無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月09日(月) アンケート募集/『押井守 in ポーランド』ほか

 ここんとこ、よく悪夢を見る。
 今朝見たのは職場に遅刻する夢。
 なんだ、たいした悪夢じゃないじゃんと言われそうだが、臨場感と言うか緊迫感と言うか、これが半端じゃなくコワイのね。
 時間には余裕を持って家を出たはずなのに、時計が異様に早く進むのね。
 「え? まだ5分しか経ってないのになんでもう20分も経ってるの?!(この辺の矛盾がいかにも夢だねえ)」
 驚いても職場に着いてみればやっぱり遅刻。
 途端に同僚たちの冷たい視線が。
 「あいつめ遅刻しやがって」「周りにどれだけ迷惑かけてるか解ってるのか」「人間のクズだな」「なめてんじゃねえぞ」「ゴクツブシ」「死んでしまえ」「死ね死ね死ね」
 たかが遅刻でなんでそこまで言われにゃならんのか。ビビって泣き出すところで目が覚めた。

 ……って、ンな下らんことで泣くなよ、オレ(-_-;)。

 なんだかなあ、こないだもトイレに入ってたら空き巣がやってきて、動くに動けぬところを金属バットで殴り殺されかけた夢見たし、やっぱり心の疲れがたまっているのだろうか。


 しげから「最近散歩してないでしょ?」と言われてドキッとする。
 確かに梅雨が長く続いたせいで、散歩をサボってはいた。
 その間も少しずつ体重は落ちてはいたので、ま、いいかと休んでたのだ。
 ああ、でも80キロのラインがなかなか切れないのはそのせい?


 例の『新しい歴史教科書』、明らかな歴史的事実の誤謬の修正以外は適正、と文科省は判断したとのことで、中国・北朝鮮・韓国が猛反発しているそうな。
 相変わらずテレビは中国での抗議行動・デモ行為を報道してるけど、そうやって日本と近隣諸国の間にどんどん深い溝ができているように世論操作していくやり口はどうにも虫が好かない。
 中国や朝鮮だって、意見が全て反日ってことはないと思うのである。
 先日、台湾での哈日(ハーリー)族を特集したドキュメンタリーを見たが、今の10代、別に昔のことなんてまるで気にしちゃいないのだ。
 「昔は昔、今は今」、KINKIキッズを追っかけながら、日本の過去の罪なんて考えてられないよな。別にKINKIが中国人を虐殺したわけじゃないってことくらい、子供にだって解る理屈だ。
 日本の「『戦争を知らない子供たち』って認識すらない今の子供たち」だってそんなもんだろう。原爆をアメリカから落とされてるのに嬉々としてハリウッド映画に見入ってたりしてるんだし。
 そんな風に過去の歴史なんて気にしちゃいないことを、いかにも歴史認識が甘いように批判することはそれこそ全体主義ではないのか。
 どっちもどっちの下らんケンカだと、両国の大半の人々(特に若い人たち)は思ってるんじゃないだろうかね。

 この日記を書き始めて、早いものでもうすぐ一年であるが、「中国人、日本のことをそんなに責められるのか」みたいな書き方をしたことが何度かあった。まあ、わざと過激な書き方してる面はあるんだけど、となると、中国や朝鮮の人の一部がこれを読んだら、やっぱり激怒しちゃうのだろうか。
 よく読んでいただければ、別に私は日本人が侵略行為を働かなかった、と言ってるわけじゃないってこと、理解できると思うんだが。
 私は単に日本人も中国人も、この戦争責任に関連した問題になると、ヒステリックになりすぎてんじゃないか、と思ってるだけなんだけど。ところが「冷静になろうよ」と言ったら最後、「それは日本人の責任回避だ」と中国・朝鮮の人たちは叩いてくるのね。でも、それってただの言論弾圧だよねえ。
 だから「そういう人もこの日記を読むかもしれない」と言うことを考えた時、あまり優しげな書き方ばかりしてもいられないのよ。
 「自分たちの歴史認識の方が正しいって根拠はどこにあるんだよ。歴史に『真実』なんてもなあもともとねえんだ」みたいに挑戦的な表現しちゃうのは、逆に言えばこの手の問題を「なあなあで済ましたくはない」という私の決意表明でもある。この手の過激な表現はもともとの私の意志を正確に移したものとは言えないが、だいたい、言葉が真実を表せないってことは純然たる事実なのだよ。自分の言葉にある時はオブラートをかけ、またある時は絢爛たる衣装を纏わせ、「演技」させる。それは誰だって日常的にやってることだ。
 それを意識的に行おうというのが、「表現」の、ひいては「演劇」の基本なのである。
 
 もともとこの日記は劇団の役者・脚本家として書き始めたものであるから、コトバが「演技」しているのは当たり前の話である。
 つまり、近松の言う「虚実皮膜」の境に遊ぶことを、お読み頂いている方とともに楽しもう、とうのが基本的なありようであるのだ。
 簡単に言えば、これは事実をもとにした「フィクション」。そう認識していただくのはこれを読む前提なのである。
 現実の出来事を扱ってるじゃないか、とのご批判もあろうが、「解釈」は決して「真実」とは一致し得ない。つまり我々の「心」自体が「虚構」を作り出す機能しか持ち得ないのであるから、その虚構を楽しむ、あるいは認めることができない人は結局は自分自身の虚構しか認めない偏狭な人間、はっきり言えば「強迫神経症」であるのだ。
 ……多いよね、そういう人。
 だからそういう人に対しては、「バカ」とはっきり言ってやることも必要なのだ。一人が言っても効果はない。でも、全く関係ない人間から、「バカ」「バカ」「バカ」と言われつづけりゃ、少しは「オレってバカなの?」と考えるようになる。
 それは、「『バカ』と言ってるほうが『バカ』である可能性」も含めた上で、「考える」ことが出来るようになる、ということなのだ。私も自分が正しいなんて思ってるわけじゃない。与えられたデータに基づいたシミュレーションを行ってるだけなのよ。だから私の思考が間違いだと思う人は、新たな「データ」を示してくれればいい。「討論」ってのは、そうやってするものなの。
 今の歴史認識論争が論争にもならない低レベルなものになってるのは、データのやり取りもせずに中国や朝鮮が日本を非難してる点に問題があるんだよね。
 ……だからさあ、中国にもマトモな人はいるんでしょ? いい加減でバカの暴走抑えないと、中国、朝鮮自体が世界から孤立しちゃうよ。
 したいのか。


 この日記の「WhoisMy」(他者からの登録状況)を開いてみたら、新しくお気に入りにいれてくださった方がいらっしゃった。
 ちびちびと読者が増えていっている感じで嬉しいのだが、どういうところに興味を持って頂いてるのだろうか。同人誌を作られてる方のようで、文章も若々しく生き生きとしているので、私のような中年オヤジの文章が面白いのかどうか、疑問だったりもするのである。
 と言うか、しげに一番評判悪いしな、私の文章(-_-;)。テメエの妻から一番嫌われてるってのも寂しいんだよなあ。しかも「理屈が入ってないほうがいい」なんて言われちゃうし。
 で、ちょっと思いついたのだけれど、これ読んでる方、もしよろしければ掲示板の方でこの日記のどこに興味を持って読んでるか、アンケートを取りますので、ご回答頂けませんでしょうか。
 まあ、ジャンプの人気投票、と言うほどのものではありませんが、どれか一つを選んでお答え頂ければ幸いです。もちろん、初見でこちらに来られたかたでも構いません。

 アンケートには以下のサンプルをコピーしてご使用ください。



 <読者アンケート>

 この日記を読んで、面白いと思ったモノにマルを三つ以内でつけてください(その他は省きます。ご感想を自由にお書きください)。

 1 筆者(有久幸次郎)の無責任な私生活ぶり。
 2 筆者の妻(しげ。)の無軌道な破綻ぶり。
 3 筆者と妻の犬も食わないケンカバトル。
 4 たまに出て来る劇団メンバーの変な言動。
 5 筆者の、世間の方々とのよく分らない交流関係。
 6 筆者の、社会時評に見せかけた世の中に対するウラミツラミ。
 7 筆者の、人生や愛に関して自分だけが深いと思いこんでる洞察。
 8 映画・ドラマに関する話題。
 9 特撮・SFに関する話題。
 10 小説・ミステリーに関する話題。
 11 マンガに関する話題。
 12 アニメに関する話題。
 13 明らかにツクリだと思われる嘘話。
 14 おもしろいとこなんてね〜よ。

 15 その他 →



 ご芳名(匿名でも可)→




 『押井守 in ポーランド』読む。
 映画『アヴァロン』の撮影記録だけれど、押井さんがまさしく「監督」であることが実によく見えてくる貴重な記録。
 何がって、思い切りが実にいいのだ。
 言葉の壁、習慣の違い、そういうトラブルが起こることは初めから予想がついている。だから、「トラブル」を起こさない、というより、トラブルが起こりそうになった時に(簡単に言って仲間割れが起きそうになった時に)、どう対処するか。
 「僕は現場をやる時は誰と心中するかってのを決めることにしてる。誰が正しいかではなくて誰かを親分にしたてないと物事は前に進まない」
 で、押井さんはわざわざ日本から連れてきた日本人スタッフを無視しまくるのだね。ひでえ話だが、それが「監督」なのだ。
 なんだかなあ、押井さんのことを「天才」と呼ぶ人は多いが(唐沢俊一さんの場合は皮肉だけどね)、映画を仕切っちゃいるけど、我を通したりはしてないんだよね。というか、初めから「妥協」してる。押井作品はテーマが毎回共通してるからなんだか思想的な映画作家だと錯覚されやすいけど、私は押井さんは「職人」だと思っているのだ。
 でなきゃ、『紅い眼鏡』に根っからの「アニメ職人」である大塚康生さんを出演させたりしないでしょ。庵野秀明が「映画監督はどんなものを作りたいかではなくて、この予算と時間でどの程度のものが作れるか計算することです」と言った時、押井さん、初めて庵野さんを誉めたものな。
 実際にはそう計参することによって、自分の作りたいものも作れるようになるのだから。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリー・フェイク』22巻。
 オタクアミーゴス会議室でも話題になった、アニメの表現をアートに取り入れた某人物をモデルにして、「パクリ屋」と断言した「カリスマ真贋」を収録。
 ああ、それだけで面白い。
 筋立てはなんだか短調で要領をえなかったけどね。


 DVD『刑事コロンボ 構想の死角』。
 スティーブン・スピルバーグ監督と言うことでやたら有名だけれど、新人時代のものであるせいか、切り返しのカットがやたらヘタクソ。
 普通のショットとガラス越しのショットを交互に繋ぐバカがどこにいる。
 ストーリーも最後が性急で、コロンボシリーズの中ではまあまあといった出来だと思うけどね。



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