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2024年08月25日(日)
『ソウルの春』

『ソウルの春』@新宿バルト9 シアター5


ファクション=ファクト+フィクション。『タクシー運転手』で光州を取材した青井記者と斎藤記者ら日本人記者の存在が消されていることには引っかかったし、『HUNT』で「(ラングーン事件のとき)父もあんな風にバスに乗れていたらよかったのに」と泣いた遺族のエピソードには「こういう救済もあるのだ」と感じ入る。そういうこと。原題『서울의 봄(ソウルの春)』、英題『12.12: THE DAY』。2023年、キム・ソンス監督作品。

「失敗すれば反逆、成功すれば革命」。1979年12月12日に起きた軍事クーデターの9時間を描く。朴正煕が暗殺され、一度は民主化──“ソウルの春”──へ胸を膨らませた国民の期待は、この出来事により再び踏み潰される。扉が開いたのは1987年。しかしそこから退役軍人による政権が終わる迄6年かかっている。

メモとして、今作と繋がりのある作品の感想を時系列順に並べておく。『ソウルの春』は、『KCIA〜』と『タクシー運転手』の間に起こった出来事。

・『キングメーカー 大統領を作った男』
・『KT』(12
・『KCIA 南山の部長たち』
・『ペパーミント・キャンディー』
・『タクシー運転手』
・『星から来た男』
・『弁護人』
・『ハント』
・『1987、ある闘いの真実』

さまざまな形で描かれる「その日」。真実は時代に翻弄される。政権が変わると「解釈」が揺れる。当事者が残した証言が編集される。改変されるともいう。近年でも、朴正煕の娘である朴槿恵大統領時代には文化人ブラックリストが作られる等多くの抑圧があり、言語統制の空気が蔓延していた。世が世なら、今作も全斗煥が革命家として描かれエンタメ化されていたかも知れない。しかし、今はそうではない。そのことに胸をなでおろす。

構成が巧みで、かなりの数にのぼる登場人物の区別がつきやすい。軍の制服の違いもあるし、襟章により階級がひと目でわかる。首都警備側では、真っ当な進言が階級や年齢が下だという理由で通らない。一方クーデター側は、保身にまみれた年長者たちが階級も年齢も下の首謀者のいいなりになっていく。時間と場所、人物名と役職に細かく字幕が入っていたこともかなり助けになった。原語字幕がないところにも入っていたが、本国の観客は字幕なしでこれらを把握出来たのだろうか? それとも原語字幕を一度消して日本語字幕に差し替えたのか…レイヤーが別なのかな、じゃないとすごい大変……日本語字幕制作スタッフの労力に感謝するばかり。

クーデター計画は杜撰で、かなりの穴があった。首都を守る側にも、制圧のチャンスは幾度もあった。映画はその分かれ道を克明に描く。クーデターの首謀者・ドゥグアン(全斗煥がモデル)と首都警備司令官・テシン(張泰玩がモデル)がほぼ同じ台詞を吐く場面が何度かある。「行くなら俺を撃ってから行け」、「市民を利用しよう/放っておけ」。その言葉に続いた結果に唇を噛みしめる。勝てば官軍、負ければ賊軍とはよくいったものだ。史実はひとつ、憤懣やるかたないとはこのこと。クッソ間に合え、クッソ失敗しろと何度念じても、それらが覆る訳がない。大河ドラマなどで描かれる関ヶ原の戦いで、今年は石田三成が勝つんじゃねえのと思ってしまうようなものか……というのは軽率だろうか。テシンのその後を思うと目眩がする。名誉が回復しても、失われた時間と命は戻らないのだ。

韓国を代表する役者たちが揃っている。相当な覚悟をもって出演したのだろうと想像がつく。クーデターの首謀者はファン・ジョンミン、迫真の演技。全斗煥のイメージを身体に刻みつけたかのよう。特殊メイクの効果だけではない。首を前に出した猫背、両手を腰に当てるポーズ。身長すら縮んで見える。ソウルを守ろうと奮闘する首都警備司令官はチョン・ウソン。高潔で清廉な人物像を濁りなく見せる。だからこそ彼の辿る道を知っている観客は歯ぎしりし、その後の平穏を祈り続けるしかない。

盧泰愚にあたるノ・テゴン役、パク・ヘジュンも小心な人物像をうまく造形していた。ズッ友描写にはついイヤな笑いが出てしまった…盧泰愚と全斗煥、同じ年の1ヶ月違いで死んじゃったんだよね……(事実は小説よりも奇なりではあるが、実際こういうことって結構あるもんですね)。憲兵監役のキム・ソンギュンも誠実な人物像、観る側の心が寄る演技。対処の最適解を知っているのにそれを悉く無能の上司に潰される。その後が気になる人物だった。モデルとなる人物はキム・ジンギ(金晋基)とのこと。彼の名誉もその後回復されたが、生涯クーデターの悪夢に苦しめられたとある。

陸軍参謀総長役のイ・ソンミン(『KCIA 南山の部長たち』では朴正煕役だった)、第10代大統領役のチョン・ドンファン(事後報告だと日付をサインするとこよかったね……)も穏健な人物像で印象的。テシンの部下役のナム・ユノも印象に残るツラ構えと強い声を持っていた。特殊戦司令官役のチョン・マンシクとその部下役チョン・ヘインにもいい見せ場があった。マンシクさん『HUNT』でもエラい目に遭ってたけど、監督の嗜虐性を刺激する何かを持っているのだろうかとちょっと笑ってしまった(ヒドい)。

そう、シーンごとに見せ場がある。ダイナミックな銃撃戦、空撮で見せる戦車の進軍。隊列の前にひとり立ちはだかるテシン、バリケードをひとり超えていくテシンにかなりの時間を割く。格好よく見せたい気持ちはわかる、実際格好いい。画面いっぱいに砲撃のカウントダウンを映し出す演出にはちょっとあざとさを感じたが、こうして自国の負の歴史をエンタメとして見せることの影響力を作り手はきっと自覚している。観客は手ぶらでは帰れない。何故こうなった? と考えることになる。背景を調べる。繰り返されてはいけないと心に刻み、自分には何が出来る? と問う。これがエンタメの力なのだと信じたい。

そして日本の観客は、では、自分たちの国は? と思わずにはいられないのだ。

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・ソウルの春┃輝国山人の韓国映画
いつもお世話になっております。“配役中の【 】は,実際の事件における氏名”、こういうのがホント助かる! 有難うございます!

・ソウルの春(映画)┃ナムウィキ
トリビアいっぱい。鑑賞のお供に

・10.26朴正煕大統領射殺事件
こちらは朴正煕暗殺事件の詳細。個人サイトでこれはすごい……勉強になります

・映画「ソウルの春」(1)KBS「映像実録」1995年10月4日放送
・(2)新聞報道
・(3)背景
・(4)攻防の現場
・こぼれ話(1)
・その後
こちらもいつもお世話になっております。パンフレット(読み応えあり!)に寄稿されている秋月望氏が、自身の『一松書院のブログ』で更に詳しく背景を。“ソウルの春”の名付け親は日本のマスコミだったとのこと。張泰玩とその家族の「その後」は本当につらい。
それにしても民主化宣言を出したのは盧泰愚。どの口がいうか。その後彼が大統領になっている辺り、根が深いというか物事は単純ではないことを思い知らされる

・隠ぺいされた韓国現代史の闇に切り込む『ソウルの春』 監督が語る「夜空に轟く銃声を聞いたあの日」┃Yahoo!ニュース Japan
事件を起こした人たち、関連した方たちは、少し前まで韓国社会にとって非常に重要な位置、権力を行使する位置にいました。そのため、月日は経っていたにもかかわらず、表立って語るのは難しかったのだと思います。
桑畑優香氏による記事。本国では国民の4人に1人が観た計算になる大ヒット。多くの若者が駆けつけ、様々な議論が展開されたそうですが、当時を知る年長者の口は重かったそう。それにはこうした背景もある。
ヒドい目に遭うファン・ジョンミンを観よう! と『人質』がリバイバル上映されたというエピソードには笑ってしまうけど、そんなことが出来る世の中でよかったとも思う


(2023年末、朝日新聞ソウル特派員による記事)
あまりの憎らしさに、本国ではこんなこともあったそうです


本国公開当時話題になっていた動画。光州での舞台挨拶で「ソウルの春が光州に来るのを43年間待っていました」というボードを見て、ジョンミンさんが泣いてしまったそう。演じる方のプレッシャーは相当なものだったと思います


百想芸術大賞で最優秀演技賞を受賞したときのジョンミンさんのスピーチ。賞が全てではないけれど、報われてよかったというか……本当におつかれさまでした

・韓国軍の非常事態警報「珍島犬1号」 名称の由来は?┃日刊SPA!
おまけ、10年以上前の記事が今役に立った。緊迫感溢れるシーンの連続のなか、この「珍島犬1号発令!」って台詞でちょっとひと息つけたんですよね(いいのか悪いのか)。珍島犬が“国犬”だというのは知っていましたが、かわいらしいというか脱力しちゃう作戦名


もひとつおまけ。『星から来た男』は民主化が叶って約20年後につくられた作品です。なのに……ちなみに盧武鉉政権下。存命の関係者がまだまだ多かったこともあるのでしょう

・映画「ソウルの春」が描く韓国現代史の暗部 民主化を阻んだ軍事クーデター、一夜の攻防 ┃GLOBE+
『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史 歴史のダイナミズム、その光と影』の著者、崔盛旭氏によるレヴュー。『クーデターに敗れた「鎮圧軍」のその後』が詳しい。不審死を遂げた人物がこんなにいるとは……真相究明の道は遠く険しい