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2012年08月03日(金) |
人間の才能を見出すむずかしさ。安易にレッテルを貼ることの危険さ。 |
◆日本経済新聞「私の履歴書」、今月は君原健二氏です。
日本経済新聞の最終面、「私の履歴書」今月は、マラソンの君原健二氏(1941-)です。
1968年メキシコオリンピックで銀メダル。ご本人はこまめに記録を取る方だそうです。
引用すると、
マメな人間なので、練習や大会で走った距離はずっと書き留めてきた。中学2年で走り始めてからの通算走行距離は昨年、16万キロを超えた。地球を4周した計算になる。
凄まじいです。
私に誇る何かがあるとしたら、フルマラソンの途中棄権が1度もないことかもしれない。73年に引退するまで競技者としては35回のフルマラソンを走り、すべて完走した。
これは、本当に偉大です。多くの人が君原健二氏を尊敬しているのは、
この「一度も棄権しなかった」という点です。
私は、実際にお会いしたことはないですけど、君原健二選手ほど「真面目な人」を
生まれてこの方、見たことがありません。骨の髄から真面目な方です。
聖人君子です。しかし、ご本人の「私の履歴書」によると、小学生の頃はひどい通信簿なんです。
何をやらせても、ダメな子供、と思われていたそうです。
小学校から高校までの通知票はすべて手元にある。2つ折りのわら紙の通知票は、私がどんな子どもだったかを明白にしている。
沢見小(現あやめが丘小)の1、2年生のときの評価は3段階で、体育も含めて「上」は1つもない。
3年生からは5段階評価に変わるが、1番上の「最も優れている」はない。
さらに胸に刺さるのが、担任教師による私の人物評だ。
このころの教師は厳しい評を包み隠さず書いた。1年生の通知票にはこうある。「真面目であるが、あまり向上しない。内気にして意志弱し。積極的に発表することなし」
3年生になると「人と親しまず、自制心が乏しく、常に争いがある。何をやるにもぼんやり外を眺めながらやるので、でたらめになることが多い」とあり、
5年生では「積極的に努力する気が少しもみられず、態度に明るさがない」と書かれている。
劣等感を上塗りされるような言葉ばかりが残っているが、ただ1点、6年生の2学期の通知票に光を放っている部分がある。
例によって「普通」「やや劣っている」「劣っている」がずらりと並ぶ中で、算数の「理解」の項目だけ、
小寺美和子先生が2番目の評価の「優れている」に赤鉛筆で「○」を付けてくれているのだ。
6年間でただ1つだけの「優」。
それがきっかけになったのだと思うが、私は算数、数学に興味を持ち、高校では数学だけはまずまずの成績を収めた。
と、淡々と書いておられます。本日分には、
小学校の運動会では徒競走で1番になった経験はない。たぶん、2番もなかった。運動会は嫌いではないが、好きでもなかった。
そんな私が沢見中(現飛幡中)1年の秋の持久走大会で11番になった。距離は4、5キロだったと思う。男子生徒は1学年で200人はいたのだから、信じられないほどの好成績だった。
私はずっと、勉強も運動もできの悪いダメな人間だと思っていた。常に恥を抱え、その恥を少しでも小さくしたいと思いながら生きていた。
だから、不思議でならなかった。どうして、ダメな人間である自分が、こんな上位に入れたのか。変だぞ、と思った。ダメな人間にも、こういうことがあるのだろうか。
ここでの走りが友人の目に留まったのだろう。中学2年になると、同級生の大野徹君が私を駅伝クラブに誘った。兄同士も同学年で、ともに駅伝クラブで走っていた。
私が入部したのは、別に走りたいと思ったからではない。気が弱く、話すのが苦手だったので、誘いを断れなかっただけだ。断る勇気がなかったのだ。
(中略)
それにしても、あのとき大野君が誘ってくれていなかったら、私は全く別の人生を送っていただろう。五輪に出ることはなかったはずだ。私をマラソンの世界に導いてくれた恩人として、彼に感謝しなければならない。
なにをやらせてもダメな人間と君原選手が思い込んだのは、
教師たちが一見、無口で内向的である生徒をその印象だけで判断して評価をしたからです。
人に安易に「ダメ人間」のレッテルを貼ることの怖さを物語っています。
◆内村選手は小中学校では、いじめられっ子だった。
ロンドン五輪、体操の男子個人総合で金メダルを獲得した、内村航平選手について、
「週刊文春」最新号(8月9日号)32ページから詳しい記事が載っています。
彼の両親は長崎県諫早市で、体操クラブを開いて、内村選手もそこで練習したわけですが、
彼が通っていた小学校や中学校の友達は、マスコミに登場しません。
それは、内村選手がいじめられっ子だったので、加害者の側はさすがに今更、「昔の親友づら」が
できないのでしょう。
特別な理由があったわけではなく、体操をしていると背が伸びないらしいですが、
中学入学時、「内村少年」は身長が140センチぐらいしか無かったそうです。また
元来(今でも)内向的な性格だそうで、田舎では、背が低くて内気という人間はいじめられやすい。
内村選手は高校は東京の東洋高校に入学しますが、
「地元を離れたかったのかもしれない」(地元の知人)
とのこと。枚挙に暇がないので、いちいちかきませんが、スポーツ選手のみならず、
後に毎コンピアノ部門で一位になったあるピアニストは岩手県出身ですが、
田舎では、「男がピアノ」というだけで虐められ、蹴りを入れられて、転倒し小指を突き指して、
その人は、東京の音大附属高校受験前に、ショパンのスケルツォを小指を使わないで弾けるように
フィンガリング(運指)を全て変更しなければならなかった。
最早ベテランの弦楽器のプロとなった、ある女性音楽家は、小学生だか中学生のころ、
ヴァイオリンを習っている
というだけの理由で虐められ、本気で「自殺」を考えたと言います。
芸能人で今、人気がある某J事務所の超有名タレントも、いじめがひどくて転校したことがあるそうです。
◆結論:人を自分の好き嫌いで評価したり、無用な関わりをもってはいけない。
君原健二選手の例と他では、ちょっと違う様に見えますが、
全ての例から、私は、
秀でた才能を持ったひとは、凡人には理解できず、凡人とは違う所だけを見られて不当に評価されたり、虐められる。
という「仮説」を「呈示し」たい。
過去において、何度書いたかわかりませんが、この世の中は、特定の「誰か」の為に存在するのではない。
自分が神様で自分が好きな人間だけ創れるなら、いざしらず、無論、そんなおとぎ話は現実化しません。
だれにとっても、何だか「虫が好かない」「見ていると虐めたくなる」人がいるでしょうが、
自分も誰かから、そう思われているのはほぼ、確実。
君原健二選手や、内村航平選手などは、その後、さいわい、運が開けましたが、
教師や周囲の友人からの不当な評価やいじめによって、類稀なる貴重な才能が、
開花しなかったかもしれないのです。
安易に人を判断、評価してはいけないのだ、ということが、よく分かります。
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