無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月07日(日) 叶わぬ願い/DVD『風のように雲のように』/『映画欠席裁判』(町山智浩&柳下毅一郎)ほか

 ああ、七夕だな。そう言えば。
 先日、職場に笹が飾ってあったので(去年もあったが、よくそんなことやってるよな、ウチの職場も)、一応私も短冊を下げた。
 去年はたしか「妻が家事をしてくれるようになりますように」。
 もちろん願いは叶ってない。牛引き男も機織り女も、一年に一度のラブアフェアに熱中していたらしく、一顧だにしてくれなかった。考えてみりゃよう、神様でも何でもない、たかが天界の下僕に願ったってどうなるもんでもないわな(何をそこまで恨んでいるのだ、私)。
 今年の願いは、「妻がナイスバデーのセクシーダイナマイツになりますように」(^o^)。
 去年より遥かに望み薄だが、まあいいや、どうせオレ、人生投げてるし。


 昼まで寝て、ゆったりとDVD鑑賞。
 まずは懐かしのアニメ、『風のように雲のように』。
 うひゃは、これも1990年の制作って、12年も前かよ。荒淫……いやいや、光陰矢のごとし(c.筒井康隆)。
 第1回ファンタジーノベル大賞を受賞した酒見賢一の『後宮小説』のアニメ化なんだけれど、当時はいろんな意味で話題になったものだ。
 多分ね〜、主催者の読売とか三井はね〜、「ファンタジー」って語感からよ、お子サマ向けのぽわぽわ〜っとしたふわふわ〜っとした投稿があるだろう、それをアニメ化してよい子の善導をとかなんとかアホなこと考えてたんだよ。
 でも審査委員に荒俣宏選んでる段階でもう大間違いっつーか、無知だよ(^o^)。そりゃ、世の中にはさ、ぱよぱよ〜って感じのファンタジーもあるけどよ、ほとんどは「幻想小説」なんであって「悪夢」を描いたモノがほとんどだぜ? 企業のトップにいる連中が、基本的に芸術とか文化的教養の皆無なバカってことがハッキリわかるよな。
 で、受賞したのが『後宮小説』だ。
 読んだ人はわかると思うが、中国(?)皇帝のヨメさがしの話である。ヨメったって、皇帝のことだから何千人単位な。国中の適齢期の女集めまくって、みんなを妃としてふさわしい女に教育する。中には閨房術の指南まであるのだ。
 さあ、これをどうやったら「子供向けアニメ」にできるのか。
 ……って、できるわけないじゃん(^_^;)。
 というわけで、結局とんでもないアニメができちゃったのである。
 さすがに原作の露骨な描写は相当カットされた。しかし、ストーリーそのものを全て改変することはできない。後宮の女を目指して、反乱軍が「女〜!」と叫んで突進して行くシーンなどはしっかり残ってるし、何より、クライマックスでヒロインの銀河が、今まで「子供だから」と言って彼女を抱こうとしなかった皇帝にすがりついて、「もう子供じゃない……!」と泣き崩れ、そのまま契りを結ぶ描写、さりげなくではあるけれど映像にしているんである。いや、これはどうしたって外せねえやな。
 何がマズイって、主催者が予め用意していたキャラクターデザイナーが、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』などの近藤勝也。あの丸っこくてか〜い〜キャラですがな。これじゃどうしたってマジもんのロリコンアニメになっちゃうよねえ(^_^;)。まあ、あれっスね、「サツキやキキとヤリてえ!」ってヘンタイなヒトにはすっごく萌え萌え〜! なアニメになったんとちゃいますやろか。
 あ、脚本は宮崎駿の兄さんの宮崎晃だ。兄弟そろってロリコンアニメばかり作ってやがるなあ(^o^)。


 DVD『必殺必中仕事屋稼業』上巻。
 必殺シリーズ第5弾、名作の誉れも高い全26話のうち、14話までを収録。
 当然一気に見切れるものでもないので、今日は第1話、第2話を見る。
 ああ、1話はいいなあ。よく『必殺』シリーズは時代劇のワクを越えたところに面白味があると言われてるけれど、ちゃんと時代劇の描写してくれてるよ。賭場で政吉役の林隆三が、知らぬ顔の半兵衛の緒形拳に向かって啖呵を切るあたりのセリフがいい。
 「上潮の木っ端だい、あっちへふらふらこっちへふらふら」
 「冗談ぽっくり日和下駄、滑って転んでぺったんこだい」
 「見上げたもんだよ屋根屋の褌」
 「上潮の木っ端」ってのは知らなかったな。こういう江戸弁が混じると、いかにも「らしく」なる、というより、こういうのがなくてどうするかってなもんでね。
 1話はねえ、ほんとにちょっとした言葉の端々、半兵衛が利助の岡本信人を怒鳴る「奴(やっこ)!」って言い方にまで気が配られてていいんだよねえ。なのに、2話になるといきなり「積極的」なんてセリフが出て来て一気に興醒め。
 脚本の出来も、1話が人物描写、構成ともに凝っているのに対し、2話はややおざなり。これ、1話の下飯坂菊馬と2話の村尾昭の素養の差だろうね。
 後にはもう何人いるんだかってくらい増え続ける仕事人に対し、この『必中』は、半兵衛と政吉の二人だけ。これはシリーズ第一作、『必殺仕掛人』が梅安と西村左内の二人だけだったことへの原典回帰だろう。第一作と同じ緒形拳をキャスティングすることで、シンプルに、人物描写に深みを与えるための措置だと思われる。
 それでも1時間は短い。
 特に殺し屋としての技術を磨いていたわけではない半兵衛と政吉が仕事人になっていく過程、葛藤が余りに少ない。いくら「晴らせぬ恨みを晴らしてほしい」というおせいの草笛光子の説得に共感を覚えたとしても、義理も縁もない相手頼みを引き受けるには、なんとしても根拠が弱い。一度断るくらいの描写は必要だったろう。できれば二時間くらいのスペシャルでじっくりと見たかったものだ。
 定番になってて今更文句つけたってしかたない感じになってるけど、平尾昌晃の音楽、ちょっと軽過ぎないか。


 4時すぎ、夕飯に「肉のさかい」まで出かけるが、5時から開店、ということでまだ閉まっている。もう30分ほど待つことも考えたが、しげが早めに帰って、仕事までの間に少しでも寝ておきたいというので、「浜勝」に回る。
 味噌カツ定食にとろろと角煮つき。カツには予めタレがかかっているので、自分でゴマダレを作れなかった。あのゴマを擦るのが楽しいのになあ、ちょっと失敗したなあ。
 しげはヒレかつ定食なので、ゴマを擦ろうと思えば擦れるのだが、なぜかいつもタレにゴマを入れることを絶対にしない。辛いもの嫌いなくせに、どうしてゴマを入れて味を和らげることをしないのが不思議なんだが、舌や口蓋にゴマがペトペトつくのが嫌いらしい(だから海苔も嫌い)。食べ方にいちいち妙な順位をつけてるよな。
 本屋を回るころからしげが「眠い」を連発し始める。
 しかたなく、マルショクで買い物をして帰る。


 町山智浩&柳下毅一郎『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社・1575円)。
 批評書の批評をするのも屋上屋を重ねる感じだけれども、漫才形式でふざけてるように見えて、ちゃんと批評になってるからいいよ、これ。しげは「語り口が気に入らない」みたいなこと言って文句つけてるけど、しげは庶民ぶってるけどスノビズムに毒されてるところがあるから、こういう俗に徹した批評には嫌悪感示しちゃうんだろう。
 もちろん、この著者の二人だって自分の知識ひけらかしちゃいるから「サロンのバカ」だと言えはするのだが、そのことを自覚した上でボケとツッコミに役割分担して語ってるんだから、これはこれで立派な芸だ。映画語るのにどうしたって背景となる知識に触れないわけはいかないし、そもそもお堅い映画批評からの開放がこの本の目的としてあるんだから、その目的自体に文句つけたってしようがないやな。
 要は中身だ。語り口は導入に過ぎない。批評自体が的を射ているかどうかを読まなきゃな。
 オビにいきなり「『千と千尋の神隠し』が国民的大ヒットだって? 10歳の少女がソープで働く話だぞ!」には笑ったが、言われてみりゃ、その通り。湯婆婆のキャラ設定に遣手婆が入ってるのは否定のしようもないものな。
 映画を見るのは所詮主観の問題だし、大なり小なり誤読は常に生ずる。しかし、例えば『千と千尋』を見た100人の人間が全員、「感動の傑作」と呼んだとしたら、そりゃいくら何でもちゃうやろ、という意見が出てこなければおかしい。ましてや、柳下さんが指摘している通り、宮崎監督自身が「風俗産業の話」と語っているのである。だったら、それに基づいていない批評は全てクズだと言うことにはならんか? あれを見た日本国民の9割が清らかな感動を覚えたとすれば、スタージョンの法則はまさしくここでも合致していると言えるのである。
 で、映画の作り手や批評家は残り1割の側にいないと、マシなモノは作れないんだよね〜。
 ここで語られてる映画批評の全部に触れることはできないので(私が見てない映画も多いし)、ヒトコトだけ。
 映画を見て、それで感動して、けれど他人がその映画を貶しているのを聞いて傷つくような脆弱なメンタリティしか持ち得ない御仁はこの本は読まない方がよろしい、っつーか、人前に出て来ずに引きこもってろ。映画は全ての人間に開かれているのであって、アンタのためだけにあるのではないのだよ。

2001年07月07日(土) オタクな××話/『こんな料理に男はまいる。』(大竹まこと)ほか



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