白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2011年06月02日(木) 実家の仏壇。

実家の仏壇が処分されることになった。

実家の仏壇は父が亡くなった時に購入したもので、仏壇に収められているのは父の位牌のみ。実家は母と弟の2人暮らし。母は以前から「自分がもしもの事があった時に仏壇の面倒をみる人がいないと困るから、ある程度の年齢になったら仏壇を処分する」と宣言していたのだけれど、とうとう処分することになった。

檀家になっているお寺の住職さんに来てもらって魂を抜いてもらい、明日は仏壇を仏壇屋さんに引き取ってもらうとのこと。亡父は全く信仰心の無い人だったので、怒ったりはしないだろう。そもそも仏壇は母の意地で購入したようなものなので、母の気が済んだら処分しても良いと思う。私の実家は色々と問題の多かった家なのだけど、これで母も何かと決別することが出来たのではないかなぁ……と勝手に想像している。母の本音のほどは母にしか分からないけれど、話を聞く限りでは、肩の荷を下ろしたようなサッパリした話っぷりだった。

父の遺骨は骨仏をつくってくれるお寺に納めていて、既に骨仏になっているので、節目節目にお寺にお参りすることになるだろう。私自身も父と同じく信仰心は無いので、特に何も思わないけれど、実家の歴史の一区切りだと思うと感慨深い物はあった。

仏壇にしろ、お墓にしろ、今のご時世お世話を続けるのは大変なことだ。

昔の日本のような大家族体制なら、誰かが当然のように仏壇やお墓の面倒をみるのだろうけれど、核家族でしかも成人した後はどこで暮らすか定かではない場合、仏壇もお墓も残された者にとっては重荷になる。私や夫が死ぬのはまだまだ先のことだけど、私も夫も死後は仏壇もお墓もいらないと思っていて、しかるべき年齢になったら、娘に負担のかからないような形で遺骨の扱いについて決めておこうと話している。

人は死んだどうなるのか? その心はどこへ行くのか? 残された人はどうやって気持ちの整理をしたら良いのか? 正解は誰にも分からない。しかし思い出や、人を想う気持ちは決して消えることはない。

明日以降、折を見て仏壇の無くなった実家を訪ねてみよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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