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JIROの独断的日記
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2004年04月01日(木) 「河邨文一郎氏死去 詩人、札幌医大名誉教授」札幌オリンピック公式ソング「虹と雪のバラード」の作詞者ですよ。

◆記事:河邨文一郎氏死去 詩人、札幌医大名誉教授

河邨文一郎氏(かわむら・ぶんいちろう=詩人、札幌医大名誉教授、整形外科学)30日午後4時45分、細菌性肺炎のため札幌市中央区の病院で死去、86歳。北海道出身。知人主催のお別れ会を4月25日、札幌市中央区のパークホテルで催す。

北海道大医学部在学中から詩人金子光晴氏(故人)に師事、反骨精神に貫かれたダイナミックな詩風を確立した。札幌冬季五輪(1972年)賛歌「虹(にじ)と雪のバラード」の作詞でも知られる。詩集に「天地交☆(こうかん)」「湖上の薔薇(ばら)」など。

医学者としても高名で、ポリオ(小児まひ)の後遺症児の療育事業や日本の整形外科学の国際化などに貢献、日本整形外科学会会長、国際整形災害外科学会副会長などを歴任した。
☆は馬ヘンに草カンムリの下の口を横に二つ並べ、下にフルトリ

2004年03月31日水曜日


◆コメント:あの、ロマンティックな「虹と雪のバラード」の歌詞は整形外科医の作品だった。

札幌オリンピックは1972年2月に開催されたが、そのオリンピックの公式テーマ曲とされたのが、「虹と雪のバラード」という歌である。



「虹と雪のバラード」河邨文一郎作詞・村井邦彦作曲

虹の地平を 歩み出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに
眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎 ゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? ちから? それとも恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に
生れかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと
生れかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと



なんという、美しい日本語!なんという、ロマンティシズム!と、私は子供心に思った。今もその思いは変わらない。ところが、ずっと後になって知って驚いたのだが、この曲の作詞をなさった、河邨文一郎という人は、整形外科の先生だったのである。

医師であることは驚くには及ばない。医者であり、文学者であった人は大勢いて、古くは森鴎外にはじまり、斎藤茂吉、その息子の北杜夫も医師である。文学ではないが、手塚治虫も医学博士だった。河邨文一郎氏と同じ札幌医大からは、ご存知、渡辺淳一がいる。しかし、河邨先生と渡辺淳一を一緒にしては、河邨先生に失礼だ。河邨先生のほうがよほどロマンティックである。

無論お目にかかったことはなく、テレビで写真を拝見しただけなのだが、写真を拝見して驚いた、というと本当は失礼なのだが、如何にも実直な、大正生まれの、お医者様、という雰囲気の紳士なのだ。

偉そうなのではない。ただ、このおじさん(重ね重ねご無礼)があれほどロマンティックな歌詞を書いたとは・・・・という、うれしい驚きを覚えたのを鮮明に覚えている。やはり、男はロマンティストが多いのだな。

当時、この曲を歌ったのは男女混声デュオ、山室英美子と芥川澄夫によるトワ・エ・モア。(山室さんは今は確か白鳥さんになっている)。詩もメロディーも、演奏(歌)も夢のように美しい。

オリンピックは言うまでもなくスポーツの祭典であり、スポーツとは要するに勝つために行うものだ。ミュンヘンオリンピックの男子バレーの森田選手がいみじくも「スポーツってのは要するに喧嘩ですからね」とおっしゃっていた。そのとおり。争いごとなのである。

しかし、「虹と雪のバラード」は、そういうことを感じさせないやさしさに包まれている。

「世界から若者があつまる。そこには美しい町ができて、歌ができる。恋が生まれるかもしれない。それは、君のおかげだ、オリンピックよ。」と、静かに語りかける河邨氏は、天性の詩人だ。

今日は、私の頭の中でずうっと、「虹と雪のバラード」が流れつづけている。河邨さん、美しい詩を、ありがとうございました。


2003年04月01日(火) イラク戦、これまでに8700発以上の爆弾やミサイル使用=米国防総省  アメリカの方が余程「大量破壊」しているじゃないかよ。

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