一昨日から、北信州で山のお仕事。単独である。 台風で荒れた林道を、ひとりガタゴト走る。
一人で山へ入ったが、孤独ではない。 林道のあちこちに、キノコ採りの車。
杖をついたご老人が、クマザサの中から現れたから驚いた。 自分の乗ってきた車を見かけなかったか、と尋ねられる。 どうやら、森から抜け出たはいいが、乗ってきた車を停めた場所を見失ったようだ。
ちょっと車で見てきてあげますよ、と言い残し、 カーブを一つまがったところに、軽自動車が留めてある。 ありましたよ!と大声で伝えたら、聞こえたのか手を振っている。
やれやれだ。
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キノコ採りで山に入った高齢者の遭難ニュースは、 秋の長野県では日常茶飯事である。
あの人も危ないなあ、と思いながら林道を下るうちに、ふと思った。
ご老人達は−少なくとも私が会ったあの足の悪いご老人は−、 このまま山で命を落としてもかまわない、と思っているんじゃないだろうか。
それを自覚しているにせよ、潜在的にそう思っているにせよ、 山で何かあったらそれまでよ、との覚悟を受け入れているのではないか。
そう思うほどに、北信州の森は深く優しい。
ブナやミズナラの巨木が静かに屹立し、草木も鳥も獣も虫たちも、 数多の生き物たちがあるがままの生と死を繰り広げている。
生きとし生けるものはみな等しく静かに命を終わっていくことを リアルに目の当たりにするこの場所で、齢を重ねた自分の一生が幕を閉じるのならば、 それは無念ではなく喜びなのではないか。
よくわからないが、今日そう思ったことは覚えておこうと思う。
2007年10月18日(木) 2006年10月18日(水) 2004年10月18日(月) 管制塔は象牙の塔
2013年10月10日(木) |
その力がなくて何が悪い |
へとへとだが、片づけなど不在の後処理に追われる。
最近、「受援力」なる言葉があるらしい。 曰く、被災地が地域外からのボランティアや支援を受け入れる「力」 のことだそうである。
「○○力」の濫用が著しい。 赤瀬川源平先生だって、頭をかかえている。
まったく意味がないか、むしろ害悪であるか、本来清濁併せ持つようなものへ、 何かプラスの意味が(意味だけが)ある、と人々に思わせ、行動を喚起する、 姑息な慣用句になりつつある。
その力がなくて何が悪い。
メディアや発信者を問わず、 「今のままではダメだ」と人々に訴えるメッセージには、慎重になるべきだ。 今までろくなことがなかったからだ。
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蛇足であるが、 作者が意図しない方向に意味を変えて暴走した言葉をもう一つ。
酒井順子氏の「勝ち組」である。
エッセイ「負け犬の遠吠え」は、いま世の中で間違って使われている 「勝ち組」に入るような、仕事も美しさも申し分ない女性が、 ささやかな幸せを手に入れることができないことについて、 自嘲気味に「負け犬」と評したもので、野暮に手を加えるならば、 「なのに負け犬」「だけど勝ち組」という、単純ではない意味合いを帯びていた。
そうだから、ベストセラーになったんである。 それが、浅ましさを煽る人々に利用された。
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ついでに、変な普及をした言葉をもう一つ。 それは、「○○。」の見出し。
「本日のおすすめ。」とか、「○○のご案内。」とか、 文章ではなく、本来句読点を要さない見出しへの「。」が、 当たり前のようになっている。
言わずもがな、「モーニング娘。」の「。」がその源である。
金田一先生もびっくりの、文法革命である。
下品であることこの上なしと思うが、 当のつんく氏が不本意だと思っているかどうかは、私に測り兼ねる。
2006年10月10日(火) 傍若無人な行為 2004年10月10日(日) 他人の無念
IPCC第5次評価報告書の第1作業部会報告書ついて、 政策決定者向け要約が承認、発表された というニュース。
報告書の内容はおおむね従前どおりの方向。 トピックスは、温暖化と人間の活動の関係をさらに明確にした点である。
これは、深刻さの継続案件である。 *
次は、深刻さの新規案件。
「ドイツの出生届の性別欄に、11月から男性でも女性でもない「不確定」の項目が新たに加わる。性器などの身体的特徴から男女の区別が難しい「インターセックス」の新生児が対象。オーストラリアでは既に同様の措置が取られているが、欧州では初めてである。…インターセックス団体によると、インターセックスは1500〜2000人に一人の割合でいるという。」
新聞記事の「同性婚合法化の動き」というようなニュースに紛れ込んでいたが、 淡々と書かれている内容に大変おどろいた。
男女の区別が難しい新生児? 1500〜2000人に一人の割合で?
よくわからないが、出生届に新しい欄を設けました、 などというトピックスから知る話ではないような気がする。
昔からみられる現象なのだろうか。
生殖異常は、化学物質の毒性のひとつである。 この新聞に書かれている事実を前に、そのことを考慮せずにはいられない。
IPCC報告書の内容よりもはるかに、 人類の未来を不透明にする事実のような気がするが、そう思うのは私だけだろうか。
2011年10月01日(土) 2010年10月01日(金) 2006年10月01日(日) 美しさに関する苦言 2005年10月01日(土) 狂気のオクトーバー・フェスタ
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