白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2006年01月18日(水) 人の側面

疲れが溜まっているなぁ……と思っていたらば、案の定ダウンしてしまった。

一昨日の夜から激しい嘔吐で昨日は不本意にも欠勤。相棒に「どうしても仕事がパンパンだったら午後から行くか、データを送ってくれたら家でやります」とメールをしたが、ラッキーにも1日休むことが出来た。愚弟の部屋に布団を敷いて、1日寝て過ごしたら、今日はなんとか出勤できる状態まで回復。いまどき流行っている風邪なのか、単なる疲労なのか。原因はどうあれ、動けなくなるほど酷い目にあったのは久しぶり。

先週末は未来の夫を連れて叔父宅を訪問した。未来の夫は叔父一家に歓待され、私は「幸せそうねぇ」と祝福を受けたのだが、叔父一家があまりにも「白蓮ちゃんは苦労して大変だった」とか「幸せそうな顔をしているわねぇ」なんてことを言うものだから、未来の夫から「白蓮さんって、今までそんなに不幸だったの?」と聞かれてしまった。

はてさて。そんなに不幸だったのだろうか。私は?

ここ7年ほど私の身辺は何かと大忙しであったことは事実だし、不本意ながらの体験をしたのも本当だが、そんなに不幸な日々を過ごしていたという自覚はない。叔父一家は知らないのだ、あれこれとウンザリなことが多かった中で、私それなりに愉快な時間を過ごしていたか……ってことを。夜空を見上げて月を見たとき、その裏側は見えないように、人間が自分以外の者に対して表面的に見せている部分なんて、わずかな部分にしか過ぎないのだ。

今の私は幸せな状況にあるとは思うけど、だからって100%の幸せを感じている訳ではないのだ。100%の幸せだの、不幸だのに浸れるほど人間は単純な生き物ではないと思う。それとも私が「幸せすぎて恐い」とか「不幸すぎて絶望した」と思えるような強烈な体験に遭遇していないだけなのだろうか。

布団にくるまって嘔吐感とせめぎ合いつつ、そんなことを考えていた。そりゃそうと風邪にも疲労にも気をつけなくちいけない。メールや手紙の〆に「時節がらご自愛くださいませ」みたいな言葉を入れるけれど、人のことを心配している場合ではない。土曜日は用事を片付けようと思っていたけど、身体を休めることに専念しようかなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2004年01月18日(日) 無限ループ2つ。
2002年01月18日(金) 救急車、来たる。

白蓮 |MAILHP