白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2007年01月18日(木) 大阪の事件で思ったこと

昨日、大阪で痛ましい事件があった。

この種の事件があるたびに、傷害罪や殺人罪の厳罰化を望む。と同時に、いかなる理由があろうと(正当防衛を除く)罪は罪として裁いて欲しいと切実に思う。子供だろうが精神状態が悪かろうが、人を傷つけたり、殺めたりした事実は変わらないのだから。

今回の事件で、障害者の支援施設や団体への風当たりが強くなるんじゃないかと心配だ。

今回の事件に限った事ではないけれど、1人の犯罪者の印象だけで、同じ場所に所属している人が、非難の目で見られたらたまった物ではない。「それせはそれ、これはこれ」だと思うのだけど。ただでさえ障害者の作業施設は経営が厳しいとこが多いので、こんな事が経営の足を引っ張らないと良いのだけれど。

世の中には「障害者は年金などがあって働かなくても生きて行けるのだから働く必要はない」と言う人もいるけれど、想像して欲しいのだ。学校を卒業したとたん、家以外に行き場が無くなってしまったら…そして、その後も長い年月を生きなければらないとしたら…って事を。

友人に重度の障害で自由に動けない女性がいる。彼女は養護学校を卒業後、短時間だけ支援施設に通っているのだが「もし、こういう場所が無かったらと思うと恐ろしい」と話をしていた。人として生まれてきたのだから人の中で生きたいと言うのは当然の欲求である。難なくそれが出来る状態だと、そんな事など考えもしないのだけど。

なかなか自分と違う人を理解するのはムツカシイ。ましてや知的障害等で意思の疎通が困難な場合はなおの事だ。だが、いま健康な人だってこの先ずっと健康でいられるとは限らないのだ。1人でも多くの人が、ちょっとだけ…ほんのちょっとだけ関心を持てたら良いのになぁ…と思う。関心を持てないまでも真っ向否定しないで欲しい。

などと熱く書いてみるものの、私自身は障害者が働く場所のために何か支援をしている…って訳じゃないので偉そうなことは言えなかったりする。せいぜい近くでバザーがあれば品物を提供する程度。せめて意識を向ける程度のことは心掛けていたいとは思う。あの事件の被害者の男の子が後遺症無く元気に回復することを祈りつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2006年01月18日(水) 人の側面
2004年01月18日(日) 無限ループ2つ。
2002年01月18日(金) 救急車、来たる。

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