2008年03月14日(金)  MCR第27回本公演『シナトラと猫』

下北沢・駅前劇場にてMCR公演『シナトラと猫』を観る。MCRが昨年実験的に行ったMCR-LABOという公演に招待され、そこでMCRという劇団を知ったのだが、これまでに観たどの劇団とも似ていない独特の空気とあまりに面白さに、一緒に観に行った観劇仲間のアサミちゃんと「今度は本公演を観に行こうね」と話していた。本公演も実験的で、同じ設定の物語の主人公を「椎名」「虎雄」「猫」と変えた3バージョンを一公演でやってのける。わたしたちが観た今宵は「椎名」の回。

MCR-LABO同様、役名は役者名をそのまま使っていて、ミカは黒岩三佳、ヒサヨは吉田久代。主人公の幼馴染の「虎雄」は根津茂尚、空地の「猫」は関村俊介で、こちらは『シナトラと猫』というタイトルを優先。役名は衣装である白いTシャツのおなか側にプリントされていて、背中側には主人公との関係が明記されている。「ヒサヨ・母」「ヒロ・父」「渡辺・先生」「江見・友人」といった具合。主人公のミカ本人は前が名字で「椎名・ミカ」。相関図の中心が変わる「虎雄」バージョン、「猫」バージョンでは、背中のプリントも変わるのだろう。

「椎名・ミカ」が「バブー」とのたまう赤ちゃん時代から数年刻みで成長していくごとにシーンが刻まれ、短い場面転換がある。コントのようなシーンをつなげて一本の芝居に仕立てるスタイルがLABOのときも新鮮だった。ありえない状況なのにリアルなセリフ、重いテーマなのに軽やか、そのギャップを自在に飛び越える構成とセリフのうまさに感心しながら観た。笑いながら考えさせられる作・演出の櫻井智也さんの匙加減はアッパレ。映像ならどんな表現をするのか興味がある。それで今井雅子に来る脚本の仕事が減ってしまうことになるとしても、観てみたい。

上演後は、MCR主宰でもある櫻井智也さん、創設時からのメンバーの北島広貴さん、プロデューサーの八田雄一郎さんによるアフタートーク。進行は杉浦理史さん。マッシュルームカットの風貌のこの人が舞台にいるのを見ると、なぜかうれしくなってしまう。こんな形でお目にかかれるとはトクした気分。櫻井さんはパチンコに明け暮れていた二十歳のときに「これじゃいかん」と思い立ってバンドを組もうとするが楽器ができず、書くことならできるので劇団を立ち上げたという。演劇のことが何もわからず、「動線」を「天井からぶら下がっている銅線」だと勘違いしたとか。MCRは現在14年目で、そのうち「苦節12年」。観客が一人ということもあったそうだが、今日は満員御礼。北島さんは台詞をしゃべっているときとは別人のようにガチガチ、カミカミになってしまい、八田プロデューサーの滑舌の良い軽やかなトークが際立った。劇団の資金繰りは映画制作以上に大変だろうと想像するが、このプロデューサーの口にかかれば、お金も人も集まりそう。

招待されることに慣れてしまうと、お金を払って観にいくことが億劫になってしまうのだけれど、気に入った劇団はチケットを買って応援していきたいと思う。MCRはまさにそんな劇団。

2007年03月14日(水)  マタニティオレンジ93 マタニティビクスの恩師・菊地先生
2002年03月14日(木)  『風の絨毯』記者発表


2008年03月13日(木)  マタニティオレンジ252 「自由になる時間」はプライスレス

晴海トリトンの中にある豆腐料理の『梅の花』にてマタニティビクスの同期ママ三人とランチ。みなさん子ども(全員娘!)を連れて来るというので、わたしも娘のたまを午前保育にして連れ出す。一歳を過ぎて動き回る子連れでの食事となると、畳の個室が必須。新規開拓しようと思いつつ、おなじみの梅の花になった。丸の内オアゾ内にある『えん』が良いと友人からすすめられたのだけど、こちらは大人5名からということで、今回は断念。

通されたのは大人十人ほどが悠々と座れる広々とした個室で、座席は掘りごたつ式。大きな窓からは水上バスが行きかう川が見下ろせる。川べりの並木が桜だとしたら、数週間後は花見も楽しめる。四人の娘たちも窓際に並んで珍しそうに外を眺めてごきげん。たまがおとなしくしていると思ったら、盆栽の苔をつかんで、ニマリ。あわてて引き離した。梅の花のいいところは、子どもが食べられるものがたくさんあること。豆腐サラダ、豆腐しゅうまい、豆腐とじゃがいものしんじょうなどを夢中で食べてくれた。娘たちの口にはスプーンを、自分の口には箸を運びつつ、母たちは「そっちの子育てはどう?」話に花を咲かせる。おなかが大きい時代からの同志なので、中にいた子が出てきて、しかもこんなに大きくなって天ぷらまで食べてる、一緒に遊んでる、と不思議な気持ちになる。

今日のランチ会はわたしが企画。三人のママ友に脚本のネタでお世話になったので、お礼に食事をと声をかけた。わたしがよく知らない業界の話が舞い込んで、さあ何から手をつけようかというとき、ビクス仲間の彼女たちの職業を思い出した。「教えて!」とメールを送ったところ、メールやら電話やらで自分の体験談や見聞きした話を教えてくれた。そのいくつかは脚本に採用され、業界の空気やノリをナマの声から感じ取ることもできた。いちばん連絡を取り合ったDさんとは、プロデューサーとの一回目の打ち合わせの前に会って取材させてもらったのだが、おかげで「手ぶら」で打ち合わせの席に着かずに済んだ。Dさんには何度も電話し、夕食前や夜遅くにつかまえては「こういうときはどう言うの? どうやるの?」と根掘り葉掘り聞き、電話口でセリフの実演までしてもらった。

そのDさんに事前のメールで「おごりとか、なしね」と遠慮されたので、何と言ってお礼を受け取ってもらおうかと考えた。幼い子どもを持つ母親にとって、「自由になる時間」は値千金、プライスレス。その時間を惜しみなく差し出してくれたことお礼はランチじゃ利かないぐらい。パソコンに向かう時間を確保するのもひと苦労なのは、たまを保育園に預ける前の半年間で痛感した。自分のために使うだけでも足りないその貴重な時間をめいっぱい使って、彼女たちは心のこもった長いメールを綴ってくれた。やることが山積みなのに、子どもを膝に抱いてあやしながら長電話につきあってくれた。メールの最後に添えられた励ましの言葉や電話のあたたかい声に、どれだけ力づけられたか、助けられたか。出産というゴールに向けて励ましあいながら踊った仲間ならではの力強いエールだった。決定稿(「けっていこう」で変換すると「蹴って以降」と出た。実際には、原稿を蹴られて、蹴られて、決定稿に至る)までの長い道のりは、まさに生みの苦しみ。その陣痛を乗り越える力をもらった。「ゴールまで走り切れたのは、みんなのおかげ。だから、一緒に分かち合いたいの!」……という感謝の言葉を用意していたのだけれど、気持ちよく御馳走させてもらえたので、演説の必要はなくなり、あらたまってお礼を言う機会を逸してしまった。

2007年03月13日(火)  マタニティオレンジ92 ダンナのおむつ替え確率
2006年03月13日(月)  ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
2005年03月13日(日)  宮崎美保子さんの四角い指輪


2008年03月12日(水)  豚とクローバーとオレンジのトイレットペーパー

先日、表参道をぶらぶらしていて、青山通り沿いの文房具屋のショーウィンドウに積まれたトイレットペーパーと目が合った。店に入り、「これ、トイレットペーパーなんですか?」と尋ねると、「ええ、大ヒット中です」。値札を見ると、1ロール800円。おしりに使うにはもったいないお値段。「キッチンペーパーとしても使えます。切れ目がついているので紙ナプキンにも」という店員さんのひと押しで、豚模様とクローバー模様の2ロールをお買い上げ。〆て1600円也。ドイツのpaper+design社の、これはもう作品。トイレットペーパーのページの楽しいこと!

ネットで安く買えたりしないかしらん、と検索してみたけれど、やはり1ロール800円。調べるうちに「まっオレンジ」のトイレットペーパーがあることを知る。ポルトガルのRenova(レノヴァ)社のもので、他にブラック、グリーン(黄緑に近い)、レッドがあり、どれもトイレットペーパーでは見かけない色。mj YOKOHAMAというお店がいちばんお買い得だったので(6ロール入りが税込1890円→1100円)、2パック購入。わが家のオレンジのトイレットペーパーホルダーに負けない、目の覚めるような発色。エンボスの模様がついて、香りもついて、高級感が漂っているのも魅力。お客様が来たときに使ってみよう。

トイレットペーパーと言えば、アメリカに留学した二十年前、「TP」という動詞をよく聞いた。「I TPd him(彼にトイレットペーパーを巻いた)」「I will TP you(トイレットペーパー巻いちゃうぞ)」のように使う。誕生日の主役をTPしたり、パーティーの受け狙いでTPしたり、何かとTPの現場に出くわす機会があり、そのたびに「紙がもったいない」と思い、「この浪費はアメリカだなあ」と感心したものだ。生徒会役員の立候補者の演説ビデオ(事前収録したものを各教室で流していた)で、真面目くさって抱負を語る立候補者を二人がかりでTPしていた光景は忘れられない。長いものがあると巻きたくなるのか、日本にふんどし文化あり、アメリカにTP文化あり。

2007年03月12日(月)  マタニティオレンジ91 歴史は繰り返す
2005年03月12日(土)  しみじみ映画『きみに読む物語』
2004年03月12日(金)  『ジェニファ』マスコミ試写開始
2002年03月12日(火)  FOODEX


2008年03月11日(火)  マタニティオレンジ251 一日一万アッハ(aH)

木村洋二さんという関西大学の教授が「笑い測定機」なるものを開発したと新聞記事で知る。笑った時に筋肉が動いて発生する微弱な信号をセンサーでとらえて数値化する仕組みらしく、単位はアッハ(aH)。こういうアホらしい花火を打ち上げるのは関西の大学でなくては、とわたしはエキサイトし、東京出身の旦那は「いかにも関西だね」と冷ややか。わが家には「ぼく、関西人って嫌いなんだよね」「え? わたし関西人だけど」「だから嫌いになったんだよ」という笑えない小話があるが、関東人と関西人って発想がまるで違う。海外勤務を希望した会社の先輩は大阪勤務になり、「外国みたいなもんだから」と赴任していった。

話を笑い測定機に戻す。もともとわたしはよく笑うほうだと思うけれど、娘のたまが人生に出現して、さらに笑うことがふえた。マンガみたいに見事に転ぶ姿を見てアッハ。欲張って食べたさつまいもを喉に詰まらせてむせてはアッハ。調子に乗ってぐるぐる回って目を回して壁に激突してはアッハ。全身で人生にぶつかっている姿は、体を張った天然芸。ビデオを回しながらアッハ。ビデオを再生して、またアッハ。

赤ちゃん相手は笑いを誘いやすい下ネタの宝庫でもある。ウンチが出たと言ってはアッハ。その形がすばらしいと愛でてはアッハ。うさぎのウンチみたいなのが床に落ちてたと悲鳴上げつつアッハ。真っ赤な顔してきばっているのを見つけてアッハ。

笑いは不意打ちにも弱い。スプーンを投げつけた。包丁をつかんだ。椅子の上で立ち上がった。鍋をかぶった。ママのブラをかぶった。予測のつかない行動にあっけに取られ、思わず吹き出し、アッハを稼ぐ。最近では、「ひざ立ちダッシュ」に意表を突かれ、大いに笑った。ひざで地面を蹴ってちょこまか走るのだが、その速いこと。「大爆笑は一秒あたり5アッハ、4秒続くと20アッハ」という基準から計算すると、毎日100アッハは記録しているように思う。

木村教授は測定機を万歩計みたいに携帯できるサイズに小型化することを試みているらしい。万笑計(!?)を持ち歩いて、めざせ一日一万アッハすなわち爆笑2000秒。60秒で割ると、33分20秒。そんなに笑ったら子どもが心配して泣き出しそうだけど、その頃には笑いのネジがすっかりゆるんで、「心配して泣いちゃったよ。アハハ」となるのだろうか。

2007年03月11日(日)  『のど自慢』チャンピオン大会
2005年03月11日(金)  絶対王様公演『やわらかい脚立』
2004年03月11日(木)  岩村匠さんと再会
2002年03月11日(月)  漫画『軍鶏』


2008年03月10日(月)  マタニティオレンジ250 No rain,No rainbows.

池袋三越のチラシ「三越NEWS」を何気なく見ていたら、「No rain,No rainbows」というフレーズが目に留まった。雨降らずば、虹は出ず。催物会場で個展を開く片岡鶴太郎さんが、ときには自信が揺らいでくじけそうになりながらも逃げ出さず、投げ出さず、大作を完成させたときに頭に浮かんだのが、友人が教えてくれたこの言葉だったという。ハワイに古くから伝わる格言とのこと。「雨降って、地固まる」「苦あれば楽あり」、英語で言えば「No pain,No gain」をより前向きにしたような言い回しが美しい。「No〜,No〜」といえば、アメリカ留学時代に友人が「No money,No honey(金がなくちゃ恋もできない)」と口癖のように言っていたのを、わたしの持ちネタにしている。韻もきれいに踏んでいるし、国籍を問わず「ウマい!」と受ける。

「No rain,No rainbows」のような収穫がときどきあるから、チラシをまとめて捨てることをためらい、朝の30分ほどを費やして目を通してしまう。No chirashi,No atarashi。チラシを見なけりゃ新発見なし!? 最近はチラシを「親子で楽しむ」という活用法を発見。食べ物のカラー写真を娘のたまがよだれを垂らさんばかりに見ているので、「たま、あむあむしてみる?」と言うと、チラシから食べ物をつまんで口に運び、「あむあむ」と食べる真似をする。エアギターならぬエア食事。スーパーの売り出し商品よりデパートの物産展のごちそうを好む。「おいしい?」と聞くと、「オイチー」と笑顔。「ママにお魚食べさせて」と言うと、干物の写真をつかんで食べさせてくれる。食べているつもり、食べさせているつもり。泣くことしかできなかったのに、ついに「ごっこ遊び」ができるようになったか。子育ても「No rain,No rainbows」。

2007年03月10日(土)  マタニティオレンジ90 存在することがプレゼント
2005年03月10日(木)  おうちでDVDレンタル『TSUTAYA DISCAS』
2002年03月10日(日)  循環


2008年03月09日(日)  マタニティオレンジ249 「野菜バイバイ」にバイバイ作戦

先月行われた保育園の保護者会で、「うちの子、野菜食べてくれなくて困っているんです」という声を聞き、「うちはよく食べてくれてありがたいわあ」と思っていたら、先週頃から突然、野菜を受け付けてくれなくなった。好き嫌いがはじまるタイミングが他の子より遅かっただけのことで、わたしも、さあ困った。人参もほうれんそうも口から出してしまう。あんなに夢中で食べていたブロッコリーにもそっぽを向く。「食べないの? じゃあバイバイね」と冷蔵庫にしまったら、以来、食べたくないものには「バイバイ」と手を振って追い払うようになった。細かく刻んでも、スープにしても、「バイバイ」。しまいには、しつこく野菜を食べさせようとするわたしにも「バイバイ」。広告会社時代に何度プレゼンしても得意先に突き返されて「どうすりゃいいのよ〜」と途方に暮れた苦い思い出が蘇る。


野菜だけでなく魚の食いつきも悪くなり、炭水化物ばかり食べるようになる。これも保護者会でお母さんたちが嘆いていたこと。ならば炊き込みご飯だ、と人参やらごぼうやらを炊き込み、どさくさにまぎれて食べさせる作戦。それなりに功を奏したけれど、緑の野菜を入れづらいのが難点。そんな矢先に手に取った『おひさまと、朝ごはん』(星谷菜々)という朝食レシピ本の中に、材料を混ぜて焼くだけの「コーンポップオーバー」というパンが載っていた。レシピではコーンとパセリを生地に混ぜているのだけれど、それを応用して人参も混ぜてみたら、予想以上の見事な食いつき。翌日はブロッコリーを足し、グリーン比率をアップ。これまたモリモリ食べてくれる。たまは卵をボウルに割り入れる瞬間を見るのが大好きで、「ボーン」と言って興奮。粉チーズを振り入れたり、一緒にかき混ぜたりする作業も楽しんでいる様子。そんな参加意識もおいしく食べる動機になっているのかもしれない。

3日目からは粉と牛乳と卵を半分にして野菜度を大幅に上げ、ブロッコリーの代わりにアスパラガスを入れ、さつまいもを足した。野菜は焼けばやわらかくなるので、下ごしらえせず、切って生地に混ぜるだけ。ベーキングパウダーなしでもなぜか結構膨らむのだけれど、粉を減らした分膨らみが悪くなったので、4日目からはベーキングパウダーを入れ、かぼちゃとレンコンを足し、5日目には小麦粉の一部をコーングリッツ(コーンブレッドの材料になるとうもろこし粉)に替えた。こうして、「ほぼ野菜、つなぎに炭水化物」な朝食パンが完成。一日に6個焼いて、食べきれない分は冷凍。レンジでチンするとほかほかになる。

野菜、野菜と思っていたら、小学校時代の同級生、植物博士N君より東京国際フォーラムで開かれる青空市場の案内。俳優の永島敏行さんが中心になって「パリのマルシェ」みたいなことをやろうとしていると聞き、行ってみる。なたね油、野菜、米、干物、ジャムなどなど。あちこちから自慢の品をひっさげて集まってきたお店の人たちが皆元気で健康そう。

午前2時からこしらえたというおやき(切干とキャベツ)、無農薬レモンで作ったレモンパン(チーズクリーム入り)を買う。日比谷公園でピクニックだ、とはりきって敷物と魔法瓶を持参したけれど、お昼ごはんには足りないので、以前行って気に入った日比谷ナチュールでN君一家とランチ。野菜バイキングとスープ、パン、デザート、飲み物で1200円。新鮮な葉っぱやら蒸し野菜やら海藻やら、ビタミンとミネラルをたっぷり摂れて満足。結婚式にも使われる洒落たお店だけれどベビーフレンドリー。でも、たまはパンのみを食べ、スプーンを与えてもお皿をかきまわして遊ぶだけ。飛ばされた山芋がたまの顔に着地してへばりつき、かぶれる惨事となった。目の周りは真っ赤、顎にはブツブツ、痒がってぐずるぐずる。山芋もバイバイかなあ。

2007年03月09日(金)  マタニティオレンジ89 4月から0歳児保育
2006年03月09日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編】
2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』


2008年03月08日(土)  マタニティオレンジ248 十人十色のお祝い会

午前中、保育園で「お祝い会」が開かれる。卒園式と進級祝いにおゆうぎ会を足したようなイベントで、2時間にわたって園児(そして先生!)たちの熱演がくりひろげられた。単に歌やお遊戯を披露するのではなく、ストーリーに仕立ての中に歌や踊りが組み込まれている。さらに、衣装も小道具も舞台道具も手作り。秋の運動会でも「ここまでやるの!」と驚いたけれど、凝りに凝った内容で、「先生方大変だったろうなあ」と頭が下がる。

娘のたまがいる0歳児クラスは、ムーミン谷の住人たちという設定。「ムーミン谷の○○さん」と名前を呼ばれて一人ずつ返事をするところから始まる。入園児0歳だった10人は全員1歳になり、歩くようになった。まだこんなに幼く、同じように毎日保育園で過ごしているのに、すでに一人一人個性が出ているのが面白い。音楽がかかったときの反応は、まさに十人十色。普段はノリノリで踊るたまは、いつもと違う空気に怖気づいたのか、すみっこで指をチュパチュパ。他人事のように眺めていたが、大好きなゾウさんが登場すると、くわえていた指でゾウを指差し、「ぞぞ、ぞぞ!」と大興奮。たちまち主役に躍り出て、「ゾウさん」をたどたどしく歌い踊り始めた。「どんぐりコロコロ」では床にごろんと転がってコロコロ。一人また一人と床に横になって転がりだすさまは集団催眠術のよう。

学年がひとつ大きくなるごとに、できることがふえていく。返事の声もダンスも元気良くなる。保育園では振付をそろえさせようということはしなくて、みんな思い思いにのびのび踊る。いちばん成長を感じたのは、2歳児クラスと3歳児クラスの差。保育士さんの言葉への反応の早いこと。手話まじりの歌も堂々たるもので、後輩たちが憧れの視線を注いで見ていた。あと3年でわが娘もあんなことができるようになるのか。

園長先生からの贈る言葉は「人の目を見て話をしっかり聞きましょう」。日頃から「座ってられるということは、話を聞いてられるということ」「話を聞ける子は話ができる」などと「聞く」ことの大切さを説いている先生らしいお話。実際、今日の園児たちは、とても聞き上手だった。演じている時間よりも見ている時間のほうがずっと長かったのだけれど、ぐずる声でプログラムが邪魔されることがなかったことに何より感心した。

2007年03月08日(木)  身につまされた映画『ドリームガールズ』
2006年03月08日(水)  innerchild vol.11『PANGEA(パンゲア)』
2004年03月08日(月)  勝地涼君初舞台『渋谷から遠く離れて』
2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。


2008年03月07日(金)  マタニティオレンジ247 ヒヤリハットで済んだ話

保育園の帰り、ベビーカーを押していたら、娘のたまが視界から消えた。「!」となってベビーカーを止め、のぞきこむと、リンボーダンスでくぐり抜けた棒を握りしめているようなのけぞった格好で、たまがストッパー兼手すりにぶら下がっていた。ベルトを締め忘れていて、座席からずり落ちたのだ。両足は地面についていて、どこも打っておらず、本人も咄嗟のことにあっけに取られていた。滑り落ちる刹那に頭上の棒をつかむとは、「すごい反射神経!」と感心したが、一歩間違えば、地面に頭を打ちつけて大けがとなるところ。

ベビーカーから子どもが落ちたという話はそこらじゅうに転がっていて、落ちたわが子をベビーカーで轢いてしまった人もいる。皆ヒヤリハットの笑い話で済んでいるからいいものの、「ベルト締めたつもり」のうっかりには気をつけなくては。子どもを座席に座らせているときに電話がかかってきたりすると、ベルトが頭から抜け落ちてしまう。

子どものヒヤリと言えば、大阪に住む妹一家がスキーに出かけて、5歳になるシュンスケ君がリフトから落ち、2メートル下のコンクリートに打ちつけられる出来事があった。出血し、意識は朦朧となり、救急車を呼ぶ騒ぎに。もちろん妹夫妻は顔面蒼白。だが、病院で検査の結果、出血は鼻血、意識朦朧は寝不足とわかり、力がぬけたという。妹からの報告メールを読むわたしも手に汗握って冷や冷やした。

「大出血!」と思って慌てたら、ケチャップだった、インクだったという笑い話もよく聞く。同じベビーカーが空っぽになっているのを見て「うちの子がいなくなった!」とパニックになる人騒がせな親も、よくある話。「うちの子に何かあったら」という不安が妄想を呼ぶのかもしれない。

2007年03月07日(水)  マタニティオレンジ88 笑いの効能
2006年03月07日(火)  ヘレンウォッチャー【全国からありがとう編】
2002年03月07日(木)  誤植自慢大会


2008年03月06日(木)  応援したい人

島根に住む女性から「はじめまして」とメールをいただく。わたしが脚本を書き、NHK-FMの青春アドベンチャーで放送された『アクアリウムの夜』という連続ラジオドラマに出演された秋元紀子さんを応援している方だという。今月下旬に横浜で秋元さんのひとり語り公演があるのだが、宣伝が苦手な秋元さんを見かねて、お手伝いを買って出た様子。秋元さんの人徳だなあとしばらく会っていない顔を懐かしく思い出しながら、「何らかの形で宣伝できないでしょうか」という相談に応えるべく、日記に書くことにした。

『アクアリウムの夜』で秋元さんが演じたのは、主人公たちがたまり場にしている喫茶店を切り盛りするすてきなお姉さん、だけど封印された過去を抱えているミステリアスな光と影をあわせもつという難しい役どころ。ラジオの前のリスナーをぐぐっと引きつけたその声は、繊細さと意思を持った力強さが同居した不思議な魅力があって、上質な音楽のように耳に心地よく、それでいて、メッセージをしっかり運んで残していく。そよ風が通り過ぎた後に窓辺のカーテンを揺らし、春の気配も置いていくように。

秋元さん本人はわたしより少し年上で、背丈もわたしよりあるのだけれど、少女のような印象がある。そして、そんな恰好の秋元さんに会ったことはないはずなのに、彼女を思い浮かべるとき、わたしは白いワンピースに麦わら帽子の女の子を思い浮かべてしまう。そのイメージは、ラジオでお仕事した後に聞きに行ったひとり語り公演の印象に引っ張られているのかもしれない。安房直子さんの童話と運命的な出会いをした秋元さんは、安房さんの世界を語り継ぐ語り部となる決意をし、年に何度か「安房ールド(=awa+world)ファンタジー」と題したひとり語り公演を各地で行っている。透明感のある安房ールドと秋元さんの声は相思相愛のように響き合って、物語の世界にすーっと溶け込むように入っていける。わたしが観たのはもう何年も前のことになるけれど、時を経ても優しいぬくもりのような余韻が残っていて、わたしの記憶の片隅に小さな安房ールドを確保している。そんな秋元さんのひとり語りの最新作は、島根の方によると、「転機になる」ような意欲作だそう。横浜へ足を運べる方はぜひ。東京では朗読会も開催される予定。

3月22日(土)2時/7時
みなとYOKOHAMA演劇祭08 参加公演
秋元紀子ひとり語り 安房ールドファンタジー  Vol.10
安房直子原作 『青い糸』
共演 ハープ演奏 長村美代子
岩崎博物館 山手ゲーテ座 045-623-2111
料金2995円
予約:グッドフェイス(goodface2007@gmail.com)

4月26日(土)4時
八重洲ブックセンター朗読会
安房直子原作 『きつねの窓』
NPO日本朗読文化協会主催


もう一通、「応援したい人」メールが届いた。こちらは、わたしのことも応援してくださっている大阪のさのっちさんから。さのっちさんとわたしの出会いは、パラリンピック水泳メダリストの河合純一さんの半生を描いた映画『夢追いかけて』で高校時代の純一を演じた勝地涼君が『パコダテ人』にも出演していたことが縁。さのっちさんは、『夢追いかけて』以来、パラリンピックを応援していて、河合純一さんや走り幅跳びの走り幅跳びの佐藤真海さんの情報をこまめに知らせてくださる。今回のお知らせは、パラリンピックの応援イベント。日本パラリンピアンズ協会(選手会)とHappy J Project(賛同者で作る応援団体)主催で開催するパラリンピック告知・応援イベントの第一弾。当日は、河合純一選手、佐藤真海選手、京谷和幸選手(車椅子バスケ)などの現役パラリンピアンが参加とのこと。パラリンピック選手のことをパラリンピアンと呼ぶことをはじめて知る。では、オリンピック選手はオリンピアン?

夢を翔ける〜パラリンピックアスリートからあなたへ〜
3月30日(日)13:30〜
東京プリンスホテル 2F
前売・予約1500円、当日2000円(1ドリンク付)※小学生以下無料


ファンというのはありがたいもので、わたしも応援してくださる方々に支えられているのだけど、学生時代に応援団にいたせいか、誰かを応援することも好き。就職活動のとき、「なんで選手じゃなくて応援するほうにいたの?」という質問をあちこちの会社でされて、そのたびに「応援団も選手と一緒に戦っているんです」と訴えた。応援したい人のために、何かせずにはいられなくなる。その気持ちは、遠巻きに見ている傍観者じゃなくて、手を取りあう併走者だと思う。

2007年03月06日(火)  『ゲゲゲの鬼太郎』×『子ぎつねヘレン』
2006年03月06日(月)  ヘレンウォッチャー
2005年03月06日(日)  傑作韓国映画『大統領の理髪師』
2002年03月06日(水)  家族


2008年03月05日(水)  自分の仕事に値段をつける

『アテンションプリーズ スペシャル』が一段落つき、何本か準備中の映画は「待ち」の状態で、ここのところ仕事はゆるやか。2月以来に書いたのはエッセイが3本と歌詞がひとつ。脚本は小直しがひとつあったぐらい。浮いた時間と手間は確定申告に費やされた。源泉徴収票を入力していると、「請求書送ったのにお金が入ってない」と気づくことがある。銀行へ行くのが面倒で記帳をさぼっているので、こういう事態が起こる。先方に確認してもらい、請求書を再発行する。ついでに、請求しそびれている仕事の請求書も書き起こす。

プロットや脚本を書いて返事を待っているうちに半年や一年はあっという間に経つ。書くときは「まだですか」と熱心にせっつかれるのだけれど、企画が立ち消えになっても連絡が来ないことが多い。「前に書いたあれ、どうなりました?」とこちらから連絡を取ると、「あれねー、ダメでした」と言われ、お金の話になるのだが、そこからが駆け引き。「いくら欲しいですか?」と聞かれ、「いくらぐらいでしょうかねえ」と聞き返し、「通常はこれぐらいもらってます」と希望を出し、「これぐらいでどうでしょう」と値切られ、といったやりとりを繰り返し、金額が定まる。

自分で自分の仕事に値段をつけるのは難しい。お高く見られてもお安く見られても後々困るのだけど、適正価格がわからない。「そんなに取ります?」なんて聞き返されると、「わたしの原稿にはそんな価値ないんだ」と落ち込む。遠慮がちな金額を提示して、「そんなに少なくていいんですか」と驚かれると、「もう少し高めに言っとけばよかった」と悔やむことになる。会社員時代は楽だった。上司との面談で「君の査定はこれぐらいだ」と言われて、はあそうですかと受け止め、決まった給料の中で時間や労力をやりくりして働いていた。今は逆で、かけた時間や労力に対して、後からお金がついてくる。ガツガツしてると思われたくないけれど、卑下もしたくない。ギャラは自分の仕事への評価を数字で表すものだから。

金額をあからさまに口にするのがはばかられて、「2でお願いします」みたいに言うことがある。こちらは「20万」のつもりで言ったのに、2万しか振り込まれず、愕然となる。相場があってないようなものなので、0がひとつ増えたり減ったりするぐらいの変動は平気で起こる。先日、プロデューサーから、あわてて打ったと思われるメールが届いた。「ギャラは120円でいいですか」。それは安すぎ!

2007年03月05日(月)  マタニティオレンジ87 プレ離乳食
2005年03月05日(土)  Uzさんの新ユニット『croon』
2002年03月05日(火)  情熱

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