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2013年01月02日(水) |
【病気】正月早々、陰気な話でもうしわけありません(ので、無理にお読み頂きませんように)。 |
◆当初の治療計画。
母は、12月初旬に胃の幽門部ガンが肝臓に転移していることがわかりました。
転移病巣の散らばり方などに鑑み、オペは不可能なので、化学療法(クスリによる治療)をドクターが提案して下さいました。
12月14日から経口抗ガン剤、TS-1を服用し、21日(金)から点滴で、
抗ガン剤、シスプラチンを使うはずでしたが、
経口抗ガン剤、最初の数日は良かったのですが、5日目ごろから口内炎の副作用がでました。
それに加えて、これは抗ガン剤か、或いは何らかの原因による腸炎かどちらかわからないのですが、
シスプラチンを投与する予定の日から、下痢が始まりました。
◆要するに、ガンそのものの治療のホンの入口で、色々と問題が起きてしまったのです。
容態の変化を箇条書きにします。
- 12月14日 (金)経口抗ガン剤 TS-1 服用開始。翌週、しばらくは順調(副作用無し)。
- 12月21日 (金)当初、点滴抗ガン剤 「シスプラチン」を使う予定の日だったが、前日から、TS-1の副作用とみられる口内炎が悪化。更に、これは副作用か腸炎か不明ながら、下痢がひどく、「シスプラチン」中止。TS-1の服用も中止。
- 12月22日 (土)下痢が止まらない。腸炎なら速く病原体を排泄した方がいいので、腸の消化器の痛みに効果はあるが、消化管運動抑制作用を「ブスコパン」は使えない。この腹部痛は数日にわたり続く。
- 12月25日 (火)私が、病院に見舞いに行ったときには、腹部痛と口内炎の痛みと、肛門痛(元々軽い痔があり、下痢で裂肛したか、内痔核があるか、消化器に潰瘍があるのか内視鏡の専門家が年末で休みなので確認できない)の3重の痛みで、母、身体を震わせて苦しむ姿を見る。
- 12月28日 (金)腹部痛は収まり、肛門痛もやや軽減する。口内炎の痛みが辛い、と本人がいう。しかし、意識ははっきりしており、多少、元気を回復したように見える。
- 12月30日 (月)口内炎は残るが軽減。今度は、肛門痛繰り返し訴えるが、前述の通り、内視鏡診察不可能な為、座薬などによる対症療法にとどまる。非常に気弱になり、「水がほしいんだよう」などと、初めて見る気弱さ。
- 1月1日 (火)僅か二日で、意識レベル低下。会話不可能。筆談しようとするが、文字を上手く書けない。下血が続いていたので貧血と脱水で、意識レベルが低下したのであろうとのドクターの説明。初めて「急変の可能性を覚悟せよ」とのムンテラ。
- 1月2日 本日。消化器からの出血は止まったが、更に意識レベルが低下。筆談も不可能。見舞いに行った私を認識できていないようす。昨夕、導尿管を挿入したが、尿量少ない。心拍数高く、血圧さがる。ドクターはいないが、明らかに容態は悪化している。
これは、予想外でした。
普通ガン患者で、悲壮感が増すのは、本当に元の病気、つまりガンそのものがあちこちに転移するなど、
あくまでがん細胞がもたらす様々なトラブルによるものです。DNR(do not resuscitat=蘇生拒否。延命しないで欲しいという患者の意思表示(書類))
などは、本当のガンの末期で、出てくる話です。
◆しかし、これはドクターのせいではありません。何でも他人の所為にしてはいけないのです。
母の場合は、ガンそのものを放置しても、2〜3ヶ月は生きられそうだったのですが、
まあ、とりあえず、経口抗ガン剤ぐらやってみましょうといって、口内炎は、TS-1では普通ですし、下痢は副作用かどうか分かりません。
とにかく、口内炎と下痢により腸管が激しく動くことにより、腹部の痛みと、まだ正体の分からない肛門痛、下痢による出血、等々
何が何の原因かわかりませんが、元来心臓があまり丈夫ではない母で頻脈(心拍数150台)が続き、点滴で水分を補給しているのにも関わらず、
尿量が少ない、ということは、腎臓の機能が低下しているということで、そうなると、血中の毒素が濾過されませんから
人体にとって、良い事はありません。恐らくなにが、全ての引き金だったのかということは分からない。
そして、ドクターのミスでもない。TS-1の投与が原因とも言いきれない。TS-1の副作用がきっかけであるとしても、
それは、使ってみないとわからないです。
現在、母が入院している病院のスタッフを責めるつもりなど毛頭ありませんが、
世の中、全然知識がない人、理屈が分からない(わかろうとしない)人だと、きっと、こういうときに、
どうして、こんなに急に具合が悪くなっちゃんだよ!
などと言ってカラむのでしょうが、私はそういうアホなことはしません。
ただ、もしもこのまま逝ってしまうとすると、多分母も、まだ、一旦は自宅に帰って整理することとか、言い遺しておくことが
あったはずで、それができなくなってしまいます。言い方を変えると(もし間もなく母が死んだとしたら)、
あとで、色々と「故人の意思」が分からず困ることが出てしまうと思います。
まだ、母は生きておりますから、「不謹慎」と思われるかもしれませんが、
何を申しあげたいか、というと、そもそも、一番最初のドクターのムンテラ(ドクターから患者や家族への病状、治療方針などの説明)では、
TS-1とシスプラチンが効けば、半年ぐらいは保つであろうと言う話だったのですが、
私の母のように、これが84歳という高齢のためか否か分かりませんが、突如このような経過を辿るケースもあるので、
家族の側から言えばきいておくこと。患者の側からすると(縁起でも無くて申しわけありませんが)言い遺しておきたいことは、
少々大袈裟でも早めに意思疎通をはかっておいた方が良いでしょう、ということです。
ここまで書いた時点で、兄から電話がありました。
やはり、腎機能が急速に悪化しているのでこのままでは危ないが、
救命措置を取ってよろしいか?と当直ドクターから電話で、親族意思確認されたこと。
腎臓透析をするべきか(或いはするべきとして可能か)はそっちの専門医と相談しないと何とも言えない
と説明があったとの連絡が入りました。この調子では、やはりどう考えても覚悟しておかないといけませんね。
というような、はなはだ気の滅入る話でして、みなさま、お正月をお楽しみのところ、
失礼致しました。
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