無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年02月13日(木) 絆創膏綺譚/『逆説の日本史7 中世王権編』(井沢元彦)/『魔法使いさんおしずかに!』1・2巻(竹本泉)ほか

 NHK大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』に出演中の歌舞伎役者・市川新之助に隠し子がいたことが発覚。
 相手はTMネットワークの木根尚登プロデュースで、サッポロビール「夏の海岸物語」やP&G「ウィスパー・サイドガード」のCMにも出演していた元歌手の日置明子さんだって。全然知らないな。
 記者会見で新之助さんが正直に「僕の子供です」と認めてる様子がテレビに流れてたけど、あの額のバンソウコウはなんなんだ。そっちのほうが気になるぞ。。
 なにしろバンドエイドみたいにデカイものじゃなくて、随分小さいのである。ニキビだろうか。あんなに小さいんなら、別につけなくてもいいんじゃないかと思うが、小さくても赤黒くなってるとか、うっかり潰してポチになってるとか、ともかく地肌のままで人前に晒すことだけはは絶対にしたくない、という強力な意志があのバンソウコウには込められているのであろう。役者生命をあのバンソウコウに賭けているのである。凄いぞ歌舞伎界。
 でもすぐに剥がれ落ちそうだよな(^o^)。
 新之助さんの答弁が今一つ要領が悪かったのは、バンソウコウが取れやしないかと気をとられてたせいじゃないかと思うが、いかがですか。
 え? バンソウコウのことばかりでかくし子についてはどう思うかって?
 そんな、知り合いでもない他人の家に、ガキが何人いるかなんて、そんなことに貴方、興味持つんですか。


 CS日本映画専門チャンネルで安彦良和監督作品『クラッシャージョウ』を見る。
 公開当時、松竹映画始まって以来の前売り販売を記録したにも関わらず、いざフタを開けてみたら前売り買った人間しか劇場に足を運ばなかったというイワクつきの作品だ。
 これを見て、「高千穂遙は『SFの定義は……』とかウンチク傾けてるくせに、できたのはコレかよ」と文句をつけるファンもいたけれど、高千穂さんによれば『ジョウ』はSFでも「スペオペ」なんで、いい加減な部分があってもいいらしい。だからって、「琴座宙域」なんて言い方するなよな。宇宙に出れば星座はバラバラになることくらい、小学生でも知ってるぞ。
 高千穂さんのテキトーなところ、『ジョウ』についてはあまりうるさく言わないくせに、『ダーティペア』劇場版は「SFじゃない」と怒ってたりしてたんだよ。あれはスペオペじゃなくてハードSFだとでも言うつもりかね(^_^;)。
 でも悪態ついてもSFかどうかを抜きにしても、『クラッシャージョウ』はかなり、面白い。それは本作も含めて、『ジョウ』シリーズがSFであるとと同時にミステリとしての構造も持っているためで、「エレナ」の正体が明かされるのもかなり後半だし、当然マーフィーパイレーツの背後には「黒幕」がいるのである。ラストのジョウの黒幕への尋問は、さながら遠山の金さんか多羅尾伴内である(明智小五郎とか言ってやれよ)。
 主人公が事件に巻き込まれた後、探偵役を務めるようになるこの形式、読者や観客をぐいぐい引き付けるものだから、今ではライトノベルの多くが採用している。本格ミステリほどにはトリッキィな印象はないけれど、「謎」がマクガフィンになっていることは事実なのだ。『スレイヤーズ』の「すぺしゃる」もこのパターンを使うことが多いよね。

 それにしても、ライトノベルがこれだけ氾濫している現在の眼からは、高千穂遙の作品がどうして映画化にまで至ったのかピンと来ない向きもあろう。
 答えは簡単、「ほかにヤングアダルト向けの軽いSFがなかったから」。
 いやホント、80年代のスペオペって、高千穂遙の『ジョウ』『ダーティペア』に、野田昌宏大元帥の『銀河乞食軍団』くらいしかなかったんだよ。アチラには『キャプテン・フューチャー』や『レンズマン』シリーズのようなスペオペの伝統がちゃんとあるのに、日本人はなぜかスペオペだけは書いて来なかったからねえ。ジュブナイルでならその例もあったんだけれど、「オトナのおとぎ話」としてのスペオペは、やっぱり『スター・ウォーズ』ブームを待つしかなかったのだ。
 高千穂さんが『ジョウ』の新作を書かなくなって随分経つ。『ダーティペア』も『FLASH』になったかと思うとこれも中断した。性格は悪いが、高千穂さんの書くものは間違いなく面白いのだ。新装版も出してるんだし、このへんで新作書いてくれよう。頼むよ先輩(大学が同じなんである)。


 井沢元彦『逆説の日本史7 中世王権編』(小学館文庫・630円)。
 井沢さんの「言霊論」は、おおいに首肯できるのだが、何かにつけ「憲法を改正して、自衛隊を軍隊として認めよ」と主張するのはどうにも頂けない。
 それは別にエセサヨク的な絶対平和主義を主張したいからではなくて、井沢さんの「言霊論」に納得しているからである。
 「コトバ」が実体を規定するのが日本人の伝統であったのなら、「自衛隊」を「軍」にしちゃったら、自分から「戦争」始めちゃうでしょう。「軍」って、「いくさ」って意味だから。「いや、これからの日本は言霊に振りまわされてはいけない」、と井沢さんは言いたいのかもしれないけれど、千年以上も残って習俗化し、日本人の意識の底に染み付いてる感覚が消え去るわきゃないよ。
 「自衛隊」が「軍」になったら確実に暴走するね。侵略戦争起こして平気でいるよ。だって「軍」なんだもん。そうなったら井沢さん、責任取れるの?

 今巻は「足利幕府と南北朝」編。足利尊氏の安易な平和主義が、いかに戦争を拡大させていったか、という考証には説得力がある。だからと言って、それをストレートに現代に重ね合わせようとする姿勢もまた安易だとは思うが。
 「過去の歴史に学んで現代を見る」という行為を否定しはしないけれど、それは歴史研究家の姿勢じゃなくて、政治家の態度なんだよね。「その時代の感覚」はそう簡単に現代に流用できるわけではない。わずか10年、世代が違うだけで意志の疎通ができないことだってあるんだから。時代の分析をしてくれるのはいいけれど、「だから現代の政治は」みたいな語り方をするのは誤解を生じさせるよ。作者自身、「昔と今とでは常識が違う」と幾度となく主張しているくせに、どうしてこう自己矛盾を起こすのか。
 これまで省みられることの少なかった足利義教についてスポットライトを当てる視点はいいんだから、青島幸男と比較してどうのって言うのはやめようよ。青島幸男は確かに政治家なんだけれども、足利義教は「政治家」じゃないんだから。そんな言葉で呼ばれたことはないんだから、言霊信仰から言えば、あくまで義教は「将軍」なんである。


 永井豪原著作・セクシーファンタジー・ライティングスタッフ作『永井豪ショッキングエッチコレクション』(講談社・1050円)。
 説明はいらんな、タイトル通り、永井豪のマンガの中からエッチなシーンばかりを抜き出して、解説を加えたもの。
 例えば、SMシーンの解説に、「SMというと特殊な世界のようにとらえていることも多いかと思うが、人間は誰しも多かれ少なかれSとMの部分を持っているものだ」とか書いてあるけど、そんな解りきった駄文にページを費やすくらいなら、もっとエッチシーンを思いっきり収録してほしいものだ。特にカラーページが全くないのがなんとも残念。
 でもイラストだけにしちゃうと、原著作の権利が発生して、使用量がバカ高くなっちゃうんだろうなあ。文章がついてれば、「引用」ってことでタダだもんね。
 ともかくこの本は十兵衛の、菊ちゃんの、法印大子の、女蛮のママの、弁天ゆりの、けっこう仮面のエッチシーンを楽しめばそれでいいのだが、巻頭の永井豪インタビューで、「『ハレンチ学園』がなぜ叩かれたか」についての作者自身による分析は、マンガ表現を考える上では必読のものではなかろうか。
 永井豪は性を描いたから批判されたのではない。「学校」という権威をコケにしたから叩かれたのである。それを性の問題に捻じ曲げるというヒレツなことを当時の親たちは錦の御旗のようにして行った。
 おかげで未だに日本の学校はどこもかしこも実体のない「権威」だけで運営されている。少年犯罪の多発の主たる原因はマスコミの「煽り」だが、親や教育期間に原因があるとすれば、まさしくその権威主義にあると言えよう。で、集団が構成されれば、そこにはどうしたって「権威」が生まれてきてしまうものなのである。
 やっぱり学校制度廃止しようよ。教育はネットで自宅学習する形式にした方が(『21エモン』だね)ずっと社会はマシになるって。


 マンガ、竹本泉『魔法使いさんおしずかに!』1・2巻(完結/エンターブレイン/ビームコミックス・各998円)。
 幻の(^o^)竹本泉初期作品がカラーページ完全再録で復刊。
 タイトルはアラン・ドロン主演の映画『お嬢さん、お手やわらかに!』をモジったものか。『あおいちゃんパニック!』のすぐあとの連載で、しかも当初はアニメ化を前提としていたとか。
 な、な、な、なんでアニメにせなんだか! 凸(`0´)凸 ムッキー!
 何度も書いてるが、アニメ業界は竹本泉を無視しすぎだと思うんである。
 少なくとも『さよりなパラレル』と『ねこめ〜わく』は絶対アニメ化して歴史に残すべきだと思うがな。
 このときプレゼンで勝って見事アニメ化されたのはあの大島やすいちの『は〜いステップジュン』だそうな。そんなもう誰も覚えてないような(私ゃ単行本持ってるが)アニメ作るよりどうして竹本さんを……(T∇T) ウウウ……。

 クルーリーコーン村に引っ越して来た13歳の少女・スウと、イラストレーターの叔父さん・フレッド(当時はまだ「挿し絵画家」と言ってたのね)。無精者の叔父さんの世話をするのに飽きちゃったスウは、お隣りの美人、エリーと叔父さんを結婚させられないかと画策する。けれど叔父さんは、昔、何かツライことでもあったのか、美人が大嫌い。スウの作戦はいつも失敗してしまう。
 ところがあるときスウは偶然、エリーの秘密を知ってしまう。なんとエリーの正体は仙女だったのだ!
 しかも村にはどうやら悪い魔法使いが住んでるらしくて、動物がトンネル掘って銀行を襲おうとしたり、トロールを操って金銀財宝をせしめようとしたり、アヤシイ出来事が次から次へと起きる。エリーの協力で、スウは悪い魔法使いの正体を突き止めるのだが、それはなんと……。
 そんなこんなで大騒動に巻き込まれていくうちに、スウは帰国した両親(考古学者で世界中を飛び回っているのである)のもとに引き取られることに。楽しい仲間たちともお別れに!?

 初期作品だけに、ストーリー展開は途中であっちゃこっちゃふらついてる恨みはあるものの、竹本キャラのオリジンがあちこち顔を出しているのが楽しい。
 主役の働く元気少女・スウはもちろんのこと、エリーが仙女のくせにテレビの昼メロ好きって設定も「竹本キャラの美人はみんなどこかヘン」の基本に忠実。ってどんな基本なんだ。
 そしてこれが初登場だろうな、ワーリー教授こと、ピーター・カッシング!(似てないけど)善人なんだか悪人なんだか分らないキャラを毎回好演してるんだけれど、今回はどちらかというと映画『グレートレース』のフェイト教授(ジャック・レモン)みたいな役回り。ということは、助手のトゥローがピーター・フォークか(^o^)。マヌケでトンマでいいコンビなんだよ、この二人。
 絵柄が今と全く違っちゃってるので、描き下ろしのイラストはないけれど、なかがきとあとがきはいつも通りふんだん。竹本ファンならずとも、これは必読の一冊、いや二冊だよん。優しいお父さんはムスメさんの情操教育にどうぞ(^o^)。(2003.3.12)

2002年02月13日(水) たくさん書いてるけど半日は寝ている(^^)/『ギャラリーフェイク』24巻(細野不二彦)ほか
2001年02月13日(火) 明日寂しい思いをする人は読まないで下さい/『コロンブスの航海』(J.P.チェゼラーニ)ほか



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