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「グリーン・ノウ」シリーズの第四作。 英国で最も古いと言われる屋敷、 あのグリーン・ノウに本物のゴリラがやってくる! ということは表紙からもわかるのだが、 果たして、前半の途中までは、コンゴのジャングルに 生きる、ゴリラの家族の物語である。
ゴリラの幼な子の目を通してみた世界は、 第三話で登場した子どもたちのひとり、今回は主人公となる 難民の中国人少年ピンが体験してきた世界と、 どこか重なりあっている。 ゴリラのハンノウも、人間の少年ピンも、 自分らしく自然に生きられる場所を持たない。 かつて持っていた、そんな場所を探している。
一年前の夏には、グリーン・ノウ夫人の留守宅を借りた モード博士に招待されて過ごしたピンだが、 この夏は、グリーン・ノウ夫人に直接招かれることになった。
ついに初顔合わせとなるわけで、シャイな二人がどんなふうに 仲良くなっていくのかも、これまで読んできた読者には楽しみだろう。 そして、前回、グリーン・ノウをとりまく川を思うさま探検した ピンは、今回、誰も知らない森のふところに入り込む。 そこに待っているのは、不思議な糸で結ばれた 友だちだった。
ピンとハンノウ。 複雑で礼儀正しく、孤独な若い魂が 言葉を用いずに、手をつないでゆく。 森の一木一草が織りなす魔力にも似た引力、 せまりくる嵐への驚異と羨望。
なつかしいグリーン・ノウの新しい魅力に浸りつつ、 私たちはピンとハンノウを守りたいと願う。 何不自由ない自由を、与えたいと祈る。 この夏を過ごしたピンが、大人になってゆくことを知りながら。 (マーズ)
『グリーン・ノウのお客さま』 著者:L・M・ボストン / 訳:亀井俊介 / 出版社:評論社
主人公が魔女ということもあって、以前から 読みたいと思っていた一冊。 できることなら、子どものころに出会いたかった一冊。
(余談だけど、最近シィアルと小学校の図書館で借りてた本の 話をしていて、あの頃の田舎の学校図書館に、 外国の名作児童文学が少なかった(あれば絶対読んでいるので)理由は、 個別の本をチョイスするのは大変で、全集とか世界の昔話系をセットで そろえるのは簡単だし、良くも悪くもそれが主流だったんじゃないかな、 という話になった) もっとも、たとえば同じプロイスラーの、大どろぼうホッツェンプロッツは、 ちゃんと読んでいたりするけれど。
最初のページでうれしい発見が。それは小さい魔女の年齢。 127歳といえば、私の誕生日(1月27日)の数字でもある。 主人公なのに、小さい魔女には名前がないようで、 ずっと、「小さい魔女」として通っている。
深い森の奥の家に、ものいう利口なカラスのアブラクサスと 一緒に暮らしている。ほうきに乗るのはなかなか上手。 でももちろん、小さい魔女というくらいだから、 魔女としてはかけだしの身分。
そんな若輩魔女が、年に一度の魔女のお祭り、 ブロッケン山での「ワルプルギスの夜」に出かけていったことから、 老魔女たちの怒りを買い、試練が始まる。
かなりの勉強家で、毎日6時間も呪文や魔法の練習に余念がない。 しかも、それを使っていいことばかりしようとするから、 人間だったら優等生で、 たしかに魔女としては異端なんだろう。 でも、売られたケンカはすぐに買い、 泣き寝入りをしないのは、魔女でも人間でも立派なことだ。
だから、一年がめぐってきたら、 楽しい夜のばかさわぎを夢見て、 人間の私たちも、小さい魔女と一緒に叫ぼう。
「ワルプルギスのよーる!」
(マーズ)
『小さい魔女』 著者:オトフリート・プロイスラー / 訳:大塚勇三 / 出版社:学習研究社
出版業界でも'まさかの'大ヒット、今をときめく『指輪物語』に つながってゆく、『ホビットの冒険』。
主人公は、お山の穴ぐらに独り安穏に暮らしている ホビット族のビルボ・バギンズ君(50歳以上なのに、ついそう呼んでしまう)、 「指輪物語」の主人公フロドのおじさんにあたる。
ホビットというのは、ドワーフよりも小さくて、 すばしっこく、お客好きで、頭と足の裏には茶色の濃い毛が 生えていて、笑顔がすてきな小人なのだそうだ。 おなかもちょっぴり出ている(映画のフロド君とはだいぶ違うが、 そこはそれ?)。
私のイメージ的には、手がはやくて笑顔の素敵なハープの名手、 マルクス兄弟のハーポである。 そのせいか、親近感がわいてくる。
人間以外の人たちにもいろんな種族がいて、 性悪のゴブリンや、宝物に目がないドワーフ、 夢と歌の世界に生きる妖精エルフ、巨人のトロルなど、 神話から脱け出たような彼らに、この世界ではぞんぶんに会える。
ある日、ひょんなことから、強引に旅へ誘われるビルボ。 旅の仲間は、13人のドワーフと、魔法使いガンダルフ。 すべて(といっても家族はいないのだが)を捨てて、 深く考える余裕も与えられず、一歩を踏み出してしまったビルボ。
霧ふり連山を越え、やみの森を抜けて、いざ。 おそろしい竜のスマウグに奪われた、いにしえのドワーフ族の宝探し。 ビルボが何の役に立つのか、本人はもとより、誰も最初はわからない。 その血にいくらか流れている妖精小人の魂が、 冒険への衝動に突き動かされたのだ、と作者は言う。
さて、予想どおり、旅は長く、つらいものとなる。 恋愛がらみの要素はみごとにまったくない。 旅の皆がひもじいと読む方もつらくて、つい、 台所へ食べものを探しに行ったりする(笑)。 難路に次ぐ難路、待ち受けるは死と裏切りの罠。
しかもビルボは、たったひとりなのだ。 というのも、ひげのドワーフ族は13人で結託しており、 ガンダルフは随所で頼れる人ではあるが、 なんといっても孤高の魔法使いである。いなくなるときもある。 そんななかで、忍びの者とか、あてにならないとか、盗人とか呼ばれながら、 気づくといつも、たったひとりで、 暗闇のなかに取り残されるビルボ・バギンズ!
旅はいつか終わるのか? ビルボが折に触れてなつかしむ、あのお山のわが家に 再び、まどろむ日は来るのだろうか? おいしいものが大好きで、平和に暮らしていたあの頃に? すべてを犠牲にしてまで、 身を投じたこの旅には、それをあがなう宝があるのだろうか?
この分厚い本を読み進むにつれて、 ビルボは、あなたの期待を超えてゆくだろう。 ガンダルフでさえ、予想しなかったほどに。
そういえば、ずっと気になっていた某会社の名前に、 「ビルボ」というのがあって、もしかすると、あれは ビルボ・バギンズ君の名前をいただいたのではと、納得している。 苦難を経て成長するというような意味合いを 持たせたのかもしれない。
なお、新訳も出ているが、あえて、ナルニアや指輪物語を訳された 瀬田貞二さんの訳で読んだ。あと書きの最後はとてもほほえましい。
『地図は、トールキン教授の描いたものを、 寺島さんにトレースしてもらいました。 月光文字は、はぶかせていただきました。』 -「訳者のことば」より-
(マーズ)
『ホビットの冒険』 著者:J・R・R・トールキン / 訳:瀬田貞二 / 絵:寺島竜一 / 出版社:岩波書店(1983年改版)(or 岩波少年文庫・上下巻)
いつもご訪問ありがとうございます。
「夢の図書館新館・今日の本」は、今日から春のお休みを いただき、本の整理・充実などはかりたいと思います。
再開は、3月27日(水)の予定です。
(from お天気猫や)
ここで一度は、リンダ・ハワードについて、 私の知っていることを述べねばなるまいと、 リンダ・ハワードについて詳しいわけでもないのに、 はた迷惑な義務感に動かされています。
というのは。 ときおり、こちらのサイトに、 「リンダ・ハワード」の情報を探して、 辿り着く方が、思った以上に多くいたからです。
「リンダ・ハワード」について、 直接取り上げている項目はない(2002年3月当時)のですが、 私の大好きな「タイムスリップ・ロマンス」というくくりで、 彼女の著書『夢の中の騎士』を紹介しているので、 ときおり、サーチエンジンに、このサイトがひっかかるらしい。
しかし。 実は、「リンダ・ハワード」の情報を求めて、 このサイトに辿り着いている方というのは、 多分、辿り着いた方ご本人には、わかりづらいだろうけど、 ここに辿り着いているのはある意味、かなり正しいのでです。
それはなぜかというと。 名前こそ、あげていないのですが、 「ネットオークション」で本を買う話の中で、 非常に苦労して手に入れようとしていた本の一部は、 リンダ・ハワードの本だったからなのです。
さて。 話は、相前後しますが、リンダ・ハワードとは、 どのような作家であるか。 このサイトの最近の傾向は 児童文学(含・ファンタジー)+ミステリ+ときおり、新書・実用書 という感じなので、 こちらのサイトを好んで訪ねてくださる方の中には、 リンダ・ハワードなる作家をよく知らない、 という方もいらっしゃるかもしれない。
ひょっとすると、リンダ・ハワードか、 と、ちょっと眉をひそめる方もいらっしゃるかも。 そう、リンダ・ハワードとは、そういう作家(笑)。 非常に濃い(!!!)、”濃厚なロマンス”小説を書く作家です。
けれどそのロマンスは、たとえ荒唐無稽なものであっても、 女心をときめかす、ツボをがっちり押さえているのです。 ハーレクイン・ロマンスなどに著書が多数あり、 最近は、ロマンティックなサスペンス小説が文庫で、 定期的に出版されています。
で、問題は、そのハーレクイン系のロマンス小説なのです。 ハーレクインなどのロマンス小説の寿命は、 月刊誌のように一ヶ月。 書店の棚では、毎月新刊に入れ替わっていくので、 店頭から消えた「ハーレクイン・ロマンス」を 手に入れるのは、ものすごく困難なのです。
出版社も在庫を持たず、重版・再版しないそうなので、 書店の棚で分かれたが最後、二度と巡り会えない、 ある意味とても「稀少」な本でもあるのです。 その中でも、もっとも人気の高い本が、 リンダ・ハワードのロマンス小説なのです。
■入手可能な本
・ソニー・マガジンズ
『黄昏に生まれたから』
・二見書房
『パーティーガール』
『あの日を探して』
『夜を忘れたい』
『Mr.パーフェクト』
『夢のなかの騎士』
『青い瞳の狼』
『心閉ざされて』
『石の都に眠れ』
『二度殺せるなら』
■入手困難な本
・ハーレクイン
『危険な駆け引き』※今なら入手可能。2002/03出版
『誘惑の湖』
『美しい標的』
『流れ星に祈って』
『ダイヤモンドの海』
『炎のコスタリカ』
『瞳に輝く星』
『カムフラージュ』
『夜明けのフーガ』
『ダンカンの花嫁』
『マッケンジーの山』
『熱い闇』
『愛は命がけ』
『ダンシング・ラブ』
『美しい悲劇』
『もう一度愛して』
『バラのざわめき』
『四つの愛の物語クリスマス・ストーリー 2000』
『四つの愛の物語クリスマス・ストーリー '97』
『真夏の恋の物語サマー・シズラー '94』
「入手困難な本」といっても、 リンダ・ハワードの本は、ネットオークション上に かなり出ています。
時間とお金をかければ、たいがいの本は手に入れて読むことが可能です。 わたし自身、まだ数冊しか彼女の本を読んでいないのですが、 オークションでもっとも人気が高い本は、 『ダンカンの花嫁』や『マッケンジーの山』あたりのようです。
これらの本の相場は、 『ダンカンの花嫁』の方は、数千円を超えるし、 最近、価格が落ち着いてきたように見える 『マッケンジーの山』でも3000円以上はするようです。
なかでも、『マッケンジーの山』、『熱い闇』、『愛は命がけ』、 『四つの愛の物語クリスマス・ストーリー '97』の中の 『マッケンジーの娘』の4冊は、マッケンジー一族の連作で、 どれもロマンティックで、気軽に楽しめる本でした。
リンダ・ハワードのハーレクイン・ロマンスをお探しなら、 一度、オークションサイト(たとえば、Yahoo! オークション) を覗いて見ることをおすすめします。(シィアル)
『ウォーターマガジン』が休刊するとネットで 見ていたけれど、いざ、 水色の封筒に入った発行中止のお知らせが来てしまうと ほんとうにそうなってしまったのだと思う一方、 確かに事情に流され、志を曲げては立つ瀬がないだろうとも。
広告を取らずに、いろんな人たちがいろんなスタイルで 書いたものを発表する場をつくろうという雑誌で、 これまでに9号が出ている。
『普段の生活の中で感じたり、見つけた事柄などを題材に』(帯より引用) という内容の、ペーパーバックのような形と質感。 表紙のイラストはこの雑誌の発案者の永井宏さんが ずっと手がけていた(と思うのだが)。
創刊は1999年夏。季刊で、毎回12の作品が掲載された。 私の地元では見かけないのだけど、都会の書店や 雑貨店などには置いてあったりした。
創刊と3号に、私も作品を載せてもらっている。 その後、日々書くものの量が増え、 どうしても完成させたい長いスパンのものがあったりで、 2回しか投稿できなかったが、 いずれもハードボイルドな実録ものであった。
当時私は、それまでいまひとつつかめなかった自分の 先天的なスタイルが、まずもってハードボイルドであることを あらためて認め、悟ったのだと思う。 そしてその対極にあるような弱々しさも、裏に抱えているのだと。 自分がウォーターマガジンをなつかしく思うのは、 そういうことを気づかされたからなのだろう。
ときどき、思いがけないところから、 あれを読んだと言われることがあり、おそらくそういうことが これからもあるような気がする。
ペンネームに迷ったこともなつかしい。 本名で出すのは、なんとなく抵抗もあって、 時間もないのにどうしようかと思い悩み、 マーズ・スプリングフィールドという名前ではどうだろうかと 打診したら、少しあきれられたようだった(笑)。
本にも明記されていたように、誰でも投稿できる、 同人誌のような発表の場だった。 それでも、実際に書店などで売られるのである。 自分の文章を不特定の人に、ただ「読んでもらうため」に 買ってもらうことの重さを、 ていねいな編集の方とやり取りしながらも何度となく考えた。 いつも相手が決まっている仕事の場合とはちがう重さを。
編集の方からそんなことを言われたのではない。 これほど、相手の意思を尊重しながらも、一字一句のこだわりを 共に考えてくださるのが編集さんなのだと、 そういう世界を知らないこちらが一方的に感じたのだ。
そんななかで自分のいいかげんさにも気づいたわけなのだが、 そのとき学んだことを今、もういちどしっかり思い出そうとも しているのだが、 私と同じように、そこに作品をあずけた人たちは プロであるかどうかには関係なく、続けているだろうか。
「そのきっかけ」になれば、とは、何にでも よく言われる言葉だけれど、そういう場所を提供してもらい、 その後の自分の流れのきっかけをつくってくれたのだと 今いる場所で、この令状を手にして、思っているだろう。 (マーズ)
『12 water stories magazine』 / 出版社:サンライト・ラボ
原題は、『シャーロットズ・ウェブ』。 彼女がクモであることがタイトルからもわかる。 「クモという生きものは、何の象徴でしょう?」 ときかれたら、 「昔はどうあれ、今はネットの象徴、つまり、クモのウェブは、 人と人との、言葉を介したコミュニケーションの象徴です」と 答えるだろう。
この名作は、最初のページからちょっとちがう。 『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングが読んだら のけぞりそうな、子豚を始末しようとするお父さんが登場。
その、ひよひよしたできそこないの子豚は、 8歳の少女ファーンの必死のぶらさがり懇願によって 死から救われ、このお話の主人公ウィルバーになる。
もうひとりの主人公が、クモのシャーロット。 豚とクモでありながら、お互いにわかりあえる言葉を 交わせる、心を通わせることができるふたりの友情と、 見守る子どもや農場の動物たちの絆を、 リアリティと油断ない表現で描いている。
ファンタジーという大きなウソはついても、 小さなウソは、ここにはない。 そういう出会いが、どれだけ貴重で数少ない奇跡であるか、 これを読んだ子どもたちが大人になったとき、 思い知ることだろう。
物語のなかで、時間は容赦なく進む。 自然は一日たりとも止まってくれない。 人間にとっては長い連続した時間のなかの単なる一年だが、 クモや、子豚にとっては、大きな意味をもつ、 生きる意味そのものを支える一年が過ぎる。 『葉っぱのフレディ』でも描かれた生命のサイクルと 一抹のさびしさ、再生、おおいなる自然の姿もまた、ここにある。
※本書はアメリカで1952年に発表され、ベストセラーとなる。 日本でも古典的人気を誇っていたが、2001年に再訳が試みられた。 私が読んだのは新訳。 (マーズ)
『シャーロットのおくりもの』 著者:E・B・ホワイト / イラスト:ガース・ウィリアムズ / 訳:さくまゆみこ / 出版社:あすなろ書房
ディスクワールド・シリーズの番外編。 この短編は、R・シルヴァーバーグが編集した 『伝説は永遠に』というタイトルの、エピック・ファンタジー (ヨーロッパ風異世界譚)アンソロジー4本集に収録されている。
『ディスクワールド騒動記1』から始まった、魔法使いや魔女の 登場する世界の物語は、ファンタジー読みだけでなく、 ユーモア文学の好きな方のほうが、むしろ抵抗がないのかも。
この短編以外は未読だが、テリー・プラチェットは 英国では相当に人気作家らしい(1948-)。 『三人の魔女』という、シェイクスピアか猫やか(比喩にならんが)、 といった作品もあるので、いずれ読むつもり。
「海は小魚でいっぱい」は、 年季を積んだ魔女たちのライバル意識や ひと癖もふた癖もある女という生き物(と猫か)の 友人づきあいを描いて、むしろ読後はさわやかである。 ユーモラスな甘い毒や苦い薬などを ページのすみずみにまではさみこむ手法ゆえ、 笑いながらも一言一句神経が抜けない作品。
もともとこのアンソロジーにおさめられた短編は、 すべてカリスマ作家によって生み出された広大な別宇宙の その果てのひとつ星のごとき、これまた名作なので、 本来これを読むのは、その世界を熟知している、 ──たとえば私がここに収められた『ゲド戦記』の番外編を読むために いそいそと買い求めたように──マニアではあるのだろう。
ただ、このプラチェットの作品に関してだけは、 少なくても、全体を知らずとも十二分に楽しめると 思ったので、ここに書くことにした。
訳文も良かった。ただ、老魔女のセリフを今風に「どうよ?」ってのは 「どうよ」とも思うが、それもまた楽し? (マーズ)
「海は小魚でいっぱい」(著:テリー・プラチェット)の収録本:『伝説は永遠に』(3) ロバート・シルヴァーバーグ編 / 訳:斉藤伯好ほか / 出版社:ハヤカワ文庫FT
大いなる影は去り、生きとし生けるものが 歓びの歌を歌う待ちに待った季節が巡ってきました。 毎日通る道沿いの桜の枝先が赤く膨らんできて、 窓際に置いた小さな鉢植えもきらきら光る新芽をつけはじめました。 こんな小さなところにも、もれなく太古の不思議な力は宿ります。
『指輪物語』の中のお気に入りの見せ場は? 世にも不思議な種族達との交流、 敵か味方か、息詰まる心理的駆け引き、 迫力に満ちた城郭の攻防戦、 ここぞという時の魔法使い! 手に汗握るスペクタルに満ちた場面をあげていたら 三日かかっても終りません。
でもこの季節、身の回りの何気ない光景の中で
ふと心に浮かぶのは、中つ国の緑の木々、
香り高い草、可憐な花々。
あなたは植物がお好きですか?
ハーブに興味がありますか?
『指輪物語』の中の私のお気に入りの
ハーブ類の出て来る場面を別コーナーにまとめてみました。
→「ハーブ・オブ・ザ・リング」
お好きな方に、ほんのちょっぴり中つ国の緑をどうぞ。 (ナルシア)
・『新版指輪物語』全7巻
著者:J.R.R.トールキン 訳者:瀬田貞二・田中明子/ 出版社:評論社
・文庫『新版指輪物語』 全9巻
著者:J.R.R.トールキン 訳者:瀬田貞二 ・田中明子/ 出版社評論社
ここ数ヶ月ほど、夢の図書館という名前で検索して来られる方も 多いようなので、といっても、本来の目的地ではないような 気もしますが(笑)、ここの紹介をいまさらながら してみようと、夜中に仕事しながら思い立ちました。
本館は、私たち三人の師匠筋にあたる、個人的に偉大な 作家や本を収めてあります。 まあ、これを読まねば死ねない、というくらいの 思い入れがある本ばかりです。 かなり適当に名づけたので、いまもってこの名前が通っているのも 不思議なくらいですが。 (最近さぼっていて、新しい登録ができていません。)
いまでも本館の配色や、本文のやけに明朝しているモノクロフォントに 愛着があるので、変えないでねと編集長にお願いしています。 新館ができてマイナーチェンジしたときも、後ろ髪をひかれる思いでした。 かなり初期の頃のいいかげんなレビュー(主に私)もいくつか あったので、去年あたり多少手を加えています。
ちなみに本館の古色蒼然とした写真は、ロンドンのヴィクトリア様式のホテル。 私のアルバムから取り出したものです。
新館は、かつての分館で、このエンピツ日記がメインです。 表紙のオレンジの色合いも、とても好きです。 本は日々ふえて、今のところ300に及ぼうとしています。 なんだか信じられないけれど、「継続は力なり」ですね。
去年からナビもつけて、夢の図書館新館で紹介されている本が、 検索できるようになっています。 ただ、私たちがきちんと登録を済ませていないばかりに、 2001年夏ごろまでしか検索できないのは大目に見てください。
書評らしきものを始めて数年たったので、 何か特徴を出して書評サイトとして立とうという野望もあって、 児童書やファンタジー系を多く、なるべく古典的な 作品を網羅できるようにと思っています。 三人の読書傾向は似ているところもあれば重ならないところもあります。 そのへんの熱の入れ方や、すれちがいも楽しめるのが夢の図書館かも。
つい最近、こういうコーナーもできました。
・児童書の本棚
現在58冊の本を紹介しています。
・暮らしの本棚
現在29冊の本を紹介しています。
いまでは、「夢の図書館」が、『お天気猫や』のメインになっているので、 本来は、『夢の図書館』のなかの、「お天気猫や」(紅茶や猫やハーブやイギリス) とした方が、ずっとわかりやすいのだろうに、 いろんなところへの登録やリンクにも都合がいいだろうに、 私たちにはまだ、「猫や・夢のショッピングモール化計画」の夢が 捨てきれないのでした。
段階として、夢の図書館の入り口にあたる扉の改装をするのが おそらく来月あたりになるのではないでしょうか。おそらく。
とまぁ、こんな感じでやっています。 あ、本の掲示板もありますので、お気軽に書き込んでください。 これからも「夢図書」にお付き合いいただけますように。
また、最後になってしまいましたが、 マイエンピツに登録してくださっている皆さまに、 魔女三人より心からの感謝をささげます。 (マーズ)
ゴッデンの代表作といわれる『ディダコイ』。 でも、ディダコイって、何?と、 読む前はちんぷんかんぷんだった。 読み始めるとすぐ説明があって、謎がとけた。 それは、純粋のジプシーでない人間を呼び分ける、 ジプシーたちの言葉だったのだ。
そのディダコイ、7歳の少女キジィが主人公。 おばあちゃんと馬のジョーと一緒に、英国はライの町の近くにある、 トゥイス提督の果樹園に暮らしている。 住んでいるのは家ではなくて、ほんものの荷馬車(ワゴン)。 そして、変化が訪れたとき、キジィもまた、変わらねばならない。
成長すること。 誰かと関係をつくってゆくこと。 誰かを許すこと。 愛すること。 全力で壁にぶっつかっては試しながら、 自分の飛べる範囲を知ってゆくこと。
キジィの物語は、シンデレラ物語ともとらえられる。 私は、読んでいて、これが不思議なほど 『赤毛のアン』を連想させるのにとまどった。
世間とはちがう価値観で生きてきた、 スポイルされてないキジィはアン・シャーリーで、 なぜかカスバート夫人(いじわるな噂好きではあるが)や 独身の養い親たちも登場する。 本筋に関係なく、アンとダイアナという 「腹心の友」ふたりの名が連ねられて出てきたり、 孤児がしてしまう失敗のエピソードも。
ゴッデンは1907年英国生まれ。 幼少時をインドで過ごし、後に英国の学校で学ぶため、 インドから強制連行(少女にとっては)される。 1908年に米国で出版されベストセラーになった 『赤毛のアン』は、どこでも読めたはずである。
なつかしいインドを五感のなかに息づかせる少女ゴッデンと、 ジプシーの暮らしから英国的な暮らしへの過渡期を過ごす 少女キジィの、共有する苦しみ。
どこまでも意地をはって、人のいうことを聞かず、 それでも誰かがそばにいて、励ましてくれるから 生きていけることを知る。
そこに孤児の身から、老兄妹の養子になったアンの世界が かいま見えて、私はほんとうに、ゴッデンと りんご畑のワゴンのそばの焚き火を囲んで、 お茶を飲みながら、積もる話がしたいと思ったのだった。 (マーズ)
『ディダコイ』 著者:ルーマー・ゴッデン / 訳:猪熊葉子 / 出版社:評論社
村上春樹を読みたい気分というのがあるように、 村上春樹を読みたくない気分、 あるいは村上春樹を読めない気分というのもある。
実はここ二・三年、ずっとそうである。 村上春樹は大好きなので、 読みたいなあと思って読み始めても、 読んでいるとだんだん気が滅入ってきて、 どうにもだめなのだ。
それでも、繰り返すけれど、 村上春樹(の作品)は大好きだから、 村上春樹の名を冠した『村上レシピ』を購入。 村上作品に出てくる料理のレシピ集である。 村上作品のファンも、お料理好きの人も、 どちらにとっても楽しい本です。
それぞれの料理が出てくる小説のシーンと、 料理の作り方、 できあがった写真。 写真はおしゃれで食欲をそそるし、 料理を見ながら、小説のそれぞれのシーンや結末を思い浮かべる。
そして、どれ、これなら、私にも簡単に作れそうと、 冷蔵庫のストックを確認したり、 明日仕事の帰りに材料を買ってこようと、 メモ書きしたりする。
でも、悲しいかな。 その料理が登場するそれぞれのシーンを読んでも、 もう、ほとんど覚えていない。 一生懸命読んでいた時のシチュエーションや 心に残った思いは、今も鮮明なのに、 物語は覚えていない。
そして。 懐かしくなって、 再び本を開こうとするのだが、 読み始めた途端、居心地の悪さを感じ始め、 1Pも読み進めることができず、 閉じてしまった。
仕方がない。 レシピと雰囲気だけ堪能して、 また、村上春樹読みたい気分がわき起こってくるまで、 じっと、待っていよう。 物語は、急がないから。(シィアル)
第1章 スパゲティー
第2章 サンドウィッチ
第3章 メインディッシュ
第4章 ジェイズ・バー、あるいは酒の肴
第5章 デザート
(全35品)
※写真が美味しそうっていうのは、 料理本にとっては大事なことですよね。 写真も素敵というところで、 この本、ポイントが高いと思う。
『村上レシピ』 編著:台所でよむ村上春樹の会 / 出版社:飛鳥新社
天使の(ような存在)エマヌエルが語った言葉。 三冊目が出ているのを雑誌に載っていた井辻さんの特集記事で やっと知り、取り寄せた。
といっても、これは真ん中の書で、 三冊目は夢の図書館・本館でも簡単に紹介している 『天使の鼓動』(コスモ・テン刊)で、 本書に先立って翻訳されている。
ちなみに、一冊目は『エマヌエルの書』(ヴォイス刊)。 大きな書店に行くと、あふれるように並んでいる スピリチュアルな世界について書かれた本のなかでも、 私にとって、もっとも自然に入っていける本。 この独特の淡々とした語りかけが、 忘れかけている自分の強さを思い出させてくれる。
エマヌエルのメッセージは、本書では
シンプルで、徹底している。
どんな場合においても、ためらうことなく
愛を選びなさい。
恐れよりも、愛を。
知性よりも、愛を。
頭脳よりも、愛を。
あなた自身を。
エマヌエルに発せられた 人間からの問いをいくつか紹介しよう。 あなたの答えと、エマヌエルの答えは、 本質的には同じであると知っているはずの問いを。
☆あなたは<故郷への帰還>とおっしゃいます。 もし時間も空間もないのなら、どこかへ行くということは ないのではないですか?(引用)
☆ハートをオープンにするやりかたを教えてください。 それにまつわる重苦しさがいったい何なのかも。(引用)
☆それから何が起きるんでしょう?(引用)
(マーズ)
『エマヌエル 愛の本』 編著:パット・ロドガスト&ジュディス・スタントン / 訳:井辻朱美 / 出版社:ナチュラルスピリット
『ゴースト・ドラム』の作者のだよ、と シィアルに借りてその場で読んだ本。 薄いのですぐ読み終わったものの、 確かになかなか手ごわい。 オーディンやフレイヤ女神など、作者のなじんできた 北欧神話と創作がいばらのごとく絡みあって、 後味は苦くもあり、甘くもあり。
アイスランドの冬は昼も夜もなく、 そんな雪と氷の世界で恐怖が主人公たちを締めつける。 いくら悪事を重ねても、神王オーディンへの生け贄によって いっこうに報いを受けない、魔法使いのクヴェルドルフ。 まぁいってみれば田舎のごろつきなわけだが、 その彼じきじきに頼まれた命令を聞かなかったおかげで、 おっかない死霊の化け物を寄こされ、 さまざまに脅しすかされる語り部の青年。 農家に住むこの主人公は「ネコのトード」と呼ばれている。 アイスランド一の語り手は、世界一やさしい心の持ち主。
クヴェルドルフの命令は難しいものではない。 北方の国テューレの女王さまに、 自分のことを気に入って結婚してもらうために、褒め称えよと。 簡単なことだが、トードにはこだわりがある。 絶対にゆずれない、してはならないことがあるのだ。 クヴェルドルフも引き下がっては沽券にかかわるので、 化け物を使ってあの手この手でトードを外堀から陥落させようとする。
しかし、昔話の常で、こういう変わった、 一見チビの何でもなさそうな若者と張り合って 勝てる魔法使いはいない。 昔話ではよく、怒ったあまり、パーンと破裂してしまうが、 さて、このクヴェルドルフはどうなるのか、読んでのお楽しみ。
トードが最初に登場する場面。 赤毛のトードが赤ネコを肩に乗せて、 四つの目がじいっとクヴェルドルフを 見つめる場面が、なかなか怖かわいくて好きだったりする。 人にはいろんな理想のタイプがあるのだろうけど、 作者の理想と私の理想は、近いのかも。 (マーズ)
『オーディンとのろわれた語り部』 著者:スーザン・プライス / 訳:当麻ゆか / 出版社:徳間書店
☆指輪への道
長く曲がりくねった遥かな旅であった。 いえ、『指輪物語』の旅は遠くて苦難に満ちているけれども 主要な部分は一年足らずの話です。 長かったのは私の辿った道。
皆さんの現在の住居と同じ様に、 子供の頃、家の至る所には父が読み終わった本が 山と積み上げられていました。 ほとんどが文庫本だったので、まるで滅びた城の石垣が 崩れつつも在りし日の栄華を語るかのようでした。 たまに母がごっそりと移動させるまで本の垣はそこここに放置され、 片付け終った後も日々本は積まれ、また一度読み終わった本でも 後日父がまた引っぱり出して積み上げてしまうのでした。
その石積みの中に、三種類のタイトルを含む、 同じサブタイトルの付いた本が あちらにもこちらにも見かけられました。
『指輪物語』。 家中に散らばって、全部で何冊あるのか見当もつきません。 全部一続きの話なのでしょうか? なんて長い話なのだろう。 思いっきり埃の溜った一冊を手に取って覗いてみても、 会議があったり戦闘があったりするようですが、 初めて見るカタカナの名前ばかりが延々と続き、 まるで何が何だかわかりません。 こんなのが何十册(と思っていた)も続くのかなあ?
中学に入ってすぐ友達になった子が 欲しい本があるので本屋につきあって、と言いました。 土曜日の明るい日射しの下を歩きながら 何を買うの?と尋ねると『指輪物語』という答え。 びっくりしてしまいました。 それまでほとんど自分の買い物をした事のない私は、 中学一年生が自分のおこづかいで あんな長い長い小説を買うなんて、 なんて勇気があるんだろう、と感嘆したのです。 「ファンタジーの傑作と言われているんだって」 友人は目を輝かせながら話してくれました。
「旅の仲間」が最初のパートだって言ってたっけ。 二階に押しやられた本の壁から埃が更に厚くなった 見慣れた本を引っぱりだしてみましたが、 最初がみつからないのでやっぱり訳がわかりません。 実うを言うと当時私は家中のクイーンとカーを読むのに忙しくて、 妖精やお城の話には興味がなかったのです。
こうして何年ものあいだ、そこらに積んである埃だらけの石垣に たまに手を出しては、派手な合戦の部分や魔法の部分を 順不同に拾い読みしながらも、アウトドアの嫌いな横着者は 森や山をひたすら歩く地道な場面などはずっとすっとばしていて、 物語の全貌は知らずにおりました。
長い年月が経ちました。 外に出るのが嫌いな子供は、 否が応でも何度も引越しをさせられた挙げ句 意外な事に植物に親しむ大人になりました。
そしてついに長年の懸案であった古馴染みのお話を 順番に、最初から読む機会が巡ってきました。
丁寧に、丁寧に。そして驚いた事には、 昔退屈でたまらなくて読み飛ばしていた部分が、 ひとつひとつ身にしみ入るように感じられるのです。 年のせいか、経験の積み重ねによるものか、 以前はただの映像的な観念だった木の美しさ、 幽かな光の輝かしさ、僅かな水の清らかさ等が 今や直に触れる様に読み取れます。
そうか、指輪の仲間達はこれら全てを守るために 身を挺して闘っていたのか。 中つ世は過ぎ、旧い種族は地上から姿を消し去っても、 世界はまだ過去の美しさの名残りを留めている。 世の中も一巡して、一部先端テクノロジーは 自然環境に沿う事を目指すようになりました。 それはエルフの技に似ています。
積み上げられた指輪の本が長い年月をかけて 私に教えてくれた事、それは── 「本はきちんと整理しておきましょう」(笑) (ナルシア)
・『新版指輪物語』全7巻
著者:J.R.R.トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
・文庫『新版指輪物語』全9巻(旅の仲間・上1、上2、下1、下2)
著者:J.R.R.トールキン / 訳:瀬田貞二 ・田中明子 / 出版社:評論社
2001年03月06日(火) 『クリスマスに少女は還る』 その(2)
で、映画『ロード・オブ・ザ・リング』を見に行きたいのですが、 見終ったら絶対各場面について喋りたくなるに違いないから 誰かと一緒に行くべきだろうと思うのですが、 適当な連れはいないかな。
前回書いた様に、この先『指輪物語』を読む可能性のある方には なるべく先に本を読んでから映画を見て欲しいので、 一緒に行くには既に読んでいる人か、 この先読む可能性がない人か、という事になります。
身近なところで、読書家という程でもないけれど 話題の大作映画なら見るかも、という人を誘い出す手を考えました。 ゲーム好きが相手なら話は早いんですが、 ファンタジーに特に興味はない人にどうやって説明するか。
「どういう映画?」
「えーと。『スター・ウォーズ』の原作みたいな話です」
「スター・ウォーズ?」
「舞台は宇宙じゃなくて昔のヨーロッパっぽいけど。
とある田舎で幸せに暮らしていた小人族
(身体は小さいけどまあ人間の若者と考えてください)、
のもとにある日、魔法使いの老人が訪れます」
「オビ・ワンだ」
「そんな感じ。でもって、若者に『おまえの持っている指輪は
全世界を破滅させる力を持つ暗黒の王の指輪だ』と言うんです。
この指輪があれば暗黒の王に対峙できるほどの力が得られるけれど、
一度手にしたものは指輪の力に支配されて身を滅ぼしてしまう」
「おお。フォースの暗黒面」
「そうそう。それで主人公は世界を救うために
いろんな種族の混成チームと共に
遥か彼方の暗黒の王の本拠地への旅に出る訳です」
ここまでで第一部。
旅の途中で敵と渡り合い、仲間は離ればなれとなり、 道中不思議な種族達や高貴な人間達と友情を交わし、 やがて帝国軍(サウロン側)と連合軍(人間の王国軍に ホビットやエルフの協力)の激突!
あれ?フロドがルーク、ガンダルフがオビ・ワンという事は アラゴルンがハン・ソロ、ギムリとレゴラスが R-2D-2とC3POという事(笑)? レイア姫がいないな(絶対サムやピピンじゃない。違う違う)。 あ、それで映画はアルウェン姫の出番が多そうなのか。
「ね、観にいきましょう」
(私の事を「蛇の舌」と呼ぶが良い)
大丈夫、映画が始まればこんな口から出任せの紹介なんて
綺麗さっぱり忘れちゃうに違いない。
(ナルシア)
・『新版指輪物語』全7巻
著者:J.R.R.トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
文庫
・『新版指輪物語』 全9巻(旅の仲間・上1、上2、下1、下2)
著者:J.R.R.トールキン / 訳:瀬田貞二 ・田中明子 / 出版社:評論社
いよいよ話題の映画の公開が始まりました。
映画化不可能と言われていたファンタジーの最高峰、
『Lord of the Rings 』!
名作と言われる作品が映画化される時、
毎回皆さんも迷われていると思われるのが
「読んでから見るか」「見てから読むか」
これは由々しい問題ですね。
今回に限り私が断言いたします。
「まず読みましょう」
読書好き、という種族は文章から場面を喚起する力に長けている、 また、他人の文章をもとに自己の思索を深める能力が強い人々です。 四十年余り、『指輪物語』はあなたがその全能力を傾け、 想像の限りを尽す機会を待っていた。 生涯の思い出となる世界をむざむざと既成の映画の場面に 先に塗りつぶされてしまうのは実にもったいない。 さあ、まずは書店に行きましょう!
「そんな事言っても、あんな長い話読み切れない」
大丈夫、今回の映画に限っていえば三部作の第一部、
「The Fellowship of the Ring(旅の仲間)」のパートですから
ハードカバー3册、文庫本なら4册、
原書なら分厚いけど一冊分です。
しかも初めのうちは華々しい場面がなくてなかなか話も進まないし。
身を隠しながらの逃避行はなかなか辛いし。
(どこが大丈夫なんだ)
しかし、この仕事はあなたに与えられた任務だと思う。
もしあなたが道を見い出さないのなら
誰一人見い出す者はいないだろう。
──と、魔法使いガンダルフも言っています。
(ナルシア)
・『新版指輪物語』全7巻
著者:J.R.R.トールキン / 訳:瀬田貞二・田中明子 / 出版社:評論社
文庫
・『新版指輪物語』 全9巻(旅の仲間・上1、上2、下1、下2)
著者:J.R.R.トールキン / 訳:瀬田貞二 ・田中明子 / 出版社:評論社
『きょうは、にぎやかですねぇ』 と、従業員に話し掛けながら、いかにもうれしそうに フロアを回っていた初老のフロア責任者のことを思い出した。 そこはホテルでこそなかったが、銀座の老舗専門店で、 "オランダの女王が来日しているから"、といった話題が、 商品にからんで従業員に通達される店であった。 『にぎやか』というのは、客が多いのではなく、 よく売れているということである。
ホテルにとって、たとえ、 本書で「ザ・ホテル」と呼ばれる ロンドンの老舗クラリッジスのような 国家元首やVIPが常客の最高級ホテルであっても、 ビジネスとしての成功は、名声にもとるわけではない。
ザ・ホテルのように、世界一のブランド力を 掲げたホテルであっても(その世界的地位について本書では ごく控えめにしか触れられていないが)、 過去の遺産にしがみつくだけではなく、 改善すべきところは改善し、収益をあげねばならない。 『競争相手に勝ちつづけなければならない』と 総支配人をして言わしめるのが、ホテルビジネスである。 そのために、日々、客よりも多いザ・ホテルの従業員すべてに たゆみない闘いが繰りひろげられ、進歩が要求される。 この本が求めたのは、その闘いのエッセンスでもある。
私はこういう、実録ものが好きな部類だ。 とうてい取材不可能とも思われるクラリッジスのような ホテルに5ヶ月間も滞在し、取材しながら執筆したという J・ロビンソンは、『マネー・ロンダリング』などの ベストセラーでも知られるアメリカ人作家。
彼の想像力による脚色は多少あるとしても、 ホテルの仕事にたずさわる人々を、まるで顔が浮かぶほどに 描き上げ、しかも私情や予断をはさまず、 ユーモラスに、語りすぎることなく、 どこか淡々と語り尽くしてゆく。 韓国の大統領一行に始まり、 大団円の、アラブ元首による史上類を見ないほど豪華な 女王陛下への答礼晩餐会でしめくくった腕前に、 何度もにっこりさせられた。 ※余談だが、ファンタジーものなどで女王が出てくる場面を 書く前に、この本を読んでおくといいかもしれない。
ジェフリー・ロビンソンをこの本の総支配人とするなら、 「ザ・ホテル」の総支配人は仏人のフランソワ・トゥザーン。 彼を筆頭に、国籍も多彩な人々が、英国的な伝統を 守りながら新しいホテルを築いている。 それこそ、まさに今の英国の姿ではないかと思ったりもする。 それは、あの社会の独特のムードのなかで、人種を問わず 自然に踏襲されていくマナーにも似ている。
トゥザーンは総支配人であるから、 ザ・ホテル内で起こるすべてに通じていることが要求される。 トゥザーンが魅力的でなければ、すべては始まらない。 ロビンソンがどのような経緯からこの執筆を思い立ったのかは 知る由もないが、おそらくトゥザーンを知ってから、 その背後に抱えられたザ・ホテルの裏側に興味をもったのでは ないだろうかと思う。 彼を知ったそのとき、本書の完成された姿も 見えていたにちがいない。
そしてこれは私の憶測なのだが、 朝5時に「シュレッデド・エッグ」なる、シェフも知らなかった アメリカの卵料理を所望し、それが部屋に運ばれてきたとき、 『これができるホテルは、たぶん世界でもここだけだね』(本文より) と相好を崩した名前のないアメリカ人客こそ、 作家本人だったのでは。
本書にはきら星のごときVIPが実名で登場するが、 ザ・ホテルの常客として、 英国人のロマンス作家、バーバラ・カートランドが 紹介されていたのも感慨深かった。 デームの称号を受けていた彼女は、ザ・ホテルのレストランに 毎週水曜日、予約があろうとなかろうと、最前列の最上席の ひとつを割り当てられていたという。 時移り、今その席に座るのは誰だろうか?
私がザ・ホテルの客になることはないだろう。 けれども、もしも人生が二度あれば、 英語をしっかり覚えてザ・ホテルに下っ端で入り、 上へとたたきあげてゆく、 そんな夢を見るのは楽しいかぎり。 かつて、銀座の老舗で働いた一年間を思い出しながら。 (マーズ)
『ザ・ホテル』 著者:ジェフリー・ロビンソン / 訳:春日倫子 / 出版社:文春文庫
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管理者:お天気猫や
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