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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2002年04月29日(月) --

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☆黄金週間、お休みのお知らせ。

この連休は、たまっている本を たくさん読む!という決意を胸に(ほんとう?)、 連休のあいだは、今日の本をお休みします。

再開は、5月7日の予定です。 休みが多い図書館ですが、どうぞこれからもお付き合いください。

ps.
マイエンピツに登録してくださってる皆さま、 応援ありがとうございます。

ps.ps.
そのうち、リンダ・ハワードの特集ウィークをしようと 計画しております。

お天気猫や

-- 2002年04月26日(金) --

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『ニーベルンゲンの歌』

作曲のみならず自ら作劇するワーグナーは 北ヨーロッパに残る英雄ジークフリートの物語の断片と ドイツ叙事詩の最高傑作『ニーベルンゲンの歌』の前半をもとに 神々と妖精と人間達の思惑の交差する ファンタジックでヒロイックな物語を世に残しました。

ところで、英雄と美しき異国の姫、 彼女を妻に望む王と妹姫に奸臣、 古来から語り継がれ、13世紀後半にアイスランドで記録された英雄譚と 登場人物と出来事はほとんど同じなのに、 13世紀前半にオーストリアあたりの詩人が書いたと言われる 『ニーベルンゲンの歌』のほうには面白い事に物語の進行に 神や魔法による超常的な仕掛けが最小限にしか用いられていません。

主神ヴォータンの愛娘、天駆ける戦場乙女ワルキューレの一人である ブリュンヒルト(ブリュンヒルデ)は『歌』では 並外れた美貌と膂力を持つ以外は一応人間の女王ですし、 ジーフリト(ジークフリート)がハゲネ(ハーゲン)の策略で飲まされて 彼女を妻にしていた事を忘れさせられる「忘れ薬」の出番は全くなし、 ですから若い英雄ジーフリトが美しい妹姫クリエムヒルト(グートルーデ)を 貰い受け、グンテル(グンター)王に協力する事に何も不都合はありません。 また後に英雄殺しに荷担するグンテル王が、『歌』では ジーフリトでなくてもつい手を貸してあげたくなるような なんとも善い人に描かれているんですね。 さすがに英雄の人気アイテム「隠れ兜」だけは使いますが、 おそらくこの時代のキリスト教の清廉が、異教的な神々や 不道徳と思える旧い風俗を許さなかったのでしょう。 一方、現代人のワーグナーは首尾一貫した『歌』のストーリーに 古い伝説の魔術的要素を戻して楽劇を完成させています。

魔法の使えない人間の話じゃ面白くない? そこがこの名の残っていない詩人の天才。 魔力に頼らずに、人間性を描く事によって 抗う事の出来ぬ力が王国を滅ぼす様を見事に描ききっています。 誇り高い王妃二人のささいないさかいが みるみるうちに穴を広げ、取り返しのつかない悲劇を生む。 この詩の中ではブリュンヒルトの金の指輪は 何ひとつ魔力を持たないただの指輪であるにもかかわらず、 手にした者に恐ろしい災いをもたらしてしまうのです。

前半の晴々とした王国の眩い日々は 英雄ジーフリトの暗殺で終りを告げます。 後半の、王妃クリエムヒルトの壮絶な捨て身の復讐物語は 実在した王国の滅亡譚として語られる事によって 史実のように歴史の中に嵌め込まれる仕掛け。 各地に散らばって語り伝えられる伝説を取材した作品は 往々にして話の整合性がとれていなかったり キャラクターが一貫していなかったりするものですが、 この名の残らぬ詩人は強靱な意志と稀に見る構成力を持った 優れた中世人だったようです。

吟遊詩人の奏でる調べに乗って、 徳高き王、朗らかな英雄、美しき貴婦人、 勇並びなき武人、心優しい殿の運命が、 多くの聞き手の鼓動を早め、喝采を呼び、涙を誘った事でしょう。 キリスト教と騎士道との端正な鎧の下に 荒々しく沸き上がるゲルマンの血潮、 あまたの宝石で飾られた精密で堅牢な塔が 粉々に砕け散る様を見るような、劇しく華麗な一大叙事詩。

私が徳高い富貴の身の貴人であったなら、 名の残らぬオーストリアの詩人とやらに 船に堆く積み上げた絹織り物に珊瑚に真珠、 得難き東洋の宝の数々を贈るであろう。(ナルシア)


『ニーベルンゲンの歌』前編・後編 著者:不明 / 訳者:相良守峯 / 出版社:岩波文庫

お天気猫や

-- 2002年04月25日(木) --

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☆ニーベルングの指輪物語

「持主に力と同時に破滅をもたらす指輪」といえば 『指輪物語』の「ひとつの指輪」と言う人より ワーグナーのオペラ『ニーベルングの指輪』と 答える人のほうが映画以前は多かったでしょうね。

そういえば『ニーベルングの指輪』の名前は 聞いた事あるけど曲は聞いた事がないという方。 ほら、大音量のクラッシック音楽にのってヘリコプターが ベトナムの戦場を飛ぶ、映画『地獄の黙示録』で有名になった 「ワルキューレの騎行」、あれがその中のひとつです。

上演に四日、総演奏時間が15時間にも及ぶ重くて長い楽劇ですが、 私はときどき徹夜作業の時などにビデオで通して流しています。 なんだかどんどん脳が危険な領域に近付いていくような 高揚感と陶酔感が生まれます。(←近寄らない様に)

では、こちらも長い『ニーベルングの指輪』の物語の中から 『指輪物語』と関連のある部分を。

醜い小人ニーベルング族のアルベリッヒが ライン川の乙女達から奪い取った黄金で力の指輪を作る。 神々の王ヴォータンがその指輪をだまし取ったため、 アルベリッヒが指輪に呪をかける:『序夜・ラインの黄金』

天駆ける戦場乙女ワルキューレの一人が 父神のいいつけに背いたため罰として眠りに入る:『第一夜・ワルキューレ』

若い英雄ジークフリートが折れた剣を鍛え直し、 森の洞窟で宝を守る大蛇(ヴォータンに指輪を 報酬として貰った巨人の変身した姿)を倒して 姿を変える兜と指輪を手に入れる:『第二夜・ジークフリート』

指輪を欲する人間の策略にかかって英雄は暗殺され、 衰退の様相を現していた神々の世界は燃え盛る炎の中に滅び、 指輪はラインの水底に還される:『第三夜・神々の黄昏』

ごらんの通り。『指輪物語』の「ひとつの指輪」は 北欧神話の神々と名高い英雄ジークフリートを ワーグナー作品の中で殺し、世界を滅ぼした 「呪いの指輪」の生まれ変わりです。

最終夜『神々の黄昏』の最後、 地上と天上の世界の終焉の中で、死せる英雄の指から抜き取られ ラインの乙女のもとに返され黄金に戻ったはずの指輪は、 長い歳月の後に冥王サウロンの手によって指輪に鋳直され 再び世界を危機に陥れるのかもしれません。

なんと恐ろしい宝でしょう。 ニーベルングの指輪をめぐって、 巨人は欲に凝り固まって仲間を殺し洞窟に隠れた、 その力を知る妖精達は持つ事を恐れる。 人間は身の程知らずにも指輪が欲しくてたまらない、 神々ですら指輪の呪いに蝕まれ滅びてしまった。 指輪の価値も恐ろしさも知らない屈託のない英雄だけは 無事であるかのように見えたけれど、やがて。 全ての者を陥れる指輪にまたもや世界は滅ぼされるのでしょうか。

そうはさせない。 人間よりも心の清く、人間よりも力を望まない、 質朴で勇敢な小さな人が、初めて歴史に登場してきたのです。 今度こそ世界を救うために。(ナルシア)

お天気猫や

-- 2002年04月24日(水) --

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『「指輪物語」 完全読本』

映画『ロード・オブ・ザ・リング』の公開に合わせて、 原作本と指輪物語関連本が書店の一画に 堆く積み上げられました。 その中に、いかにも映画便乗本のような体裁で、 同じ本がハードカバーと文庫の両方で出ています。 ん?著書 リン・カーター?SF作家の? 訳者 荒俣宏?‥‥ 慌てて扉裏のコピーライトを見ます。 1969年。 と、いう事は。 55年に英国で出版された指輪物語が、 10年後アメリカで安価なペイパーバックとなって 爆発的ブームを起こした時期にかかれた本!

この本は『指輪物語』成立に関する研究本であり、 「みてみて、ドワーフの名前がみんな 古エッダ(詩エッダ)の中にあるのみつけたよ!」 というような(その嬉しさはすごーく良く分る) ネタ元探しも楽しいファン本でもあります。

リン・カーターは長らく人々に顧みられる事のなかった 往年の名作ファンタジー作品をアメリカで復刊して、 多くの若者をファンタジーに目覚めさせた 現代ファンタジー隆盛の一功労者であったそうです。 ええー、ダンセイニ卿って60年代には絶版だったの? 稲垣足穂が心酔していた頃から現在まで世界中で 途切れる事なく愛読されていると思っていましたよ、 そうだったんですか。リン・カーターさん、えらい。

そういう訳で古典叙事詩から中世ロマンスを経て 『指輪物語』に至るファンタジーの系譜を語る後半部分は 格好の古典ファンタジーの手引きになっています。 『中世ロマンス』の項は他の部分と違って 現在簡単に読む事のできない作品ばかりですが、 ここの紹介がまた面白い。 これがまるで現代のコミック雑誌もかくやという 物語のインフレーションを起こしていて、 当時の読者はさぞかしはらはらしながら続きを待った事でしょうねえ。

もう一人えらいのは翻訳の団精二、いやいや我らがアラマタ荒俣宏先生。 御自身が日本のファンタジー復興に果たされた大役には触れず、 愛情をこめた解説を書かれています。 願わくばこの本が書かれてから後30年、 指輪ビッグ・バン以後の膨張するファンタジー宇宙の 指針と成る読本を書いていただけないでしょうか? リン・カーター氏は亡くなってしまったので、荒俣先生、なにとぞ。(ナルシア)


『「指輪物語」 完全読本』 著者:リン・カーター / 訳者:荒俣宏 / 出版社:角川文庫

2001年04月24日(火) 『メリーゴーラウンド』

お天気猫や

-- 2002年04月23日(火) --

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☆ロード・オブ・ザ・予備知識

映画のお伴はファンタジーにはあまり興味がない、 でもスターウォーズ三部作は面白かったね、と言う ごく普通の人。 別口で読書好きな友達からも一緒に見に行こうと お声がかかりましたが、こちらはお断りしました。 だってあなたは映画見たら絶対原作読みたくなるでしょ。 本で読む楽しみを取っちゃ悪いから、映画を見た後で 私が心置きなく原作の説明ができないじゃないありませんか!

そう。映画を見た後で私が思いっきり『指輪物語』の 世界を語って盛り上がるために、映画は楽しむだろうけれど 原作には手を出さないであろう人をあえて指名して 映画『ロード・オブ・ザ・リング』に引っ張っていったのでした。 これは「三部作」の「第一部」で今回のお話は途中までだからね、 という事を予め説明しておいていざ開演。

映画終了。 世界を理解するのに全神経を集中したよ〜、という連れに じゃあ、分らなかった事があったら説明しますから 何でも聞いてください、とにやりと笑う私。

「えーと、『ロード・オブ・ザ・リング』のロードって王様のロード?」 やっぱり、疑問に思いますよね。 おもむろに映画館の出口のポスターの横に立って指で示す私。 THE LORD OF THE RINGS 「そう、王様とか主のLORD 。原題ではリングは複数なんです」 「あれ?本当だ、Sがついてる」 次に、下の副題を見て下さい。 THE FELLOWSHIP OF THE RING 「日本語訳では第一部は『旅の仲間』というんです。こっちは単数」 「わかった。こっちのリングはあの男の子の持っていた『ひとつの指輪』」 フロドですよ、主人公の名前は覚えてくださいよ。 「そうか。指輪本当はいっぱいあるんだよね、三つと七つと九つとひとつ」 人名はおぼえないのになんで数字はすぐおぼえちゃうの。 三つの指輪はエルフの王に。 「エルフって何?」 ‥‥そこから説明するのか(延々と説明する) 「ふーん、妖精だったの。何かそういう神様かと思ってた」 それであってますよ。キリスト教がヨーロッパを席巻していなかったら 日本のようにどこそこの神様、と呼ばれてしかるべき種族でしょう。 七つの指輪はドワーフの君に。 ドワーフはヨーロッパの昔話に出て来る一般的な小人です。 ほら、白雪姫の七人の小人とか。 「ああ、七つの指輪は白雪姫の七人の小人が」 違うだろう、それは。 「九つは知ってる。人間の王。ひとつの指輪の力のせいで みんな悪の王の手下になっちゃったんだね」 そうです。悪の王の名はサウロン。 「だからタイトルが複数形のリングの王なんだ。なるほどー」 その説明をしていたんでしたね。

「悪の王が戦争で負けて指輪を人間にとられた」 連れが指輪の成り立ちの復習をします。 「次に指輪を取った人が殺されて指輪が水底に沈んだ。 それから指が拾ってたね‥‥あれがゴラム?」 原作ではゴラム(日本語版ではゴクリ)の友達が拾ったのを、 羨ましがったゴラムが殺してとっちゃうんです。 「ゴラムって、あれどういういきもの?」 本来はフロド達ホビットと近い種族だったんですが、 指輪に魅せられて、人里離れて洞窟に長く暮らすうちに 姿が変わっちゃって。 「うん、洞窟にいたね」 真っ暗な中でただひたすら指輪に向かって まいぷれしゃす、まーいぷれしゃす 「ぷれしゃす。大事な──」 日本語版ですと、いとしいしと、いとしいしと。 「‥‥それをビルボが持って行っちゃったのか」 そうしてやっと、この長い物語が幕を開けるのです。

ここまでが映画の冒頭でさっと流される説明。 本筋にはそれほど関係ないのですが、 事情を知りたいと思うのが人の性。 なるほど、こういう原作は読まないけれど 映画の設定は知りたいという層のために いっぱいガイド本が出ている訳ですね。

連れは第一部にはほとんど出てこない ゴラムがとっても気になるようです。 第二部でいっぱい出て来ますよ。 「ちゃんと第二部できる?」 大丈夫です。同時製作だそうですし、 第一部の興行これだけ成功したんですから。

だから続きがどうなるかは教えてあげないけれど THE FELLOWSHIP OF THE RINGについてなら、 さあ、なんでも私に聞いて。(ナルシア)

2001年04月23日(月) 『シャルトル公爵シリーズ』

お天気猫や

-- 2002年04月22日(月) --

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☆映画・オブ・ザ・リング

映画『ロード・オブ・ザ・リング』を見ました。 なんといってもイライジャ・ウッドの 水深きケレド=ザラムの湖のような青い瞳が、 ‥‥とかいう事はおいといて。

小説に関連した感想に絞りますと。 ピーター・ジャクソン監督始めスタッフ一同は J・R・R・トールキンの『指輪物語』を 心底愛しているのだなあ──という一言。 彼らは映画を自分達の作品としてではなく、 あくまでもテキストに奉仕する映像として 真摯に画面づくりをする事に専念したようです。

大好きな本は他の人にも読んでもらいたい。 「こんな話でこういうところが凄いんだよ、読んで読んで!」 でもその本は気軽に手をつけるにはあまりにも長大。 今回の映画化は手軽に入り込める 後世代のファンタジーに埋もれてしまって 読み手の少なくなってしまった源流を、 今一度世に知らしめてできるだけ多くの新しい読者を 開拓したいという一大プロジェクトなのではないでしょうか。

映画化に際して変更された場面のほとんどは 製作者の作家性の発露ではなく、 映画という形で見やすいように物語を編集した部分にあたっています。 原作の「緩急」の「緩」の部分はほとんどカットされますが、 「見てわかる」以上の奥行きがある事をそれとなく語り余して、 映画鑑賞後多くの人がいずれ原作に手をのばさずには いられなくなるように、巧妙に物語を紹介します。 多数の人の目に止まり易い美しい映像で釣っておいては、 ずぶずぶと原作の泥沼に引き込む作戦ではないかと。

トールキンの文章はキャラクターの具体的描写をあまりせず、 タイプで把握されるように書いているのですが、 映像化で個々の「顔」が決められた事でとっつきやすくなった、 というビジュアル世代も大勢いるだろうと思われます。 もしかしたら製作者達は映画自体の興行成績以上に 自分達の映画の力で原作本がどれだけ売れたかが気になったりして(笑)。

書籍と映像の相乗効果を見込んだメディア・ミックス? 70年代の『指輪物語』ブームの時は関連商品が大ヒットして 長い間人々が見向きもしなかったファンタジーという分野が 一大ジャンルに育ったのだそうですね。

でも映画『ロード・オブ・ザ・リング』は 更に深くテキストにかしずいている雰囲気があります。 この関係は、そう、小説の挿し絵。 細密で美しくて激しく動く豪華な挿し絵。 貶して言うのではありません。 一枚の優れた挿し絵は元になる小説を知らない、 あるいは興味がない人々にも後々まで残る 深い印象を与える事が出来るのは皆様御存知の通り。

このまま三部作の最後の最後まで、 原作への変わらぬ忠誠を続けて欲しいものです。 フロドに尽した我らがサムのように。(ナルシア)

お天気猫や

-- 2002年04月19日(金) --

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☆あの作家の作風。

100質をやってみて、ちょっと補足したくなったので。

作風、というのがだいたいわかるためには、 その作家の作品を八割がた読んでみないといけないんじゃ なかろうか。 といっても最後の二割で身をひるがえす作家もいるから、 物故作家と、一定の年齢に達した作家の現時点までの作品に限って、 ということで、 さて、私はどんな作家の作品を八割がた読んできたんだろう。

そもそも、意識して同じ作家の作品を追って読んだのは、 中学一年生の頃、佐藤さとるの『コロボックルシリーズ』からだろう。 (もっとも、それ以前に江戸川乱歩とかあるのだが、今回は除く。)

次に来るのが、小林信彦。 『オヨヨ大統領シリーズ』にのめり込み、ここ5-6年の作品以外はほとんど 読んでいる。大変お世話になった作家である。

その時期、横溝正史も読んでいるが、これも今回は除く。(これじゃ除けてない)

高校で出会ったのが、詩にひかれて読みはじめた室生犀星。 図書館にもわりとそろっていたので、かなり読んでいる。 しかし、中高生にどこまで理解できていたかは不明。

L・M・モンゴメリの作品は、まず小学校で『赤毛のアン』を読み、中学後半頃から 続編を読み進めていった。同じ作家の本としては一番多く持っている。 生涯の友としてくりかえしくりかえし読む、という読み方をしている。

高校時代はSFのJ・G・バラードが好きで、ここ数年の新作は 読んでないが、かなり読んだとは思う。 映画化された『太陽の帝国』で、長年の疑問や、作家の内面が 鏡のように映し出されたのには戸惑った。 まったくの想像で書いたのだと思っていたことが、実体験に深く根ざした ものなのだということ、創作とはそういうものだと思い知る。

『ナルニア・シリーズ』のC・S・ルイスは、ファンタジーの 書き手のなかでも別格扱いしているが、SFものや宗教関係の本も たくさんあるから、おそらく半分も読んでないはずだ。

小林信彦とおなじく、シィアルに教えてもらった永井龍男も好きで 大事に読んでいるけれど、五割も読めていないと思う。 手軽に入手できない本も多いから。これからの楽しみに、と思っている。

ラヴクラフトもしかり。八割には到達してないかな。 美声でもないのに朗読してテープに吹き込んだりしていた。 あの頃はやはり、輪をかけてアタマがおかしかったのだ。

ミステリ系は、大人になってからたくさん読んだ。 ファンタジーも広く読んではいる。 スパイものや、幻想怪奇系も、それなりに読んだ。 今は、児童文学を意識して読んでいる。 よく、好きな作家として名をあげている新美南吉は、 さて、どれくらい読んでいるだろう。短編も多いし、日記なども あるので、全集にしたら六割くらいでは。

しかしまだ、大人になってから出会った「好きな作家」の本は、 八割読んだかといわれると、そこまでに至っていない場合が多い。 よほど作品の少ない作家なら別だが。 ディック・フランシスなんか、知ったときには何十冊も出ていたし。 アーシュラ・K・ル・グウィンだって、まだ半分にも足りない。

おお、そういえばベティ・マクドナルドは、数が少ないので八割は読んでいる。 「仕事と私」は、不況の今、読み返したい本だ。

読むものが多すぎて、時間は限られ、 あの頃のように、一冊一冊、未開拓の荒野に作家の人生地図を書き込みながら 読んでゆく時間が、なつかしく思える。

かくのごとく、作家の作風を語るには膨大な時間と熱意と根気が必要なので、 こうして日々、読後の感想を語っているのだった。 (マーズ)

2001年04月19日(木) 『愛の続き』

お天気猫や

-- 2002年04月17日(水) --

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『星の海のミッキー』(その2)

☆女の子が主役でも、いいじゃない。

以前シィアルが、猫好きのためのSFということで 紹介した本書を、借りて読んだ。

ヒューゴー・ネビュラともに受賞したSF作家による 「猫好きに捧げるジュヴナイル」だったことを改めて知る。

そして、主役のバーバリをはじめ、その親友も、ほとんどの 登場人物は女性、それも大人は総じてカッコイイ女性たち。 少年も、マッチョな男も登場しない。 フェミニズムの色が濃い、と解説にもあったが、 確かに、いわれてみれば珍しい設定だ。 とはいっても、女性がほとんど登場しなくて、しても添え物で、 男性ばかりが活躍する世界とどっちがどうだか、 という指摘ももっともではある。 ただそれに慣らされてしまっているだけで。

読み終えて、児童文学の視点から、この本の希少性を思った。 女の子どうしの友情を心理描写もこまやかに、つまりは、 初対面のふたりの行き違いや、ぶつかり合い、意外性、 お互いへの思いやり、かばい合いといった細やかさまで 描いた作品は、地球を舞台にしたお話でもめったにないのだから、 舞台が宇宙となればなおさら貴重なのではないだろうか。

そこに大きくかかわってくるのが、マンクス猫のミッキー。 主人公のバーバリは、移住先の宇宙ステーションへ 愛猫のミッキーをこっそり連れて行くという冒険を敢行する。 当然、あらゆるペットの持ち込みは禁止されている。 そのために手品まで練習した、孤児のバーバリ。 後半、その器用さも活かされる。

エンディングはSFらしい壮大なスケールだが、そこまでの柱は、 バーバリとヘザーというふたりの少女の友情と、 宇宙特有の無重力状態との格闘である。 場所が宇宙なのを除けば、非常に現実的といってもいい。

もし他の児童書出版社から出ていれば、もっと 注目されていたのではと思える作品である。 (マーズ)


『星の海のミッキー』 著者・:ヴォンダ・F・マッキンタイア / 訳:森のぞみ / 出版社:ハヤカワ文庫(絶版)

2001年04月17日(火) 『葉っぱのフレディ』

お天気猫や

-- 2002年04月16日(火) --

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☆風と共に去ったグルーチョ。

原作者のマーガレット・ミッチェルはグルーチョのファンで、 書きながらレット・バトラーとしてイメージしていた・・・ 真面目にしていると怖いあの方。

グルーチョとは、アメリカの俳優マルクス兄弟の三男で、 めがねからはみ出す四角い眉毛、トレードマークの四角いひげを書いた (マジックで塗っている)、 あのノッポのグルーチョ・マルクス。 役どころはペテン師。他の兄弟もそれぞれ定番の役があり、 私のお気に入りのハーポは、決してしゃべらず、手当たり次第にくすね、 口笛とニタニタ笑いがトレードマーク。ハープを弾かせると天才的。

・・と、ここでハーポを紹介している場合ではなく。 グルーチョは、ルー大柴さんに、けっこう似ているような。 日本のコメディアンにも彼らのギャグはかなり真似されていて、 ドリフターズのヒゲダンスや、小さい家にムリして入ろうとする笑い、 押さえていた手を放したら家が倒れたり、鏡の騙しゼスチャー、 延々と相手を愚弄しつづけるノロマなど、 枚挙にいとまがないほど。

このミッチェルのエピソードを雑誌のコラムで読んだとき、膝を打った。 目からうろこが落ちるとは、このことか。 それならわかる。 それなら、レット・バトラーの無頼漢ぶりも、 おさまりがつくというもの。むしろ必然だ。そうでなくてはならない。

ずっと前に映画は観たが、原作はまだ読んでなかったので、 試しにパラパラめくってみたら、 出るとこ出るとこ、レット・バトラーのセリフが、 マルクス兄弟の映画で親しんだ無茶苦茶なノリなのだ。 映画ではいつも、グルーチョに翻弄されながらも愛してしまう 上流階級のレディが登場するが、その人になったかのように、 レットの言うことを受けとめてしまいそうになる。 まず、スカーレットと初めて会う場面で、 立ち聞きしたことをとがめられ、 あなたは紳士じゃない、とののしられても、 まさしくその通り、としらっとしている。 うすら笑いを浮かべてあらぬ方向を見ながらしゃべる グルーチョの顔が、つい浮かんでしまう。

でももちろん、『風と共に去りぬ』はスラップスティックではない。 南北戦争時のアメリカ南部を舞台にした、壮大な女のロマン。 グルーチョが主役になってしまっては、そうならない。 ただ、あのグルーチョが、真剣な役どころを演じたとしたら、 それはきっと『風と共に去りぬ』のような物語になるのでは ないだろうか、とファンは願うだろう。 そんなことありえないし、グルーチョからギャグと兄弟を取ったら、 影のようになってしまうこともわかっているのに。 それは、ファンの夢なのだ。 そう、グルーチョは、顔にヒゲなど書いてなければ、 けっこう二枚目なのである。チコやハーポはどう転んでも三枚目、 ゼッポはあまりに普通なのでパッとしなかったが二枚目だった。 グルーチョ・マルクスは、どちらかというと、 タキシードを着て、舞踏会にエスコートされたいような人物なのだ。 もし、ペテン師でなければ。

今、第一巻から、この超ベストセラーを読み進めている。 もちろん、レット・バトラーの顔は、横に広いクラーク・ゲーブルではなく、 面長のグルーチョその人として。 (マーズ)


『風と共に去りぬ』1-5巻 著者:ミッチェル / 訳:大久保康雄・竹内道之助 / 出版社:新潮文庫

2001年04月16日(月) 『モリー先生との火曜日』

お天気猫や

-- 2002年04月15日(月) --

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『王様はロックンローラー』

I can't get no, ・・・・satisfaction(あれっ!?)

王様ロックバンドのリーダー兼ヴォーカリストは、本物の王様。 ローリング・ストーンズの「サティスファクション」のサビで、 どうしても「、サ…」と正しい『ま』でシャウトできない。 とくれば、どうしても読みたくなる。

そんな王様のお得意は、弾き語りのバラード。 リズム音痴なのに、バラードだけは人の心をとかす。 なかでもビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」がお気に入りだ。

しかし、王様は大切なお披露目コンサートで大失敗をしてしまい、 ついに恥ずかしさのあまり、お城を出奔してしまった。 すでにこの行動からも、王様は生まれつきのミュージシャンである。 王様の仕事よりも、ミュージシャンとしての誇りを 選んだのだから。 やがて王様の集めたバンドも、ハードロックに走ったエレキギター担当の 宮中顧問官、シュロート博士に乗っ取られてしまう。

お城を出て、身分を隠した王様は何になるのか? 自分の居場所を見つけ、音楽で食べてゆけるのか? バンドはどうなる? ちょっと心細いけれど、風来坊となった王様と 一緒に旅してみてはじめて、 ミュージシャンにあこがれる感覚や 音楽が人の心にしみいる理由が、少しわかる。 路上でライブをやっている人の覚悟みたいなものも。

全編、60年代の名曲が鳴り響き、 ミュージシャンの名前が飛び交う。 ロック好きなら、周到に繰り出されるそれらの懐かしい名前に、 うっとりして微笑み、嘆き、ときに怒りもするだろう。 本物のBGMを用意して読むのもいい。

巻末には、彼らが曲をコピーしたり、本人が登場したりする ロックミュージシャンの解説付き。 (マーズ)


『王様はロックンローラー』 著者:フォルカー・クリーゲル / 訳:恭子・シュレヒト、ヴォルフガング・シュレヒト / 出版社:ブロンズ新社

お天気猫や

-- 2002年04月12日(金) --

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『地獄の悪魔アスモデウス』

本来、ハロウィーン用に買った本。

この憎たらしい親に、どうしてこんな善良な子が? というような疑問が湧いてくる親子がある。 たいていは一代で財を築いた『誰も信じられない』親と、 その子どもの場合だったりするんだけど。

この場合は、地獄の支配者たる悪魔がパパで、 主人公の変な子、アスモデウスはその息子。 変というのは『あくまでも』悪魔の基準に照らしてであって、 ダメ悪魔という意味。 人間の少年としては、ごく健全なこころの持ち主だ。

アスモデウス少年は、あの可憐な人魚姫のように、 明るい地上へ、人間たちのいる世界へ送られ、 悪魔らしい子になるよう、人間をそそのかし悪事を働くよう 強いられてしまう。

全編、ほとんど誤解とすれ違いと思い込み、 「こんなはずじゃなかった」の連続によって、 アスモデウスは、やさしくて、あたたかく癒される きれいなものと出会ってゆく。 シャガールの絵顔負けの事態を招いたり、 このまま時間がとまればいい、と願った至福の思い出も。

悪魔の子としての精進にはいっこうに役立たないのだが、 自分のなかにもっていた温もりと同じものを見つけ、 それが普通にある世界のことを知るのだった。

とはいえ、アスモデウスの家は地上ではない。 泣いても笑っても、パパもママも、悪魔なのだ。 そこが彼の家なのだ。 乱暴でがさつで無知で、貪欲で強引でわがままな家族に囲まれ、 「ここは僕のいるところじゃない」と違和感を 感じ続けた子どもが、初めて友だちの家に泊まり、 普通の家族団らんを知ったら、こんな感じだろうか。

いろんな読み替えのできるアスモデウスの物語は、 どこか日本の地獄絵を髣髴とさせる絵で読む物語でもある。 作家と画家はともにスウェーデン生まれ。 コンビによる作品も多いだけあって、 みごとに息の合ったコンビネーションである。 それにしても、 悪魔パパ、こわいよう。(マーズ)


『地獄の悪魔アスモデウス』 著者:ウルフ・スタルク / 絵:アンナ・ヘグルンド / 訳:菱木晃子 / 出版社:あすなろ書房

お天気猫や

-- 2002年04月11日(木) --

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『ぼく、ネズミだったの!』

☆フィリップ・プルマン描く、シンデレラのサイドストーリー。

タイトルだけで買ってしまう本があるとすれば、 これも充分にその分類に入るのではないだろうか。 興味中枢を刺激されてしまった。

ある日、子どものいない中年夫婦、ボブとジョーンの前に 突然あらわれた少年は、自分がネズミだった、とだけ告げる。 「そんな、ばかな!?」 である。そのようなことは起こらないはずなのである。 しかし、姿はどこから見ても少年にしか見えないこの子は、 確かにちょっと変なところがある。 目についたものを何でもガジガジかじってしまうし、 シーツをびりびりにやぶって、巣をつくったりする。 エンピツだけは、人間の子どもにもなじみの味かも。

この無垢な少年に親としての愛情を感じ始めるふたり。 少年は名前をもらって、暮らしはじめる。 そんな矢先、少年が行方不明になり、 ふたりは必死の捜索を始めるのだが、果たして再会は?

遊びごころいっぱいの本書は、 随所に架空の新聞『ザ・デイリー・ゴシップ』誌の誌面を イラスト付きで掲載。 皇太子殿下の結婚相手で、庶民に大人気のシンデレラ・オーロラ嬢の話題や ストーリーにからむネズミのゴシップネタを流し、抑揚をつけている。

夫婦の職業が靴直しの職人で、市場のそばに住んでいることも 最後に救いになるという楽しい趣向である。 ストーリーのあちらこちらには、とても楽しいなどと 言っていられない、やっかいなこともサンドイッチされている。 プリンセスの素直な言葉にも、しんみりさせられる。

さて、プルマン二冊目の謎の解決方法。 少年はどうやって絶体絶命の窮地から救われるか? これを読み終えて、私は納得した。 プルマンは、謎の一部が謎に包まれたままなのが─好きなのだと。 (マーズ)


『ぼく、ネズミだったの!』 著者:フィリップ・プルマン / 絵:ピーター・ベイリー / 訳:西田紀子 / 出版社:偕成社

お天気猫や

-- 2002年04月10日(水) --

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『時計はとまらない』

ライラ・シリーズ以外のフィリップ・プルマンをニ冊読んだ。 これは世にも奇妙なお話、 チクタク進む時計の音と死のイメージを組み合わせた 短くも不思議な一夜の物語。

グロッケンハイムの町には大きな時計塔がある。 時計職人の伝統の集大成、ゼンマイ仕掛けの『しかけ人形』が、 見習い職人の年期奉公明けに披露されるのだった。

しかし、今回の見習い工、カールは追い詰められていた。 人形は、つまり彼のデビュー仕事は、できあがっていなかったのだ。 よくあることだが、見苦しい事態である。

おひろめ前夜を迎えた寒い冬の夜、酒場ホワイト・ホース亭で 不思議なことが起こった。 作家のフリッツが客たちに物語る『時計はとまらない』の 登場人物、謎のカルメニウス博士その人が、現れたのだ。 ゼンマイじかけの王子さまを作り出したと言われる奇人が。 そして、物語は意外な方向へ舵を変える。 つけ入る者、陥れられる者、刃をかざす自動人形の足音。

一部始終を見ていたのは、心やさしい酒場の少女グレーテル。 彼女は『まっとうな』心の持ち主だった。 後半は彼女の冒険譚である。

かの森に置き去りにされ囚われたグレーテルが、魔女を倒し、 ヘンゼルとともに明るい世界へ帰ったように。

奇想天外なストーリーと同時に、人生や運命の不思議、 他者に操られることなく自分の人生を生きる知恵が示される。 私たち大人にとって、耳の痛い箴言や どこかに忘れていた薔薇色の思いを浮かびあがらせて。

その翌朝、時計塔のてっぺんで本当は何が起こったのか。 ハッピーエンドの裏で何があったのか。 それは私たちの想像に任されたのだろうか。 語り部は最後に言う。

「もちろん、なぞはとけなかった。」(本文より) と。

(マーズ)


『時計はとまらない』 著者:フィリップ・ブルマン / 絵:ピーター・ベイリー / 訳:西田紀子 / 出版社:偕成社

お天気猫や

-- 2002年04月09日(火) --

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『妖精国の騎士』(その2)

アルフヘイム(妖精国)もすでにコミックス42巻を数える。 少女漫画としては異例の長編である。 ほとんど予約販売に近い常連の買い手がいるから 商業誌での連載も続いているのだろう。

第一巻が出たのは昭和62年・1987年、なんと15年前。 ついに星香の本命が始まったな、とわくわくしたものである。 おそらくこの物語を愛する星香ファンは、 私がそうであるように、初版本ばかり順繰りにそろえている のにちがいない。コミックスになるとき、恒例の加筆があるので、 連載そのものとは多少異なっているが、 まあ、比較のために本誌でもそろえているという人も いるのかもしれない。

いまさらながら、作家渾身のこの大作(代表作となるだろう)が こうしてフィナーレを迎えつつある今このとき、 ここにいられることは幸いと思う。

光と闇の闘い。 テーマは非常にはっきりしていて、『指輪物語』や 『ゲド戦記』など、ファンタジーの金字塔から 幼き日に書き手の魂が受けた恩寵が、華麗に花開いてゆく。 その種は時を待ち、いくつものファンタジー作品を世に出した後に、 ついにアルフヘイムの扉を開いたのだ。 少女漫画という大地に見事に咲いたアルスター(花の名)!

光の剣ルシリスの乙女となるアルトディアスの王女ローゼリィ、 銀の剣シルヴァンの騎士(銀月の騎士)は、双子の兄のローラント、 そして陽の剣ソレスの守り手となる騎士は、 グラーン(キリアン)の王子アーサー。 彼ら三人とも、生れた国を魔に奪われながら、 愛と信頼のなす光、伝説の魔法によって地上の楽園を築くまでの物語。 「三剣物語」と作者が呼ぶゆえんである。

人間たちの世界を征服せんとする闇の魔物との死闘、 妖精族(エルフ)、魔法使いたち。 人物相関図を数年前に作ったのだが、今どこにあるのか わからなくなってしまった。 少女漫画とはいっても、ときに酸鼻をきわめる場面あり、 かと思えば、ローゼリィ(ローリィ)とアーサーの運命の恋も。

三人はときに離れた場所で闘う。 なにしろ戦乱の時代である。彼らの生活は戦闘に明け暮れる。 場面の転換で、たとえばローリィがアーサーを想う、その 心の呼びかけが、アーサーにぱしっと伝わり場面が替わる、 という転換方法が三人の間でよく起こるのは少女漫画の醍醐味。 彼らは魔法が使えるので、実際メッセージを送ることもある。

お楽しみはまだまだいろいろあって、ふだん戦士の格好しかしてない ローリィのドレスアップお姫様ルックとか、 異様に美しくて残酷なサラサラ長髪の闇の皇子とか、 自慢の妹を元敵のアーサーに取られて悔しい兄王子とか、 他のメディアではこれほど効果的には表現できない美学が たくさんあるのも人気の一因だろう。

それらは、長くファンをやっていればいるほど、 ツボにはまってくる星香らしさでもある。 (闇の皇子に関しては、ファンの方には申し訳ないが、 「あ奴、どうしてくれよう」と、その末路を思い描いている。)

ずらっと並べて見ると、表紙の絢爛豪華さは、さすが星香ワールド! なかでも18巻の表紙は、 夕の星エイリエルと明けの星エアリアンの妖精カップルで、 主人公ローリィのお師匠でもあるエアリアンは、私のお気に入り。 ローゼリィの養い親である緑の森の妖精王、 ルシアン・エルフェルムの殿 (またこの方のことを語りだすと長くなるのでカット)の側近でもあり、 幼い頃、傷ついたローリィが仙境で育てられた時期に 深い信頼関係を築いたエルフである。 (しかし、お互い顔を合わせば口が悪い)

物語は佳境に入る。 第一の主人公はローゼリィだが、 作者の思い入れ深いアーサーの、 最後の闘いに向けたさらなる『魔法的』活躍をも期待している。 (マーズ)

『妖精国の騎士』 著者:中山星香 / 出版社:秋田書店 プリンセスコミックス・文庫版も刊行

2001年04月09日(月) 『レベッカへの鍵』

お天気猫や

-- 2002年04月08日(月) --

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『妖精国の騎士』

ある日、それは訪れた。 どさどさどさどさ。 『妖精国の騎士』コミックス約40册。 ひゃあ、もうこんなになるの?連載13年分? 有り難く拝借し、堆く積み上げて没頭する事数週間。

はっ。ただ自分ばかりが楽しんでいてはいけない。 この御恩を何らかの形で世間様にお返しせねば。 (貸してくれた人に返すんじゃないのか) そのためにはまだ読んでいない方にお薦めするのが 作者のためにも世間のためにも一番。 そこで(くる)今回この漫画をお薦めするターゲットは。

今大人気の『指輪物語』にはまったあなた。 全巻読み終わってしまったけれど、 どうも不満が残る!という、そう、あなたです。

まず最大の不満 (1) 短すぎる(爆)。
  もっとあの世界に浸っていたかった。

次に (2) 女性の出番が少ない。
  特に唯一の闘う少女エオウィン、
  もっと活躍して欲しかったのに。

よって
(3) ラブストーリーがほとんどない。

上記のような不満をいくらかでもお持ちになった方、 あなたは幸運です! 『妖精国の騎士』はこれらの点を全てクリア、

(1) 長さは充分、なにしろまだいつ終了するかわからない
(2) 女性の出番が多い。主人公は剣持つ王女。
(3) もちろん物語のメイン柱の一つはラブストーリー。

作者は『指輪』の世界を原風景のように身の内に 取り込んでいる事は間違い有りませんが、 登場人物まで意識的に引き継いだのではないのでしょう。 しかし、金色の髪に青灰色の瞳の王子と王女、 黒い髪の王国の後継者、姿も境遇も『指輪』の戦士の 面影を残す三人の少年少女の運命の物語は 『指輪』では果たし得なかったもののもしかしたら あり得たかもしれない別の形の「王の帰還」とも言えます。

舞台は王国の興亡を賭け人々があい争う戦乱の時代。 人間との関わりを避け、森の奥深く棲むエルフ達も 暗黒の力の台頭を憂い、遠くエルフの血を引く王家の子孫に その神秘の力を貸して手助けをします。 こういった世界の基本イメージは踏襲していますが、 本家とは違った女性的な要素を彩り豊かに取り込んで、 そこから発展する物語は優美かつ豪胆。

美しい夢を愛する読者も、勇気と力を好む読者も、 思い切って日本少女漫画界の誇るファンタジーの大河に 飛び込んでみましょう。 それでははい。 どさどさどさどさどさ(42巻が出たんですって)。


『妖精国の騎士』 著者:中山星香 / 出版社:秋田書店 プリンセスコミックス

お天気猫や

-- 2002年04月05日(金) --

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『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』

14歳‥‥迸る自我と抑圧する社会との狭間で 多くの者達が迷走し暴走する危うい年齢。 我らがハリー・ポッターも14歳となりました。 これまでの倍はあるとんでもない厚さの 「the Gobret of Fire」を手にして、 こんなに厚いという事は、ついにハリーも 14歳のクライシスに直面するのではあるまいな、と 恐る恐るという感じで読み始めました。

冒頭部分はこれまで毎回おきまりだった Privet Driveでのハリーの退屈な夏休みの場面ではなくて、 どこか分らない村の裕福な一家で起きた惨劇と 未来の凶事を予感させる陰鬱なシーンで始まります。

今年のホグワーツ校は外国の魔法学校と合同で行う 「Triwizard Cup」の舞台となります。 三校の代表選手が三つの試練を体力知力を尽して競い合い、 チャンピオンを決定するというスペシャルイベント。 命の危険は覚悟の上、不正行為も承知の上。 シリーズの中で一番アクション度が高い巻です。

しかしその前に、少年達にとって思いもよらなかった 最も困難な試練が立ちはだかる! こればかりは、さすがのハリーもどうしていいかわからない。 いや、ここは御自分で読んで──笑って下さい。

さて、目覚ましい冒険や思わず吹き出す場面や 以前よりちょっと複雑になった少年達の心の動き等の 本編の流れの底を透かして常に揺らいでいた恐ろしい予感は 最後に現実のものとなってしまいます。 その衝撃は、うすうす覚悟していた以上のものです。 これまで世界中の子供達を夢中にさせていた 「ハリー・ポッッター」の物語は、ここで 子供のための魔法物語である事を止めてしまいます。 だって、前回までは最悪の事態に落ち入っても 「魔法で」なんとかできたのに、 もうホグワーツの魔法ではどうする事も出来ないのです。 現実の前に、邪悪の前に、彼らは絶望的なまでに 自らの無力を思い知らされるのです。

ハリーの14歳のクライシスは一見、 この壮絶な外部の事情に呑み込まれてしまって さして問題にならないように見えますが、 やはりこれは少年の自己クライシスの物語となりました。 なぜなら、全編を通して多くの登場人物がハリーの存在を 物語の最後に現出した者の分身として見ていたのですから、 逆にその者はハリーの内部の投影としても解釈する事が可能です。 現実的な小説なら少年の内面で荒れ狂う闘いが、 残虐な人の形をとって少年の善良な部分と 血みどろの争いを繰り広げるとも読めるからです。 やはり14歳は危険な年齢なのでした。

既に完成しているというハリー・ポッターのシリーズが 一年ずつ間をおいて出版されているのには 読者である子供達がハリーと同じ年齢になっていないと 通して読ませる事が出来ないという事情もあったのでしょうね。 この分厚い一冊で『ハリー・ポッター 前編』の最終回といった趣きです。 『the Gobret of Fire』最終章のタイトルは「The Beginning」、 さあ次巻で15歳となり、共に力をあわせる仲間も増えた彼らの前に、 どれほど困難で壮絶な闘いが待っているのか?(ナルシア)


『HARRY POTTER and the Gobret of Fire』 / 出版社:Bloomsbury(日本洋書販売配給)

お天気猫や

-- 2002年04月04日(木) --

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『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』

二年生の時のお話が「ホラー」なら 三年生の時のお話は‥‥「ミステリー」!

ハリー・ポッターシリーズが大人にも受けるのは 「荒唐無稽な魔法の世界」ではなくて 「一定のルールに則った隣の世界」である事が大きいと思います。 なんでもござれの途方もない話より、規制があるほうが盛り上がるし 長丁場をついていくにも無理がありません。

という訳で魔法でなんでも出来そうなハリー・ポッターの世界、 実際には現実以上に厳しい秩序があります。 学校の規則はもちろんですが、小説としての構造にも。 それはハリーたちが事件の全貌を知るための手掛かりが 必ず伏線として事前に書かれている事、 解決のために使われる魔法は必ずそれまでに 授業で習ったり言及されている事。 それって立派なミステリ! 未来世界のルールの中で事件を解決するアシモフのSFミステリや 特定の超能力を設定してその力を使った 犯人をあてる西澤保彦の超能力パズル、 パラレルワールド内の法則に従って推理する 山口雅也の作品等にタイプとして似ているでしょうか。

という訳で推理ファンとして大いに楽しんだ三作目ですが、 別にミステリ好きではなくてもこの巻は 脱出不可能と言われたアズカバンの刑務所を脱走し ハリーを付け狙っているらしい凶悪な犯罪者、 その元囚人以上にハリーを脅かす不気味なアズカバンの看守達、 風采はあがらないけどとっても面白い授業をしてくれる新任の先生、 あ、それからハーマイオニーの猫やハグリッドの素敵なペットの怪物、など 不思議で魅力的なキャラクターが続々新登場。 早く映画にならないかな!(ナルシア)


・『ハリ−・ポッタ−とアズカバンの囚人』 著者:J・K・ローリング / 訳:松岡佑子 / 出版社:静山社 ・英語版『HARRY POTTER and the Prisoner of Azkaban』 / 出版社:Bloomsbury(日本洋書販売配給)

2001年04月04日(水) 『自分の人生がある場所へ』

お天気猫や

-- 2002年04月03日(水) --

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『ハリー・ポッターと秘密の部屋』

長くて退屈な文章から深く大きな世界を構築する作業は、 実は一握りの根気良く想像力に恵まれた子供にしか成し遂げらない偉業です。 じゃあ、そうじゃない移り気で面白い事の大好きな 普通で元気な子供達が夢中になって読むお話は? 今も昔も、やっぱり「怖い話」ではないでしょうか。

という訳で『ハリー・ポッターと秘密の部屋』は文句なく怖い! 第一作『賢者の石』で「魔法学校」での細かい日常で 読者を引き付けたハリー・ポッターの世界ですが、 ひととおり見せてもらったからもうネタはないんじゃないの? と思っていたら、そこが世界的ヒットシリーズ。 ハリーの学校への戻り方も意表を突いているし、 学校のおきまり行事はサボって別の所にいくし、 去年と同じ場面は出さないサービス精神が見事。

さて、とんでもない方法で新学期の 学校に戻ったハリーが第二学年で経験した事は。 幽霊達との陰気なパーティー、 友人達と一緒にいてもハリーにしか聞こえない謎の声。 そして何者かに襲われて次々と石のように固まって 発見される生徒達、残された不気味な文字、 泣叫ぶトイレの花子さん(違)。

鉄筋コンクリートの普通の学校でもいいかげん怖いのに なにしろ舞台があのホグワーツですから 普段からホラーに慣れている私も久々に ぞくぞくしながら読んでいました。 まさに英国式「学校の怪談」スペシャル。

しかも、最後に怪異の元凶が分かった後で、 私はつくづく思ってしまったのでした。 「インターネットは怖いなあ」。 え、本文にインターネットは出てきませんよ、 でも読み終わったらあなたもそう思いますって。 あー、怖かったぁ。さあ、次は?(ナルシア)


・『ハリー・ポッターと秘密の部屋』 著者:J・K・ローリング / 訳:松岡佑子 / 出版社:静山社 ・英語版『HARRY POTTER and the Chamber of Secrets』 / 出版社:Bloomsbury(日本洋書販売配給)

お天気猫や

-- 2002年04月02日(火) --

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『ハリー・ポッターと賢者の石』

実はこの後、ナルシアが続編について書くので、 露払いを請われ(笑)、はたと困惑。 すでに正統派ファンタジーとしての『ハリー・ポッター』は 数々の輝かしい記録と世界じゅうのファンが証明しているが、 そういえば猫やの書評には、ハリポタがないね、と。 あまりにも人気があるから、あえて書く気が 起こらなかったのかもしれないね?と。

ハリポタとの出会いは、くちコミだった。 同世代のファンタジー好きの友人が、 「これ、すっごく面白くて、一気に読んだの」 とすすめてくれたので、彼女のすすめならばと、 すぐに書店で購入。 ああ、子どものころに読んでいたら、とも思いながら、 なぜか途中で何ヶ月か中断し、半年くらいかかって読了。 (現時点で続編未読)

そういえば、映画の予告編を(本編も観たが)観たとき、 ハリーがあまりにととのった明るい顔立ちだったので、 意外な感じがした。私のイメージでは、どちらかというと ハリーの友人のロン役の子がむしろ近い。 ハーマイオニーもえらく美少女だったが、 映画だからなぁ、と納得。

さて、私たち日本の[大人の女]世代にとって、 特に欧州の寄宿学校は、独特の意味をもっている。 少女漫画黄金期の名作といわれる『トーマの心臓』に始まり、 センセーショナルだった『風と木の歌』や 映画『アナザー・カントリー』などの系譜をたどって、 奇妙な翳りを植え付けられてきた私たち (といって私はアナザー・カントリーは未見)。 まあ、数え上げればきりがないほど、 男の子たちの寄宿学校ものには触れてきている。 ホグワーツ魔法学校は、そういう意味では、いや、 そういう場所ではないけれども、どこかでつながって、 (モデルとなった寄宿学校がスコットランドにあって、 某TV番組で紹介されているのを観たが何とも重厚だった) 今をときめく現役の子どもたちだけでなく、 親となった私たちの世代にとっても、 ハリーの世界は親しみやすいのだと思う。

そして、多くの読者が、ローリングがどのような境遇で メガヒットを生みだしたのかを知っている。 彼女は、無名の新人作家として、これ以上望み得ないほどの夢をかなえた。 離婚し(最近再婚したが)、幼い子どもを抱えて貧窮し、 家の近くの喫茶店(同じくTV番組で紹介されていた)に通い、 こつこつと構想を練った。おそらく日々何時間も粘って ハリーの活躍を現実のものにしていった彼女。 並みのシンデレラが根負けするような根気と信念。 彼女のなかには、続編以降の構想も、 映画化の構想も最初からあっただろうし、 みごとな映像化がそれを証明している。 読み手によっては、そうした背景のなかでの苦悩を自分に重ねたり、 戦略的なにおいまで嗅ぎ取ると思われる。

魔法世界のプリンスでありながら、マグル(人間)として 生きてきたハリー・ポッター少年には、 亡き両親への想いや、劣等意識、いじめられた経験もある。 あえて言えば、もう少しだけ、スパイスのある少年で あってほしかった。

いたずらも危険な冒険もこなし、友も得て、至難の競技にも勝ち、 先生たちには平等かつ公然とひいきされるプリンスは、 その「弱さ」、負の部分においても、極限のものが要求されるし、 弱さを越えることによって、信奉者をわがものにできる。 ローリングが身をもって示した非凡さを、 もう一振りだけ、私たちが想像しえないような この少年の悩みに注ぎ込んでほしかったと願うのは、 言い過ぎだろうか。

今、ハリーのヒットによって、このヒーローの源流としての 英国児童文学系ファンタジーにスポットが当たり、 次々と埋もれていた名作が人に読まれ、生き返ってゆく。 これこそハリーの魔法世界を生みだしたローリングから、 母国の伝統たる児童文学系ファンタジーへの、 大きな大きな恩返しだと思うし、 いずれもっと後の話として「ハリー現象」が語られるときに、 附記されるべき白星なのだとも信じる。 (マーズ)


『ハリー・ポッターと賢者の石』 著者:J・K・ローリング / 訳:松岡佑子 / 出版社:静山社

2001年04月02日(月) 『カモメに飛ぶことを教えた猫』

お天気猫や

-- 2002年04月01日(月) --

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☆決定、ニャカデミー賞!?

動物を飼っていると、病気の予防が治療にまさることが 身にしみてくるので、定期的に病院通いを するようになります。 で、うちの犬の行きつけの獣医さんでもらえる情報誌に 『PEPPY』(ペピイ・A4判)というのがあるのですが。

その裏表紙に、 『薬の飲ませ方 目薬のさし方』 という写真入りのガイドが載っています。 おそらく、同じものを何年か使っていると思われ、 これが何度見ても面白いので、あえて書くことにしました。 面白いだけでなく、私はこのコーナーを愛しています。

まず、モデルは犬と猫で、それぞれ別に撮影された 投薬方法の写真が、各15点ずつ載っています。 犬はシベリアンハスキーで、猫は日本猫の雑種。 念のため、犬には何のおかしいところもありません。 まったくもって普通に、錠剤を飲んだり、 粉剤を飲んだり、おとなしく目薬をさされたりして、 おりこうさんだねぇ、うちのも上手く行きそうだわ、 などと安易に安心してしまいます。

問題は、「猫」です。 15カット、 どれを取っても、

「あーいやだ。アタイをなめてんのか!? やだやだやだ、わーっ猫殺し!」 てな、絶妙の表情。

明るいところで撮ってるので、当然 三白眼なのはいたしかたないとして、

ナナメから睨みを効かせたり、 次の瞬間手首をガップリと噛む準備の耳をしたり、 あうっとのけぞったり、きりきりと歯をくいしばったり、 ・・ケッ、というつぶやきが聞こえそうな顔もあります。

思わず、これを見たやさしい人や ペット愛護協会などの組織が、 「演技でないなら、これは嫌がらせ!?」と 心配してしまうようなカットばかりです。

しかも、 白猫なのに、

頭のてっぺんに、漢字の「大」文字、もしくは 「木」に見える黒い模様が入っていて、 これはもうまったく、自前の模様でしょう。

おそらく、私が思うには、 この猫を見た人は、かなりびびります。 猫という生きものが、人間よりも犬よりも、ずっと 薬を嫌っているのだと思って。 そして、自分の愛猫に初めて投薬するときの用心は、 犬の場合を上回るにちがいありません。 だから、結果として、成功率は猫のほうが 高くなるのではないでしょうか。

この猫は、たいした役者だなぁ。 モデルとして、日本じゅうの猫仲間が楽に薬を与えられるよう、 最善を尽くしている。 ニャカデミー賞があれば、ぜひ投票したい。 恐れ入る猫ごころです。 (マーズ)


犬猫の情報誌『PEPPY』(ペピイ) / (獣医さんなどで無料配布)

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