JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:尊厳死宣言の米女性死亡 自宅で服薬、家族に見守られ(共同通信 2014/11/03 13:51) 脳腫瘍で余命わずかと宣告され、「尊厳死」を選ぶと宣言していた米西部オレゴン州の女性 ◆コメント:放置、或いは治療しても最期は苦しむのが分かっているのに最期まで生きろという方が無責任です。 特にガンですが、いつまで経っても、頭が良いのが自慢の医学者たちが、 2014.08.18 公的自殺制度の提案。 を書きました。 反対の方の意見は宗教的理由(カトリックでは自殺は許されない)とかいいますが、日頃それほど経験なクリスチャンばかりでしょうか。 また、カトリックの信者をやめるのに何か決まりは無いはずです。信仰を止めたと思えば信者ではない。 また、医学者はこれは従来で法的に定義するところの「安楽死」や「尊厳死」ではない。自殺だといいます。 そうです。今までに無い制度だから創設に値いする。逃れがたい苦痛から解放されるまでは許されないとか、 そんなの、他人が決めることではない、と思います。痛みもない、冷静な状態で、あとのことはどうして、 それじゃ死にます、というのが悪い事でしょうか? 公的な自殺がないから、飛び込み(電車の人身自殺)が起きてみな「馬鹿野郎」とか「迷惑をかけないように死ね」とか 言うじゃ無いですか。だから制度化すればいい。少子高齢化の問題も解決します。 好きな事をして、好きなだけ食べて、飲んで、吸って、このままじゃ糖尿だ、肝硬変だ、あ、もう肺ガンだとなったら、 痛む前に、「じゃ、お先」、という方が健全です。 遺産分割の方法を被相続者が、生前にはっきりさせておけば子供達が揉めることもありません。 8月にも書きましたが、 「認知症になったら安楽死させて欲しい」 というやり方は、似てますが、いくらでも保険金殺人に悪用できるのでダメです。 もう一度繰り返します。好きで生まれてきたわけではないし、楽しいことなどもうなくてもいい。苦しまないうちに 既に十分生きたから死にたい、という「公的自殺制度」は、このニュースの様に余命が分かっていなくても 認めるべきだと思います。随分気が楽になります。自然に死ぬまでまたなくてはいけないから、 やれ、健康に気を付けようとか老後の資金は大丈夫か?などと下らない心配をしなければならないのではないでしょうか。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2013年11月03日(日) 「東北の悲願 楽天が初の日本一」←休みの日に私を「早起き」させた楽天。おめでとうございます。
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