私は斜め向かいに住む奥さんを育児の師匠として密かに崇めている。
育児の師匠は私より1つ年下だけど中学生を頭に3人の男子の母親だ。私からすると子育ての大先輩。以前、彼女が「よその子も我が子と思って接しないとやってられないわ」って話をしてくれた事がある。その時私は「流石は師匠。よその子も我が子と同じように出来るなんて……私には無理。そこまで心広くないし…」と思っていた。しかし今日は師匠の言葉の意味をやっと理解する事が出来た。
今日、事情があって娘と同じ幼稚園に通っている子どもを1時間ばかり預かることになったのだ。その子は娘と同じ年で赤ちゃん時代からちょくちょく一緒に遊んでいるし、母親のKさんは私とは気が合う存在だったりする。しかし「人として気が合う」のと「母親として気が合う」のは別次元の話。Kさんは私の目から見ると「母親として、どうよ?」と思うところが多くて、躾に甘く、Kさんの子どもは言葉は悪いが野生児も同然。超絶な我が儘で5歳になもってまともに道を歩くことも出来ない。
そんなKさんの子と娘を連れて家に帰って1時間預かることになったのだから大変。私も相当な覚悟を持って引き受けた。5歳児に向かって言う言葉ではないのは百も承知だったけれど、幼稚園バスから降りてきたKさんの子に先制パンチよろしく言って聞かせた。
「いい。よく聞きなさい。もし、君が道路をパーッっと走って行って何かあったら取り返しがつかない。おばちゃん、お母さんに泣いて謝るのも、死んで謝るのも嫌。君が死んじゃったからって、お母さんに産んで返す訳にはいかないんだよ。Yちゃんのお家に帰るまでは手を繋いで歩くこと。おばちゃんの言うことを聞くこと。分かったね?」
Kさんの子は普段、自分の鞄は自分で持たないし、自分で歩かずに母親におんぶしてもらって帰る。しかしガツンと言ったのが効いたのか、彼も娘と同じように自分の鞄を自分で持って、ちゃんと歩いて家まで来てくれた。無事に彼を家まで連れて帰る事ができてホッっとしたのは言うまでもない。
帰宅して、手洗いうがい。オヤツの前には「いただきます」。すべて当たり前の事だけど、それが出来ないKさんの子にもいちいち言って娘と同じようにさせてオヤツを食べさせ、Kさんが来るまでの時間家で遊ばせた。無事にKさんの子を引き渡せた時の安堵感ったら!
娘はまだ幼稚園で、友達と遊ぶときは基本的には親同伴。でも、小学生に上がったらそうも言ってはいられない。娘のお友達が我が家に来る事も多くなるだろうし、娘もよそのお宅にお邪魔させてもらう事もあるだろう。我が家に娘の友達が来た時「よその子だから」って扱いをしていてはやっていけない。悪い事は叱らなきゃいけないし、彼らの安全に責任を持たなきゃいけない。博愛の精神とかそう言う立派な話ではなくて、よその子もうちの子も自分が見ている限りは責任持たなきゃいけないんだ……って言う当たり前の事に今日は初めて気付かされた次第。
育児って、年が小さければ小さいほど手が掛かって大変だけど、成長したらしたで別の大変さが出てくるのだなぁ。私にとって娘は初めての子なので毎日学ぶ事ばかりだ。娘が成人するまであと15年。先は長いければ頑張らねばなぁ……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。