無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年02月13日(日) 吾妻ひでお復活!/『魔法戦隊マジレンジャー』第1話ほか

 昨日の日記で、「全シリーズを丹念に買ってたのが『いただきストリート』だった」と書いたら、しげから「『アイドル雀士スーチーパイ』はどうした?」とツッコミがありました。そう言や、結構シリーズ買ってたなあ。
 かないみかさんのとっても楽しい声を聞きながら、そうかあ、かないさんは旦那さんの山寺宏一さんと……と想像を逞しくされた声優ファンもいっぱいいたろうと思われる(嘘)。
 まあこれもヒマツブシにはいいんだけど、私、脱がしゲーは萎えるんで。いや脱がせたら脱がせたで一応ちゃんとスクロールして見はするけどさ。


 『魔法戦隊マジレンジャー』第1話「旅立ちの朝 〜マージ・マジ・マジーロ〜」。
 ……タイトル書き写しながらも脱力感が漂っちゃうんだけれども、もう戦隊シリーズつて、タイトルも内容も何てもありっつーか、節操なくなってるよなあ。原作が実は『ゴレンジャーごっこ』だと言われても納得しちゃうぞ。いやまあそれは今に始まったことじゃないんだけれども。
 ともかく今回のキーワードは「魔法」である。またロートルが何を言うとるかと若い人の顰蹙買うかもしれないが、「魔法じゃSFじゃないじゃん」。少なくとも、これまでの特撮番組は、『5年3組魔法組』みたいなまんま魔法ものを除けば、「魔法」的なものが出てきても、何かそれらしいリクツをつけて“SFっぽく”してはいたのである。いや、別に戦隊ものがSFである必要は全くないのだが、SFに拘っちゃいないんだなということが実感されてしまうとなんかまた一つ、心の中に大切に仕舞っていた大切なものが、カタッと音を立てて外されてしまったような、そういう寂しさを覚えるのよ。魔法の変身アイテムが携帯(“マージフォン”だと)って、『プリキュア』じゃん(+_+)。
 でもまあ、そもそも戦隊シリーズに何かを期待しているわけではないから、主人公・魁(マジレッド)がいきなり鉄塔によじ登って子供が飛ばした風船を取ってあげようとしていても、「ワザトラシイつかみだ」なんて思わない。実は魔法使いだったお母さん、「あんなムチャをする子に本当の勇気は分からない」とか言って、魁一人だけに携帯を渡さなかったくせに、他の四兄弟が危難に陥ったところに魁が「何の用意もなく」飛び出していったら突然掌を返して「それこそ勇気よ!」って言って携帯を魔法で転送するってのは矛盾してるんじゃないのかなあ、なんて思わない。ええ、思いませんとも。
 若手五人の芝居はもう毎回アレなんだけれど、一家のお母さん役の渡辺梓さん、随分芝居がしっかりしてる人だなあ、と思って調べてみたら、無名塾の人だった(仲代達矢さんとこね)。まあ当たり前だが、正義側ではマジマザーがイチバンカッコイイのである。

 『仮面ライダー響鬼』三之巻 「落ちる声」。
 一乃巻に続いて、またもやオープニングは「通学サイクリングミュージカル風」だけれど、メロディーが『かえるのうた』(つか原曲はドイツの民謡)で、それを「き、き、き、き、きききききききき、きたえよう」とか替え歌にしているから、1話よりずっとお間抜けな雰囲気になっている。もともとヒビキがこの歌を1話からずっと口ずさんでいるから、それがヒビキに憧れる明日夢にも移った、ってことなのだろう。空に浮かんでいる雲までがカエルの形なのがおかしい。
 どうやらこのミュージカル風演出、今後も定着するようだ。第1話を見たときには「なんだこのお寒い出だしは」とちょっと憤っちゃったのだが、あくまで「お間抜け」路線で行くというのならこれもアリか。明日夢くんの歌う歌がヘタクソなのはもうちょっとなんとかしてほしい。ああいう演出は「歌だけは上手くないと映えない」ものなのである。
 ヒビキ役の細川茂樹の飄々としたオジサンぶりが何となく金田一耕助っぽくて、演出の悪ノリな部分がそう気にならなくなった。明日夢がショックで試験に落ちるかもしれない、と言われて、慌てふためく様子もかわいい。『アギト』のころ、劇中でやたらつまらないダジャレを飛ばしてたのは腹が立ってたものだったが。
 ただ、展開がギャグっぽくなっている分、敵の妖怪との対決が逆に取ってつけたようになってる印象はある。今回の敵はヤマビコ。でも外見は赤面猿といった感じ。前回もオスメス型の妖怪(「怪童子」と「妖姫」と言うのだそうな)と巨大蜘蛛が出てきたから、最後に出て来たデカイのが「巨大ヤマビコ」になるのかな?


 で、あと一日何をしていたかというと、昨日に引き続き、『いたスト』やってました(^_^;)。
 だからゲームは魔窟なんである。


 読んだマンガの感想を最近なかなか書けないが、これだけは絶対書いとく。
 と言っても、旧作の再版が殆どの吾妻ひでお作『オリンポスのポロン』1、2巻。これが「ハヤカワ文庫」から出版されていることの意味も、今の若い人にはわかんなくなってるんだろう。……あのね、ここだけの話ですが実は吾妻ひでおって、「えすえふ」なんですよ。
 『おちゃめ神物語コロコロポロン』と改題されて1982年にテレビアニメにもなったから、20代の人は知らなくても、まあ30代以上の人ならば覚えている人もいるとは思う。ギリシャ神話をベースにして、半人前の女神ポロン(太陽神アポロンの娘)が、一人前の女神になるべく頑張るという、いかにも少女マンガ的な物語だが、実は吾妻ひでおのマンガの中でも、最もロリ度が高い。ロリコンブームの中でこれが吾妻まんがアニメ化の第1号に選ばれたのもそれが理由だろうが、残念ながらスタッフがヘボヘボで、ポロンが全然可愛くなかった(二作目の『ななこSOS』はちょっとマシになった)。今回描き下ろしの「あとがきまんが」を読むと、当時の監督、まるでやる気がなかったらしい。『J9』の監督もやってて、それなりに人気はあった人なんだけれどもねえ。
 今でも私は「こーわくない、でもこっわっいー、はーずかしいー、でもうっれっしー♪」って『ポロン』の主題歌が歌える。でも実はそのころ大学生だった私の下宿にはテレビがなくて、実家に帰ったときくらいしか『ポロン』は見たことなかった。じゃあ、なぜ主題歌が歌えるかというと、吾妻ひでおのファンだった某友人が、学内だろうと道端だろうと、人目も憚らずに口ずさんでいたので、横で聞いてて自然に覚えてしまったのである。私のことをロリだと勘違いする人がいるが(女房と結婚したとき、向こうが18歳だったから誤解を招いたのだ)、ロリ度においてはその友人の方がはるかに上だった。だって俺、吾妻ひでおはともかく、内山亜紀までは集めてなかったもん。これだからオタクはよう。
 本当は吾妻ひでおの世界は更に幅広く、最先端のSFをまんがの形でコアなファンの間にも浸透させていった。『やけくそ天使』『贋作ひでお八犬伝』『不条理日記』『スクラップ学園』『陽射し』『メチル・メタフィジーク』などなど……。
 つまりそれくらい「吾妻ひでお」は80年代の「SFファンの(およびロリコン)のカリスマ」的な存在だったわけであるが、まあ、この『ポロン』がヒットしなかったのは痛かった。多分、みんな次の「吾妻アニメ」に期待したファンはたくさんいたと思うが(特に『スクラップ学園』は誰もがアニメ化されると固く信じていた)、『ポロン』と『ななこ』の二作で、吾妻アニメはその歴史を閉じてしまったのである。
 今、原作マンガを読み返してみると、パロディでありながら、『ポロン』は意外にも原典であるギリシャ神話にかなり忠実である(オリジナルキャラであるポロンですらパエトーンをモデルにしていることを今回あとがきまんがで吾妻さんは明かした)。ペルセウスと結ばれるのがアンドロメダではなくメドゥーサだったりするという改変はあるが、それは吾妻さんが蛇女に変身させられたメドゥーサを哀れんでいるからだろう。ブラックなギャグの背景にある吾妻さんの優しさがこのあたりにも垣間見える(だって、メドゥーサのキャラ、まんま当時吾妻さんがファンだったアグネス・チャンなんだもの)。そういう発見も今読むと新鮮だ。
 2巻の解説で、山本直樹さんがこう書いている。
 「現在の日本のマンガの半分は手塚治虫が作ったものです。あとの半分はつげ義春が作ったものです。で、その二つを一番最初に融合させたのが吾妻ひでおだったと思うのです。」
 山本さん自身、「暴論」と称するこの意見。私も賛成したいと思うのである。
 あ、それからあとがきで、エロースのモデルになったアシスタントの「K君」というのは、マンガ家の沖由佳雄のことだけど、この人もすごいロリな絵を描いてて今でも同人誌は出してるみたいだけど、商業誌ではあまり見かけなくなった。この人も私は好きで『プチ・アップルパイ』とか、この人のまんがが目当てでずっと購読してた時期があったのだが、誰か消息知ってる人はいませんか(やっぱり私もロリか)。

2004年02月13日(金) 入院日記12/退院決定!
2003年02月13日(木) 絆創膏綺譚/『逆説の日本史7 中世王権編』(井沢元彦)/『魔法使いさんおしずかに!』1・2巻(竹本泉)ほか
2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか
2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか


2005年02月12日(土) 死んでもゲーム/舞台『BIGGER BIZ 〜絶体絶命!結城死す?〜』

 『ウルトラマンネクサス』、もう19話まで行っちゃってんだなあ。
 カメラマンさんが怪獣(ビーストなんて言いたかねえよ)に踏んづけられて死んじゃったれど、別にジラースへのオマージュじゃないよなあ(^o^)。前作『コスモス』がなんだか「憎むな殺すな許しましょう」みたいな甘ったるいお話しで顰蹙買った反動か、どんどん辛気くさい話になってるけど、妙にシリアスなストーリーに影響を与えたと思しい平成仮面ライダーシリーズが、新番の『響鬼』ではかなりおふざけな色合いを前面に押し出していることを考えると、せっかく復活した新生ウルトラシリーズ、何となく当てた褌を外されちゃった感がなくもない。
 そう言えば、劇場版『ULTRAMAN』のラストで、『ULTRAMAN2』の予告が流れたけれども、これが今度阪神大震災10周年祈念に合わせて作られるっていう次回作のことなのかね?


 昼から天神西鉄ホールで舞台『BIGGER BIZ 〜絶体絶命!結城死す?〜』。
 後藤ひろひと脚本、G2演出による『BIG BIZ 〜宮原木材危機一髪!〜』に続くシリーズ第2弾。1作目を見ていないので、話についていけるかどうか心配していたが、殆ど杞憂。何しろ松尾貴史(未だにキッチュと呼びたくなる)が出てきただけで舞台空間がいきなり「いかがわしく」なってしまうのだから、これまでの背景などの説明は一切無用と言ってもいい。そこにいるだけで他人の神経を逆撫でし、事態を紛糾させ、破壊と混乱を呼ぶトリックスターを造形することは日本的なしっとりした風土の中ではなかなかに難しいことなのだが(『寅さん』だって、人情に流れないと話が成立しない)、舞台をシンガポールという怪しさ満載のトチに設定したおかげか、シメっぽい要素はカケラもない。よくもまあこういう純粋にピカレスクなシチュエーションコメディが作られたものだと感心する。三谷幸喜が失速気味な今、舞台でのコメディはこの二人のコンビが一番旬じゃなかろうか。

 かつて電話一本で幽霊会社を設立して100億円を稼ぎ出した「ドリームチーム」の面々は、今はバラバラになってそれぞれの生活を送っていた。
 「結城ビッグ・ビズ・エンタープライズ」の社長に収まっていた結城(粟根まこと〈声のみ出演〉)は、新入社員・加賀(坂田聡)を連れて、ミラノの大富豪デルベッキオの代理人・川島(三上市朗)との取引契約のためにシンガポールのある古ホテルの一室にやってきていた。偶然にもそのホテルのオーナーはかつて「ドリームチーム」の一員だった絵描きの神崎(後藤ひろひと)。さらに商店街の懸賞に当たったという結城の天敵・いい加減男の健三(松尾貴史)もホテルにやってきていた。かつて健三に散々翻弄された結城は彼に出会った途端に発作を起こし、気絶してしまう。大パニックに陥った加賀は、健三と相談して何とか事態を収拾しようとするのだが……。気弱で押し出しの効かないマニラ支店長・青木木太郎(八十田勇一)は勘違いの連続で更なるトラブルをまきおこし、天才ハッカーの皿袋(松永玲子)はインターポールに追われていたのがなぜか仲間の危機を察知して駆けつけてくる。しかし実はこの契約のウラには、とんでもない陰謀が隠されていたのだった!

 実直で融通が利かない新入社員を演じる坂田聡が、トリックスターである松尾貴史や松永玲子によってどんどん狂気の世界に引きずりこまれていく過程は、まさしくマルクス兄弟以来のナンセンスコメディの醍醐味である。個性的なキャラクターが交錯しドラマを盛り上げていくアンサンブルの具合は実に見事だが、その中でもやはり光っているのは松尾貴史の狂いっぷりだ。ジンバブエ歌劇団の衣裳を次から次へと取り替えて、悪魔、法王、アラブのテロリストと千変万化、更には声色を駆使して詐欺を働いていく様は、ゾクゾクするほどの快感。シナトラ狂いの後藤ひろひととトム・ジョーンズ狂いの三上市朗の「どっちが上か」対決も無意味で可笑しい。
 そうそう、この芝居、コン・ゲームドラマとしても実に周到に出来ているのである。だもんでトリックとかそういうのを詳しくはバラすわけにはいかないのだが、DVDが発売される予定なので、ご興味のある方は御購入してみていただきたい。通販しかないとは思うけど。


 帰りに「ベスト電器」でしげがエコ缶さんの舞台で使うかもしれないというインカムを物色。どれも高い。しげが品を見ている間、こちらはヒマなのでゲームコーナーなどを見る。新撰組のゲームが出ていたが、キャラデザインが和月伸宏さんなのに、映像はCGで似ても似つかない。こんなんデザインしてもらって意味あるんかいな。マンガのキャラクターのままでなぜいけないのか。3Dじゃないと動かしにくいってんなら、キャラデザインをマンガ家に依頼しなきゃいいと思うんだがねえ。

 いったん帰宅して、しげの作ったチョコレートを持って父の店に行って手渡す。
 挨拶もそこそこに、「ヤマダ電器」に回って、DVD−RWと『ドラゴンクエスト&ファイナルファンタジー いただきストリートSPECIAL』を購入。こないだからしげが「買って買って」とうるさかったので根負けしたのである。
 私はゲームの類は殆どやらない。格ゲーやRPGにはもともと興味がなかったので、ドラクエもFFもどれがどのキャラだか全然分からない。アドベンチャーや落としゲー、ボードゲームは昔、ちょっとだけやった。ちょっとというのは『同級生』『to heart』といったシリーズくらいで、これも『センチメンタル・グラフィティ』に腹立てたのが原因でやめた。
 そんな中で全シリーズを丹念に買ってたのが『いただきストリート』だったのだが、これがまあ、クリアーするのにやたら時間がかかるのである。要するに人生ゲーム+モノポリーみたいな双六ゲームなのだが、隠しキャラを探し出すためにトーナメントを全て勝ち進んでいかなければならない。これがまた、1週間や2週間じゃ利かないのである。その間、本は読めない、目は疲れる、頭痛はする、それだけ努力しても何か人生に益するところがあるわけではない、全く時間の浪費以外のナニモノでもないのだが、その「時間の浪費」くらい楽しいことはないのである。だからと言って、「時間の浪費こそ人生の贅沢」とか詭弁を弄するつもりはない。単に馬鹿なだけだ。
 でまあ、買って、早速しげとゲームをやり始めたはいいのだが、これがもう予想通り、全然中断できない。しげは睡眠薬を飲んでいるので、目はしょっちゅう閉じてアタマは舟を濃いでいるのだが、それでもコントローラーから指だけは離れないのである。時々目が白目を剥いていて口は半開きなのに指だけは動いているので気色悪いのである。で、気がついたら朝の6時である。私も頭痛で目の奥が痛い。
 ……だから本当はもうゲームから卒業したかったんだよなあ。若いうちはいいけどよ、40過ぎてゲームなんかにハマッてるとカラダ壊すだけなんだって。でも一度ハマッた経験のあるやつはなかなか足抜けできないものなんだろう。私は酒もタバコもやらんが、ゲームで死んだ、なんてことにでもなったら泣くに泣けんが、冗談じゃなくそうなる可能性があるような気がする。
 「藤原敬之は死んでもコントローラーを離しませんでした」って、教科書に載る……わけねえって(+_+)。


 夜、11時より2時間ほどチャット。前回に引き続き、新設したJavaチャットである。
 参加者は、しげと私に、鍋屋さん、あやめさん、初参加のぴの。さん。
 話題は次回のオフ会についてなど。今月26、27日に上京する予定なのだが、未だに参加人数と場所が確定しない。以前参加された方の何人かにも連絡を取りたいのだが、いかんせん、こないだしげが私のパソコンのデータをいじくって間違ってメールのデータを全部消してしまったのである。そういうわけで、こちらから連絡が取れない状況にあるのだが、初参加の方でも私の馬鹿ヅラを拝んでみたいと仰る奇特な方がおられましたら、メールを下さいませ。
 回線が混雑しているせいか、みなさんやたらと飛ばされる。自分で探してきただけに、Javaチャットが不評で、しげはちょっと腐っていたが、ログが殆ど残らないのはかえってキラクに喋れる分、いいんじゃなかろうか。

2004年02月12日(木) 入院日記11/存在の耐えられないデカさ
2003年02月12日(水) ラブラブブラブラ/『逆説の日本史6 中世神風編』(井沢元彦)/『バロム・1』1巻(さいとう・たかを)ほか
2002年02月12日(火) 気がついたらマヨラー(笑)/『ブギーポップ・アンバランス ホーリィ&ゴースト』(上遠野浩平)/『大秘密』(W・パウンドストーン)
2001年02月12日(月) 来年の『ゴジラ』はあるのか/『アニメージュ』『ニュータイプ』3月号


2005年02月11日(金) 狂っても人生/映画『新暗行御史』

 朝のニュースで、開成中、桜蔭中の合格発表の模様を中継。
 そのへんでハナ垂らしてるガキンチョとはまるでオツムの出来が違ってそうなキリリとしたお顔だちのお子サマたちが「やった〜!」なんて満面の笑みで叫んでるんだけれども、一番喜んでるのは塾だの家庭教師だので既に湯水のごとく投資している親御さんなのであろう(^o^)。お父さんが涙まで流してるの見てると、全く親って辛いよなあと思う。
 翻って私自身も親に大学まで出してもらったわけだが、しょっちゅう言われていたのは「一人っ子だからこそ大学までやれた。お前に兄弟がいたら大学まではやれなかった」である。大学でバイトして奨学金をもらっていても、物価の高い東京では、学資生活費の大半を親に頼らなければならない。ゼミの教授には「大学院まで行かないか」と勧められてはいたのだけれども、当時の親の経済状況がそれを許さなかった。と言っても実家自体が貧乏だったということではなく、何度か日記にも書いてきた親戚どもに金をたかられまくっていたからである(だからその親戚が今更いけしゃあしゃあと借金を申しこみに来たところで、私が相手にするわきゃないのだ)。そんな状況であっても、大学まで出してもらったのだから、親には充分感謝をしているのだが、その半面、高校時代は家業の手伝いばかりさせられていて父には「うちで宿題なんかするな!」と怒鳴られて、受験時ですら勉強に専念させてくれなかったのは今でも恨みに思っている(おかげで宿題が間に合わずにしょっちゅう先生に叱られていた)。全く、教育熱心だったのかそうでなかったのか、よく分からない。要するに子供が自分より勉強ができることに劣等感を感じていたただの馬鹿だったのだ。テレビに映っている親御さんたちも充分馬鹿っぽいが、ウチの馬鹿親は子供の足を引っ張るばかりだったから、それよりゃよっぽどマシだよなあと思う。
 テレビに映っている子供たちの中に、「これからの進路は?」と聞かれて、「それは社会の“混沌”の中で自分で見つけていきます」とか答えていた子がいた。いかにも優等生的な様子で、こまっしゃくれた言葉遣いではあるのだが、こういう年頃は、覚えた言葉をともかく会話の中に使ってみたいものなのである。まだ世間ずれしていない証拠で、かえってかわいらしいくらいだ。ただ親は微笑ましく見守るばかりじゃなくて、もちっと言葉遣いに気をつけるように注意したほうがいいとは思う。
 コメンテーターは「荒れる子供たち」を想定しているのか、「こういう勉強に専念する子供たちもいないといけませんね」とか言ってたのだが、舌の根も乾かぬうちに「塾に通えるのは一部の子供だけで、今のゆとり教育は貧乏な子供たちの学習の場を奪っています」と言って批判したのにはガクッときた。不況不況とは言うものの、そこまで貧乏なうちが今の日本にどれだけいるというのだろうか。1パーセントもいないんじゃないか。
 学力に格差ができて何が悪いのだろう。有名進学校に合格した子供たちは、まさにその「ゆとり」の時間を有効に使って学力を伸ばしたのである。今「ゆとり教育」に文句をつけてる連中は、みんな土曜日曜は怠けて遊び呆けてたやつらや、その親たちだけではないのか。学校の授業というものはどうしても成績が真ん中あたりの子供を標準にせざるを得ないので、トップクラスの子供たちにとっては退屈なものでしかない。「分かりやすい授業」などというものは、そういう子供たちにとっては邪魔でしかないのだ。だから早い段階で勉強する子としない子に「格差」をつけて、する子には「ゆとり」の時間を使ってどんどん学力を伸ばしてもらう。才能のある子が周囲にムリヤリ合わせられて「出る食いは打たれる」状況になっているのを改善することが「ゆとり教育」の目的なので、落ちこぼれのために考えられた施策ではない(いや、落ちこぼれだって、時間を有効に使えば授業に追いつくことは可能なはずだ)。かけっこで横一列にゴールさせて誰も一番にしないような「悪平等」には文句をつけるくせに、自分たちの努力不足は棚にあげておいて、勉強での格差をなくせと文句を付けるというのは卑怯なだけではないか。今、自分たちが唱えている「ゆとり教育」反対の声が悪平等のそのものなのである。
 落ちこぼれて何が悪いか。落ちこぼれたからといって卑屈になり他人を羨むその精神自体が差別的ではないか。その人の人格を見ず、学力だけで内面を勝手に推し量っているくせに、それでどうして自分たちのほうが正しいなどと思いこめるのか。もしも自分が落ちこぼれなかったら、そいつらは決して「ゆとり教育」に反対はしないはずである。目を覚ませ。自分たちが馬鹿なのは誰のせいでもなく自分だけの責任だし、どうしてオレだけひどい目にあっているのだというのはただの被害妄想だ。「ああ、自分は馬鹿なのだな」と気がついたら無理に進学しないで自分の道を探し、さっさと働いたほうがよっぽど人間的には立派だろう。「進学しかない」という狭い判断が自分の人生の道も狭めてしまっているのである。
 「でも、せめて高校まで進学しないと就職口がない」とか文句垂れる馬鹿親もまだいるが、それこそ高卒以上しか採用しない「会社」に文句を付けるべきで、批判の矛先が学校や文科省にというのはお門違いも甚だしい。ゆとり教育はもう十年以上前から推進、段階的に実施されてきたもので、そのことはさんざっぱら告知されてきたにも関わらず、対応を怠ったのは企業や会社の方なのである。安上がりだからとか言って外国人の不法就労者を雇ってないで、さっさと中卒に門戸を開け。日本をダメにしてるのはそいつら中小企業だ。
 それなのに文科省では「ゆとり教育の見直し」とか言って、「内容の削減はともかく、授業時間の削減はよくなかった」とか言っている。これは全然逆で、授業時間の削減を行って内容を凝縮しなければならないのである。伸びる子はどんどん伸ばし、落ちこぼれる子は落ちこぼらせる。そうしなければ、日本の次代のリーダーは馬鹿どもに足を引っ張られるばかりだ。こんな腰砕けの姿勢じゃ、またぞろ愚民にいいように翻弄されるだけだぞ。いい加減、馬鹿はほっとけ。


 夜、シネテリエ天神までアニメ映画『新暗行御史』を見に行く。
 東京では昨年のうちに公開が終わっているのだが、福岡ではやっと今月になって公開、でもってモーニングとレイトの二回のみで一週間のみの限定公開。今日がもう最終日である。なんかもー、泣くに泣けんよ(+_;)。パンフレットを買ったら「単行本10巻12月発売予定!」とか書いてあるのな。とっくに買ってるって。
 長大な原作を1時間半のワクにはとても収められないので、原作の「新・春香伝」と「曼陀羅華」だけを抽出して映像化。そのアイデア自体は悪くないのだが、何と言っても原作の「序章」における「暗行御史」の初登場シーンの意外さ、鮮烈さにはまさに度肝を抜かれたので、これを映像化してくれなかったのはやや恨みに思う。もっとも、原作ファンはとっくに文秀(ムンス)の正体を知っているわけで、製作スタッフは序章を映像化しても今更だよなあ、と判断したのかもしれない。しかし、映画で初めて『信暗行御史』に出会ったという人もいるはずで、そういう人が改めて原作を読んだらかなり興を殺がれることになる。
 本郷みつる脚本は、春香(チュンヒャン)が山道(サンド=暗行御史の護衛)となっていく過程を描く形で二つのエピソードをうまくつなげており、その点でソツはないのだが、ストーリー展開の意外性などは失われていて面白味にも欠ける。いや、それ以前に原作を未読の人間にはかなり不親切な作りになっていて、聚慎が滅びた後、文秀がどうして旅をしているのか、彼がやたら呼吸器を使っているのはなぜなのか、あるいは柳義泰(ユイテ)が島民に外法を施すのはなぜなのか、物語を牽引するための説明が殆どなされない。原作を読んでいる私ですら、画面を右往左往するキャラたちをただ漫然と見せられるばかりで、いっこうに物語に惹き込まれなかったから、初見の方はなおのことだろう。本郷さん、『クレヨンしんちゃん』から身を引いて以降、今一つパッとしないのが寂しい。
 劇場公開ではなく、テレビシリーズだったらなあ、とも思うのだが、そうなると作画のクオリティを図れるかどうかも疑問なので、痛し痒しだ。
 いや、作画がいいと言っても、実際に「見れる」のは山道のアクションシーンくらいのもので、ほかは総じて平板なのである。原作の梁慶一の絵は日本のマンガキャラをかなり意識したものなので、アニメ向きかと思っていたのだが、それでもマンガとしては充分濃密だったのだろう。アニメキャラクターになった途端にその魅力が半減している。
 それでも昨日までに見た『オペラ座の怪人』や『きみに読む物語』よりはよっぽど面白いのである。日本映画はダメダメだという人は多いが(これは日韓合作だけど)、ダメ率で言えばハリウッド映画の方が圧倒的に数は多いので、何でもかんでもハリウッドが一番みたいなマスコミの流したエセ情報に洗脳されないでモノは見ていただきたいものだ。

2004年02月11日(水) 入院日記10/さらば関西人
2003年02月11日(火) 映画を見る以外に休日の過ごし方なんてあるんですか/映画『音楽』/『プーサン』/『エデンの海』/『日本一のホラ吹き男』
2002年02月11日(月) うまいぞもやしマヨネーズ/『ONE PIECE ワンピース』22巻(尾田栄一郎)
2001年02月11日(日) 水の中の失楽/アニメ『も〜っとおじゃ魔女どれみ』1・2話ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)