無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか

 さて、今日もマジメにお仕事お仕事。
 なのに仕事中、何度も落ちる。
 下手をしたら机に向かっただけで落ちる。
 別に寝不足じゃないしなあ。たっぷりとまではいかないが、最低でも6時間は寝てるのに、なぜなのだ。
 ……と思ってたら、ふと、理由に気がついた。
 ここんとこ、薬をマジメに飲んでいるのである。
 おかげで、あれだけ続いた下血もようやくなくなっているのだが、今度は薬の「副作用」が出たというわけだ。
 何しろ、ウトウトとして眠るってんじゃないからねえ。
 気がついたら寝ている。いや、寝てるんだから気付いてない(^_^;)。
 きっとアレだろうなあ、私が寝てる間に職場のみんな、「またこいつ寝てやがる」とか思ってるんだろうなあ……と思っていたのよ、また疑心暗鬼になっちゃってさ。
 そしたら、ふと、寝ている私の横で同僚の会話が。
 「……起こしましょうか、有久さん」
 「いや、具合が悪いんよ、そっとしといたげよう」
 仕事があるのに、私が寝ている間、その仕事は同僚がせねばならないというのに、気遣ってもらえるなんて!
 すぐに起きて仕事をせねばと思ったのだが、今度は涙が出てきて顔を上げられないのであった。
 あ、5分後には何もなかったかのように目覚めて仕事に戻りましたので、ご心配なく。ホラ、マジメでしょ?

 
 車で迎えに来てもらったしげに頼んで、職場の近所の本屋に寄ってもらう。
 買い損なってた今月の『アニメージュ』と『ニュータイプ』を購入するためである。
 「貧乏でもアニメ雑誌買うおカネはあるんやね」と、しょっちゅうしげからイヤミを言われてるのだが、今日はなぜか無言のまま。
 ついに諦めたか。いや、まずそんなことはありえないので、何かを企んでる可能性はある。これは注意せねば。……ってそれも疑心暗鬼かも。

 メシをどうするかでしげと口論。
 相変わらずつまんないことでケンカする夫婦だ。
 と言っても要するにしげが優柔不断で、「おいしいもの食べたいけどおカネが減るしぃ」とかいうアホな悩みに私が怒ってるだけである。
 うどん屋のマルちゃんに入って、おのおの注文をすると、全く偶然に同じメニューを注文してしまう。いか天うどん、コロッケのせ。
 我々夫婦は、果たして気が合ってるのか合ってないのか。
 そのまま注文するのもシャクなので、さらに追加でエビ天を頼む。
 けど結局そのエビ天も、二人で分けて食べるのであった。
 ……なんだかなあ。


 帰宅して、早速アニメ誌に目を通す。

 『アニメージュ』3月号。
 松本零士の語る「宇宙戦艦ヤマト復活」なんてのは、「おいおい、もうヤマトが成功するかどうかにアンタの情熱はジャマなだけだよ、次世代のアニメーターとかにまかせな」と言いたくなるが、松本節はもう留まるところを知らない。
 「今作は最新の科学的知見に基づいて描くつもりです。たとえば宇宙が一つでないことがわかっていますが」……って、パラレルワールドのこと?
 そう言えば、最近パラレルワールドの実在の可能性を示唆した論文が『ネイチャー』誌に発表されたとかなんとか聞いたことあるような気はするが、所詮は仮説だろ?
 「わかっています」ってなんで断言できるんだよ。それに、「パラレルワールド」の概念なんて最新の知識でもなんでもないぞ。
 ヤマトは新作でも迷走しそうである。
 ……でも私、やっぱり見に行っちゃうんだろうなあ、性懲りもなく。

 こないだこの日記に悪口を書いたばかりの(^o^)大森望氏のエッセイ、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』を容赦ないくらいにコキ降ろしている。
 東氏は、「90年代のオタクたちにとっての文化とは、『キャラ萌え』だけで、作家や作品は関係ない」って主張してるんだけど、大森氏にはそれが「どうして?」と疑問なんである。
 東氏の著作はまとまった形で読んだことはないので、明言はしにくいが、散見する文章から見ても、ちょっとトンデモがかってるように思える。なんつーかね、思いついたことをあまり検証しないでそのまんま口にしてる感じなんだよねえ。まあ、私の文章にもその傾向があるんでわかるんだが(^_^;)。
 ガンダムファンとエヴァファンの違いを、前者が「ガンダム世界を精査し充実させる」人たちだったのが、後者は「デザインや設定にばかり関心を集中させていた」人たちに変わって行った、と東氏は書いているらしい。
 まあ、そういう人たちも一部にはいるかもしれないが、それがそれぞれの世代の「代表例」のように、東氏が断定して書いていたとしたら、そりゃどうだろうか、と大森氏が疑問を持ったというのも理解できるのである。
 大森氏は「キャラ萌え」などは単に「作品評価軸の多様化・細分化」に過ぎないんじゃないかと喝破してるが、その方がすんなりすべての現象を説明できる。単純なことをコムズカシク説明して、いかにもアタマがいいように見せかけるというのはアタマが悪いことの証明なんである。
 評論家ってさあ、オリジナルな意見を吐いているようでいて、実はマスコミだの、自分の取巻きだのに迎合した付和雷同的意見を述べさせられてる例って多そうなんだけど、そのわかりやすい例じゃないのかな、東氏の場合は。

 庵野秀明監督の次回の「実写」映画、『流星課長』の製作、順調に進んでいるらしいことが伊藤伸平氏のマンガレポートで紹介されている。
 アニメ化でなく実写でって考えたのは、アニメにしたってしりあがり寿さんの絵じゃ「萌え」られないと考えたからだろうか(^o^)。
 けど主演が「松尾スズキ」ってのもイメージわかんが。
 「自動ドアのマリア」が「小日向しえ」って誰だ。ちゃんとケツはデカイのか。「ほほほほほほほ!」と笑ってくれるのか。興味はつきんが絶対ヒットはしないな。まあ、『エヴァ』の余韻はまだ続いているし、まだあと数年はペケ企画を立てても庵野さん、暮らしては行けるだろう。
 奥さんにも収入あることだし。
 ……そういや、どうして「安野モヨコ」だったのかなあ。
 やっぱり『フリクリ」で安野モヨコの絵柄パクったあたりから、実は既に関係が進んでいたのか。でも今までウワサのあったみやむーとかセガールのムスメよりも「オタク的」に思えて、なんか納得しちゃうんだよね。だって所詮、声優や俳優って、オタクに消費されるイメージの一つではあっても、オタクそのものじゃないもん。
 やっぱり実作者どうしってのがお互いを理解しあえていいかもね……って、だったらあさりよしとおの離婚はどうなるのだろう。片方が同人系っつーか「やおい」だとダメってことか(^_^;)。
 
 毎年恒例の「アニメグランプリ」のとじこみハガキ、もう十年くらい送ってないが(それまでは送ってたんかい)、今年は『オトナ帝国』があるのでちょっと迷っている。
 アニメファンったって、統一的な「ガンダム」ブーム、「エヴァ」ブームは過去のものだし、ファンのシュミはもう多様化しちゃってる。
 あるアニメのファンが、別のアニメファンを罵倒することなんか日常茶飯事だし、自分もアニオタのくせに、アニオタ男を毛嫌いするような簀巻きにして玄海灘にぶちこみたくなるようなクソ同人女も存在する。
 ……ハタチを半ばも過ぎてもアニメや特撮が好きなんて言ってるやつはよう、どう転んだってフツーのビジネスマンとかビジネスウーマン、爽やかで優しいスポーツマンとか、夫に尽くすヤマトナデシコなんかとの縁はできねえんだよ。いちいち相手を選んでんじゃねえや、ナニ様のつもりだ。……おっと、話が逸れた(^_^;)。
 どうせグランプリは『千と千尋の神隠し』、そうでなくても『最遊記』とか『フルーツバスケット』あたりになるんじゃないかって思うんで、一票投ずるのもアホらしいっちゃアホらしいが、「それでもやはり一票を投じてみたくなる」ファンがいるのかどうか、気になるのである。
 要するに、『アニメージュ』のファン層が今どのへんにあるのかがわかるんだよね。けれど、『オトナ帝国』1位が無理でも、せめてベストテンには入ってほしいし、『コメットさん☆』や『サイボーグ009』が上位に行かなかったら、こりゃ本気で「今のアニメファンって、何を見てるんだ?」と言いたくなるのだよ。ああ、この程度の薄いドラマで感動できてしまうくらい、自我がヨワイんだなあって、寂しくなっちゃうのよオジサンは。  
 
 『ニュータイプ』3月号。
 「金子修介の東京電影公司」が最終回。
 「監督・金子修介はヒットメーカーということになっているが意外にコケてる」とか自分で書いてるが意外でもなんでもないぞ。つーか中ヒットはあっても、興行収入30億行こうかなんて大ヒットは今回が始めてじゃないのか。
 だいたい、マトモな特撮ファンなら、今度のゴジラ、なぜ特技監督を立てなかったか、と言うこと、もっと文句を言ってもいいように思うんである。神谷誠は後に追いやられ金子修介、金子修介、金子修介。更に言えば、特撮B班監督を受け持った『メガゴジ』の手塚昌明監督、クレジットすらされてないぞ。これ、本人は納得してるのか。
 金子監督自身の演出能力は、やはりいろんな意味で穴がある。
 発想自体は面白いが、一つ外すともうヘタレ、画面構成能力とドラマを盛り上げる編集能力に欠けるってのが金子修介の昔から今に至るまでの変わらん特徴だ。いったい自称金子フリークってやつぁ、ちゃんと『1999年の夏休み』とか『咬みつきたい』とか『上海パラダイス』とか『卒業旅行』とか見てきてものを言ってるのか。
 今回の映画も、「そのカット割りは、シロウト同然の切り返しのミスはなんだ!」ってのが随所にあるぞ。ドラマがつながってないのになんでみんなそう感動できるんだか。やっぱり「今までのゴジラ映画があまりにひどすぎるので相対的によく見えてる」「併映のハム太郎に対する身びいきから誉めてる」特撮ファンの屈折した心理が映画の評価自体を捻じ曲げてるよなあ、という印象が強い。オタクの「巧みの眼」はどこに行ったんだよう。
 ……あ、何度も言うけど、それなりには面白かったんだからね。今度の『ゴジラ』。まあ、『ガメラ3』程度にはだけど。

 『鈴木伸一のアニメ街・ラーメン横町』、ついにあの幻のスタジオ・ゼロ製作『鉄腕アトム・ミドロが沼』がDVDBOXに収録されることが決まったそうな。
 知ってる人には有名なんで、書かんでもいいことなんだが、藤子不二雄(F・A)・石森章太郎・つのだじろう・鈴木伸一各氏の手になる珍品。鈴木氏も謙虚に「作品の出来映えはともかく」と仰ってるが、なあに、TVアニメ創世記の作品はどれも大同小異、視聴者が想像力を駆使して見なけりゃどれもこれも見られたものではない。
 それが復活するだけでも嬉しいのだから……だからもう、DVDBOXなんて買えないんだってば(T∇T)。

 久しぶりにグラビアに『超時空要塞マクロス』の飯島真理が登場。全く古いオタクはすぐこんなところに引っかかっちまう(^_^;)。
 PCゲーム版『ギャラクシーエンジェル』の主題曲を歌うための来日(知ってる人は多いと思うが、今はアメリカで活動してるんである)なんだそうな。
 ああ、でも小じわは増えてるが老けてねー! ぱっと見、四十過ぎに見えないよ。一時期『マクロス』の名前を嫌ってた時期もあったみたいだけれど、『マクロス』ファンに自分が支えられてきたという自覚を持って活動されてるということで、これは嬉しい。人間がホントに充実した活動が出来るのって、そういう経験を経た四十歳以降なんだよなあ。
 自戒。


 『目撃!ドキュン』、元ピンクレディーのミイのインタビューを放送、「解散の真実は!?」なんてCMが流れてたんで、かつてピンクレディーがウチの近所の野球場で『サウスポー』を歌いに来たとき自転車をかっ飛ばして見に行ったという恥ずかしい過去を待つ私としては見ないわけにはいかない。
 でもミーちゃん(四十過ぎの人に「ちゃん」づけもどうかと思うが)の回答が
「あんまり覚えてない」。
 なんじゃそりゃああああ!
 アメリカから帰国してたら、話題がなかったマスコミが勝手に解散説流してて、おかげで疲れ切ってた二人、解散を決意したんだそうな。
 ……マスコミの罪ってやっぱデカイよなあ。


 アニメ『ヒカルの碁』第十八局「アキラ対sai」。
 うーん、作画は安定してるんだけれど、音楽のつけ方がちょっとなあ。
 闇の中からsaiの手がすっと出てくるあたりの音楽がともかく派手。ここはもっと静かに、冷たく心に突き刺さってくるような演出をしてほしいんだけれど。
 けれど後半は音楽・作画ともに安定。
 監督がかみやさんに変わって着実にスキルアップしてるな。ええこっちゃ。
 「saiはヒカルかも!」とパソコンルームに飛び込んできたアキラの前でヒカルが見ていたネットの画面は、原作ではジャンプのホームページだったけれども、アニメではマンガのものに変更。
 これは将来版権がどこかに移っちゃったとき、放映できなくなることを恐れての措置かな?


 『ヒカ碁』を見たあと、疲れ切ってそのまま熟睡。
 おかげで『ウンナンのホントコ!』、24時間恋愛の結末を見損なったので、気になって(気にするなよ)目覚めたあとネットで検索してみると、女のほうが「男の人の気持ちが本当かどうか分らないから」という理由で100万円を選んだらしい。
 なんかネットじゃ女の不実に対して非難轟々だが、やっぱりヤラセだったんじゃないかね。仮にヤラセでなかったにしても、たかが24時間あっただけの、しかもテレビの企画で知り合った人間どうしに「愛」を求める視聴者の心理もどうかと思うが。
 予め「テレビのショー」として見ていただけのくせに、自分の思い通りの結末にならなかったからって何をいきりたってんだかね。
 いいじゃん、女が愛よりカネを選ぶのは『金色夜叉』以来の日本の伝統だってば。


 某マンガ家さんからメールが届く。
 詳しいことはその方に迷惑が掛かるかもしれないので書かないが(ああ、そこのあなた、勝手に誰のことか詮索しないように)、お元気そうだったので嬉しい。
 ちょっとびっくりしたのは、その方のHPを覗いてみて、そのマンガ家さんの知り合いの知り合いが私の知り合いであったことに気づいたことだ。
 そのことはマンガ家さんご本人にお伝えはしていないのだが、これって、いわゆる「ともだちの輪」ってヤツ? 人間、ホントにどこでどうつながってるかわからんもんだよなあ。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』24巻(小学館・530円)。
 急にコピーを多用するようになったなあ、細野さん。
 美術界の「ブラック・ジャック」(^^)、藤田玲司の活躍を描くこのマンガ、当然、その話の中に世界中のかつての名画が多数紹介されてきていたのだが、実際にある絵画でもこれまでは細野さん自身が模写することが多かった。
 それがコピーに切り替わったのだから、これって、「引用」として認められたってことなのかなと思う(いちいち転載許可もらってたら、カネがいくらあっても足らんはずだ)。
 だとしたら、これはめでたいことだ。
 世の中には、実作者のくせに、自分自身の作品を勝手に引用されたり、解釈されたりするのはイヤだなんて言い腐ってるおおバカヤロウがゴマンといるが、いったん自分の手を離れたからには、それは万人のものなのである。
 だいたい完全なオリジナル作品なんてこの世にゃあるまいが。作品の中に「神」を出したらみんな教会に著作権料を払わなきゃならないのかよ。
 批評も引用も、新たな作品を作るプロセスなのであって、明らかな「剽窃」「盗作」とは一線を画してるのだ。細野さんが名画を「引用」しているのは許容されて然るべきである。

 面白かったのは、7話「美神法廷」。
 アルブレヒト・デューラーの贋作を真作と偽って売った容疑で、裁判にかけられることになったフジタ。そして検察側の鑑定証人として呼ばれたのは旧知の三田村小夜子館長だった。
 日頃、フジタに対してライバル意識の強い彼女だけに、フジタに不利な鑑定をするのではないかとサラは心配するのだが……。

 絵画の「真贋論争」ってのはシロウトの私の関知する世界じゃないんだが、実際、何度かこのマンガでも扱われてきた話題ではあっても、その評価って結構揺らいでいた。たとえば「巌作が真作よりも優れていたら、どう評価するか?」とか。映画『国士無双』だあね。
 この話も実のところ「真贋判定」といった鑑定から言えば、三田村館長の下した判定は納得しがたい点はある。デューラーのモノグラム(イニシャルの組み合わせ)は明らかにニセモノ。しかし「絵」そのものはどうか?
 「ニセモノというにはこの絵には“品”がありすぎる」
 ……これ、マジメに考えたら根拠にはならんよなあ。
 でも、『何でも鑑定団』見てて、たまに思うことではあるが「これはニセモノ」と言われたものでも、実にイイ味出してる絵があったりするのだ。
 要は購入した者が「ホンモノ」と思って満足できりゃいいんじゃないのかね。投機目的で絵を売買してたようなかつての日本企業の腐れアタマどもの手から、「ホンモノ」の絵画がどんどん流出していることだけは、バブル崩壊のよい点だったのかもしれないね。

 あ、それとコトバの単純なミス。7話の最後の方で、フジタが「押しも押されぬ」と言ってるけれど、これは「押しも押されもせぬ」あるいは「押しも押されもしない」が正解。もちろん、「揺るぎもしない」という意味なんであって、「押しも押されぬ」なんて日本語としての意味すら通じてないよ。

2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)