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2012年07月08日(日) |
「私が責任を取る」と言える人が少ないですね。 |
◆記事:大津市、遺族にいじめの日時特定要求 中2自殺訴訟(京都新聞 7月7日(土)16時49分配信)
大津市で昨年10月、マンションから飛び降り自殺した男子生徒=当時(13)=の遺族が、自殺はいじめが原因として
市などに損害賠償を求めた訴訟で、「校内で教師がいじめを見逃していた」との事実認定をめぐり、
市側が遺族に対し、いじめの日時や現場を特定するよう求めていたことが7日、分かった。
遺族側は「学校内部で起きたことを両親が特定できるわけがない。本来は市側が調査し、
明らかにするべきことではないか」と反発。
いじめの実態や自殺との因果関係を立証する責任は原告にあるとする市の姿勢を批判している。
学校が全校生徒に実施したアンケートでは、「一度、先生は注意したが、その後は一緒になって笑っていた」
「見て見ぬふりをしていた」など14人の生徒が、教師がいじめを見逃していた可能性を証言している。
遺族はこれらの証言などを基に、訴状で「教師が教室内や廊下で何度もいじめを見ていたが、慢然と見逃してきた」と指摘した。
これに対し市側は5月に大津地裁に提出した答弁書で
「いつ、誰が、どこでいじめを目撃したのか明らかにするように」と遺族に要求。
さらに「いかなる措置を講じれば自殺を回避することができたか」と逆に説明を求めている。
◆コメント:「責任を回避すること」を「人生の目的」とする人たちがいるのです。
大津市の事件に関して、ほとほとイヤになるのは、犯罪そのものの陰湿さもありますが、
記事の内容に端的に表れているように、学校関係者や大津市つまり、行政が、何とかして責任を回避しようとしている、
つまり、自殺に追い込まれた生徒のことよりも、自らの保身の方が大事だ、とかんがえているのが、
露骨に現れていて、それを表して平気でいられる様子、です。
死んでしまった生徒さんは、生き返らないので、その意味では取り返しの付かないことが
起きてしまって、それは何度も繰り返しているとおり、自殺教唆犯たる同級生が、まず
悪いのですが、
同時に、明らかに自殺関与罪、傷害罪、暴行罪、侮辱罪の構成要件に該当する行為が
継続的・反復的に実行されているのを知りながら学校や、教育委員会、さらには
市政の最高責任者、市長までもが、見て見ぬフリをしていたということです。
記事によると、大津市側が遺族に、
「いじめがあった証拠を示せ」
「どうすれば自殺を防げたか説明しろ」
と、要求しているというのですから、開いた口が塞がらない、とはこのことです。
しかし、分かるような気がします。今は、こういう人が多いのです。
私は息子を東京都武蔵野市立の小学校に入学させました。
今から14年前、1998年の事です。
その前の年、1997年7月末に、約4年間のロンドン駐在を終え、帰国して入れる社宅が武蔵野市だったのです。
帰国してから、入学するまで9ヶ月ありましたけれども、言葉を覚える重要な時期に英国の現地校に
通わせていたので(日本人学校が無かったのです)、言葉が中途半端でした。
そのため小学校入学後、息子は虐められてそれに対して抗議した話は、一昨日、
2012年07月06日(金)「イジメ」ではない。自殺教唆事件。「犯罪」である。 (JIROの独断的日記ココログ版)
に書きました。
しかし、イジメとは無関係に、公立小学校で呆れたのは、校長や担任の「小心者ぶり」です。
何とかして、ありとあらゆる責任から逃れようとする態度です。
例えば校長は、
放課後、校庭で遊ぶ時には、一度自宅に戻り、ランドセルを置いてからにして下さい。
という。その理由は驚くべきことに、
一旦帰宅した後、校庭で遊んでいてたとえ怪我をしても、それは帰宅後の事故であり、学校の責任ではなくなるから。
という「論理」なのです。空いた口が塞がらないという事を私は
この時に生まれて初めて本当に経験しました。
大津市もそうですが、学校やそれを監督する行政には、公立の施設である公立学校(小中高大問わず)
に対する、管理義務があります。
学校内で起きたことの責任は、授業時間中であろうがなかろうが全て校長にあり、
ひいては、その上位機関である市役所にあり、ひいては、市政の最高責任者たる市長に帰するのであります。
いじめがあったかどうか、調べてあったならばその日時、行為の内容など詳細を特定する責任は、
行政(大津市)にあるし、
どうやったら自殺を防げたか考えるのも、また、教育の専門家である教師とそれを監督する市の仕事です。
自分達がなんとか責められたくないということしか考えず、この責任を被害者の遺族に押しつけるなど、
おまえら、それでも人間か?
と言いたいです。
◆私の中学時代の校長先生の話が、文春文庫「読むクスリ〈PART2〉」に載ってます。
私は東京都杉並区の公立中学をでました。
その学校は、平穏でしたが、とても印象深い校長先生がおられました。桜井保(さくらい たもつ)とおっしゃいます。
普段は穏やかですが、子供心にも、「この先生、本当に怒ったら、絶対に怖い」という一種に気迫がありました。
校長なのに、日頃、他に仕事がないときには汚れてもいい格好に着替えて、学校敷地の草むしりなどしているので
びっくりしたのですが、後で、文春文庫「読むクスリ〈PART2〉」に桜井先生の話が載っているのを読み、一層、驚きました。
◆昭和40年代の初めから「学級崩壊」は、あったのです。
以下、読むクスリを要約します。
生徒が教師に暴力を振るうようなことは、昭和40年代の初めからあったのだそうだ。
先生がひた隠しに隠していたので表面化しなかっただけだ。
桜井保先生は、12年間で3つの中学の校長を務めた(引用者注:私の学校が最後でした)。
昭和42年、初めて校長を務めたのは、世田谷区のある区立中学だった。桜井先生は唖然とした。
体育館の窓ガラスは殆ど割られて、廃屋のようだった。
すぐ隣に女子大があるのだが、体育の時間に校庭へ出てくる女子大生をのぞき見するために、塀に無数の穴が開けてある。
シンナーを吸ってぶっ倒れている生徒がいる。廊下を自転車で走り回っているのがいる。
職員室で先生達に話を聞くと、すでに7,8人の先生が生徒に殴られたという。
「えらいところにきた」、と思ったがひるむ様子は見せなかった。朝礼の時にはっきり宣告した。
「この学校では、生徒が先生を殴る、と聞いた。しかし、私が来たからには暴力は絶対に許さない」
聞いていた先生たちのほうが驚いた。
「あんなことを言ったら挑発するようなものですよ?」
「暴力は許さないと言ったって、向こうが殴ってきたらどうするのですか。こっちが殴り返すのは禁じられているのです。」
学校教育法第11条は「体罰を加えること」を固く禁じている。
桜井先生はこの11条が学校をダメにしたと信じていた。先生が殴り返してこないことを知っているから生徒がつけあがる。
何でもない、大したことがないことを「暴力だ」と親が騒ぎ立てる。ますます、学校は無法地帯になってゆく。
桜井先生は、
「殴ってきたら、殴り返せ。私が責任を取る」
と、きっぱりと宣言した。本気だった。
桜井先生は伊豆の神津島で育った。若い頃は漁船に乗っていたこともある。
50歳を過ぎていたが、素潜りで50メートルを泳ぐことが出来た。中学校のプールでしばしばこれをやってみせた。
プールから上がると悪童たちに、「お前ら、悪いことをすると放り込むぞ。沈めっこなら負けないからな」と冗談めかした示威行動をする。
それだけではない。
桜井先生は、校庭の草むしりをする。
ゴム長をはき、汚いシャツを着て、頭には手ぬぐいを巻いて、汗だくになって、やる。
校長先生自らが、皆の嫌がる汚れ仕事をしているのである。
世田谷の暴力中学では、先生は日曜日にこの「草むしり」をした。バイクに乗ったガラの悪い卒業生がやってくる。校庭を走り回ろうというのだ。
桜井先生は言った。
「私がここの校長だ。お前ら、何か用か?」
「ここは学校だ。遊ぶところじゃない。帰れ。」
不良どもは気迫に押されて、帰っていった。
次第に「あの校長、若い頃漁師で腕っ節は強いし、戦争がえりの命知らずらしい」という噂が生徒の間に広まった。
(引用者注:桜井先生の名誉のために書くが、先生は本来静かに本を読んでいる教養人である。
好んで喧嘩が強いフリをしているわけではない。ヤクザっぽいところなど少しもない。ただ、「気迫」が違うのである。)
これだけで充分だったようだ。実際に先生が生徒を殴り返すような事態に至る以前に、
「あの校長、殴られたら殴れ、と先生達に言っている」話があっという間に生徒の間に広まった。
桜井先生自身の行動力、気力を見ると決してハッタリとは思えなかった。
校内暴力はピタリと止んだ。シンナーを吸う奴も、窓ガラスを割る奴もいなくなった。
草むしりをしていると、女子生徒が「お手伝いさせてください」と言ってきた。
あれほど荒廃していた学校がまるで、別の学校のように穏やかになった。
以上が要約です。
◆結論:「私が責任を取る」と言える人がいない。
大津市の今回の事件から、国政まであらゆる現場で、
「私が責任を取る」
と言い切る人が見られなくなった。逆に責任から逃げる事ばかりを考えているように見えます。
そして、そう感じるようになったころから、日本がダメになって来たように思います。
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