを教えてくれる。 タイムマネジメントというコチコチのお仕着せではなく、 そうしたいと思いさえすれば、誰にでもすぐとりかかれて、 いつかはグズを卒業できそうな(まだ私は日が浅く完全な克服には 至っていないので見込みだが)内容に、力づけられる。
とりあえず、嫌なことから始める。 それを延ばしている間、苦しい思いをしながら過ぎた時間は 二度と取り戻せないのだし、 「ぎりぎりにならないとエンジンがかからない」では もう太刀打ちできない身体になってきている(寄る年波)のだ。 とにかくやってみれば、私程度の関わる日々の問題は どうにかこうにかなっていくものなのだし。 私は別に社長でも運命のサイコロでもないのだから。
それにしても、似ているではないか。
「グズ」と「クズ」。
(マーズ)
近日中に(その2)へ続く
『いまやろうと思ってたのに・・・』 著者:リタ・エメット / 訳:中井京子 / 出版社:光文社
「初心者」というのは、ある意味、無敵だと思います。 何も知らないから、全然「こわい」ものがないのです。 まさに、「蛇に怖じず」状態。 確かに最初の頃、緊張はしたけれど、 「こわい」と思ったことはありません。 無知と、永らく探していた本を見つけた高揚感で、 「こわい」と思うどころではありませんでした。 「こわい」こと、気をつけなければならないことがあることを、 全く、知らなかったのです。 何回か、本を買い続けていく中で、 「あっ!」と思うようなことがあり、 初めて周囲を見回して、オークションには いろいろなトラブルがひそんでいることにやっと、気づいたのです。
顔の見えない者どうしの取引。 ビジネスライクとはいえ、1回のメールだけで、 いきなり、お互いの本名・住所・時には電話番号まで 明かすわけですから、これは、こわいといえば、 かなりこわいこと。 ひたすら、お互いに信用しあうしかないわけですから。
オークションサイトには、お互いを評価しあうシステムがあります。 これがある程度の抑止力にはなっているようです。 過度に気にする向きもあるようですが(※後述)、 まあとにかく、「悪い」と評価をつけられると、 その後もまだ、オークションに参加するつもりがあれば、 それなりに、信用に関わってきて不都合も出てくるかもしれません。 (特に、「悪い」の評価が累積されていくと。) 最初の頃は、何も気にせず、評価をしていました。 比べる対象もないわけですから、こんなものだと 特に考えず、儀礼的に「良い」評価をしていました。 何回か、回を重ねていくと、 あまり好感の持てない出品者にも行き当たりました。 でも、正直に「悪い」とつけることはなかなかできません。 それこそ、よっぽど腹に据えかねるようなことでもなければ。 なぜなら、相互評価システムなので、こちらが「悪い」とつければ、 多分、向こうも「悪い」と、評価をつけるのです。 たとえば、こちらに何も落ち度がなく、 相手の方がルーズで商品が着くのが遅くなっても、 対抗的に「悪い」と評価されることがあり得るのです。 (もちろん、そうじゃないこともあるでしょうし、 この逆に、出品者の方が落札者の評価に悩むこともあるでしょう。) そうすると、取引の時に、不快な思いをして、 さらに、今後においても、ずっと、残るのは「悪い」という結果。 (一度ついた悪評価を消すことはできないしくみになっています。) それはなんだか、割が合わない。そう思います。 だから、とりあえず、波風たてずに、 もう、この人からは絶対に商品を買わない。 そう、心に決めるのが一番賢く思えてきます。
多分、結構多くの人が、 こんな風に考えているのではないでしょうか。 だから、自分への対抗的な評価を気にして、 結局、お互いに、正直な評価ができなくなってしまう。 こんな風に、相互評価システムがちゃんと、 機能しない一面があるのです。 (一方では、「相互」だからこそ、 お互いに無責任な悪評価をしない、 できないというメリットもありますが。 相互評価システムというのも、一長一短です。)
はじめの頃は、そういうしくみ、 葛藤(笑)に気づかなかったので、 Y新聞のWEBサイトの投稿コーナーに 「相手の方が非常にルーズで、迷惑をした。 悪いという評価をしたいけれど、 今までの評価がみんな良いになっている。 私だけ悪いと評価して、相手の不興を買って、 自分にも悪評価がつくのがこわいので、 困っている。どうしたらいいでしょうか?」 という主旨の相談があったときも、 ??? 当時は、いっこうに、 その投稿をした方の悩みが分かりませんでした。 過度に気にする必要もないとは思いますが、 投稿した方の気持ちも、今ならよくわかります。 大げさな、と考える方も多いでしょうが、 オークションには実際のところ、 それほどに、悩ましい面があるのです。(シィアル)
「こわい」ことは、まだまだ続く。
書店で本を買うことが減り、古本までWEB上で買うようになりました。 むしろ、新刊本よりも古本を買うことに、ネットは便利で快適です。 もちろん、常に安全性の問題はつきまといますが。 特に、大手企業サイトと違い、個々人相手の売買となると、 先に代金を振り込んだ後、本が届くまでは若干の不安があります。 不安はストレスのもとなので、金額的には、もし万が一、 行き違いがあっても、諦めきれる金額内に心がけています。 (幸いなことに、今のところ、トラブルはないです。)
さて、オークション。 初めてオークションに足を踏み込んだのは、 品切れになってしまったあるファンタジーを探してでした。 全8冊のこのシリーズを揃えるのに、 車で回れる範囲で、ほとんど全部の古本屋さんに行きました。 ネット上で検索もし、ネット古書店もくまなく探しました。 それでも、バラバラと、5冊しか見つけることができませんでした。 とりあえずもう、探す術はないなあと、 あきらめつつも、試しにオークションサイトで検索してみたら、 何と、見つかってしまったのです。 その他にも、ネット上の古書店でも見つからない本を 何冊か探してみました。 そのほとんどが見つかったのです!
あっという間に、のめり込んでしまったのも当然かもしれません。 オークションサイトでは、今まで見つからなかった本のあれこれが 安価で取り引きされていたのです。 どきどきしながら、登録を済ませIDを取り、すぐに入札をしました。 初めて落札し、本が手元に届くまでは、やはり不安でしたが。
ところで、古本を買う時に、大切なことは何でしょうか? 「きれいで安い本を見つけること。」−もちろんそれが理想なんですが。 実際に古本を買う上では、当たり前のことかもしれませんが、 見つけたら「すぐに買う」ことが一番大切なことだと思います。 どうしても読みたかった本(ずっと探していた本)は、 すぐに買わなければ、次はないかもしれませんから。 実際、考えている間に、探し回っていた本が売れてしまい、 オークションサイトで見つけるまで、残念な思いをしました。
ただし、「すぐに買う」ことといっても、気になるのは本の値段ですよね。 「すぐ買う」ためには、原則として、「お金は惜しまない。」 金額にこだわらないことも大事になってきます。 どうしても読みたかった本であれば、 考えているうちに売れてしまうと、 次のチャンスまで後悔してしまいます。
「お金を惜しまずに」といっても、 もちろん、自分の中での、本に出していいお金の上限は、 きっちりと決めてなければなりませんが。 私の上限は、もしその本が新刊のハードカバーなら。 という金額。だいたい2000円から3000円前後まで。 それが、どうしても上限。 普通は、1000円くらいを基準にしています。
でも、ネットでオークションに参加していると、 この自分の方針、基準が狂ってしまい後悔することも 何度かありました。
オークションで本を買う時、心配なのは落札後の取引よりも、 むしろ、入札中に冷静に対処できるかどうかではないかと思います。 (対個人の取引ですので、どんなトラブルが起きるか分かりません。 やはり、基本は何かあっても諦めきれる程度の 小額の取引に抑えるのが賢明だと思います。 とはいっても、悔しいことにはかわりないでしょうけれど。)
どうしても読みたかった本のためとはいえ、 いろいろと気をつけるべきことも多く、 オークションサイトで本を買うのは、 なかなか、悩ましいことでもあります。 (シィアル)
(3)オークションへ続く
WEB上でも、大書店、古書店、個人のHPからなど、 いろいろなところから本を買いました。
WEB書店で買うのは最近、当たり前になってきましたが、 初めて、ネット古書店で本を買った時は、 先に代金を振り込んでから、 商品が着くまで、少しどきどきしました。
個人のHPから本を買った時は、 商品到着後の後払いだったので、 そんなに相手を信用して大丈夫なんだろうかと、 逆に、心配をしたりしました。 相手の方に不安を与えてはいけないと、 商品到着後、速攻で代金を振り込んだものです。
本の賞味期限が短くなり、 気が付くと、2−3年前の本が品切れになってしまっています。 読みたいと思った時、当の本がもう、手に入らない。 こんな悔しく、残念なことはありません。 中には(特に文庫本)、図書館にもない本があります。 ときおり、国会図書館の蔵書を検索して、 東京でなら、読むことができるのにと、 地方住まいを嘆くこともあります。
だからこそ、これからもますます、 古書店にお世話になることが増えると思います。 「古書店のおかげで、書店の売り上げが減り、 新刊が売れなくなるのだ。」 古書店の存在に否定的な声もあるようです。 私個人としては、安い古本よりも、 高くても新しい本の方が好きです。 初めてページを開く、ぱりっとした緊張感が大好きなのです。 (それでも、最近の本は高すぎると思っていますが。) でも、現実的には、気が付くと、 新刊は品切れで、あとはもう、運良く古本屋で見つけるしかない、 そういうことが多々あります。 今までは、実際に店頭を探し回り、 それでも見つけることができなければ、 旅先でも、時間があれば、古本屋さんを回って、 目当ての本を探していました。
今は、インターネットのおかげで、 目当ての本の名前を打ち込み、検索するだけで、 探している本の大部分を見つけることができるようになりました。 今までの本を探す労力を考えれば、 少々割高(+送料・振り込み手数料)でも、 効率的で、確実に探すことができ、とても楽です。 (ただ、昼休みに郵便局や銀行に支払いに行くのが ちょっと面倒ですが。特に、仕事の忙しい時期には。)
最近では、ネット古書店で見つからなかった本を、 オークションサイトで見つけ、オークションにも初参加しました。 以来、オークションで本を探すことも、 いつのまにか、私の生活の一部になっています。 (シィアル)
(その2)オークション に続く
もうすぐティーンエイジャーになろうという、 青い瞳のエリー(エリスではない)のスライス・オブ・ライフ。 11歳だって、いろんな思いがある。 たった一年間だって、他の何にもかえがたいことが つぎつぎと、起こる。
時間は待ってくれないのだ。
手で描いたやわらかいスケッチのような、 家族のなかのエリー、友だちのなかのエリー。 もうすぐ大人になってゆく 時間のなかのエリー。
5人娘の末っ子で誰にも似てないエリー。 エリーのパパはお酒に飲まれていて、 ママは疲れている。 前半はパパ・オーケイとの淡々としたやりとりや、 家族の現実が描かれる。
お酒に飲まれて身体がボロくなるパパは 私にもなじみのパパなので(笑) シンパシーを感じるが、オーケイにはまだ ずっとずっと、無理してもがんばってほしい。 エリーが望むことのなかで 実際にかなうのは半分以下であっても、 オーケイにもそれを見ていてほしいなと思う。 (マーズ)
『青い瞳』 著者:シンシア・ライラント / 訳:小柴一 / 出版社:新樹社
2001年01月09日(火) 『キリンと暮らす、クジラと眠る』
あっけにとられる不思議と奇妙な運命を絡ませ、 この世界の美しさにめざめさせられ、 琴線をゆらして去る、巧みな物語。
光の世界で育った少年フォトジェンと、 影の世界で育った少女ニクテリス。 狼の魔女ワトーの不可解なたくらみの、 その結果は。
『北風のうしろの国』『リリス』で知られる スコットランド生まれの作家、 ジョージ・マクドナルドといえば、 ずいぶん前、『北風の…』を図書館で借り、 なぜだか前半で挫折したという苦い経験がある。 いつか再度読むつもりではいるが、フォトジェンの おかげでその日が近づいてきた。
フォトジェンはエッセンシャル・オイルのような佳作で、 『北風…』とは趣が異なるが、人間の感受性への礼賛と、 想像力の谷の深さには参ってしまう。 ことに、太陽も月も見ずに育った少女の 感受性のゆたかなことに。
ファンタジーの世界のなかで、いくつもの価値観が 語られている。 そのひとつは、 人間が人間をこう育てよう、と決意したら、 ある程度までは、育てた側の思惑で決まるけれど、 それ以上はどうしようもないのだということ、 あるいは、 どれほど偏った育ち方をしても、 ある時点からは自分に任せて人生を生きねば ならないようになっている、ということ。
訳者はあえて各章の扉のタイトルを英語でも残してあるが、
詩のようにも読める深さがここちよい。
"Knowing Nothing of Darkness"
(マーズ)
『フォトジェン』 著者:ジョージ・マクドナルド / イラスト:ナニー・ホグロギアン / 訳:小柴一 / 出版社:新樹社
安房直子という名前に、じつは見覚えがなかった。 日本の児童文学界の女王といってもいいほどの 人なのに、体系的に読んでいない私には ときどきそういうロスが起こってしまう。
ながい作品リストを見ると、知っている作品が。 遠い遠い、小学生のころに 確かに読んだことがあるお話。
たとえば、 「はるかぜのたいこ」。 「あめのひのトランペット」。 なんだかとてもなつかしい。 それなのに、内容は忘れている。
『南の島の魔法の話』は、 名前のイメージで選び、ネットで取り寄せた。 12の不思議な短編が収められている。
読み終わると、なんともいえない寂寥感と同時に 万華鏡のような、きらきらとした色の破片を 目のなかに入れてしまったような、 本を閉じた後も、ここではないどこかに 旅をしているような気持ちになった。
少しこわくて、 とりかえしのつかないことが 待っている世界へ。
不思議で不思議で、どうしようもない。 ただ、 作家のひろげたハンカチーフのうえに そっと降り立ってしまったら最後、 私たちも与えられた役割を演じてゆくしかない。
だから、安房直子の本を、 もっともっと探すことからはじめよう。(マーズ)
『南の島の魔法の話』 著者:安房直子 / 挿絵:味戸ケイコ / 出版社:講談社文庫<※絶版>
1968年にアメリカで出版された絵本。 有名な本らしいけれど、なぜか今までお目にかからず。
ともかくも、ぬいぐるみのお話を見つけると、うれしくなる。 やっぱり、主人公は圧倒的にくまが多い。 このくまの「コールテンくん」という名前には 思わずほほえんでしまう。 コールテン、そう、あの、冬ものの縦ストライプ織りの布。 昔は皆そう呼んでいた。 でも今は、この絵本の原題と同じく、 「CORDUROY」(コーデュロイ)と呼ぶ。 私は今でもついコールテンと呼んで笑われている。
デパートのおもちゃ売り場で、 人間のともだちをさがして待ち続けていた "コールテンのズボンをはいた"コールテンくんが、 やさしい女の子に出会う物語。
いかようにも複雑にできる「ぬいぐるみ文学」(このコーナー恒例) というジャンルのなかでも、このお話はシンプルでストレート。 だから、あとは主人公の魅力にかかっているはず。 そのとおりで、いちばんの魅力は、コールテンくんの表情。 ページごとにそれぞれちがって、見飽きない。 子どももそうだろうけど、大人でも ついつい何度もページをめくってしまう。
ぬいぐるみや人形は、ときどき、 こちらが気をつけてみていると、もの言いたげな顔をしている。 特に、売り場で並んでいるあいだは、 いったいどんな家につれていかれるのか、不安も 多いだろうなと思う。 特に、コールテンくんみたいに、 ズボンのボタンが取れていたりすると どんな扱いをされるかわからない。
だから私もときどき、 「ああ、この子をつれて帰らなきゃ」 となるわけである。
続編らしき「コーちゃんのポケット」は、 コールテンくんがポケットを欲しがるお話らしい。 この作者がコールテンくんと同じ絵本シリーズで書いている、 『くまのビーディーくん』というお話も あることがわかったので、さっそく探すことに。
余談だが、表紙の見返しに抜粋されている、新聞の絵本評を 読み比べるとおもしろい(日経と朝日)。(マーズ)
『くまのコールテンくん』 著者・イラスト:ドン・フリーマン / 訳:松岡享子 / 出版社:偕成社
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管理者:お天気猫や
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