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2012年01月13日(金) |
「鳴り止まぬ携帯電話にNYフィル指揮者が手を止めた」←ウォール・ストリート・ジャーナルがトップで取りあげるほどの出来事です。 |
◆記事:鳴り止まぬ携帯電話にNYフィル指揮者が手を止めた(ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年 1月 13日 20:13 JST)
マーラー交響曲第9番の最終章は死すべき運命のスローな反芻であり、
弦楽器のみで演奏される静かなセクションからなる。
10日夜のニューヨーク・フィルハーモニックの演奏はアイフォーンに中断された。
エイブリー・フィッシャー・ホールの最前列から聞こえてきた耳障りな携帯電話の音――
木槌製楽器を模倣した携帯電話の「マリンバ」の音――が楽章の途中で邪魔をした。
電話の音は直ちに消されず、観客は迷惑そうに頭を振った。
音はなり続け、指揮者のアラン・ギルバート氏は左側を振り向き、不快感を露わにした。
木槌製楽器を模倣した携帯電話の「マリンバ」の音――が楽章の途中で邪魔をした。
電話の音は直ちに消されず、観客は迷惑そうに頭を振った。
音はなり続け、指揮者のアラン・ギルバート氏は左側を振り向き、不快感を露わにした。
数分が経過。静かなセクションに達するたびに、物静かで敬けんな楽器の音を上回り、携帯電話が鳴り響いた。
ついにギルバート氏は業を煮やし、オーケストラを制止した。
フィルハーモニックの広報担当者は11日、ギルバート氏はそれまで、
携帯電話音や他のどのような種類の障害でも演奏を停止したことはなかったと述べた。
不愉快な騒音が繰り返し続くなか、ギルバート氏はその音のする方向を向いて、
携帯電話をオフにするようきっぱりと求めた。
携帯電話の音――アラームだったとみられる――は、それでも鳴り続いた。
観客も不快に感じていた。たまたま19列目に座っていたウォール・ストリート・ジャーナルの記者には、
バルコニー席からのヤジが耳に入った。ある男性は「いい加減にしろ」と怒鳴り、
もう一人は「つまみだせ」と叫んだ。
観客も同意のしるしに拍手したり大声を上げた。こうした騒ぎのなかでも、携帯電話の音は鳴り続けた。
ギルバート氏はその翌日、ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューで、
交響曲の「最も情熱的で最も雄大で最も感極まる箇所」で、
電話の音により、恍惚状態から引き戻された感じだったと話した。
「感情的にも精神的にも夢の彼方に到達している部分だ。ある意味でショックだった」と語った。
もっと意外なことに、オーケストラのメンバーが定期会員と認識できた電話の持ち主である張本人は
直ちに非を認めたり、音を消したりしなかった、と同氏は述べた。
ギルバート氏は、「何度も何度もお願いしなければならかった」と言い、
「奇妙だった。持ち主は恥ずかしすぎて、まひしてしまったのかもしれない」と続けた。
ギルバート氏はこの男性の名前を知らないが、オーケストラの顧客関連部署が
男性に電話をしてもっと早く行動を取らなかった理由について尋ねる計画だという。
フィルハーモニックの関係者は、この定期会員の名前を明かすことは避けた。
指揮者のギルバート氏自身が呼びかけた後、男性はポケットに手を突っ込み、携帯電話の音を消した。
ギルバート氏はこの男性に、「オフになったか、また鳴り出したりしないか」と念を押した。
男性はうなずいた。
ギルバート氏は満足して観客のほうを見た。同氏は、通常は邪魔は無視するのが最善の策だと語った。
というのも反応すればその方がかえって邪魔になるからだと話した。ギルバート氏は観客に謝罪を込め、
「あまりにも甚だしくて無視できなかった」と語った。観客からは拍手が鳴り響いた。
ギルバート氏はさらに快活に、「もう一度やりましょう」と述べた。
ギルバート氏はオーケストラの方を向き、相図をして、力強いフォルティッシモのセクションから再開した。
マーラー交響曲第9番は最後の物静かな音符に到達し、ギルバート氏は腕を止め、
演奏者たちは動きを止めて長い絶妙な沈黙が広がった。
観客は息を止めて聞き入った。
◆コメント:ダメですよ。
これはですね。言語道断なんです。
クラシック音楽が嫌いなら嫌い、で全く構わないし、一生に一度もコンサートに行かない人も大勢いるでしょう。
それは、完全に個人の自由ですが、好きだろうが嫌いだろうが、クラシックのコンサートを聴きに行ったら、
その間は
「郷に入りては、郷に従え」(When in Rome, do as the Romans do.)
です。
いきなり、話がそれますが、CD(コンパクト・ディスク)が発明されて、最も恩恵を受けたのはクラシック音楽の
録音再生です。
この事件が起きた、マーラーの交響曲など最たるものですが、一度生で聴くと分かりますけれども、
クラシックが他と全然違う事の一つは、ダイナミック・レンジといって、最弱音と最強音の幅が
ものすごく広いのです。
従来のアナログでも良い音していたのですが、何しろ、針がレコード面に接していますから、
ノイズを完全にゼロにすることができない。
それ以前に、実は私はオーディオ・マニアでは無いので、大雑把なことしか書けませんが、録音する際に、
昔のアナログ方式ですと、ダイナミックレンジが広いマーラーの交響曲のような音楽を録音するときに、
最弱音を綺麗に拾うと、最強音で音が割れる、というか音質が悪くなり、
反対に、最強音を割れない音質で録音すると、五月蠅いことを言うとですね、
最弱音が何だかかすれ気味になる、というジレンマがあったのですが、それがCDでかなり解決されたのです。
つまり、新しい録音方式、音楽の記録技術・媒体の発明を余儀なくするぐらい、
ダイナミックレンジが広い、ということです。それを言いたいのです。
マーラーの交響曲第9番。私も宮本文昭さんがいた頃のケルン放送響が来日したときに、
聴きに行きました。サントリーホールでした。
それ以前にも、私は元来クラシックが好きですから、何度もオーケストラを聴いたことがあったのですが、
このマーラーの9番の終わり近くのピアニッシモは、ちょっと例えようがないほどの超ピアニッシモなのです。
随分慣れていた私ですら、あまりのピアニッシモに、それまでにないほど緊張しました。
咳などしたら、音楽が台無しになってしまう。自分の呼吸音すら雑音になるのではないか。
緊張のあまり、心臓がドキドキしたんですが、その「ドキドキ」がもしや、聞こえて音楽を妨害しないだろうか?
と、思ったのを覚えています(実際には心臓の鼓動が音として他に聞こえる訳はないのに、です)。
そして、絶対に身体を動かさないようにしました。
下手に身体を動かして、パンフレットを床に落としたら大顰蹙。
極度の緊張に「冷や汗」をかきました。それぐらい「前代未聞の最弱音」になります。
当然、演奏者はもっと緊張しています。並ではありません。
他にはそう滅多にないほど、マーラーの交響曲第九番の終わりはデリケートなのです。
だから、この記事、ちょっと信じられません。日本でも最近、携帯の着信音が演奏中に鳴って、
そのコンサートが台無し、ということが頻発してます。
少なくとも、クラシックのコンサートやリサイタルでは、会場に入る前に携帯の電源を切らなくてはいけない。
中には、それでも電源を切ったつもりでも誤操作で切れてない、という事態を防ぐため、電池パックを外す
という人までいるのです。こういう人はものすごく良心的ですが、残念ながら、無神経も多い。
これは、「お高くとまる」とか何とかではないんです。
私がマーラーの9番を聴いた頃は、携帯が今ほど普及していなかったけど、
残念なことに、曲の一番最後。音がなっているかいないかのギリギリまで
弱音になります。でしばらく静寂があり、パラパラと拍手が盛り上がる、となるべきところ、
まだ、弦楽器奏者達が音を出している最中に、いきなり拍手をした若いのがいました。
コンサートマスターが嫌な顔してましたねー。本当に残念そうでした。
大袈裟ではなくて、私、危うくその男を殴るところでした。
そういうデリカシーを理解しようと思わない、なら、しなくていいですけど、コンサートには
来ないで下さい。来るなら私がいないことを祈った方がいい。
真面目な話、今度は、本当に殴ってしまうかもしれません。
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