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kai
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2025年03月23日(日) ■ |
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『教皇選挙』 |
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『教皇選挙』@kino cinéma新宿 シアター1
確信を持たないことこそが信仰を信仰たらしめる、と確信(確信しちゃダメだって)。そしてアカデミー賞の結果は、現在のハリウッドというかアメリカはこれを受け入れ(られ)ないという表明でもあったのかもしれないな 『教皇選挙』
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 20:25
神は見ているだけだが、それでも神の御業というものはある。と信じてしまいそうになる。ローレンスの迷いが決意へと振れた途端、雷(ここはいかずちと読みたい)が落ち(たかのように爆発が起こ)る。しかしそれは、異教徒によるアタックだ。では、これは「どの」神の御業か? ひとりの神を信じるものは、常に疑念に満ちている。だからこそ、信仰から離れられない。
原題は「コンクラーヴェ」。「根比べ」と響きが似ていることから、日本での認知度は高いように思う。記憶を辿ればこの言葉を知ったのはヨハネ・パウロ2世が亡くなったときかな。投票結果を煙突からの煙の色で知らせることもこのとき知った。
しかしそれが投票用紙を燃やした煙だったこと、教皇の死後“漁師の指輪”を破壊し、遺体を運び出したあとの執務室を封印することは知らなかった。真っ白な傘が集まる鳥瞰、鮮やかなローブの色合い、遺体搬送車の振動に揺れる遺体袋。普段部外者が目にすることがない聖なる風景、その風景に跳梁跋扈する俗物たちが、圧倒的な美をもって見せられる。撮影監督はステファヌ・フォンテーヌ。鳥の声、亀の歩行、割られる封蝋。そして息を呑む、嘆息するといったさまざまな呼吸音。耳を傾けずにはいられない。サウンドデザインはベン・ベアード。
上質のミステリーでもある。少しずつ降り積もる謎、少しずつ積み重なる情報。脚色のピーター・ストローハンによる手札の出し順が絶妙。エドワード・ベルガー監督の手腕は繊細かつ豪快。
外部からの情報遮断のため隔離された枢機卿たちは、策謀と駆け引きに明け暮れる。アメリカ、カナダ、イタリア、ナイジェリア、そしてアフガニスタン(!)……世界各国から集まる枢機卿たちが話すのは英語、イタリア語或いはラテン語。ヨーロピアンも、アフリカンも、勿論エイジアンの姿も見える。これだけ多言語、多文化なのだから、寛容でいてこそ神に仕える者だろうと思うが、そんなこといったらカトリックの起源はローマだろうがよ〜ざけんなだったらヘブライ語喋れよいやアラム語だろって話になって争いが生まれるんですね。バベルよ……。首席枢機卿のローレンス(イギリス人)が、母語以外の言葉でまくしたてられて返答に詰まる場面があった。そこで反射的に適当なこといわないところは彼の善性でもある。
候補者と目される人物たちは、どいつもこいつもよぉ〜といいたくなるような俗! 俗!! 俗だらけ!!! 皆教皇になる器じゃねーだろー!!! というのが観客にもわかるくらいなのが滑稽で、もうずっとニヤニヤして観てた。風刺が強い。コメディかな? とすら思う。そんな選挙を取り仕切るローレンスの心労はいかばかりか。私は修道院生活をしたいんだよ〜こんなお務め早く辞めたい! わかる。くたびれ果てた末「どいつもこいつも……もう私がやるしかない!」と決意しちゃうのもわかる。就任したときの教皇名迄考えちゃう。投票用紙に自分の名前書いちゃう。すると絶妙のタイミングで神(異教のだけどな)の鉄槌が下される。これはもうショック。ショックしかない。私の決意は使命感からではなかったのか、名誉欲にかられただけなのかって呆然としちゃうよね……。神は! 私を!! 教皇の器ではないと仰った!!! ごめんなさい気の迷いでした!!!!! って泣いちゃうね。でもその神って、どの神? いやーここさ、『ことの終わり』を思い出す“奇跡”だった。神との約束は、なんて皮肉なものなのだろう。
終わってみれば「常に八手先を読む」前教皇の望み通りの結末になったともいえる。“目に見えぬ存在”であった女性(シスター・アグネスはイザベラ・ロッセリーニ!)に「神は私たちに目と耳を与えられている」と語らせ、新しく教皇に就任した人物がその座にふさわしくない謂れは何もない。そうある未来を神は望んでいる、と前教皇は考えた。そこに確信はない。宗教は続く。何百年も、何千年も。
ローレンスを演じたレイフ・ファインズは本当に素晴らしかった。辞職を切望しつつも選挙における疑念を見過ごすことが出来ない。自身の信仰にも懐疑心があり、揺れに揺れる。そんな人物像を繊細に演じる。今回の選挙における彼の最後の職務は見逃すことだった。いや、逃すという言葉はふさわしくないだろう。逃げ出した亀をそっと抱き上げた彼の、一種晴れ晴れしいような、しかし物憂げな表情にはローレンスの揺れが集約されていた。ファインズはエグゼクティブ・プロデューサーとして名を連ねており、本作への思い入れも窺えた。
選挙が終わり、おさんどんから解放されたシスターたちが軽やかな足取りで礼拝堂を出て行く。「目と耳を与えられているが、目に見えぬ存在とされている」彼女たちの姿に光を見る。排外主義で、分断を煽り、ふたつの性別しか認めない人物が大統領となったあの国は、この作品にオスカー像をひとつだけ与えた。そのひとつに、そしてそれが脚色部門だったということに、ちいさな希望を見る。とても射程が長い希望ではあるが。
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はーそれにしても『オスカーとルシンダ』のオスカーを思い出す程震えるレイフ・ファインズが観られてワタシはうれしさに震えました。そして美が細部に宿りまくりであった。パンフ再入荷したら(てか公開4日で売り切れてるの…)買おう
[image or embed] — kai (@flower-lens.bsky.social) Mar 23, 2025 at 20:25
パンフレットは再入荷したものの1日で再び完売、まだ手に入れられておりません……も、盛り上がってますね? 『オスカーとルシンダ』は生涯ベストワンと確信している(敢えて確信という)映画。スクリーンで観られてないんですけどね……(涙)。オスカーも信仰に揺れ動いた人生だった。「神が私達に要求しているのは現世に存在するあいだ、すべての一瞬、一瞬を賭けることです」「生きている限り、その一瞬、一瞬を賭けなくてはならないのです」。
・『教皇選挙』<ネタバレ注意>キーワード徹底解説┃『教皇選挙』公式サイト ISOさんによる解説、鑑賞後に是非
これもISOさんより。先に公開された韓国ではかなり盛り上がってるようで、かわいいファンアートがいっぱいです。ネタバレ要素あるので、こちらも鑑賞後に是非
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