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2024年09月29日(日)
『オオカミが現れた:イ・ランの東京2夜ライブ』

『オオカミが現れた:イ・ランの東京2夜ライブ』@草月ホール


入口に炭化したかのような黒い造花。悼みの花はステージにも飾られ、イ・ランの衣装にもあしらわれていた。ばっくり背中の空いたノースリーヴのカットソー(要は腹がけなんだけど、めちゃめちゃスタイリッシュ)とパンツは、枯葉にも花弁にも見える黒いチップに覆われている。ミノムシのようにも見える。

後述のSweet Dreams Pressのツイートによると、この花のモチーフは黒いパンジーだったとのこと。環境に配慮した衣裳でもあるという。Sweet Dreamsさんはいつもこうした制作の裏側についても教えてくれて、コンサートをつくりあげた全員への敬意が感じられて大好きです。長年メルマガ愛読してます! ジョアンナ・ニューサムまた呼んでください(教会でのライヴはオールタイムベストのライヴです)!

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ようやく観られたイ・ランのライヴ。五人のオンニ・クワイヤを含む十人編成のバンドで、最新作『オオカミが現れた』からのナンバーを中心に。オンニ・クワイヤのメンバーは皆サラリーマン。金曜日と月曜日の休暇をとって来た、とのこと。第1夜は前日のWWW X公演で、この日は第2夜。草月ホールの落ち着いた空間がとてもよく似合っていた。耳を澄ます。歌に聴き入る。

ステージ後方にスクリーンが設置されており、歌詞の日本語訳が映し出される。MCは全て日本語。最前列の席にはイ・ランの友人たち。ときどきイ・ランが「〜の日本語、なんていうんだっけ?」と訊き、友人たちがそれに答える。「開演前に何度もテストしたんだけど、歌詞が見えない席が出てしまって。見えなかったひとは終わったあと来てください、ジュンイチ(イ・ランの猫。ファンの間では有名)のステッカー3枚セットをあげます」。笑いつつもその気遣いに居住まいを正す。彼女は「歌詞を伝える」「自分のいいたいことを伝える」ことに細心の注意を払っているのだ。

歌とともに彼女の痛みはシェアされる。ここ数年彼女に起こったことはあまりにも痛みに満ちている。悲しみに押し潰されてしまう前に、こうして歌を聴かせてくれたことに感謝したい。

それにしても惹きつけられる声。「最新作では声を張り上げる曲をたくさん書いたので喉が痛い」といっていたが、大きな声にもささやき声にも芯があり、よく通る。PAはあるが、ギリギリ生音と感じられる音響も心地よかった。長年の相棒であるイ・ヘジのチェロを筆頭に、イ・ランのアコースティックギター、イ・デボンのエレキベースとウクレレ、カン・ジョンホのドラム、ナナのキーボードとカリンバも、とても繊細な響きを聴かせる。ひっそりとしたサウンドチェックも印象的。PAを通す前の、コロコロとしたキーボードの音がずっと耳に残っている。

丁寧なMCと、くだけたMC。ツカミはジュンイチの名前の由来。『ピューと吹く!ジャガー』のジャガージュン市からとったという話。静まり返る観客に向かって「日本人はこういうときとても静かになる、怖い」という話。こ、怖くないよ! 集中の妨げになったらいけないかなと思って! 伝われ〜と沢山拍手をしました。最前列に空席のあることが落ちつかないらしく、「○○○○(実名)来れなかった? 仕事? そう、仕事か……」といったあと「最前列にはともだちを呼んでいる」と説明する。「折坂(悠太)来てる? butajiもいる?」と客席に呼びかけ、後方席にいた折坂くんとbutajiが「オンニ、いるよー」と手を振ると、「なんでそんな後ろにいるの? 来るならいってくれれば席を用意したのに。空いてるし、ここ(最前列)に来なよ」という(来なかった・笑)。客席にはマヒトゥ・ザ・ピーポーの姿も。

「よく聞いていますよ」のPVは、当時ライヴで日本に来たときお金がなくて○○○(駅名いってたけど一応伏せますね・笑)に住んでいたともだちの部屋に泊めてもらっていた。パジャマを着て、部屋で話したりしているうちに曲が出来(!)、PVを撮ろうという話になり、近くの公園に出かけて行って撮った。と話し、「イムジン河」では在日のともだちへと唄う。1番は朝鮮語で、2番は日本語で。

彼女の歌はプロテストソングだと思う。マイノリティへの歌。何故こんなに貧しいひとたちがいるのか。何故愛し合っているふたりが結婚出来ないのか。クィアの韓国人とロシア人のカップルの結婚式で唄った「何気ない道」のあと、今アジアでクィアが結婚出来るのは台湾だけ? と訊き、客席から「最近タイもそうなったよ」という声があがる。民主化記念式典で披露する筈だった「オオカミが現れた」は、尹錫悦大統領の検閲により演奏を禁じられたという。出演する予定だったバンドと、オンニ・クワイヤへのギャラも支払われていない。だから今裁判をしている。私は何も悪いことはしていない。だから勝つ、と強く宣言した。歓声と拍手が起こる。

空気が変わったのは「生きることと眠ることとお姉ちゃんと私(PRIDE)」のとき。演奏前、スクリーンにタイトルが映し出された瞬間、客席に緊張が走ったように感じたのは気のせいだろうか。イ・ランのお姉さんの歌、お姉さんへの歌だ。毅然と唄い終えたあと、長い沈黙があった。何から話そうか考えているようでもある。言葉につまり、頰に涙が流れた。訥々と話し始める。

「オンニ・クワイヤは非婚、クィア、フェミニストのオンニ(一般的にいうお姉さん。年長の女性)たちについて唄う合唱隊だったけれど、今日(昨日)は初めてオンニ(イ・ランの実のお姉さん)のことを一緒に唄えた」。今回の日本公演がライヴデビューだったそう。彼女のお姉さんが自死していることを、観客の殆どが知っている。歌を通して知るオンニの姿。そんなオンニが大好きだったイ・ラン。どうすれば彼女の悲しみを和らげることが出来るのだろう。多くのひとが見守ることで、彼女の心に少しでも平穏が訪れてほしいと願う。

彼女のインタヴューで「ヘル朝鮮」という言葉を知った。ヘルジャパンに生きる自分にもその歌は強く響く。地獄に生きるということ、それに異議を申し立てること。聖書には、弱きものや辛い思いをしているひとこそ世の光であると書かれているのに、現実はそうではない。そういう思いをしているひとのに慰めになれるようなセットリストを組んだと話していた。そんな彼女の歌を聴くことで、わたしたちは彼女の慰めになるだろうか、彼女に寄り添えることが出来るだろうか? 思いを届けたくて、ひたすら拍手を送る。

ジュンイチの病と自身の病。草月ホールは1年以上前から押さえていたので、行けなくなったらどうしようとずっと心配だったそう。チケットの発券スケジュールが延びたりと、こちらもドキドキして待った当日だった。Sweet Dreamsは、彼女の事情を汲んだ上で経過を逐一報告してくれた。滞在は極力短くしたいとのことでゆっくりは出来なかったようだけど、無事終えられてよかった、またいつか。

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親ツイートとセトリのみ張りますが、今回のツアーに関わったひとたちのことも丁寧に紹介されているのでスレッド全部読んで〜! プレイリストも有難いです!


「服が変わらなくても会場ごとに雰囲気が違うのでむしろ好き」(アプリ翻訳)。そうですね、素敵な写真いろいろ

・「ジュンイチ心配だね」「もう結構な歳の筈」「そもそも『ピューと吹く!ジャガー』からのネーミングということは、生まれたの(連載開始の)2000年以降? 長生き!」などと驚き、「といえばさ、折坂くんってイ・ランより歳下なんだよね」「オンニって呼んでたもんね」「折坂くんを初めて観たの江戸アケミの法事(Jagatara2020『虹色のファンファーレ』)だったんだけど、そのとき『僕アケミさんが亡くなった年に生まれて……』て自己紹介してフロアがどよめいたんだよね(実際は折坂くん1989年9月生、アケミ1990年1月没。年度でいえば同じ年になるか?)」「えええ〜!(どよめき)」「老成してるというか歳の割に落ちついてるもんねえ」てなことを話し乍ら帰路に就きました



2024年09月28日(土)
BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2024 Bプロ『だから踊ろう…!』『2人のためのアダージオ』『コンセルト・アン・レ』『ボレロ』

BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2024 Bプロ/ミックス・プログラム『だから踊ろう…!』『2人のためのアダージオ』『コンセルト・アン・レ』『ボレロ』@東京文化会館 大ホール


長身のダンサーは腕や脚のストロークも大きく、その分リズム(文字通り)とズレていくことが多い。それはそれで優雅で美しいが、大橋さんはボレロのリズムにジャストなムーヴだった。音にぴったりということが心地よさを生み、“踊る”ということを思い出させてくれる。そのさまがリズム(テーブルを囲むダンサーたち)へと波及していくかのように、音楽と共にある『ボレロ』だった。

思えばジョルジュ・ドンもそんなに大柄ではなかったものね。

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『ボレロ』のメロディーを踊るダンサーはチケット発売前にスケジュールが発表されていて、ジュリアン・ファヴローは初日の金曜日だった。ううーん平日、厳しい…前回(2021年)ジュリアンで観たし、また観られるかな、大橋さんのメロディーは日本初披露だし……と、大橋さんの回を選んだのだった。その後ジュリアンの引退が発表された。いつが最後になるか判らないものですね。エリザベット・ロスも、キャサリーン・ティエルヘルムのメロディーも観たかったですよ。そりゃ金と時間があれば全部観たかったですよ〜!

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■『だから踊ろう…!』
振付:ジル・ロマン
音楽:ジョン・ゾーン、シティパーカッション、ボブ・ディラン
衣裳:アンリ・ダヴィラ
照明:ドミニク・ロマン

コロナ禍でツアーが出来なかった2021年にローザンヌで創作、発表された作品。この年亡くなったパトリック・デュポンに捧げられている。instaに続々とアップされていくリハーサルや初演の様子を観ていて、日本でも上演してほしいなあと思っていた。うれしい。
コンタクトが多いバレエという踊り、ひとが集まることにすら恐怖があった日々の鬱憤を晴らすかのような、踊ることの喜びに満ちた作品。笑顔で踊るダンサーが多くてこちらも笑顔に。エアリーでカラフルな衣裳にもJoyが詰まっている感じ。
最後にポワントを脱ぐという演出はダンサーによって違うらしい(何の暗示だろう?)。この日観た大橋さんは脱いでいた。カーテンコールのとき、フロアに置かれていたポワントを回収するところがなんだかかわいかった。
ジョン・ゾーンやボブ・ディランという選曲も好み。ゾーンは『人はいつでも夢想する』でも起用されていて(しかもよりにもよってNaked Cityの「Blunt Instrument」)、ジルは「(ジョン・ゾーンの音楽を)尊敬している」と話していた。
今作やジルの振付作品をBBLのレパートリーに残すかはジル次第だそう。上演権はジルが持っているということかな。今後ジルが振付作品を発表する機会はあるのだろうか。

■『2人のためのアダージオ』
(『マルロー、あるいは神々の変貌』より抜粋)
振付:モーリス・ベジャール
音楽:ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
衣裳:アンリ・ダヴィラ
照明:リュカ・ボルジョー、ガブリエル・プティ

踊るジュリアンを観られるの、私はこれが最後になるのかな(涙)。観られてよかった……ジュリアンとエリザベットのパートナーシップはやはり格別。銃殺刑直前の兵士と、彼に歩み寄る死のダンス。煙草という小道具も粋。今こういうシチュエーションで使われるのにいい小道具って何になるのだろう? と思ったりもする。
それにしてもエリザベットのタフなこと。『だから踊ろう…!』にも出ていたし、ソワレでは『ボレロ』でメロディーも踊る。この日はのべ5本分踊ったことになる。十市さんと同い歳。現時点でメロディーを踊っている最高齢のダンサーでもあるらしい。すごい!

■『コンセルト・アン・レ』
振付:モーリス・ベジャール
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
衣裳:アンリ・ダヴィラ

暗転してすぐにえっまた最初から観たい! と思う。華やかなコールドバレエも、緊密なパ・ド・ドゥも、ストラヴィンスキーの音楽とドンピシャに見えた。ダンサー、照明、空間。それだけで場が祝祭感に溢れる。次いつ観られるのはいつかしら(気が早い)。

■『ボレロ』
振付・演出:モーリス・ベジャール
音楽:モーリス・ラヴェル
装置デザイン、衣裳:モーリス・ベジャール
照明:リュカ・ボルジョー、ガブリエル・プティ

日本人では6人目かな、と十市さんが仰ってました。これ迄の5人(首藤康之、後藤晴雄、高岸直樹、上野水香、柄本弾)は東京バレエ団(在籍/出身)のダンサーですが、本家BBLでは初めての日本人メロディー! やっぱりうれしくなってしまう。後述インタヴューによると、BBLでアジア人ダンサーがメロディを踊るのは、男性も含め大橋さんが初めてとのこと。
先述したように音楽にぴったり。大きく開かれた掌、柔らかく揺れる体幹。音に身を任せているようでいて、音を操っているようにも見える。リズムたちはメロディーに寄り添い、支え、メロディーはリズムへと手を差し伸べる。共に歩み、互いを高め合うかのようにクライマックスへ向かう。
暗転の瞬間、割れんばかりの拍手。ダブルコール、トリプルコールと幕が上がる度、女性からの「ブラボー!」という声が増えてくる。日本人で、女性でといった称賛だけでなく、憧れや目標といった思いも込められていたように感じる。
壇上の彼女を迎えるリズムたちも笑顔。いいカンパニーだなー。何度も礼をしていた大橋さん、最後の最後にちいさく手を振りました。
それにしてもオスカー・シャコンがリズムにいるとドキドキしますね。いちばん最初にリズムのソロを踊るのが彼なのですが、一歩前に出た瞬間に客席が「きたっ!」という空気になる。頼りになるリズムの隊長! って感じ。

近くの席の女性3人組は、終演後もおんおん泣いていた。飛行機で駆けつけたと話していたけれど、ご友人だったのかも。素敵な光景。

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十市さんが撮影した初日のカーテンコール。ほんとにね、また踊るジュリアンが観られたらうれしいな。
そうそう、ジュリアンが引退すると、BBLに男性のメロディーがいなくなる。そもそもジュリアンがメロディーになったときも、久しぶりの男性メロディーっていわれてたよね。本家には男女両方のメロディーがいてほしい


9/28のカーテンコール


東京公演千秋楽のカーテンコール

・ジュリアン・ファヴロー&エリザベット・ロス インタビュー┃NBS News ウェブマガジン
ジュリアン:(17歳でBBLに入団して)「君はキュートでナイスだけど、もっとバレエ以外のところからインスピレーションを得るべきだ」と言うんだ。当時の自分はまだ若くて、音楽も聴いていないし本も読んでいないし、何も返すものがなかったからね。ベジャールはダンサーとの意見の交換をとても大切にしていたよ。
エリザベット:それまでいたカンパニーがクラシックすぎるなと思ってここに来て、1年くらいやってみようと思っていたんです。今ではここをホームだと思っていて、その理由はダンスだけでなくダンスと演劇的なものが両立しているからなんです。
それにしてもジュリアンは受け答えはいちいちかわいい

・大橋真理が“自分を作らない”で踊る「ボレロ」への思い┃ステージナタリー
“リズム”のダンサーたちも、みんなで盛り上げよう!という感じで踊ってくれるんです。終演後は、ダンサーも「僕はあそこでああやったけど、見てくれた?」と話しかけてくれたり。こちらからは全部見えているので「もちろん! 見てたよ!」というやりとりはよくしています。向こうも見てほしくて、けっこう狙ってくるんですよね。
乗越たかおさんによるインタヴュー

・『わが夢の都ウィーン』 の日本公演が実現するときはくるのかな。ベジャール作品の版権もジルが持っていたという話だけど、この辺はどうなったのだろう


ちなみにリズムにBBLだけの来日メンバーだけでは足りないので(笑)、山田眞央さんら東京バレエ団のダンサーが入っていたそうです。なんか見たことのあるひとがと思っていた(笑)



2024年09月22日(日)
BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2024『バレエ・フォー・ライフ ─司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま』

BÉJART BALLET LAUSANNE JAPAN TOUR 2024 Aプロ『バレエ・フォー・ライフ ─司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま』@東京文化会館 大ホール


隣のおじちゃんは「ミリオネア・ワルツ」辺りからもう泣いており、ジョルジュ・ドンの「ブレイク・フリー」では肩を震わせて泣いていた。わかる。私も嗚咽が漏れそうなの堪えてたから頭痛くなったんだよ……。

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振付・演出:モーリス・ベジャール
音楽:クィーン / W.A.モーツァルト
衣裳:ジャンニ・ヴェルサーチ

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3年ぶりの来日公演、前回(2021年)に引き続きの『バレエ・フォー・ライフ』。当初は違う演目(ベジャール旧作の復刻上演『わが夢の都ウィーン』)が発表されており、『バレエ〜』は地方公演のみの筈だった。3年の間に、バレエ団にはいろんなことがあった(詳しくはこちら)。小林十市が戻り、オスカー・シャコンが復帰した。ジル・ロマンが去り、ジュリアン・ファヴローが芸術監督に就任した。今回の公演は、バレエ団の24/25シーズンの幕開けを飾る。

9月入り、オンライン記者会見で、ジュリアンが日本で踊るのは最後になると発表された。芸術監督との兼任は難しいだろう、最後の日本公演になるのではないか、という予感はあったが、やはり寂しい。バレエ作品の配役は、ダンサーのコンディションを考慮し公演当日の数週間に(数日前のことも)発表されることが多い。『ボレロ』のメロディーのように主役級のスケジュールはチケット発売前に出ることもあるが(今回は出た)、怪我などがあれば当然変更される。ダンサーファーストという方針は歓迎したい。それだけ身体への負担が大きいのだ。バレエという舞踊のハードさがわかる。

という訳で、残念乍らチケットをとった回にジュリアンは出演しなかった。あの花束のようなかわいらしさのジュリアンのフレディを、もう観ることが出来ない。

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2006年、2021年に続き、個人的には3度目の『バレエ・フォー・ライフ』。1度目と2度目、フィナーレの「ショウ・マスト・ゴー・オン」で、ダンサーたちを迎える役はジルだった。もともとはベジャールが務めていた役だが、初めて観た2006年の公演では、ベジャールの渡航にドクターストップがかかったのだ。フィナーレはジルに任された。日本公演では初めてのことで、ほぼサプライズだったと記憶している(当時はSNSもなく、情報伝達が今程早くなかった)。ベジャール亡きあとバレエ団の芸術監督にジルが就任し、以降ずっとあの役はジルだった。

今回『バレエ〜』が上演されると知らされたとき、真っ先に浮かんだのは「フィナーレのあの役は誰がやる?」だった。ジュリアンが務めるのが順当だろうが、今作にジュリアンはフレディ役で出演している。両方やるのは無理ではないか……。その後インタヴューでジュリアンが「僕は(あの役を)やりません。素敵なアイディアがあるんです。楽しみにしていて」と話しているのを読んでいた。となると、思いつくことは限られる。何らかの形でベジャールを迎える。あるいはサプライズでジルを……いや、これはないか。

果たしてそこにはベジャールがいた。蜷川幸雄が亡くなった直後の、『尺には尺を』のカーテンコールを思い出す。このときは、“ショウ・マスト・ゴー・オンをこんな形で観たくはなかった”と思ったものだ。しかし今回は違う。ある意味これは、元の状態に戻ったともいえる。

カーテンコールの幕が上がると、ステージにはベジャールがいた。掲げられているのではなく、遺影がフロアに直接置かれている。そこへダンサーたちがひとりひとり駆け寄っていく。キスをし、ハグをし、一礼する。だいじそうに触れる、すっと歩み寄り、じっと見る……もうドッと泣いてしまったのだが、頭の一部は冷えていて「えーとこのあとどうするんだ? 皆で手を取り合い、一歩一歩前進する美しい歩行を見せるシーンだが?」などと思う。結果どうなったかというと、遺影の両端をダンサーが持ち、一緒に歩み出したのだった。ちょっともたついているところもある。拍手の嵐が続く。何度目かのカーテンコールを終え、下りた幕の向こうからダンサーたちの歓声と拍手が聴こえた。また涙が溢れる。

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本編の話を。ガラではなく通しで観るに値する作品で、振付家としてのベジャールは勿論だが、演出家・ベジャールの凄みを思い知る。AIDSによって失われた唯一無二の才能、フレディ・マーキュリー、ジョルジュ・ドンを悼む。“Oh, Yes!”と“Oh, No!”、快楽と苦痛に満ちた、長く短い人生の儚さが描かれる。目覚め、生き、また眠りにつく。いつか目覚めないときが来る。そのときひとは何を残すのか? 上空に投げられる白いシーツの眩しさが、ダンサーたちの躍動する肉体が、目に、脳裏に焼き付く。

2022年にバレエ団へ復帰したオスカー。出てくるだけで目をひく。あのムーヴ、あのポーズ……まさに「ベジャールのダンサー」。カリスマがあり、観客のレスポンスも大きい。彼の復帰を喜んでいるファンは多いに違いない。初演から唯一、同じ役を踊り続けているエリザベット・ロス。ジュリアンが引退するし、エリザベットのその日も近いかも……それでも「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」のソロは、彼女以外に考えられない。しなやかに伸びる長い腕、フロアから垂直に上がる長い脚。彼女が踊る時代に生まれてよかった、観ることが出来てよかったと思えるダンサー。目に焼き付ける。

大橋真理はもうすっかり中心メンバーで、「ブライトン・ロック」「コジ・ファン・トゥッテ」「ゲット・ダウン・メイク・ラヴ」「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」と大活躍。2022年入団の武岡昂之助は、十市さん直伝(?)の「ミリオネア・ワルツ」を無心に踊る。素晴らしかった! 茶目っ気もちゃんと継承していますね(笑)。天使役のふたり、オスカー・フレイムとアンドレア・ルツィも印象的。

この日のフレディ役はアントワーヌ・ル・モアル。最後だしジュリアンで観たかった……という思いはありましたが、アントワーヌのフレディもかわいらしかったです。フレッシュ! 厚底靴で動くのはたいへんそうでした。そうそう、『バレエ・フォー・ライフ』といえばヴェルサーチ。フレディや天使の衣裳は勿論、スポーツウェアスタイルも素敵だし、キテレツなのにアクティヴでチャーミング。肉感的な「ベジャールのダンサー」たちを輝かせる衣裳の数々、堪能しました。

ライヴテイクも多いセットリストのなか、「ショウ・マスト・ゴー・オン」がそうでないことにはいつも胸を衝かれる。この曲はフレディ・マーキュリーのスワンソング。ライヴで唄うことは叶わなかった。ブライアン・メイの魔法のようなギターソロを聴きつつ、先日体調を崩していた彼の無事を祈る。いつかはこの作品を創ったひとがひとりもいなくなる。それでも、今を生きる「ベジャールのダンサー」たちがいる限り、“司祭館はいまだその魅力を失わず、庭の輝きも以前のまま”なのだ。

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泣きつつもずっと考えていた。今後はこれでいくのだろうか? あの歩行の美しさは失われていないにしろ、まとまりには欠けてしまったかもしれない。しかしそれならば「ベジャールと歩む」という美しさを、視覚的にもまだ考える余地があるかもしれない……。

終演後、ジュリアンと十市さんのトークショウ。十市さんは進行に徹して、ジュリアンにインタヴューするという形。妙にかしこまった口調で話したりするもんだから客席から笑いが起こってました。印象に残っているところをおぼえがき。記憶で起こしているのでそのままではありません、ご了承ください。明らかな間違い等ありましたらご指摘頂ければ助かります。公式レポートが出たら(出てくれ〜)差し替えますね。

・『バレエ・フォー・ライフ』フィナーレの演出変更について
変更だとは思っていません。『バレエ・フォー・ライフ』という作品を創りあげたモーリス・ベジャールに敬意を捧げる。本来の姿に戻っただけだと思っています

・芸術監督に就任しての思いなど
オファーがあってから答えを出す迄の猶予は24時間しかありませんでした。でも、幸いなことにわたしはひとりではありません。十市、エリザベット、ドメニコ(・ルヴレ)がいます。それで引き受けることにしました。
芸術監督は作品上演だけでなく、あらゆることに関しての判断を求められます。ベジャールへの敬意をもち作品を残していくこと、ベジャール作品を踊るダンサーが輝くこと。それを続けていくのがわたしたちの使命です。それはジルがやってきたことでもあります。
実際にベジャールから指導を受けたダンサーが減ってきています。わたしも踊ったことがない作品もあります。十市はわたしが踊っていない役をやっています。エリザベット、ドメニコもそうです。映像も参考にします。成熟には時間がかかります。助けが必要です。過去ベジャール作品を踊ったダンサーたち、ベジャールからの言葉を直接聴いているひとたち……ショナ・ミルクらに助言を請うことも出来ます。新しい世代にベジャールの遺産を、透明性のあるカンパニーで、伝えていかなければなりません

・『バレエ・フォー・ライフ』や日本公演での思い出
(ジョルジュ・ドンの出身地)ブエノスアイレスでの公演は、観客が始まる前から興奮していて、広場でクィーンのナンバーを唄ったり、持ってきた旗やメッセージを書いたボードを掲げていたり……もう大騒ぎでした。ジョルジュが登場する「ブレイク・フリー」のときは、スタンディングオベーションと拍手が止まず、まるでロックコンサートのような盛り上がりでした。これこそが、ベジャールのやりたかったことなのではないかと思いました。ベジャールの功績は、バレエをオペラ劇場から解き放ち、もっと広いところ…野外であったり、広場であったり……へと出ていったことにあると思います。
(十市さんにパリのシャイヨー劇場もすごかったよね、といわれ)そう、エルトン・ジョンが唄いに来てくれましたね。クィーンのメンバーも演奏で参加してくれました。
日本での思い出は沢山あります。素晴らしい文化、愛に溢れた観客。そうそう、日本の観客からは(フレディの衣裳にちなんで)バナナをもらったことがありました(笑)

「十市、エリザベット、ドメニコがいる」と何度もいっていたのが印象的でした。ジュリアンが退場したあと、ひとり残った十市さん。どうしても落語家の血が抑えられなかったか「最後に僕からひとつだけ、ジュリアンにはわたし小林十市のお給料をもう少し上げてください、とお願いしたいです! おあとがよろしいようで」と〆ておられました。突然のことだったのでピンスポが追いつかず、暗い地明かりのもと話していた。ウケた。

今後気になるのは『ボレロ』のメロディーの指名権(?)。ベジャール亡きあとジルが決めていたようだけど、今後どうなるのか……BBLだけでなく、上演権がある各国のメロディーも、推薦を受けて最終決定はジルが下していたのでは。日本では東京バレエ団だけが上演を許されており、現在メロディーを踊ることが出来るのは上野水香と柄本弾のみ。

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・スペシャル・インタビュー 小林十市(バレエ・マスター)┃NBS News ウェブマガジン
・ダンサー・インタビュー オスカー・シャコン、大貫真幹┃NBS News ウェブマガジン
十市さんだけでなく、オスカーもジルに呼び戻されたのだとこの記事で知る。
公演に備え昨年とられたインタヴューなので、今年に入ってからの大きな動きに関しての話はなし。仕込みが早すぎましたね……記事公開のタイミングって難しい


(何故かリプライしか埋め込めないので、ここからtwitterに飛んでスレッドの最初から読んでいただければ!)
前回鑑賞後にこの乗越さんのツイートを読んだのでした。おかげで今回はより咀嚼して観ることが出来た。そのまま観ても美しいシーンだけど、引用元がわかると楽しみ方に幅が出ますね

・その乗越さんが上梓されたダンス評論集『舞台の見方がまるごとわかる 実例解説!コンテンポラリー・ダンス入門』に、このことはもっと詳しく書かれています。電子書籍のみの販売です

・それにしても、東京文化会館も近々改修で閉まるので一層劇場不足が加速するなあ。バレエでもミュージカルでも演劇でも使えた青山劇場と青山円形劇場を返してほしい



2024年09月21日(土)
『A Number ─数』『Whar If If Only ─もしも もしせめて』

Bunkamura Production 2024 / DISCOVER WORLD THEATRE vol.14『A Number ─数』『Whar If If Only ─もしも もしせめて』@世田谷パブリックシアター


パンフレット表紙に「COCOON」の文字。あ、そうか、これ文化村プロデュースかと当日知る。シアターコクーンの再開待ち遠しいですねえ。

キャリル・チャーチルの戯曲をジョナサン・マンビィ演出で。3人芝居『Whar If If Only ─もしも もしせめて』25分、休憩20分、2人芝居『A Number ─数』50分という上演順。舞台美術の内装をガラリと替えるので、その転換に時間がかかったようでした。

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・『Whar If If Only ─もしも もしせめて』

だいじなひとを失くし、ふたりが暮らしたであろう部屋で打ちひしがれる青年のもとに、さまざまな“未来”が訪ねてくる。そのひとの思いを借りたものと、やがて起こること。もしああだったら、もしせめてこうだったら。何かが起こるようでまだ何も起こらない。青年の長いモノローグと、未来たちとの短いダイアローグ。ものは青年に起こってしまったことは変えられないととき、ことはもうすぐ起こるよ、と繰り返し叫び乍ら部屋を暴れまわり、スナックを喰い散らかす。

青年に大東駿介、未来のものに浅野和之、未来のことにポピエルマレック健太朗(子役で日替わり)。導入は大東さんのひとり芝居。ここで観客は彼の大きな悲しみに接するのだが、その悲嘆が深ければ深い程ものが現れたときの衝撃が大きい。青年の嘆きから察するに、その失われた人物は彼の妻あるいは恋人……青年と年齢がそんなに離れていない女性、という先入観を持ってしまっているからだ。登場したものは白髪の長い髪と真紅のワンピース姿の浅野さん。青年と年齢が近い訳でもなく、老爺か老婆かも判らない。観客の反応はどよめきと笑い、そして困惑。

困惑は尾を引く。確かにパートナーの年齢が近いとは限らない。女性とも限らない。しかしこの人物(?)の性自認は女性かもしれない。いや、ウィメンズの服を着たい男性でも構わないのだが……。考えているうちに芝居は進行する。ものは一度消え、スーツ姿の老人となり再び現れる。失われたひとは戻ってこない、何かは起こりそうで起こらない。でもいつかきっと起こる。未来が永遠に先延ばしされればいいのに。

25分はあっという間。ひとは(自分は)目にしたことに振り回されてしまう。先入観と偏見の違いも考える。浅野さんのチャームが爆発していた。リアル次元大介の体型に、仕立ては洋服の並木(※)ですか? と訊きたくなる細身のスーツ。似合いすぎる。細い足首が見える丈のパンツ、というところも最高。ワンピースも、見ていたらなんだかかわいらしく見えてきた。

※モッズスーツの仕立てが得意な有名店。コレクターズやミッシェル・ガン・エレファントの衣裳で知られ、多くのバンドや芸人に愛されている

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・『A Number ─数』

父と息子(たち)の会話。自身がクローンだと知り父を問い詰める息子。何故そんなことをした? 「数いる」他の僕はどこに? オリジナルは誰? オリジナルなんていうなよ、でも、俺はあれがほしかったんだ。あれと同じものを。

父に堤真一、息子に瀬戸康史。父はずっと言い訳していて、結果的に20人近くいる(うち父と対話するのは3人)息子はそれぞれの人生を父に突きつける、あるいは関与しないまま生きていく。息子たちは殺し合い、あるいは自殺する。「普通」に、幸せに生きている息子も当然いる。何しろ20人近くいるのだから、同じ人生を辿る筈がない。でも「普通」って何? 人間は環境に育てられるのだなあ、と強く感じる作品でもあった。倫理観や宗教観によって大きく意見が分かれそうでもある。しかし、欧米の方がこうしたクローンや臓器移植について寛大という印象がある。『わたしを離さないで』のように、こうした技術が資本化、産業化してしまう恐ろしさもある。生まれたわたしはわたしのもの、の筈なのだが。

堤さんは自分が演じる役について「全く理解出来ない」「共感出来ない」とか素直にいっちゃうひとで、今回もインタヴュー等でハッキリそういっていたのだが、それでいて舞台に立つとその登場人物としか思えないような挙動になるのがすごい。愛と欲の区別が出来ず、エゴのままに生きる。やってしまったことに対しての後悔はあるが、起こっちゃったことは仕方がないと開き直ってもいる人物を気持ち悪く演じていた。

こちらも衣裳が絶妙。堤さん演じる父、絵に描いたような「くたびれたおじさん」具合。ものすご〜く冴えない。部屋着とよそゆきの区別があんまりない。それでいて、本人は変えているつもりだろうということが伝わる見事な塩梅。対して息子はメリハリをつける意図もあるのか、それぞれわかりやすく個性の出るファッション。ラストシーンでは、20人近くの息子たちが映像で登場する。瀬戸さん、仕込みがたいへんだっただろうな(笑)。

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観終わると、二本立てで上演される理由も見えてくる。逆に、単作で上演する機会ってあるのだろうか? 「もし起こったら、起こらなかったら?」「起きたこと、起こってしまったこと」に関するお話だった。冒頭ツイートに書いたとおり、台詞には固有名詞や主語が殆どなく、代名詞でのやりとりに終始する。リズミカルなキャッチボールのような会話。“Whar If If Only”なんて、英語発音だと滑舌の心地よさに酔ってしまいそう。翻訳もリズムを重視したのではないだろうか。演じる方は台詞を入れるのがとてもたいへんそうだ。

一方聴いている方は耳心地のよさに乗ってしまい、その意味を取り逃がそうになる。慎重に聴く。そして、その代名詞に自分たちを当てはめる、今を当てはめる。いつでも、誰にでも起こる、あるいは起こりそうなこと。

美術が素晴らしかった。舞台上にはキューブ型のミラーボックス。ボックスが開く(昇降する)と、登場人物たちが暮らす部屋が現れる。そこで生活する人間の生態──標本を見る思い。転換時のボックスにはさまざまな映像が映し出される。登場人物の過去、思い出、心象風景……果たしてそうだろうか? これらがあのひとたちのものだという確証はどこにもない。鏡に乱反射する照明も美しかった。人間の存在意義を問うような光景。段差のない前方席だったので、全景をひきで観られなかったのが残念。



2024年09月16日(月)
『ランサム 非公式作戦』

『ランサム 非公式作戦』@新宿バルト9 シアター4


あと学閥〜!

今作もファクション、情報開示は2047年なんですって。ソウルオリンピック開催を前に浮き立つ世間の陰で、こうして職務を果たしたひとたちがいた。派手なアクションエンタメでありつつ、打ち捨てられ(かけ)た人々の風景を逃さず捉えているところに感銘を受けました。

原題『비공식작전(非公式作戦)』、英題『Ransomed(身代金を支払い人質・捕虜等を取り戻すこと)』。2023年、キム・ソンフン監督作品。モチーフとなるのは1986年にレバノンで起きた韓国人外交官拉致事件。行方が掴めないまま1年以上経った1987年10月に突然彼の無事が知らされ、数日のうちに救出されたという不可解な部分も多い出来事です。今判明している情報のみから創作されたものですから(勿論取材は相当しているだろうが)、「情報開示は2047年」と断りを入れたのだと思われる。しかしそうなると観客は興味を持って経過を注視しますし、「今わかっている時点で、どの部分が実話なんだろう」と調べたくなりますよね。観客の知的好奇心を刺激する面白さ。

イギリス赴任をエリートにかっさらわれ腐っていた外交官が、レバノンからの報を受け現地に行く役を買って出る。手柄を立てれば栄転出来るかも! という野心があるんですね。裏社会に通じる仲介者や富豪との交渉を終え、ドルを手にしてようやく辿り着いたベイルート。早速武装組織に襲われ、逃げる途中で手配されていたものとは別のタクシーに乗ってしまうのだが、その運転手が密入国者の韓国人で……?

よりにもよって韓国政府(ていうか全斗煥ね)が身代金を踏み倒したというところがゴリゴリのノンフィクションであった。すげーな! テロリストに屈して身代金を渡したなんて世間に知られたら、次の選挙の妨げになる。ただでさえ支持率落ちてんだから! という理屈です。すげーな!(再)そんな訳でこの救出劇は、政府の許諾を得ずに外務部が独断で進めた「非公式作戦」だったのでした。なのに無事救出したら政府が手柄横取りだもんな! すげーな!(再々)

1987年といえばそう、『1987、ある闘いの真実』でも描かれた民主化宣言の年。いよいよ独裁が危うくなった政府は保身のために外務部の邪魔(としかいいようがないね!)をしまくる。『ソウルの春』を観たばかりだったということもあり、安全企画部長を「あっ、こいつハナ会の元軍人だ!」とか、あ〜閣下って全斗煥ね、壁に飾ってある肖像写真も全斗煥ね、と理解が早い。成程この年は激動の年だったんだ、そんな中こんな出来事もあったのか……と刮目。

しかしこの映画には、「信じること」を最後迄信じられる優しさがありました。騙され続けてすっかりひねくれてしまった「誠実な青年」が本来の自分を取り戻す。栄転する後輩の机に飾られた花に殺虫剤かけちゃったりしてたちっせー(笑)外交官が、誰も見捨てないことを選択する。『モガディシュ』には「ソマリアという地域をここ迄物騒に描いていいのか」というような声もあったそうだけど、今作は約束を守るレバノン人を零さず描いたこともいいバランスだった。確かにこの地域は危険で、騙し騙されが日常なのだろう。それが現実なのかもしれないが、こうした娯楽作品で負の側面ばかりを描いていると、それは知らず知らず不審と差別を観るひとに植え付ける。日本でも川崎市や足立区のことを揶揄する表現を目にするの、ホントに嫌なのよね。最近では川口市が色々いわれていて本当に嫌。

閑話休題。金が、出世がで動いていたひとたちが、人生それだけではないと信じてみる。果たして主人公はアメリカに赴任出来たのでしょうか。でも帰国した彼の晴れ晴れとした表情は、出世欲など消えているようにも見えたのでした。

外交官はハ・ジョンウ。タクシー運転手はチュ・ジフン。『神と共に』のふたりですがな。いいコンビ〜! 期せずしてバディを組むことにな李、騙したり騙されたりしつつ、最後はお互いを「信じる」。空港に「TRUST ME」って書かれたタクシーが見えた瞬間泣きそうになったもんね! そういえば『神と共に』(因と縁の方)の方に「悪い人間はいない、悪い環境があるだけだ」という台詞があったわね……このふたり、カンニムとヘウォンメク生まれ変わりなの? という妄想も膨らみますね……楽しいね! ハジョッシの出演作って大概彼の演説シーンがあるんですが、まーホントに声がよい。ヒアリング出来ないのに聴き入ってしまう。そしてモッパンシーンですよね。序盤に早速出てきてニコニコしましたが、中盤疲れちゃって「食欲ない」とかいいだすシーンもあってええっ食べなよ! などと思う。食欲があるとこちらも安心する(笑)。

しっかしジフニはかっこいいね。身のこなしがいちいち美しい。かなり姑息なこともするけど憎めない。ひとたらしだわ〜。そんな子から「ヒョン〜!」とかいわれてみい、そりゃハジョッシもほだされますよ。役と本人がごっちゃになっている。そんなスカした子が何故この国にいるのか、なんで密入国なんかしたんだって話でベトナムとかアフガニスタン派兵のことが話題に出てくるんだけど、短くさりげないシーン乍ら深刻さが伝わったのは、ジフニの存在に説得力があったから。彼女がいるのもらしいというか、そんでその彼女に怒られてお金返しに行くところ、自分が出国するときちゃんと彼女も連れて行けるよう頼むところもジフニや〜といいたくなる魅力でございました。

そして外務部長官役のキム・ジョンス。公務員の矜持を見せてくれるいい役。事務次官たちとのシーンには涙出た……。ここ数作観ている作品全部にキム・ジョンスが出ている気がする。極悪人だったり義に厚いおじちゃんだったり、幅広い役柄を印象的に演じている。気になる存在。

密入国者、『極限境界線』にもいたなあ。実際こういうひとはポツポツいて、故郷に帰りたいけど帰れずにしぶとく生きてるんだろうなと思わせられました。「外交部の使命は人命を守ること」。健気な書記官たちや、世間から評価も感謝もされづらい公務員という仕事を描いているところもも両作に通じる。娯楽作にもちゃんと問題提起がある。それでいてエンタメの楽しさも詰まっているところがすごい。めちゃめちゃアクションあったな! しかも珍しいやつ。狭い道ガリガリとか天秤ワイヤーとか(見ればわかる)。冒頭ツイートにも書いたけど、一難去ってまた一難が50回くらいあった気がする。数分毎にドキドキハラハラ、体感時間は短かったけどドッと疲れた(笑)。

それにしても、そもそもはこの外交官が日本人に間違われて誘拐されたってのがさ……。ここら辺の真偽はわかりませんが、有り得るだけに妙な説得力。モブの風景で顕著でしたが、中東の雑踏を東洋人が歩いていると本当に目立つ。服装が違うというのもあるが、とにかく顔立ちが違う。その景色から浮き上がるような錯覚さえ覚える程だ。そして現地のひとに日本人と韓国人の区別がつくとは到底思えず……。やっぱり日本と韓国は近くて近い国。

何げに動物いっぱい出てて、犬=最後には助けてくれる、羊=結果的に助けてくれる、猫=何もしない、てのがまたよかった。犬といえば、「ケーセッキヤー」って台詞すっごい出てきたな(笑)。『新しき世界』育ちにつき、挨拶以外で最初に覚えた韓国語がこれだといっても過言ではありませんが(…)、ヤクザならまだしも任務遂行に励む公務員からこんだけこの言葉を聞くとは。人前ではいっちゃいけないといわれているスラングですが、それだけポピュラーないいまわしなんですね。でも今回犬に助けられたじゃん! 犬いいやつ! 敬意を払おう!(笑)

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・ランサム 非公式作戦┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております! パンフレットにはレバノン側のキャストが全く載っていなかったので助かる!

・踏み倒された身代金 映画「ランサム」裏話┃一松書院のブログ
こちらもいつもお世話になっております、秋月登氏のブログ。情報開示はまだなのに、何故部分的であれ事件の詳細が明らかになったのかの背景が詳しく書かれています。皮肉な話ですね。
そしてこんな人質救出劇、すごく話題になってそうなのに記憶にないなあと思っていたら、翌月にあの大韓航空機爆破事件が起こっていたのですね……こちらは日本も大きく関わっているので報道もすごかったしよく憶えています

・ところで、ここんとこ70〜80年代を描いた韓国映画を立て続けに観ていますが、この時代は銃撃戦もポピュラーだったんだなと新鮮な気持ち。いや今回は外国での話だけど、『ソウルの春』は韓国内だし、『ハント』なんて日本で派手に銃撃戦やってましたからね。『新しき世界』育ちにつき(再)、カチコミは金属バットだと刷り込まれています(兵役終えたひとは容易に銃が扱えちゃうので銃規制がものすごく厳しく、入手には厳重な審査が必要なのだそう)



2024年09月15日(日)
『シュリ デジタルリマスター』

『シュリ デジタルリマスター』@シネマート新宿 スクリーン1


初見はスクリーンで、と決めていたので遂に! と感無量(同じ理由で実は『JSA』も未だ観てない……)。行方不明になっていた権利関係がようやくクリアになったそうで、なんと24年ぶりの日本公開とのことです。同じタイミングでシネマート新宿に4Kレーザープロジェクターが導入、今作がオープニング上映となりました。原題『쉬리(シュリ)』、英題『Shiri』。1999年、カン・ジェギュ監督作品。英題には『Swiri』と書いてあるところもあり、表記に揺れがあるようです。「シュリ」も原語だと「スゥィリ」という感じの発音みたいですね。

何せ“韓流”の原点といわれる作品。韓国映画を観ていると、あらゆるところに今作の話題が出てきます。それ迄はタブーとされていた南北朝鮮の問題をエンタメに取り上げた、北の人物の“感情”を描いた、北朝鮮との関係を“対立”ではなく“理解”へと移行させた、などなど。果たして実際観てみれば、今の韓国エンタメ映画の基礎がここに全部ある、という印象でした。社会問題が地盤にあるストーリー、“相棒(兄弟)”と“裏切り”、濃厚なバイオレンス描写、そしてひと匙のユーモア、コメディリリーフが意外に重要な役割だったりするところ。今回だったら「コネ入社」の彼ね。

個人的に「韓国」という国を意識したのはスポーツからだった。1980年代のアジア大会やソウルオリンピックで、韓国はあらゆる競技で「日本のライバル」といわれていた。スポーツで優秀な成績をおさめれば兵役が免除されるという話、日本に「だけ」は負けられないと目の色が変わるという話から、朝鮮半島が歩んだ歴史、そして今なお「戦争(休戦)中」という現実を知った。そして2002年、日韓共催で行われたサッカーワールドカップ。20年以上前のことだが未だ記憶に新しい。

このサッカーW杯が今作の背景になっている。結局実現はしなかったが、当時数試合は北朝鮮の会場で開催しようというプランがあったのだ。そして『2002南北統一サッカーゲーム』は、W杯後の秋に実際に開催されている。南北統一という夢は、スポーツを通して幾度か実現している。スポーツを通してしか実現出来ていないともいえる。1991年には、日本の発案で南北合同の卓球代表チーム「コリア」が、千葉で開催された世界選手権に出場したこともある。この出来事はペ・ドゥナ出演の『ハナ 奇跡の46日間』で映画化されている。

そもそもひとつの国だった北と南の関係は、近づいたり離れたりの繰り返しだ。板門店で文在寅と金正恩が握手をした6年前、「自分が生きている間に南北統一が実現する(かもしれない)なんて」と思ったことがあったなんて、今となっては信じられない。ベルリンの壁の崩壊を目にした記憶があるひとで、そんな希望を持ったひとは少なくなかったのではないか。『シュリ』がつくられていた現場にもそんな希望があった筈だ。いつかは、きっと、と。「シュリ」とは朝鮮固有の魚の名前。領土は分断されていても流れ着く川は同じという願いも込められているようだ。統一の扉は今堅く閉ざされている。そのことがひたすら悲しい。

今作にはシュリの他にもう一種、キッシンググラミーという魚が重要な役割を果たす。つがいでしか生きていけない習性を持つこの魚は、主人公とその恋人になぞらえられる。これがエモーショナルの極み。結婚を控えたふたりが未来を語るシーンの数々は『ハートカクテル』のように甘くて美しく、彼らの行く末を予感している観客は身悶えしてしまう。恋人の解剖結果はもはやダメ押しで、これでもかこれでもかと悲劇を積み重ねる。先日観た『ボストン1947』もカン・ジェギュ監督作品だったのだが、全然毛色の違う作品であるものの、エモーショナルな展開は共通しているかな。

ことほどさように今の韓国映画のあらゆる要素が入っている作品なのだが、四半世紀前のものともなると、時代の移り変わりを感じる箇所も多々あった。肩パッドが入ったスーツやボディコンのファッション、パソコンの型、喫煙シーンといった風俗的な面から、必要な台詞を全部喋ってからガクッと絶命するといった演出面の時代性も感じて興味深かった。

いちばん時代を感じたのは音楽。序盤の訓練シーンにアーメンブレイクが使われており、「うわーーーこれ90年代後半のクラブでアホ程聴いた!」と意図せず笑いが出てしまい……今はもうスタンダードな趣すらあるリズムパターンなので、余程の意図がないとサントラでは使わないと思う。しかしここ、笑い乍らもああこのクラブミュージックは当時あちらでも流行っていたのだなあ、と韓国を近く感じたのも事実。

近くて遠い国? いや、やはり近くて近い国だ。無関係ではいられないのだ。本編中、ポカリスエット(スリム缶!)がさりげなく出てきたことにもハッとしたが、それだけではない。日本という国がこの物語に深く関わっていることに気づかされる。『ハント』のジャパンプレミアでイ・ジョンジェが来日した際、岩井志麻子が「日本と韓国は良くも悪くも縁が深い」といっていたことを思い出した。

主題歌のCarol Kidd「When I Dream」は歌詞ともども今作の内容を表した素晴らしい曲だった。その国に生まれた、という運命に人生を翻弄された人々の物語。そして、その物語には日本という国も大きく作用している。そのことがより一層胸を締めつける。

今や大物の役者が瑞々しい演技で……とは感じなかったことにも驚かされました。そりゃ皆さん見た目は若いんですが、ハン・ソッキュもソン・ガンホもチェ・ミンシクも、この時点で演技がもう出来上がってるというか。進歩がないということでは決してなくて、彼らは元々すごかったんだ、と瞠目することしきり。それにしてもハン・ソッキュは色気のある役者ですね。『ベルリンファイル 』でもエージェント役だったなあ。仕草のひとつひとつに憂いがありました。

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・シュリ┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております! ファン・ジョンミンキャリア初期の出演作なんですが、どこに出てくるかは観る迄知らないでおこうと思ったので(見つけられてよかった…)鑑賞後にこちらの配役一覧で確認。ずっと出てこなくて、あー見つけられなかった、私の目は節穴だった、と諦めかけた頃に出てきた(笑)

・南北分断を描いた“幻の傑作”がスクリーンに蘇る!:『シュリ デジタルリマスター』監督インタビュー┃WIRED
この映画の物語を構造的に見ると、出来事によって構成されているのではなく、人物のストーリーに沿っていることがわかるはずです。つまり、物語の真の主人公は女戦士であるイ・バンヒなのです。(中略)大事なのは、このストーリーはイ・バンヒという女性を中心としているということです。
バンヒを演じたキム・ユンジン、演技もアクションも素晴らしかったな……。ゲリラ撮影のシーンがあったって話もすごい

・公開から24年。韓国映画の歴史を変えた『シュリ』のカン・ジェギュ監督が振り返る撮影秘話┃MOVIE WALKERS PRESS
私たちは固定観念で“映画の中で男性というキャラクターはこうすべきだし、女性というキャラクターはこうあるべきだ”と決めつけていたと思うんです。その壁を壊してこそ何か少し新しい試みができ、観客も新鮮さを味わえるのではないか?と強く考えていました。



2024年09月14日(土)
『2024 小林建樹ライブ Goodtimes & badtimes』

『2024 小林建樹ライブ Goodtimes & badtimes』@Com.Cafe 音倉


凛とした声と演奏。聴いていると自然に背筋が伸びましたいやマジで。

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ライヴ前に吉祥寺に行ってたんですが、秋のお祭り当日でした。昨年秋のライヴでは下北沢がお祭り当日。お神輿の練り歩きや法被姿のひとたちの間を縫って会場に辿り着いたなあと思い出す……ていうか「昨年のライヴ」なんてさらっと書けることが未だに信じられないですね! 幸せなことです。ちょっと早い時間に着いたので、開場前の音倉に寄ってみるとリハの最中。「満月」が聴こえてきました。おっ、今日やるんだな。いいもの聴いた。

さて今回はリクエスト企画。前回のライヴ後に会場とwebで募った「ライヴで聴きたい曲」を集計しベスト3を演奏する、とのことでしたが、当日蓋を開けてみれば多分全部リクエスト曲で構成したんじゃないかな……と思われる内容でした。ライヴでやってほしい曲イコールライヴで滅多に聴けない曲、になりがちな訳で、いやーレアなセットリストだった。そして構成が変わればイントロ、アウトロ、ブリッジも当然変わります。そもそも同じライヴというものは存在しないものですが、小林さんの演奏と歌、そして用意されたMCにはそれをより顕著に感じる。ライヴそのものが一本の作品になるさまをまざまざと聴かせて頂きました。裏テーマ(というものがあるならば)は夏の終わり、かな? 秋だけどまだまだ暑いもんね。全体的にラテンフレーバーが組み込まれている印象でした。

客電が落とされたあと、ゴツッという音と「いてっ」とちいさな声。楽屋口の近くの柱に飾ってあるギターに頭をぶつけて登場です。笑い声とともに拍手が起こる。緊張がちょっと和らいだかな。今回アコギは1本のみで、普段置かれているスペアはなし。弦が切れる等トラブルがあったときのために用意していると以前いっていたけれど、この日「弦の値上がりがすごい」という話をしていたので、今日は何が何でも弦を切らないぞという意気込み(?)があったのかもしれない。えげつないくらい上がってるんですって、そりゃたまらんなー。この話をしたあと「ここ(のMC)はアドリブなんですよ」とわざわざ断っていたところが律儀。やはりものすごく当日の進行をMCとともに考えて抜いている様子。MCの練習もするっていっていたものなあ。カポの話はもともと考えてきたMCだったようで興味深かった。移調に便利って話ね。

タップ奏法のようなチューニング(ここも聴きどころ。もはや演奏)が終わると、すうっと息を吸い唄い始めました。最前列にいた女性がちいさな悲鳴をあげる。きっとリクエストした曲だったんだろうな。こちらも笑顔になる。

さて自分は何をリクエストしたかといえば、3曲書いてと指定されていたのに実は4曲書いた。そのうち2曲は何を書いたか忘れた。バカなのか。いや、何をやってくれてもうれしいので…というか何でもやってくれという感じでもあるので……直感で3曲書いたあと「あっこれライヴでも結構やってる方だよな? 滅多にやらない曲をリクエストしたい!」と思って3曲目に“〜か「○○○」”と書き足した記憶だけが残っている。ちなみに憶えている2曲は「花」と「ミッドナイト・バス」だったのですが、その後ライヴ告知ツイートでこの動画が流れてきた。「ミッドナイト・バス」〜!!! 端末の前でガッツポーズ。



とはいうものの、「いやいやリハだから…本番でやるかはわからん……」と疑心暗鬼になる当方oasisリスナー。oasisは再結成されても、空港に着いても、ステージに立っても、終演する迄安心出来ない。oasis好きはいつでもキャンセルの不安に怯えている。そしてこの告知動画ではギターでしょ、ギターは前半でしょ、やらなかったんですよ。ええ? と思って。で、ああやっぱやらないか……としょんぼりしたりして。いやいやそれでもいい曲沢山聴けたから……なんて思ってました。

閑話休題。この告知動画を見た時点で「ひょっとしてベスト3といわず少数票もフォローしてくれてる……?」と思う。半分は何を書いたか忘れているので(…)全ての曲が採用されたかは判らないけれど、自分のリクエスト(憶えてる分)は全部やってくれたし感無量でございます。有難う有難う。

という訳でなかなか聴けない曲とともに、普段はピアノで演奏している曲がギターで演奏されたりと、貴重なものがいろいろ聴けました。ご本人も仰っていたけど「スパイダー」のギターver.はレアでしたね。自分がリクエストした2曲は両方ともピアノでの演奏だった。今度はギターver.でも聴きたいでーす☆(終わった先から無理をいう)。ブリッジから次の曲は何なのかを考えるのも毎回の楽しみなのですがが、今回は予想外のところに飛ばされることが多く「おおっ、このリズムから、このコードからこれに行くのか!」とスリリングな面白みも。スキャットもtやdのタンギング(ティリリリ、ディンディン etc.)、裏声との切り替えも気持ちよい響き。もともとの声はそのひとだけの楽器ではありますが、それをどう使うかというのは本人のセンスと技量にかかっているのだなあと聴き入る。小林建樹と菊地成孔は自分内二大スキャッター(そんな言葉あるのか)でーす☆

それにしても今回のギターパート、カッティングの気持ちよさよ。ジプシーキングスのようだった。やはり背骨にラテンがある。カラッとした陽気、カラッとした哀切。光が眩しければ影も色濃い。小林さんの演奏にはいつも情熱(としかいいようがない)が込められている。情熱といえばこの日の「スクリーム」素晴らしかったですね! うおおい! て心のなかで喝采を送りましたが。これの歌詞は本当に言葉が強くて、直截的な単語が使われている。その強い言葉があの声で発せられると、以前chinacafeさんが小林さんの歌声を評した「喉元をぐっと掴まれたかのような」感覚に陥る。良いときも悪いときも(Goodtimes & badtimesですね)どんなときも、“いつだって こうやって やってきた”んだなあ。これからもそうでいてー! でも無理はしないでー!

そういえば、「祈り」や「満月」は神戸時代につくった曲で自分でもいい曲だと思っているけれど、こっちに来てからつくった曲がいくつもリクエストされていてよかった、と話していたのが心に残った。「東京に来て何やってたんだって話になるから」というようなこと。東京に住み、東京で暮らす過程で生まれてきた曲たちを、つくり手も聴き手もだいじにしている。それがお互いわかったことがうれしい。あと自分の曲は「儚い」という印象を持たれているんだなあ、という話。このように、近年は演奏した楽曲の解説(アナライズ多め)とともに、それにまつわる悩みや思いを言語化してシェアすることが増えたようにも思います。「ノバラ」の歌詞を書いたときの心境や感覚、光景は「自分以外誰にもわからない」といってましたが、そのわからなさを伝えてくれるようになった。この話、先日アップされたラジオでも出てきましたね。

・小林建樹・ムーンシャインキャッチャー”R" 第31回 ”秋に聴きたい曲特集です”


ところでこの回、Art of Noiseの「Robinson Crusoe」をカヴァーしててビックリした! 当時ライナーなんて付いてない外盤(国内盤より安価なので貧乏学生には助かる)アルバムのなかの1曲として聴いていたやつですよ。あとある程度の年代は知っている、『ジェット・ストリーム』のエンディングテーマな! ドラマの主題歌だったって今回初めて知ったわ。小林さんは最近知ったとのこと。こうやって聴いている曲が重なる瞬間ってうれしいものですね。

さて「ミッドナイト・バス」ですが、ピアノに移ってからの後半で演奏されました。イントロ始まったときはうれしさだけじゃなく安堵で涙腺緩みましたよね。かなり練習したとのこと。ややこしいリフの繰り返しで、歌詞も「そう、そうじゃない、とあっちゃこっちゃするのでやっててわからなくなる。どっちやねんって。花びらをこうちぎるやつ、あるじゃないですか。あんな感じ」とのことでした。映像喚起力が強く、言葉も沁みる。噛みしめるように聴きました。人生の一部のサウンドトラック。

集計1位は「斜陽」、2位は「最初のメロディー」だったそうです。「斜陽」は、「ふんわりとしたなんかいや〜な感じで『ドラマの主題歌になるかもしれないから』って依頼された曲」で、結局その話はいつの間にかなくなった。非常に忙しかった時期ということもあり、どうやってつくったかの記憶が全くないとのこと。「最初のメロディー」は、夜通し起きていて明け方に布団に入ったら、メロディーが浮かんできた。これは、と起きてその他の部分を加えて仕上げたそうです。個人的にはこの曲、TOKYO No.1 SOUL SETの「Jr.」と同じ位置にいます。聴き手にもそれぞれ「自分以外誰にもわからない」受け取り方がある。

そんなリスナーの想像力をどこ迄も広げさせてくれる曲をつくる小林さん、早くも次のアルバムを作っているとのこと、新曲の一部も披露されました。次回のライヴは12月21日とのことです。“次”がある、とわかっているって本当に幸せ。待ってます。

(セットリストはツアー終了後転載予定)

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Setlist(オフィシャルサイトより

Ag:
01. Love(8thアルバム『Mystery』)
02. SPooN(2rdアルバム『Rare』)
03. 青空(2ndアルバム『Rare』)
04. Spider(7thアルバム『Emotion』)
05. ノバラ(ベストアルバム『Golden Best』)
06. パレット(1stアルバム『曖昧な引力』)
07. スクリーム(新曲)
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Pf:
08. モノクローム(5thアルバム『 Shadow』)
09. メッセージ(sg『祈り』カップリング )
10. Midnight Bus(9thアルバム『流れ星Tracks』)
11. 祈り(2ndアルバム『Rare』)
12. 花(ベストアルバム『Goleden Best』)
13. 満月(1stアルバム『曖昧な引力』)
14. 斜陽(3rdアルバム『Music Man』)
15. 最初のメロディー(ベストアルバム『Blue Notes』)
encore
16. Goodtimes & badtimes(新曲)

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・余談。本日は前髪下ろしてました。終演後にゃむさんと(来てるって知らなくて会場でも気付かず帰りの駅で会った)「ほんっと歳とらないよな!」「『歳ヲとること』唄ってるひとがなー!」などと話す(笑)。良い夜でした

・余談2。小林さんには一度でいいから風知空知で唄ってほしかったなあ(あるのかな?)。今はもうない下北沢の、大きな窓から空が綺麗に見えるライヴスペース。観客は振り返らないと見えないけれど、ステージ側は夕闇から夜への変化を眺め乍ら演奏することが出来る。あの光景を見た小林さんが、どんな演奏をするのか知りたかった

・あっでも音倉大好きですよ! グランドピアノあるし配信システムあるし音も照明も綺麗。今の小林さんにぴったりなスペースだと思っています。もはやホームかな?

(20240930追記)
・ライブリクエスト曲 発表!
オフィシャルサイトでリクエストされた曲一覧がアップされました。興味深い! 少数意見もとりあげてくれてましたね。ああこんな曲あった、これもこれもと呟きつつ読む楽しさ



2024年09月07日(土)
『憑依』

『憑依』@新宿ピカデリー シアター6


実のところ皆それぞれギフトを持っているのよって思わせてくれるところもよかった。ひとりでは頼りない、でもチームを組めば……!

原題『천박사 퇴마 연구소:설경의 비밀(チョン博士退魔研究所:ソルギョンの秘密)』、英題『Dr. Cheon and The Lost Talisman』。2023年、キム・ソンシク監督作品。原題と本国の宣美の方が作品イメージに合っているように思いました。『憑依』というタイトル自体は原作ウェブトゥーンからとられたようですが、それにしたって日本公開版の宣美とキャッチコピーはめちゃ怖い。どんなおどろおどろしい話かと思って観る迄ビクビクしてたよ……。除霊コメディーです!(?)

インチキ除霊で報酬を得ているチョン博士とその助手。チョン博士は医学博士(医師免許も持ってる)としての知識を駆使して依頼人の心理を読み、助手は映像加工と音響効果で超常現象をつくりだす。ところがほんまもんの悪霊祓いの依頼がきて……。

実は博士は祈祷師の家系で、祖父と弟を悪鬼に殺されている。で、おじいちゃんが命を賭して封じ込めた悪鬼が力を取り戻し始め、周辺地域の住人たちに憑依して勢力を増してきてたんですね。博士は別の生業を選んで暮らしてたんだけど、ホントは祈祷師としての才能がすごくあって、悪鬼を倒す機会を伺っていた。という訳で博士、巻き込まれた(笑)助手、博士を育てたおじちゃん、そして悪鬼に取り憑かれた妹を救いたい依頼人が立ち上がります。

助手はいろんな仕掛けがつくれて爆薬も扱えるギーク。おじちゃんは博士のおうちに仕えていた太鼓の使い手。依頼人は霊が見える。皆が相談に行く仙女はマネジャーみたいなイタコを通して話すんだけど、このマネジャーって『AKIRA』におけるケイみたいな依り代ってことですよね。それを超能力というかはさておき、皆さんそれぞれの才を持っている。そういう、完全無欠じゃない存在が力を合わせて敵を倒すというところがよい。

怖いというよりドキドキワクワクハラハラ的なエンタメでした。悪鬼が式神を放つ仕掛けがカートリッジ式だったり(今気付いたがこれってウルトラセブンにおけるカプセル怪獣みたいなもんじゃん! 弱いというかあんま役に立たないとこも同じじゃん)、博士には祈祷師の才能があったと示す根拠が、護符の切り抜きがめっちゃ上手いとかいうシーンだったり(切り絵が上手〜!)と笑いどころも満載。いや護符づくりシーンは笑うところじゃないのかも知れんが、うまく切れない弟を手伝ってあげるお兄ちゃんの図というのが微笑ましくてな……。

茶化さず考えればその切り絵の才能だって霊が見えるのだって、分子レベルの視力があるとか動作が出来るとか、人間が本来持っている能力の延長な訳です。そういうのをバカにしない感じがよかった。スピにもいろいろあるよね!

そこで最初の話題に戻るんですが、これ夏休みに家族みんなでワイワイ観られる怪奇ファンタジーだよって宣伝した方がよかったんじゃないのか。剣のグッズとか出せば売れたんじゃないのか。ムビチケ購入特典が特製お護りカードだったの、いい線行ってたのに!(効能はありませんて注意書き付いてるのがまたよかった)

カン・ドンウォンが真顔で笑える演技をしてる(レイン・ステイリーばりの白目も披露。しかも何度も)ところも楽しかったし、『モガディシュ』で穏健な大使を演じていたホ・ジュノが悪鬼役でフンガーってなってる様子も笑えたし、助手役(自称副社長)イ・ドンフィがすごいいい味だったし、おじちゃん役キム・ジョンスもカサッとしててチャーミング。

博士のおじいちゃんと弟の話は出てきけど両親のことは軽く流されてたし、依頼人の両親が亡くなってるのはわかったけどそれはなんで? とか隙間の多いホン。シリーズ化を見越してつくってるんじゃないかなと感じたので、是非続編をつくってほしいものです! 面白かった!

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・憑依┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。『パラサイト』の夫婦が出てくるってのは事前に知っていたので素直に笑ってましたがパク・ジョンミンが出てるのは知らなかったのでブハッとなった。客席のあちこちから笑いが上がってました

・『パラサイト』“地下室夫婦”パク・ミョンフン&イ・ジョンウン、『憑依』にカメオ出演 ┃ cinemacafe.net
キム・ソンシク監督「地下室夫婦には個人的な思いを持っていたので、彼らがもしも生まれ変わったら幸せであってほしいという願いを反映させた」
住んでる家も『パラサイト』のあの家に寄せてあるんだもん。ひとしきり笑って観たあとこの記事読んでしんみり……幸せになって!(泣)

・よだん。昔電気グルーヴがポンチャックのアーティスト李博士(イ・パクサ)とコラボしていたので、「博士」をすんなり「パクサ」と読むことが出来ました。『イルボン2000』といい、電気から韓国語を学んでいる



2024年09月05日(木)
『PLAY VOL.157』

『PLAY VOL.157』@Shibuya La.mama


この坂だっけ? と挙動不審に……。調べてみたら2017年11月の『PLAY VOL.50』(nine days wonder × LITE)以来でしたわ、ご無沙汰してます……。いやーしかしこのキャパでこの対バン、豪華! そしていちばん段差のある位置を確保出来たので、ラママで初めて(!)ステージ上の全員を視界に捉えることが出来ました。うれしい。

先攻downy。もともとステージ小さいとこなんですが、後方にスクリーンが張られていることもあってか楽器のセッティングがぎゅうぎゅう。近い! 中盤迄MCなし、曲間もずっとサンノバくんがSEを鳴らしており、その音がまた気持ちよい。裕さんの音もずっと一緒にいる。濁流、せせらぎ、激流、という感じで、最初のMCがある迄がひとつの組曲のようになっていた。エフェクトかけたままのチューニングと、ピッキングのノイズも美しい響き。ロビンさんと秋山さんがアイコンタクトしている様子も見られ、あ、あそこのアタックこうやって合わせてたんや! という気づきもあり。

秋山さんサングラスしてるなー、照明や映像が目にキツいのかなー、あ、途中で外したなーと何とはなしに思っていたら、中盤になって「メガネがくもって前が見えない……」「しかも秋山くんサングラスだからアイコン(タクト)出来なくて」とロビンさんが初めておしゃべり。えっ、見えてなかったの? それであれ!? バッチバチやったがな、ビビるがな。秋山さんは秋山さんで「汗で滑って(サングラスが)ずり落ちてき」たので途中で外したとかいう。キリキリとした空気がここで和みました。演奏とMCのギャップがすごいよね(笑)。「ハンディファンをここに置きたい」「かっこ悪いからやめて!」「え、でもくるりはやってたよ!」というロビンさんとSUNNOVAくんのやりとりにも笑った。マッチョさんはニコニコして話を聞いていた。和むわ。

ロビンさんはかなり暑さに参っていたようで、「3rd出したとき『汗ひとつかかないバンド』って酷評されましたけど」(これクールって意味の褒め言葉じゃないのか)「汗かくよ!」とボヤいておりました。「フロアも暑いんだよね」とこちらを気遣ってくれてましたが、いやいやステージ上の方がねえ、照明やら映像やら全身に浴びてる訳で、フロアより全然暑かろうよ……。「今日鍵盤ないから座る時間がない。座りたい(笑)」ともいっておりました。そう、ステージが狭くてスペースがなかったようで、鍵盤なくて座奏もなかったんですよ。こっちとしてはおかげでよく見えたってところもありましたし、アグレッシヴなセットが聴けて楽しかったです。ミドルテンポの曲が多いのにめちゃ刺さりまくるというね……その攻撃的セットのなか「海の静寂」が聴けたのはうれしかったなー。マッチョさんがベースで弾くコードが大好きでね……涼やかでありながら熱を感じるロビンさんの声も魅力。

耳の延長線上ド真ん中に上手スピーカーがありまして、スネアの音直撃の位置だったので全員が一斉に音を鳴らすとタムの音が聴こえなくなりましたが(「弌」のドラムがスネアしか聴こえなかったという。耳もやられてたのかも)、それはそれでこの日にしか聴けない音だったということで。プレイヤーに重ねられる映像は、ライヴ空間によって姿を変える。色と光、そして音。独特な構造のラママでしか体験出来ないインスタレーション作品でもありました。

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setlist
01. 酩酊フリーク
02. 黒い雨
03. goodnews
04. stand alone
05. 枯渇
06. 視界不良
07. 海の静寂
08. 左の種
09. 弌
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物販コーナーにセットリストが置いてあったのでした。親切。

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後攻LEO IMAI[LEO今井、岡村夏彦、シゲクニ、白根賢一]、ソロセット初見。ロビンさんの「今日LEOくんとこは急遽3人編成ってことで……リハ聴いたけど、あれはあれでね、素敵でした」というMCで状況を初めて知ったのですが、ベースのシゲクニさんが体調不良と怪我のため欠席とのこと。おだいじにですよ! 当日いきなりとかじゃなく、数日前に発表されていたそうで、リハの時間はあったようですが……。

サウンドチェックを見ていると、ギターが7弦。それにしてもベースの音がしている。始まってみればそのギターでゴリゴリにベースラインを弾いている。ど、どうなってる? と思っていたら、「1弦だけベースの弦を張っている」とのこと。ええ、それであそこ迄ベースのグルーヴ出せるの? たまげた。ソロセットのライヴ観るの初めてだったので、岡村さんは普段から7弦ギター使いなのか今回だけ7弦にしたのか気になる。ええ〜めちゃめちゃ格好よかった……。

「今日は異常編成の……」とLEOくんがご挨拶。3年前の夏の「緊急事態中のMETAFIVEでした」というMCを思い出してドキッとしましたが(…)、バンドの体力というか地力を感じました。クールに演奏していたように見えた岡村さんは「めっちゃ(手が)痛い! 使う筋肉が違う!」といってて笑ってしまいましたが、ええそうなの!? てなもんで。すごかったー。

デヴィッド・ボウイやマッシヴアタック、あと90年代グランジシーンの影響が感じられる低音リフとブリストルサウンド。スティーブ・ライヒのエッセンスも感じる。そこにLEOくんの声と白根さんのドラムが入ると、それはもうLEO IMAIの音。アクセントでもカウントでもないカウベルの連打とか、シンセから鳴らすマリンバのリフの気持ちよいこと、目から鱗。ハードでヘヴィな音からこういうアウトプットがあるのかと目というか耳が覚めた思い。ええ〜めちゃめちゃ格好よかった……(再)。LEOくんの挙動と熱もチャーミング。

思えば裕さんが縁になるのかな。いいもの観られて幸せな夜でした。願わくばシゲクニさんが復帰したらまた対バンしてほしいな。

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なんで今迄気付かなかったのか〜! ソフトクリームマシンが設置されている経緯なんですが、ラママといえばTHE YELLOW MONKEY、THE YELLOW MONKEYといえばぴーとさんということで、経緯を教えて頂きました(スレッド参照)。ヒーセさんのご希望で導入され、火事で初代のマシンが壊れちゃったあともヒーセさんがチャリティオークションで資金を集めて二代目を入れたそうで、愛と熱意が感じられる……。次回は食べたいです!



2024年09月01日(日)
『ボストン1947』

『ボストン1947』@ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター1


NHK大河ドラマ『いだてん』の記憶が新しい。播磨屋の足袋を履いて走ったあのふたりのその後、大韓民国が建国される一年前の物語。原題『1947 보스톤(1947 ボストン)』、英題『Road to Boston』。2023年、カン・ジェギュ監督作品。良質なファクション(=ファクト+フィクション)映画が立て続けに公開されている。

日本統治下の1936年、「日本人」としてベルリン五輪のマラソン競技に出場したソン・ギジョン(孫基禎)とナム・スンニョン(南昇龍)。金メダルと銅メダルを獲得したものの、名前は日本名、表彰式では日章旗が掲揚され、流れた国歌は「君が代」だった。「若い子を本名で走らせてやろう」。戦後、ふたりは賞金目当てでマラソン大会に出場していたソ・ユンボク(徐潤福)に才能を見出し、ボストンマラソンを目指すべく練習を始めるが……。

1945年に日本から解放された韓国だが、今度は米ソによる軍政が始まる。大韓民国の建国は1948年。ボストンマラソンの出場手続きは、独立国ではなく難民国という扱い。そして2年後には朝鮮戦争が始まる。『ソウルの春』同様、観客はこれからこの国に何が起こるか知っている。登場人物たちの「その後」に少しだけ胸を撫で下ろす。

ドラマティックな脚色はあれど、幹の部分は決してブレない。複雑な思いは日本だけでなくアメリカにも向けられる。国家の冷たさを示しつつ、温かい手を差し伸べる個人を優しく描く。大会に出場出来るよう尽力した米軍政庁の女性、選手団の保証人になる、アメリカで成功した実業家。そして1ランナーとして、ギジョンへの敬意を忘れないジョン・ケリー。貧しい暮らしのなか、それでも援助の手を差し伸べた多くの市民の姿も忘れない。

ギジョンのスピーチが胸を打つ。ボストンマラソンが始まった経緯、マラソンの由来。国の威信をかけて、とはいうものの、ランナーたちは走ることそのものを愛していて、ともに走るランナーのことを尊敬している。だから42.195kmという長い距離を走り切ることが出来る。ラストスパートに入るユンボクが、全てはカネという社会からも、祖国のためという使命からも解放され、走ることが好きなひとりのランナーとして幸せを感じている描写が本当に美しかった。

金メダリスト・ギジョンにハ・ジョンウ。厳しさが冷酷に見えてしまったりと誤解を呼びやすいが、マラソンへの思いは人一倍強いという人物像、静謐な演技。声がいいんですよね、メゾピアノくらいの音量で話してもフォルテの響きが出せるというか。トーンは強くてもうるさくなく、言葉の重みをしかと伝える。あとこの方、清潔感あるレトロなファッションが似合う。開襟シャツにカンカン帽、ポマードで撫でつけた髪型。そうそう、ハ・ジョンウといえばのモッパンシーンが悉く寸止めだったのは何故……食事のシーンすごく沢山あったのに、ジョンウさんが食べ始めようとするタイミングで画面が変わっちゃうの。ワザとか(笑)。

銅メダリストでギジョンの先輩でもあるスンニョンにペ・ソンウ。なんでポスターとかのメインヴィジュアルにいないの!? めちゃめちゃだいじないい役!! 無気力に生きているギジョンを気にかけ、指導者としてユンボクを育て、ボストンではユンボクのペースメーカーを務めた上に自身も12位で完走……すごくない!? また演じるソンウさんが素晴らしくてさ……軽妙な喋り、秘めた情熱。レース後「10位以内には入りたかった」と軽口を叩いていたのに、だんだん感極まってきて……ありきたりな言葉しか浮かばないが、感動的なシーンだった。

若きランナー・ユンボクにイム・シワン。カチカチな心が走ること、信用出来る大人と出会うことによって柔らかくなっていく。しなやかで力強い痩躯、涼やかな表情。トレーニングにより撮影時の体脂肪は6%だったとのこと(!)。クールな顔がくしゃくしゃになるゴール、そして表彰式。アスリートの美しさが全身に溢れていた。「全てはカネ」の実業家をユーモラスに、虐げられる移民の複雑な感情をシリアスに演じたキム・サンホもよかった。差別を受け乍らも懸命に生きる移民たちを代表していた。ユンボクの走りに力づけられる人々は世界のあちこちにいたのだ。

ジェギュ監督は脚本も共同で手掛けている。市井の人々の思いを掬いとり、観客に届ける。痒いところに手が届く。レース中ユンボクにワザとぶつかり差別的な言葉を投げる憎たらしい白人ランナーがいたのだが、その後ユンボクが彼を抜き去るシーンがさりげなく入れられていた。溜飲が下がるわ〜(笑)。葬儀のシーン等、ベタベタになりかねない深刻なシーンをさらりと、しかし豊かな映像で展開させる手腕が見事。

美術やVFXもよく出来てた、というと偉そうですが、つくりもの感が全然なく、あそこおかしくない? と気が散ることなくストーリーに没頭出来た。今のオーストラリアで撮ったそうだけど1940年代のボストンでしかなかったよ! 現代史を次々に映画化しているだけあり、優れたテクニカルチームがいるのだろう。ノーマル/ハイスピードをバランスよく使ってレースを見せるカメラワークも素晴らしかった。

そもそも今作は、日本と切っても切り離せない物語だ。植民地支配で土地、名前だけでなく、言葉も記録も奪った側の国。JOCは現在も、ギジョンとスンニョンの記録を日本のものにしたままだ。当時の国歌のことも初めて知った。曲が「蛍の光」なのだ。韓国国歌が現在の曲になったのは、建国年の1948年とのこと。“難民国”がこういった国際競技会に出る機会は殆どなかった筈なので、表彰式でこの国歌──「蛍の光」がメロディーの──が流れた回数はそんなに多くないことになる。『ハント』の事件後(24年後ではあるが)北朝鮮と国交を回復したミャンマーの寛大さに驚いたものだが、韓国もよく日本と国交回復してくれたなあ、などと思う。断絶は争いしか生まない。融和で前に進みたい。そう思ってくれているのだとしたら、それを再び裏切ることは許されない。

この言葉だけを覚えていれば大丈夫。選手団が教えられた英語は、全てのランナーが笑顔で使えるシンプルな言葉。あらゆる国の争いが、このシンプルな言葉で解決すればいいのに、と願わずにはいられなかった。

“I am happy, I am runner.”

(20240911追記)
と書いてたら、当時の国歌について秋月望氏からこんな指摘が。うーむ、ファクションって難しい。

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・ボストン1947┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております! 動員とかも載ってるんですが、これって本国より日本でヒットするような気もする。当事者であるというだけでなく、日本人マラソン観るの大好きだから

・9/7(土)『ボストン1947』トークショー&マラソンイベント実施決定!┃ヒューマックスシネマ
トークショウのゲストにギジョンのお孫さんを招くだけでもすごいが、そのあと10kmマラソンしましょう! というすごい企画。いい天気+涼しいといいね、レポート待ってます!

・愛国歌(大韓民国)┃Wikipedia
1896年の獨立門定礎式の際、白頭山を歌った愛国詩にアメリカ人宣教師たちが賛美歌として伝えたスコットランド民謡 "Auld Lang Syne"(日本では「蛍の光」)のメロディーをつけて歌ったものとも、また三・一運動直後、上海で樹立された大韓民国臨時政府により採用されたものとも言われる。

・愛国歌(エグッカ)┃駐日韓国文化院
愛国歌の歌詞は外国の侵略で国が危機に処していた1907年の前後から祖国愛と忠誠心そして自主意識をかきたてる為に作ったものと思われます。作詞者についてははっきりわかっていません。

・パンフレット(知りたいことがちゃんと書いてある。こういうパンフが読みたいんですよ〜)に脚色部分の解説載ってたんだけど、飛び出してきた犬がユンボクにぶつかったのは史実だそうで。ええ〜おまえ〜…なにしてくれてんの……。一度転んだランナーが持ち直して優勝するなんて、いくらなんでも出来すぎだよねなんて思っていたら、エンディングで(別の大会のものなのかもしれないけど)コースに出てきた犬を警備員が追い払う当時の映像が流れたんです。そこで「え、ひょっとしてホントだった?」とパンフを読んだら! びっくり



ヒュートラで観てしまいましたが(…)武蔵野館はいつも装飾凝ってて大好きです!