自分の目の前の事ばかり考えているうちに、世間では色々と大変な事が起こっていたらしい。関東で大雪が降って大変だったり、アルジェリアで人質が拘束されていたり。日中はテレビを付けないし、ネットもチラチラ眺める程度なので、娘を寝かしつけた後「えっ? こんな事があったの?」と驚く事が多い。
昨日は阪神・淡路大震災が起こって18年目だった。あの時、私は社会人になったばかりだった。住んでいるのは大阪だったけれど、神戸方面の学校に通っていたので被災した友人も多かった。あの時も色々大変だったけれど、私は何の根拠もなく「こんなに酷い災害は私が生きている間はもう起こらないんじゃないかな」なんて事を思っていた。それから20年もしないうちに東北で大きな震災が起こるなんて、あの時はこれっぽっちも想像出来なかった。
それを思うと、これから先も日本に大きな災害が起こらない……とは限らないのだなぁ。そんな事を考えたらキリが無いし、不安になっても仕方がない。日々を大切に生きて、何かが起こったら自分の出来る事をして助け合って頑張っていくしかない。昨日は今の生活に感謝しつつ、亡くなられた方々のご冥福を祈った。
それにしても「祈り」って抽象的な行為だなぁ…と思う。
実際に何かが起こったときに必要とするのは祈りではなく、行動とお金(物資)だ。汚い言葉になるけれど「祈るより、金出せよ」ってところが本音になってくる。でも「じゃあ、お金だけでいいの?」となると、そうじゃないのも事実。人はお金や物だけでは満たされないし癒されない。たとえば…の話だけど、自分の大切な人が亡くなったとき「お香典」よりも泣いて悼んでくれる人がいるって事実が嬉しかったり、ありがたかったりする事がある。私事だと弟が事故で大怪我をした時、友人が駆けつけてくれたのが何よりも心強かった。あの時、私に必要だったのはお金じゃなかったと今でも思う。
まぁ。だからってお金を否定する訳じゃない。お金も気持ちもどっちも大事。
とりとめの無い文章になってしまったので、この話はこの辺で。年末から引きずっている顔のおできは一向に良くなる気配なし。薬を変えて様子見3週間目に突入。私自身もウンザリ気味。しかし、ふと過去の日記に目をやると毎年今の時期は体調不良で病院のお世話になっている。特に細菌感染系。婦人科系が雑菌にやられて炎症を起こしたり、ちょっとした傷が化膿したり。顔のおできも「ちょっとした吹き出物が化膿している」という単純なもののようなので、季節行事だと思って、あせらずボチボチ付き合っていこう。
気が付けば今週も1週間終了。娘の幼稚園ではインフルエンザが流行りつつあるらしい。気をつけていたところで、かかる時にはかかるものだけど、油断せず過ごしたい。毎日寒いけど挫けず頑張ろう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。
本日のお弁当。おかかご飯、ウィンナー、卵焼き、蓮根と人参のきんぴら、スナップエンドウ、白花豆煮、苺(別容器)。苺は戴き物。苺って春の果物なのに冬にも特売している不思議。