出産してからいっそう涙もろくなって、新聞を読んでいてもしょっちゅう視界が潤む。こども未来財団が募集した第10回こども未来賞で読売新聞社賞を受賞したエッセイにも泣かされた。式町直樹さんというアメリカ在住の高校教師の方が寄せたもので、タイトルは、「パパ、うんこ」。内容を要約すると……国際結婚をし、男の子が生まれたが、子どもにはほとんど話しかけなかった。日本語で話しかけても拙い英語で話しかけても子どもを混乱させるという遠慮と、仕事で帰宅が遅くなるというのが理由だった。だが、子どもの成長に参加していない、と反省する出来事があって以来、積極的に息子との時間を作るようになる。おむつも進んで替えるようになり、おむつを替えながら「うんこはくさいですね」などと日本語で話しかけた。息子は英語しか口にしなかったが、ある日、息子が泣いてママを呼び、ママではなくパパが駆けつけると、息子は一瞬戸惑った後に「パパ、うんこ」とはじめて日本語で叫んだ。その瞬間、父親であることを息子に認められた気がした……という内容だった。このパパと息子はどうなるのだろうと思いながらドキドキして読み、一生懸命日本語で話しかけるパパの姿を想像して切なくなり、「パパ、うんこ」のくだりで涙腺ダムが決壊した。
折りしもわが家では「ダンナよ、もっとおむつを替えてはどうだ」論争が起こっていた。最近では一週間に一枚替えるかどうか、百枚に一枚替えればいいほうで、百枚につき三枚だったのがいつの間に二枚になった年賀葉書の切手シートの当選確率にさえ負けている。ウンチのときは完全に腰が引けて、「ウンチは苦手だ」とのたまうが、わたしだって得意じゃなかった。だけど、場数を踏んで、少しずつ失敗を減らしてきたのだ。億劫がるダンナを説得するより自分で替えたほうが早いので、結局わたしがやってしまう。イヤイヤ替えても意味がない。ダンナのおむつ替え確率を上げるには、それが義務ではなくチャンスだという意識改革が必要だ。おっぱいが出ないダンナにとって、おむつ替えは絶好のスキンシップの機会なのだ。それをみすみす逃すなんて、もったいないと思うけれど、そのことに本人が気づかなくてはならない。このエッセイの作者のように。「おむつの数だけ絆が強まるよ」と言っても「おむつ以外で頑張る」と逃げ腰なわがダンナに「パパ、うんこ」を読ませたら、開眼するだろうか。
ところで、本格的に離乳食を始める前の赤ちゃんのウンチは、くさいというより酸っぱいにおいがするが、これが「玄米ガ炊けるときのにおい」によく似ている。うちで玄米を炊くたびに「もしや……」とたまのおむつに濡れ衣を着せてしまうほど。玄米を食べているお母さんたちに話すと、「わかるわかる」と盛り上がる(白米を食べているお母さんの場合でも、玄米のにおいがするらしい)。以前、『トリビアの泉』で「えのきの袋を開けたときのにおいが、いちごジャムに似ている」というトリビアが紹介されていたが、あれよりも「へぇ〜」を稼げるのではないかと思う。サンプルのウンチをどうやって調達するのか、ゲストにウンチのにおいをかがせるのはいかがなものか、という問題はあるけれど。
2006年03月13日(月) ヘレンウォッチャー【ヘレンパン編】
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