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JIROの独断的日記
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2009年08月03日(月) 「<裁判員裁判>立証、視覚に訴え 法廷の新しい形」←新しければ良い、というものではない。裁判員制度の意義が今だに分からない。

◆記事:<裁判員裁判>立証、視覚に訴え 法廷の新しい形(8月3日21時45分配信 毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090804k0000m040082000c.html
戦後初めて国民が重大事件の審理に加わり、新しい「法廷のかたち」が展開された。

3日、東京地裁で始まった裁判員裁判。殺人事件を審理する法廷では、検察側、弁護側がそれぞれ法壇に座った6人の裁判員を意識し、

ビジュアル機材を駆使して視覚に訴え、法廷で「見て聞いて分かる立証」を試みた。

検察官は席の前に立ち、譜面台に原稿を置いて、裁判員に向かって冒頭陳述を始めた。

法廷両脇の65インチの大型ディスプレーに言葉が表れる。「ナイフを見せる」「ひるまない」「ひっこみが付かない」。

殺人罪に問われた藤井勝吉被告(72)と被害者のやり取りを流れに沿って示し、

殺害までの状況を再現した。これまでは裁判官が膨大で詳細な書面を読み込み判断していた。

検察側は証拠説明で、コンピューターグラフィックス(CG)を使い被害者の致命傷の位置を説明。

肋骨(ろっこつ)と背骨を緑、血管を赤で示し「動脈の一部を切断し、大動脈に刺さっています」と傷の深さを強調した。

遺体の写真は「見たくない方もいるでしょうが重要な証拠です」と裁判員席の小型モニターに映した。



弁護側もカラーのイラストをふんだんに大型ディスプレーに映し出した。

被害者の家族のバイクが被告宅の庭に侵入、猫よけのペットボトルを倒した流れを示し、「被害者側にも原因がある紛争」と強調した(中略)

両者の主張では「殺意の強さ」が最大の争点。

裁判員は今後この点を中心に証人や被告、遺族の話に耳を傾け、自分なりの結論を出すことになる。

検察側は「『絶対殺してやる』から、『ひょっとしたら死ぬかもしれない』まで濃淡がある」と「殺意」について一般的な説明をし、

「被告はほぼ確実に死ぬ危険な行為と分かっていた」と主張。今後の証人尋問で、

被告が「ぶっ殺す」と言ったことやナイフを持ったまま追いかけたことを立証する方針だ。

弁護側は「死んでほしいとは思わなかった」と述べ、「未必の殺意」と表現していた用語を丁寧に言い換えて説明。

「被害者を追いかけていない。とどめも刺していない」と反論した。


◆コメント:「殺意の定義」も分からない一般人が「殺意の強さ」が最大の争点となる事件を判断出来るのか。

私は、一番最初、裁判員制度の話が持ち上がった5年前から、ずっと反対している。

既に制度は開始されたが、法律に基づいて実行に至った制度なのだから、

裁判員制度を廃止する法案が可決されれば、廃止することは可能である。


私が最初に裁判員制度反対を唱えたのは、

2004年03月02日(火) 「国民が刑事裁判に参加へ、裁判員法案を閣議決定」←止めた方がいいと思います。(当時はココログ版は無かった)

である。その他、裁判員制度に関して触れた記事はこれだけある。

裁判が、専門家によって行われるのは、専門的な知識が必要だからである。

それは、「刑法典」の条文を暗記しているか、というようなことではない。

2004年03月02日(火) 「国民が刑事裁判に参加へ、裁判員法案を閣議決定」←止めた方がいいと思います。では、「因果関係の問題」を例にしたが、

いよいよ始まった、本当の裁判員裁判では、あと3日で、被告人の「殺意の有無」(正確には「殺意の程度」)を素人(裁判員)が判断しなければならない。

殺意とはなにか。殺人の故意である。但し、故意には、確定的な故意と未必の故意がある。

確定的な故意とは、必ずこいつを殺しやろう、という明確な意思である。

未必の故意とは、例えば、全然本件とは例が違うが、渋谷の人通りの多い道沿いに建っているビルの屋上から、

コンクリートブロックを投げ落とすようなものである。「誰か」を殺そうとして言うわけではないが、落下したコンクリートブロックが

誰かの頭を直撃し、場合によっては即死するかも知れないことは、十分に推定出来る。そしてそうなっても構わないと考える。

これが「未必の故意」である。

本件においては、


  • 検察側は被告人が被害者を「ぶっ殺す」と入ったことなどの状況を強調して、被告人に「確定的な故意」つまり明確な殺意があったことを強調するつもりである。

  • これに対し、弁護人は、「被告人は被害者をナイフで刺すことにより、死ぬかも知れない」という「未必の故意」はあったが、とどめを刺していない。確定的な故意は無かった。つまり「強い殺意は無かった」ことを裁判員に印象づけ、少しでも量刑が軽減されることを狙っている。

こんな概念に初めて接する一般人にたったの3日で殺意の強さを認定しろ、と言っても無理だ。

知識に加えて経験の蓄積が必要だ。だから裁判は専門家が行うべきだ。裁判員に選ばれることは一生に一度あるかないか、なのだから、

裁判員が経験を蓄積することは、原理的に不可能である。


◆裁判員が参加するのは一審だけなのだ。

裁判員が裁判に参加するのは、一審だけである。仮に裁判員が一生懸命考え、

被告人には強い殺意は無かった

と判断し、比較的軽い刑罰を科そうとしても、それを不服として検察が控訴すれば、

二審、つまり高等裁判所以降に裁判員が参加することはない。

一審で裁判員が苦しんで出した結論が、控訴審における、法律のプロのみによる裁判で、

あっさり覆される可能性は、十分にある。

一審だけ、素人である裁判員が刑事裁判に参加する必然性が認められない。

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