無責任賛歌
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| 2003年07月09日(水) |
そんなに息継ぎナシで喋らないでください/『ある日のツヴァイ』(竹本泉) |
どの新聞の見出しにもデカデカと「12歳少年」の文字が踊ってるけど、まあ、その感想は明日の日記で。
できるだけ仕事はしないぞ、とコブシを握りしめてしまうのは、やっぱりまた会議があったからなんですね。もう、あのキテる人とは会話したくないのだが。 「あなたは話が通じるから」って、私ゃ別にアンタの話はマトモに聞いてないよ。いつも「そんなこと私に言われても困ります」って言ってるじゃん。「あなたから主任に伝えて」って、なんで自分で言わんの。自分が言っても「またこいつがおかしなこと言ってる」としか思われないからでしょう。それは話自体がおかしいからなんで、私が言ったって却下されるのは当たり前なの。 で、会議前に散々私に愚痴言ってたものだから、「会議でちゃんと言ってください」と言ったらだよ、今日の会議じゃ俯いたまま、「その件につきましては、最前からかのように申し上げておりましたけれども、どなたもお聞きにならなかったのでもうそれでよろしいのでしょうと判断しておりましたけれども、改めてお聞きになりたいということでしたら申し上げるのに吝かではありませんが、また申し上げましたところで聞いていただけないのでしたら申し上げてもあまり意味のないことではないかと思いますがブツブツ」と囁いている。 こんなの相手にする人、普通、いますか(-_-;)。
晩飯は博多駅の「杵屋」でウドン。 しげと一緒だとなかなかうどん屋には入れないので、ちょっとストレスが溜まっている。腰のあるうどんを猛然と食う歓びよ。って大袈裟な感じがするが、博多人ならやっぱりうどんを食わないとねえ。
『トリビアの泉』第2回(深夜からだと21回)。 うう、やっぱりつまんない。三木聡さんも唐沢俊一さんも、演出にまでは口出ししてないんだろうけれど、もうちょっとなんとかならんものか。こういう「一行知識」に初めて接する人や、バラエティのヌルイ演出に対して何の批判精神も持ってない連中にはそれなりに面白いのかもしれないけれど、そのうち飽きられるぞ。テレビ曲もどうせワンクールも持てばいいと思ってるんだろうな。 やっぱなあ、ネタがイマイチなのもあるけど、演出がダメなんだよなあ。たいしたことないネタをムリに「引いたり」すると、「へえ」って感じがなくなり、逆に「それがどうした」ってイメージの方が強くなって白けてしまうのである。いやね、ネタを途中まで読んでタメる演出が悪いってんじゃなくて、タメ過ぎてタイミングを完全にはずしてしまってるのがよくないのだな。 タモリがまたつまんない番組につき合わされてる不満をまんまオモテに出してるものだから、番組自体も盛り下がること。この手の番組で、ネタを相対化させるようなキャスティングしちゃダメだって。 ネタの選択についてはあまり言いたくないのだが、「『豚に真珠』はキリストの言葉である」なんてネタ、辞書引きゃ載ってることだ。「豚に真珠」なんて言葉、いちいち辞書引いたりしないって意見もあろうが、その言葉自体、知らん人間の方が世の中にゃゴマンといるのである(ウソだと思うなら、会社の同僚の何人かに聞いてみな)。「誰でも知ってることに実はこんなウラがある」ってネタ、もっと他にあると思うんだけどなあ。 逆に「プリンセステンコーは昔アイドル歌手だった」ってのは番組ターゲットの世代を考えれば充分「へえ」だろう。朝風まりの時代の頃の方が好きだった世代にしてみれば複雑な気持ちはするけれど(~_~;)。
しげに昨日録画した『高橋留美子劇場』を見せるが、全くの無反応。原作のまんまだとやっぱり新たな関心はないかな。
深夜はあやめさんとチャット。男しか集まらずROMさんは恐らく殆どが2ちゃんねら〜であろう(^o^)このサイトにおいては、あやめさんの存在は貴重過ぎるくらいに貴重である。つーか、知り合いの男女比で言ったら、私の場合圧倒的に女性の方が多いのだが、ほとんど寄り付かないものな。私の性格に何か問題があるのか(^_^;)。
マンガ、竹本泉『ある日のツヴァイ』(徳間書店・690円)。 竹本泉さんの猫飼い日記マンガ。だもんで、竹本さんの似顔絵は、いつもの怪獣タイプじゃなくて人間のスタイル。奥さんも出てくるけど、なぜか二人とも額にお面を付けている。これが猫の面っぽいのだが、なんだかよくわからない。そこがこのマンガの一番面白い点か(^o^)。 いやね、竹本さんのマンガは殆ど全部好きなんだけど、これだけは読み辛かったわ。私は別に猫好きってわけじゃないから。でも別に猫が嫌いなのでも、犬のほうが好きなのでもない。 正直な話、もともと飼い猫マンガ(あくまで日記ものとして。猫がキャラとして出るマンガは好きなのが多い)というものをそれほど面白いとは思わないのだ。結局は猫を通した作者の「自分語り」になっていて、「物語を作っている」という自覚がない分、一人よがりぶりがストレートに突出してしまっているのだ。 だから、「飼い主本人の内面がおもしろい」ってとこがないと、特に猫好きでもない身にとってはただひたすらつまんないのである。飼い猫マンガで面白かったのは大島弓子さんのサバシリーズくらいのものだったな。なぜかって、そりゃもちろんサバが擬人化されてたからである。 まあけど、猫飼い日記がこれだけ溢れてるってことは、面白がる人もいるんだろうから、これはもう趣味の違いということで。 でも竹本さんがツヴァイの死を具体的に漫画に描かなかったのにはジンと来たなあ。マンガで死を描くことは自分で描いてみりゃ分るが、どうしたって「死」を軽んじることになる。「死」をパロディとして描くのならそれでも構わないが、本気で「死」の悲しみを描こうと思ったら、そこには相当な「演出力」が必要になるのである。竹本さんはその「演出」も恐らくはヨシとしなかったのだろう。
2002年07月09日(火) 何がこの悪いガイで上がっていますか/『たま先生に訊け!』(倉田真由美)/『ワンピース』24巻(尾田栄一郎)ほか 2001年07月09日(月) アンケート募集/『押井守 in ポーランド』ほか
| 2003年07月08日(火) |
身内だからバカって言うんだよ/『赤ちゃんがいっぱい』(青井夏海)/『20世紀少年』13巻(浦沢直樹)ほか |
アホな話2題。どちらもしげから聞いた話である。 一つ目は歩く無知無教養、穂稀嬢の話題。 「BIGBOY」という『オースティン・パワーズ』で有名になった(^o^)ハンバーグレストランがあるのだが、そこのハンバーグは「手ごねハンバーグ」と言って、要するに「手作り」を売りにしている。 穂稀嬢、これをなんと「手ごめハンバーグ」と聞き違えていた。 もちろんみんなから笑われたのだが、話はここで終わらない。穂稀嬢の次のセリフで、みんなは今度は凍りついた。 「『手ごめ』って何ですか?」 意味も知らないで使っとったんかこいつはあ! ひと昔前ならば、こういうのは「カマトト」と呼ばれたものだったが、今やもう「知っているのに知らんぷり」なんて人間はいない。ただ「無知」なだけだ。しかしなあ、散々○○○○○○○○○○○○○○な穂稀嬢が「手ごめ」って言葉を知らんとはなあ。カタカナのほうが流布してるからなんだろうなあ。
もう一つは愛上嬢のこと。 と言ってもこれは具体的に書いちゃうと相当プライバシーに関わってしまうことなのでち詳しくは書けないのだが、結論だけ書くと、彼女、ある事情で仕事を辞めてしまったのである。 そこはしげも働いてる店で、しげの紹介で勤めることになったのだから、急に辞めるということになれば、シフトにも支障を来たしちゃうわけだし、しげだって肩身の狭い思いをすることになるのである。常識的な感覚の持ち主ならば、しげに迷惑掛けちゃったことを申し訳ない、とか考えてもおかしくないはずだ。ところがなんつーか、辞めるにあたって彼女、しげにはお詫びのヒトコトもなかったのだね。 他人に頭を下げることをしないしげだから、自分が謝られないのも仕方がないと言えば仕方がないのだが、だからと言って、愛上嬢が謝罪しない言い訳にはならない。 愛上嬢も、これまでこんなふうに人付き合いをテキトーにしてきたことで縁切れちゃった友達とかも結構いるだろう。いい加減で少しは自分のやってきたこと自覚したらどうか。 つーかチャットにも書いたが再度ここで声を大にして言うぞ。 ふざけんな馬鹿野郎。
青井夏海『赤ちゃんがいっぱい』(創元推理文庫・672円)。 『赤ちゃんをさがせ』に続く「助産婦探偵シリーズ」第2弾で初の長編。短編型の作家は長編が苦手、という傾向もなくはないが、殺人も起こらないし、犯人の仕掛けた鬼面人を驚かすような大トリックもないのに長編一つ持たせる作劇技術はさすがである。なんといっても文章が上手いんだよねえ。半人前の助産婦、亀山陽奈の一人称で書かれた文体、実に歯切れがいい。
世間の不況の嵐は助産婦の世界にも吹き荒れる。陽奈はバイト先の助産院をクビになる。慌てて潜りこんだ次の勤め先はアヤシイ「胎内育児」を標榜する「ハローベイビー研究所」。クリーニングの引換券やくずかごなど、ヘンなものばかりが盗まれる事件。そして起きる赤ちゃん置き去り事件。けれど、所長たちにはその事件を闇に葬りたい秘密があるらしい。困ったときの先輩頼み、陽奈は明楽先生のもとに駆けつけるが……。
謎の赤ちゃんの正体は見当がついた。けど「秘密」の真相についてはちょっとびっくり。若干リアリティに欠けるなあと思ったけれど、実は「現実」にもそういう事件はあったのよ。事実は小説よりも奇なりってのをもう一回小説にもちこんだ形か。これ以上はトリックをバラすことになるので言えません(^_^;)。 前作では頼りなかった陽奈ちゃんも、「経験」を積んで、聡子先輩に説教するまでに成長する。けれど更に続編が書かれたら、またおっちょこちょいで先走りなドジッ子ぶりを見せてくれることだろう。続編が楽しみなミステリって、久しぶりである。 テレビ版は結局1度も見られなかったけど、出来はどんなんだったのかな。
マンガ、浦沢直樹『本格科学冒険漫画 20世紀少年』13巻(小学館/スピリッツコミックス・530円)。 「トモダチ」はやっぱり前巻で死んだ「彼」だったってことですか。もっとも「彼」は必ずしも物語の牽引者ではなくて、物語は更に「継承者」の手に委ねられたので、あと数巻は続きそうだけど。でも角書きにある「本格冒険科学漫画」って味わいは薄れて、すっかり『モンスター』っぽくなっちゃったのは残念。もっと明朗快活な方向に行ってくれると思ってたんだけど。浦沢さん自身もそうするつもりが、描いてるうちに「地」が出ちゃったんじゃないか。こうなったら、やっぱり「ケンヂ」に復活してもらうしか手はないと思うがどうかなあ。 今巻の見所は、なんといってもキョンキョンの風呂上がりシーンであろう(^o^)。実写化してほしいなあ、キョンキョン(ドラマそのものじゃないんかい)。
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』28巻(小学館/スピリッツコミックス・530円)。 オビによると累計900万部突破だって。めでたいめでたい。 『オリエント急行オークション』が前後編でボリュームがあるが、まあそんなに面白くはない(^_^;)。オリエント急行には、作中にも描いてあるが車輌が四散していた時期に、京都のホテルに買い取られてたときに泊まったことがあるんで懐かしくはあったが。言っちゃなんだが所詮は寝台車なんで、ベッドは狭いし寝心地はそれほどよくないぞ。壁飾りはキレイだったけど。 サラが飛行機事故に巻き込まれて行方不明になってしまう『生きているオフィーリア』は、定番なドラマだけに作者の作劇技術が問われる。こういうマンガこそ前後編でじっくり描かないといけないんじゃないか。コマわりもセリフも陳腐だし、わざわざフジタの「娘」エリザベータまで再登場させたのに、何の役回りも振っていない。細野さんは実はマンガ自体はあまり上手くなくて、「ネタ勝負」なところがあるので、一作と一作の間をもう少し開けて、ネタを熟成させてから描いてもいいと思うのだが。
マンガ、細野不二彦『ダブル・フェイス』2巻(小学館/ビッグコミックス・530円)。 普段は消費者金融(つまりはサラ金ですな)「月影ファイナンス」のダメ会社員(でも手品好きってとこ、多羅尾伴内だなあ)、けれど手酷い借金に泣かされてる庶民を見ると、その加害者に「人生の債権」を取りたてる「ウラの仕事人」と化す男・春居筆美。 これも面白いと言えば面白いんだけれど、やはりドラマ展開が2巻で早くも定番化してるところが気になる。前に描いてた『ジャッジ』の焼き直しじゃん、と言われればそれまでだし。あっちはオカルトだったけど、こっちは結局「カネのチカラ」で悪人倒すってのがなんともね。ギャグなら笑えるけど、どうも主役がいけすかんだけになってる気がするよ。 春居の正体を訝む女の子が出てくるあたりもな〜、もうちょっと工夫できんかな〜という感じでした。
2002年07月08日(月) えすぽわ〜る、とれびや〜ん/『ブラックジャックによろしく』1・2巻(佐藤秀峰)/『アグネス仮面』2巻(ヒラマツ・ミノル)ほか 2001年07月08日(日) 夫婦で暑気あたり?/『昔、火星のあった場所』(北野勇作)ほか
| 2003年07月07日(月) |
今年も涙の雨が降る/アニメ『高橋留美子劇場・Pの悲劇』/『探偵学園Q』11巻(天樹征丸・さとうふみや) |
七夕だけど曇天。でもってまた午後から雨である。 今年も灑涙雨(さいるいう)なんだねえ。 以前も書いたが、七夕に雨が降ると、牽牛と織女の二人は天の川が氾濫して会えなくなってしまう。だもんで、悲しみのあまり、涙を流す。で、七夕に降る雨のことをこう呼ぶのである。 ちょっと恥晒しな話であるが、昔、私はこの「灑涙雨」って字をうっかり「催涙雨」と書いてて、その間違いに全く気がつかなかった。これは「洒涙雨」とも書くのだけれど、「灑」も「洒」も「そそぐ」と読むのである。『奥の細道』にも「前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ」って文があったね。意味は「涙を流す」ということ。これが「催涙雨」だと、「涙をもよおす」になってしまうんだよねえ(^_^;)。オシッコじゃないってば。ああ、恥ずかしい。
牽牛と織女が天の川を渡るときには、「鵲(かささぎ)」という鳥が、群れを成して二人のために橋を作るのだそうな。 この「鵲」(別名カチガラス)という鳥はカラス科なんですね。腹の部分だけ白くて、全体は尾の先まで黒い。白い天の川に黒い橋が架かることになるわけで、ホントにかかったら白と黒のコントラストがさぞ美しいことでしょうねえ……って、夜だから見えないんじゃないか(^o^)。古代中国人は多分、天の川のところどころにあるオビのような「隙間」を「鵲の橋」に見立てたんでしょう。 昨日見た『猫の恩返し』のカラスの群れのシーン、ここらあたりにアイデアのルーツがあったりして(『長靴をはいた猫』はハトだったしねえ)。
この鵲の架ける橋は、和歌にも詠まれている。 一番有名なのは、百人一首にも採られている中納言大伴家持の歌だろう。
かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける (宮中の御階は、天の川に鵲が渡した橋みたいに黒いのやけど、そこに霜が白う降りてごっつキレイやってん、つい見とれてるうちに夜が更けてしもうたがな)
この「かささぎの渡せる橋におく霜」を「天上に白く輝く天の川の星々そのもの」、と解釈する説があるけれど、さっきも書いたとおり鵲はほぼ黒い鳥だから、そこに星が輝いてるって情景がどうもピンと来ないんだなあ。それとも腹の白い部分を「星」に見立てたのか。
家持の歌自体は非常に美しいのだけれど、私が好きな「鵲」の歌は、実はこの歌をパロッた、壬生忠岑による本歌取りの方。こっちはあまり有名じゃないんだけどね。 出典は『大和物語』125段。 忠岑は泉大将・藤原定国に随身として仕えていた。ある夜定国は、酒宴の帰りに酔っぱらった勢いで、左大臣藤原時平の屋敷を真夜中だというのにいきなり訪ねる。「オラオラオラ、開けんかい! 泉の大将のお出ましや! ……ひっく、うぃ〜」「な、な、なんや一体!?」 当然、時平はビックラこいて、「どこの宴会のついでに寄ったんや、ワレ」と大激怒。そこへ壬生忠岑がヒョイと出てきて、「まあまあまあ」となだめる。 「わしの歌でも聞いて、機嫌なおしてくれまへんかなあ」
かささぎの渡せる橋の霜の上を夜半に踏み分けことさらにこそ (天の川に架かる鵲の橋かて、一年に一度わざわざ架けますのんやで、こないな寒い夜に、霜踏みながら来たのに、ついでっちゅうことがありますかいな)
時平はプッと吹き出して、すっかり機嫌を直し、夜明けまで酒宴を張ったとか。この歌、定国が牽牛だとしたら、時平はなんと織女にたとえられたわけで、こりゃ笑うのもわかるよねえ。昔のことだからホントにそんな関係だったりして(^o^)。しかも詠んだ忠岑自身は自分を「仲人」役の鵲になぞらえてるんだから、結局は自画自讃。チャッカリしてます。
それにしてもここ数年、七月七日がハレだった時ってあまり記憶にないんだが、もしかして牽牛と織女さん、もう何年もセックスレスなんだろうか(^o^)。 牽牛くん、ほんのちょっとでも晴れ間を見つけたら急いで天の川渡ってコトに及ばないと、「もっとラテンな結婚がしたかった」って、織女に愛想つかされちゃうぞ♪
職場には毎年なぜか笹が飾られる。 子供っぽいけど、こういう趣向でもって、職場の雰囲気を和ませようって考えてるのかもね。誰がだ。 私も毎年願い事の札を掛けてるんだが、ナカミはいつも同じ。 「妻が家事をしてくれるようになりますよう」 願い事がかなったためしなんて全くないから、神様っていないなあって思いますね、つくづく。
新番組アニメを2本続けて見る。 1本目は、『HAPPY☆LESSON ADVANCE』第1話「ピカピカ☆制服まつり」。 ……サブタイトル書くだけで脱力しちゃうなあ。面白いのか、これ? 美少女シミュレーションゲームが元になってるらしいが、もう企画自体が頭打ちになってないかな。「自分の好みの女の子をゲットする」ってとこまでは理解できなくはないが(それにしたところで、あまりにも「志が低い」ので私は美少女系のゲームは殆どやらなくなってしまったのである。『センチメンタルグラフィティ』と『TO HEART』で止まっちゃいました)、相手がみんな「女教師」って、病んでないか。そのくせ、キャラが全然女教師っぽくないのもよくわからない。 でも長々と感想を書く気にもなれないので、このへんでやめときます。ケイエイエスのアニメって全部こんなんばっか。
2本目、『高橋留美子劇場』は『Pの悲劇』。 CMコピーでは「全部が傑作!」とか言ってるけど、「誉め殺し」はよくないですね。高橋留美子も小池一夫の悪影響で、キャラを作りこみすぎる傾向があるんだけど。いや、「一見動物嫌い」の筧さんのことではないです。 仕方ないとは言えるが、高橋さんは男がうまく描けない。『Pの悲劇』も、主人公の裕子の夫がいきなり「商取引相手からペンギンを預かってくる」ヤツだってのにムリがあるんだよね。つーかこんな設定自体、古色蒼然としてると思うけど。もちろんそういう設定がないとこのドラマが成り立たないのは分るけど、おかげでこのダンナさん、相当オチャラケでいい加減な人間に見えてしまうぞ。なんでこんなのと結婚したんだ裕子。 作画レベル、演出はまあまあ。裕子が宇宙を感じるシーンはちと長過ぎたけどね。筧さんの林原めぐみは上手いけど、こういう冷たいおばさんの役がまわってくるということは、ベテランになったということでもあるけれど、ヒロインを後進に譲り渡しつつあるってことでもあるんで、ちょっと寂しい。林原さんが演じてきた「元気少女」が80年代の産物だとすれば、もうその時代は消えちゃったってことなのかな。
マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』11巻(講談社/少年マガジンコミックス・440円)。 もうトリックがどうの、なんて文句は言いません。 「前代未聞の密室トリック」とかハッタリかましてるけど、フタを開けてみたら「抱腹絶倒」「笑止千万」「羊頭狗肉」「軽薄短小」なトリックに決まってるから。 だもんで、これから先はキャラとか設定についての話だけに限定します。 今巻からの新キャラは福井県警の嶺刑事。安手のミステリにありがちな「主人公の探偵に敵対するヘボ刑事(だけど一応2枚目)って役回り。ミステリの歴史って百年以上も続いてるんだから、もういい加減でレストレード警部の呪縛から離れてもいいと思うんだが、相変わらずこんな薄っぺらなキャラ作るんだよねえ。人間的に深みのあるキャラクターを作ろうってアタマが天樹さんにはないのだろうか。いや、ないってことはもうわかりきっちゃいるんだけど。 まあ、本物の刑事にも高慢なだけのバカはいるのかもしれないけれど、フィクションの刑事は本物以上にリアルじゃないと、その存在感が簡単に崩れてしまうのである。いくらDDSに反感を抱いてるからって、死体の第一発見者で、これから尋問しようって相手に対して、いきなり「目障りだ」なんて反感買うようなこと刑事が言うかい。特に子供相手なんだから、ヘタすりゃ大問題になるぞ。 こういうティテールのいい加減さもバカミスにはやたら多い。しかしこのマンガのファンって、何が面白くて読んでるんだろう。わからん。
2002年07月07日(日) 叶わぬ願い/DVD『風のように雲のように』/『映画欠席裁判』(町山智浩&柳下毅一郎)ほか 2001年07月07日(土) オタクな××話/『こんな料理に男はまいる。』(大竹まこと)ほか
| 2003年07月06日(日) |
日曜の昼は出たくないね/DVD『悪魔くん』vol.1/『ワイド版 風雲児たち』14巻(みなもと太郎)ほか |
とりあえず一通り朝の特撮、アニメは見てますけど、感想は『アトム』だけにしときます(^_^;)。 『鉄腕アトム』第13話「ウラン誕生」。 ウランの衣装デザイン、スカートの下がタイツみたいになってるのは、もしかしたらパンチラがアメリカじゃアウトってことなんだろうか。 妹の誕生に大喜びするアトム。けれどウランはとんでもないお転婆。「動物の気持ちがわかる」という能力をお兄ちゃんに信じてもらえなかった彼女は、自分の見た滑空する巨大な翼竜型ロボットの実在を確かめるため、一人で秘密基地に忍び込むが、そこは反ロボット主義者のアジトだった。 カタリの再登場エピソードでもあるのだけれど、さて、これも話としては原作にはないオリジナル編なのかな。あまりにも単純過ぎる話で、物語としては今一つ面白味に欠ける。 原作でのウラン誕生のエピソードは、全くこんな話ではない。『少年』掲載時には、『透明巨人』のラストでお茶の水博士が『ミドロが沼』で死んだコバルトを再生させて、一緒にウランも作ってアトムにプレゼントしているのである。 単行本ではコバルトは『ミドロが沼』で死ななくなった形に改稿されたので、そのアオリをくらって、ウラン誕生のエピソードもカットされてしまった。だから現在、公式には『ウラン誕生』という原作はない(^o^)。 一応、今そういうタイトルで流布している作品があるにはあるのだが、それは、雑誌掲載時には『1/2人間』というタイトルが付いていた、ウラン誕生「後」のエピソードなんである。 こうして見ると、手塚さん、ウランが嫌いだったのかねえ。
昨日はずっと眼帯で過ごしてたので、今日は一日ぐたっとしてるつもりだったけど、思い立って夕方から博多駅の紀伊國屋書店まで。 しげが『マイガール』のDVDがほしいと言ってたので(もちろんダン・エイクロイドが出演しているからである)、1と2を買いに行ったのである。 ついでに、ついに決意して『ルパン三世劇場版ボックス』を予約注文。解説ブックレットが充実してりゃいいな。店員さん、私が名前を告げなかったのに、サラサラと伝票を切る。しかも誤字なし(私の本名は珍しいのでよく書き間違えられるのである)。感動していいのかどうか(^_^;)。
3号まで出てたインフォレストの『トラマガ』、どうやら実質的な休刊になってしまったらしい。発行予定は「未定」だって。 『ガンバ』のマンガ版、『ジャイアント・ロボ』の誕生編と、期待のマンガを連載し始めたばかりだったのに、やっぱり売れなかったのかなあ。まあ、あと読めるマンガって『楽勝! ハイパードール』くらいしかなかったから仕方なかったのかもしれないけれど、もう少し「売り」を作っといてほしかったよなあ。いくらなんでも3号は短か過ぎるよ。どっか、連載を引きとってくれる奇特なマンガ雑誌はないか。『ウルトラジャンプ』とか(ムリだって)。
DVD『悪魔くん』vol.1。 後のアニメ版ではなく、実写モノクロの前半13話を収録。私にとっての『悪魔くん』はなんと言ってもこのシリーズである。潮健児さんも地獄大使じゃなくてメフィストなんだよね。これはもう生まれた時代がそうなんだから仕方がない。 とりあえず、第1話『妖怪ガンマー』と第2話『化烏』、間をすっ飛ばして、兄弟メフィスト共演の第10話『シバの大魔神』を見る。 モノクロ作品で再放送も滅多になかったから、見るのはホントに30年ぶりくらいじゃないか。ずっと「妖怪ガンマー」は「ガンマー」が本名なのか「百目」が本名なのか(原作には「百目」としか出てこない)気になってたのだが、「昔の人が「百目」と呼んでいた妖怪の正体が、実は「ガンマー」だったってことなんだな。ガンマーが女の子を襲うシーンなんか、明らかにボリス・カーロフの『フランケンシュタイン』をモチーフにしているし、やっぱり原典にはきちんと当たるべきだなあと実感。 兄メフィストの本名がメールセデス・ニチ・メフィスト、弟の本名がシラーサルタン・モメット・メフィストと違ってるのも今回確認したが、兄が弟の名前を忘れているのがオカシイ(^o^)。この回の脚本は伊上勝さんだから、ネーミングも恐らく伊上さんだろう。 しかし、40年近く前の作品だから仕方ないんだけれど、出演者の殆どが故人というのはさびしい。金子光伸(悪魔くん)、メフィスト兄(吉田義夫)、メフィスト弟(潮健児)、ファウスト博士(浜村純)、みなさん鬼籍に入られてしまった。その当時の思い出を語れる人も少なくなってしまった。 せめて10年前に、ムック本とか作ってほしかったなあ。
DVD『猫の恩返し&ギブリーズ episode2』。 見返してみたけど、やっぱよくできてるわ。結局、評論家連がみんなこれについてトンチンカンなことしか言えなかったのは、「少女マンガ」がどんなものか全くわかんなかったからなんだろうな。「底が浅い」とかなんとか、少女マンガに底なんてもともとないわい。でもやっぱり池脇千鶴のやたら裏返るようなセリフ回しはちょっと気になった。
マンガ、みなもと太郎『ワイド版 風雲児たち』14巻(リイド社・680円)。 シーボルト事件から大塩平八郎の乱まで。年代で言えば1826年くらいから1838年くらいまでだけど、ワイド版になっても1巻で12年しか経ってない。そりゃ幕末まではよう行かんわな(^_^;)。「幕末」ってのは一応、黒船来航の1853年からってことになってるから、なんだあと15年じゃん、って感じだけど、この間にまたいろいろと事件が起きまくるんだよね。高野長英と渡辺崋山だけで何巻費やすことか(^o^)。まあ、それについては次巻のお楽しみ。 史実の大塩平八郎という人は、史料を読む限りではマジメが行き過ぎちゃったような人で、あまり私とはソリが合わんような気がするのだが、戦前までは理想主義者・革命思想者の典型として憧憬の的だったようだ。 映像化の歴史を見ても、目玉の松っちゃんこと尾上松之助が『侠骨男児 大塩平八郎』(明治43年)と『大塩平八郎』(大正3年)と二度に渡って主演しているし、片岡千恵蔵も『風雲天馬草紙 第一・第二篇』(昭和5年)で大塩に扮している。 これが戦後になると、歴史もののエピソードでチラッと出演することはあっても、大塩一本立ちの映像化となると、嵐寛寿郎主演の『風雲天満動乱』『続風雲天満動乱』(昭和32年)くらいしか見当たらない。 まあ『風雲児たち』も別に大塩一人にそんなにページを割いているとは言えないのだが、歴史の教科書にちょろっと出てきた「知行合一」思想をきちんと紹介してくれているのはエライなあと思うのである。 現代日本人の思想体系はもういろんなものがゴタマゼになっててワヤクチャになっているのだが、それでも未だに消えずに残っていてその根幹を成していると言ってもよいのが安藤昌益の「自然生」と大塩の(とホントは限定はできないんだけどね。陽明学の基本思想だから)「知行合一」だと思うのである。まあやたらと「労働の純粋性」を訴えるやつとか、「不言実行」を理想的に語るやつっているでしょ。ウチのオヤジだ(^_^;)。 好き嫌いは別として、「こんな人が我々日本人の思想体系を作っていったんだなあ」ということ、これが今一番簡単に読めるのが『風雲児たち』シリーズだと思う。こういうマンガがもっと増えりゃいいのにねえ。
マンガ、倉田真由美『だめんず・うぉ〜か〜』5巻(扶桑社/SPA!COMICS・900円)。 ちょっと気になったんだが、45ページに「自分の女に『特殊な好み』を押しつける男」ってのが出て来てるけど、ここで描かれてるヘアスタイル&メイクって、もしかして『謎の円盤UFO』とか『怪獣大戦争』の宇宙人女のイメージじゃなかろうか。いやまあ、ゲイ・エリスや波川女史が美しいことは認めるが、ああいうスタイルの人が側にいたらフツーはちょっとコワイと思うんすけど。 自分の彼女にコスプレさせたがるという感覚が私にはイマイチ湧かないのだが、しげになんかさせるとしても「キグルミ」しか思い付かんのである。セーラー服とかナース姿とか、まずもって似合わんし、ましてやプラグスーツなんぞ着られた日にゃあ、性欲よりも殺意を覚えるのは間違いない。じゃあ、ネコとかピカチュウになったしげには欲情するかというとまあそれも絶対にないのである。……コスプレさせる意味、ないよな。 ほかに特に感想はありません(^o^)。
2002年07月06日(土) 理想の正論より現実の暴論/映画『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』 2001年07月06日(金) ニュースな一日/DVD『遊撃戦』第一話ほか
| 2003年07月05日(土) |
同情でもいいから少しはくれ(T∇T)/DVD『山村浩二作品集』/『沈夫人の料理人』1巻(深巳琳子)ほか |
朝っぱらと言うか、真夜中にいきなりしげ、鴉丸穣を連れて帰宅。 私は当然寝こいていたのだが、折悪しく素っ裸であった。 いや、風呂あがりでそのまま寝ちゃったんでそういう状態だったのである。慌てて居間から寝室に逃げ込んだのでナニを見られはせなんだが。 鴉丸嬢、「イイ男なら『きゃあ、セクハラ♪』ですむけど、中年オヤジじゃただの痴漢だよねー」と身もフタもないことを言う。別にナニも見せとらんだろうが(-_-;)。 「男だって、若い女の裸と、中年デブ女の裸とだったら、若い方がいいでしょ?」 そりゃそうかもしれんが、だから私ゃワザと見せてるわけじゃないだろうが。セクハラも痴漢もしとらんぞ。
しげがなんでまたいきなり予告もなく鴉丸嬢を連れてきたかっていうと、部屋の掃除のためなのであった。実際、部屋の中にゴミ袋が十数個溜まっていたのである。 日頃から自分で片付けておけばいいものを、何かと言い訳ばかりしてサボっているからこんなふうに人に頼ることになるのである。一体何人の犠牲者を巻き込めば気がすむのか。たいがいでやめろと言い聞かせていたのにまた性懲りもなく同じ失敗を繰り返しているのである。 以前、結局片付けを手伝わされたときに、「もう今後は一切、掃除は手伝わないぞ」と言明してあるので、ひと片付けできるまでは隣室で待機する。つーか、裸なんで出ていけないのだが(-_-;)。 しげに「着替え持ってこいよ!」と言っても無視される。明らかなイヤガラセで、むかっ腹が立つ。鴉丸嬢が浴衣を見つけてきて寝室に投げこんでくれたので、ようやく着替えられて居間に出られるが、睡眠中にいきなり起こされたので、体調も芳しくない。どっちにしろ片付けを手伝える状況ではなく、しげと鴉丸嬢がゴミ袋をえっちらおっちら運んでいくのを横目で見ながらウツラウツラ。
ようやく片付けが終わったあと、さて、鴉丸嬢を車で送って行こうか、という段になって、今度はしげが落ちる。あまり寝てないのかもしれないが、おかげで鴉丸嬢、帰るに帰れない。仕方がないので、しげが起きるまで、鴉丸嬢とホームページの原稿の話などして時間稼ぎ。 鴉丸嬢がクトゥルーのファンだったとはつい先日まで知らなかった。もっとも彼女も『退魔針』でその存在を知った、ということだから、ラブクラフトのこともあまり知らないのである。 だもんで、ついまた悪いクセで要らぬウンチクなどを披露したりする。 「小説は読みにくいものもあるから、映像から入った方がいいかもしれないけど、クトゥルーの映画化って、ロクなのがなくってねえ、『ダンウィッチの怪』なんて怪物の造詣がダサイし、『ネクロノミコン』もねえ……。『インスマウスの影』なんて、主演が佐野史郎だし」 こんな調子である。なんか、思い返すだに恥ずかしいな。 いろいろ説明するより原典にあたってもらった方がいいよな、どこかに国書刊行会の『真・ク・リトル・リトル神話体系』が転がってたはずだがと探してみるが見つからず、『幻想文学』のバックナンバーも書庫の奥に埋まっていて取り出せない。ようやく見つけたのが創元推理文庫の『ラブクラフト全集』の5・6巻と、矢野健太郎の『邪神伝説シリーズ』(^_^;)であった。これだけでも少しは面白いかと思ってお貸しする(文庫は寄贈した)。いや、ほかにも某K女史の『魔○○○伝』というのもあったんだが、クトゥルーのファンになってもらうのにこれほど不適当なものもあるまい(^o^)。 とりあえず5巻には『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』や『ダニッチの怪』などが収録されてるから、つまんないということはないと思う。ホントは『インスマウス』や『クトゥルフの呼び声』も読んでほしかったんだが。
駄弁っているうちに、なぜか鴉丸嬢と「政治」の話になる。 といっても、鴉丸嬢の疑問は「世の中のオトナって、どうして悪いことばかりするの?」という子供っぽいものである。 ハタチを過ぎた女性がこういうことを言い出すこと自体、どうかという批判は簡単なんだが、人にはそれぞれ事情というものがある。 単純な二項対立の中に自分を置いて自らを「善人」に規定する意識は、私の一番忌み嫌うところであるが、それなくしては自らの行動を規定しえない人もいることも事実ではあるのだ。彼女のプライバシーをここで明かすことはしないが、彼女がともすれば極めてステロタイプな「正義」にすがる傾向があるのは仕方のない面はある、ということなのである。 「政治家がおカネ儲けばかり考えてるのっておかしいじゃない。政治家って、みんなのためにいるんだから、おカネなんて要らないって人がなるべきじゃないの?」 「そんなやついねーよ」 笑って否定してしまったが、鴉丸嬢のような理想主義者には、世の中というものはいつの時代でも生きにくいものだ。いや、彼女自身もそれには気づいていて、わざと悪人になろうとしている面もないではないのだが、どうしてもそうなりきれないのは、「悪を許す」心情が、彼女の場合、ヘタをすれば自我崩壊に繋がりかねない事情があるからだ。 彼女のような子にはホントに幸せになってほしいんだけどなあ、難しいよなあ、其ノ他君がもうちょっとしっかりしてるといいんだけどなあ。
2時間ほどしてしげが目覚めるが、起きるなり「腹が減った」。 自分の腹具合のことより、鴉丸嬢を待たせたことの方を悪いと思わんかな、こいつは。 鴉丸嬢を送って行くときに、「アンタも食事する?」と聞く。 ああ、しげは忘れているのだ。今日は私の通院の日だということを。当然、尿検査、血液検査があるのだが、そのためには朝メシ抜きで行かなきゃならないのだ。夫の体調よりも自分の食欲の方が優先するやつだとはわかっちゃいたけど、どうにもやりきれない。 文句を言ってやろうかとも思ったが、もしかしてギリギリで気がつくかもしれない、と一縷の期待をかけて、一緒に付いていく。 もちろん、しげにそんな期待をするほうがバカなので、鴉丸嬢を送り届けたあと、ロイヤルホストに入っても、しげは脳天気に「何食べる?」と聞くのであった。 「食べれるわけないじゃん。今日検査だし。先週から言っといたろ?」 「……じゃあ、店出る?」 またなんでそんな言い方をするのか。ここで一言「ごめん」と言えれば、コトはすむのだ。会話するのもイヤになって、あとは無言。
日が昇った頃に、内科と眼科をハシゴ。イヤなハシゴである。 病院への行きがけはしげに送ってもらったのだが、そのまましげは練習に直行するので、帰りは一人で帰るしかない。となると、両目とも点眼してしまっては前が見えなくなってしまう。だもんで、今日の検査は右目だけにしてもらうつもり。 本当は左目の状況も確認してもらおうかと思っていたのだが、しげはやっぱり自分のことだけで頭がいっぱい、私の状況なんて何も考えちゃいない。 こちらもいちいちしげに期待するのはムダだとわかっちゃいるので、今日は右目でこの次は左目と交代で見てもらうしかない。 しげにそのことを告げたら、またヒステリーを起こして、「練習休んで付き添えばいいやろ!」とか言い出す。こういうのが一番迷惑なんである。血の巡りが悪くて人のコトを気遣えないのは仕方がないとしても、そのことを指摘されて逆ギレするのは最大級のバカである。こうなると「お前には何も期待しないよ」としか言えないし、顔も見たくなくなる。 病院の近くの信号で停車した時に、無言で勝手に降りる。案の定、しげはそのまま練習に行く。だったら、最初から付き添ってやろう、なんてことを口にするものではない。腹が立つよりも、もうすっかり気が抜けてしまっている。
内科での検査結果は相変わらず悪い。 体重が落ちてきているおかげか、血糖値自体は少し下がっているのだが、目の状況を考えると、一気に落とし過ぎてもよくないのだそうだ。薬の効果も今一つないようならば、次回から量を増やそうかと言われる。イヤとは言えんがホントにクスリづけの生活になりそうなんだなあ。 眼科の方も、毎週通院して瞳孔開かされて光を当てられまくるのは結構苦痛なのだが、明日、目がどうなるかわからんのだからこれも仕方がない。 相変わらず右眼に紐はぶら下がってるままだし、何だか視界の下の方に影みたいなものが見えるときもある。主治医の話によればこの影がだんだんとせり上がってくる感じになるそうだが、さて、その進行をどれだけ食いとめられるものなのか。 「とりあえず進行は止まっているようですね」 と医者は言うのだが、その舌先で「でももう少しレーザー治療をしておきましょう」と言う。進行が止まってるならどうして再治療の必要があるのか。 で、また何発打たれるのかなあ、と漫然と数えてたら336発である。先週より百発多いんだけど、どうしてですか。いや、実際に聞いたりできないけど。 しげのこともあるので、終始沈んだ調子で治療を受けていたのだが、医者はどうもそれを勘違いしたようだ。なにしろ、少しは痛みを感じてたはずなのに、私はずっと無言だったのである。特に聞きもしなかったのに、「先週の続きですから、改めてレーザーの治療費は取りません」と言う。 いや、オカネの心配をして沈んでたんじゃないんですけど(-_-;)。 ただ、もし請求されても唯々諾々と払ってた可能性はあるので、そう言ってもらえて安心はした。 実際は治療後右眼の奥がズキズキ痛むので、眼帯を受付でもらう。これも無料サービスなんだけど、これくらいのことでもありがたいなあ、と感じてしまうのは、それだけしげの愛情のウスさに、心が疲れてしまっているからであろう。
そのまま帰宅しようかとも思ったが、先週天神に行き損なっていたので、眼帯を着けたまま、ベスト電機LIMBや福家書店、ジュンク堂を回る。たまに「この人なに?」という感じで眼を逸らす人がいるが、眼帯くらいで不審人物扱いされるのはいやなものである。もっとも、素でもそんな眼で見られることがあるのはもっと業腹なんだが(~_~;)。 福家書店のブックカバー、ずっと手塚治虫シリーズなのだが、『ブラック・ジャック』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』に続いて、新しいのは『ぼくの孫悟空』である。黄色い地にアニメキャラの孫悟空の顔が線画でどでかく載っている。映画公開に合わせてるためだろうが、これは原作の絵柄でやってほしかったな。裏表紙が映画のポスターそのまんまなのもちょっとジャマだけど、全体的なセンスは悪くない。もうマンガの方は持ってるんだけど、このカバーをつけて全集版で揃えたいって気にはなる。映画自体は上映繰上げとかで、宣伝もロクにされてないようだけど、ヒットしますかね。 食事もついでにしようかと、天神コアの食堂街に行ってみたら、こないだしげと食事したランチバイキングの店が潰れて普通のレストランに代わっている。って、開店してそんなに時間経ってなかったと思うけど。これだから、「いつかこの店に行こう」じゃなくて、思い立ったときに行っといた方がいいのである。
夕方、父から電話。 なにごとかと思ったら、「お前、網膜剥離はどげんや?(=どうなんだ)」 実は父には眼のことは全く話していなかった。話したところで何がどうなるものでもないし、心配をかけるだけだからである。一瞬、医者が父に伝えたのかなあ、と思って(父も同じくそこに通院しているのである)聞いた。 「なんで知っとうん?」 「しげさんから聞いたったい」 また、しげか(-_-;)。 そう言えば、こないだ、しげから「父ちゃんには目のこと言わんと?」と聞かれた時に、「言わんよ」とだけ答えていたのだが、その時ハッキリと「親父には眼のことは話すなよ」と口止めしておくべきだったか。 私が悪いのかもしれないが、普通、こんなことは言わなくてもわかってくれそうなものである。……という常識が通用しないのがしげなんだよなあ。いったいあれがどこまで馬鹿なのか、もうとても私の想像力の追い付くところではない。 しげが私のことを心配して、父に眼のことを話したんだろう、などと好意的に考えるのは間違いである。アレにそんな気遣いをする能力はない。全くない。状況を面白がって言ったのに決まっているのだ。 父はともかく「何で言わんやったとや」と責めたてるので、弁明にこれ努める。 「別に隠しとらんて。治療が一応すんでから言おうと思っとったんよ。治れば別に何ちゃないやん。レーザーで剥離抑えてもらったけん、もう治っとう」 「ああ、レーザーか、そりゃよかったたい」 なんだかレーザーが万能であるように父は思っているようである。それで納得してくれるなら、特に問題はない。
帰宅したしげに、「なんでオヤジに眼のこと話したとや?」と聞いたら、「だって話題がないし」と答えやがった。 なんかもう言葉もない。 しげを嫌ってるわけではないから、何か聞かれりゃ答えはするけど、私の方から積極的に会話する気が失せていくのはどうしようもないことである。
次回の『ゴジラ』のヒロインが吉岡美穂になったとか。 グラビアで見かける程度で、動いてる彼女は『逮捕しちゃうぞ』くらいしか見てない。だもんでどの程度演技ができる人なのかよくは分らないけど、『ゴジラ』シリーズはもう私の中では「全く期待しないで見にいったら少しは楽しめる」レベルにまで下落はてるから、誰がヒロインやろうとどうでもいいや。
DVD『山村浩二作品集』。 予約してたのに、LIMB、取り置きを忘れてやんの。現物が店頭にまだあったからいいけど。これが多いから、だんだん紀伊國屋の方ばかり利用するようになるのだ、しっかりしろよ。 ようやくアヌシーグランプリの『頭山』(英題はどんなかなあ、と思っていたがまんま「Mt.HEAD」であった)を見ることができたわけだが、「落語の映像化」という点ではこりゃどうかな、という面もないわけではない。 もともと「映像化できない語り」のナンセンス性にこそあの落語の魅力はあるのである。最初あの落語を聞いた時には私は笑うより先に呆気に取られた。「頭の上の花見」ってどうやって? オチなんて、どんな絵か浮かばねーよ、普通。仮に私が笑ったとしても、それは脳を揺さぶられた結果の狂気的な笑いになっていたことだろう。 しかも語りは三味線の国本武春。落語の語りとは似て非なるもの。「落語」を期待すれば多分肩透かしを食らう人も出てくるだろう。 立川談志あたりは「なんだあんなもん」と言うんじゃないかな。『幕末太陽傅』も「落語じゃねえ」と言い切った人だし。そう言えば立川志らくは『キネ旬』で微妙な誉め方してたなあ。「すばらしいけど、ほかにも映像化したい落語はいっぱいある」とかなんとか。 けれど「アニメーション作品」として見た場合、これはやはり第一級の作品である。花見客がミニサイズになっちゃう絵は原作を知ってると陳腐だが、初めてこの話を見る観客にはそれだけで充分ショッキングだろうし、オチの映像化はまさしく「映画」になっている。ああ、アレを流用したか、と映画ファンならすぐに見当がつくけど、その流用の仕方が卓抜なのである。 所詮は原作の「解釈」にすぎない、という批判も可能だが、その解釈がまた別の想像力を観客に喚起する効果は確かににあるから、これはこれで成功作と言っていいのではないか。
DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に6』。 今巻から『地下帝国ヨミ編』。 封入パンフを見てたら、設定の中に「赤面するバン・ボグート」があったんで笑う。そんなシーン、どこかにあったっけ。そう言えばこないだ『快傑ハリマオ』を読み返してたら、しっかりボグートが出て来てやっぱり悪役を演じていた。まあ全ての石森作品を読んでるわけではないのでなんとも言えないが、少なくともギルモア(ドンゴロスの松)とボグートは少なくとも二度、戦っているわけである。 本放映時から完成度は高かったので、リテイク部分はあまりなさそうな印象。ああ、このクォリティで全話が制作されてたらなあ……。
マンガ、深巳琳子『沈夫人の料理人』1巻(小学館/ビッグコミックス・530円)。 中身についてはオビの惹句をそのまま引用(手抜き)。 「中華料理の一皿に立ちのぼる妖艶なる主従関係! 美食のエロス! この世の何よりも食べることの好きな奥様・沈夫人と、この家に買われてきた天才料理人・李三。時は明代中国。奥様は退屈していた。『私に何を食べさせてくれるの?』」 つまり『妖異金瓶梅』料理版って感じですね。沈鳳仙夫人が藩金蓮で、李三が応伯爵の役回り。才能があるのに苛められる李三が健気ながら哀れを誘う。もちろんその哀れっぷりがおかしいんだけど。 この高飛車なお嬢様・お姫様なんかに翻弄されるって物語のパターンも随分昔からあると思うけれど、これを精錬した傑作が谷崎潤一郎の『痴人の愛』だったり沼正三の『家畜人ヤプー』だったりする。もちろんこのマンガがそこまでどぎつくなることはないのだけれど、そういう「匂い」がこのマンガをして他の凡百の料理マンガと一線を画する結果になっていると思う。 まあ、苛められないと伸びない才能ってのもあるわな(^o^)。
2002年07月05日(金) 金曜で〜とだ。一応/映画『マジェスティック』/『気になるヨメさん』1巻(星里もちる)/『クロノアイズ』6巻(長谷川裕一) 2001年07月05日(木) 疲れてるとかえって饒舌/DVD『アリオン』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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