JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:<五輪フィギュア>織田、涙で「自分の責任」靴ひも切れ中断(2月19日19時27分配信 毎日新聞) 「喜劇王」がアクシデントに泣いた。18日(日本時間19日)のバンクーバー五輪のフィギュアスケート男子。 ◆コメント:勿論高橋大輔選手は偉大である。 バンクーバー五輪・フィギュアスケート男子で、日本の男子シングルの選手としては史上初のオリンピックのメダルを ◆致命的な失敗をしても、その後に影響を残さない「復元力」を持つのがプロである。 「復元力」という日本語は存在しない。私の「造語」であるが、過去、何度かこのことについて書いた。 2004年10月21日(木) グスタフ・マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」1902年10月19日、初演。 (当時はまだ、ココログにアカウントを持っていない。) 音楽家でもスケーターでも、あらゆる「パフォーマー」は、勿論、まず、失敗をしないぐらいに上手くなることだ。 「上手くなること」には、音楽家もスケーターも、本番に実力を発揮できるように体調を整えること。 「道具」(楽器・スケート靴)の整備に万全を期すこと、が含まれる。 しかし、絶対に失敗をしない人間はいないし、本番で道具に支障が起きることがある(音楽家なら、弦楽器奏者の弦が 演奏中に切れること、などが典型的な例である)。 そのとき、どんなパフォーマーも確実に動揺するが、その動揺をなるべく早く収め(忘れ)て、 次の瞬間からの演奏・演技に支障を来さないのが、上手い人に共通することである。 私は、この「失敗しても、すぐに平常心に戻り、優れたパフォーマンスを続ける能力」を「復元力」と呼び、 「復元力」があるかどうか、が素人とプロの決定的な違いの一つだと、かねて主張している。 織田信成選手はまだ学生で、厳密には「プロ」ではないが、ここで「プロ」とは「本当のエキスパート(専門家)」 のような意味で使っている、とお考え頂きたい。 音楽を例に取ると、リンク先に書いた、マーラーの交響曲第五番は、次のように始まる。 Mahler Symphony No.5 (因みにこれは、シノーポリ=フィルハーモニア管弦楽団のCDである。) この曲では、冒頭から12小節、音を出しているのは第一トランペット奏者だけ、である。 オーケストラが加わってくる部分も含め、第一トランペット奏者だけの音を聴いてみる。 これは、ニューヨーク・フィルハーモニックの首席トランペット奏者、フィリップ・スミス氏のレッスン用CDである。 Marler the Fifth Trp. Solo この冒頭12小節でミスをしたら、一挙に白ける。はっきり言って、それだけでその日のマーラーの五番は「おしまい」である。 それだけに、このソロは、プロのトランペット奏者にとって、やはり大変なプレッシャーらしい。 リンク先の記事にも書いたが、私はロンドンでクラウディオ・アバド=ベルリン・フィルの、 マーラーの五番を聴いたことがあるが、第一トランペット奏者が派手にソロでミスをした。ミスの次の音が震えるぐらい トランペット奏者が動揺していることは明らかだったが、その次の音から、完全に「復元」した。 マーラーの五番では、冒頭だけではなく、トランペット奏者にとっての「難所」がいくつもあるが、 彼は、曲の終わりまで、二度とミスをしなかった。見事な「復元力」であった。 今日の織田信成選手を見ていて、あの時のベルリン・フィルのトランペット奏者を、思い出した。 靴紐が切れかかっていたが、感覚が変わるとまずいので、交換しなかった選手は過去にもいたかもしれない。 ただ、運が良く、本番中には切れなかった、という選手が。 織田選手本人が「自分の責任だ」と認めていて、誰よりも辛いのは本人なのであるから、 この「事故」に関しては、以後、非難するべきではない。 それよりも、 「言葉にならない」 ほどのショックを受けながらも、演技を再開し、その後大きなミスをしなかった、織田選手の 「復元力」を、敢えて、讃えたい。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年02月19日(木) 19日は「メヌエット」で知られるボッケリーニの誕生日。「メヌエット」「フルート・ソナタ」「コントラバス・ソナタ」「交響曲」
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