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2005年01月13日(木) |
NHKだけの問題ではない。他のテレビ局、新聞社も国家権力の介入を受けてるはずだ。 |
◆記事1:「政治介入で番組内容変更」NHKプロデューサー会見
NHK番組制作局の長井暁チーフ・プロデューサー(42)が13日、東京都内で会見し、昨年末にNHKの内部告発窓口「コンプライアンス(法令順守)推進委員会」に、2001年1月に放送した番組で「政治介入を許した」として、調査を求めたことを明らかにした。
この番組は「戦争をどう裁くか」。民間団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)が開催した「女性国際戦犯法廷」を取材したが、同法廷が昭和天皇と日本国家の責任を認める判決を出した点などに触れなかった。
バウネット側は同年7月に「事前説明と異なる内容に変更された」として東京地裁に提訴。昨年3月、制作会社に「事前説明通りの番組になるとの期待を抱かせた過失がある」と賠償命令を下す判決が出ている。
番組を手掛けた長井プロデューサーによると、中川昭一衆院議員、安倍晋三官房副長官(当時)らが、放送直前に同局の国会対策担当だった総合企画室の野島直樹担当局長(現・理事)らを呼び出し、番組の放送中止を要請。NHKでは、当時の松尾武放送総局長の指示で一部をカットし、通常44分の番組を40分に短縮して放送した。
長井プロデューサーは「不利益を被るかもしれないと、この4年間悩んできた」とした上で、「NHKは独自の判断で編集したと説明しているが、現場の声を無視し、政治的圧力を背景に番組を変更した。幹部の責任は重大」と語った。
◆記事2:事実と全く違う NHK問題で安倍氏反論
自民党の安倍晋三幹事長代理は13日午後、従軍慰安婦をめぐる番組をNHKが安倍氏らの指摘を受け内容変更して放映したとされる問題で「(番組担当の)プロデューサーは事実と全く違うことを述べている」と反論した。党本部で記者団の質問に答えた。
安倍氏は、放送直前の2001年1月29日にNHK幹部と会ったことについて「NHK側が『予算の説明をしたい』ということで時間を割いた。その中で先方から党で話題になっていた番組の説明もあり、私が『公平公正な報道をしてもらいたい』と述べたのが真実」と説明した。(共同通信) - 1月13日19時3分更新
◆コメント:どちらかがウソをついていることだけは、明らかだ。
我々は真実を知らない。状況から推測するしかない。
NHKの長井プロデューサーの証言と、安倍晋三氏の発言では、内容が正反対である。従って、どちらかが嘘をついている、と考えるのが普通である。
結論から言うと、国家権力が圧力をかけたと考えた、と考える方が自然である。
長井プロデューサーはサラリーマンである。
マスコミの人間ではなくても、サラリーマンならば、今日の長井氏のような大胆な行動を取ったら、組織の中でどういう目に遭うか、容易に想像できる。
下手をしたら、路頭に迷う。
それでもなお、NHKという会社と、さらには日本国という国家を敵に回す行動を取るからには、余程切迫した感情とそれをもたらした歴史的事実があったと考えるのが自然である。
また、12月17日の日記で書いたが、河野太郎衆議院議員が、自分のメルマガの中で、「テレ朝が核燃料リサイクルの問題を放送したら、スポンサーから猛烈な圧力がかかり、それ以上の放送が出来なくなった」という事実を暴露している。
スポンサーは民放の収入源であり、国家とは違うと言うかも知れない。確かに違う。どう違うかといえば、国家権力の介入の方が強烈だということだ。
何故か。
放送局を開設するためには、国(総務省)の免許を必要とするからである。これは電波法で規定されている。
つまり、国が悪意を持てば、放送局の免許を取り消して、テレビ局を潰すことが可能なのである。国会議員、それも政権政党の議員がこの伝家の宝刀を振りかざせば、全ての放送局は服従せざるを得ない。つまり、「報道の自由」という「清く正しい」概念は、実体的には無きに等しい。
◆国家権力が報道機関の報道内容に介入していることは容易に想像できる。
具体的にいつ、誰が、どの番組の放送を中止させたかなどと言うことは、私も知らない(というか、書けない)が、歴史を振り返ると不思議なことがいくつもある。
戦後最大の疑獄事件といわれた田中角栄のロッキード事件や、1985年の日航123便墜落事故、エイズ薬害事件などは、特に民放の普通の感覚でいえば、非常に「美味しいネタ」である。ところが民放もNHKも一切、この事件、事故をドラマにしたことがない。
これが、犯罪だと、ドラマや映画になっている。三億円事件も、大久保清も、通り魔の川俣軍司も、三菱銀行梅田支店立てこもり事件も、浅間山荘事件も、ドラマや映画になっている。 ところが、ロッキードや123便はドラマにも映画にもならない。変だと思いませんか?
ロッキードはドラマにしたら、自民党支持率低下は間違いがない。
123便は、一応最終報告書が出ているけれども、いまだにネットでは、様々な説がささやかれている。これは、真実かどうか分からないけれども、ある学生は、この事件を詳しく調べようとしたら、大学の担当教授から、この件に首を突っ込むと命が危ないから止めろと云われた、という。
そういう、何か非常に怪しげな問題、国民が、「これこそ真実を知りたい」という事件・事故は、取り上げられない。ここに「きな臭さ」を感じなければ、だめだ。
つまり、強大な権力を持った何者かが圧力をかけているのであろう、と推測するのが自然である。
民放というのは、視聴率を取るためなら、ヤラセだってやるのですよ。もう、それは、手段を問わないですよ。
その連中が、こんな大事件をドラマやドキュメンタリーにしない。不自然だ。
百歩譲って、123便をドラマにするのは、遺族の気持ちを考慮して控えている、ということは有り得る。
しかし、田中角栄がドラマ、ドキュメンタリーにならないのは絶対におかしい。スポンサーは関係無いだろう。ごく普通に考えて、時の政権が圧力をかけ続けているのだろう。
もちろん、これは、完全に状況証拠というか、想像の域を出ない。しかし、河野太郎議員の暴露などを考慮すると、「妄想」とは言えない。民放は、たかが民間企業の圧力にも屈するのである。ましてや、国家権力が相手となったら、何をかいわんや、である。
◆これは、マスコミ各社のジャーナリズムとしての正念場だ。
私の想像が正しければ、殆ど全ての新聞社や、テレビ局は、本来、国民に伝えなければならない重大なニュースに関して、国家権力によって、報道内容を制限されたり、禁じられた経験があるはずだ。
今回、民放局のなかには、NHKの長井プロデューサーが発言した内容を「NHKの会長が国家権力に屈した」として、NHKの体質の問題として報じている局もあるが、それは、問題のすり替えだ。それでもジャーナリストか、といいたい。卑怯だ。
まずは、内閣官房副長官の立場にあった安倍晋三が報道の内容に介入しようとしたのかどうか出来る限り調査・取材すること。その結果したことが明らかになったならば、まず、圧力を加える国家が悪い。国家は、基本的に表現の自由を制限してはいけない。
憲法第21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 」
NHKは、従軍慰安婦の問題について取り上げたというが、とにかく国民が番組を見てみなければ、判断を下しようがないではないか。
それを、放送前に、内容を変更せよ、と指示したのであれば、なにか放送されてヤバい事実があるからだろう、と勘ぐられても仕方がない。
民放各局及び、新聞社はこれをNHKをスケープゴートにして、闇に葬り去るべきではない。
全ての局、新聞社は、「実は、うちも、こういうことを言われたことがある」と暴露すればよいのだ。このクーデターを起こせるか、国家権力に屈するか。
ジャーナリストとして腹をくくることが出来るかどうか、が試されている。
2004年01月13日(火) "Sense of proportion"(平衡感覚)ということ。
2003年01月13日(月) ディズニーランドで成人式ってのはギャグですなあ。