JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:佐渡裕さんを定期公演に起用 ベルリン・フィル (日本経済新聞 2010/5/12 23:34) 【ベルリン共同】世界最高峰のオーケストラの一つ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は12日、 小学校の卒業文集で「20年後の自分」として書いたのが「ベルリン・フィルの指揮者」。その夢が本当に実現した。 ◆コメント:佐渡氏には全く他意は無いが、マスコミの騒ぎ方が的外れなのです。 マスコミが今回何故大騒ぎしているのか、よく分かりません。 ◆日本人指揮者で、他にベルリンフィルを振ったのは小澤征爾さんだけではありません。 多くのマスコミ報道を聴いたり、読んだりする限り、知らない人は、 ベルリン・フィルを指揮した(することになる)日本人は、小澤征爾、佐渡裕の二人だけ。 と錯覚するだろうと思います。もしかするとマスコミ各社もよく調べないで、そのように思い込んでいるかもしれません。 だとしたら、それは間違っています。 確認出来るところでは、朝比奈隆氏。朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る74ページ。 --(引用者注:音楽評論家東条碩夫氏)先生のベルリン・フィルへのデビューがこの「四番」(引用者注:ベートーヴェン交響曲第四番)だったそうですね。 遠く溯ると、近衛秀磨氏。近衛家は藤原氏の末裔で何しろ天皇家と同じぐらい古い家で「貴族」だから、やることがすごくて、 ウィキペディアの近衛秀磨によれば、 1924年1月18日、かつて山田(耕筰)がそうしたように自腹でベルリン・フィルを雇い、ヨーロッパでの指揮者デビューを果たす。 従って、その記述が正しければ、山田耕筰もベルリン・フィルを振っている。 山田耕筰、近衛秀磨は、かなり有名な話なのだが、厳密に言うと、記録・録音が確認出来ません。 一般には殆ど知られていないが、貴志康一(1909-1937)は何と自作をベルリン・フィルで録音しています。 それは、今でも残っています。貴志康一 ベルリン・フィル 幻の自作自演集。 これは確実です。 他には、岩城宏之氏。「フィルハーモニーの風景」18ページ。 ベルリン・フィルを初めて指揮したのは1963年である。以来ほとんど毎シーズン、同オーケストラの客演を続けてきた。 話がそれますが、岩城さんは生涯に一度だけウィーン・フィル定期を客演したことがあります。そのときのエピソードとして書いています。 ベルリン・フィルは何度も振ったが、ウィーン・フィルの壁は厚く、ほとんど諦めていた、というくだりです。 1977年2月、ウィーン・フィルから電話がかかってきて、当初予定されていた、ベルナルト・ハイティンク(旧:アムステルダム・ コンセルト・ヘボウ、現:ロイヤル・コンサルト・ヘボウという一流オケの指揮者)が急病で振れない。 代わりに振ってもらえないだろうか?というので、岩城さんは文字通り「飛び上がって」喜んだそうです。 話を戻します。 その他、ウィキペディアを読むと、若杉弘氏、小泉和裕氏も、ベルリン・フィルを客演したとの記述があります。 残念ながら確認出来ません。誤解のないように書きそえますが、私は「ウソだ」とか「信用できない」と言いたいのではありません。 厳密にいうと、朝比奈氏、貴志康一氏、岩城宏之氏ほどの確証が、私の手許では得られない、ということです。 ◆結論 要するに私は何を云いたいのか。
ということです。 そして、更にのべるならば、この件に関してそれほど騒ぐのならば、 私は、昨年、何度も書きましたが、25年間ベルリン・フィルの第一コンサートマスターを務めた安永徹氏や、 日本人として初めてベルリン・フィルのメンバーとなり、定年まで30年間弾き続けたヴィオラ奏者、土屋邦雄氏、 さらに、現在在籍している、ヴィオラの清水直子氏、第1ヴァイオリンの町田琴和氏の事はどうして大きく取りあげ、 評価しないのか。 コンサートマスターの安永さんの偉大さに付いては、何度も書きましたが、 まずメンバーになること自体、普通は殆ど不可能なのです。 世界中から上手い人がオーディションを受けに来るので、これに合格することが至難である上に、 仮にオーディションに合格しても、それは1年間のプローベ・ツァイト(試用期間)の始まりであり、 一年後、「やはり、貴方は要りません」と言われるかも知れない。 コンサートマスターになるためには、さらに、コンサート・マスターのオーディションを受けで合格し、 更に、一年(安永さんのときは、色々オーケストラの事情もあって一年半に及んだ)のプローベ・ツァイトを 経て、本人を除く全楽員による討議と投票が行われ、その会議の出席者の3分の2を超える賛成票を得て、 初めて、正式に「ベルリン・フィルの第一コンサートマスター」に就任するのです。 就任しても、コンサートマスターとしてやはり相応しくない、と思われたらクビになる。 そういう世界で、25年間、第一コンサートマスターを勤め上げた安永さんの業績は、 我々の想像を遙かに超える、気が遠くなるほど大変なことです。これこそ、真に賞賛に値する歴史的事実です。 そういうことが分からないから、一指揮者が一度ベルリン・フィルの客演に呼ばれた、 ということだけで騒ぐ。 日本のマスコミも世間も、なにも分かっていないのです。 それよりも、「ベルリン・フィルと日本人」で今、注目すべきは、 昨年5月から第一コンサートマスターの試用期間に入っている樫本大進氏が、 「正式に」ベルリン・フィルの第一コンサートマスターに就任できるか否か、だと思います。 既に決まったのに、私が報道を見落としているだけかも知れません。 そうでしたら、情報をご提供頂ければ幸いです。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年05月14日(木) 【音楽】5月14日は、バイエル(1803〜1863)の命日でした。「スウィンギング・バイエル」、他。クーラウ、ブルクミュラー。
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