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JIROの独断的日記
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2010年02月19日(金) 「<五輪フィギュア>織田、涙で「自分の責任」靴ひも切れ中断」←敢えて織田選手の「復元力」を讃える。

◆記事:<五輪フィギュア>織田、涙で「自分の責任」靴ひも切れ中断(2月19日19時27分配信 毎日新聞)

「喜劇王」がアクシデントに泣いた。18日(日本時間19日)のバンクーバー五輪のフィギュアスケート男子。

チャプリン・メドレーに乗って演技をした織田信成選手(22)=関大=は、演技中に右足靴ひもが切れて中断したことが響いて7位。

メダル獲得の夢は果たせなかった。「ショックが大きく言葉にならない」と織田選手。語るその目は真っ赤だった。

演技前から靴ひもは切れていたという。だが「感覚が変わると困るから、切れたところをくくってやっていた」と織田選手。

足先のわずかな感覚の変化を嫌ったが、それは裏目に出た。

演技の終盤まで何とか靴ひもは維持した。だが最後のジャンプ、3回転ループの着氷が乱れて手をついた瞬間、

異変が起こった。

「(残った演技要素は)スピンなので、ここまで跳べば(靴に負担がかからずに)行けると思ったけど、全部ほどけた」。

審判に自ら中断を申し出、結び直すための中断で減点された。

織田選手自身も「練習であるけど、試合ではない」と話すように、大舞台でこの種のアクシデントは珍しい。

五輪では、94年リレハンメル大会フィギュア女子でハーディング選手(米国)が演技中に突然泣き出し

「靴ひもが切れた」とアピールしたことが記憶に残る。また92年バルセロナ夏季大会のマラソン男子で

谷口浩美選手が転倒したはずみなどで靴が脱げ、履き直している間に優勝争いから脱落した。

当時32歳の谷口選手は「こけちゃいました」と笑みで名言を残したが、この日の織田選手は引きつった顔で

「自分の責任です」と言った後に泣き出し、言葉が続かなくなった。さらに滑走順が優勝したライサチェク選手(米国)の直後で

「歓声を聞いて足がすくんでしまった」とも。勝負の中でどうにもならないことに対処するには織田選手は若く、ひたむき過ぎたのだろう。

ひもを直してリンクに戻った時、観客は手拍子で迎えた。温かい励ましを受け、織田選手は最後まで演技をやり遂げた。

「お客さんに助けられた。反省して頑張っていきたい」。失敗を胸に刻み、4年後の舞台を目指す。


◆コメント:勿論高橋大輔選手は偉大である。

バンクーバー五輪・フィギュアスケート男子で、日本の男子シングルの選手としては史上初のオリンピックのメダルを

獲得した高橋大輔選手は誠に立派である。

加えて高橋選手には、靱帯断裂後、手術し、ブランクがあったこと。

失礼ながら、裕福な家庭ではないから、御母堂の清登(きよと)さんが、昼は理容店で夜は弁当屋で働き

費用を工面したこと。古いスケート靴をお母さんが、修復して使っていたことなど、承知している。

何事によらず、「初めて」快挙を成し遂げることは、他人には絶対分からない苦労がある。

そのことは全く否定しない。が、高橋選手を賞賛する文章は多分、今日、非常に多いだろうから、

敢えて「失敗をし」た、織田信成選手に注目する。


◆致命的な失敗をしても、その後に影響を残さない「復元力」を持つのがプロである。

「復元力」という日本語は存在しない。私の「造語」であるが、過去、何度かこのことについて書いた

最初の記事で、最も詳しく「概念」について書いている。

2004年10月21日(木) グスタフ・マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」1902年10月19日、初演。

(当時はまだ、ココログにアカウントを持っていない。)

音楽家でもスケーターでも、あらゆる「パフォーマー」は、勿論、まず、失敗をしないぐらいに上手くなることだ。

「上手くなること」には、音楽家もスケーターも、本番に実力を発揮できるように体調を整えること。

「道具」(楽器・スケート靴)の整備に万全を期すこと、が含まれる。

しかし、絶対に失敗をしない人間はいないし、本番で道具に支障が起きることがある(音楽家なら、弦楽器奏者の弦が

演奏中に切れること、などが典型的な例である)。


そのとき、どんなパフォーマーも確実に動揺するが、その動揺をなるべく早く収め(忘れ)て、

次の瞬間からの演奏・演技に支障を来さないのが、上手い人に共通することである。

私は、この「失敗しても、すぐに平常心に戻り、優れたパフォーマンスを続ける能力」を「復元力」と呼び、

「復元力」があるかどうか、が素人とプロの決定的な違いの一つだと、かねて主張している。

織田信成選手はまだ学生で、厳密には「プロ」ではないが、ここで「プロ」とは「本当のエキスパート(専門家)」

のような意味で使っている、とお考え頂きたい。


音楽を例に取ると、リンク先に書いた、マーラーの交響曲第五番は、次のように始まる。


Mahler Symphony No.5



(因みにこれは、シノーポリ=フィルハーモニア管弦楽団のCDである。)

この曲では、冒頭から12小節、音を出しているのは第一トランペット奏者だけ、である。

オーケストラが加わってくる部分も含め、第一トランペット奏者だけの音を聴いてみる。

これは、ニューヨーク・フィルハーモニックの首席トランペット奏者、フィリップ・スミス氏のレッスン用CDである。


Marler the Fifth Trp. Solo



この冒頭12小節でミスをしたら、一挙に白ける。はっきり言って、それだけでその日のマーラーの五番は「おしまい」である。

それだけに、このソロは、プロのトランペット奏者にとって、やはり大変なプレッシャーらしい。

リンク先の記事にも書いたが、私はロンドンでクラウディオ・アバド=ベルリン・フィルの、

マーラーの五番を聴いたことがあるが、第一トランペット奏者が派手にソロでミスをした。ミスの次の音が震えるぐらい

トランペット奏者が動揺していることは明らかだったが、その次の音から、完全に「復元」した。

マーラーの五番では、冒頭だけではなく、トランペット奏者にとっての「難所」がいくつもあるが、

彼は、曲の終わりまで、二度とミスをしなかった。見事な「復元力」であった。


今日の織田信成選手を見ていて、あの時のベルリン・フィルのトランペット奏者を、思い出した。

靴紐が切れかかっていたが、感覚が変わるとまずいので、交換しなかった選手は過去にもいたかもしれない。

ただ、運が良く、本番中には切れなかった、という選手が。


織田選手本人が「自分の責任だ」と認めていて、誰よりも辛いのは本人なのであるから、

この「事故」に関しては、以後、非難するべきではない。

それよりも、
「言葉にならない」

ほどのショックを受けながらも、演技を再開し、その後大きなミスをしなかった、織田選手の

「復元力」を、敢えて、讃えたい。

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