JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆4月1日が一斉に「入社式」でしたね。 毎年、4月1日、または、4月最初の営業日が、全国の会社の入社式の日で、 どんな仕事でも、凡そ「仕事」であるならば「大変」に決まっていて「楽しくない」のが当たり前。 であることを認識してから、随分気が楽になりました。 サラリーマン、とくに「総合職」の勤め人は、ハンコ1つで何処にでも赴任し、どんな仕事でも 与えられた職務を全うしなければなりません。偶然、比較的自分に向いている仕事に就くことがあり、 その間は、相対的にはやや「楽しい」に近づきますが、サラリーマンには「人事異動」がつきもので、 ずっとその仕事をしていられるということは、余程の好運に恵まれない限り、あり得ませんので、 大抵はやはり「仕事は面倒くさい」ものです。 かつて、自分が若い頃の部長で猛烈に働く人がいました。 私はそういう人は、きっと仕事が趣味のように楽しいのだろう、と思いましたが、違いました。 あるとき、その上司に何か仕事の報告に行きましたら、「仕事の鬼」のような上司が、 疲れるなあ・・・。木曜日ぐらいになると、ヘトヘトや。金曜になるとヤケクソで「しゃあない。もう1日だけやったろか」と思うけどな・・・。 というので、大変に驚くと共に、ホッとしました。自分が特別に怠惰だから、仕事がイヤなのではない。 「誰でも仕事はメンドクサイのだ」ということが分かったのでした。 私は、子供の頃から気が弱く、クヨクヨ、メソメソ、ウジウジした性格です。 本当に幼い頃は、母親の後にずっとくっついているような子供でしたが、 それでも30年、我慢できました。今年、新社会人になった方。 途中で辞めたくなることが、多分、何度もあるでしょうが、なんとかなります。 1968年、メキシコ五輪、マラソンの銀メダリスト、君原健二さんの回顧録が日本経済新聞の 「私の履歴書」に一昨年、掲載されました。君原健二「選手」は16歳で走り始め、 現役時代は勿論、現役を引退しても走り続け、御本人が生真面目な性格でいらっしゃるので、 都度記録を取っている。総走行距離はなんと16万キロ。地球4週分ですが、ただの一度も途中棄権したことがない。 絶対に完走するので有名です。そう言う方は元来の資質で、楽に走れるのかというと、とんでもないそうです。 とりわけ現役時代には、「勝たねばならない」プレッシャーが大変だそうで、何度も途中でリタイアしたくなったことが あるそうですが、その都度、小さい目標を掲げるそうです。 「次の給水所まで」、それも辛ければ「あと1キロだけ走ろう」に変えます。 更に辛かったら、「あと500メートルだけ」「次の電信柱まで」、と言う具合に、 目標を細かく設定して、とりあえずその目標まで、走る。そこまで走れたら、また、 次の目印まで、走る。その繰り返しで耐えられたそうです。 君原選手のこの話が、ある時新聞に載り、自殺するつもりだったけれど、止めた、 と、いうお礼の手紙が来たことがあるそうです。これならできるかもしれませんね。 死にたいほど辛くても「あと一週間だけ、生きてみよう」さらに「あと3日」「あと1日」 「あと、半日」「あと、3時間」「1時間」「30分」だけ生きてみよう、の繰り返しで、 人間は辛くても続けられるようです。 精神科医や、カウンセラーが提唱する「自殺防止」方法よりもよほど参考になります。 とにかく仕事は大変にきまっていること。非常に辛くても、「とりあえず、〇〇まで」の目標を どんどん細分化することにより、放り出したい仕事、逃げ出したい仕事場でも何とか耐えることができる。 偉そうなことはいえませんが、新社会人で「果たして自分はつづけられるだろうか?」と、早くも心配している 不安で仕方が無い、という人の参考になれば、幸いです。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2013年04月01日(月) おかげ様で、母の納骨が終わりました。
JIRO
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